~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
弁護士 川 村 理
今年の8月で、裁判員裁判が現実に実施されて4年目を迎えた。大手マスメディアや当局の「順調」キャンペーンにもかかわらず、制度に対する国民の支持は一切高まらないばかりか、PTSDになった裁判員経験者からは国家賠償請求訴訟を提起されるなど、制度はまさにぐらぐらの状態にある。しかしながら、一方で危機的に進んでいるのが、裁判員裁判を担う弁護士の側の問題、すなわち、刑事弁護の変質である。
今から約20年前、1994年に発行された「刑事弁護の技術」(第一法規)という上下2冊の書物がある。この書物は、当時、第一線級の刑事弁護士らが、各項目にわたり、その「技術」を説いている内容だ。その中で、東京の有名な刑事弁護士である佐藤博史氏(以下、「佐藤氏」)は、「弁護人の任務とは何か」との項で次のように述べていた。
「弁護人の任務とは端的に被疑者・被告人の利益・権利を擁護することにあると言い切るべきである」「弁護人の『刑事司法に協力する義務』(公的義務ないし司法機関性)が説かれることもある。しかし、被疑者・被告人に対する義務を全うすること自体が究極的に刑事裁判の目的にかない公益的意義を有するのであって、そのことを離れて右のような義務があるのではない。」
ところが、裁判員制度においては、法51条に次のような条文がある。「弁護人は、裁判員の負担が過重なものとならないようにしつつ、裁判員がその職責を十分に果たすことができるよう、審理を迅速でわかりやすいものとすることに努めなければならない」
すなわち、弁護人は、裁判員に配慮し、審理の迅速やわかりやすさに協力せよ、ということであり、弁護人に対して、被告人の利益追求とは別に、審理へ協力する義務を求めているのだ。このような規定が定められること自体、裁判員制度は、かつては佐藤氏の説いた「弁護士の任務」を大きく変質させるものであるが、なぜか佐藤氏がこの規定を問題視し、制度に反対したという話はほとんど聞かない。それどころか佐藤氏は、制度の賛成派として、雑誌「世界」(2008年6月号)の裁判員を巡る対談にまで登場し、高山俊吉弁護士らと討論を行うような立場に変わった。
同じく94年の「刑事弁護の技術」には、「裁判所による事前準備にどのように対処するか」の項があり、ここでは大阪の有名な刑事弁護士である後藤貞人氏(以下、「後藤氏」)が、次のように述べていた。「時として裁判所が相当長期間にわたって、しかも期日と期日の間隔を非常に短くしかおかずに指定しようとすることがあり、とくに東京においてその傾向が強い」しかし、こうした審理を進めようとする論者は「職業としての弁護士の存在を困難ならしめる」ものであり、「論者のいう1カ月で月に2回ないし3回の開廷が2年間も連続してあれば、準備なども含めると、場合によっては他の事件はほとんど担当できないことも起こりうる。他の手持ち事件が支障になれば、それを『整理』すべきだというのであるから、仮に『複雑困難な事件』が無報酬に近い事件であれば、刑事弁護については職業としての弁護士は存立しえない。無理解を通り越して『暴論』というべきではないか。」
ところが、裁判員制度においては、後藤氏の言う「無理解」ならぬ「暴論」がまさに制度化され、「1カ月に2、3回」どころか、事件によっては、数カ月単位の連日的開廷が実施されている現状だ。そうであれば、後藤氏は、このような連日的開廷は暴論以下のものであるとして大いに怒ってしかるべきなのであるが、ご本人は、現在、制度の推進派として、裁判員裁判をご活躍のようである。もっとも、国選の裁判員弁護は結構な報酬がつくので、後藤氏の上記の立論とは必ずしも矛盾しないということかもしれないが、かつて「1カ月に2、3回」の審理を暴論としてきた人が、今ではそれ以上のペースの審理に協力するなど、あきれるばかりの転向ぶりではないか。
裁判員裁判が、刑事弁護の現場にもたらした変質例はまだまだある。従来はほとんどなされなかった「弁護人からの求刑」、本来の証拠が冗長すぎるからと「圧縮」(改竄)された証拠の横行、弁護団同士の殴り合いを含むパフォーマンス立証、裁判員裁判をビジネスの対象としてとらえる一部若手弁護士の登場…かつて「大衆的裁判闘争」を唱えた部分も、裁判員裁判で大衆的闘争を構えたという話はついぞ聞かない。密室の公判前整理手続きが長期間続き、公開の公判が連日となると、裁判支援そのものも極めて困難となっていくだろう。
かつて筆者は、制度の実施前、裁判員制度は「闘う刑事弁護の排除だ」という趣旨で講演をしたことがあるが、当時の危機感はことごとく現実化しつつある。「闘う刑事弁護」を取り戻すためにこそ、裁判員制度は廃止すべきだと訴えたい。
投稿:2013年8月1日