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連続講座最終回 「お客様のために、被告人の反省」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」最終回

お客さまのためには335733e

  全国の裁判所と検察庁、弁護士会との協議会で一審強化方策協議会というものが、必ず行われているはずなんです。札幌でも行われて、その中で、一つのテーマとして、裁判所は白黒写真にしたいということを言い出しました。検察庁は反対であると。弁護士会はまあ、生写真を見せられると被告人に不利になるということがあるので、量刑が上がる方にしか行かないんですよ、普通。ばちっとみせられちゃうとね。だから、その辺はちょっと黙りと(笑)。

裁判所は、国賠を繰り返したくない。仮に起こされてもね、今回の裁判のように、国賠では決まり文句の「必要性があったんだから棄却」、「裁量の範囲ないである」とね。しかし、現実には、国賠が繰り返されると、さらなる裁判員離れを引き起こしかねないという危機感がある訳です。
ですから、全国の裁判所でもって、イラストとかを推進するということが行われ、協議会の中でのテーマになっています。074030

  もう一つ、協議会のテーマになっているのが、裁判所が「証人尋問やりたい」と、あたかも公判中心主義で行くようかのように、公判で見聞きしたもので判断したいから、本来、調書で済むものを調書請求しないで証人請求してくれと検察庁に言う訳です。これ、弁護側からしても、そんな証人尋問しなくても、調書で済ませてくれれば良いのにと思うものまでも、証人を呼ぶという運用にしたいと。

  「公判中心主義」という言い方を裁判所はしませんけれど、これは、公判中心主義ではないです。以前の「調書裁判」に対する批判として用いられた「公判中心主義」というのは、調書裁判をやるなと、そういう伝聞証拠を持って事実認定をするというのはけしからん、そういう弊害は駄目だということのアンチテーゼとして言われたものです。

  今回言われているのは、お芝居としての公判中心主義ですから、わざわざ、被害者を呼んで、とか、目撃証人を呼んで、ということ。検察庁は、当然、嫌がっています。また、連絡取って来させなければいけないし、準備もしなくてはいけないから。

  でも、裁判所は、お客様の裁判員のためには、そうしたいんだということです。調書を朗読されると裁判員はわかりませんと。単調で眠くなるみたいですね。証人を呼んで、証人尋問のような形でやってくれないと理解し難いので、そうしてくれと。要するに、裁判員のために、みんな来なさいということなんです。訴訟関係者はね。

  誰のための裁判か。裁判員のための社会科見学、裁判員のお勉強のためにやっていると言わざるを得ないような状況です。

 これに弁護士会が反対しないというのは、権力と手をつなぐというところですよね。やはり、「弁護士は権力と手をつなぐな」と言いたい。oudannmaku1
弁護士会としての姿勢が非常に問われているところだと思います。

被告人の反省とは

 最後に、ここだけは、紹介しておきたいのが、宮崎で義母と妻と生後何ヶ月かの子どもを殺して死刑判決を受けたという事件です。あれも短期間で死刑判決が出ました。

 あそこで言われていたのは、「被告人が反省していない」ということです。
でも、本当に反省していないのかどうかということですよ。

 裁判員というのは、なぜか知らないけれど、淀みなく反省の弁を法廷で述べられると思い込んでいるんです。そこが一番の問題です。

  裁判員の感想として述べられているのが、「人の顔を見て、ものを言わないで反省していると言えるのかな」とか、「過ちを自分の言葉で説明できないうちは、本当の意味で反省しているとは言えないと思う」と。189320

 いやー、なかなか難しいですよ、これって。しかも法廷ですよ、死刑判決が言い渡されるかも知れない緊張感の法廷で、淀みなく答えられますか。自分の言葉でペラペラと、そんな人間の方が信用できない。そうじゃないですか。緊張感の中でどうだったのか。

  これは、控訴審で「親子3人で暮らしたかった、ただ、それだけです」と。「裁判員に説明しようと思った。けれど、多くの質問には『分からない』と答えてしまった。『分からないなら、分からないでいい』と言われたので、すぐに答えられない質問には全部、『分からない』と答えたんです。判決を読んで、一審をやり直したいと思った」と。

 控訴審では、心理鑑定の中で、臨床心理士はこの被告の心をこう描いた。「義母の叱責と生活苦と睡眠不足で、心神が極度に疲労し、短絡的になりやすかった。義母と妻子が一体で、僕だけが別世界にいるような孤独感を描いた。ずっと言葉にできなかったことが、ここに書いてあると感じた鑑定書。」
「控訴審判決は、その内容をすべて受け入れて認めた。」

  やはり、どれだけ丁寧にやるかということでもありますよね。その人の立場に立って。

  被告人の立場に立って、どこまで説明できるのか、どういう状況だったのかということを考えないで、「あんた、質問に答えないならそれでいい」ということが、この裁判員裁判の中で行われてきた訳です。

  このような中で、「本人が反省していない」などと、よく言えるな、です。たった数日間の裁判の審理の中で、見た目の法廷の中だけの態度で、分かるはずがないんです。191027

  控訴審でも結果として、死刑判決は維持されました。しかし、そのまま、死刑判決で良かったかというと、そうはならないですよね。

  裁判員裁判の悲惨さが、この死刑判決で如実に現れた例だと思います。

  こういったところまで取材したマスコミというのは、素晴らしいなと思います。
それがなぜ、全体の論調にならないのかというところが、もどかしいところです。

一通り、話させて戴きましたが、裁判員制度をどう廃止に持って行くかというところは、なかなか難しいところです。しかし、なおいっそう、今後ともこういった活動を全国で続けていくことによって、廃止の運動の火は消さない、
そして、いつか実現するようにしていきたいという風に思っています。

150504-03インコ一言:いつの時代にも、おかしな政策のお先棒を担ぐ人はいる。今、裁判員制度を支持している人は2割弱。日当が欲しい人、お上に逆らえない人とお上の御用が嬉しい人。こんな人たちに裁かれる被告人。制度の狙いだった国民動員政策は破綻している。破綻した制度はいつ廃止する? 今すぐだ!  

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投稿:2016年2月5日