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裁判員制度ハウツー本をあなたに -その1- 恋愛関係編

さあさお立ち会い。お急ぎの向きも暇だらけの御仁も、ちょっと付き合ってくんなまし。世も末になるとこんなハウツー本が店頭に並ぶんですよねぇ。そう言えば昔、ジーンセイはハウツーパンチ、汗かきべそかき歩こうよなんて歌あったよね。なかったっけ。インコのお山には、「困ったときのハウツー頼み」っていう格言があるよ。
巻き添えに遇った名著・名著者・名出版社の皆々様には伏してお詫びつかまつる。そこんところ、目的の正義に免じて、インコの目玉ぐらいに大目に見てね。雲とおばけの下右

□「拒否したい候補者が必ずふりむく魔法のことば」
竹崎 屑島社 2013年5月22日
 裁判員候補者の説得に不安や躊躇がある人にはぜひ一度読んでみてほしい。ノウハウは微に入り細をうがって具体的、ウィンクの仕方十選など著者渾身の作。何とも暗くなりがちな裁判官の気持ちにべったり影のように寄り添う名著。          

  この本とは関係がありません、ごめん 

「別れた彼が必ずふりむく魔法のことば」
 浅海 宝島社 2013年5月22日
  恋人との関係に何か不安や不満がある人にはぜひ一度読んでみてほしい。ノウハウは驚くほど具体的、かつ相談者の気持ちに寄り添っている。

□「俺が嫌われるのには、101の理由があってだな」
ジェーン・エアバッグ ポピュリズム社 2013年10月11日
゛裁判員候補者゛になってよくわからぬまま裁判官のまねごとをさせられることのないように、「裁判員制度が嫌われる101の理由」をイラストとともに徹底解説! これを読んでも裁判員になりたい方には代金をお返しします。

           上に同じ         

「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」
   ジェーン・スー ポプラ社 2013年10月11日 
゛未婚中毒患者゛たちが知らず知らずのうちにやってしまっている「プロポーズされない101の理由」をイラストとともに徹底解説!

□「グズグズしないでお決めなさい! 量刑の選択 裁判員の決断」
インコッ子 厳冬舎 2013年10月10日
本書は、最高裁の狙いも法務省の思いもわかりすぎちゃった超大人気のカリスマブロガーが、評議中に裁判員が迷いやすい選択や、いまさら人には聞けない量刑の悩みなどを取りあげ、死刑と無期の選択肢のそれぞれのメリット、デメリットを考え、どちらの道を進むのがいいのか、時にえいやっと決断させ、時にそっと死刑執行のボタンを押させます。          

雲とお~1             上に同じ 

「グズグズしないでお決めなさい! 恋の選択 女子の決断」
ゴマブッ子 幻冬舎 2013年10月10日
本書は、女心も男心もわかる大人気のカリスマブロガーが、恋愛中に迷いやすい選択や、いまさら人には聞けない恋の悩みなどを取りあげ、AとBの選択肢のそれぞれのメリット、デメリットを考え、どちらの道を進むのがいいのか決断させ、そっと背中を押します。

□「制度の論理 最高裁を知り、出世競争の勝者になる究極の戦略【DV付き】」
ぐっとくる博士 ドコモカシコモデブ 2013年7月1日
  制度の本音や舞台裏を知り尽くした斯界の権威である著者が、憲法の原則を無視してひねくりだした制度のメチャ論理を徹底解説!! これらを実践さえすれば、必ず最高裁判事になれる! ヒラメ裁判官向けの出世戦略を初解禁! えっ、石モテ追われるんじゃないかって? いやいやそういう心配派は特別付録のDVを見て対策を練って下さいね。    

        上に同じ

「モテの定理 女心を知り、恋愛勝者になる究極の戦略【DVD付き】」
ぐっどうぃる博士 ソフトバンククリエイティブ 2013年7月1日
女心を知り尽くした恋愛の権威である著者が、生命科学的視点と数多くの恋愛相談を通して見つけ出した「モテ」の定理を徹底解説!! それらを実践さえすれば、必ずモテる男になる! 男性向けのモテ戦略を初解禁!

□「こんな裁判官に候補者は惚れる 判事の口説きの作法」
断 れご 冗談社  2013年4月23日
長い裁判官生活を持ちながら、人の顔色を窺うことばっかりやってきた人間だからこそ書ける、候補者は裁判官のどこを見て裁判員になってもいいと思うのか、またそれをテクニックとして活用するにはどうすればいいかが、とても具体的に書かれています。AとかBとかCまでとかいろんな段階に分けて、どこまで強引にやってもダイジョブかなど、機微にふれることについても赤裸々に書いているので使えます!   

  上に同じ

 「こんな男に女は惚れる 大人の口説きの作法」
壇 れみ 講談社  2013年4月23日
銀座でのホステス経験を持ちながら、作家として活躍する著者だからこそ書ける、女は男のどこを見ていいと思うのか、また、それをテクニックとして活用するにはどうすればいいかが、とても具体的に書かれています。キスやセックスなどの性的なことについても、赤裸々に書いているので使えます!

□「良い裁判員になる方法」
ワタナベ ツネオ 判事の生活社 2013年2月1日
本書の内容を表すキャッチコピーは「上から目線で説教して、じゃあ死んだらなんて言って日当もらってルンルンおうちに帰れる25のルール」。まさに刑事司法を死に追いやるバイブルです。雲とおばけの下

 上に同じ    

「美人になる方法」
ワタナベ 薫 主婦と生活社 2013年2月1日。
本書の内容を表すキャッチコピーは「運といい人を引き寄せる25のルール」。まさに女性の人生バイブルです。

□「今さら聞けない本当の裁判員制度入門」
ヤメ田 ヤメ ダカラ島社 2013年4月4日
裁判官の7割は「裁判員裁判イヤ」というのが本音。それでも裁判員裁判をやるのなら、貴方の思考と方法を変えねばならない。司法難破研究の第一人者が数多くの破滅経験をもとに破れかぶれに提唱する、選任から初公判、同伴昼飯の食い方から、結論を決めつつ素知らぬ風の装い方まで、人を騙しきるための思考法と実践術。これができれば、貴方の人生がメチャ変わる。           

上に同じ

「今さら聞けない本当の恋愛入門」
  郷田 ゴー 宝島社 2013年4月4日日
 独身女性の7割は「彼氏ナシ」という今の時代。それでもカノジョができないのは、貴女の思考と方法に問題がある。ナンパ研究の第一人者が実践をもとに提唱する、出会いから告白、デート、エッチまで、カノジョを作るための思考法と実践術。カノジョができれば、人生が変わる。

□「今さら聞けない本当の裁判員制度入門」改定版
ヤメ田 ヤメ ダカラ島社 2013年11月12日
国民の8割が「裁判員にはなりたくない」という今の時代。それでも裁判員裁判をやり続けるのは、司法の思考と方法に問題がある。「最高裁名の封筒は嫌われた!」「不出頭でも処罰された人はいない」。反対運動の第一人者が実践をもとに提唱する、制度の問題から運動の成り立ち、市民の手に本当の司法を取り戻すまで、制度廃止の道筋の施行法と実践術。裁判員制度を廃止できれば、世の中が変わる。

古城とかぼちゃ

 

 

 

投稿:2013年10月27日

寄稿 逆転無期判決の見方を間違えてはいけない

千葉大生の女性が殺害された事件。東京高裁が1審・千葉地裁の死刑判決を破棄して無期懲役の判決を言い渡した(参考:「寄稿 東京高裁逆転無罪判決の正しい見方」)ことについて、10月22日、被害者の両親が記者会見をして、「納得できない。裁判員裁判の結果を尊重してほしい。裁判員が何日もかけて決めたことを無視するように覆すのは納得がいかない」と話しました。

子どもを奪われたご両親の苦しみと怒りは半端なものではない。その心情には思いを深くいたします。しかし、「裁判員が何日もかけて決めた結論を覆すのは納得がいかない」という感想をそのまま受け入れることは到底できません。

このご遺族は、もしこの事件で、1審が無期懲役で2審でひっくり返って死刑が言い渡されていたら、「やっと納得できた。裁判員が短い期間で出したいい加減な判決を高裁の裁判官が覆してくれてようやく受け入れることができた」と言ったのではないでしょうか。

犯罪の被害者や遺族が重罰を求めるのは、被害が回復しないことへの深いいらだちです。そこにあるのは、人のいのちが返ってこない以上、犯人には死んで貰うしかないという報復・復仇の心です。裁判官だけの裁判だろうが、裁判員が加わった裁判だろうが、本当を言えばそんなことは遺族にとってはどうでもよいという心境があります。

遺族の言葉から導かれる教訓は2つ。その第1は、刑事裁判は被害者や遺族の思いも参考にするが、決して報復・復仇を中心に考えるものではないということを明確にする必要があるということ。

長い期間をかけて近代刑事訴訟は報復・復仇を否定する見方を確立してきました。識者もメディアもそのことをきちんと言わなければなりません。『読売新聞』(10月23日)は、慶応大法科大学院客員教授の原田国男氏(元東京高裁判事)の言として、「国家が人の命を奪う死刑の適用には、特に慎重さが求められる」という評価を引いています。当然のコメントです。

個人が犯しても国家が実行しても殺人は殺人、犯罪は犯罪です。「国家が犯す犯罪」はそれこそ様々な角度から検討し尽くして決める結論であり、人を殺したら殺し返されるなどという判断が簡単に導かれてよいわけがないのです。死刑を許さない国が多数に上ることをあらためて考える必要があります。

同じ遺族発言を紹介する『朝日新聞』(前同日)は、識者のコメントも引かず、遺族の言葉をそのまま並べただけでした。『読売』も大見出しは「『裁判員裁判 尊重して』 両親が高裁判決批判」というものだったから、大同小異とも言えます。メディアの腰の退け方は目を覆うばかりです。

第2の教訓は、裁判員裁判という裁判方式は、「裁判所は被害者の側に立ち、重罰を下すのが本来の仕事」と考えられているということ。

実際、「1審の裁判員裁判が下した軽い刑を2審の裁判官だけの裁判で重い刑に切り換える」という例は希有と言わねばならないからです。先に、ご遺族は2審の裁判官だけの裁判で1審の裁判員裁判の結論ひっくり返って死刑になったら遺族は納得するのではないかと言いましたが、そのような想定をすること自体、実はほとんど非現実的なのです。

だから、裁判員裁判は近代刑事訴訟の基本を突き崩す重大な危険をはらんでいることになります。裁判員制度は国家権力の間違った判断を国民が批判し是正する裁判方式ではないし、裁判員は被告人の人権を守るために被告人の盾として登場しているのではないからです。

結論をあらためて言います。被害者から「尊重」を求められるがゆえに裁判員裁判は存在が許されない裁判制度なのです。

なお、東京高検は10月21日に、弁護側は22日に上告しました

ハロウィン2

 

 

 

 

 

 

投稿:2013年10月25日

福岡・第14回裁判員制度はいらない!市民集会&デモ 

 9月29日、福岡で裁判員制度に反対する集会とデモが行われました。この集会とデモに、「裁判員制度廃止インコ」さんが参加してくれました。福岡でデビューした「廃止インコ」さん(ちなみに「いらないインコ」のデビューは東京・有楽町)は、 5年ぶりの里帰りとなったそうです。
 
以下は、「裁判員制度廃止インコ」さんの報告です(超長文です)。

 こんにちは。裁判員制度廃止インコです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA遅くなりましたが、福岡での集会とデモの報告をします。なお、ブログ「白い狼のため息」にも書かれていたとおり、集会は某党派のS弁護士の妄想とそれを盲信する人たちによって妨害されましたが、そんなことにめげるような「追求する会」と廃止インコではありません! これからも制度廃止まで頑張ります。

第14回裁判員制度はいらない!市民集会
主催:市民のための刑事弁護を共に追求する会
日時:9月29日午後1時30分から午後3時30分
場所:福岡市中央市民センター

司会あいさつ:李博盛弁護士OLYMPUS DIGITAL CAMERA
 
みなさん、こんにちは。私は「市民のための刑事弁護を共に追求する会」の事務局を務めております弁護士の李と申します。「追求する会」が主催する第14回目の集会です。事前のチラシあるいは案内では、今日、講師として東京の弁護士で裁判員制度廃止運動の中心的な存在である高山俊吉弁護士をお招きすることにしておりました。まず、お詫び申し上げなければならないことは、高山弁護士はこの会場に今のところお見えになっておりません。高山弁護士が今日、そっと顔を出していただけるのかなと期待しつつ、今日の集会を進行させていただきます。重ねて今日の事務局の行き届かないことをお詫び申し上げます。
 さて、冒頭で、「追求する会」の共同代表であります渡辺冨美子元弁護士から開会のあいさつをいただきます。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA開会あいさつ:渡辺富美子共同代表
 みなさん、こんにちは。本当にお久しぶりです。1年ぶりです。予定していた講師がお見えにならなかったことについては本当に深くお詫びいたします。せっかくの機会ですので、ここに集まった者たちが日頃考えていること、行動していることなど、いろいろな情報交換と質疑応答などでこの機会を活かしていきたいと思います。
 なお、みなさん、ご存知のとおりインコちゃんが飛んできてくれているので、暑い中、ありがとうございます。
 最初に討論の糸口として、この頃、私が考えていることを少し話させてください。

 裁判員裁判は2009年5月に始まり、もう4年半が過ぎました。制度の矛盾は多々出てきておりますが、制度廃止に向けての政治的見通しは残念ながらはっきりしません。一方、安倍政権の軍事治安国家作りは恐ろしいほどの急ピッチで進んでいます。新聞を見るたびに戦慄が走るような恐ろしさを正直なところ感じています。このような状況下で私は、どう反対運動をしたら良いのだろうかと、正直、途方に暮れるような気持ちです。そこでかんがえたことは改めて自分がこの制度に反対、裁判員制度はいらないと考えた出発点に戻って考えてみようということです。

 私が考えてきた裁判員制度反対は、大きく2つの側面があります。
 1つは、裁判員法の内容と仕組みです。「司法の民主化」というキャッチフレーズに本当に向き合ってきました。私は、自由民主主義といっても自由も民主主義もごっちゃにしてるような人間でした。斎藤さん(斎藤文男九州大学名誉教授)のお話しでは、裁判員制度は自由と人権を守るべき司法制度の仕組みを完全に崩す内容になっているということでした。

 もう1つの側面は、裁判員制度の背景、どのような時代が裁判員制度を醸成しているのかということです。直接的には経済界とアメリカ合衆国の要求、圧力から司法制度改革が始まり、その一環として裁判員制度がありました。ソビエト体制の崩壊、冷戦体制の崩壊に伴う日米軍事同盟の変化と、資本主義経済体制の現段階というか新自由主義体制への構造改革の一環なのです。資本の活動に邪魔になる仕組みをすべて取り除いていこうということです。1990年後半から始まりましたが、一番華々しかったのはあの小泉さん(小泉純一郎元総理)です。ご承知のとおり、アフガン、イラク戦争の中で、自衛隊の海外派兵を行い、教育基本法を改悪し、ここに上げることができないほどの治安立法を矢継ぎ早に制度化していき、実質改憲と軍事治安体制の強化と合わせ鏡にこの裁判員制度はできました。

 2001年の司法制度審議会の答申があり、2004年度にこの法律は制定されました。当時から高山さんをはじめ、「裁判員制度はいらない」という運動を展開してきたのですが、残念なことになってしまいました。
 私たちの集会は、第14回になりますが、繰り返し裁判員制度と戦争、死刑、憲法の関係を多面的に問題にしてきました。今、さらに厳しく問わなければならない現状になっていると思います。資本主義経済の元では利潤が拡大し続ける、いわゆる経済成長していかなければ潰れるのです。グローバル化した経済資本体制は世界のあらゆる国、地域、アメリカでもデトロイトなどもそうでしたが、とことん収奪し尽くすのです。

 IMF、国際通貨基金などを利用して否応なしに新自由主義体制を導入させられているのは、アフリカでもアジアでも各国の実情です。これを国内的に見ると、本来、国の任務であるはずの国民、庶民の福祉や公共サービスなどをとことん切り捨てながら、危機に陥った資本擁護のためにそれこそ全権力を動員して社会の仕組みを変え、税金を止めどもなく注ぎ込んでおります。軍事産業、原子力産業もその中核です。リーマンショックのときもそうでした。今、また、東京電力に注ぎ込んでいます。

 安倍総理は、積極的平和主義と言いながら、アジアに対し軍事力を持って臨む日本にしようとしています。ニューヨークでのあの傲慢な演説に多くの人はゾッとしたかと思います。
 
そして、アメリカの軍事体制の元に組み込まれているとは言え、名実共に日本の帝国主義化政策ではないかと思います。今国会でも秘密保全法や国家安全保障会議設置法案などが上程され、だれも反対する勢力、阻止する力がない中でほぼ通っていくでしょう。
 
今、私がいる日本はこんな時代です。

 逆に言えば、裁判員制度に担わせようとしている国家の意図は非常に分かりやすくなっていると思います。庶民を国民として再組織化する、これは私がそう思うのですが、排外主義、ナショナリズムに充ち満ちた国民として再組織化していく。そして、統治意識を持たせ、国策に積極的に協力させ、異論を言う者を排除し、構造的に社会が生み出さざるを得ない一定の階層をどんどん切り捨てていっています。国際紛争という名の戦争、3.11などの災害、あるいはオリンピックなどを利用して、ナショナリズムを排外的に煽り、社会の仕組みを強引に変えつつあるとも言えると思います。

 主権者と言われても国民は、一人ひとりは、また集団としても権力行使はできないのです。それをあたかも持っているかの如く思わされ、統治に積極的に加担し、隣人と競争に競争を強いられ、異端者、少数者を排除していく。そのようなことはできません。だからこそ、この国の施策、裁判員制度に反対し抵抗しているのだと思います。
 原子力発電、あるいはオスプレイ配備などいろいろな課題について、多様な運動が多様な形態で組まれています。私たちの力は異議申立の行動やそれを支える個々人の思想だけです。そのような中で運動する者の内部でもいろいろな矛盾や軋轢が出てきます。それでも私は身体を動かして意思表示を、抗議の行動をしていくこと、それを通じて国家に対する問題意識も共有できていくし、違いは違いとして乗り越えていくのではないかと思います。

 今日はせっかくの機会ですから、この集会もそのような場としてほしいと思います。
 少数の集会ですので、逆に率直な運動上の疑問も何でも出せる場になりましたので、李事務局長も言われましたが、筋書きはありません。何でも自由に発言していきましょう。

司会:李弁護士
 
後から入場された方もおられますが、本日、講師を予定しておりました高山俊吉弁護士が出席されないことになっております。高山弁護士の話をぜひとも聞かれたいということでここにお見えの方には本当に申し訳ありません。先ほど、共同代表から話がありましたのは、今日は自由な討論で裁判員制度を中心に、それぞれのみなさんの関わっていることや思いを話ししていただき、本日のデモ行進、そして次回の集会へ繋げていきたいと考えております。

 今日、まえだけいこさんから「裁判員制度が死刑制度を強化する」というペーパーが準備されております。このためにという訳ではないのですが、ここから今日の口火を切ってもらいたいと思いますので、「死刑廃止・たんぽぽの会」まえだけいこさん、よろしくお願いします。

報告「裁判員制度が死刑制度を強化する」:まえだけいこOLYMPUS DIGITAL CAMERA
 
ご紹介いただきました「死刑廃止・タンポポの会」のまえだけいこと申します。
 
「死刑廃止・タンポポの会」は1987年、福岡で死刑廃止運動をするべく結成された市民グループです。私たちは25~6年ほど活動を続けてきたことになります。
 私たちは死刑廃止の声を福岡から上げるということで、福岡拘置所の未決囚、死刑判決を争っている人との交流を続けてきました。面会、差入れ、文通などといったことです。やはり、勾留が長い人は精神的な問題からトラブルになり、交流ができなくなった人もいますし、死刑が執行された人もいます。いろいろな交流がありましたが、やはりえん罪であろうとなかろうと死刑は執行されてはならない、命を奪われてはならないと思います。

 「タンポポ」では『わたげ通信』という機関紙を年4回ほど発行しています。よろしければ送らせてもらいます。
 また、年末には福岡拘置所の死刑囚に対して、千円ずつ餅代のような形で差入れをしています。中には「入りません」と断られる方もいます。そういう人間関係を作るのがイヤだという感じです。

 私は、3~5分の予定で喋るつもりでしたが、時間があるようなので「タンポポ」の紹介をさせてもらっています。よろしいですか。

 今、私は、宮崎の3人殺し、最高裁で争っている人と交流しています。手紙でのやりとりです。その方は、手紙を読む限りは、優しくて思いやりがあって、どちらかといえばぼーっとした天然タイプの方です。報道を見ると、子どもまで殺していて凶悪犯というイメージで、今度、面会を予定しているのですが、実際に会うとどんな感じかなと。報道に接するとどうしても不安になるのですが、今までの面会の経験からすると、彼らも人であるということです。人を殺すという極限状態の中で、その瞬間は普通の人ではなくなっているんですね。会えば普通の人だとわかっていても、死刑囚ということでこちらも構えてしまうのですが、話をすると本当にそんな大したことはないと思います。まあ、暴力団関係の人は違います。そういう生き方をしているのだと思います。

 今、その交流している人と面会したいと思っているのですが、「タンポポ」の会もお金がなくてですね(笑)。カンパ要請です。宮崎に面会に行くのに、お金どうするべーと思っているので、もし、よかったらカンパなどもお願いいたします。
 何の会かわからなくなってきました(笑)。

 「タンポポ」は『わたげ通信』では行動の報告、例えば執行があれば抗議行動を行い、ビラ撒きをしますのでその報告を行い、また、面会にいけばその結果を報告します。私たちは死刑に対する情報をみなさんに提供することができますので、ぜひ、支援していただきたいと思います。

 10月10日は世界死刑廃止デーということで、この日、「タンポポの会」としては、「福岡事件から見た死刑制度」という集会を行います。講師は八尋光秀弁護士で、午後7時から場所は「ボランティア交流センターあすみん」です。平日の夜ですし、いつも5~6人だったらどうしようと思うのですが、結構、みなさん関心を持って集まってくださいます。この中からもきっと何人かは来てくださると信じていますので、よろしくお願いいたします。
 
お願いばかりが多いですが、これも市民グループならではのものだと思ってください。
 
これで「死刑廃止・タンポポの会」の紹介を終わらせていただき、本題である「裁判員制度からみた死刑制度」に入らせてもらいます。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 裁判員制度が導入されるとき、いろいろな意見がありました。政府から、日弁連から。「何でいまそんなものを導入するんや」「一般市民の感覚が今の裁判所には欠けちょるんや」と言われて、裁判員制度が導入されることになったと聞いて、私は,これは死刑が増えるんやなかとと思いました。

 一般市民の感覚を考えたときに、「命は大切」「人は殺しちゃいけん」と言いながら、子を殴る親、殴る教師、躾には暴力が必要という感覚がこの国には染みついていると日ごろ感じているからです。裁判員制度に素人が導入されるということは、そういう感覚が導入されるのではないか。つまり「お前、死刑」という感覚が増えるのではないかと思っていました。

 でも、「素人が恐ろしくてそうそう死刑判決など出されん」という意見も聞きました。それこそ、裁判員制度を導入すれば素人は死刑判決を出さないという意見が勝ったんですかね。それとも死刑制度のことなど無視されたまま導入されたんですかね。細かいところは私にはわかりません。

 実際に数字を出してみました。
 2005年から今日まで。裁判員裁判では2010年11月16日に初めて死刑判決が出されたのですが、今年の9月までに裁判員裁判で死刑求刑は27件、死刑判決は20件。それ以前を見ていると、05年が死刑求刑24件(死刑判決13件)、06年が22件(13件)、07年が21件(14件)、08年が12件(5件)と、死刑求刑が結構多かったんですね。判決も結構な数字です。

 裁判員制度が導入されてどうなったかというと、死刑求刑自体が減っているが、10年が求刑が5で判決が3、11年が10件で9、12年が6件で3、13年が6件で5、12年は半分と少ないですが、死刑が求刑されれば死刑になるという感じです。

 ついでに無期懲役も調べてみました。
 2010年は無期懲役の求刑は1件でそのまま無期判決、2011年は34件の無期懲役が求刑され33件の無期懲役が言い渡され、12年には27件の求刑に対し28件の無期懲役判決が言い渡されています。それ以前の無期懲役件数は調べられなかったので、比較はできないのですが、無期懲役は多いと思います。
 それと死刑求刑とを考えると、判決自体が重くなっていると思います。
 
もう少しきちんと調べれば良かったのですが、この2~3日でバタバタとしたもので、すみません。

 結局、裁判員制度は素人を入れるということで、死刑にするのか無期懲役にするのかという判断をさせること事態が重いことです。そこで、「無期懲役、一応、殺さないよ、命はあるよというところにすればいけるんじゃないか」と、お上は考えたんじゃないですかねぇ。少なくとも私はそう思っています。

 死刑求刑は少ないが確実に判決は取りに行っている。裁判員たちは、裁判官に「死刑だ」と言われたら「判例的にそうなんですか」と聞くみたいです。そこで「判例では死刑だ」と言われたら仕方がない。そのまま死刑に流れてしまうと現場からは聞いています。
 ですから私は求刑の数が減る分、死刑判決の確率は高くなっていると結論付けました。
 無理やりじゃないですよね。この数字をみたら。

 ちなみに死刑執行がどうだったかといいますと、2005年が1、06年が4、すみません。人の命を数字で言うのは好きじゃないですが。07年が9、08年が15、09年が7、2007年と08年が突出してますけれど、これは第1次安倍内閣の長勢甚遠法務大臣が10人殺しています。そして福田政権の鳩山邦夫法務大臣が13人殺しています。本当にこの時代はひどくて「死刑廃止の暗黒の時代」と言っていますけれど。ジョークにならない話を鳩山さんは言っていました。ベルトコンベアー発言。死刑囚を荷物のように「ベルトコンベアーに乗せて順番にやってしまった方がいい」と。彼は「法律に則って」と言いたかったのでしょうか、いろいろと揶揄もされ、でもかわいそうじゃないですよね。それに「その通りだ」と応じる人もたくさんいたようです。実際に死刑執行がこれだけ行われているということは、戦後すぐの混乱期以降以来だと思います。

 では、裁判員制度が導入されてからはどうかというと、2010年は2人、11年は0、2012年は7、13年が6となっています。11年の0の後、この2年間ですでに13人の執行が行われているのです。あっという間にベルトコンベアーの時代を通り過ぎてしまうかもしれないという危機感を私は持っています。
 圧倒的な国家の暴力性、これに身がすくむ思いです。

 さらに悔しいことに、毎年1人から2人、獄死という形で死刑囚が死を迎えています。その死の報道は死刑執行の報道に比べてはるかに小さく、ほとんどの人が知ることも無く、無縁仏になる方もいます。
 
この獄中というのはすさまじい状況で、死刑囚に限らず勾留されている場というのは衛生的にも悪いし、鍵をかけられているだけではなく、いろいろな不自由があります。
 それにも関わらず、「死刑を廃止するために終身刑を導入したらどうか」という話がありますけれど、これには私は反対です。少なくとも、今の日本で終身刑、死ぬまで出さないということになれば、今の無期に加えて終身刑があり、死刑は残っていく、厳罰だけになると思います。今のこの国の人権感覚から見て、先に終身刑に飛びついて死刑廃止をというのはどうかなと思います。そういうことを言う人にはまず獄中処遇改善の運動をやってもらいたいと思います。ここで言うのもどうかと思いますが。
 
すみません。もう日ごろ思っていることを全部ぶちまけてしまって。

 一般市民の感覚について、お話しします。
 今年、裁判員制度見直しということでいろいろと書いています。先日、『朝日新聞』の記事について、「追求する会」の会議でも読み合わせをしたので紹介します。

 4年で3万9000人が裁判員や補充裁判員を務めて、そのうち171人が死刑判決に関わったということらしいです。17件の死刑判決に関わった裁判員経験者に取材をしていろいろな言葉を引き出しています。

 「相手の執行のことは知りたくない」「執行の報道があるたびにドキッとする」「結局、自分は人殺しだ」などと書かれています。「テレビを見ながら、こいつ死刑だ」というのとは全然違うということです。これは経験したものでないと全然わからないことだと。職業裁判官でもないのに死刑の重さを背負いきれないのではないかという記事もありました。

 そうかと思えば、『産経新聞』は、「もっと工夫して簡略化した裁判を求める」という記事を出しています。「評議に要した時間が当初の予定より1.4倍くらいになっている」とか、「審理が長期化している。簡略化してもっと簡単に終わるというのが裁判員裁判ではなかったのか、これは問題だ」とこういう論調でした。

 審理でカラー写真を見て急性ストレス障害になって国を訴えた女性がいらっしゃいました。その方のこともちらっと書いてありました。

 国賠までいかなくても、血の海、ちぎれた身体などの写真は、ドラマとは違う臨場感で撮られていると思いますので、衝撃は大きいと思います。しかもどういう風に殺した、殺されたと蕩々と聞く訳ですから。それを聞きながらその写真を見ると言うことは、その場に自分がいるような思いになるでしょう。『産経新聞』はそれらの問題をさらさらっと流していました。

 それと「暴力団関係者の公判を対象から除外する」という議論が進んでいると書いてありました。決まったとは書いてなかったですね。

 裁判員法では、「裁判員に危害が及ぶ恐れがある場合は裁判官だけで審理する」とありますので、これをもっと運用できるのではないかという声が上がっているんですね。裁判員裁判では裁判員は相手、被告人やその関係者に顔を見られてしまう。相手が暴力団だった場合、恨みとか敵討ちに合うんじゃないかと思う。自分で死刑判決出しておいて、そんなこと恐れるんじゃないよと思うけれども、やはり素人なんですね。その日だけ裁判官の人にとっては、そんな重荷は背負いきれないはずなんです。そんなこと、最初から分かっていたはずなんです。それを今になって新聞は書いてみるという感じですかね。

 アンケート会社の記事があります。実は私、ここのアンケート会社の会員です。
 
自分が受けたアンケートについては、守秘義務があって言えないのですが、たまたまアンケートしなかったので、良いかなと思うのですが。

 リサーチパネルという会社が行った「裁判員をやりたいか」というアンケートですが、人数がすごいです。回答者数3万7110人です。ネットですが、それ以上の人に配っているということになります。

 「裁判員をやりたいか」に思うという人が19.3%、思わないが79.5%、裁判員制度を知らない1.1%、まあ呑気な人がいます(笑)。やりたいと言う人が10人に1人いる。死刑判決を出したい、自分が死刑だと言ってやりたいという人が結構いるんです。そこが脅威です。

 やりたくないという人でも、「仕事が忙しい」とか「人のお手伝いなんて余裕がないです」とか、ものすごく軽い、真剣に考えないで軽いノリで「やれない」と答えている。軽いアンケートだと思うのですが、これが現実じゃないですか。

 候補経験者からの声としては、「一度裁判員候補で一年間過ごしたが、送られてきた小冊子を読むと、責任は大きく、拘束期間も長い。勤め人が気軽にできるものじゃない」と書いている。
 
この軽い書き方、このアンケートを掲載した『瞬刊!リサーチ』は裁判員制度推進派なんですかね。

 やはり、『朝日新聞』が書いていたように、人の命を扱うということは自分がボタンを押すわけではないけれど、人殺しになってしまうということがたまらないというのは、ちゃんと想像力を持っていろいろ考えて。まあ『朝日新聞』に出てきた人は経験者ですから違うのかもしれません。

 私は、ツイッターとかよくやるんですが、死刑執行があったときには抗議の文章をガンガン入れるんです。そういったときに来る反応というのは、「お前、家族が殺されても死刑と言わないのか」とか「オウムはどうなんだ」とか、やはりいろんなことを言われます。「国家に殺されたくない」とかお行儀の良いことを言いますし、「殺したいよ。でも、この手で八つ裂きにしてやりたい。そうじゃないでしょ。それに殺した人の家族はどうなる。やはりイヤだ」とか真剣にやり取りをするんです。ツイッターでも話をしていくと、深いところまで話ができる。「実は遺族だった」とか。

 私は、死刑廃止運動をやっている中で、裁判員制度廃止運動に取り組んでますけれども、やはり死刑制度を補完する、強化するのが裁判員制度だと日常的に思うようになりました。知り合いが候補として呼ばれるということは少ないですが、1件でもあれば、考える切っ掛けになると思うんです。自分のことにいかに引きつけて考えられるかということは人間として問われるのではないですか。でも、今の時代はそういうことを考えないように、とりあえず今、目の前にあることだけで楽しめるように、刺激を楽しめるように持って行っているのがこの裁判員制度で、ゲーム感覚で人を裁けるようなシステムだと思うのです。結果的に、やっていることも人間を駄目にしていっている、駄目というのもおかしいけれど、考えないようにしていっている。裁判員制度を打ち崩さなければ、死刑制度も倒れないと思っています。
 以上です。

司会:李弁護士
 
まえださん、ありがとうございました。
 
今の話を受けてご意見がある方、どなたでも構いません。この裁判員制度と死刑について自由討論ですから、思ったことをそのまんま、おられませんか。

 以下、自由討論。なお、インコにはお名前がよくわからないので、わからないところは女性、男性としか書いておりません)

 女性:質問。アンケート会社ってどんな会社ですか。

 まえださん:リサーチ・パレードという会社ですが、企業に頼まれたり、内閣府から頼まれたり、いろんなところから、アンケートを専業でやっているんです。ネットアンケートはものすごくたくさんあるんです。職業、年齢、性別、趣味など別に毎日いろんなアンケートが送られてくるんです。それに答えるとポイントがもらえて換金できたり、商品に替えたりすることができるんです。

 女性:みなさん、ご存じでしたか。

 男性:アンケートに答えたら商品がもらえるというのはありますね。

 まえださん:基本的にはマーケティングなんです。リサーチですね。どういった商品が売れるかとか、それに合わせて商品開発する。その商品は旅行とか、ものすごく幅広いんです。それで死刑とかもアンケートになっています。

 男性:商品って商売じゃないですか。裁判員制度って商売と結びつくんですか。

 まえださん:依頼したところが、内閣府だったり、マスコミだったりというのもあるんだと思います。

 男性:私たちの思いつかないようなところで利益が出ているのかも知れません。裁判員制度で六法全書が売れるとか。

 まえださん:政府や政党などもリサーチすることで、市民が望むような施策をとりあえず言ってみるとかはするんです。裁判員制度開始前も散々リサーチがありました。情報戦ですね。

 李弁護士:三上さん、どうですか。

 三上さん:北九州から来ました。去年の5月の裁判員制度反対集会に行ってのち、横断幕も開いてなくて、全く実際的な行動ができていません。ほんとに、先ほど、渡邊さんが仰ってたように、日本の国がなんとも言えない方向に、こんなにも簡単に動いていくものなのかと。嘆き悲しんではいてられないのですが、なかなか気持ちが明るい方向に行くのが厳しい。その中でも裁判員制度は、教科書に載せて教育の場でも出ている、子ども達に裁判に制度を教えているというニュースで見て、腹立たしい思いをしました。

 ほんとうに何ができるのか、何をやったらいいのかと思わない訳ではないのですが、なかなか道が開けていないというのが私の今の状況です。
 
ほんとうに止めてほしい。こんな制度はほんとうに潰れて欲しい。それが今の気持ちです。

 男性:私はさっき、渡辺さんの話を聞いて、胸がドキドキしてきました。新聞なんかでは、安倍さんがいろんなことをやるのを腹立たしく思いながら、一つひとつ進んでいるんだなとしか受け止めない。先ほどのお話の中でIMFの世界経済への関わりなどの見方が、私なんかはユーロ危機がどのように進んでいるのかなとかばかりに気を取られ、それがどういう風になっているのか知りたいということばかりで記事を読むもんだから、渡辺さんが見られたような視角から見ることがなかったなぁと。それがどっきりしたんですが。今日は改めて、これは毎度なんですが、頭を殴られたような気持ちで話を聞いていました。ありがとうございました。

 男性:死刑制度について、世界中で死刑廃止が進んでいる中で、日本の場合はちょっと特殊じゃないかなと思っているんです。ユーロの場合は、ユーロに加盟する条件の中に人権問題、死刑が存置されていれば絶対にユーロに入れない。そういうことってありますよね。IMFとの問題ともダブルんですが、今は資本主義社会とか社会主義社会とか区別がなくて、片方で非常に悪辣なことをやりながら、片方でそれをカバーする福祉国家的なやり方とか、人権擁護的な生き方とか、両面をいつも持ちながらやっている。だから、渡辺さんが仰った視角から見るのはなかなか僕には難しいなと、お話しを聞きました。

 男性:私は裁判員制度には当初から反対でしたが、裁判員制度は一般常識から離れている裁判官に一般の普通の感覚を持ち込む一点だけは良い物だと思っていた。毎日、新聞よんだりしていると、たまに裁判員裁判で無罪判決が出たりするけれでも、でも、死刑判決もあったりで、どうも一般の裁判員というのは裁判官の意見に引きずられているのではないかと感じたりもして。3年経ったら裁判員制度は一度見直しますというのも、もう4年になっていますが、正直なところ、欺されたというのが正直な感想です。

 男性:前から疑問に思っていたんですけれど、裁判員制度は、裁判官と一般人の感覚のズレかな、それがあるから取り入れたというのですけれど、だったら裁判官とかそういう偉い人も何年に1度はその職務を離れて一般人として暮らしてみると、そういうことをやった方がいいんじゃないかなと。なぜやらないのかなというのが素人の素朴な疑問です。
 
会社の代理人の弁護士ともやりあってますが、福岡弁護士会の会長をやっているような人は私たちと感覚が違って、出してきた書面は全部インターネットのコピーなんです。私たちのような一般人にはこれで十分だと思っているのでしょうが、ああいう人たちが庶民の感覚を理解するためには、時々、庶民として暮らしてみると。まあ、つまらない話でした。

 女性:日ごろ付き合っている人権派と言われる弁護士さんの中で、反対派と言われる人と、えっあの弁護士さんは賛成なのと言われる人がいらっしゃる。裁判員裁判が始まって、短期間で集中審理をしなければならないし、プレゼンテーション能力が問われるようになったとか聞くんですけれど、施行された後、実際、弁護士さんの間での声で良かったというのはあるんでしょうか。裁判員裁判を担っている側には。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 李弁護士:この会場では私が弁護士なんですが、私は裁判員裁判を経験していません。で、経験した弁護士からの話ですと、「裁判員裁判はとんでもなかった」という人と、「案外、裁判員がいて刑が軽くなったよ」という人と二通りあるようです。これは検証してみないとなんとも言えないんですけれども、現状、そうです。とんでもないというのは、公判前整理手続きで公判では言えることが非常に限られていて、短期間で終わって十分な弁護が出来なかった、故に重たくなった、あるいは有罪になったと。結果から見て、有罪になればとんでもないと、軽ければ良かったとなるのかもしれませんけれども、ともかく二つに分かれている。

 ただ、私は、第1審が裁判員裁判の殺人未遂事件で、高等裁判所、控訴審で担当しましたので、間接的に関与しました。その時、1審を担当した弁護士から聞き、あるいは裁判所にある1審の裁判記録を見たときに、かつて私が経験した裁判の記録とは格段に違います。殺人未遂事件、しかもこれは否認事件ですから、裁判の記録はこんなに厚く高くなるんですが、非常に薄い。というのは、いろいろな周辺証拠というのは、公判前整理手続きで全部削ぎ落とされており、裁判には出て来ない。要するに記録として残らない。だから他にオープンになっていない証拠、検察官から出されていない証拠に大切なものがあるかもしれないと気づいて、高等裁判所で出そうとすると、裁判官がそれを見ようとすることはなかなかないと実感しました。

 そういう経験があります。これから実際に経験した人の話を聞いて、良いか悪いかというより、私が直に経験した部分では、非常にやりにくい。被告人の弁護はやりにくいということを実感しました。それは高等裁判所になってからですけれどね。

 渡辺共同代表:弁護士の間で議論が分かれているということなんですね。私たちが最初に作ったのは「おかしいぞ日弁連」だったんですね。実を言いますと、私も昔は弁護士だったんですけれど、弁護士業界から事実上、追い出されたのか,おん出たのかわかりませんが、今年の初めに弁護士資格を返上しました。弁護士にとってこれが良いのか悪いのかというと、自分の依頼者に良い判決が出れば、とりあえずは良い制度なんですね。だけど、この仕組み、一つは老人介護とか老老介護とか、家族の介護責任とか、庶民の中ではあんな苦労した人では、ということで従来より少しは和らいでます。ただ、これは良いとか悪いとか検証ができていないです。子殺しは罪ならないという文化を日本は持っていますからね。

 もう一つ、社会全体、社会の秩序を乱すような罪、恐怖心を与えるような罪には、ものすごい重罰化がなされているんですね。裁判員が入った裁判だけでなく、全体の枠組みがものすごく重罰化されています。交通事故一つとっても、枠組みが違うような重罰化がなされています。暴力団に関しては、2件、裁判員を排除して裁判官だけで審議するという事例が出ました。まえださんが先ほど仰ったように市民の感覚では非日常的で怖いということに乗じているんですけどね。暴力団はどちらにしても異端者だと、社会から排除すべき人だ、抹殺すべきグループだと特別視していくんですね。1995年のオウムのときがそうでしたよね。その直前までは死刑廃止運動というのは非常に、日本でも「地球が決めた死刑廃止」ということで盛り上がっていました。ところが、オウム事件が起きてからは「あれはオウムなんだから」ということで一挙にそれが崩れてしまいましたね。特別視するわけですね。その前は、「あれは過激派集団だから」というのもありました。次々、異端して排除していく。先ほどのリサーチ会社じゃないですが、世論調査でできていくことなんですね。

 司法というのは、きちんと定められた法律の中で適正手続きを持ちながら行われていくことに民主主義とは違う理念を持っているということなんです。大岡裁きはないということなんです。それが社会の中で一定の層、一定のグループを特別視することで崩されていく。裁判員制度がそれに加担していると思います。裁判員制度も裁判の仕組みの中で裁判員は裁判官の訴訟指揮の下に強固に置かされている。それはなかなか表に出ない。裁判員の感覚は説得されていくのです。私たちがよく問題にしていたのは、裁判員選任のときに「私は死刑に反対ですから絶対に死刑判決には賛成しません」という意思表示をしたらクジに当たっても絶対に選任されないということです。

 それから、審議の中でも、自分は無罪だと思っていても、多数決で一つひとつを決めていきますから、多数決の結論に従って意思表示がさせられます。「私はどうみても彼、彼女はやっていないと思う」と言っても、多数決で有罪だとなると、有罪として量刑はいくらかと表明させられるんですよ。それこそ、「君が代に心を渡さない」ではないですけれど、自分の良心に反した意思表示をさせられる。とことん、権力構造が心の中に土足で踏み込んでくるんです。だから恐ろしい。私は行かないだけでは済まない問題であり、「良心への赤紙」だということです。

 4年半にもなると、裁判員制度の仕組みなど、いろいろなことが分かっているものとして置いてきぼりになります。大元の構図としてそこの所へ立ち戻っていただきたい。日々、被告人は言いたいことも言えない権利状態になっている。国民の一人ひとりの良心が権力に踏み込まれている。日弁連も司法制度改革が始まる前、陪審制を権力の裁判よりは隣人の裁判が良いと陪審制を推進してきたのです。しかし、司法制度改革審議会で陪審制が否定され、その代わりに官が統制する裁判員制度というおかしなおかしな日本独特の仕組みが織り込まれたのです。日弁連が陪審制度の闘いに敗北した中で生まれてきたのです。

 日弁連の主要な部分とまではいいません、あの当時は五分五分、少なくても6対4くらいまでは(賛成反対)がいっていましたから、半分か半分ちょっとの人たちが、裁判員制度を「司法の民主化、陪審制度の第一歩」だという旗振り役をやったのです。

 これに対し、福岡では私や李さん、他の人もいますが「おかしいよ」と言い続けてきました。全国的には高山弁護士が中心となって問題を曝いてこられた。また、東北大学の小田中先生とかがわかりやすく問題を解いてこられた。

 先ほどのアンケートで思い出したのですが、少しずつ歩み寄っていったり、良いところだけピックアップしてみたりとか、おもねるような雰囲気を作っていくんですね。マスコミなんかもかなりの危機意識を持って報道していました。ところが1年2年と経つうちにこの制度が当然のものとして報道しかしなくなりました。

 ですから今、裁判員制度の報道は死刑判決が出たときとか、この前のPTSDの国賠訴訟といった特別なときしか報道しない。もう制度が当たり前のものとしてマスコミは見ているからです。

 ほとんどの人は、私もそうですが、マスコミを通じてしか世の中の情報が掴めない人はマスコミの論調が変わるということは自分の頭の中も変わるということなんですね。

 話が逸れますが、先ほどIMFのことでコメントをいただきました。こういうのも債務国、もう国が破綻したような国に世界各国が出したお金を、日本もかなり出していますが、「お金を貸しますよ」といかにも平等化、助けていくようなスタイルを使って、貸し付けていくんですね。ところがその条件というのが、グローバル資本が完全にその国に入り、自由に活動できるような仕組み、法律の仕組みを作ることなんです。弱い国、ちょっと開発が遅れていた国などはいっぺんに壊されてしまうんですね。一頃アジアで起こり、今アフリカで起こり、南アメリカでも起こっている。南アメリカではちょっと反乱も起きていましたが。その中で貧富の差なんかも拡大していき、内乱状況などを起こし、いかにも宗教戦争のようなことを言いながら。しかし、ああいった内乱もグローバル資本が生き延びるために利用されているんですよね。そこの構造がなかなか見えないけれども、自分がああこの人はと思ったような人たちの書いた本を手に入れて、少し丁寧に読んでいけばわかるんじゃないかなという気がします。

 ちょっと長く喋り過ぎなんですが、もう一つ。みなさん、ご存じかも知れませんが、国際連合が人間の安全保障という考え方を1990年代前半に出しましたよね。緒方貞子さんとかが。国家の安全保障ではなく多面的な人間保障として。実を言うと、これもグローバルな資本主義社会の矛盾が世界的に広まってきたから、こういうところに出たんですよね。これも一歩前進なんだけれども、やはりこれはおかしいということで、小倉利丸さんなんかが民衆の安全保障ということを提起しています。民衆の安全保障というのは、国家を主体としない。原則的に非暴力です。私も国連の人間の安全保障というのは聞いていましたが、これにアンチして、民衆の安全保障ということがかなり強く社会運動の歴史の中で言われているんですね。詳しくは知りませんが沖縄のサミットのとき、この考え方について、沖縄では元々、民衆の闘いには自らが主体となって安全を守っていくしかないんだという問題提起がなされている。ちょっと説明になっていませんが、民衆の安全保障ということが社会運動の中では提起されていることをどこかでまた調べてみてください。

 三上さん:去年、ノルウェーで70数人が射殺された事件がありましたが、犯人は死刑になっていません。このことを日本のマスコミはほとんど報道しませんでした。そのことを取り上げないマスコミというのは、私たち読者に何を伝えたいのかと思います。殺された人の肉親である若い女性が「これだけの憎しみを彼に出させたものを」と、言葉を忘れてしまいましたが、事件直後に罪を許すという言葉が出る。涙が出ます。事件の詳細も忘れてしまいましたが、そのことだけは言いたいと思いました。

 李弁護士:今の三上さんの話の補足ですが、「それほどまでの憎しみを持つエネルギーをその事件を起こした人を更生させるというか、受け容れる赦しのためのエネルギーに差し向けることができるんじゃないか」というのが被害者遺族の言葉でしたね。
 
さて、裁判員制度に対して日ごろ思っていること、伝えておきたいことがありませんか。

男性:事務局の方から案内を何度かいただいて参加させてもらっていますが、私がここに参加する理由は、裁判員の召集が来たらどうしよう、怖くてなりたくないというのがあるんです。なりたくないし、もし、そういうのが来たらどうしたらいいのか、こちらには弁護士さんもいらっしゃるというので、それをお尋ねしたい。人が罪を犯すのはそれぞれ理由があると思いますが、私如きが、犯罪を裁くなんてことはできない。ましてや死刑なんて。いかに検察や警察が証拠というものを出してきたところで、判断できないと思うのです。もし、私に召集が来た場合、辞退をしたいと思っていますが、どうしたら良いでしょうか。

李弁護士:私が聞いている拒否した人には二通りありまして、名簿に登載されたときに尋ねられる質問票に答えない、また、次に出頭してくださいという呼出状が来たときに出頭自体をしない、理由もいわないという全面的な拒否、ボイコットですね、そのケースがあります。書面で拒否をする、書面自体も出さないという拒否ですが、10万円以下の過料、あやまちりょうが科せられることになっているんですが、未だかつて科された人は1人もいない。

 もう一つのやり方は、実際に呼出状があって出頭する。「追求する会」を一緒にやっていた人の場合は、私たちも地裁で門前抗議行動をやり、その人はゼッケンをつけて抽選会場まで入っていった。結果、選ばれませんでした。そういう積極的な姿勢を示して選ばれずに帰って来る。

 書面段階で拒否をする。出て行って拒否をする。大きくはその2つで裁判員にならずに済んでいるのが、私が知っている実情です。

質問者の男性:それは無視をしていいということ。そうすればいいということ。

李弁護士:無視をしていいとは、私はなかなか言えないんですよ(笑)。実情としてはそうだということです。

質問者の男性:その~やり過ごすことはできるということですか。

李弁護士:病気になったという人もいますし、これこれの仕事が忙しいと言うことができる人もいますね。

質問者の男性:理由を申し述べなきゃいけない…

李弁護士:理由自体を申し述べずに

質問者の男性:拒否することはできる…

李弁護士:理由自体を述べずに出て来ない人もいる。理由自体も述べない…

質問者の男性:それで通る…

李弁護士:通るというか今のところは罰せられてはいない。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ここで空調の不具合ということで10分間の休憩…
(1羽で扇風機を独占しているインコ…)

李弁護士:再開いたしましょう。会場にいらしている方で発言しておかれたい方、はいどうぞ。

男性:原発反対、死刑反対、裁判員制度反対といろいろありますよね。なんか見とって、運動的な形で盛り上がってこない。先に渡邊先生言われたんですけれども、裁判員制度始まるときは…オウムの関係でこうなるとか…私思うんですが、一般市民とか国民とか考えるときに放ったらかしにしておったら、新自由主義を擁護する市民、国民ですね、一般的ではないかと思うですね。それを考えながらこういう運動をしてるんじゃないかなと思うんですね。私たち一人ひとりが死刑制度にしろ、裁判員制度にしろ反対する根本はなんなのかということを明確にしていくということね。今の社会が新自由主義社会ね、小泉さんから安倍さんまでずーっと、今度は世界からも日本が右傾化したと言われるくらい堂々としている形がある。そう意味でも問題点が風化していく気がしてならない。

 なぜそういうかというと、私は26年前に国鉄分割・民営化で労働組合に所属していたが故に解雇された1人なんですね。北海道の事故が多発というのはわかります。あれを見て途轍もない腹立たしさを感じるんだけれども、それはいわゆる何人かであって、ほとんどの人はそうではないのじゃないか。テレビで見ていても、北海道の事故の原因はなんなんだと、評論家が言うことはなんてことない「人が不足しているんだ」「技術が落ちているんだ」「修繕するモノがなくなっているんだ」とそういうことだけが原因なんだと。それで終わっていったんですね。そこで言いたいのは、起こった事象としては人が少なかったり修繕する部品がなかったりでしょうが、原因は違う。

 原因は分割・民営化した26年前、あれがこの事故を起こしているんだよと。今はたまたま北海道で起こっておりますが、これは日本の全国の鉄道で起こっている。尼崎事故で多数死んだ。あのときだって運転手が悪いかのようにばーんとやられていった。しかし、あの運転手は新幹線の運転手になりたいと子どものころからですね。ところが内部は分割・民営化の当時のように、社内教育で1分でも遅れたら処分ですね。そしてあの運転手は「新幹線の運転手にはなれんぞ」と脅されていたんですね。だから遅れを取り戻そうとスピードを上げたんだろうと思うんです。私も運転手だからわかるんですけれど。しかし、目先の処分が怖かったという形で尼崎の事故が起きたと思うんです。

 しかし、尼崎事故では社長以下無罪が出ましたよね。いわゆる企業が人殺しをしたら罪にならない。この日本の制度に憤りを感じる。原発なんてそうじゃないかと。あれだけの事故を起こして、確かにバタバタと人間が倒れて死んでいないということがあるかもしれないけれど、今から5年先、10年後にどれだけの人が白血病や後遺症になるかわからない。

この現実をみると腹立たしい。

 裁判員制度しかり、死刑廃止しかり、運動する私たちがここに集会やら出て来るときには学んで「そうだよな」となるんですが、それを頭の中に置いてしまっている。それじゃあ一歩も広がっていかないんじゃないかな。

 それで、私は隣組の会議やらでこの話を持ちかけていく。あるときは「あの人は変わっとるね」と言われることもありますが、あるときは盛り上がってしまって、「もう少し教えて」という人もいると。また、自分の友人・知人に話をしていくと。こういう形をとっていかないと残っていかないのではないだろうか。金太郎飴では広がっていかないだろう。一人ひとりがそうやって語りかけていかないと。集会終わったらデモやりましょうよというのも、知ってもらうということで良いことだと思う。裁判員制度のおかしさ、死刑制度のおかしさを多くの人に知ってもらうのが課題だろう。

 死刑制度については、悪い奴は殺していいじゃないかとなっとるような。なぜ、死刑制度が必要なのか利用されているだけではないかということを知ってもらいたい。

李弁護士:北海道の事故は分割・民営化が出発点だと。裁判員制度にしろ、死刑制度にしろ本質はなんなんだという問いかけでした。隣の人に本質はこうなんだよと話をしていくとこに。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA渡辺代表:本質というのは人によって取りようもあるし。何が本質ですよとは言えないし。一人ひとり違うとは思うんですけどね。法律の仕組み、こんな裁判の仕組みで良いと思いますかとかね。なんで2004年にこんな制度が出てこやんとあかんかったのか考えてみようとかね。私だったらそういう形でしか語りかけていけない。それをどう本質ということに絞られていくかは難しいですね。

 それと隣組の話ですけど、聞いて怖いです。なかなか言い切らんというかね。東京の杉並区なんかね、そういう長年にわたって作ってきた隣組なんかならあれなんですけど、今のところはせいぜい幾らか安心して喋れるか、それとも一対一で喋れるか、街頭アピールとか、ある意味竦んでるのかもしれませんが、中心におった人間がどんどん崩されていっているのが今までの歴史だし。せめて崩されないように核は自分の中に持っておきたいなと。これは回答にならないかと思いますが、先日、サウンドデモの中間報告会に行って、そこで「君が代に心は渡さない」という裁判闘争記を読んだことがなかったので読んでみて衝撃を受けました。なんかよくもまあ見事な闘いだとは思うのだけれども、一人ひとりの教師の心の思いみたいなのが最前線に立たなきゃいけないというのかね。裁判員制度反対なんかも私たちは「一人の拒否からみんなの拒否へ」なんか言ってるけど、ぎりぎりのところでなんか裸にされたような闘いしかできないのかという気もします。

 事故についていえば、国鉄3分割が原因だと言えるかもしれんけど、私なんかの年代になると、三池炭鉱が潰されたときにあの事故が起きた。そっちの方がより衝撃的ですね。やはり働く現場の労働者の総意、自主性を潰し、利益優先に効率的に合理化していくなかで次々に起きてくる訳ですからね。

 やはりそれぞれが向き合って、この事件については直近の何が引き金だろうか、その後ろにどういう考え方があるんだろうか、どういう仕組みがあるんだろうかと、一人ひとりができることで追求していくことじゃないかなと思いました。

 君が代裁判の経緯をみても、最初は権威的に校長から命令されるのに反発した、段々、国旗・国歌法が出来ていく中で、自分たちは何を問うているのだろうと思っているところで、子ども自身の良心、教育における内心の自由、労働者の働く現場における自由など多面的に問題が出されてきた。

だからあんまり、底へ底をと追求することも必要なんだろうけど、一つの事として絞り上げる必要はないんじゃないかなという気がします。

男性:死刑反対について、死刑になるような人は極悪犯罪人やないですか。だから死刑やとなっている。人を殺したからお前も死ねという格好で。死刑というのはなんちゃことない。だれかが殺す。国家ですよね。国家が殺していく。しかし、それだって結局、人を殺すことに間違いないやないですか。人を殺してはならないんだ。国家がとるべき道は、その人をどのように改悛させ、人間として立ち直るような形のものをどれだけ努力してやったのかというね。そういうことを国家がやらずして、判決をしたらずーっと監獄に入れとって、ポンとやるというね、そういう形が断じて許されないんだと。だから私は死刑に反対なんだと。ずっとこう言ってますがね。

渡辺代表:私は正直言って、自分が30代半ばになるまで、死刑制度について賛成も反対もなかったですね。個々のえん罪事件については関心を示すことになっても。はっきり言って弁護士になった頃から免田さんの事件やらが出て来る中でいろんなことを考えて、今仰ったように命というものに絶対的な基準を置いて、人を殺そうが何をしようが国家が殺すのがあかんと反対する人もおるし、あるべき国の文化のレベルとして反対する人もおるし、多様なものを含んでいると思うのですよ。

 だから、死刑制度の廃止というのは絶対に多数決ではいかないと思います。ごめんなさい。また、各人各様あらーなで流しても。ここでいつか、まとめて喋ったこともあったけど、一言では言えないんだけれども、命は絶対尊きものなんだから、だれが殺してもいけないんだという理屈だけでは、また、違った形で反論する人を打ち切らんじゃないかなと思って。一方的に何回も自分はなんで反対するんだろうと問うていくしかないんじゃないかな。

 団藤重光さんは法律家には影響力のあった人なんですけども、死刑制度を容認して最高裁判事までなったんですけれども、やっぱり法廷で「人殺し」と叫ばれたときに、彼はそれと正面から向き合い、そこから死刑制度廃止の法律論を、法律家や学者やそれなりの人が納得できる論を展開していったんですよね。各人が置かれている場で説得できる理屈、通じ合うような了解点をどう作っていくですね。私はこの頃、いつもそういう風に考えてしまいます。

 それから、私、うまく説明できないんですけれど、特定秘密保護法案が急浮上してますよね。秘密保全法が出て、共謀罪が出て、これを取り組んでいる方たちから、アピールでもしていただけたらと思うんですけど。

(ここでさざ波のように広がる「真昭さん」というお名前)

木村真昭さん:秘密法の反対運動を作ろうということで、10月10日、準備会を行います。10月27日、集会をもとう、まあ学習会ですね。ご承知のとおり、パブリックコメントもわずか2週間で9万を超える意見が寄せられたということで、みなさん方もぜひご参加ください。講師も交渉中で、今、準備中ということになりますが、10月27日(*)の集会場所はここです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

女性:地元での反対集会ということですね。

木村さん:そうです。いろいろな考え方があると思うのですが、憲法改正の条文を見ても、自民党議員たちが何も分かっていない。やはり県選出の国会議員事務所にも反対だよという意見書を出そうとか、おかしいんだよという取り組みをしていこうと。とりあえず、いろんなアイデアを持ち寄ろうとしていますので。良い知恵を集めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。とりあえずの連絡係は脇さんがなってくれています。押しつけた訳です(笑)。買って出た訳ではないので(笑)

(*)変更のお知らせ:集会は11月16日(土)午後1時30分~場所は農民会館(福岡市今泉)です

 李弁護士:特定秘密保全保護法ですね。裁判員制度の話になぞられてみると、裁判員の人たちに課せられているのも守秘義務で6ヶ月以下の懲役、50万円以下の罰金と。特定秘密保全法の場合は公務員が重罰化されていて、公務員をそそのかした民間人も含めて処罰されるということですね。そこは裁判員制度が先取りされていますよね。死刑もあり得る刑事事件の評議について、官と民が話し合った中身ですね、民のみが罰せられる。こちらの法律は官と民が合わせて罰せられるようで、ある意味、裁判員制度が「赤紙」で強制されて守秘義務まで課せられて罰せられる可能性があると。そして取り込まれていくという意味では、今回の秘密保全の法律についても繋がっている部分があると言えば、あると思います。

 先ほどの裁判員制度の本質はという点においては、九大の斎藤先生も言われていましたが、「民営化」「裁判員制度は裁判員という民間人を民間人のままで公権力を行使させる、いわゆる裁判の民営化だ」と。先ほどの国鉄の民営化となぞらえれば同じ流れにあるのかなとも思います。

 じゃあ、民営化して責任を取るのかというと、社長が全部無罪になって責任の所在はどこにということになったように、裁判員裁判も裁判員は匿名ですから責任の所在はおっかぶせられないと。本来ならば責任をおっかぶせられた方が本人たちも楽であろうと思うんですがね。裁判員たちは実際に死刑判決に関わったり、むごたらしい写真を見て心が病んでいくということですね。罰せられでもしたら少しは楽になるんでしょうけどね(笑)。

 JRの社長たちも無罪になっても心は苦しいはずなんですよね。そういった民営化といったくくりで言えば共通しているのかなと思いました。それは私の感想です。

 集会も終盤になってきています。
 
次回の集会をいつ持とうかということもありますが、そこに向けていろいろ、今日、みなさんからお話しがあったことを整理して、事務局で共有して次回の集会に反映させたいと思います。

 今までこの裁判員制度の運動で福岡から裁判員制度いらないインコちゃんも含めてですね、斎藤先生、内田先生(内田博文神戸学院大学教授)と、そういった人たちが福岡から東京の方へ行って運動の中心を担い続けているという実情にあるようですから、福岡もなおこれから頑張っていきましょう。

 なお、インコちゃんからメッセージがあるようです。
 
本人は喋れないようですから(笑)代読していただきます。

インコ(代読・R子ちゃん):裁判員制度廃止インコからのお願い。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
 不出頭で処罰された人はいません。そして今回の国賠裁判にびびった最高裁は、精神負担を言えば裁判員にならなくて済むようにしました。裁判官は裁判員のメンタルケアに務めよと言われています。裁判官は被告人に配慮せず、裁判員にのみ配慮するのは、裁判員法の精神を体現したものです。

 裁判員裁判13件に1件の割合で裁判員が解任されています。1つの裁判で3人の裁判員が解任されたケースもあります。でもその理由は公表されていません。

 このことは、裁判員制度はいらないインコさんのホームページが詳しいです。裁判員制度の様々な問題を取り上げている「裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動」をぜひご覧ください。よろしく。

ということで、ホームページを見てほしいということです。みなさん、ぜひご覧ください。

 李弁護士:裁判員制度廃止インコちゃんからのメッセージでした。みなさん、ぜひホームページをご覧ください。
 
さて、もう時間も迫ってきております。後、次にデモとなりますけれども最後に、共同代表のもう一人の代表であります筒井さんからデモの案内も含めて集会締めのあいさつをお願いします。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA筒井修さん:みなさん、今日はお集まりいただいてありがとうございました。今日は改憲と裁判員制度と題して講演をお願いしていた高山先生が来られなかったんですが、みんなで意見を出し合って、問題意識を共有しあって、それはそれで良かったんじゃないかなと思っています。私が思うに、改憲で自民党がやろうとしているのは、憲法は、政権を縛るモノではなく国民が守るものというように性格を変えようとしているということです。まさに換骨奪胎というか、憲法そのものを根底からひっくり返そうとしている。その狙いというのは国民が憲法を守るんだという思想を植え付けようとしていると。国民を統治される主体から統治する主体へと意識を転換して、民衆を国家の側に取り込もうとしている。このような改憲と裁判員制度が表裏一体、それぞれの市民を裁かれる側から裁く側に取り込んでいく、動員していく。そしてそれの延長の元に戦争ができる国にしていこうと。そのためにはやはり憲法を変えなければ行けない。改憲の一里塚が裁判員制度ではないかと思っています。

 そういった意味において、裁判員制度そのものに反対する運動を福岡の地で作り上げていきたいOLYMPUS DIGITAL CAMERAと思います。

 デモはここから警固公園までおそらく1時間コースです。デモ申請は余裕を持って、今日は3時半から5時半まで取っています。片付けてデモに出たいと思います。
 
今日は本当にありがとうございました。

 李弁護士:みなさん、本当に今日は蒸し暑い中、外は若干涼しくなりましたが、本当にご参集いただきましてありがとうございました。次はデモです。よろしくお願いいたします。

 OLYMPUS DIGITAL CAMERAデモ 午後3時45分頃から約1時間のデモ。コースは中央市民センター出発~昭和通り~赤坂交差点右折~明治通り~西鉄グラントホテル前右折~きらめき通り~警固公園ゴール。

小雨のぱらつく中、交通整理ばためんおまわりしゃん18人に守られ、白バイ2台の付き添われてデモ隊は進むたい。しゃらに私服の怪しげなお兄しゃんとおじしゃんが5人付いてくるとね。

 昭和のノスタルジックなシュプレヒコールば行う筒井共同代表。

 だけん、まえだけいこちゃんの演説は良か。博多弁ば交えた語りかけは通行人ば引きつけたとたい。ちゃーそうか! けいこしゃんの演説ば引き立とうためにわざっち筒井しゃんは昭和んシュプレヒコールばやった…(多がと、そげなこつ考ておらんな…笑)

 途中で花束ば持ったお兄しゃんの抱きつかてくるハプニングもいり、楽しかったたい。

いらないインコの独り言
 
妄想老人の暴走には困ったものです。S弁護士はインコに対して文字どおり一宿一飯の恩義があるのにねwww どちらにしても裁判員制度廃止集会を妨害ってだれのために?

 

 

投稿:2013年10月19日

「解説・裁判員十七条憲法」 後編

原作:聖徳太子・超訳:インコ

 憲法十七条(ケンパフジフシチデウ)s04
 
 604年、推古天皇の時代に、聖徳太子が制定した17ヵ条の条令。群臣に垂示した訓戒で、和の精神を基とし、儒・仏の思想を調和し、君臣の道および諸人の則るべき道徳を示したもの。ただし、古くから後世の創作とする説があり、成立時期や作者を含め真偽は今でも問題になっている。なお、『日本書記』などの聖徳太子像は現在、虚構説が主流となっている。

 裁判員法百十三条(サイバンヰンハフヒャクジフサンデフ)
 
ちょうど1400年後の2004年、小泉内閣発足直後の時期に制定された百と13ヵ条。裁判官と国民に垂示した訓戒で、国民は国のために身を捧げる精神を基本とし、必罰の思想と国法に従う生き方を深く身につけよと諭し、またそこに向けて上手に国民を指導するのが裁判官のつとめだと訓導したもの。ただし、制定当初から国民の支持を得られず、圧倒的多数の国民が後世に残せないシロモノだと叫んだことで知られる。

トーザイ、さてさて道中双六は第二篇裁判所大広間の段でござりまする。ん? 今度は文楽調になっちゃった。どうもなけなしのガクがじゃましてあかん。

 【第十条】
忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

 忿を断ち憤りを表に出さず、ゆめゆめ発言を怒らざれ。一寸の虫けらにも五分くらいの魂は有るって。ドロボーだって三分の理が有るんだからね。血を見て平然の貴官よ、卒倒する裁判員もいると心得よ。PTSDに陥らせぬよう、国賠なんぞ起こさせぬよう、細心の注意をもって挙え。

【第十一条】
功過(こうか)を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず、事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。

 裁判員を良い気分にさせたかやってられへんという気分にさせたかを明らかに察して、賞罰必ず当てよ。ひとり結論の中身だけで有能無能を判定する能わず。所長・所長代行ら宜しくその基準にて出世左遷を吟味すべし。

 【第十二条】
国司(こくし)国造(くにつくり)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君なく、民に両主なし。

 裁判官も総務課長も裁判員を丁重に扱い、断じて偉そうな態度をとるへからす(←濁らない)。あんたらが偉いんやない、この制度を決めたお方が偉いんや。裁判員があんたらを敬ってもしゃぁない、この国を思うその心持ちだけを大事にして帰らせるんやで。

 【第十三条】
もろもろの官に任ずる者同じく職掌を知れ。あるいは病し、あるいは使して、事を闕(か)くことあらん。それあずかり聞くことなしというをもって、公務を防ぐることなかれ。

 貴官、出産しおりしとか支部回りなりしとか、かねて諸事あれこれつかまつり候へども、事ここに至りたるほどには腹括りてこの仕事に専念すへし。空気読めぬままにしょーもない奴らを相手に七転八倒せにゃならん時もこれあり。されど事情いかにあれ「わからん」の一語のみは発すること許さず。みんな無理してやってんだから、ひとたび言ってみよ、現場は大混乱。

【第十四条】
群臣百寮、嫉妬(しっと)あることなかれ。われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。ゆえに、智おのれに勝るときは則ち悦ばず、才おのれに優るときは則ち嫉妬(ねた)む。

 群卿百寮(裁判官たち)、嫉妬あることなかれ。おもてなし上手と隣部総括を嫉めば、やけに事件処理が早いと隣部総括から嫉まれる。嫉妬の患その極を知らず。我をおきて人はあらじなんて思ってる手合いばかり集まったって、基本がダメなんだから何やったってダメ(えーと、何の話だっけ。)。

【第十五条】
私に背(そむ)きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。上下和諧(わかい)せよ。それまたこの情(こころ)なるか。

 私心をきっぱり捨てて、公のために尽くしなさい。裁判官も国民もです。そう、上も下も心を一つにすることだ。えっ、和諧号も脱線転覆したじゃないかって? 話を脱線させないで。つまり何よりも大事なのは協調と親和ですね。この国をよくするために1億火の玉になりましょう、なりましょう。

【第十六条】
民を使うに時をもってするは、古の良き典なり。故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。

 民を使うに時を選ぶは基本のき、昔の人の良き教えなり。みんなもともとイヤがってるんだから、ますますイヤになるような時に呼び出したりしたらアカン。年末とか年度末とかはできるだけ避けようぞ。それを外して裁判所も結構気を使ってくれてるんだと思わせるところが大事なんよ。

【第十七条】
それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むへからす。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。故に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。

 それ事件は独り断むへからす。必ず裁判員とともによろしく論うよう雰囲気作りに精を出すへし。裁判員にはみなで論じて出した結論だって言うのんよ。そうすれば判決はいかにもリクツにかなっているように聞こえるもん。それでも気にする裁判員には、みなで出した結論だから責任を感じるには及ばないと諭(さと)すへし。

 さぁさぁさぁさぁ、
 一度に晴るる胸の内、空に知られし上野の仇討ち、武名は世々に鳴り響く、伊賀の水月影清き、今に誉れを残しけり

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投稿:2013年10月17日

寄稿 東京高裁逆転無期判決の正しい見方

東京高裁は、10月8日、千葉大生女性(21歳)に対する強盗殺人などの罪で死刑とした1審・千葉地裁の裁判員裁判判決を破棄し、無期懲役を言い渡しました。裁判長は「殺害態様は執拗で冷酷非情だが、殺害された被害者は1人で、計画性もなかった」とし、被害者が1人の殺人事件で、計画性がない場合には極刑が選択されていない傾向を踏まえ、「死刑選択の合理的で説得力のある理由とは言い難く、刑の選択に誤りがある」としたのです。裁判員裁判による死刑判決の破棄2例目、この判決に対し、検察は上告を検討しているそうです(なお、本論から外れますが、3審制は検察のためにあるのではない。検察上訴は禁止すべきです。)。星明かり上

 10月10日の朝日川柳には(「所詮前座の市民感覚」東京都林明倫)が選ばれました。ここにあるのは、「市民感覚を尊重するって言ってたけれど、ウソじゃん」という受け止め方。それは裁判員たちの判断は結局コケにされたという見方といってよいでしょう。

 1審の判断を是正する機会として作られている2審。裁判員裁判尊重論に立つと2審の是正機能をもっと弱めよということになります。投句者の林さんもこの意見なのでしょう。ですが、1審の裁判員裁判を2審の裁判官裁判でひっくり返すには慎重であるべき(あるいは、ひっくり返してはならない)という意見は正しいのでしょうか。  

  最高裁は、この問題に関して、1審裁判員裁判の判断はできるだけ尊重せよと言ったかと思うと、量刑判断は過去の例を参考にせよ(つまり、裁判員の判断に流されるな)と言ったりと、あっちに行ったりこっちに行ったり実にふらふら。ラスボスがふらふらすればノコノコなどの現場が混乱するのは当然。下級審裁判所は文字どおり混迷のまっただ中。

 それは違うという硬骨派2審裁判官は、裁判員の裁判だろうが何だろうが、1審がペケならペケにする。時流のりのりの迎合派は、はいわかりましたと1審判決に合格のお墨付きを出す。今回の高裁逆転は、混乱情勢の中の硬骨派裁判官による裁判だったという訳です。

 1人しか死亡させていないケースで死刑を言い渡すのはよほど特別の事情がある場合に限られ、原則は無期懲役どまりだと考えている刑事裁判官は非常に多いでしょう。実際、最高裁自身そう言ってきたのだから、そう思う裁判官がたくさんいてもおかしくない。たとえ裁判員の中に死刑を求める者がいても原則はまげられないと言う裁判官が多い中で、この1審裁判官たちは死刑判決にさっさと同意したということなのでしょうか。笑うおばけ

 さて、ポイントは「裁判員の中に死刑を求める者がいても」のところ。本当に裁判員の中に何が何でも死刑を求める者がいたのか、いたとしてもどれだけいたのか。裁判官3人が死刑判決に慎重な姿勢を堅持していたら、たいていの裁判員は、いかに悪逆非道の犯人だと思っても裁判官の判断には従ったと思います。無期懲役に手を挙げる裁判官に反発・抵抗して死刑にせよと最後まで迫った裁判員が多かったとはとても思えません。疑われるのは、実は裁判官の多くが率先して死刑に走ったのではないかということ。高裁の逆転判決で心底から安堵している1審の元裁判員がいるのではないかと私は考えます。

 つまり、深い意味で「裁判員たちの判断は結局コケにされている」のです。裁判員裁判は、政府や最高裁が主導し、日弁連やマスコミがお先棒担ぎをしてできた「もともと市民不在の裁判制度」。制度実現までの間に、裁判員制度を求める国民運動など、何一つなかったことを思い出してください。「裁判員裁判に市民感覚を」などという言い方はリップサービス以外のなにものでもないことに、もう気がついてもよかろうということです。

 取締り当局やマスコミが先導して作り上げている「重罰志向の社会的な風潮」に迎合する派と懸念を持つ派に司法内部が分かれています。その拮抗状況を無視できない最高裁も動揺して混乱を広げているのです。今回の高裁逆転判決はそういう流れの中で起こるべくしておきた事件。

 裁判員裁判の無理は、2例目の高裁死刑逆転無期事件でいよいよ明らかになりました。だから裁判員制度などやるべきではないのです。「所詮前座の市民感覚」の林さん、わかってもらえたでしょうか。

星明かり

 

 

 

 

投稿:2013年10月15日

「解説・裁判員十七条憲法」 前編

原作:聖徳太子・超訳:インコ

 憲法十七条(ケンパフジフシチデウ)s04
  604年、推古天皇の時代に、聖徳太子が制定した17ヵ条の条令。群臣に垂示した訓戒で、和の精神を基とし、儒・仏の思想を調和し、君臣の道および諸人の則るべき道徳を示したもの。ただし、古くから後世の創作とする説があり、成立時期や作者を含め真偽は今でも問題になっている。なお、『日本書記』などの聖徳太子像は現在、虚構説が主流となっている。

 裁判員法百十三条(サイバンヰンハフヒャクジフサンデフ)
 ちょうど1400年後の2004年、小泉内閣発足直後の時期に制定された百と13ヵ条。裁判官と国民に垂示した訓戒で、国民は国のために身を捧げる精神を基本とし、必罰の思想と国法に従う生き方を深く身につけよと諭し、またそこに向けて上手に国民を指導するのが裁判官のつとめだと訓導したもの。ただし、制定当初から国民の支持を得られず、圧倒的多数の国民が後世に残せないシロモノだと叫んだことで知られる。

【第一条】
和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

image鎖の環(わ)を以て貴しとなし、裁判員には逆らふこと無きを旨とせよ。評議の際には、裁判官リードして裁判員優しく誘へば、すなはち事理おのずと通ず。何事か成らざらむ。

【第二条】
篤(あつ)く三宝を敬へ。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。

 篤く裁判員法を敬ひ、裁判員をもてなせ。最新の月刊誌・週刊誌を取りそろへ、美味なる茶菓子を食べ放題とし、昼食時の話題にも心を砕け。さすればいずれにしても「良い経験をした」となるらむ。

【第三条】
詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。

 選任した者には謹んで受けさせよ。事前質問票は遺漏なく目を通し、精神的不安の兆し見らるる裁判員候補者ある時は事情聴取や個別質問などを必ず検討せよ。

【第四条】
群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう=政府の役人)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民(たみ)を治むるの本は、かならず礼にあり。百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。

 群卿百寮(=裁判官)、前例を以てよく量刑の指針とせよ。それ民に量刑を判断させる本(もと)はかならず前例にあり。たいていの事案には百くらいの例有り。ただし裁判員進みて重罰を求めるときは裁判官自ずから礼をもってこれに従い、なべて丸く収めよ。

【第五条】
餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。

 餓死判事を思ひてうまきもの食らふをやめ、何事の欲も打ち捨てて、心清明に裁判に臨め。(だけどね、それは理想。ヒラメ裁判官が出世するのは千年経っても変わらんし。最高裁に逆らうと、お・し・ま・い・よ。)。

【第六条】
悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここをもって人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。

 悪を懲らし善を勧むるは,いにしえからの良き典なり。裁判員にはこの国の裁判は一貫して正統に行われていると教えよ。捜査当局の立場はできるだけ良く忖度し、被告人の悪は見逃さず正せ(えん罪事件? それなに?)。

【第七条】
れ賢哲(けんてつ)官に任ずるときは、頌音(ほむるこえ)すなわち起こり、かん(=偏は上下に女女、旁は干)者(かんじゃ)官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。世に生まれながら知る者少なし。剋(よ)く念(おも)いて聖(ひじり)と作(な)る。

 優れもの裁判員となるときは、あちきもなりたや裁判員に、となり、しょーもない奴裁判員になるときは、混乱広がり廃止の声ひとしお激しくなるなり。世に生まれながら残虐画像等を見て平気な者少なし。裁判員の精神的負担に対して配慮し、裁判終わったって面倒見るのよ。そのうち聖人になれる…かも。

【第八条】
群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退け。終日にも尽しがたし。ここをもって、遅く朝れば急なるに逮(およ)ばず。早く退けば事(こと)尽さず。

 群卿百寮、早く出勤して裁判員を迎え、遅くまで残って裁判員を送り出せ。とにかく一日中付き合ったって足りないよ。まごまごしていると、裁判員はぶったおれたり、吐いたりしちゃうからね(ん? 自分の方がぶっ倒れそうだって? そうそう、ちょうど良い転勤先があるんだよね。)。

【第九条】
信はこれ義の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信あれ。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん、群臣なきときは、万事ことごとく敗れん。

 工事中。うまくいったら近々改正。えっ?改正反対? どっちにしてもね、信用できない国民を善導する法律なもんだから、「信が基本」なんて言われると具合が悪いよね。

 というわけで、第十条以下は気が向いたらまた書きます。気まぐれインコ

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投稿:2013年10月13日

何のための裁判か-裁判の自滅を画策する裁判所

10月10日の『読売新聞』(茨城版)は、「地裁主導 証拠加工に反発」との見出しで、証拠の加工を提案する裁判所の姿勢に反発する各方面の意見を紹介、概要以下のような記事を掲載しました。   

「裁判官主導の証拠加工について、関係者は『正確な事実認定や量刑判断ができなくなる』などと反発している。

 水戸地裁で5月に判決があった傷害致死事件では、地検と弁護側の双方に、証拠映像の短縮を打診、倒れてうめく被害者に被告の少年らが暴行を繰り返す映像を約15分から5分半ほどに短縮させた。地検側は『何十時間語っても表せない事実を映像は短時間で示せる』と不快感を表明、弁護人も「数分間あった主犯格の暴行場面が数十秒に減った」と振り返った。

 6月の殺人事件公判でも、『遺体写真はイラストや白黒写真で』と要請。

 8月判決の殺人未遂事件では、血痕の付いたシャツのカラー写真を証拠採用せず、色彩をぼかし血の色を薄めた写真にして認められた。

 模擬裁判を経験した公務員女性(27)は『感受性が強い人は映像によるショックが心に残り続ける。私も冷静に判断するのは無理。辞退を認めてもよいのでは』と。過去に裁判員を務めた男性(30代)は「写真や映像なら暴行の強度や現場の雰囲気がわかる。加工されたら正確な判断は難しい」と述べる。

 四宮啓国学院大法科大学院教授は『凄惨な画像や映像は有罪の立証に必要な証拠とは言えず、有罪への予断を与える危険性もある。裁判員の心情に配慮した証拠調べを工夫すべき』。

 船山泰範日大教授は『遺体や殺害現場を明示する必要がなくなれば、捜査機関は綿密な証拠収集を行わなくなり、誤判を招く』と。元裁判官の西野喜一新潟大法科大学院教授は『遺体や血痕の加工は証拠の改ざん。イラストで事実認定するならもはや裁判とは言えない』と。」影絵

裁判の崩壊もいよいよここまで来たかの感を深くします。

刑事裁判というのは、本来、被告人の人権保障を十分配慮しながら真実を究明し、被告人には法的な責任があるのかどうかを解明して、責任があることになればどれほどの責任をとらせるかを慎重の上にも慎重を期して検討するシステムです。

判決が確定すれば、その結論によっては当の被告人は、刑罰という「苦役」を科されます(日本国憲法第18条)。刑罰は、お金の支払いだったり、懲役や禁錮などの身体の拘束だったりしますが、最も重い刑罰は言うまでもなく死刑。

市民に金銭の支払いや束縛や最悪「生命」を断つことを強制する刑事裁判が「ええから加減」と言うか、「このくらいでいいじゃん」という程度の判断で行われたら、それは裁判の自殺というほかありません。極論すれば、王様の独断や占いで「判決」が言い渡されていた時代と大差ないところに歴史の歯車を逆転させるものです。

少なくとも、真相究明によけいな手間をかけるなという姿勢には近代刑法に挑戦するふらちな態度が露骨に見えます。最大の問題は、「手間をかけない」理由が、裁判員の困惑や負担をできるだけ少なくするためだということ。

「何が何でも市民を動員する」ことと「裁判員の負担をできるだけ少なくする」ことは、本来方向が反対向きの話。「何が何でも動員する」のなら「負担をかけるのも仕方がない」と普通は考える。「負担を少なくする」ことを真剣に追求するなら「市民の動員」を考え直すのが筋。絶対動員と負担軽減が一緒に並ぶところに最大のうさんくささが潜んでいるのです。

この2つの目標を同時追求する犠牲として、実態の解明は後回しにしてもよいというリクツが登場しています。いかに最高裁でも、もともとイラストでよかったのにどうして写真を使ったのかとか、モノクロ写真でよかったのにカラー写真にしたのかとか言わないでしょう。なぜこれまで血の色を薄くしていなかったのかとも言いますまい。リアルな実態をリアルに説明するのが本来の姿だという原則を正面から否定するはずもない(と思いたい)。だから敢えてその大切な価値を「犠牲にして」と言うのです。

水戸地裁の裁判長の「ご乱心」を一言で説明すれば、「福島ストレス訴訟」でショックを受けた最高裁が、裁判員制度の崩壊を回避するためには致し方なしと、急場しのぎの号令を全国に飛ばしたら、驚いた水戸地裁のヒラメ代官裁判長が印籠にひれ伏すように「へへーっ」と従い、あきれた検察・弁護の双方から異議や違和感を表明されたという図ということですね。

四宮教授は「凄惨な画像や映像は有罪の立証に必要な証拠とは言えない。有罪への予断の危険性もある。裁判員の心情に配慮せよ」と。ご冗談をというか、ここにもご乱心のお方が…。リアルな立証を避けることこそ有罪への直結道路だということをこのセンセイは知らないのでしょうか。こういう脳天気な人のアタマでは、「上半身をひどく切られて死んだ」というメモ程度のものがあれば、それで殺人を認定してもよいということになるのでしょうね。

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投稿:2013年10月11日

ストレス傷害国賠訴訟はじまる その6 ―記者会見―

 裁判が終わった後、近くの福島県弁護士会の会館に場所を移して、記者会見が始まりました。Aさん、Aさんのご夫君、原告代理人の織田信夫弁護士及び佐久間敬子弁護士(お二人とも仙台弁護士会所属)が並ばれました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA  

 提訴した国賠訴訟のサマリー、Aさんの意見書、日本国憲法の全文など関係資料が丁寧に用意されいて記者たちに配付されました。参加した記者は30人近く、部屋に入れない人が廊下で聞くという関心の強さ。インコも記者に負けじと必死で取材。

 記者会見の場でのAさんの言葉は、みなさんの質問に答える形になっただけに、一層、深く聞く人の心を捉えるものになっていました。

 司会・進行は佐久間弁護士。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

読売新聞:名前を名乗って提訴まで決意された理由を聞かせてください。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAAさん:つらい思いをするのは、自分を最後にしてほしいという思いで裁判を起こしました。私の平穏な生活は、裁判員裁判で打ち壊されました。そのことを広く訴えたいのです。訴えを起こすこと自体、とても負担なことですが、深く考えて決断をしました。  苦しいことを苦しいと自ら話し、発信していきたいということです。

共同通信:陳述を一部読み上げられませんでしたが。

Aさん:………読めませんでした。読もうとするとそれだけで吐いてしまうのです。またここで、改めて過酷な体験をしなければならないと思うと………。読めるところだけ読みました。私はよくわからないまま酷く辛い体験をしてしまいました。とんでもないことをしてしまったと思っています。これが苦役でないとするのならば、一体何が苦役なのでしょうか。

フジテレビ:お名前を公表されたその理由を教えてください。

Aさん:私は、悪いことをした訳ではありません。判決を言い渡した後の記者会見の時も、自分が苦しかったことを分かってもらいたいと思って発言しました。国を訴えるとはと、驚かれているのでしょうか。私は、何も悪いことをしていないのですから、隠すことはないと思います。

フジテレビ:その思いは裁判官に伝わったと思われますか。

Aさん:私は、裁判官を信用していませんので、よくわかりません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA織田弁護士:裁判員制度を裁判所を進めている。その裁判所でやる賠償請求の裁判です。

Aさん:裁判所は信頼できないです。

朝日新聞:7月、東京地裁の裁判官たちが裁判員に事件の内容を紹介して、やりたくない人には辞退させるようにとの方針を提案したニュースがありますが。

織田弁護士:自由に辞退を認めたら、裁判員制度は存立し得ないことになるでしょう。

フジテレビ:裁判員裁判を体験して辛い思いをしたと。同じ裁判所に来て率直なところ、心に浮かんだことはどういうことでしたか。

 Aさん:………あなただったらどう思われますか。

フジテレビ:経験していないので。

Aさん:そうでしょう。経験しないとこのつらさはわからないでしょう。

福島民友:検察官の裁判の進め方、立証の手段・方法に問題があるということではないと今日の法廷で言われたが。

織田弁護士:そのとおりです。個別のやり方の問題を批判しているのではなく、制度そのものを問題にしているのです。

福島テレビ:国の答弁の内容が法廷でははっきりしなかったので、紹介していただけますか。

織田弁護士:何点かの反論の柱がありますが、第1に主張していることは、裁判員法は国会で十分審議されたということでした。これは全く事実に反することで、全面的に反論していくつもりです。

福島民報:国は、裁判員制度が憲法18条の苦役に当たるという原告の主張に真っ向から反論しているようですが、これについてはどのようにお考えですか。

Aさん:裁判員は、どんなに苦しいことをやらされるものなのか、そのことはやらないとわからないと思います。被告人にどのような刑を言い渡すのかを決めるということは、本当につらいことです。あなたにはできますか。

 (ここで会館使用時間が来て残った記者は個別取材で彼女を囲みました)

*次回口頭弁論は12月10日15時(午後3時)からです。多くの方に傍聴していただきたいと思います。

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投稿:2013年10月9日

裁判員PTSD国賠訴訟傍聴記を読んで 国が大嘘の答弁

弁護士 猪野亨

 下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。kabotya
 猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

今年3月、裁判員として動員され、殺人の写真を見せられた女性がPTSDを発症、その責任を国に問うべき国賠訴訟が提起されました。
 その第1回の口頭弁論期日が、9月24日に開催されています。
奇っ怪な国の答弁 裁判員の辞退を認めている?

 私自身は、報道でしかその内容を知り得ませんが、裁判員制度はいらないインコのウェブ大運動のホームページに傍聴記が掲載されています。

ストレス障害国賠訴訟はじまる その1 ―公判傍聴記
ストレス障害国賠訴訟はじまる その2 ―第1回口頭弁論期日のやりとり
ストレス障害国賠訴訟はじまる その3 ―原告本人の意見陳述―

 この傍聴記の中では、被害者の方の心情などがとても詳しく記載されているので、是非、ご一読ください。

 私が気になるのは、やはり国側の答弁ですが、下記の部分が非常に重大です。
(裁判員法の立法理由、立法過程、立法内容を説明した上で)「国民の感覚が裁判内容に反映されることで、司法に対する国民の理解や支持が深まり、司法がより国民的な基盤を獲得できるようになる…」という司法制度改革審議会の提言(注:2001年6月)を受けて、国会では十分審議された。

 国会では衆参ともにろくな審議もなされていません。国は大嘘つきです。
 これだけの重要法案が何故か全会一致で、しかも短期間ですんなりと成立してしまったのです。
 そこでは全く国民不在でした。国民的な議論もなく、成立してしまったことが問題でしたが、とにかく国会はろくな審議はしていない、これはだけはっきりしています。
 そして、本来、人権保障の立場に立たなければならない日弁連が翼賛的にこの裁判員制度に迎合したことが一番の問題です。
 裁判員制度が実施間際(2008年末には、候補者30万人に一斉に通知が送付されることになっていました。)になった2008年8月、共産党、社民党が国民的合意ができていないことを理由に実施の延期を主張したのです。
 これに慌てたのが日弁連執行部ですが、一番、見苦しい醜態をさらしていました。

 私たち北海道裁判員制度を考える会では、2009年8月に各党を招き、裁判員制度に関するシンポジウムを開催しました。
本音で語ろう裁判員制度 各党に問う
 衆議院選挙の前でしたが、政党としては、新党大地、共産党、社民党が制度の凍結に賛同してくれ、民主党議員も個人として賛同してくれていました。
(自民党は文書回答のみでシンポジウムには欠席。公明党、欠席。)

 これは何よりも国民的議論がなく、裁判員制度が国民が求めたものではなかったことの何よりの証拠です。
 最高裁の意識調査によってもそれが裏付けられています。
 義務であっても参加したくない41.1%
 義務であれば参加せざるを得ない42.3%
 何と83.4%もの国民が拒否反応を示しているのです。

最高裁意識調査

 国の主張は、形ばかりの国会での審議を楯にとり、ウソを強弁するものであり、断じて許されるものではありません。
 国にとっては国民不在は別に裁判員制度の問題に限ったことではなく、どうでもよいことなのかもしれませんが、この裁判員制度についていえば、国自身が司法審意見書の「国民の感覚が裁判内容に反映されることで、司法に対する国民の理解や支持が深まり、司法がより国民的な基盤を獲得できるようになる…」の部分を引用していますが、要は、司法の中に国民を取り込んで国民を教育してやるという思想なのですから、最初から国民は不在だったのです。
 それを国自身が認めたといえます。

 ちなみに司法審意見書では、以下のように記載されています。
21世紀の我が国社会において、国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。国民主権に基づく統治構造の一翼を担う司法の分野においても、国民が、自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加することが期待される。国民が法曹とともに司法の運営に広く関与するようになれば、司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる。その結果、司法の国民的基盤はより強固なものとして確立されることになる。」 

 重要なのは、この部分です。
国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。
 だから裁判員として責任を果たせというのが裁判員制度なのです。
 裁判員制度は、非常に恐ろしい制度なのです

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投稿:2013年10月7日

ストレス障害国賠訴訟はじまる その5 ―新聞報道の研究

ストレス国賠訴訟の初審理。「インコつつく」のコーナーでも少しつつきましたが、新聞メディアの報道ぶりは、社によって大きな差がありました。

 自社の記者がこの事件を最初から追っていたこともあるのでしょうか、『毎日』の全国版はかなり丁寧に報道しています。県内版には一切掲載せずに、全国版に全力集中しています。

 驚くのは『朝日』と『読売』の全国版が仲良くこの報道を完全にサボタージュしたこと。制度推進を社是とすると、こんな報道はまかりならぬことになるのでしょうか。ただ、両紙とも県内版では大きく取り扱っています。現場の記者と本社上層部の間にも大きな溝があることが窺われます。『日経』と『産経』の全国版や当地から離れている『東京新聞』がほうどうしていることと比べても、そのずれまくりに衝撃を受けます。

 広域紙『河北新報』や県紙『福島民報』『福島民友』はかなり丁寧に事件を追っています。

 ほとんどの紙面に共通するのが、女性が実名公表を決断して切々と訴える姿、そして国が女性との主張に真っ向から対決して争う姿勢です。裁判員になりたくないと思う市民がこれで一気に増えるでしょう。法廷を取材し記者会見に臨んだた報道関係者は誰しもそのように感じたと思われます。

 以下、各紙の見出しだけをピックアップしてご紹介。

毎日新聞全国版
 「裁判員の苦しみ 理解を」ストレス傷害訴訟 初弁論、女性陳述 実名公表し会見

朝日新聞県内版
 裁判員訴訟 国側は争う姿勢 口頭弁論 元裁判員「心身に傷」

読売新聞県内版
 裁判員制度「許されない」 元裁判員ストレス訴訟 死刑判決で「罪悪感」

日経新聞全国版
 「心身に大きな傷」 元裁判員

産経新聞全国版
 元裁判員「心身に傷」 ストレス障害訴訟で陳述

河北新報
 裁判員裁判ストレス傷害訴訟 国側、請求棄却求める 福島地裁初弁論 原告女性、違憲主張 女性が記者会見「つらさ 私が最後に」

福島民報
 郡山のストレス障害元裁判員訴訟 全国初 違憲判断問う 国側は全面的に争う姿勢 第1回口頭弁論 「苦しみ 私で最後に」

福島民友
 元裁判員「心身に傷」 ストレス障害訴訟第1回口頭弁論 声震わせ、意見陳述 福島地裁 国側は争う姿勢 「つらさ分かって」原告が会見

東京新聞
 元裁判員「苦しみ私で最後に」 ストレス障害訴訟で陳述

次回口頭弁論は12月10日午後3時から福島地裁で 傍聴に来てくださいね

*広域紙・県紙をお送りくださった福島のKさんにこの場を借りてお礼申し上げます。

かぼちゃ

 

 

 

投稿:2013年10月5日

ストレス障害国賠訴訟はじまる その4 ―織田弁護士の報告

―裁判員国賠訴訟第1回口頭弁論を終えて

弁護士 織田信夫

 2013年9月24日午後のこと、或る程度は予想していたことではあったが、福島地裁正門前に車で近寄ると、テレビカメラ等が目を光らせて迫ってくる感じがして一寸どぎまぎした。裁判所裏手の駐車場に車を回してもらい、そこからそのまま当事者控室に入ろうとしたら、報道関係者が、どうしても正門から入る映像を撮らしてほしいと言うので、依頼者である原告本人と相代理人佐久間敬子弁護士の意向を伺って、カメラマンの指示に従うこととした。

 法廷にもカメラが入る。当初撮影が終わってから原告本人が法廷に入るという段取りも考えていたけれども、本人は「自分は何も悪いことはしていない、顔も名前も隠すことはない」とはっきりと言われたので、テレビカメラが回り出す前から、本人には原告席の私と佐久間弁護士の間に座ってもらった。

 通常の第1回口頭弁論期日であれば「請求の趣旨、原因は訴状記載のとおりです。」と一言言うだけで口頭弁論とは名ばかりなのだが、当日は傍聴席には報道関係者や傍聴人も大勢いるので、事件の内容を説明するつもりで訴状の要点を読み上げる。これは公開の法廷で本来法律が定める口頭による弁論を行ったということである。50年余の法曹人生で初めての経験であり、いつまでも初さが抜けない私は、途中言い淀んだり間違ったりしてしまった。その点、原告本人は、要点を押さえ、声を詰まらせながらも、裁判所に訴えたいことをはっきりと述べ、弁論終了後に福島県弁護士会館で開いた記者会見でも実に堂々と自分の考えを述べていたのには感心した。

 被告国に対し、当日提出した準備書面で答弁書に対する釈明要求をしたところ、被告指定代理人から、事前に提出して欲しかったとクレームをつけられた。当方は、反射的に一言「はい」と答えたけれども、後で考えてみれば、被告への訴状副本送達は5月10日であり、途中仙台地裁からの移送の問題はあったとはいえ、答弁書提出まで4か月もかけたことの被告の怠慢について、何故すぐに文句を言えなかったのかと自分の鈍さが恨めしかった。

 本件は、当初、被告の応訴を期待して原告代理人事務所所在地にある仙台地裁に訴を提起した。本件の被告側の担当は恐らく仙台法務局の訟務検事になるであろうし、仙台地裁への提訴は被告国のためにも利益であり、応訴は確実になされると思っていたところ、あに図らんや訴状送達後20日近く経って開かれた進行協議期日に至って、応訴しないと言ってくるという、私らからすれば何とも不誠実な、意地悪以外にはない対応をし、さらに今回もつまらないことにケチをつけてきた。

この事件は、一国民が国を相手に裁判員法条文の違憲性と国会議員の立法行為の過失について、国策に沿って裁判員制度推進一点張りの態度をとり続け、中立性に疑問符の付く裁判所に判断を求めるという特異な事件である。かかる裁判所に正しい判断を求めることはもともと至難の業である。しかし国民としてはかかる裁判所以外に救いを求める道は残されていない。蟷螂の斧ではないかと揶揄する人もいるけれども、このような被告側の対応に接すると、何としてもこの裁判所を国民の意地と力を結集して説き伏せ、司法本来の力を発揮させて、その正しい判断を導き出し、被告に対しひと泡もふた泡も吹かせてやりたいとの思いが益々強くなって来た。それにしても、裁判官が憲法76条3項に定めるように完全に独立でなければ国民にとっては本当に困ったことになることを肌で感じさせられている。

 次回は12月10日午後3時。それまでに佐久間弁護士と協力して被告答弁書に対する徹底した反論を準備したい。

 今でもそうかもしれないけれど、マスコミは、これまで、この裁判員制度を、欧米でも行われている司法への国民参加の一形態であり、司法の民主化だ、良いことだと好意的に扱ってきたように思う。ここにきて、この国賠訴訟を大きく報道してくれることは、その底意は分からないが、幾らかは問題の重要性に気が付いてくれたのではないかとも思われるので、決して悪いこととは思っていない。この機会に裁判員制度に対する国民の批判が更に強まることを期待している。

 おわりに、当日、ご多忙のところ東京から態々私たちの応援に駆けつけて下さった高山先生、山本さんに厚くお礼を申し上げます。本当に勇気づけられました。

以上

背景な~1インコからのお願い
 次回口頭弁論は12月10日午後3時から福島地裁です。原告支援のため、傍聴をよろしくお願いいたします

投稿:2013年10月3日

講師不在でも集会! 第14回裁判員制度はいらない!市民集会

 下記は「白い狼のため息」の記事です。
 管理人まえだけいこさんのご了解の下、転載しております。

9月29日(日)、私たち「市民のための刑事弁護を共に追求する会」(「追求する会」)は、福岡中央市民センターで集会を行いました。
この日は、朝から雨が降ったり止んだりで、湿度が高く暑さを強く感じる一日でした。

12:30会場集合で、13:00開場。13:30開会。
会場には、裁判員制度反対の横断幕を何枚も飾り、
正面に、「第14回 裁判員制度はいらない!市民集会 改憲と裁判員制度」の紙幕。

会場準備を終えて、インコとの撮影&握手会です。
「追求する会」には、「裁判員制度廃止インコ」という可愛い仲間がいます。
このインコ、法務省の裁判員制度広報「サイバンインコ」のパロディーなんです。
「裁判員制度はいらないインコ」の友だちの「裁判員制度廃止インコ」です。
でも、インコは活動的で福岡だけには止まらず全国をまわっていた?
この日は集会のために帰ってきてくれたのだよね?

20130929インコと

 

 

 

 

 

 

 

私は、ウルトラマンとの記念写真もありますが、インコとのツーショットは初めて!

さて、会場にはぼつぼつ、人も集まり始めました。
が、なんと、講師にお願いした高山俊吉弁護士が登場しません!

えーっ!!

・・・なんて。
実は、「来られないかもしれない」という情報は事前にあっていたのです。
ただし、本人ではなく、その周囲の人たちから・・・。

どういうこったい?!

はい。
実は、某党派が、ある人物を排除するために策略をめぐらした結果かもしれないのです。
「追求する会」では、某党派の主要メンバーと話し合いましたが、
某党派は引かず、「追求する会」も「誰についても排除はしない。」と言い、話は平行線に。
某党派は、「高山弁護士は来られないのだから、集会は中止にすべき」と私たちに迫りましたが、
私たちにとって、高山弁護士が来ないことは集会中止の理由にはなりません。
だから、講師が来ないかもしれないが、集会はやると決めていました。
それに、もしかしたら、来てくれるかもしれないとも思っていました。
でも、某党派は、「集会には行かないが、今は、会を辞めるとまで言わない。」と言って去りました。
私たちは、「高山弁護士はきっと来る」と想定して集会の準備をしてきました。
だって、高山弁護士は、一度引き受けた仕事をそう簡単に放り出す人じゃない。
だから、きっと、それなりの事情があったに違いない。
某党派の陰謀によるものではないはず・・・と思いたかった。

せっかく、高山弁護士のお話を聞くために足を運んで下さった皆さんには、大変申し訳なかったです。
でも、私たちに大事なことは、今年も「裁判員制度はいらない」という声を福岡であげる。
集会を、デモをするということだったのです。

集会では、司会の李弁護士から講師が来れないことを簡単に説明し、
「追求する会」の共同代表の渡邊元弁護士から、お詫びと裁判員制度を巡る情勢についてのお話。
それから、質疑の時間に私が意見発表(?)する予定だった「裁判員制度が死刑制度を強化する」というテーマで少しお話させて頂きました。
(この報告は、後日、機会があればアップします。)
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あとは、マイクを回しながら自由にトークタイム。
私は、実は、自分の資料を会場に配布していて、講師はいないし、他に資料はないしで、
ドキドキ冷や冷やで、他の人の話は聞いていませんでした~。
どこかでレポートが出るかもしれません。
その時は、ご案内させて頂きます。
ということで、集会についての報告はここまでです。
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その後、市民センターから警固公園までデモ行進しました。
インコも一緒です。
雨が降っていて、プラカードや横断幕、傘、そして、マイクを持つのは大変でした。
でも、一番大変だったのはインコでしょう。
暑かったろうね。ご苦労さん。
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街は、若い人が多く、家族連れもいましたね。
インコを見つけると、みんなが手を振ってくれて、
やっぱ、こういうホンワカする着ぐるみがいると受けがいいなって思いました。

この日は、交通警察も多かったけど公安までお出ましで、デモの前後には白バイも待機して・・・。
もしかして、某党派と「追求する会」との抗争勃発!
なんて絵を、警察は考えていたのですかね~。
あほらし・・・。
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数字が好きな人のために。
集会参加者は、26名と1羽。
デモ、20名と1羽。
交通警察が、18名、公安が5名。
白バイ 2?

交流会は、12名以上が集まり、私も3次会までいってきました。

「裁判員制度廃止インコ」の友だちのサイトです。
毎日更新の裁判員制度反対のための情報満載!
見てね
裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動

嫌なこともたくさんあるし、やりきれないな~と思うけど、
私たちは、組織を守るために運動をしない。
運動を組織のために利用しない。
私たちは、ひとりひとりの思いを大事にし、
様々な立場も超えて運動のために集まるのだということを確認できました。
もちろん、運動のために差別を利用したり、容認したりもしない。

みなさん、お疲れさま!
インコ、ありがとー。

追記
集会案内のビラに、私が茶目っ気で、「当日、サプライズゲストのうわさもありますよ~。誰に会えるのかな~?」と書いたら、
「これは誰のことなんだ?」と誰かを排除したいらしい某党派で、色々憶測が飛んだそうですが、
ただの煽りで、誰って想定していなかったんですよ~。


投稿:2013年10月1日

奇っ怪な国の答弁 裁判員の辞退を認めている?

弁護士 猪野亨

 下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。ハロウィンネコ
 猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

  裁判員制度は、2009年より実施されていますが、国民の義務として制定され、これまでも多くの国民を動員してきました。
 今年3月、死刑判決に関与した60歳代の女性裁判員がPTSDを発症したとして、8月、国に対し、損害賠償請求訴訟を提起しました。
遺体写真見たくない! 当たり前のこと

 その第1回口頭弁論期日が9月24日、福島地裁で行われました。
 読売の報道(2013年9月25日)によれば、そこでの国の答弁が非常に奇っ怪です。
「裁判員の職務は、司法権の行使に対する国民参加という権限で『苦役』ではない」
「裁判員は辞退や辞任が認められている」

 答弁書そのものではなく、報道によるという限界はありますが、いかにも暴論そのものです。
 何故、参加が権限なのですか。
 裁判員法には「権限」などという規定はありません。出頭を命じる規定だけです。裁判員法にも規定されていない「権限」などという暴論を吐くとは、国としてあるまじき主張です。
 権限だったら放棄できるはずですが、裁判員制度はそのような制度とは全く違います。
 不出頭には科料という制裁すら科せられるのが裁判員制度なのです。

 しかも、「権限」だから『苦役』ではない!?
 この論理もメチャクチャです。「権限」であれば無断欠席しても当然に問題がないというのであれば、かろうじて成り立ちうる主張でしょう。「権限」というからには自分から進んで行使するという意味合いも含まれていると強弁することもできるからです。
 しかし、前提が明らかに誤り。「権限」ではないのですから。
 しかも、実際に残虐な遺体の写真を見せつけられるわけですから、これが苦役ではないなどという言い放つ神経が理解できません。
 この事件を契機に裁判所では、これまでカラー写真で示してきた残虐な遺体の写真を白黒にしてみたり、イラストにしてみたりと「工夫」をしてきました。
 大いなる矛盾。二枚舌。
 しかし、これ自体、証拠に基づかない裁判であり問題外の措置。
 それはともかく、裁判所は、遺体の写真そのものを見ることが裁判員にとって苦役であることを自ら認めているんですよ。
 国は行政で、裁判所は司法。独立しているから主張は異なっても良いということなのでしょうか。
 しかし、そのようなご都合主義的な主張が認められて良いはずがありません。

 それとも、あなた方国のみなさは、平気で遺体の写真を見ているのですか。国側の訟務検事は本籍裁判官でしょうけれど、当然、遺体の写真などいくらでも見ていると思いますが。
 職業上では平気で見ているでしょうが、それと同じ感覚で一般国民も遺体の写真なんて「平気」で見ているとでも思っているのでしょうか。
 国の主張は、非常識極まりない発想です。

 さらには、辞退や辞任が認められているという主張も暴論です。
 裁判員法は、どこにそのような辞退を認めていましたか。ウソをつくのもいい加減んしてもらいたい。
 むしろ、この事件があってからです。事前に残虐な写真があるから、それを裁判員候補者に伝え、広く辞退を認めるようになったのは。
 もちろん、それ以前から裁判所は広く候補者の辞退を認めていました。
 2012年度で57.3%の事前の辞退が認められていました。しかし、あくまで裁判所が認める必要があるというのが法の建前です。当然の権利として辞退を認めているわけではないのです。
 それを言うに事欠いて、「裁判員は辞退や辞任が認められている」などというのは本当に大嘘つき。
 国の主張は、いかにも自分の意思で裁判員にならない、あるいは裁判員を辞めることができるというものであって、鉄面皮そのものなのです。
 それとも無断欠席にも制裁たる科料を科していないからとでも主張するのでしょうか。
 それだったら、無断欠席でも制裁は科さないという周知(呼出状に記載する)しているなら格別、むしろ科料の制裁を明記しているのですから、国の主張は成り立つ余地がありません。
古城のおばけ

 

 

 

 

投稿:2013年10月1日