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自白偏重によるえん罪の危険がより強まった一部可視化。

 宇都宮地裁の裁判員裁判の無期懲役の判決に衝撃

弁護士 猪野亨

 下記は「弁護士 猪野亨のブログ」4月11 日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

宇都宮地裁は、当時小学1年生の女子生徒を殺害した罪に問われていた被告人に対し、2016年4月8日、無期懲役の判決を下しました。
無罪を訴えていた被告人の主張は通らず、有罪とされたものです。
この事件では物証らしい物証はほとんどなく、自白の信用性こそが争点でした。
その審理では、7時間に及ぶ自白を録画したものが再生されました。
取調べの一部を可視化したものですが、7時間に及ぶとはいえ、80時間に及ぶ録画を編集したもの、しかも特に自白に至った部分など記録されていない部分もあるというものです。
検察側が証拠として出して来たものですが、有罪立証のために証拠として請求されたものであり、その意味では検察にとっては、自白の任意性を裏付けるためのものです。
しかし、このような一部の可視化は明らかに問題です。
全ての取調べにおいて録画し、全てを開示するものでなければ全く意味がありません。編集された一部だけをみて任意性が立証できたとする方こそ無理があります。
捜査当局にとって不利なものを隠蔽するのは、今に始まったことであはりません。
全面証拠開示を拒否している現状は異様なのです。

   この事件ではそもそもの任意性も争われていました。
「弁護側は、被告が商標法違反で逮捕されてから自白調書が作成されるまでに123日間もの長期間、拘束された上、暴力や暴言のある厳しい取り調べが行われたと指摘。「早く自白したら刑が軽くなる」などの利益誘導もあったとして、自白に任意性はなく、証拠採用すべきではないと主張していた。」(毎日新聞2016年3月18日
捜査機関による利益誘導であったり、暴力行為についても問われいましたが、裁判所の判断は結局は「問題なし!」でした。それが一部の可視化された録画だけをみて問題なしとする判断は異常です。
「松原裁判長は理由を説明しなかったが、裁判員と裁判官らは、法廷で再生された取り調べを記録した録音・録画の様子などから、供述には任意性があり、被告が自分の意思で話したと判断したとみられる。」(前掲毎日新聞)

   これでは任意性がないことの立証責任を被告人側が負っているのも同じです。
一部だけを出して任意に問題なしとするのであれば、取調べのテリトリーは捜査機関側にあるにも関わらず、これでは捜査機関のやりたい放題ではないですか。
非常識極まる判断です。
そもそも任意性の立証のために検察官が証拠請求するのであれば、全過程を全て録画し、それを全て証拠として請求しない、ということであれば、むしろ請求を却下すべきものです。一部というだけで任意性の立証には足りないとしなければ、全く意味がないというべきです。
つまり、被告人が任意性を争う限り、全過程すべてを開示しなければ任意性の立証はできない、というべきなのです。

 信用性の判断も大いに問題です。判決によれば、その自白の信用性を認めたのも自白が迫真性に富むというだけのものです。客観的証拠といってもほとんどない中で、それと矛盾しない程度の「自白」をさせることなど、容易くできます。
「想像に基づくものとしては特異ともいえる内容が含まれている。実際に体験した者でなければ語ることのできない具体的で迫真性に富んだ内容だ」(朝日新聞2016年4月8日)というのですが、これは自白の信用性を肯定するための判決の中ではお決まりのフレーズです。
このような思考パターンでどれだけえん罪事件が量産されてきたのかという点が全く顧みられていません。

 その信用性の認定についてもこのような感じです。
「松原裁判長は、取り調べの録音・録画について「殺人のことを当初聞かれた時の激しく動揺した様子、気持ちの整理のため時間が欲しいと述べる態度は、事件に無関係の者としては不自然」と信用性を認めた。」(毎日新聞2016年4月8日

  人が動揺したときにどのような態度を取るかなど千差万別であり、後付けのような形で、この態度がおかしいなどと言われても、本当に根拠薄弱です。恐ろしい判断だと思います。
客観的証拠が重視されていないこともこのような感じです。
「被告の車が自宅と遺棄現場を行き来したとする自動車ナンバー自動読み取り装置(Nシステム)の記録、遺体に付いたネコの毛は被告の飼い猫と矛盾しないとのDNA鑑定結果など、検察側が主張した状況証拠についても検討。「被告が犯人の蓋然(がいぜん)性は相当高いが、犯人と直接結びつけるものではない」としながら、自白調書を重視し有罪を認定した。」(前掲毎日新聞)

猫の毛のDNA鑑定は全く意味がない、ということくらい正面から認めたらいいと思うのですが、結局、自白に依拠している構造に変わりありません。

 そして、一番、恐ろしいのは映像の効果です。
裁判員が感想を述べています。
判決から考える/上 録音・録画の立証効果 「自白偏重」の危険性 /栃木」(毎日新聞2016年4月10日)
「客観的な証拠は不十分で、難しい判断を迫られた裁判員は8日の判決後、「映像効果」に改めて言及した。
「録音・録画(映像)がなかったらこの判断はできなかった」「言葉で聞くのと、映像で見るのとでは印象が違った。見て良かった」」

 これでは映像によってあからさまに判断が影響を受けています。検察側が作為によって編集した自白ビデオで、本当に良いのかどうかという疑問は沸かないのでしょうか。

 さらに問題なのは、被告人に対して判決を受け止めよ、と求めている点です。
難しい判断 評議重ねた裁判員 「被告は気持ち受け止めて」」(産経新聞2016年4月9日)
「評議を尽くして出した判決。その気持ちを被告に受け止めてほしい」

 争われている事件なのですから、控訴されるに決まっているでしょうに、何故、裁判員になると判決を受け止めろなどということが言えるのか、そしてそのような発言が許容されてしまうのかということです。裁判官が言ったら大問題でしょう。

 極刑などの重罰、有罪という結論のときは裁判員制度を絶賛する産経新聞は社説(主張)でこのように述べます。
女児殺害に無期 裁判員の判断尊重したい」(産経新聞2016年4月9日)
「裁判員制度は、国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させることなどを目的に導入されたものだ。
疑わしきは被告人の利益とする無罪推定の原則は職業裁判官と同様に厳守すべきだが、一方でこの説明を受けた上でなお、公判や評議を通じて有罪と信じるに足ると判断すれば、社会正義の実現に寄与しなくてはならない。
公判は判決まで16回を数え、予定された判決日も延期された。それだけ裁判員らが事件と真摯(しんし)に向き合い、苦しみ抜いて結論を導き出したということだろう。新証拠の発見などの事情を除き、裁判員の判断は尊重すべきである。」

 量刑ではなく、有罪・無罪を裁判員の判断だから尊重せよ、と言われてもそれが無罪であれば格別、有罪を尊重せよというのは刑事裁判の自殺行為です。
参照
事実誤認を理由とする検察官控訴の禁止に関する意見書」(日弁連)

 この事件は、そもそもが殺人事件ではなく、全く関連性のない別事件の逮捕・勾留から始まりました。可視化といっても別事件での取調べは全くブラックボックスです。
これで本当に自白だけに依拠して良いのかどうかが問われています。
自白がなければ有罪にできないような事件で、これは致命的な欠陥です。
別件逮捕によって虚偽自白を得てきた過去のえん罪の歴史の繰り返しです。

 これについて各種社説は一部の可視化の問題点や自白依存について載せています。
栃木女児殺害 「自白」に頼らぬ捜査を」(中日新聞2016年4月9日)
女児殺害判決 全面可視化を急ぎたい」(北海道新聞2016年4月10日)
[栃木女児殺害] 取り調べ全面可視化を」(南日本新聞2016年4月10日)
栃木女児殺害判決/取り調べは全て記録を 」(山陰中央新報2016年4月10日)
ただ、それでも今回の事件の内容にまでは踏み込めていません。

 東京新聞は菅谷さんの警鐘を掲載しています。
「自白重視が冤罪生む」 「足利事件」で無罪の菅家さん警鐘」(東京新聞2016年4月9日)

 今回の事件は教訓というレベルではなく、日本の刑事裁判の劣化の一場面とされるべきであり、一から審理をやり直すべきものです。

オウム元信者に対する逆転無罪判決 裁判員や被害者の声に違和感

20160412baberu

投稿:2016年4月12日