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裁判員制度5年目の「ナチス記念日」をどう迎えるか

今月30日、ヒトラーが政権を取って81年目の日を迎える。この機会に、裁判員制度の視点から、ナチスの登場をもう一度振り返つてみようと思う。

□ 麻生太郎氏は♂≠ℵ⊆Êǜと言った。
「3分の2という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力でとったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持であったり、そうしたものが最終的に決めていく」「しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。そのときに喧々諤々、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」「そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない」-そして-「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」(植草一秀氏の『知られざる真実』から)。

□ ジェノサイド比較論の大家R・ジェラテリー教授は「ヒトラーは監視社会による犯罪の防止を国民に受け入れさせた。『強制』と『同意』は一貫して縺れ合っていた」と言った。
「多くのドイツ人は、自分たちの抱く深い不安感と密かな希望に訴え続けてきたヒトラーに言い寄られて、心地よいことを聞かされ、感情と打算の両面からナチス独裁制に熱を上げたのだ、秤にかけてみると、ほとんどの人びとは、犯罪のない街路、繁栄への復帰、それに自分たちがよいと思う政府を求め、その代償に進んで監視社会という考えを受け入れ、普通は自由民主主義と不可分とみなされる自由を放棄したのだ」(『ヒトラーを支持したドイツ国民』みすず書房から)

□ 同氏は、また「ドイツでは法違反を申告することは市民参加のもっとも重要な貢献のひとつだった」と言った。
「政権は、人種主義制度の違反容疑について、国民から密告を得るのに苦労しなかった。警察またはナチ党に情報を提供することは、第3帝国では市民参加のもっとも重要な貢献のひとつだった。…普通犯罪にかんしても、彼らは密告に躊躇しなかったに違いない。 この種の市民参加と、警察または党に自分たちの疑惑を進んで密告する市民の姿勢は、抵抗運動に壊滅的影響をおよぼした。…多くの人びとがよろめきながら終焉に向かっていった」(前同)

□ 京都大学名誉教授のドイツ文学者池田浩士氏は「ドイツ共産主義者もヒトラーの歓迎に転向した」と言った。
「1933年1月30日、ヒトラーが政権を掌握した。そのとき、ファシズムともっとも真摯に闘ってきたドイツの共産主義者たちでさえ、このことの意味を正しく捉えることができなかった。かれらはむしろ、ヒトラーの登場を、やむを得ない前段階のひとこま、と考えた。つまり、ヴァイマル共和国に失望した民衆はナチスを一時的に支持しているものの、すぐまたこれに幻滅させられるにちがいない。そのときこそ、真の社会主義ドイツへの道が開かれるのだ。-『まずヒトラーを来させろ。そのあとからわれわれが行く!』」(『ファシズムと文学 ヒトラーを支えた作家たち』インパクト出版会から)

で、インコはそっとつぶやく。
ボルサリーノ・麻生・マフィアファッション(米ウォールストリート・ ジャーナル(WSJ)は「ギャングスタイル」と報道した)は、みぞうゆうのお勉強で整理つかないまま間違いだらけでしゃべっちゃったって感じ。誰かが彼に「ヒトラーも鞭でひっぱたいただけじゃなかったんですよ」なんて教えたんでしょうね。「手口に学べ」は人に言ってはいけないはずの言葉だったのに、そこまで口にしちゃった。そこがチャックのかかりにくいお口の方の特徴。

ユダヤ人たちは公職を追放され、アーリア人とユダヤ人の結婚や同居が禁止され、「正義の回復」を求める市民の司法参加(密告)がナチスの支配を確実に支えていった。その経過は、ナチズムの再来を懸念する世界の学者がそろって指摘しているところですね。

アムステルダムの隠れ家にいたアンネ・フランクたちをゲシュタポに密告した市民の行動も、ドイツ民族の純血を守る「司法参加」そのものでした。かくしてベンチはアーリア人用とユダヤ人用に分けられ、ユダヤ人企業はアーリア人に買収され、ユダヤ人医師はユダヤ人以外の診察を禁じられ、ユダヤ人弁護士は活動禁止になる。「市民参加」の恐ろしさ。

「ナチス憲法」なんて言ったり、支離滅裂な話が例によって多いけど、イタリア・ファッショの麻生…じゃなかったマフィアファッションの麻生氏が言った話の中で、「ドイツ国民がヒトラーを選んだ」っていうところにはある種の真実がある。裁判員制度の旗を振って有頂天になったこの国の進歩的な政党や制度推進派の弁護士たちには、この人を批判する資格があるのかしらね。

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投稿:2014年1月23日