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ストレス「苦役」論文を読んで

                                                                岐阜県の一弁護士

 貴欄で紹介された「裁判員のストレスと『苦役』に関する一考察」を拝読しました。著者南部さおり先生の基調は専門家としての怒りと知識の壮絶な合体です。感銘を受けました。ひとこと感想を述べさせていただきます。192754

 「障害(ASD)を負わされた裁判員経験者にとり、裁判員裁判への強制参加は憲法第18条後段が禁じる『その意に反する苦役』にほかならない」という先生の結論の素材は福島地裁のストレス国賠訴訟です。また先生は重要な判断材料として2011年11月16日最判を踏まえています。

 福島地裁は、元裁判員の原告が裁判員裁判の審理・評議・評決に参加したこととASD発症の間には相当因果関係があるとし、裁判員体験が障害を引き起こしたことを認めた上で、しかし国にはAさんの被害に関して責任はないという結論を導いたのでした。

 判決の論理は次のとおりでした。
一部の価値観を持つ者だけが裁判員に選ばれたのでは刑事裁判が国民から理解信頼されない。制度目的達成上選任強制は合理的である。精神的負担を想定して法は辞退事由を規定して辞退事由政令は精神上などの重大な不利益が生じ得る場合にも辞退を認めている(凄惨な内容の証拠資料に触れることが裁判員候補者として呼び出しを受けた者にとって心理的・精神的に重大な負担となることが予想される場合には、辞退を弾力的に認めることができるものと解される)。

 判決は次のようにも言いました。
選任後でも申立てに理由があれば解任され得る。辞退理由の事前説明や証拠厳選や簡略審理など努力の蓄積により裁判員の精神的負担は相当軽減でき、国民の負担は合理的範囲にとどまる。よって裁判員の職務は憲法第18条が禁じる『苦役』に当たらない。

 しかし、裁判員候補者に裁判所から送られてくる呼出状には「選任手続きを行うから裁判所に来るように」とか「正当な理由もなく応じないと10万円以下の過料に処せられることがある」などと書かれているだけで、辞退事由に関する記述はまったくありません。同封の「解説パンフ」を読んでも辞退が広範に認められているなどとは書かれていない。むしろ辞退は極めて限られた場合にしか認められないと読める書き方になっています。192755

 南部先生は「(原告には)恐喝を受けたも同然の脅威であったろう」とされますが、私も同感です。福島地裁判決はまず選任前の段階で現実とかけ離れた空論を展開していると言わざるを得ません。

 先生は、福島地裁判決は11年11月の最高裁大法廷判決の文言を踏襲しただけだと断じた上、次のように指摘されました。最高裁を踏襲するのなら、最判を受けた各地裁としては辞退事由政令に関する具体的な情報を裁判員候補者にきちんと提供することが必須の要件になるはずだ。しかし、福島地裁郡山支部の裁判員裁判では、裁判長は凄惨な内容の証拠資料に触れる可能性を事前に説明しなかったし、その上で辞退事由の説明を行うなどということももちろんまったくしなかった。

 最高裁の判断は、辞退事由に関しあらゆる事態を包括する「一般条項」を設けその判断のすべてを個々の事件を扱う裁判官(裁判長)の裁量に丸投げするもので、一人ひとりの裁判官に裁判員の適性を査定させることはそもそ可能なのかという点でも甚だ疑問だ。

 先生は、このような論理構成で対抗すれば福島ストレス国賠訴訟の矛盾が合理的に曝かれるのではないかと推論されました。「一般条項」に基づく丸投げで苦役論は克服されようもありません。現実性のない「打開方法」を示して苦役論を突破しようとしたこと自体が憲法が禁じる「苦役」を事実上認めたに等しいということでしょう。

 裁判員制度違憲論をメインテーマにすることの大切さも踏まえながら、このような形で最判と福島判決をなで切りにする批判があるということをあらためて感じました。なにやら評釈めいた感想文になってしまいましたが、これは「脱帽の裁判員制度論」です。

 仙台高裁では、原告(控訴人)は仮に憲法違反が認められなくても元裁判員の国家責任は認容されるべきだという主張を新たに付け加わえたそうです。7月23日に仙台高裁の審理が終結し、判決は今秋10月29日と報道されています。注目して迎えたいと思います。

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投稿:2015年8月5日