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EVERLASTING ~2割を切って~

今年2月末の裁判員制度実施状況の速報発表。750916
出頭率19.2%、ついに2割を切った。
もう一つの出頭率、呼び出されて何も応えず欠席した人たち(最高裁はどうしてこんな統計取ってるんだ)の数が去年の35.2%から今年2月末に43.4%に急増した。
インコの情けじゃ。これ以上、何も申すまい。

寺田殿、早々に腹を召されい…じゃなかった、腹を括られい。

詩:Inko ~en~L’abolition

I swear to God
そう(陪審制度と)似ていない制度を選んだのは…最高裁

I swear to God
もう行かない裁かない国民の強い…my will

止まない何故に止まない拒否…
(Ah ah…everlasing rain)
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I ask my heart
ねぇ 感覚で裁いて司法の市民参加してほしい
I ask my heart
そう 決めたの 最高裁が望んだのに何故?

止まない拒否と来ない民
(Everlasting,everlasting rain)

ああ、止まない拒否よ
嫌がられる制度よ この司法よ

冷たい民 拒否し続け制度を廃止に向けて
拒み続ける民にああ、まだ期待してる

The core of a loving heart defies all scientific reason.
Love isn’t perceived through the eyes, it’s felt through the heart.
That’s why it’s so hard.

心の中はまだ科学的に解明されていない。
裁判員は事実と法ではなく、心で被告を見る。
だからやっかいだ。

 

EVERLASTING  L’Arc~en~Ciel767645

I swear to God
そう 似ていない人を選んだのは…私
I swear to God
もう 帰らない逢わない私の強い…my will

止まない 何故に止まない君…
(Ah ah…everlasing rain)

I ask my heart
ねぇ くちづけで気持ち塞いでほしい
I ask my heart
そう 選んだの 私が望んだのに何故?

止まない雨に 止まない君
(Everlasting,everlasting rain)

ああ、止まらない季節よ
止まない詩よ この恋よ

冷たい雨 降り注げ 君を洗い流して
隠しきれない君に ああ、まだ恋してる

The core of a loving heart defies all scientific reason.
Love isn’t perceived through the eyes, it’s felt through the heart.
That’s why it’s so hard.

心の中はまだ科学的に解明されていない。
恋とは目で見ないで、心で相手を見る。
だからやっかいだ。

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投稿:2017年4月23日

犯罪被害者、遺族や代理人弁護士が「裁判員の判断」を強調する意味

弁護士 猪野亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」3月18日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

先般、大阪高裁では、裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした判決が立て続けに2件ありました。
裁判員裁判の死刑判決が高裁で破棄される 守られるべきは先例ではなく基準 勝手に作られる裁判員制度の意味

遺族やその代理人弁護士にとって死刑判決が破棄されることに対して、感情的に受け入れられないのは、理解できなくもありません(代理人弁護士が感情論に陥っているのは、法曹としてはどうかと思います。)。

検察庁に対し、上告するよう求めるわけですが、そこで違和感があるのが、「裁判員の判断」を持ち出すことです。
「裁判員裁判を軽視している」最高検に遺族が上告要請 一審の死刑から無期減刑で」(産経新聞2017年3月17日)
「大阪の繁華街・ミナミで平成24年、通行人2人を無差別に刺殺したとして殺人などの罪に問われた無職礒飛京三被告(41)に対し、大阪高裁判決が一審の死刑から無期懲役に減刑したのを受け、遺族や代理人弁護士らが17日、「市民感覚を取り入れた一審の裁判員裁判を軽視している」として上告するよう最高検に申し入れた。」

確かに裁判員制度になってから、重罰化が進みました。死刑か無期懲役かという究極の量刑が争われるような事件ですら、中には、過去の基準なんて関係ない、などと言い放つ裁判員もいたり、非常に問題をはらんでいたのが裁判員裁判でした。
死刑か無期懲役かは、天と地ほどの差があるのですから、これを裁判員裁判だからというただの一言をもって正当化されることはありません。
だからこそ、最高裁は、死刑判決を破棄した高裁判決を是認しているのです。
最高裁 裁判員裁判の死刑判決を認めず!

この裁判員裁判による死刑か無期懲役かの量刑判断ははもちろんすべてが死刑になっているわけではありません。
そのような場合、遺族やその代理人は、裁判員裁判の結果だから尊重せよ、ということになるのでしょうか。
遺族についてはそれぞれが全く違う方たちですから、同じような議論はなじみにくいとはいえます。例えば、あなたは裁判員裁判の結果は尊重しなくてもいいというのであれば、別事件で裁判員裁判の死刑判決を破棄した高裁判決も尊重すべきといえるのですね、ということですが、その遺族にとっては他は関係ないとは言うでしょう。
しかし、代理人弁護士としてはどうですか。この犯罪被害者の事件ではよく同じお名前をみたりしますが、死刑を選択せず、無期懲役とするようなどのような判断に対しても尊重せよと言うのですか。
先の日弁連の人権擁護大会でも、死刑制度廃止宣言に反対する弁護士たちは、極めて恥ずかしいレベルの醜態をさらしていました。単なる感情レベルでの絶叫でおおよそ法曹としての発言ではなかったわけです。
瀬戸内寂聴さんの発言はどうかと思うが、犯罪被害者側弁護士の主張に道理はない

弁護士が極めてご都合主義的に「裁判員裁判」を利用するのはやめるべきでしょう。
法曹としての資質が問われます。Print

 

 

 

投稿:2017年4月16日

裁判員候補者の出頭率が低下の一途 2016年度は23.7%

弁護士 猪野亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」3月15日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

最高裁のホームページに裁判員制度に関する2017年1月末の速報が掲載されています。

そこに掲載されている裁判員候補者の出頭率が前年度に比べてもさらに低下しています。
その数字は何と23.7%です。前年度の24.5%からさらに下がりました。

2017年1月末の速報値は、さらに低下し、20.9%です。
この時期は数値としては低くなるようですが、それにしても20.9%とは5人に1人しか出頭しないという状況です。

裁判員裁判の実施状況について(制度施行~平成29年1月末・速報)

ちなみに当局は発表する「出席」率は、下段の数字である64.8%です。この数字は、裁判員候補者が辞退を申し入れたような場合には、法定の辞退事由を厳格に適用することなく広く辞退を認める運用によって、出頭しない可能性のある候補者は最初から除外しています。そのため当局が出頭義務があるとする候補者は来たくないという除いた数字ということになり、この母数として算出したのが「出席率」です。
それでも制度が始まった当初は8割の出頭率と言われていました。最高裁の統計によれば83.9%です。
それが既に64.8%にまで下落しているのです。
ちなみに2017年1月末の速報値では60.9%です。

今時の司法改革の中で同じように創設されたものに法科大学院があります。この法科大学院志望者の激減は、目に見えて法科大学院の経営を圧迫しますし、文科省、法科大学院側は危機感に満ちあふれていますが、これに比べると裁判員制度は、惰性で続いています。これは裁判所がとりあえず必要な裁判員さえ確保できればよいというスタンスになったからです。
候補者(国民)の拒否が強まれば、裁判員裁判の歪みはなお一層、ひどくなります。
弁護士会の中でも裁判員制度を絶賛する人たちがいますが、その中でも特に刑事弁護系の人たちにとっては、憂うべき状況になっています。
裁判員裁判の死刑判決が高裁で破棄される 守られるべきは先例ではなく基準 勝手に作られる裁判員制度の意味

ここまで裁判員制度に弊害が生じていながら、何故、裁判員制度の問題点を正面から議論しないのでしょうか。いつまでも惰性によって流されるままにしておくべきではありません。753341

 

投稿:2017年4月16日

裁判員裁判の死刑判決が高裁で破棄される 

守られるべきは先例ではなく基準 勝手に作られる裁判員制度の意味

弁護士 猪野亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」3月13日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

先般、裁判員裁判が下した死刑判決が2件、高裁で破棄されました。

ミナミ2人刺殺 二審は無期判決 裁判員裁判の死刑破棄」(東京新聞2017年3月9日)
「大阪の繁華街・ミナミで2012年、通行人2人を無差別に刺殺したとして殺人と銃刀法違反の罪に問われた無職I被告(41)の控訴審判決で、大阪高裁は9日、裁判員裁判で審理された一審大阪地裁の死刑判決を破棄、無期懲役を言い渡した。
中川博之裁判長は被告の完全責任能力を認め、「基本的には身勝手で自己中心的な犯行だが、計画性が低く、精神障害の影響が否定できない。死刑が適用されたこれまでの無差別通り魔殺人とは異なる」と述べた。
一審に続き争点だった犯行時の精神状態については、支援団体などの適切な対処が行われた形跡がないと指摘。「精神障害の全てが自己責任とまでは言えない」として「酌むべき事情があり、死刑の選択がやむを得ないとまでは言えない」と結論付けた。」

女児殺害、二審は無期=裁判員判決の死刑破棄-「計画性ない」・大阪高裁」(時事通信2017年3月10日)
「樋口裕晃裁判長は「計画性がないことは重視すべきで、生命軽視の態度が甚だしく顕著とは言えない」と述べ、死刑とした一審神戸地裁の裁判員裁判判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。」
「一審判決は、動機の身勝手さや殺害方法の残虐性を挙げ、生命軽視の姿勢が甚だしいとして、被害者1人でも死刑が許容されると判断した。
樋口裁判長は、わいせつ目的で誘拐したと認定したが、発覚を免れるため殺害したことは「非難を格段に高めるとは言えない」と判断。殺害方法について「残虐性が極めて高いとした判断に賛同できない」と述べた。
さらに「声を掛けた時点で殺害を具体的に計画していたとは言えない」と指摘。非難の程度は弱まり、死刑が許容されるとは言えないと結論付けた。裁判員裁判の量刑判断を覆したことには「尊重すべきだが是正せざるを得ず、制度の趣旨を損なうものではない」と付言した。」

の刑判決が破棄された事案は、いずれも「先例」とされる永山基準に従えば、今回の死刑判決は重きに過ぎするということになります。
これに対して、ネット界では、裁判員制度なんて無意味だとか、市民感覚が無視されたというようなお決まりの批判が渦巻いています。
私自身は、裁判員制度は有害でしかありませんから廃止すべきとは思いますが、それにしても、未だにこのような「先例」重視なのかという批判がなされていることは憂うべき状況です。特にマスコミがこのような視点から報じるのは問題です。

減刑5例目「裁判員死刑」覆る…”市民感覚とのズレ”浮き彫りに」(産経新聞2017年3月10日)
「神戸市長田区の小1女児殺害事件で、大阪高裁は10日、1審裁判員裁判の死刑判決を覆し、被告に無期懲役を言い渡した。高裁が裁判員裁判の死刑を破棄するのは、前日の心斎橋通り魔事件に続き、これで5例目となる。「国民の常識を刑事裁判に反映させる」というのが裁判員裁判の主眼だったが、「究極の刑罰」の選択にあたって、市民感覚と職業裁判官の考え方が大きく違うことが浮き彫りになった。」

神戸・小1女児殺害 . 判例重視、鮮明に 裁判員判断と乖離 控訴審判決」(毎日新聞2017年3月11日)
「神戸市長田区で2014年、小学1年の女児(当時6歳)が殺害された事件の控訴審で、殺人やわいせつ目的誘拐などの罪に問われた無職、君野康弘被告(50)を無期懲役とした10日の大阪高裁判決は、量刑の判断について、同種事件に関する過去の裁判例の傾向を重視する姿勢を鮮明にした。樋口裕晃裁判長は「先例との公平の観点から死刑の選択が十分許容される事案とは言えない」と述べた。」

永山基準は、「基準」です。ここを取り違えてはなりません。
死刑か無期懲役か、その分水嶺はどこにあるのか、それが基準です。
先例重視は問題だという意味は、基準を無視して、裁判員の感覚で裁いてしまえという発想と全く同じです。

死刑か無期懲役が、裁判員の感覚の違いによって差が出て良いのですか。
出ても良いと言い切るレベルはまさに感情レベルですが、その感情で裁判が行われるとしたら、それは本当に法治国家と言えると思いますか。
裁判員は抽選によって偶然に選ばれる人たちです。その偶然によって選ばれた人たちの哲学(なのか感情なのか…)によって結論が異なる、しかも死刑か無期かで異なるというのは、法治国家では到底、容認し得ない結論です。
だから最高裁は、死刑判決を破棄した高裁判決を是認したのです。
最高裁 裁判員裁判の死刑判決を認めず!

マスコミが未だに「先例」などという言葉で「基準」を曖昧にしようとしていることは問題なのです。ジ

だったら裁判員制度なんかに意味がないではないかというのも、まったくずれています。
もともと裁判員制度は裁判員が裁判官と一緒になって刑事裁判(重大事件)を裁く(参加する)ことに意味があるとして導入されたものであって、「市民感覚の反映」(これも後から作られたキャッチフレーズですが)によって、量刑を裁判員が好きに決めて良いとする制度ではないのです。
マスコミが勝手に作り上げた「市民感覚の反映」はもともと国民を裁判員として裁判所に来てもらうためのものとして多用されてきました。
それ自体、裁判員法にも規定されておらず、審議の過程でも出てきていない全く法的な根拠がないものなのですが、裁判員制度が始まった当初から国民が裁判員になることに否定的だったものだから、何とか裁判員になってもらおうとマスコミが必死になっていたわけです。マスコミは裁判員制度を絶賛していた手前、国民から否定されていたという事実は受け入れがたかったのです。
国政モニターからの裁判員制度に対する疑問 疑問に正面から答えない法務省」裁

国民が裁判員として裁判官とともに裁くことに意味がある、という裁判員制度の目的が無意味というのであれば、当然、廃止されるべきでしょう。
私は意味があると思っていないので、意味付自体はどうでも良いのですが、自分勝手に意味付をして、それに合わないから「意味がないじゃないか」と批判するのは、はっきりと間違っているということです。

ところで、感情の中でも「人を殺したら死刑だ」というのは全く意味が違ってきます。殺人の法定刑を原則死刑にするのであれば、それは立法により法定刑の引き上げがなされなければなりません。
あくまで現行法の殺人罪の法定刑は、「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」と定められているからです。

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投稿:2017年4月16日

緊急記者会見 制度廃止方針発表

記者会見場の苦しい空気
昨日午後9時、法務省大会議室で、政府・最高裁の共同記者会見が開かれた。時間も異例、共同の記者会見も異例とあって、朝刊記事の準備に追われていた各社の一線記者が駆けつけ、外国特派員も参加する会見になった。菅義偉内閣官房長官と今崎幸彦最高裁事務総長が並んで会見が始まった。

 菅官房長官は次のように述べた。03eee5ba
「安倍政権が最大の司法チャレンジと位置づけて進めてきた『裁き方改革』の実行計画がまとまった。その中核は裁判員制度の廃止に向けた手順検討の開始である」。
続けて今崎事務総長は、「政府と並行して事務総局内部で検討を進めてきたが、裁判員制度はその歴史的使命を果たしたと評価されるというのが、事務総局と裁判官会議の大方の見方になった」と述べた。
菅長官のいつも以上にふてくされた顔つきと今崎事務総長のあまりにもうつろな表情に事態の重大性が浮き彫りになり、記者たちは騒然となった。

 菅長官の説明は次のようなことだった。
裁判員制度を根付かせようと処罰を伴う参加方式をとったことで、国が責任を問われる裁判が起こされたばかりか、この間裁判員経験者の中から何人もの自殺者が出た。行き過ぎた参加強制は制度の安定的維持を害するという点で最高裁と意見が一致し、やりたくない者にはやらせないという方針に転換したが、その結果、出頭者は大きく減少した。
テレワークなど出頭しないで裁判に参加する方法や病気治療と裁判員の両立を図る罹患裁判員総合病院の設立などの方策も検討し、また繁忙期を中心に裁判員参加の上限規制を設けるなどの改革も試験的に実施した。
しかし、国民の不参加の流れは甚だしく、抵抗を少なくしようとした結果、制度の安定をかえって損ねさせた。このことは遺憾ながら認めざるを得ない。そこでこの際、裁判員制度の廃止を検討することにした。

 今崎事務総長は次のように述べた。20160525-OYT8I50045-N
裁判員の参加が少なくなっていることは事実だが、裁判員裁判に参加した裁判員や補充裁判員からは「参加して良かったとか、良い経験をした」という感想が圧倒的だ。
国民の間には我が国の司法の正統性に関する信頼が深まり、自身がわざわざ裁判に参加しなくてもこの国の裁判官たちは良い裁判をしているという信頼感というか安心感が醸成されたのではないか。
その意味でこの制度は歴史的な使命を果たし終えたと評価している。私の意見は最高裁の裁判官会議の検討を踏まえて申し上げている。

追及する記者と逃げる有責当事者 
記者たちはいっせいに質問の手を挙げた。官房長官は、目ざとく『朝日』の大久保真紀記者を指名した。記者は目を赤くして、「要するに裁判員制度は破綻したということか」と尋ねた。長官は「破綻という言葉は使わないことになっている。我々はこのような事態を一定の困難な状態という」と答えた。記者は「そんな」と言ったままハンカチで目を押さえた。
『共同通信』の記者が、森友学園問題で大きなダメージを受けた安倍内閣は人気回復策として制度廃止を掲げたのではと質問した。官房長官は記者を睨み、「断じて違う、首相は国民の信用を失ったら首相も議員も辞めるとまで言っている。信なくばたったひとり、もとい信なくば立たずだ。偏見に満ちたメディアは会場を去ってほしい」と述べた。IMGP0856
ニューヨークタイムズの特派員は「Godless!」と叫んだ。

 『東京』の記者は「困難を自ら作った政府がその困難を取り払うことで人気を得ようと考えるのはおかしいと言われたら」とたたみかけた。長官は色をなして、「裁判員制度は政府・自民党だけではなく、全野党が賛成してできた。皆さんも基本的に賛成した。破綻の責任はみんなにある」と答えた。どこかの記者が「長官自身も破綻という言葉を使ってますが」と声を上げたが、長官は「不規則発言はやめ給え」と応じた。

 今崎事務総長への質問に移った。指名された『読売』は「裁判員を務めたほとんどの人たちが良い体験をしたと言っていたということだが、安定して実施しているのならわざわざ止めることはないのでは」と尋ねた。事務総長は、「裁判員と補充裁判員の経験者総数は7万4000人ほど。良い体験をした95%というのは7万人。有権者総数1億人の0.07%にとどまる」と答えた。これには記者が「1年1万人なら、1億人になるには1万年かかる計算だが」と質問。事務総長は「人口減少情勢を考えるともう少し早く国民皆裁判員が実現するのでは」と答弁。失笑とため息が広がった。

 『日経』の記者が「官房長官から裁判員の自殺の話が出たが、裁判官の自殺は出ていないのか」と質問。事務総長は「裁判官の自殺は裁判員制度が始まってから10人だ。しかし、裁判員裁判のために自死したと言い切れる例はない」と答弁。記者は「言い切れる例とは」と再質問すると、「その趣旨の遺書があったというようなことだ」と答えた。『TBS』の記者が「きちんとした調査はしていないのか」と聞くと、「きちんとしたとはどういうことか」などと答え、またため息が広がった。

 「このところ高浜原発の再稼働容認とか、伊方原発の差し止め却下など、司法が行政にすり寄る判断が続いている。裁判員制度も内閣が止めるというので最高裁も追随しているということでは」と『日本テレビ』の記者が質問。今崎事務総長は「司法の行政追従が指摘されるが、裁判員制度はいずれ終わるということは私たちの世界ではかねてから考えられていた」と答えた。これには記者は「先ほどは人口減少を考えれば1万年もかからないとか何とか言っていたではないか」と尋ねたが、事務総長は答えなかった。

竹崎前最高裁長官はyjimage7G04IBIO
 『NHK』の記者が竹崎博允前最高裁長官の私宅を深夜直撃訪問。政府・最高裁の記者会見の模様を伝えて意見を聞くと、前長官は情報を事前に知らされていたようで、落ち着いて次のように語った。「この制度はそんなに長く続けられるものとも続けるべきものとも思っていなかった。だいたい、私はもともと国民が裁判に参加することに意味があるとは考えていない」。
驚いた記者が「ですが、竹崎さんは制度推進の旗を振って最高裁長官になられた」と聞くと、竹崎氏は「まあね」と答え、続けて「ただ、ボクはもともと市民の司法参加には意味がないと言っていた。当時、鳩山邦夫法務大臣はサイバンインコのゆるキャラなんかに扮してうれしそうにしていたが、後に実は私も反対だったなんて言っていた。私は正統派の消極論者で自分の意見を以前からはっきり言っていた」と語った。
記者が「そういうのを変節と言うのでは」と聞くと、竹崎氏はかすれただみ声で「まあね」とまた答えた。どうやらこの言葉はこの人の癖らしい。

 記者が「裁判員を経験した市民がほとんど良い経験をしたと言ってるという話でしたが」と聞くと、竹崎氏はにやっと笑って、「感想は日当を貰う前に聞かれるんだよ。つまりそういうことさ」と答えた。
かくして、制度構想から16年、実施から8年。この制度はついに幕を下ろす方向が確定した。

=読者の皆さまへ=yji11ma1ge
昨年の4月1日の当欄で、寺田逸郎最高裁長官が死亡していたことを報じましたが、その後、寺田長官と酷似する人物が長官として執務をしているとの報道に接しました。影武者ダミーであるかどうか判然としませんが、裁判員いらないインコは引き続き真相究明に向けて鋭意調査いたします。新事実が明らかになった時はあらためてお知らせいたします。

投稿:2017年4月1日