トピックス

トップ > トピックス

「参上」から「惨状」へ-インコ、最高裁データを読む

E6A19CE383BBE5868DE9968BE799BAE383BBE5B79DE5B48EE383BBE8A381E588A4E593A1030裁判員制度の実施を翌年に控えた08年3月、法務省は裁判員制度の広報のために、「裁判員 参上!」の看板を霞が関に掲げました。しかし、鳩山法相自身が国会答弁で「センスが悪い」とこき下ろしたことから、3年間使う予定の看板はこれであえなく直ちに撤去。世論調査で制度への参加意欲が伸びていないと指摘されていた最中の出来事でした。

 実は、インコ、鳩山さんにはものすごく思い入れがあるんです。鳩山さんは制度を宣伝する8ad83221ためにサイバンインコに化けたんです。インコたちは「鳩がインコを騙って悪法を宣伝するとは何事か」と怒りました。インコのお山から制度廃止に尽力するよう派遣されてきたのが「裁判員制度はいらないインコ」こと私、インコなのです。だから制度が廃止されるまでの期間限定派遣インコ。で、鳩山さんは法相を辞めた後、「実は私も裁判員制度には反対だった」なんて言い出したのす。だから、このとき看板を問題にしただけじゃなく、制度がダメだって言いたかったのかも知れません。

 閑話休題。それから6年が経過。今や言葉で表現できないほど「裁判員 惨状!」です。
最高裁による最高裁のための最高裁の裁判員制度。最高裁自身が調べたデータでご説明しましょう。驚愕の事実とはまさにこのこと。驚くなかれ!

■ 裁判員制度の実施状況を2009年と2014年の5年間で比較すると次のとおりになる。
□ 審理期間は2倍近くに、実審理期間が2.5倍以上に長くなった。
□ 公判前整理手続の期間が3倍近く長くなった。
□ 開廷回数が1.5倍近くに増えた。
□ 取り調べた証人の数が2倍以上に増えた。
□ 評議時間が2倍近く長くなった。
□ 辞退が認められた裁判員経験者の比率が53.1%から66.1%に急騰した。
-「裁判員裁判の実施状況について(制度施行~平成26年3月末・速報)」による。

 (^≧◇≦)クー 。5年の間にこの激変! ズダボロとはこのこと。審理期間は実質2倍半を超えちゃった。公判の準備をする公判前整理手続きの期間は3倍に手が届きそう。いや、インコとしては、評議時間が2倍になってもまだまだ短いと思いますよ。
でもね、制度導入前は起訴から判決までが短くなるとか、「市民に負担をかけない」とかなんて言っていたんですよ。結局、被告人をかるーい気分で刑務所や絞首台に送り込むなんて所詮できることじゃなかった。で、制度はますます市民から敬遠される。負のスパイラル構造。
そして決定的なのは辞退率の急騰。もっとも「辞退率」っていうのは、「やらせないでくれと事前に申し立てて認められた候補者」の全呼び出し対象者に占める割合のこと。通知や呼び出しを無視・放置する人はもちろん含まない。選任期日に出頭した上でやらせないでくれと言って認められた人も含まない。つまり、実際の「拒絶趨勢」はこの数字よりずっと高いのだ。さぁ、どうやってこれを「中長期に」改善するって言うんだい、寺田クン。

 「裁判員制度が実施されていることを知っているか」と聞かれた(ここからは「平成26年1月調査 裁判員制度の運用に関する意識調査」による)。
   「知っている」98.8%

 ( ̄◇ ̄;)!? そりゃ知ってるよ、知らされたさ。あれだけ広告会社に大儲けさせて宣伝しまくったんだからね。この数字はこの国に死刑制度があることを知っている人といい勝負だろうね。知らない人がまだ結構いるなら「これからの努力」っていう言い方もアリだけど、もう知らない人はいないんだよ。あたり一面「態度を決めてしまった有権者」ばっかり。もう伸びしろがない、後ろがない。ねんねんころり寝転んで眠りましょうか、寺田クン。

■ 「裁判員制度が始まってから、裁判や司法への興味・関心が変わったか」と聞かれた。
「特に変わらない」63.9%

 (゚◇゚*?)オヨ? 参ったねこの数字は。ぐいーんと変わってもらうつもりだったんだもんね。しかもこの数字、制度が実施された09年の55.5%から階段を昇るように増えている。「なーんだこんなもんだったんか」っていうシラケ感がひたひた広がってるっていうこと。

■ 「裁判員制度にどのような印象をもっているか」と聞かれた。
○裁判がより公正中立なものになった-「どちらともいえない」47.0%
○裁判がより信頼できるものになった-「どちらともいえない」47.3%
○裁判所や司法が身近になった-「どちらともいえない」31.5%
○裁判の結果がより納得できるものになった-「どちらともいえない」53.1%
○裁判の結果に国民の感覚が反映されやすくなった-「どちらともいえない」34.2%
○事件の真相がより解明されている-「どちらともいえない」53.1%
○裁判の手続や内容がわかりやすくなった-「どちらともいえない」49.1%
○裁判が迅速になった-「どちらともいえない」45.3%
○自分の問題として考えるようになった-「どちらともいえない」37.3%

( ・◇・)?(・◇・ ) ぜんぜんダメじゃんねー。「そう思う」とか「そう思わない」とかの回答項目の中で、圧倒的に多いのが「どちらともいえない」。あれだけの大宣伝をしたんだから、最高裁や法務省の皆さんとしては、こういう質問には「そう思う」にぐりっとマルを期待したでしょ、そこまでいかなくてもせめて「ややそう思う」くらいにとか。でもそうは問屋がおろさなかった。国民の皆さんはホント冷たいねぇ。

■ 「裁判員裁判では執行猶予の場合に保護観察をつける例が裁判官の裁判の時よりも多くなっているが、この傾向をどう思うか」と聞かれた。
「どちらともいえない」39.7%

 ヾ( ̄◇ ̄;)オイオイ  そんなこと聞かれたって簡単に答えられる訳ないでしょうが。裁判官だけでやっていた時は32.1%しか保護観察がつかなかったのに、裁判員裁判になったら56.1%も保護観察が付くようになった。有罪の元被告人に保護司が張り付いて一挙一動をチェックすれば再犯は減るだろうって、素人が考えそうなこと。また、執行猶予というと有罪判決ではなくて無罪放免のように思っている素人に「じゃあ保護観察付けますから」って裁判長が説得したって聞くしね。
いやいや待て待て素人を馬鹿にしたらアカン、年々の調査結果をよく見ると、そんなやり方への疑問がしっかり増えている。「妥当でない」とか「どちらかといえば妥当でない」が少しずつ少しずつ増加しているんだ。みんな結構冷静な目で見てる。そう、国民は冷たいんじゃなくて冷静だってことだ。

■ 「裁判員として刑事裁判に参加したいか」と聞かれた。
「参加したい」4.9%、「参加してもよい」9.1%、「あまり参加したくない」40.6%、「義務であっても参加したくない」44.6%、「わからない」0.8%、

  ∑ヾ( ̄◇ ̄;ノ オーット! いやいや、こりゃもうやってられない。そう、やってられないから竹崎クンは辞めちゃったんだよね。このデータは、新聞紙面・テレビ画面を飾りましたよ。「『やりたくない』85.2%!」ってね。裁判員になるのは国民の義務です。正当な理由のない拒絶にはペナルティーが科せられる。処罰されてもイヤだっていう人が44.6%もいてはる。国民をしつこく追いかけたらストーカー禁止法で取り締まれるんじゃないのかって言った人がいたけれど、どう考えてももう( ̄o ̄)お( ̄△ ̄)し( ̄o ̄)ま( ̄△ ̄)い

 この「イヤ派の数字」の変化を追跡してみると、それ自体年々着実に増えているのです。実施当初の09年は80.2%だったから、つまり5年でプラス5ポイント。では「やる派の数字」は? 09年は18.5%だったから、今回の14.0%でマイナス4.5ポイントの急落。そして「DK=わからない」は11年度調査2.3%、12年度調査1.1%、今回調査0.8%とこのところ年々減少。つまり態度を明らかにする人が増えてきている。
注目すべきは、女性の「イヤ派」が91.0%という超々高率に達したこと。男性ももちろん圧倒的に「イヤ派」だけれど、裁判員反対を根っこのところで支えているのはやっぱり女性たち。元始、女性は太陽で、今裁判員制度をつぶすのも女性です。

  とここまで言っても、こう言ってくる人がいるんです。
「裁判員経験者のアンケートは『よい経験だった』という人が大半じゃなか」と。寺田クンも似たようなことを宣った
 このアンケート、判決言い渡しの後、控え室に戻ってやれやれとなったところで、裁判長からねぎらいの言葉とともにやらされる訳です。その場でね。大きな事件だと記者会見もあるし、職員は急がすし、裁判員自身も早く帰りたいし、さらにアンケートの項目は多いので熟慮の時間はない。日当もまだもらっていないし・・・アンケート
 
その中で「良い経験か、そうでなかったか」と聞かれれば、非日常的・特殊な経験をしたし「まあ良い経験だったかな」にマルをつける人が多くても不思議ではない
 でもね、このアンケートを持って帰らせて後日返送という形だったらどうだろうか。「良い経験」に丸をするだろうか。もっとも後日返送では、裁判員経験者の97.8%、補充裁判員経験者の93.9%(2013年3月最高裁発表)が回答なんてありえへんでしょうが。それにしてもこの状況下で、一桁とはいえアンケートを拒否する人がいるというのにも驚きです。

 

投稿:2014年5月29日

裁判員制度はいよいよ破局 ー 高山俊吉弁護士のお話

 裁判員制度の現状がどうなっているのか、当局やマスコミの物言いがどう変わったか、この闘いの道筋という3右上つの話をしたい。

 基本的なことは闘いだということだ。袴田事件と飯塚事件は再審請求としては共通性があるが、飯塚事件には支援の闘いがなかった。様々な事情があったのだろうが、再審開始を求める裁判外の闘いがなかったように思う。
裁判員制度も闘いが必要だ。制度は崩壊的な危機に直面している。崩壊的な危機と聞くとみな安心してしまう。目の前で崩れて行くのなら放っておいてもいいだろうと。しかしそれは違う。崩壊的危機にしたのは運動だということ。また、この事態になっても自動的に崩壊はしないということ。

花飾り
まず、裁判関係者の中に起きている抵抗、これは非常に大事なことだ。公判前整理手続きがどんどん長くなってきた。最高裁は「書面中心主義でなくなったためだ」と言うが、これは嘘、それは関係がない。公判は確かに長くなった、調べる証人の数も増えた。しかし、それは3日が5日になる、5日が7日になるという話だ。公判前整理手続きが長くなっているのとは比べものにならない。

 制度が導入された09年、起訴から公判まで平均2.8月だった。今は6.9月になっている。これは弁護人・被告人の闘いの結果である。「どうしてもこれを調べろ」と言い、検察官がこれに抵抗するという抗争が行われている。弁護人・被告人が頑張るのは当然だ。3日や4日、5日で裁判されてまともな判決になると思えないのだ。それだったら公判前整理手続きで頑張らなければとなり、それで年々長くなっているのだ。裁判員制度を導入する際、国会審議の中で、裁判員裁判を導入する理由に、「起訴から判決までの期間を短くする」という説明があった。ところが、裁判官裁判の時代に比べて裁判員裁判の方が判決まで長くかかるようになった。裁判員裁判は彼らの設計にさえ合っていない。

 この抵抗に対し、裁判官や書記官の増員で対応しようとするから、民事部や家庭裁判所も人がいなくなってきている。裁判所がだんだん全体に回らなくなってきている。花飾り
数字で見る。死刑は21人に言い渡されている。無罪判決はたった33件。覚せい剤事件が比較的多い。6千件のうちの30件、0.5%、覚せい剤事件を除くと0,2%台。裁判官裁判時代から全然増えていない。以前と同じだから「よろしい」と最高裁の中で評価されている。21人の6倍、126人の裁判員が国家による殺人行為に参画させられたことを忘れてはいけない。その中に心の病になってしまった人がいるというのが現実だ。

 もう一つ言えるのは裁判官が反乱を起こしていること。地裁の裁判員裁判が出した判決を高裁がひっくり返す、無罪を有罪にというものもあるが、有罪を無罪にとか重い判決を減刑するいうのも少なくない。事件名で言うと、松戸女子大生殺害放火事件、長野市一家3人殺害事件、南青山殺人事件、この3つは一審の裁判員裁判は死刑判決だったが、東京高裁の村瀬均裁判長がひっくり返して無期にした。1件はそこで確定し、2件は上告中。村瀬裁判長は、瀬木さんの3年先輩のエリート。最高裁の調査官をやり、最高裁刑事局の一課長、三課長などもやり、研修所の教官もやって自分の教え子もたくさんいる。その人が裁判員裁判の死刑を無期にしている。

 高裁の裁判官の中に広がっている発想に「裁判員裁判なにするものぞ」という見方がある。最高裁が必死に裁判員裁判を推進しているのに、「私たちはそれには当然には従わない」という発想。裁判官には有罪思考もある。その発想にある権力志向は問題だと思うけれども、それも含めて最高裁の裁判員制度推進に「なにするものぞ」と見る発想が広がっている。「裁判官の反乱」が現実化し、制度廃止に向けて裁判所の内部にも動きがある。

花飾り
施行5年の特集記事には「見えてきた裁判員裁判の課題」などという見出しがある。いつ見えてきたんだお前たちは。私たちは前から言っていることだぞ。しかもこの「見えてきた」という言い方も気に食わない。いかにも賢しらだ。

 その中に、残酷な写真を見せられて苦しんでいるAさんという紹介がある。でも、彼女にあるのはそれだけじゃない。なぜ自分がこのような行動に組み込まれたのかという怒りと悔しさと反発がある。記者会見で彼女に「苦しむ原因は残酷な場面を見せられたことかこのような裁判に加わったことか」と尋ねた記者がいる。しばらく考えて彼女は「両方です」と言った。あっちですこっちですと簡単に言わなかった。いろいろ好条件があって、彼女は織田さんや佐久間さんまでたどり着いて提訴に至ったけれど、そういう条件に恵まれなかった人は今も苦しんでるだろう。

 実際、Aさんは、「裁判員には自分を含めて3人の女性がいたが、その2人は今も苦しんでいます」と言われた。Aさんのことは氷山の一角で、同じような被害者が実はたくさんいると思う。

花飾り
水戸地裁の現住建造物放火事件の裁判員裁判。裁判が始まる直前に裁判員が1人、補充裁判員が1人辞めると言った。これで補充裁判員1人が裁判員になり、補充裁判員なしで裁判が始まった。その途中で裁判員の1人がインフルエンザになった。本当にインフルエンザかどうか怪しいものだが、とにかくこれで1人足りなくなった。裁判長が1人追加選任するまで待ってくれるかと言ったら、残る5人全員が自分たちも辞めると言い出して崩壊。文字通り裁判員裁判が崩壊し、改めて裁判員を全員選び直すことになった。被告人はそれまでずーっと待たされる。これに近い「冷や汗三斗」の裁判はあちこちで起きている。そのうち必ず第2、第3の水戸地裁が出てくる。

 イヤだという人がどんどん増えた。今年の最高裁のデータでは「義務であっても参加したくない」と「あまり参加したくない」を合わせると85.2%になった。違法だろうがやりたくないという人が半分近くに増えてきて、わからないという人は年々減っている。態度をより明確にしはじめた。

 立法の際、国会で「なぜ義務づけるのか」という質問に、当局は「やりたい人だけにやらせると一定の傾向が出てくる。義務づけると国民の意識が平均的に反映される」と答えていた。結局、今、やりたいとかやっても良いというわずかな人たちで裁判が行われている。当局によれば現状は特殊な傾向の裁判ということになる。かといって、出てこない人にペナルティを科すと大変なことになる。やりたくないが98.9%とかいう数字になるだろう。今や裁判員裁判は「死刑判決に関わりたい」「死刑判決に関われて良かった」などという人によって辛くも支えられているという状況にある。

花飾り
今年、寺田新長官は「裁判員裁判の改善は中長期の課題だ」と言った。裁判員制度に問題があると言うようになった。「順調」は竹﨑語。竹﨑前長官は制度を始めた人なので「うまくいっていない」とは言えない。とりあえず順調、一応順調、ひとまず順調とずっと言っていた。それを課題があると正面から言うようになった。隠しようがなくなったということだ。

 新聞には「市民感覚か先例か」という見出しが並んだ。市民感覚とは何か。こういう言い方は最高裁も法務省も正式にはしていない。彼らは「国民」という言葉を使う。重罰を求める感覚か、それとも先例と整合性を求める判決か、簡単に言うとそういうことになる。裁判員裁判の基本的な感覚は重罰を求める感覚だ。実際、「あすの会」という犯罪被害者組織の決議は「何時間も慎重に審理を尽くし、死刑を言い渡した。一般市民のその判断の重みを軽視してはならない。裁判員裁判の否定につながる。軽々に一般市民の良識ある判断を覆すべきではない」である。「重罰にせよ」と絶叫する運動が起きている。これを「市民感覚」というならば、重罰要求が裁判員制度の本質ということになる。

花飾り
ガスが充満してもそれだけでは爆発しない。イヤだという気持ちが充満していてもそれだけではダメ。火花が散らなければならない。私たちは火花になろう。

 ナチスの時代には「市民参加」がヒトラーを支えた。そのことは『ヒトラーを支持したドイツ国民』(ロバート・ジェラテリー著、 みすず書房)の中に「政権は人種主義制度の違反容疑について国民から密告を得るのに苦労しなかった。警察またはナチ党に情報を提供することは市民参加の最も重要な貢献の一つだった」と書かれている。「市民参加」がナチスを支えたと言っている。それによって人種排外思想の徹底に成功したというのだ。これは歴史の教訓として重要なことだが、私はこの話をこのままこの国に持って来ようとは思わない。どうしてか。この国では彼らが市民参加に成功していないからだ。「重罰要求の市民感覚」を「市民参加」と言っている彼らが、ここまで市民から抵抗を受けている。

 裁判員制度が廃止できたときには、成果はそれだけに留まらない。「絶望の裁判所」が「希望の裁判所」に、再審に広く門戸が開かれ、不正義が消え、正義が実現する力がこの国にみなぎるだろう。そのことをみんなで自覚しよう。制度廃止の闘いは希望の闘いである。高山下

投稿:2014年5月26日

『絶望の裁判所』の前に ー 遠藤きみ弁護士のお話

 これから『絶望の裁判所の後に』という話をさせてもらう
 『絶望の裁判所』は元裁判官瀬木比呂志さんの右上著書。2年前までさいたま地裁にいた人だ。表紙には「最高裁中枢の暗部を知る元裁判官衝撃の告発」とある。読んだ人は「最高裁はおかしなことをやっている、裁判官はダメなんだな」と思っただろう。

 この中に書かれているのは主に最高裁による裁判官統制のこと。裁判官は当事者のための裁判より事件処理に一生懸命、最高裁事務総局の考えに沿う判断をする。当局の判断にそわない裁判官は変な形で辞めさせる。私も上からのイジメで、退官せざるを得なくなった。瀬木さんは非常に頭の良い人らしく、エリートコースを歩み、最高裁調査官もしている。この時に嫌なことがあったようで、精神的に落ち込み、東京地裁、千葉地裁、東京地裁に戻り、さいたま地裁を最後に退官された。
私は、千葉地裁のときに一緒だったが、随分静かな人だなという印象であまり話をする機会もなかった。私が弁護士になってからさいたま地裁で私の事件を担当してもらい、丁寧な審理で非常に良い判決を出してもらった。

花飾り

 『絶望の裁判所』の内容をもう少し紹介させてもらう。裁判官の関心は、端的に言えば事件処理に尽きる。早くそつなく処理すれば良い。国が債権者・申立人となり、仮の地位を定める仮処分の事件で、国・法務省が事前に「どのような申立てを行えば良いのか」と東京地裁に問い合わせ、申立てもしていない段階にかなりの数の裁判官が知恵を絞ったことがある。東京地裁で審理されている労働事件で、ある女性裁判長の提案で、裁判長たちが秘密裏に会合を持ち、却下ないし棄却を暗黙の前提として審理の進め方などの相談を行ったこともある。女性裁判官の発案という形で行われたが、実はもっと上の方から話があったものと思われる。

 裁判所の人事の実情は、最高裁が暗黙に承認している方向と異なった意見を判決や論文で書くと、所長になるにも同期から何年も遅らせたり、所長候補者から外したりする。後輩の後に赴任させて屈辱を味合わせたりもする。いたぶり見せしめにする。良い裁判官は最高裁に入れない。最高裁どころか中枢の裁判所にも入れない。
裁判員制度導入について、現場の裁判官は消極意見が非常に強かった。それが最高裁長官が賛成方向に転じてからまったく変わってしまった。竹﨑長官自身、陪審制を含めこのような形の市民参加にもともと極めて消極的だったが、裁判員制度についてある時点で180度方向転換を行ったと言われている。今ではこの制度を表立って批判すれば裁判所にいられない雰囲気になっている。

花飾り

 裁判員制度の導入後はさらにはっきりとした形で、刑事系は人事上有利に取り扱われている。民事系でやってきた比較的優秀な人が本人の意向も聞かずに刑事系に転進させたりもしている。
恐ろしいのは、人事上の見せしめや不利益が何を根拠として行われるか分からないこと。事務総局が気に入るか気に入らないか。裁判官たちはヒラメのようにそちらの方向ばかりを見て裁判をすることになる。当然のことながら、結論の正しさや当事者の権利は二の次。事務総局から見て間違いとされるような裁判や研究や公私にわたる行動については詳細に記録されていて忘れられない。

 違憲判決を書けば、地方の所長でも「あなたはもう関東には戻しません。公証人にならならさせてあげます」というように報復される。恣意的な再任拒否、退官の事実上の強要、人事強化の二重帳簿システム…。
2000年代に行われた司法制度改革による裁判諸改革については少し期待していたが、それはことごとく裏切られた。期待したのは判断が甘かった。むしろ最高裁当局はこれらの改革を無効化するだけでなく、逆手に取って悪用した。その一つが新任判事補の任用と10年事に行われる裁判官の再任審査を行う下級裁判所裁判官諮問委員会の制度だ。
現在、瀬木さんは、『絶望の裁判所』第二部を執筆しているとのことである。

花飾り

 実は、私も再任の時期にひどい扱いを受けた。

(ご本人のご希望で詳細にわたる部分について削除いたしました)

 退官前、「裁判員制度はおかしい」ということを裁判官室でよく話をした。松戸支部のみなさんは「確かにおかしい」と言い、「松戸支部ではやりたくない」と言っていた。私があまり大きな声で「松戸はできない」と言っていたので、あるとき、高裁だか最高裁だかから調査に来て、「松戸はできないな」ということになった。松戸はやらなくて済んだが、東京地裁では立川支部がやっている。

花飾り

 瀬木さんは、裁判員制度に絶対反対の立場ではないようだが、私は絶対に反対だ。退官後、裁判員制度はいらない!大運動の会合に初めて出席した頃私が裁判員制度に反対していた理由は、「今の裁判所でやれるものか」ということだ。連日開廷などやると他の事件ができなくなるので、今の裁判所に馴染むシステムではない。裁判員裁判が始まったら、やらなければということで民事や家事から優秀な裁判官を刑事の方へ総動員している。その結果、民事や家事が手薄になり、手抜き審理しかしなくなっている。ヒラメ裁判官はおかしな判決を次から次へと出す。
私は弁護士になり、おかしな判決が次々と出ることに驚いた。相手が銀行や大会社、会社はもちろん、依頼者がヘンでも事務所が立派だと相手を勝たせてしまう判断をする。地方ではもっと大変である。
私はおかしな判断をされて,依頼者が希望すれば,控訴も,上告もする。依頼者も大変なので、お金がかからない方法を考え、銀座にある事務所をたたみ、自宅に引っ込んだ。そうすると依頼者からお金をもらわなくても頑張れる。

 つい最近、寺田長官と会う機会があった。「遠藤さん、あんまり上告しないで」と言われたので、私は「下級審であまりにおかしな判断をされたら上告します。そのために自宅に事務所を移したんです」と言ったら、ちょっと笑っていた。

 『絶望の裁判所』を読んで、よく瀬木さん書いてくれたと思った。今日、3つ大きな判決が出た。横浜地裁の厚木騒音訴訟、福井地裁の大飯原発再稼働差し止め、那覇地裁の米軍従事者のストライキに対する給与と付加金全額支払い。これは瀬木さんの本を読んで、各裁判官が「ヒラメにはなりたくない」と思ったのではないか。これからも良い判決が続くように期待したい。遠藤下

 (一部、不正確な部分がありました。ご本人からのご指摘で訂正しました)

 

 

投稿:2014年5月26日

織田信夫弁護士&佐久間敬子弁護士のスピーチ

福島地裁・裁判員ストレス国賠訴訟原告弁護団
事件と詳しい訴訟内容についてはトピックス「ストレス国賠訴訟」の第1回口頭弁論報告~第3回口頭弁論報告をみてくださいね
042798

【織田信夫さんのお話】

  今日、Aさんにお出でいただく、それが難しい場合はご主人にということでお願いしていたのですが、やはりお二人とも体調がよくないということで代わりに来ました。

 Aさんは裁判員になったことで急性ストレス障害という病気になったがこれは完全な傷害です。刑法に定められた傷害で、それが過失によるものであれば過失傷害になるもので、その被害者だという話です。。

 私たちがやっている裁判というのは、Aさんが受けた障害の責任が誰にあるのかということを問う訴訟な訳です。私たちはその責任は当初、国会議員にあると、衆議院は全会一致、参議院では反対2人で180人の議員が賛成して成立した裁判員法を作った議員にあると訴えを起こしました。

 最初は仙台地裁に裁判を起こしたのですが、移送ということで現在、福島地裁で、裁判員法の規定が憲法18条、22条、13条に違反するという主張で裁判をしています。
もちろん、国側は最高裁の2011年11月16日大法廷判決を引用して、裁判員法は18条を含め憲法違反ではないという答弁をしております。

 それに対し私たちは、福島地裁の民事の裁判官は非常に忙しいので、それまで裁判員法は聞いたことがあっても深く研究したことはないだろうと思いまして、これは噛んで含めるように説明しなければならないということで、答弁書に対する反論という形でA4の紙にして32 枚の準備書面を書きました。本当はみなさんに全文読んでもらいたいと思うくらいです。

 私たちは、国側から答弁書に引用されているということで、最高裁大法廷判例に添付されている上告趣意書、一審・二審の判決文、答弁書を改めて読んでみて、非常にびっくりしました。最高裁は上告趣意をねつ造しているというか、実際には上告、これについて判断してほしいということを要求していないことについて判断していることがわかり、そのことを準備書面には詳しく書きました。これは説明すると難しいのですが、本来、最高裁の違憲法令審査権、法令の違憲性・合憲性を判断するのは上告の申立、上告趣意といいまして、不服があったことに対して判断するということになっているんですね。

 そうでなく、一般の法令について判断するということは憲法裁判所のような働きをすることになります。しかし、学説も裁判所の判例も憲法81 条における最高裁の違憲法令審査権の解釈については、憲法裁判所としての判断ではなく、司法裁判所として具体的な紛争があったときに、その上告趣意を判断してほしいという当事者からの申し立てに基づいて判断するということが確定しております。

 これに対し、最高裁はどういうやり方をしたかというと、弁護人が上告趣意にしていないことについて、さも上告趣意としていたように「上告趣意は多岐にわたってこういうことを言っているけれども私たちはこのように判断する」という書き方で判決を出していたのです。私は上告趣意書の原文を見ていなかったので、まさか最高裁が上告趣意に言っていないことを言ったと書くなどということはとても考えられなかったです。

 最高裁の調査官を務めた人に電話で聞いたのですが、「最高裁は今まで、そんなことはやったことはありませんよ」と、当然のことなのですが、そのように言われました。

 私はそのことを含めて32 枚の準備書面で述べた訳ですけれども、検察官(国側)はこれにノーコメントで、「即日結審してほしい」と言いました。私の方は、本人尋問を絶対してほしいと思っていましたし、準備書面も用意していたのですが「結審してほしい」と。これには裁判所も非常に驚きまして、裁判長は慌てて、被告側に対し立法事実、裁判員法がどうして必要なのか主張しなさいと勧告するようにしました。
国側は渋っておりましたが、1 ヶ月後に答弁書を出してきました。

 ところが国側の答弁書は、最高裁のねつ造に対して答弁をしていなかったのものですから、新たに最高裁の上告趣意のねつ造、15 人の裁判官の不法行為という主張を組み立て、訴えの変更、追加的変更を行いました。訴えの追加的変更なので、答弁せざるを得ないのですね。
これに対し国側は渋々答弁してきました。
もとより、私たちの言っていることが「もっともだ」とは言いませんよね。
ぐちぐちと言っているが、何を言っているのか分からない内容なんです。

 私の方では釈明要求もしました。小清水弁護人が出された上告趣意の中には文言として、苦役とか裁判官の良心に基づいて判断するとか、76条3項などと含まれているのですが、「これらは上告趣意にしない」と明確に言われており、「判断してほしいのは80条1項と76条2項それだけです」と、「それだけ」と言い切っておられる。それなのに最高裁は「上告趣意が多岐にわたる」などといってまとめている。

 私はこれを見て非常に腹が立ちました。最高裁の判例を見て、小清水さんが上告趣意として18条などなんだのと言っていないということに気がついた夜は眠れないくらいでした。最高裁判所というところは本当にひどいことをするところなと、改めてというとなんですが、ちょっと信じられない思いでした。
このように請求原因変更をしましたので、国側はそれについて答弁しましたが、裁判所は「これは前の準備書面で言っていることですね」という簡単な言い方で受け止めました。

 その後、最終の証拠調べとして本人尋問をやりました。後、発言時間が1分しかないということなので。Aさんは本当に切実として本人尋問に答えてもらいました。後、その辺の詳しいことは佐久間弁護士からお話があると思いますが、いずれにしても裁判所からは本人尋問にしても補充尋問も丁寧にしてもらいました。私が30分くらい、裁判官の質問は右、左そして裁判長と合わせて3人の裁判官が代わる代わるみんなで15分くらいですかね、これはちょっと「絶望」ではなく、少しは望みがあると思っています。本人尋問をするということは侵害論ですので。終わってくださいということなので終わりますが、9月30日の11時から判決が言い渡されると言うことになっています。(最終口頭弁論から判決までの期間が)非常に長いですので、それだけ裁判官も一生懸命考えて良い判決を出してくれるのではないかと思っています。Šî–{ RGB

 

【佐久間敬子さんのお話】

 Aさんが現在もどんな苦しい状況にあるかということを掻い摘んで報告します。私たちは訴状の中で、Aさんがどんな苦しみについて、診断書やカルテなどでどのような薬を飲んできたか、ご本人の陳述書でなかり詳細なものを出しました。裁判所には、彼女がどういう過酷な立場にあるかということは理解してもらったと思います。

 Aさんの受けた苦しみというのは、身体面、精神面、それから経済面、生活面、あらゆる場面にわたっています。裁判員に選ばれてしまったその日から不穏な状態で不眠、夜眠れないということが続いておりました。裁判員裁判の公判では、非常に過酷な写真を見せられたり、悲痛な叫び声の録音を聞かされたりして、ご本人は足が震える状況に立ち入りました。Aさんは大変真面目だし、センスの良いというか、権利意識の高い方である反面、責任感も強いということで、自分は裁判員になった以上は身体がボロボロになってもこの仕事をしなくてはいけないと思ったらしいんですね。それで、他の裁判員の方はどうだったか知りませんが、一生懸命、証拠調べをしたり、被告人質問をしたり、証人に聞いたりしたそうです。

 そういう中で、初日は自分で車を運転して裁判所へ行ったのですけれども、翌日からはそれができなくなり、ご主人の運転する車に乗せていってもらった。
裁判の中ではちょっとボーとしたり、集中力がなくなったりということもあったし、食欲もないという状況が続きました。

 なんとか判決まで我慢してきましたが、その後も症状が改善しないということで、内科の先生に診ていただいたのですが、専門外だということで神経内科を紹介され、そこで急性ストレス障害と診断されたのです。
急性ストレス障害というのは、別名、急性ストレス反応と言われています。反応ですから、4~5日経てば良くなる人もいるし、1ヶ月も経てば急性症状が治まって、急性症状というのは激烈な症状のことですが、それが治まって少し緩解というか緩やかな症状となって慢性化する人もいる。

 しかし、Aさんの場合は、昨年3月に急性ストレス障害の診断を受け、1年2ヶ月経った現在も急性状態だとお医者さんから言われているということです。非常に辛い状態がずっと続いているということなんです。

 では、Aさんがどういう状態かと言いますと、画像が頭から離れない、うなされて目が覚める、被告人がボロボロの服を着て姿を現す、追いかけ回される、怖くて仕方がないので鍵をもう一つ余計につけた、音楽を聴いているとそれが断末魔に叫び声に聞こえ、お坊さんの合唱が聞こえてとても怖く、お肉は全然食べられない、食事の準備もできない、などです。

 原告本人尋問の後の記者会見では、ご本人は気丈な人なのでしっかりとお答えになっていたのですが、ご主人に記者が質問した際、ご主人は「ここではあまり自分の妻がどんなにひどい状況にあるか語れない。妻がかわいそうだ。家庭がめちゃくちゃになってきた」と仰っていた。

 夫としてそういう妻の姿を見るのは辛いし、仲良く生活されてきた二人だと思いますが、「これからいよいよ年を重ねて夫婦で静かに暮らしていきたいという将来像が壊された」と仰ってました。

 Aさんは急性ストレス障害だと言いましたが、最近見る夢というのは硫酸を顔にかけられたとか、ものすごい汚い泥の中で死んでいくというようものだそうです。

 苦しかった、本当に辛かったという後、だんだん、自分は訳が分からないままに死刑の判決に与してしまったという加害者的悔恨の念が強くなってきたということなんですね。見て聞いたことが咀嚼できないままに死刑判決を出してしまったバカな自分と。

 ですから、罪深い自分が報いを受けて当然だから、苦しい状況に陥っているのかなということなんです。今、一番苦しいのは、自分の被害体験ではなく、加害行為をしてしまったという悔いの念なんですね。

 裁判員制度は「現代の赤紙」と言われますが、こんなことが許されるなら徴兵制だって許されるだろうと、理屈はそうなると思います。

 Aさんは、最初の状況から1年2ヶ月経っても全然罪の意識みたいなものが弱くなっていないと。Aさんの事件を担当させていただいて、死刑判決まで入っている裁判員制度を強制することはまさに徴兵制と同じだとつくづく感じております。

 戦争から戻った方々がいろいろな証言をされています。私も少し前、「アフガニスタン・イラクから帰ってきたクルド兵士」というタイトルの帰還兵士証言集会に関わりました。話を聞くと、戦争で罪のない人を殺してしまったという意識から解放されないということで、証言した兵士も薬をいくつも飲んでいました。

 Aさんが裁判を起こしたのは、こういう苦しみは私が最後であってほしいということです。この苦しみは私で最後、裁判員制度は止めてほしいということなんです。
私は、Aさんはすばらしい女性だなといろいろなことで感心しているのですが、そういう女性が辛い目にあって自分を責めている。

 ですからこの制度を早く廃止して、Aさんご本人には少しでも楽になれるよう心から願っています。

041720

 

投稿:2014年5月23日

「市民感覚」ってなんだろう

マネージャーが新聞のスクラップを整理しながらため息をついている。「ため息つけば幸せが逃げるって言うよ」というと、「ため息つけばそれで済む♪という歌もあったわよ」と切り返してくる。まったく…何を見ているのかと見出しをのぞくと「裁判員裁判 死刑 市民感覚か判例か 2審で無期相次ぐ」(5月15日付け『毎日新聞』)。読書うさぎ
やれやれ、またもや市民感覚ですか・・・

開かれた法廷:裁判員5年 死刑、市民感覚か判例か 2審で「無期」相次ぐ
 毎日新聞 2014年05月15日 東京朝刊
◇遺族「バランス重視、おかしい」
 裁判員裁判で出された死刑判決を、裁判官だけの2審判決で無期懲役に減刑する。そんなケースが、昨年から今年にかけて3 件相次いだ。被害者遺族からは「市民の判断を尊重すべきだ」との声が上がり、検察もうち2 件について死刑を求めて上告した。悩み抜いた末に市民が下した極刑の判断を、どこまで尊重すべきか。司法に根源的な問いが突き付けられている
「本当に日本の司法はこれでいいのか、一緒に考えてほしい」。3 月29日夜、兵庫県明石市で開かれた講演会。約120人の参加者を前に、Oさん(61)が悲痛な声で訴えた。千葉大4年生だった長女(当時21歳)は、2009年10月、千葉県松戸市のマンションの部屋に侵入した男に刺されて命を奪われた
事件は裁判員裁判で審理された。強盗殺人罪などに問われたK被告(53)に対し、千葉地裁は11年6月の判決で「犯行は執拗(しつよう)で冷酷非情。殺害被害者が1人でも死刑が相当」と極刑を選択した。だが、2審・東京高裁は昨年10月、判断を覆し「殺害被害者は1人で、計画性もなかった」と減刑した
死刑か無期かの判断は「究極の選択」と言われる。裁判員制度導入に際しても「市民に極限の判断をさせていいのか」との議論があったが、「市民が加わった判断だからこそ説得力がある」との意見が勝った
最高裁は1983年に「永山基準」と呼ばれる死刑の判断基準を示している。被害者の数を重視し、殺害された被害者が1人の場合は死刑が回避される傾向にあった。だが、K被告の裁判を担当した裁判員は判決後の記者会見で「永山基準にはこだわらなかった」と明かした。「これで良かったのか」と男性が自問する一方で、女性は「悔いはない」と言い切った
裁判員の死刑判断が減刑された例は他にもある。殺人罪で服役し出所半年後に東京・南青山で男性を殺害した罪に問われたI被告(63)、長野市で一家3人が殺害された事件で起訴された被告(38)=弁護側が上告=のケースだ。K被告とI被告のケースで上告した検察は、「裁判員の健全な社会常識が反映された意見が尊重されるべきだ」と強調する。最高裁も12年2月に「高裁は裁判員の判断を尊重すべきだ」との判断を示しているが、ベテラン刑事裁判官の中には「被告の生死を左右する判断は、判例とのバランスも重視せざるを得ない」との声もある
oさんは講演で「裁判員は友花里の無念と私たちの心情を分かってくれた。しかし2審はたった1回で結審し、判例との均衡を理由に減刑した。被害者が1人で計画性がなければ死刑にならないという判例自体がおかしい」と問いかけた
重視すべきは市民感覚か、判例か。被害者遺族や裁判員経験者らが、最高裁の判断を注視している。【伊藤一郎】

記事は「重視すべきは市民感覚か、判例か。被害者遺族や裁判員経験者らが、最高裁の判断を注視している」という言葉で結ばれていますが、さて….067826

極刑を求めるご遺族が死刑を回避した控訴審を非難する。その心情についてここで論評するつもりはありません。ご遺族のつらさや苦しさは当事者でなければわからないものがあるでしょう。考えたいのは、「市民感覚」という言い方や見方についてです。

裁判員制度は市民感覚を司法に導き入れるものだとやたらに言われました。しかし最高裁はそのようなことはまったく言っていません。最高裁は「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」っていう公募標語をあちこちで使っていますが、最高裁発のメッセージのどこにも「市民」は登場しない。法務省も同じです。ウソだと思うなら最高裁や法務省のホームページをご覧ください。「市民」も「市民感覚」もひとことだって出てきませんよ。

こういう説明を大展開したのは、マスコミ・革新政党労働組合・そして日弁連です。「市民参加乾杯」だの「市民感覚万歳」だのとはしゃぎまくり、お祭り騒ぎをしました。その結果、裁判員制度は「市民による市民のための市民の裁判」みたいな空気が作られた。それこそ完全な虚妄、アベノミクスならぬサイバノミクスですね。最高裁・政府は「しめしめこれで行けるぞ」って思ったでしょう(実際にはそうは問屋がおろさなかったけどね)。

で、みんなが「市民感覚」の舞台の上で踊り出すことになった。踊りの列がどこに向かったかと言えば、皆さまご承知のとおり一気に厳罰化の流れです。よってたかって重罰要求の嵐。法廷で「その言い方が気に入らない」と被告人にくってかかる裁判員や「死刑判決に関われてよかった」などと感想をのたまう裁判員も登場した。「市民」によって支えられている裁判員裁判のこれが実相です。マスコミや革新政党や日弁連の責任はそれこそ罪万死に値する。「決まっちゃったものを批判しても仕方がない」って言ったと籾井さんとやらを批判するマスコミがいるけれど、裁判員制度について皆さん自身そう言ってるじゃないですか。どうです『朝日』さん、何か言うことありませんか。

話を戻します。「市民感覚」っていったい何でしょう。みんなが「あいつは悪いやっちゃー」って大騒ぎする感覚のことですか。ネットを見たら、市民感覚というのは「犯罪名がつくと途端に悪と捉え、貴重な税金を使っていることを忘れ、一部の勢力に利用されて結論に責任を持たず、目前の事象にとらわれ一部の局面で物を判断し、一方周りの意見に左右されやすい」ものだというような説明がありました。なるほど。0678261

市民感覚を考えるときにどうしても触れたいのは、再審無罪判決や再審決定などが続く最近の動きを「市民感覚」の勝利などと言う人たちが今でもいるということです。警察・検察の証拠隠しや証拠ねつ造が国民から厳しく批判され、裁判所の有罪推定と捜査擁護の思想が国民から糾弾され、ごまかしきれずに無罪が言い渡されるようになった(国家権力とたたかう国民が勝ち取るようになった)。それが真実のすべてなのに、「市民感覚」を積極的に評価する言葉でこの動きを飾り立てる。それでは正しい裁判批判や刑事司法批判に決してならない、刑事司法の根本的な悪らつさを覆い隠すものだと思います。

整理すると次のとおりです。「市民感覚」はとんでもないお先棒担ぎの民製用語である。「市民感覚」の実際はひたすら厳罰を要求する「特異の市民の感覚」である。だから、『毎日』のむすび「重視すべきは市民感覚か、判例か。被害者遺族や裁判員経験者らが、最高裁の判断を注視している」は、正しくは次のように言い換えられなければならない。「重視すべきは重罰を求める感覚か、さまざまな要素を総合的に判断する見方か。多くの国民が、最高裁の判断を注視している」。どうですか、記者の伊藤さん。013293

 

投稿:2014年5月18日

『絶望の裁判所』 司法「改革」の意味を問い直す

弁護士 猪野 亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」5月9日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

   この『絶望の裁判所』は、元裁判官である瀬木比呂志氏の著作です。
司法官僚制度を批判する内部(但し、退官後ですが)告発本として法曹界では話題になっていました。
そこで私も遅ればせながら読んだ次第です。
実体験に基づいている点はよくわかるのですが、内容としてはかなり愚痴っぽい書き方で「分析」という感じはほとんどしませんでした。
それはともかく、瀬木氏の分析は、最高裁は裁判所に対する「改革」を逆手にとって司法官僚制度を強化しようとした、裁判員制度も然り、そして竹崎前長官の大抜擢に始まり、刑事裁判官優遇の官僚人事となった、というものです。

 私からみれば、今時の司法「改革」は、裁判官の官僚制をただすものではなく、むしろ強化するためのものであって、氏の視点は全くずれているという他ありません。最高裁が逆手にとったのではなく、そもそもそのような「改革」だったのです。
渡辺治一橋大学教授の分析
新自由主義改革は、何も行政分野だけでなく、裁判所(司法)にも及びました。この点は常識かと思います。事前規制から事後救済というキャッチフレーズはあまりに有名です。
新自由主義改革を支えるための司法を構築することが、その目的であり、司法官僚制度はそのために強化される必要がありました。司法官僚制度に手が入らなかったのは当然の結末です。
行政訴訟についての司法権限の強化は、何も米軍基地などの騒音防止のための差し止め訴訟を認めるためのものではありません(瀬木氏は、この差し止め訴訟に拘りがあるようです。)。経済活動を規制する立法や行政処分を司法の判断で迅速に取り払うという手段強化のために司法がクローズアップされたのです。従来、言われいたような「小さな司法」(行政に追随)という批判に応えるためのものではありません。
本来、事前規制は立法的にも取り払うべきものがなかなか立法による対処ができない、これを司法によって取り払うことが司法(裁判所)に期待されたのであって、これが新自由主義改革を裁判所が支えるという意味です。

裁判員制度にしても国民をして裁かせることによって国民に統治に責任をもつ主体としての変革を求めることにあるのは司法審意見書に記載されているとおりです。瀬木氏は裁判員制度を今のままではえん罪防止に役立たないと批判していますが、このようなずれた批判は意味がありません。もともと裁判員制度はえん罪防止が目的ではなく、治安強化とそのために国民を権力に取り込むことが目的だったからです。
刑事裁判官が優遇された人事になったという瀬木氏の立論は、刑事裁判強化という意味ではあながち間違いではないのかもしれません。
ただ刑事裁判官を優遇しなければならない特別の事情があるわけではなく、瀬木氏の立論の是非は憶測レベルになるものと思われるし、むしろ、竹崎前長官を裁判員裁判のために行政側が送り込んだ、しかも「大抜擢」と評される形で最高裁人事が行政による露骨な介入が行われたこと、それが「改革」の名によって正当化されてしまっていることの方がより重大な問題といえます。
刑事系か民事系かの派閥争いのような人事が問題なのではありません。

但し、参考になった部分もあります。
「裁判官は忙しい!」という日弁連などが用いるキャッチフレーズが実態に即していないという指摘です。
私もそう思います。事件数の減少により少なくとも現状では裁判官が忙しすぎるという実態はありません。
裁判官の増員が本当に必要なのかどうか検証する時期と思います。

同著では、裁判官の能力の低下が指摘されていますが、それは十分にあり得ることです。今時の司法「改革」は、法曹人口の大増員により司法試験年間合格者数を大幅に増加させました。その結果、資格を取得しても食えないという現実が明らかになり、急速に法曹志望者は激減しました。有為な人材は法曹から遠ざかっていったし、全体としての質が低下しているのですから、裁判所がその影響を受けないはずがありません。いくら司法研修所での成績上位者を任官させても限界があります。
(同著にも指摘がありましたが、成績上位者の一部は年収の高い法律事務所に流れているものと思われます。)
現在では裁判官の採用人数が増えています。これは別の見方をすれば、任官させた裁判官の中で一定数どうにもならないのが紛れ込むことが避けられず、「多め」に採用することによって10年後の再任「拒否」によって淘汰することを前提にしているのではないかとさえ危惧されます。(10年待たずに肩たたきをするのかもしれませんが)
裁判官の質の低下まで来したようでは、今時の司法試験年間合格者数の大幅増員は明らかな失敗といえます。

 なお別の弁護士(水口洋介弁護士)の書評を読みました。
読書日記 「絶望の裁判所」瀬木比呂志著
同著に対する違和感を書き並べているのですが、水口氏の認識は今時の司法改革によって裁判所がよくなったというのです。
私の実感では、司法改革前のほうが、もっと非道かったと思います。瀬木氏が裁判長時代のことです。瀬木氏自身がその司法官僚の末端だったはずです。
それに比べれば「司法改革」の結果、「まだ少しましになったかなあ」というのが偽らざる感想です。」

今時の司法「改革」を推進してきた人ならではの発想であり、自らを正当化しようとしているに過ぎません。042206

 

投稿:2014年5月12日

「日本の司法の正統性」ってなぁに?-ご質問へのお答え

読書うさぎ:インコさん、「いま、最高裁は語りはじめます」ってか!? が、人気をよんでるわよ。ご同慶の行ったり来たりね。
ところで、この内容について質問が来てるわよ。

Σ(゚◇゚;) ヌオォ!?

001177:まず、「『いま、最高裁は語りはじめます』ってか!?」のタイトルはどこかで聞いたことがあるんだけど、元ネタはなにって。

Σ(*´◇`*)=3 (なんだ)ふー それはね、2005年11月、全国主要5紙に出た裁判員制度の全面広告のキャッチコピー「裁判は、語りはじめます」をパロッただけっちゃ。

001177:そしてとらっちさんからはicon6438555401559446337__005_normal
面白かったけん読んだばい。次号でここんとこをもう少しわかりやすく説明してお呉れでないかえ→「長い時間をかけて本業の裁判官たちが築いてきた事実認定や量刑判断が正しいものだということを叩き込もうという制度」
これ、インコさんが偉そうに後輩にうんちく垂れていたところよね。

バタバタ∑(; ̄□ ̄A アセアセ
あっ、にゃんこ先生、よろしくです。

1-e1397901201583:インコ君が聞かれたんじゃないのかね? まあよろしい。
 「正統な司法」の世界では、裁判所というところは、警察が下準備をし検察官がそれをまとめた結果に基づいて最後のチェックをし、「真実確定」の作業をする国の機関となっておるのじゃ
ところで、この国の裁判官たちは明治時代から、我が司法ほど間違いのないものはないというとんでもない自負を貫いてきた。悪の歴史じゃ。そして裁判官は、真実を見極める責任があるという理屈で検察官が主張してもいない事実まで究明する権限もあったのじゃ。
あの太平洋戦争の最中には、戦時緊急事態を理由に有罪判決の理由を具体的に書かなくても良いという変更まで行った。

001177:インコさん、黙ってるけど、そのあたりの歴史はインコさんも勉強してご存じよね。

1-e1397901276348:うるさい。きちんと復習するよい機会なんだから、黙って聞いているんだい。

1-e1397901201583:戦後、新しい刑事訴訟法ができて、検察官と弁護人が基本的に対等の関係になったとされた。裁判官は検察官の言い分をチェックするだけともなったのじゃ。しかし、裁判所の責任や権限に関する戦前の考え方が根底から否定されはしなかった。様々なところに戦前の裁判所の姿勢が残っているのじゃ。
だいたい、治安維持法やその他の様々な治安法令の執行の現場で、荒れ狂うこの国の司法の責任者たちは、戦後だれ一人戦争責任を問われなかったのじゃ。戦後間もない時期の重大冤罪事件といえば東北本線列車転覆事件(松川事件)が有名だが、幸いこれは確定判決に至らず、5度目の判決で無罪が確定した。このときの最高裁長官田中耕太郎は最後まで有罪に固執し、国民の裁判批判を「雑音」といい、現場の裁判官に「雑音に惑わされるな」と号令をかけたことで知られる。こういう裁判官の末裔が今、裁判員制度を推進して日本の司法の正統性を強調しているのじゃ。

1-e1397901276348:ということは、この司法の歴史を恥ずべき過去とはみずに、日本の司法は結局正しかったのだと言い募る結果となったのですね。

1-e1397901201583:そのとおりじゃ。ところが、この国の状況がおかしな方向に進んでいるのではないかということに多くの国民が少しずつ気づき始めた。そして彼らも国民が気づき始めたのではないかと思い、そのことを恐怖した。このため「日本の裁判官は、明治以来百年、正しい歴史を築いてきた」ということを国民に改めて教え知らせ、この国の正しい司法の歴史を今度は自分たち自身が直接担っていくように国民を教導しようとしたのじゃ。みんなにその狙いが気づかれたらサイコ-にまずいが、この制度で裁判官も一生懸命やっているんだと思う国民をなんとか増やしたい。それが裁判員制度の狙いということなのじゃ。

1-e1397901276348:だから、「ホンネで言えば国民本位もへったくれもない」とインコは言ったんですよ。インコの言ったとおりでしょ!

読書うさぎ:・・・(呆れてものがいえない)

 

投稿:2014年5月10日

「いま、最高裁は語りはじめます」ってか!?

立夏も過ぎたある日のインコのお山。今日は鸚鵡大学のにゃんこ先生も学会出席で不在なのでインコの一羽(?)舞台。インコの後輩とインコの会話です。でもインコの横にはうるさいマネージャーが…。

0063111:この間新聞読んでたら、最高裁が裁判員裁判の在り方について判断を示すって出てましたけど、これなんのことですか。「求刑1.5倍判決見直しか」「大阪・女児虐待死 最高裁で弁論へ」「裁判員制度の分岐点」なんて3段抜きの大見出しでした。

1-e1397901276348:うんうん、いいこと聞いてくれた。話そうと思ってたところだったんだ。キミいい勘してるな。(マネージャー独り言-私は悪い予感がする。こういう時すぐ舞い上がろうとするんだ、舞い上がれないのに…) え、なんか言ったか。ま、静かに聞いていなさい。(マネージャーまた独り言-静かに話してほしいんですけどね…)。読書うさぎ

1-e1397901276348:4年前の大阪・寝屋川市。1歳の三女に暴行を加えて死なせたっていうんで、両親が傷害致死罪に問われた。一審も二審も有罪で弁護側が上告していた事件さ。最高裁の第1小法廷が弁論を開くことを決めたんだ。

卵なし4:それだけのことで大きく報道されるのはどうしてですか。最高裁が裁判をやるって当たり前のことのような気がするけれど。

1-e1397901276348:うんうん、確かにそう思うかも知れない。だが実は、これは当たり前のことじゃないんだ。弁論を開くのは原則として二審高裁の判断をひっくり返す場合に限られる。原審で被告人に死刑が言い渡されている事件は被告人の生死にかかわる重大事件として全部弁論が開かれるけれど、それ以外の事件では最高裁は法廷を開かないんだ。

卵なし4:だから「開かずの扉」って言うんですね。

1-e1397901276348:そりゃまた違うような気がするけど…、まぁいい、とにかく高裁の判断をひっくり返すことを本気で考えたときに、検察と弁護の双方の意見を聞く機会を設けて弁論を開く。上告した弁護人は、弁論開始の連絡を受けただけで赤飯炊いて前祝いするっていうよ。

卵なし4:なるほど、やっと扉が開いたっていう訳だ。(マネージャー独り言-この子まだ「開かずの扉」にこだわってる) だけどこれはそもそもどういう事件なんですかね。

1-e1397901276348:一審判決では、食事もきちんと与えなかったために発育も悪くなっていた三女に常習的に暴行を加えていたとされているね。

卵なし4:かわいそうに。で、判決はどういうことになったんですか。

1-e1397901276348:傷害致死事件だから一審大阪地裁は裁判員裁判だった。被告人たちを糾弾する姿勢の裁判員たちが多かったようだ。判決後の記者会見では、裁判員を務めた男性が「親にしかすがれない子どものことを考えると殺人罪より重い」と両親を厳しく非難している。「殺人より重い」ってどういうことって話題になったよ。で、検察官の求刑は懲役10年だったんだけれど、判決はそれじゃ低すぎると、求刑を大超えする懲役15年だった。

卵なし4:求刑を超える判決を言い渡したって、報道もそうなってますね。そう言えば、大阪地裁は以前にもたしかアスペルガーの患者の被告人に求刑超えの判決を出しはったのと違いまっか。

1-e1397901276348:なんでそこだけ大阪弁になるんや。おまはんいい勘し過ぎやで、そりゃあかんわ。というか法律の決まりはあらへんけど(この「け」の音が高い-マネージャー)裁判所のならわしとして、検察官の求刑の範囲の中でここら辺が落ち着きがええと判断するもんなんや。(ここでインコ正気に返る-前同)検察は逆に裁判所の判断を予想してそれより少し重めの求刑をする。そういうあうんの呼吸とでもいう関係があるんだな。

卵なし4:ところが大阪地裁は求刑の1.5倍にあたる懲役15年の判決を言い渡したんですね。で、弁護側の控訴に対する大阪高裁の判断はどうだったんですか。

1-e1397901276348:それが、大阪地裁の量刑判断をそのまま全部認めたんだ。アスペルガー事件の時は大阪高裁は地裁の求刑超え判断を打ち消して、懲役の年数を求刑の範囲内に下げたんだけれど、今回の事件では高裁は地裁の判断をそのまま承認してしまった。

卵なし4:地裁・高裁の判断に納得しない弁護側が最高裁に上告した訳ですね。そこで舞台が最高裁に移ったんだ。さぁ、最高裁はどういう判断を下すんでしょうか。さっきの理屈だと、ここで弁論を開くと言えば、一、二審の判決は正しくないって言うことになるんでしょう。そうならなければおかしいですよね。

001181:確かにそう。だけど、ここはとんでもなく難しい局面になったね。

卵なし4:どういうことですか、とんでもなく難しいって。

001177:裁判員制度を推進してきた最高裁としては、裁判員の判断を尊重せよというのは動かせない。そうなると一審の判断もこれを承認した二審の判断も正しいと言わなくちゃいけない。でも最高裁には量刑判断に関する裁判所の伝統を外してはならないという強い縛りがある。さぁこの2つの目標をどう「調整」するか。

1-e1397901276348:2字で表現すれば矛盾、背馳、相反、抵触、相克。3字で言うと筋違い、不整合、4字で言えば二律背反、二項対立、自己矛盾、自家撞着。進退両難。英語で言えばアンチノミー、インコンシステント、ディレンマ…。民間伝承句で言えば、あちら立てればこちらが立たぬ、鶍の嘴(いすかのはし)…。

001173:(おせんべいボリボリ)はいはい、わかりましたよあなたの博識としつこさは。後輩が真剣に聞いてるんだから、よけいなことは言わないで端的に説明してあげなさい。

1-e1397901276348:そうです、実はここに裁判員制度のウソが見える。ここにこそこの制度の最大問題が潜んでいるのです。最高裁は、心にもなく、そう心にもなくです。「市民感覚を裁判に反映させる」という言い方で国民を刑事裁判に引きつけようと画策した。そこで「国民に聞くのが正しい」という理屈が裁判員劇場の花道入り口から勇躍登場した。登場させてしまったって言った方が正しいんだけどね。

卵なし4:そりゃ、そうなりますよね。


1-e1397901276348:実際、最高裁は「事実認定がよほど不合理でなければ裁判員裁判の判断を尊重せよ」と判決の中で言っている。「よほど不合理でなければ尊重せよ」っていうのは「多少の不合理だったら目をつぶれ」ってことでしょ。こんな裁判ホントにアリかよって私は思うけどね。量刑もよほど不合理でなければ裁判員の意見に従えとは明言していないけれど、なんと言ってもキャッチフレーズを公募して「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」という台詞を当選させた最高裁ですからね。過去の「相場」にとらわれない「市民感覚」の反映が至上目標になっちゃったんですよ。

卵なし4:なるほど。しかし、弁論を開くということは今回はその理屈を貫けなくなったということですか。

1-e1397901276348:いい勘…、いやそのとおりです。本当は最高裁は国民の声を聞こうなんて手羽の先ほども思っちゃいない。キャッチコピーはあくまでキャッチの小道具。制度の本当の目的は、司法に不信を懐き始めているこの国の国民に、長い時間をかけて本業の裁判官たちが築いてきた事実認定や量刑判断が正しいものだということを叩き込もうという制度なんだから、ホンネで言えば国民本位もへったくれもないんだ。

卵なし4:じゃ、ここでついに衣の袖から鎧をみせると。

1-e1397901276348:いやいやどうかな。それはそんなに簡単なことじゃない。そうなったら裁判員制度における3.11事件ですよ。「みんなウソだったのね」っていうことになる。でも、最高裁司法研修所が公表した論文には先例の傾向を正しく踏まえて判断せよと書かれているし、最高裁事務総局が3年間の裁判員裁判の実施状況を検証した報告書(12年12月発表)の中では、「裁判の結果は、総体としてみれば、これまでの裁判と極端に異なっているわけでもない」と指摘している。

卵なし4:そうすると今度の弁論の後、最高裁はどういう判決を言い渡すんでしょうか。

1-e1397901276348:この事件は犯罪の成否をめぐって争われているのではなく、量刑の軽重をめぐって争われている事件です。とりわけ求刑大超え判断の良し悪しが大きなポイントになっている。制度のコアというか本質をめぐって争われている事件じゃないけれど、裁判員の判断を良しとした(と考えられる)一審の裁判官たちの判断、そしてその判断をよしとした控訴審の裁判官たちの判断について、最高裁の裁判官たちがどう判定するかという意味で、裁判員制度の分岐点になるのは間違いないでしょう。

001173:それほどの裁判ならもう少し注目されていいんじゃないかしら。大きく報道といっても、報道したメディアは一部だけのようだし。

1-e1397901276348:何を報道しても裁判員制度の支持者・理解者が減る全層雪崩状況なので、メディアもどうしようもなくなっているんだろうね。とにかく、ごく一部の国民だけど強烈に自分の視点、自分の感覚、自分の言葉を押し出した結果です。推進者たちが作ったコースの上で自爆しているのだからどうにもしようがない、四字熟語で言えば自業自得、因果応報、厭離穢土、欣求浄土。民間伝承句で言えば天に唾する、それから…。

読書うさぎ:ったく。インコさん、にゃんこ先生がお戻りになられたようよ。

投稿:2014年5月6日

裁判員制度はもうダメです-新長官の憲法記念会見を斬る

はーい、よい子の皆さん。私たちの憲法記念日ですよー。今日は日本国憲法を記念する以外に何がある日でしたっけ。そうです、最高裁長官が前日記念日を迎える記者会見をしたことがいっせいに報道される日です。

去年は裁判員制度を進める国の責任を追及する元裁判員が現れた直後でしたから大変でした。竹崎長官は真っ青、狼狽を隠さなかったね。個々の事件に触れない掟を破って長官は「こういう問題が起きないようにみんなで配慮を」なんて、よくわからんことを言った。この事件に関連した文章を去年8月15日のトピックス「澱の中で考える人々-最高裁アンケートのからくり」でインコは掲載しています。ぜひもう一度見てね。

さて今年は。インコは早速ですが『朝日』『読売』『毎日』『日経』『産経』『東京』の5月3日朝刊を読みました。今回も各社1名の代表記者会見だったんだろうね。出席記者の個性がにじみ出て面白いけれど、各紙を読まないと本当のところがよくわからないTPP記者会見みたいな難解さも。インコは皆さんになりかわり責任を持って全部目を通しましたよ。trl14050222090002-n1

うーむ、まず驚いたのは寺田逸郎新長官のお姿写真を掲載したのが『産経』だけだったこと。たいていは何社かが顔写真を出すでしょ。いくら嫌われている(いや間違えた、誤記です)いくら先月お披露目写真を出したばかりだと言っても、一応礼儀として掲出するもんじゃないんかね。それとも写真撮影はなるべく遠慮して下さいなんて長官が言ったのかしら。言ったとすればこれも問題だし。とりあえず、msn『産経』ニュースのお写真を掲載しておきますね。

さて内容は裁判員制度との関係で、とても衝撃的なものでした。何と言っても各紙が裁判員制度のことを憲法記念日の長官発言の中心に置いていたからです。「施行5年 裁判員制『中長期で改善』」(『読売』)、「裁判員理解へ働き掛け強化」(『日経』)と2紙は見出しまで裁判員問題。「最高裁長官が憲法記念日にしゃべる話が裁判員制度」って考えて見たらたいへんなことですよ。実施から5年経っても話題になり続ける驚異的露出度。放置できない問題が潜んでいることを記者たちが知っている証拠(裁判員制度に触れない『東京』はどうなってるんだ!)。その「潜む問題」とは?

「『審理や評議などで様々な課題が指摘され、中長期的な視点での改善が必要だ』と語った」と『読売』。「『支えてくれる市民の方々への働きかけを強める必要がある。参加意識を高めるため改めて制度の周知を強める』と述べた」と『朝日』。どちらも最高裁がこれまでの「順調論」から大変貌したことをリアルに伝えるものです。「中長期」ってことはちょっとやそっとの対策ではどうしようもないということ。「働きかけを強める」ってことはこれまでの宣伝方法ではまだ足りないってことでしょ。さすがに最高裁も問題の深刻さを覆い隠せなくなった。長官交代の機会にこれまでの取り繕い話法を変えることにしたのでしょうね。

それもそのはずです。最高裁の今年1月のアンケート調査では「参加したくない」がついに85.2%という超高水準になり、いくら何でもそのことに触れないで通り過ごすわけにはいかなくなった。長官は「重く受け止めないといけない数字」とする一方、経験者の大半がいい経験をしたと答えているので経験者と未経験者の意識のギャップを埋めるのが私たちの責任だと述べたと(『朝日』『産経』)。く、くるしい。054891

インコは早速データを調べて見ました。裁判員の嫌忌度はこの間さらに高まっている。正確に言うと、裁判員をやりたいとかやってもよいと言う人は実施初年の09年に18.5%だったのが今年の14.0%までの5年間で4.5ポイントも下がった。一方あまりやりたくないとか義務でもやりたくないと言う人が80.2%から85.2%に5.0ポイントも上がった。今年のデータを男女別に見ると、男性は79.0%がイヤ、女性はなんと91.0%がイヤ。マーケットは女性で決まると言うから、この数字が示す結論はこの制度が国民からもう完全に見放されたということ。

意識調査ではイヤだという国民が大半だというのに経験した裁判員たちの大半がアンケート調査で良い経験をしたと述べているという。どちらも裁判所の調査結果。このことから導かれる結論は、誰が考えたってどっちかが間違っているということ以外にないでしょう。で、どっちが間違っているのか。「経験者の大半がいい経験をしたと答えている」というアンケート調査のインチキについて「澱の中で考える人々-最高裁アンケートのからくり」に詳しく説明しているので、そちらでご納得いただくようもう一度お願いします。
さて、この差を「ギャップ」と断じて、これを埋めるのは裁判所の責任だという寺田長官。いったいどうやってインチキと真実の間を「埋める」つもりですか。どう「裁判所の責任を果たす」のですか。だいたい「参加意識を高めるために改めて制度の周知を強める方針を示した」って言うけれど、周知したらみんなイヤになっちゃったのがこれまでの経過でしょうが。どうするの今度は。

今回の記者会見のもう1つの衝撃は、憲法解釈をめぐる話です。きっかけは、憲法改正や集団的自衛権の動きという目下最大のテーマに関して最高裁がどのような立場をとるのかという記者たちの質問に答えてのことだったのでしょう。寺田長官が言ったのは「憲法は国の最高法規であり、各機関はそれぞれの解釈の範囲内で物事を決める。裁判所が『憲法解釈はこうあるべきだ』と言うことは全くない」(『読売』)、「裁判で判断を求められる具体的事件を離れて、憲法のありようについて申し上げることは差し控えたい」(『朝日』『毎日』『産経』『東京』)、「具体的事件を離れて言及する立場になく、国民の議論に委ねられるべきだ」(『日経』『東京』)。

おいおい寺田クン。じゃぁ裁判員制度についてはどうなんだ。だいたいキミ自身どうだったんだね。具体的事件を離れて裁判員法を合憲と言っ張った2011年11月16日の最高裁大法廷判決では、裁判所が『憲法解釈はこうあるべきだ』と敢えて言ったんじゃないか。『憲法解釈はこうあるべきだ』と言っていながらそんなことは全くないとはよくも言えたもんだ。最高裁は、弁護人から上告趣意にしないと明言されていた「国民に苦役を強いるから違憲」の主張について、あたかもその主張がされていたように装い、自ら進んで「憲法が禁じる苦役ではない」と言い切ったでしょうが。ここにはとんでもない騙し・ごまかしがあったことが明らかですよ。

それとも昨日の長官発言は、最高裁の11年大法廷判決は間違いだったと弁明する趣旨を含んでいたのかしら。具体的事件で当事者が主張していることを離れて一般的な発言はしないのが裁判所の矜恃でしたというのなら、最高裁はあのとき確実に道を外していた。キミも裁判官の一人として参加した大法廷がとんでもない間違い判断を犯していた。自身のその間違いを遅まきながら最高裁長官に就任したこの機会に国民に謝罪するという意味なのか。

今回の長官記者会見はとても衝撃的でした。そして、私たち国民の立場から見て極めて実りの多い貴重な機会でしたね。寺田クン、新任早々何ですが、もうそろそろ裁判員制度の店じまいの準備に入った方がいいと思うよ。これ以上キミ自身が恥をかかないためにね。

フレーム2「動物」

投稿:2014年5月3日