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寄稿 東京高裁逆転無期判決の正しい見方

東京高裁は、10月8日、千葉大生女性(21歳)に対する強盗殺人などの罪で死刑とした1審・千葉地裁の裁判員裁判判決を破棄し、無期懲役を言い渡しました。裁判長は「殺害態様は執拗で冷酷非情だが、殺害された被害者は1人で、計画性もなかった」とし、被害者が1人の殺人事件で、計画性がない場合には極刑が選択されていない傾向を踏まえ、「死刑選択の合理的で説得力のある理由とは言い難く、刑の選択に誤りがある」としたのです。裁判員裁判による死刑判決の破棄2例目、この判決に対し、検察は上告を検討しているそうです(なお、本論から外れますが、3審制は検察のためにあるのではない。検察上訴は禁止すべきです。)。星明かり上

 10月10日の朝日川柳には(「所詮前座の市民感覚」東京都林明倫)が選ばれました。ここにあるのは、「市民感覚を尊重するって言ってたけれど、ウソじゃん」という受け止め方。それは裁判員たちの判断は結局コケにされたという見方といってよいでしょう。

 1審の判断を是正する機会として作られている2審。裁判員裁判尊重論に立つと2審の是正機能をもっと弱めよということになります。投句者の林さんもこの意見なのでしょう。ですが、1審の裁判員裁判を2審の裁判官裁判でひっくり返すには慎重であるべき(あるいは、ひっくり返してはならない)という意見は正しいのでしょうか。  

  最高裁は、この問題に関して、1審裁判員裁判の判断はできるだけ尊重せよと言ったかと思うと、量刑判断は過去の例を参考にせよ(つまり、裁判員の判断に流されるな)と言ったりと、あっちに行ったりこっちに行ったり実にふらふら。ラスボスがふらふらすればノコノコなどの現場が混乱するのは当然。下級審裁判所は文字どおり混迷のまっただ中。

 それは違うという硬骨派2審裁判官は、裁判員の裁判だろうが何だろうが、1審がペケならペケにする。時流のりのりの迎合派は、はいわかりましたと1審判決に合格のお墨付きを出す。今回の高裁逆転は、混乱情勢の中の硬骨派裁判官による裁判だったという訳です。

 1人しか死亡させていないケースで死刑を言い渡すのはよほど特別の事情がある場合に限られ、原則は無期懲役どまりだと考えている刑事裁判官は非常に多いでしょう。実際、最高裁自身そう言ってきたのだから、そう思う裁判官がたくさんいてもおかしくない。たとえ裁判員の中に死刑を求める者がいても原則はまげられないと言う裁判官が多い中で、この1審裁判官たちは死刑判決にさっさと同意したということなのでしょうか。笑うおばけ

 さて、ポイントは「裁判員の中に死刑を求める者がいても」のところ。本当に裁判員の中に何が何でも死刑を求める者がいたのか、いたとしてもどれだけいたのか。裁判官3人が死刑判決に慎重な姿勢を堅持していたら、たいていの裁判員は、いかに悪逆非道の犯人だと思っても裁判官の判断には従ったと思います。無期懲役に手を挙げる裁判官に反発・抵抗して死刑にせよと最後まで迫った裁判員が多かったとはとても思えません。疑われるのは、実は裁判官の多くが率先して死刑に走ったのではないかということ。高裁の逆転判決で心底から安堵している1審の元裁判員がいるのではないかと私は考えます。

 つまり、深い意味で「裁判員たちの判断は結局コケにされている」のです。裁判員裁判は、政府や最高裁が主導し、日弁連やマスコミがお先棒担ぎをしてできた「もともと市民不在の裁判制度」。制度実現までの間に、裁判員制度を求める国民運動など、何一つなかったことを思い出してください。「裁判員裁判に市民感覚を」などという言い方はリップサービス以外のなにものでもないことに、もう気がついてもよかろうということです。

 取締り当局やマスコミが先導して作り上げている「重罰志向の社会的な風潮」に迎合する派と懸念を持つ派に司法内部が分かれています。その拮抗状況を無視できない最高裁も動揺して混乱を広げているのです。今回の高裁逆転判決はそういう流れの中で起こるべくしておきた事件。

 裁判員裁判の無理は、2例目の高裁死刑逆転無期事件でいよいよ明らかになりました。だから裁判員制度などやるべきではないのです。「所詮前座の市民感覚」の林さん、わかってもらえたでしょうか。

星明かり

 

 

 

 

投稿:2013年10月15日