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超えるか超えぬか 最高裁はどこに行く

外は激しい雷雨の午後、鸚哥大学の研究室の中はさらに騒がしいようで…

0063111先輩、あの最高裁が求刑1.5倍の下級審判決を見直しそうだという話。今年5月6日のトピックス「『いま、最高裁は語りはじめます』ってか?!」でも教えてもらいましたが、6月26日に弁論が開かれたようですね。

1-e1397901276348 うん、6月26日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で弁論が行われたので、今日はもう少し踏み込んで説明しようか。

001177ちょっと待って。その前にもう一度、事件のおさらいを。これは、裁判員裁判開始翌年の2010年、大阪・寝屋川市で、3女(1歳)に暴行を加えて死亡させたとして、傷害致死の疑いで両親が逮捕・起訴。30歳の父親と31歳の母親が3女に暴行をくりかえし、父親が娘さんの頭を叩くなどして死亡させた、実行行為に加わっていない母親も同罪だとされた事件ね。

うん。11-e1397901276348審大阪地裁は、「3女は食事もきちんと与えられず発育も不良になった。暴行は殺人と傷害致死の境界線に近い」と認定し、「虐待事件に今まで以上に厳しい罰を科すことが、児童の生命を尊重しようとする社会情勢に適合する」と量刑の理由を説明して、父親・母親の2人に、検察官の求刑懲役10年を5割超える懲役15年の判決を言い渡したんだ。

001181判決後の裁判員の共同記者会見の場では、「親にしかすがれない子どものことを考えると殺人罪より重い」と述べた男性裁判員がいたそうね。「殺人罪より重い」ってどういうことかって話題になったけど、うちもどういう意味かと思ったわ。たぶん、ひとおもいに殺されるよりも残虐って言いたかったのかもしれないけどね。

1-e1397901276348そうだね。そして 父親・母親は最高裁に上告し、その結果、6 月26日に弁論が行われたって訳だ。

001177いよいよ裁判員裁判に関する最高裁の判断が問題になるわね。 裁判員の判断を尊重しなければならない制度推進側の姿勢としては、「重い判決を求める」裁判員たちの要求を無碍(むげ)に切って捨てる訳にはいかない。しかしそうかと言って裁判員たちの言うことを天の声とあがめ奉る訳にもいかない。

1-e1397901276348 そうさ。裁判所はいま、制度推進の建前でやたら使った誉めあげ言葉と、先例との均衡を重視する伝統的基準のはざまで、ぐられぐらりと揺れているからね。最高裁自身、2012年3月には「よほど不合理でない限り、裁判員裁判の判断を尊重すべし」と言ったかと思うと、その年12月にまとめた裁判員制度実施状況検証報告書では「裁判の結果は総体としてみればこれまでの裁判と極端に異なっているわけでもない」と評価したりしていて、最高裁自身、本当のところどう考えているのかと全国の裁判官から見守られている。

001177 最高裁は、原則として、裁判の途中で法廷を開きませんから。審理はすべて調査官の調査と裁判官の合議によって密室で進めます。

卵なし4だから最高裁は「開かずの門」って…

001177あのね。「開かずの門」というのは、最高裁は上告受理事件総数の9割以上が上告不受理決定になっていることや再審がほとんど行われないから言われていることなの。ともかくこの話はまた今度ね。
さっき、法廷が開かれないと言ったけど、死刑に関わる事件では、事柄の性質上慎重を期し法廷を開く長い慣行があるの。下級審判断の見直しは、下級審判断が逆転される可能性が出て来た場合ね。

1-e1397901276348だから見直しを求める当事者、今回の件で言えば被告人である父親・母親にとっては自分たちの言い分が認められるかも知れないことになったことを意味するんだ。 被告人側は、暴行の意思がなかったとして無罪を主張したほか、量刑不当の主張として「同種事件の過去の量刑傾向を著しく逸脱している」「裁判官は裁判員の極端な意見にブレーキをかける責任を怠った」と主張し、検察は「裁判員の参加で量刑の幅が広くなるのは当然」「社会情勢を重視する市民感覚を反映させるのは裁判員制度の趣旨にかなう」と反論したんだ。

001177 でも、自身の求刑を5割も超えられたということは、検察の求刑は市民感覚をまるっきり反映していないって裁判所から宣告されたっていうことでしょ。検察としては形無し・赤恥・顔色なしの話で、「量刑の幅が広くなるのは当然」なんてすましていられる話じゃないんじゃない。

1-e1397901276348まぁ、一朝事ある時は(?)証拠のねつ造も厭わない検察だからねぇ、なんでもありっていうことかもね。
そうか、そう言えばあの事件も大阪だったよなぁ。

卵なし4大阪地裁の裁判員裁判の結果が最高裁によって覆されれば、その結果はどうなるんでしょうか。

1-e1397901276348そうでなくても裁判員裁判に嫌気がさしている国民が激増している状況だからね。裁判員の出頭率がどんどん落ち込んでいるこのときに、裁判員の言うことに従ってばかりはいられないなんていう判断が出たら、それこそ生命維持装置を外された上そのアタマをトンカチでぶっ叩かれるくらいのダメージを受けることになるだろうね。

卵なし4判決言渡しの日にちは後日決めるということになったようですので、判決の時には詳しく説明してくださいね。

001177もちろん。インコさん、大丈夫よね。求刑超えの判決は裁判員制度が始まってから急増しているし。裁判官裁判の10倍とも言われてるから。そのことについても機会を変えて詳しく説明してもらいましょ。

1-e1397901276348 誰かに盗られるくらいなら殺してもいいかとか、刺さったまんまの割れ硝子とか、穏やかでない何とか超えの唄もあるけれど、求刑超えというのも穏やかさに欠けること甚だしいものがあるからね。インコ、羽をふるって皆さまのご期待をそれこそ超えるご報告をいたしまするぞ。  

読書うさぎつったく…おだてりゃすぐ調子に乗るんだから…。
でもまあそれでちゃんとレポートを出してくれるならそれでいいけどね…

投稿:2014年6月30日

日弁連はいつから「ゲーム感覚」で考えるようになったか

日弁連機関誌『自由と正義』(2014年6月号)の巻頭エッセイ「ひと筆」を読んだ弁護士さんから、「大阪弁護士会の『ゲーム脳』を叩くべきだ。こんな風潮を許してはならない」とか、法律関係者の方からは「インコちゃん、これを問題にするかゲーム自体を問題にするかしなければ」とかの声が寄せられました。

で、読んでみました。巻頭エッセイのタイトルは「ゲームで裁判員!」いとさん
「インコによるゲーム脳弁護士の批判」と考えていたら、大阪は本町出身のマネージャーがこのエッセイに対する意見をはやばやと書いてきました。それもなんと大阪弁で。こてこて過ぎですが、書き直させる勇気がありません。このまま突っ走ります。どうかご容赦を。

何と軽くて薄っぺらな文章なんや。筆者は大阪弁護士会の会員飯田幸子はん。法曹会名簿で見るとまだ駆け出しの弁護士さんらしい。謙遜だか何だか知りまへんが、本人自身もそないなことを言(←「ゆ」と読んでほしい。以下同)うとる。じぶんが作った裁判員裁判ゲームの話である。

ゲームは放火事件の裁判員が刑事裁判を疑似体験する内容。「お堅いイメージの弁護士会のゲーム開発で興味をひいたんやろう」と解説し、「クオリティーの高さに大阪弁護士会の本気を垣間見た」ちう驚きの声が上がったとおんみずから紹介してんねんで。

ゲームサークルで同人ゲームを発表した経験があるよって、裁判ゲームは法科大学院生時代からの構想やったんやと。で、「裁判ゲームを作ってみたいねん」と大阪弁護士会の法教育委員会で提案したら、役員連中、「ご反応はお酒のせいかたいそうノリが良かったねん」。「複雑な心証形成の再現を危ぶむ声も一部にあったようやけど、役員やらなんやらの後押しで企画は順調に滑り出したんや」と。

まぁなんやしらんけど脳天気なこっちゃな。ご本人は企画の「成功物語」を書いとるつもりやろが、「法教育」を実践する弁護士会の役員連中ちゅうのは、こないな水準の人たちなんかとつい思ってしまいましたねん。

ゲームの惹句は「弁護士が100%シナリオを手がけた本格裁判ゲーム」やそうや。人物設定、証拠構造、冒頭陳述、論告弁論、ほんで評議と、「専門職ならではの本格的シナリオが出来上がった」。「ゲームとしてのエンタメ性も不可欠。ここはうちの腕の見せ所。息抜きシナリオも充実させた」と。「ゲームの評判は上々。事件の真相が明かされへんことがゲームにリアルさと奥行きを与えた」ともご本人が言うたはる。はっきり言うて、こういうのを「ひとりでよがっとる」って言うんやろうなぁ、とうち思うで。

「どなたはんかに何ぞを伝えることをゲームちゅう手段で実現できてうれしい。唯一残念なのは大阪弁護士会に続く第2弾作成の会がないこと、次々発表されるのがうちの夢」と。はぁ。

そうなん、そうやんなあと言ってあげたいトコやけど、さすがのうちも言葉を失うわ。自身、裁判員裁判に関わった経験がないと言うてるけれど、裁判員裁判を基本的にどう考えとるのかにまるっきし触れへんことにまず仰天する。

裁判員裁判の現実について、なぁーんも知らんのかしら。あんさんも弁護士なら、裁判員になりたくないって言うてる人が85%を超えとることや、辛い体験をした人がいることや、国を相手取って責任追及の裁判を起こしとる人がいることやらなんやら、ちびっとはご存じでっしゃろ。大阪で法教育に関わる弁護士さんちゅうのは、そないなことはまるっきり無縁なんやろかね。「さまざまな議論があるようだけれど、ここではとりあえず触れまへん」くらいのこと、ウソにも言えんのかと思っちゃいまんねんけどねぇ。

問題はここで日弁連に移りまっせ。裁判員裁判は厳粛な刑事裁判やで。しかも100件に3件ちゅう重大事件の裁判や。「裁判員裁判をゲームにして市民の関心を引きつけるのはいかがなものか」ちゅう意見は編集委員会では出ぇへんかったんかいな。いやしくも巻頭の文章や。文章の出来、不出来以前の問題としてやな、裁判員裁判に関する日弁連の基本的な姿勢が問われとると言わねばならへん。

それとも、日弁連は、裁判員裁判はゲームのようなものと市民の皆はんに考えてもろうて結構やと言いたいんやろうか。いやぁ、この原稿は編集委員会が折り入って執筆を頼んだものでしてねぇ、なんていう裏話でもあるんやろか。どうであれや、根本的に間違うとる。どないにゲームに夢中になっとる市民でも、ほんまもんの刑事裁判はゲームのおもしろさで考えてええもんとは考えておらへん。刑事裁判のテレビドラマがなんぼ高視聴率を稼いでも、市民はどんどん裁判員就任を強く嫌がるようになっとるのんや。

大阪弁護士会も日弁連も、市民を舐めたらあかん。ダウンロードの多さにご満悦らしい飯田幸子はんとやらにお伝えしておくわ。全国の弁護士会のどこにも第2弾の動きがないちゅうことは、ほんま当然のことなんや。あんさんや大阪弁護士会のこのゲーム構想にひたすら追随せえへんちゅうこと自体、皆はんの行動への懸念や疑問や批判やらなんやらの態度を表明するものなんや。

うちに言わせれば、大阪弁護士会の中から「このような企画には問題がある」ちゅう声が上がってぇへん(とするやろ,ほしたら、その)ことの方がよほどおかしいと思うだけやん。

さぁ、『自由と正義』編集委員会の委員長臼井幹裕はん(愛知県弁護士会)、副委員長中城重光はん(東京弁護士会)、大谷美紀子はん(同)、牧田潤一郎はん(第二東京弁護士会)、髙橋司はん(大阪弁護士会)たち、インコの批判にどうお答えになりまっしゃろか。005054

 

 

 

投稿:2014年6月23日

裁判員裁判はえん罪を確実に増やす

よい子の皆さん、お待たせしました。曹洞禅、臨済禅と並ぶとも言われる(マネージャー注:わけないだろ)インコ禅の教祖めざし日夜精進に励んでいる私めと弟子(マネージャー注:鸚哥大学の後輩のことです)の問答、そうインコ禅問答の登場でーす。

0063111 6月4日の『朝日新聞』オピニオン欄に、日弁連全国冤罪事件弁護団連絡協議会座長の今村核さん(写真)ていう弁護士さんがインタビューに答えているのを読みました?20140604-00000010-asahik-000-1-view

1-e1397901276348 うにゃ、読んでない。

卵なし4 インタビューのタイトルは「冤罪 防げますか」です。えん罪問題がテーマらしいんですが、裁判員制度にも触れてるんです。

1-e1397901276348ふーん。で何が議論されている。

卵なし4 インタビュアは、裁判員裁判はえん罪を防ぐ効果を持っているかと尋ねています。

1-e1397901276348 で、その人は何と答えてるんじゃ。

卵なし4 今年3月までに裁判員裁判で判決が出た6391人のうち、有罪が6357人、無罪は34人、有罪率は99.5%だった。全刑事事件の有罪率は99.9%だから、職業裁判官の裁判なら6、7人程度しか無罪にならない計算なのに34人も無罪になったのだから、えん罪を防ぐ一定の効果はあったと言えるって答えています。

1-e1397901276348 あいっ。ちょっと待て。それは聞き捨てなるまいぞ。

卵なし4 どこがですか?


1-e1397901276348 インコの手元のデータと突き合わせるとだな、「今年3月までに裁判員裁判で判決が出た6391人のうち、有罪が6357人、無罪は34人」というところまでは正しい。しかしそこから後がおかしい、いや間違ってると言った方がよい、ダメだ。

001177 座禅組んでるふりなんかしてもったいぶらないで、具体的に説明してあげなさいよ。


1-e1397901276348(ちっ、またうるさいのが出てきた…)「全刑事事件の有罪率は99.9%で、職業裁判官の裁判なら6、7人程度しか無罪にならない計算なのに34人も無罪になった」って言ってるんでしょ。「有罪率」という表現の曖昧さも気になるし、「全刑事事件の有罪率は99.9%」って言ってるところは全然なってないし。

卵なし4 どこがおかしいと。


1-e1397901276348 まず、有罪率と言うけれど、有罪の人数を「総人員」で割ったのか、それとも「有罪+無罪」で割ったのかがはっきりしない。それに「99.9%」っていう数字をどこから引っ張ってきたのかの説明もない。

卵なし4 なるほど。本当は99.9%なんていう数字にはならないんですか。


1-e1397901276348 なるもならないも、どこかの裁判所のどこかの時期を選べばそういうこともあるかもしれないっていう程度の話だよ。ちゃんとした議論をする気なら、いつからいつまでのどこの裁判所のデータだと正確に断らなければ意味がない。井戸端会議や床屋談義じゃないんだからね。

卵なし4えーと、井戸端って何でしたっけ。


1-e1397901276348(つったく最近の雛鳥は…)集中しよう。データの身元確認のこと以外にも言わなきゃならないことがある。だいたい「全刑事事件の有罪率」を問題にしてもあんまり意味がないんだよ。

卵なし4 と言うと。


001177 詰めた論証の議論をするのなら「裁判員裁判対象事件」で比較すべきです。かつて窃盗事件で有罪・無罪の判決分布がどうなっていたかを調べたところで、裁判員裁判のもとではそういう事件は裁判員裁判対象事件と一緒に犯した場合しか登場しないんだから、比較する意味が乏しいというわけ。

1-e1397901276348そう。つまり、どうしてここで「全刑事事件」を登場させるのっていう話。何かと何かを比較するときには、条件を同じくして比べなければ比較論としての価値が一挙に落ちるっていうこと。

卵なし4よくわかります。おちょこの日本酒とコップのビールでおいしさを比べるなってことですよね。お爺さんから聞いたような気がする。

1-e1397901276348 (無視して)最高裁が2012年12月に明らかにした「裁判員裁判実施状況の検証報告書」という資料がある。そこで裁判官裁判で言い渡された判決と裁判員裁判で言い渡された判決の比較が行われているんだ。「図表3 終局結果の比較(罪名別)」だよ。

卵なし4 ふーん、ケンショーでシューキョクねぇ。で、そこにはどう書いてあるんですか。

001181(ぼおーっとしてきているけどわかってるのかな)


1-e1397901276348 ここでは条件というか、判断のわくを近似させて比較している。まず、比較する対象を裁判員裁判の対象の罪種にしぼる。そして、裁判員裁判が始まる前の3年間にプロの裁判官が出した判決と裁判員裁判が始まってからの3年間に裁判官と裁判員が一緒になって出した判決を比べる。そこで有罪や無罪の数値がどう変化しているのかをみているんだ。

卵なし4 最高裁も結構やってんだ。

1-e1397901276348 いや、裁判官裁判と裁判員裁判をきちんと比較しようと考えれば、これは当たり前のこと。ほめるような話じゃない。

卵なし4 裁判官による判決だけど、罪種で言えば裁判員裁判の対象になるはずの事件の判決をピックアップしてみたということですね。

001177よくわかってきたじゃない。


卵なし4それほどでも…。つまり、それが条件の近似化っていうことですよね。日本酒もビールもコップで飲めと。


1-e1397901276348 最高裁の資料をもとに、マネージャーに整理してもらったのが下の表だ。上手にまとめてくれたのでこれで十分です。元の「図表3」を見る必要はない。 今村表2

001177 エヘン。


1-e1397901276348 まず、制度実施前の2006年から08年までの3年間に裁判官裁判で言い渡された判決について有罪・無罪の分布状態を見ると、被告人7522人のうち有罪(一部無罪を除く)が7224人だったことがわかる。

卵なし4 被告人の総人数を分母にして有罪の総人数を分子にすると96.0%になってますね。ところで「一部無罪」ってなんですか。

1-e1397901276348 2人を殺したって起訴された事件で1人が無罪になったようなケースだね。

卵なし4 ということは、「無罪」っていうのは検察官の起訴が完全に否定されたケースですか。

1-e1397901276348 そのとおり。数は少ないけれど「一部無罪」というケースもある。さて、今度は、制度施行(2009年5月21日)から2012年5月31日までの約3年間の裁判員裁判で言い渡された判決を見る。制度が始まった初期の3年間の数字で、現在までの総数ではないことに注意しよう。被告人の総数は3884人だ。

卵なし4 ずいぶん少なくなってますね。

1-e1397901276348 そう、ほぼ半分だ。重大犯罪が激減していることがよくわかるだろ。実は、もう少し広げて事前5年と事後5年を比較するとその差はさらにはっきりする。もう半分を大きく割り込んでいるよ。話を戻すと、この3年の有罪の人数は3769人だ。そしてその比率は97.0%だ、97.0%だよ。

卵なし4あっ、あっ、あっ。裁判官時代の有罪率96.0%が、裁判員時代に入ったら97.0%にアップした。裁判員裁判の方が有罪率が高くなっている。

1-e1397901276348 そうなのさ。さらに分析を進めようか。覚せい剤取締法違反に限ってみると、裁判官裁判では178人中の173人が有罪、つまり有罪率97.2%。それが裁判員裁判になると353人中の334人が有罪だ。

卵なし4 へぇーっ。覚せい剤取締法違反は、裁判員裁判時代に入って数が増えているんですね。

1-e1397901276348 そう、刑事犯罪が激減するすう勢のなかで、覚せい剤を外国から日本に持ち込む犯罪は大きく増えているようだ。ところで、この犯罪に限って見ると、有罪率は確かに下がっているでしょ。この有罪率は94.6%だよ。

卵なし4 本当だ。97.2%が94.6%になってるんですね。

1-e1397901276348その一方、覚せい剤取締法違反事件を除く事件では、裁判員裁判の有罪率は跳ね上がっている。いいかい、裁判官裁判の有罪率は96.0%なのに、裁判員裁判の有罪率は97.3%。1.3ポイントも増えているんだよ。これにはインコも改めて驚いた。驚いたなんてもんじゃない。驚き桃の木さんしょの木。ブリキにタヌキに蓄音機。

001181ちょっと、それいくら何でも古すぎない?


へ? ………

卵なし4市民生活に密着した罪種って言えば道路交通法違反くらいで、生活感覚の延長線上で考えられる重大犯罪っていうのはあんまりないけれど、それにしても覚せい剤の密輸入というと、並外れて縁遠い罪種でしょうね。

001181(急によくしゃべるようになったわね…。) そうよね。一部の有罪減少傾向を別とすれば、裁判員裁判対象罪種のほとんどは有罪増加の傾向を示している。

1-e1397901276348 ここにまとめてないけれど、元資料の図表3に基づいて言うと、強盗致傷は94.2→97.2、殺人は97.4→97.7、現住建造物等放火は96.4→97.2、傷害致死は97.6→97.9、強制わいせつ致死傷と準強制わいせつ致死傷が97.2→99,5、強盗強姦が90.5→91.4、強盗致死(強盗殺人)が95.8→98.2っていう具合だよ。

卵なし4あややっー。

1-e1397901276348 裁判員裁判の傾向は明確に有罪の増加だ。君の言うそのなんたらさんは、こういうきちんとした分析をしていないとみえる。本気で裁判員裁判では無罪が増えているって思っているとすれば不勉強だし、本当のことを知っているんだったらウソつきっていうことになるだろう。

卵なし4あいやっー。

 001177今、インコさんは「有罪率」で比較したけれど、無罪の総人数を終局人員の総人数で割った「無罪率」を考えてみて。さっきの表をもう一度見てご覧。裁判官時代は0.6%だった無罪率が裁判員時代には0.5%に下がっている。0.1ポイント減ね。

卵なし4  ひょえっ。

1-e1397901276348 人数で言えばだ。裁判官3年で1,000人中6人の無罪が出ていたのに、裁判員3年で1,000人中5人しか無罪が出なくなってしまった、覚せい剤取締法違反を除けば6人から3人までどか減りしてしまったっていうことだ。

卵なし4わかりました、わかりました。このなんたらさんはウソつきに違いありません。

001177 もう1つ付け加えておきましょう。捜査当局の間から、覚せい剤密輸の事件は裁判員裁判の対象から外そうという意見が出ています。

卵なし4 ふーっ。有罪率が下がり無罪率が高まることがえん罪防止の鍵になるというこのインタビューの論法を前提とすれば、裁判員制度はえん罪防止どころかえん罪助長の鍵を捜査当局に与えていることになりそうですね。

001181 (うわっ、今日一番のヒットの言葉。この子にしては上出来) そのとおりです、本当に。

卵なし4 この人のお説をもういちど確認したくなった。「今年3月までに裁判員裁判で判決が出た6391人のうち、有罪が6357人、無罪は34人、有罪率は99.5%だった。全刑事事件の有罪率は99.9%だから、職業裁判官の裁判なら6、7人程度しか無罪にならない計算なのに34人も無罪になったのだから、えん罪を防ぐ一定の効果はあったと言える」。でもどうしてこういう物の言い方が堂々とできるんでしょうか、この人。

001177 私のオフィスにある「エンサイクロペディア・シッタカブリタニカ」でこの人を調べたら、少しわかりましたよ。自由法曹団の司法問題委員会委員長という肩書きの人ですね。著書『冤罪と裁判』の中では、「裁判員制度で冤罪を減らせるか」という章をわざわざ設けて、職業裁判官では乗り越えることが困難な障壁を現実的に乗り越えるんだって、そんな言い方で裁判員裁判を評価しています。この人、どこでも決まり文句のように「有罪率は99.9%」って言い、自分は何件無罪をとったとかやたらに言いたがる人のようですね。

1-e1397901276348 自由法曹団っていうのは「裁判員制度は市民が裁判に参加するという点で,民主主義・国民主権の意義にかなう制度と言える」って言っていたあの団体だろ。『朝日新聞』とは波長がやたら合うんでしょうかね。

001177 ま、そういうことになりそうね。

卵なし4 

今日のお話を整理させて下さい。
□裁判員裁判になった結果、以前より全体として有罪が増え無罪が減った。
□裁判員制度はえん罪防止に役立たないどころかえん罪を増加させている。
□ウソを言って人を騙すのは悪いことだ。
これでいいでしょうか。

1-e1397901276348 ま、いいんじゃないか。今日は触れなかったけれど、裁判員裁判には判決の重罰化を進めているというもう1つの大問題がある。求刑超え判決が裁判官時代の10倍にもなっているというようなことも最高裁の統計数字に出ている。そういうことをまとめて言えば、裁判員裁判はえん罪を増やし、重罰化を押し進めるものということになるね。喝

 

 

投稿:2014年6月17日

裁判員こそ死刑を判断せよ!? NHKの恣意的なアンケート調査

弁護士 猪野 亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」6月2日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

少々、古くなりますが、NHKで報じられていたニュースからです。
その見出しは「裁判員経験者「死刑判断行うべき」57%」というものです。
(NHK2014年5月17日)

これは、裁判員ないしは補充裁判員経験者に行ったアンケート結果ということなのですが、この見出しをみると、いかにも多くの裁判員経験者たちが死刑判断を行うべきという決意に道々溢れたような報道の仕方です。
よく裁判員経験者に対するアンケートでは、多くの裁判員経験者が良い経験をしたなどと回答したいうアンケート結果があり、これも頻繁に報道されています。
裁判員を経験したこと自体は良くも悪くも経験に過ぎませんから、問われればよほど嫌な目に遭わない限りは「良い経験」という結果にしかなりません。
その程度のアンケート調査に過ぎないのですが、このような「良い経験」とも相まって、いかにも裁判員経験者は死刑の是非の判断に対しても積極的に行うべきという印象を受けてしまいます。

しかし、その実態はどうでしょうか。
NHKの報道の中に答えがあります。
NHKがとったアンケート調査方法は、
過去1年間に裁判員ないしは補充裁判員経験者の中の252人に郵送やメールで実施
その252人の中の77人が回答。
その中の57%が上記のような死刑判断を行うべきと回答した、要は44人程度だということです。
この1年間に裁判員ないしは補充裁判員経験者の実数は、1万人を超えているものと思われます。
(最高裁意識調査平成24年度版では、裁判員ないしは補充裁判員経験者に対するアンケートで裁判員8331人、補充裁判員2604人からアンケート結果が回収されていますが、これも回収率は100%ではないと思われます。)

1万人を超える母数がありながら、死刑判断積極派は44人ということですが、とてもではありませんが、NHKの報道の仕方は意図的と言わざるを得ません。
もともと回答する層自体が裁判員制度に対し、「積極性」がある層ですから、逆にいえば、積極派は、その数(44人)で尽きているともいえます。
もともと報道機関が行うアンケートは、裁判員ないしは補充裁判員経験者が匿名扱いとなっているため、裁判員裁判の終了後に記者会見に応じている数少ない裁判員積極派(たまに反対意見を述べるために応じている裁判員経験者もいます)でその際に知り得た連絡先が今回のNHKのアンケート調査の対象だったということになります。
(それ以外のルートは想定できません)

このNHK報道では、國學院大学法科大学院の四宮啓氏のコメントがあります。
「アンケートからは国民みずから権力を監視すべきだという制度の趣旨を理解していることが分かる。一方で死刑は精神的な負担が重いことも事実で、審理の在り方や心のケアの問題を一層改善すべきだ

このアンケート結果から、何故、国民による権力監視に理解などというコメントが引き出されるのか全く不可解です。そもそも裁判員制度は権力監視のための制度ではありません。
この四宮啓氏は、司法「改革」ではトンチンカンなことばかりを発言していました。
「起訴≠有罪」?? 四宮啓氏の主張の問題点
NHK 「日本のこれから、裁判員制度」(08年12月6日)へのコメント

四宮啓氏は、死刑制度については否定的見解をお持ちのようであり、それはそれで良いと思うし、四宮啓氏の発言(見解)に私も共感するものもあります。
「裁判員裁判の死刑判決を破棄 高裁の役割を示す」

しかし、四宮氏は、死刑について裁判員が判断することの是非を問われても、死刑については分けて考えるべきだなどという見解を示してきたのですが、いかにもご都合主義に過ぎます。現に裁判員制度は死刑制度を前提にしているのですから、分けて考えるなどあり得ないことです。いくら裁判員制度を推進したいからといって自分の頭の中だけの理想的に作り上げた裁判員制度をもってして裁判員制度を語るのは裁判員制度の問題点を覆い隠す役割にしかなりません。

021639

投稿:2014年6月15日

制度5年で見えてきた情景-「裁判員ネット」報告集会に参加して

OM(ジャーナリストの卵)

5月17日、東京・日比谷で開かれた「裁判員ネット」報告集会を覗いた。集会の主催は「裁判員ネット」。この団体は、「裁判員制度についての情報発信を行い、裁判員制度に市民が主体的にかかわれるようにすることを目的069160とした非営利団体」(HP)だ。市民モニターが各地の法廷を傍聴し、模擬評議や意見交換会を行っている。5年間の裁判員裁判の実施状況が報告され、制度に対する提言などが紹介された。
 以下は私の感想である。

□ 最高裁の調査結果
最高裁が今年1月に行った「裁判員制度の運用に関する意識調査」では、「裁判員として刑事裁判に参加したいと思うか」という問いに、「義務であっても参加したくない」が44.6%、「あまり参加したくない」が40.6%、その合計が85.2%という回答結果になっている。
http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/H25_ishiki_4.pdf
「裁判員裁判の実施状況について」という最高裁統計では、選任手続期日に出席を求められた候補者のうち実際に出席した者の割合は、2009年83.9%、10年:80.6%、11年:78.3%、12年:76.0%、13年:74.0%と変化している。
(http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/h26_03_sokuhou.pdf
アンケート結果でも、候補者の出席率でも、数値は年を追って低下している。制度に対する国民の意識は冷淡で、参加意思・出席率・辞退率は顕著な悪化を示していることが明らかだ。

□ 市民モニターの声
裁判を傍聴したモニターの声が紹介された。裁判中一言もしゃべらない被告人に悪い印象を持ったとか、弁護人より説得力がある検察官の求刑がふさわしいと思ったなどの報告が印象的で、黙秘を重い量刑判断に結びつけたり、弁論のよしあしをわかりやすさでとらえたり、どちらかに勝ち旗をあげるのが裁判員の役目と思っているようなケースもある。考えさせられる。

裁判員ネットは、「無罪推定の原則」や「黙秘権の保障」などの刑事裁判の基本理念に関する法教育を提言した。市民の司法能力を高めようという提言だが、能力が高まる前にどんどん判決が下されてゆく現実をどうするのか。

□ 会場の質問
「裁判員裁判の評議の内容は一切記録されていない」という話が出た。職業裁判官の判決なら、量刑判断がそれなりに判決文に反映される。しかし、裁判員裁判の判決文は多くがシンプルで、量刑理由がよくわからないことがあるという。重大な刑事事件の被告人を裁くのに量刑判断が十分示されていないとすれば問題だ。

上級審の審理では、下級審の事実認定や量刑判断が検証される。「市民感覚」のベールに阻まれてその検証もできないのは良い訳がない。忘れてならないのは、裁判員裁判の判決には職業裁判官が加わっていることだ。『自由と正義 Vol.64』2013年8月号、86頁)は、裁判員裁判の判決について大要次のように紹介している。

徳島地裁は、平成23年6月16日、強制わいせつ致傷、住居侵入、強制わいせつ未遂、傷害の事件で、求刑8年のところ、懲役9年の求刑超え判決を言い渡した。その量刑理由は「被害者の人格を全く無視した極めて卑劣なものであり、被害者が受けた精神的苦痛は計り知れず、強姦被害にも匹敵するものである」というものであった。

しかし、性犯罪事件が被害者の人格を無視した卑劣な犯行であることは一般的に言えば当然のことである。「強姦被害にも匹敵」するという評価がされた理由を具体的に判示する必要があったのではないか。

大阪地裁は、平成24年7月30日、殺人罪で求刑16年の事件に懲役20年を言い渡した。長年引きこもり状態にある被告人が親族を殺害した事件である。判決の量刑理由は、刑を重くする事情に再犯リスクを挙げた。しかし、被告人には殺人前科はなく、鑑定人も再犯可能性は非常に少ないと証言していて、論告でも再犯可能性は強調されていなかった。にもかかわらず刑を重くする理由として判決は再犯可能性を指摘した。判決の判断根拠や評議の在り方には大きな疑問が残る。この判決は、平成25年2月26日、控訴審の大阪高裁で破棄され、懲役14年とされたが、職業裁判官が加わってもこのような判決が出てしまうことはゆゆしい問題と言わざるを得ない。

□ 正反対の意見
5月20日の朝日新聞は、「裁判員に負担をかけない審理を」という横田尤孝最高裁判事の言葉を紹介し、審理の長期化は望ましくないとし、わかりやすい裁判を求めた。

裁判員ネットで模擬評議を行った多くの市民モニターは審理時間の不足を上げ、日程を柔軟にして訴訟進行にも裁判員の意見を反映させよと提言した。最高裁やマスコミが「裁判員への負担軽減」「審理時間の短縮」を言うのとは正反対の意見が市民モニターから出されている。

また、「専門的な知識はいらない」とか「市民感覚を司法の場に」というこれまで各方面で強調されてきた指摘についても、法教育を通して刑事裁判の理念を社会に根づかせる必要が強調されたり、刑事裁判の理念の指導が提言されたりしている。裁判員裁判に接して問題意識を持った市民ほど、手ぶらでは裁判に参加できないとか、短い審理では足りないという思いを強くしていることがわかる。

□ 楽観的な展望はできない
集会では様々な問題が指摘された。参加に否定的な回答が8割を超えた現状は、「おおむね順調、改善点は克服」などと楽観視できる状況ではおよそない。

そしてその根底には刑事司法への不信がある。この不信は裁判員制度の導入で回復されていない。と言うよりも司法能力が作用していない現在の裁判員裁判はかなり深刻な状況にある。

袴田事件を思い出したい。事件当時、裁判員裁判が行われていたら、「市民感覚」は適切な事実認定を行い得ただろうか。事実が争われなかった事件でも誤った量刑判断が少なくなかったのではないか。その点のあいまいさを残したままで刑事司法の現場に駆り出されているのではないか。圧倒的多数の市民が不参加を表明するのは当然だとも思う。より良い刑事司法の実現をうたうなら、まずは刑事司法が「自浄」され、市民に信頼される刑事司法になる必要があると痛感する。「太鼓持ち的楽観的展望」をいくら展開しても、裁判を真剣に考える市民モニターの賛同を獲得しないだろう。

042512

 

投稿:2014年6月13日

日経新聞のトンデモ社説(裁判員)  

弁護士 小川義龍

下記は「弁護士  小川義龍 の言いたい放題」5月26日の記事です。
小川弁護士のご了解の下、転載しております。

司法制度論に関しては、突出しておかしな社説が多い日本経済新聞だが、久しぶりに凄いものを見た。

「5年の経験生かし開かれた裁判員制度に 」(日経新聞 2014/5/26付
以下、引用する(原文はこれ)。

『刑事裁判に市民が参加する裁判員制度が始まって、5年がすぎた。今年3月末までに4万9434人が裁判員や補充裁判員に選ばれ、計6396人の被告に対して判決を言い渡した。
制度はおおむね順調に定着しつつある。だが裁判員の辞退率が6割台に上ることや、守秘義務が厳しすぎて経験を広く共有できないことなど、課題も多い。
新たな問題として注目されているのが量刑の判断だ。裁判員制度が導入されて、性犯罪や児童虐待を中心に従来より重い判決が出るようになった。検察官による求刑を上回る判決も増えた。
・・・(中略)・・・
裁判員制度は裁判官、検察官、弁護士という司法のプロだけで完結していた裁判に民主的なコントロールをきかせる仕組みだ。
裁判員の負担をできる限り減らして、より多くの人が参加しやすい環境づくりを進めなくてはならない。守秘義務も緩めて裁判員の経験を社会全体で共有し、制度を育てていきたい。』

さて、この社説
とんでもないことを言っているのがおわかりになるだろうか。

まずは「守秘義務を緩めて」との点
われわれ法曹にとって、守秘義務は最も重要な要素の一つだ。当然、全く同じように裁判員にも当てはまる。

 神父さん牧師さんが懺悔を口外しない、医者が患者の病気を口外しない、新聞社が取材の秘密を口外しない、どれも当たり前に大切なことだ。これを緩めて裁判員の経験を社会全体で共有せよとは、井戸端会議や飲み屋で裁判員経験を皆で語って盛り上がれといっているようなものだ。論外というべきだろう。

 ちなみに取材源の秘匿をちょっとでも緩めるべきだと誰かが主張しようものなら、日経新聞、おそらく目の色変えて抗議するんじゃないか。

裁判員制度が「民主的コントロール」との点
裁判員制度は、市民の素朴な常識感覚を事実認定をはじめとする裁判に反映させようとする制度であって、決して民主的コントロールを主眼としたものではない。

 民主的コントロールを主眼とされてしまうと、裁判所は国会と同じになってしまう。裁判官も国民の多数決判断に拘束されるべきとの発想だ。これは間違っている。なぜなら、国民の多数決によって抑圧された少数弱者の権利を保護することも裁判所に期待されている役割の一つだからだ。

 民主的コントロールを強められては、裁判所は国会と同じく、多数の代弁者となってしまう。裁判所は民主主義(多数決)が支配する場ではなくて、自由主義(人権)が支配する場なのだ。

裁判員の「負担を減らして」との点
世間の注目を集めるような裁判で、時間や手間がかかるのは当たり前だ。特に有罪の場合に死刑が想定されるような事案は、人の命を国が奪うかもしれないわけだから、なおさら慎重に臨まなくてはならない。

 それなのに裁判員の負担を減らすべきだとは本末転倒も甚だしい。裁判はいったい誰のものなのか。少なくとも裁判員のものではない。裁判員には、悲惨な証拠を直視して頂かなくてはならないし、自分の生活に影響が出ようと、十分な時間と労力をかけて取り組んで頂かなければならない。それが、刑罰を科するということだ。

 裁判員裁判によって宣告される刑罰は、人の自由や生命を強制的に奪うという、とんでもないことであって、裁判員の人生経験を深めるためのイベントではない。裁判員を経験したことがトラウマになってしまっても、その裁判によって強制的に命を奪われる被告人、強制的に長年にわたる自由を全て奪われる被告人の不利益と比べれば、やむをえない。犯罪者だからといって人権を軽視してはならない。まして犯罪者だと断定する前の、もしかしたら彼は犯人ではないかもしれない被告人段階ではなおさらだ。刑事裁判とは、そういうものだ。素人だからと、甘やかせる場面ではない。

 もし、国民にそこまで期待するのが無理なのであれば、そもそも裁判員制度は間違っていたのだ。この先、やめた方がいい制度ということになる。実際、私は、もうやめた方がいいと思っている。大手新聞が、こんなとんでもないことを社説で主張しなければ、この先維持できない制度なのだから。

「量刑」は重い方がいいとの点
日経新聞は、刑罰の量刑は重ければ重いほどいいと考えているようだ。
つまり、大衆が拍手喝采する量刑をどんどん科すべきとの意見のようだ。こういう大衆の拍手喝采によって、古くは魔女裁判が、そして太平洋戦争では、少数弱者を非国民としてさげすんだことを、あらためて思い出す必要がある。

日経新聞の社説を言い換えると・・・
結局、日経新聞の社説は、こういうことだ。
「今後の裁判員制度を維持発展させるためには、裁判員の守秘義務を緩めて、裁判員の負担を減らしつつ、民主的コントロールを十分きかせて、厳しい量刑を与えるべきだ」と。

 それは言い換えると、こういうことになる。
「今後の裁判員制度を維持発展させるためには、皆で他人の秘密をオープンにしながら、裁判員の都合に合わせて手間暇かけなくていいので、拍手喝采の多数決で皆が叫ぶとおり、さっさと死刑にしろ」と。

 ・・・怖いよ、怖い


201405260041575

投稿:2014年6月11日

裁判員制度5周年社説をインコが突き回す(最終回)-地方紙編

裁判員制度5年。多くのメディアが社説や特集記事を打ち出し、テレビでもニュース報道などが展開された。今、マスコミは裁判員制度について何を言うのか、どう言うのか。主な新聞の社説を取り上げて、観察してみました033851
最終回は、『東京新聞』と『徳島新聞』の地方紙です。この2紙を選んだ理由ですか? 『東京』はインコが読者で、『徳島』はこのホームページの読者の方が送って下さったからですが、まあ東西から1紙を取り上げたと思って下さい。

□ 義務を権利と読み替える最高裁のお先棒を担ぐなっ『東京』(5月24日)
見出しは「民主主義を磨くために」ときた。制度が民主主義を鍛えるらしい。冒頭に「アンケートをとると80%超の人が参加したくないという(本当は85.2%だ。正確に言え)のに、経験者の95.2%が肯定的な回答をした(こちらの数字だけ細かく紹介するな)。このココロは『経験すれば考えは一変する』だ」という文章に始まる。

トホホだね。
まったくもって何にもわかっちゃいない。「こちら特報部」に御社社説の批判特報を書かせたいと思うのはインコだけじゃないだろう。この制度への「好悪」は裁判員経験の有無で真反対、いやそれ以上に転換すると断定し、この乖離は「守秘義務」がもたらしたものだと言い切る。どういう根拠に基づくとそんな大胆な結論が導かれるのか、御社の論説委員の浅薄さはまっこと言語に絶するね。

憶測だけはたくましい。「よい経験をしたと感じる人が年々1万人ずつ増えていく。守秘義務をなくせば制度はさらに国民に近づく」と。よし、じゃぁ言ってやろうか。「よい経験」派が100万人になるのには100年かかるけど、「やりたくない」派は毎年1%、つまり100万人ずつ増えてるんだぜ。

それから、この「よい経験95.2%」のカラクリだ。「特報部」に聞いてみな。インコはこれまで何度も解説している(例えば【「参上」から「惨状」へ-インコ、最高裁データを読む】)けれど、こんなデータには全然価値がないんだよ。勉強が足りなさすぎるね。多少とも探求心のあるジャーナリストだったら、極端に嫌われている制度なのに極端に好きこのむように見える数字が出てきたら、「こりゃなんじゃ」って少しは疑問に思うもんだよ。守秘義務要因? 守秘義務のおかげで嫌われ度がまだこの辺にいるってことも少しは考えておきなよ。

「参政権に等しい」って言ってる最高裁の裁判員制度合憲判決(2011年)を引用して、「新しい権利を得ているのに国民が無関心であっていいはずがない」とのたまう。ウソだね。参政権なら投票しなくても処罰されない。権利には行使・不行使の自由がある。義務だから不行使が処罰される。義務を権利と言いなす欺瞞を批判するのが本当のマスコミじゃないか。だいたい国民は無関心だって誰が決めたの? みんな関心があるよ、寒心って言った方がいいか。みんなよく知った上でイヤだと言ってるんだ。ホント何もわかってない。

『東京』はここから米国の陪審制に学べという長弁舌に移る。だけどねぇ、陪審制と裁判員制度は仕組みも違えば歴史や思想の背景もまるっきり違うっていうことを少しは踏まえた解説をしろよ。「裁判員制度が成長すると民主主義は成熟する」。誰がこの制度を推進してきたと思ってるんだ。制度の現実を見もせず、ひたすら夢想に走るというのは無知を通り越して罪悪だとインコは思うね。

□ 月並み淺堀りでは何も見えないぜっ『徳島新聞』(5月23日)
こちらのタイトルは「たゆまぬ改善で育てよう」。「大きな混乱はなかったが、制度が抱える課題は鮮明になってきた」と。

「大きな混乱なし」? 正当な理由のない不出頭は処罰するなんて息巻いて発足したのに圧倒的多数の国民からひじ鉄くらってしまった。それでも1人も処罰できない。こういう事態を混乱と言わないのなら、世の中に混乱というものは存在しません。100人の「連」から85人が消えたら、阿波踊りは「大混乱」でしょうが。

「市民とプロの意識はいまだに乖離している」「市民感覚の反映と刑の公平性のバランスをとる必要がある」。「市民」と「プロ」の対比で考えたってしょうがない。そんな対比は問題の実相にまるで符合しない。「厳重処罰を求める市民」と「突出した異変判決を嫌うプロ」の対決構造と言えば少し正確になる。しかも、「いまだに乖離している」のではなく、「いまどんどん乖離が進んでいる」のです。高裁の逆転判決は最近の例だし、求刑超え判決の最高裁見直しはこれからのことですよ、『徳島』さん。

だから、「バランスをとる必要がある」なんていう結論もヘン。「厳重処罰要求」をどう考えるのかとか、「異変判決嫌忌」をどう考えるのかということをまずしっかり論じなければいけない。そこをさっと通り越しちゃうから、この社説はどうしようもなく陳腐・月並みなんだ。

県内の(補充)裁判員の経験者は277人、『徳島』が行った聞き取り調査では半数以上が改善すべき点があると答えたという。そしてその多くは残酷な証拠写真を見せられることや長期間の拘束などによる精神的負担の重さだったとある。このデータは貴重な資料だね。

「残酷な証拠写真を見ないで結論を出す」ということはそもそもおかしい。あってはならない。事実を子細に知らないまま判決を言い渡してもよいというそんな裁判は本当の裁判ではないからね。裁判や判決という仕組みは本質的に過酷な内容を含んでいるものです。裁判官も検察官も弁護士も自身の職業人生でそのような経験をすることを覚悟している。一方、そんなつもりのない一般市民が嫌がるのはあまりにも当然の話だ。でも、だから簡略にしてよいとか、印象の薄いものにしてよいというような議論が登場してよい訳がない。そういう考えをする法曹がいるとすれば「司法の自殺を画策する法曹」になる。

聞き取り調査では「長期間の拘束などによる精神的負担の重さ」を言う経験者が多かったという。では4日を3日にしようとか、3日を2日にしようとかいう議論にはならないだろう。なってはいけない。そもそも4日なんてめちゃくちゃ短い、短すぎるっていう弁護人経験者が少なくない。現状でも「長期間の拘束」と感じ、精神的な負担を感じるとすれば、それは「もっと短くせよ」ではなく「私たちにやらせるな」という答えしかもうないはずだ。

『徳島』の聞き取り調査では、「あなたはまた呼び出されたら裁判員をやりたいか」とか「あなたがもし被告人になったら裁判員に裁かれたいか」とか「この制度は今後も続けるべきと思うか」とかの質問をしたのだろうか。そのような質問をしているのなら、その回答を俎上に載せてきちんと論じるべきだ。少なくともその結論は、裁判員裁判の終了直後に裁判所職員監視のもとで書かされるアンケートよりははるかに客観的なものだろうからね、ねぇ『徳島』さん。

徳島は「徳島ラジオ商殺し事件」でえん罪がそそがれたのがご本人の死後になってしまったところ。悔やみきれない「司法犯罪」のご当地です。その犯罪に関わった人たちの継承者たちが、この国の司法の正しい歴史と伝統を国民に教え知らすために裁判員制度を推進していると言っている。もう少し眉につばを付けて見てもいいんじゃないかな、ねぇ『徳島』さん。

□ あっ、またしても何か聞こえてくるような
何だか、マネージャーがうなってるぞ。いゃ、うなってるだけじゃない、1人で踊ってる。

ハァ 踊りおーどるなーあーらー チョイト 東京おーんーどっ ヨイヨイ♪歌2
花のみーやーこーおーのっ 花の都の まんなかでっ サテ♪
ヤーットナー ソレ ヨイヨイヨイ
ヤーットナー ソレ ヨイヨイヨイ♪
ハァ とうきょよいとーこ チョイト にっぽんてらすっ ヨイヨイ♪
君が御陵威(みいつ)ーはっ 君が御陵威は天照らすっ サテ♪
ヤーットナー ソレ ヨイヨイヨイ
ヤーットナー ソレ ヨイヨイヨイ♪
ハァ 君と臣とーおーのー チョイト 司法のちーぎーりっ ヨイヨイ♪
結ぶみーやーこーおーのっ 結ぶ都の 三宅坂っ サテ♪001181
ヤーットナー ソレ ヨイヨイヨイ
ヤーットナー ソレ ヨイヨイヨイ♪

なに言いたいんだかなぁ、マネージャーは。
東京ってとこの奥深さかなぁ。御陵威(みいつ)って何だ?
どっかの新聞の論説委員に聞いてみよっと。

投稿:2014年6月10日

裁判員制度5周年社説をインコが突き回す-日経・産経編

裁判員制度5年。多くのメディアが社説や特集記事を打ち出し、テレビでもニュース報道などが展開された。今、マスコミは裁判員制度について何を言うのか、どう言うのか。主な新聞の社説を取り上げて、観察してみました033851
今回は、経済紙である『日経新聞』と『産経新聞』をまとめてお送りします。

□ 制度も崩壊なら『日経』も崩壊だぁ(5月26日)
見出しは「5年の経験生かし開かれた裁判員制度に」。「おおむね順調」だが「課題も多い」。そういう言い方をすることで業界は一致団結したんかね。『日経』もしっかりこのお言葉でスタートしている。そして課題は「量刑の判断」と「守秘義務の緩和」に整理されるらしい。ずいぶん簡単なこと。

まず「量刑の判断」。「性犯罪や児童虐待を中心に従来より重い判決が出るようになった」と。違うね。性犯罪や児童虐待などに集中しているんじゃない、「全体に重い判決が出るようになった」と言いなさい。
「(重い判決は)市民感覚を反映させる制度の趣旨に沿ったものだが、刑罰の公平や安定を損なうことにもつながる」と。で、どうせよと。「こうした現状を放置していていいのかどうか、入念な検討が必要だ」。なんだ、何も言っていないのと同じじゃないか。集団的自衛権でも、秘密保護法でも、原発再稼働でも、『日経』は「入念な検討」で済ましてはいないでしょうが。

「放置していていいのか」なんて言うけど、『日経』は「市民感覚反映」歓迎派だったんじゃないのですか。だったら、特に検討することなんかありません、これでよいのですって言ってればいいじゃないか。それじゃぁ都合が悪いこと何かあるんですかね。

そして「守秘義務の緩和」に進む。「守秘義務が厳しすぎることも問題」と。「裁判官は過去の量刑相場の意味をどう説明しているか。それを受けた裁判員はどんな議論を経て判決を導いたか。こうした実態が伝わらない」「判決に至る経緯を分かりやすく丁寧に説明しなければならない」。

うーむ、はてはて。「量刑相場の意味の説明」も広い意味で評議の秘密に含まれるでしょ。「裁判員はどんな議論を経て判決を導いたのか」って言ったら、これはもう完全に評議の中身に踏み込む話ですよ。また、判決の「理由」じゃなく判決に至る「経緯」の説明を求めるって言うんだから、つまり判決の中で評議の内容を丁寧に説明せよと言っている訳だ。

裁判員にがんじがらめの縛りをかけるところにこの制度の特徴がある。でもだからと言って、みんなが評議の実情をしゃべるようになればこの制度に将来があるってもんじゃない。そう考えているとすれば完全に読み間違えだね。もっと知られたらもっと早く終わりになるってことをこの論説委員は理解していない。こまった

結論は、「裁判員制度は司法のプロだけで完結していた裁判に民主的なコントロールをきかせる仕組みだ」と。冗談言っちゃいけません。裁判員法の第1条を読んでご覧なさい。どこにそんなこと書いてありますか。だいたい「民主的なコントロール」っていう言葉自体がめっちゃくせ者だぜ。「国民が最高裁を抑制する仕組み」を最高裁が一生懸命推進するか? 御社の論説委員はここをどう説明すんの。いや説明の前にあんた自身どう考えているの。アホくさ。

□ 無反省暴走の『産経』だぁ(5月21日)
「裁判員制度5年 国民の判断を軽視するな」が見出し。「おおむね順調」「定着しつつある」までは『日経』と同じだけど、そこから先は歯に衣着せない言い方に変わる。

「裁判員たちの真摯な評議と苦渋の判断を経て選択した死刑を破棄するのは、国民の判断を軽視して制度の趣旨を揺るがすもの」と。それが見出しにつながっている。なるほどこれは『日経』より確実に正直です。インコに叩かれる前に言ってしまおうって思ったのかな、まさか。

この制度は国民の常識からかけ離れつつある先例傾向依存への反省に立っていたのではなかったか、苦しみ悩み抜いての評議の結果だったはず、先例で量刑が決まるのなら裁判員の苦悩は不要、上級審が裁判員裁判の判決を覆す以上説得力ある説明が不可欠、先例重視の1人歩きは制度の否定につながる、等々。

苦労してたどり着いた結論が間違いだと言われたら、もうやる気がしなくなるのは当然だ。裁判員制度の生き残りには、控訴審が裁判員裁判を否定するには「特別の理由という歯止めの設定」が欠かせないという『産経』の論調はわかりやすい。問題のありかがはっきりする。

ここで新しい大問題が生まれる。控訴審は一審が誤るかもしれないというおそれに対応して作られた裁判所。それは「人は間違いを犯すことがある」という教訓に基づく産物と言ってもよい。そこに裁判員裁判が登場したことで新しい理屈が生まれた。「裁判員の判断についてはよほどのことがない限り尊重し、一審の是正にはブレーキをかけよ」。さて。
こういう理屈を私たちは認めるのか認めてはいけないのか。ハムレットを超えるような難しいテーマ、なんて言う必要はありません。そんな変な原則を司法の世界に導き入れてはいけないっていうそれだけのことです。簡単な話。

『産経』はもう一つ踏み込んだ。「裁判員の精神的負担の問題も深刻だが、裁判員にも一定の忍耐が求められる」。苦労は覚悟せよということも言っておきたいという。まぁ、こういう言い方は国民を裁判員裁判から遠ざける決定的な通告文になることだけは確かですね。

□ インコの知らない懐メロが聞こえてくる
マネージャーが何か唄ってるような。「三橋三智也よ。知らんのか?」 知らないよそんな古い唄。「じゃあもう一回唄ってあげる」…歌2
嬉しがらぁせーえぇてー 泣かぁせーてー消えーたー♪ 

ゲーセンでふてくされている女の子がいる。
「こんなおもしろいこと。私なんかお金もらえなくてもやってみたかったんだよ。それがいまとなりゃ、思い出すだけつらいよね。重大事件だっていうから嬉しくなっちゃったんよ。こんな経験、ちょっとやそっとでやれないって思った。スリルはゲームとはまるっきり違ってた。
でも死刑にするかしないかってとこはこれでも結構悩んだよ。反対する人もいてね。やっとこさっとこ死刑にしてさ。それが後でひっくり返っちゃうなんて、私なにやってたのって感じよ。どうせひっくり返すんなら、わざわざ呼ばないでよ、もうやりませんよ私。
えっ、やってみたいって言う人がもういないんだって。どうして? もう、こうなっちゃったら胸もうつろよ。これから何を楽しみにしていこうかしら」

プリント

投稿:2014年6月9日

裁判員制度5周年社説をインコが突き回す-毎日編

裁判員制度5年。多くのメディアが社説や特集記事を打ち出し、テレビでもニュース報道などが展開された。今、マスコミは裁判員制度について何を言うのか、どう言うのか。主な新聞の社説を取り上げて、観察してみました
『毎日新聞』(5月19日)の見出しは「裁判員制度5年 冤罪防ぐ法整備を急げ」だ。わかりやすいようであまりわかりやすくない。裁判員裁判にはえん罪が多いって言ってるのかな033851
それとも別のことを言ってるのかな?(・◇・)
他社の社説にはない独特の論調。

「『市民感覚』を生かしながら、まじめに裁判や被告と向き合う姿は、法曹界から高く評価されている」「国民の司法参加は、おおむね定着しつつあるといっていいだろう」。
キタ━━━ヽ(゚∀゚).━━━!!! やっぱり来ました。「定着」とか「順調」って言わないと、全国の裁判所から購読を停止されるんじゃないかって恐怖感に襲われているみたい。

でもねぇ、「『市民感覚』を生かしながら、まじめに裁判や被告と向き合う姿」って、どういう姿なん??(・◇・)
「市民感覚」だの「まじめに向き合う」だの、言葉がやたら踊ってる感じがする。早い話、素人が訳わからんままに裁判所に連れてこられ、慣れない仕事に追いまくられてひーひー言ってる図じゃないの。

「法曹界から高く評価されている」って、それもはっきり言わせてもらうとまったくわからんのよね。裁判員裁判の先頭を走れって厳命された裁判官たちが、出世を賭けてむずむずするような言葉で裁判員たちを褒めそやす姿はちらちら見えるけれど、インコにしっかり伝わってくる「法曹」のホンネは、裁判員なんてどうしようもないっていうくさし言葉ばっかりだよ。この社説の言い方からすると、「法曹界」以外からは特に評価されていないらしいことはわかりますけどねψ(`◇´)ψuウケケケ

しかし、社説はこの辺から少しトーンが少し変わる。「裁判員裁判は、重大事件が対象だ」。そのとおりです、で?(・◇・)
「万が一、判決後に被告の冤罪が明らかになれば、筆舌に尽くしがたいほどの衝撃を裁判員に与えるだろう」。
 そのとおりですよ、『毎日』さん、それで(゚◇゚*?)
「制度の一層の安定には冤罪・誤判防止のさらなる法整備が必要」。
( ̄。 ̄)ホーーォ「一層の」とか「さらなる」なんていうまぶし形容句に目をつぶれば、えん罪問題なんかにひとっことも触れない『朝日』や『読売』にくらべてこりゃずいぶんましだね。

「この5年の間には、東電OL殺害事件の再審無罪があり、袴田事件の再審開始決定も出て、ともに被告人に有利な証拠を出さなかった検察の姿勢が批判された.現行刑事司法手続きへの不安が募る」と。そうそう、そうなんだよ『毎日』クン、そこだっ(*`◇´)φ

「公判前整理で以前より検察の証拠開示の範囲は広がったと言っても、検察の裁量は依然として残り、被告に有利な証拠は法廷に出てくるとは限らず、裁判員の判断が誤る可能性は残る」。よし。裁判員裁判の危うさに目を向けようとしている姿勢を評価しよう。

「取り調べの録音・録画についても、取り調べ側の裁量が今も残る」。刑事司法の病弊という視点にこだわる御社の論説委員には良い点を付けよう。だけどそこまで言うんだったら、裁判員制度を作った人たちが「この制度はこの国の刑事司法がずっと正しく行われてきたことを国民に教え込む仕組みだ」って言ってることを取り上げて批判しなきゃダメでしょ。いいとこまでいってるのに「寄せ」で外すんだなぁ、御社は┐( -”-)┌ヤレヤレ

社説は死刑問題に進む。死刑存置のわが国に向ける諸外国の視線は厳しいと鋭く指摘して、死刑を言い渡す確たる基準がないわが国では裁判員の悩みは深かろうと推測する。もちろん深い。深いなんてもんじゃない、地獄だよ。で、どうせよと?(=◇=)?

「情報公開をさらに進め、死刑についての議論も深めたい」って。ケッ、なんと温故知新、いや気が抜けて間違っちゃった、なんとまぁ竜頭蛇尾だこと。てーへんだ、てーへんだ、なにはともあれてーへんだ、なんだかわからんがてーへんだっていうあれよ。えん罪問題に切り込んだところはよかったけれど、どうやらこのあたりで疲れちゃったかね。歌2

ここで調子外れな歌が聞こえる…マネージャーだ

♪5年目シホー 5年目シホー いままできづかず問題ないと 夢にみてた
      あこがれてた この制度まやかしなの 5年目シホー 5年目シホー♪

そう、5年で日本の司法のおかしさに気がついたんだね。マネージャーは「気づいちゃったら、チヨちゃんぐらい大きな目をあけてしっかりこの制度の現状を見極めなよ」と言っている。たまには良いこというね。 

この社説、国民の85%以上が裁判員をやりたくないって言ってることにも触れていないし、だいたい福島の死刑事件裁判員裁判でPTSDになった元裁判員Aさんのことにも触れてない。

Aさんの事件をスクープしたのは御社の記者さんだぜ。他社が競って書いているっていうのに、新聞協会賞ものの記者を抱える『毎日』が1行も書かないっていうのは、何か理由があるのかね~
この事件の報道で最高裁が慌てふためいたのを見て、「これ以上書いて、各地の裁判所に購読中止命令が出されたら大変」とばかりに自粛したなんてことは…ないよね…まさか?(((@◇@;)

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投稿:2014年6月5日

裁判員制度5周年社説をインコが突き回す-読売編

裁判員制度5年。多くのメディアが社説や特集記事を打ち出し、テレビでもニュース報道などが展開された。今、マスコミは裁判員制度について何を言うのか、どう言うのか。主な新聞の社説を取り上げて、観察してみました。
『読売新聞』(5月21日)のタイトルは「精神的負担をどう軽減するか」。「大きな混乱もなく、おおむね順調に運用されている」とこれまた脳天気。ホント天下泰平だね『読売』さんも。033851

求刑超えが40件を超えるという厳罰傾向を取り上げて、「裁判員の量刑判断をどこまで尊重すべきかという問題も浮き彫りになってきている」と話を進めた。裁判員裁判の死刑判決3件が東京高裁で破棄され無期懲役になった。その例を取り上げ、死刑を言い渡した裁判員裁判と、同種事件を重視して裁判員裁判を否定した控訴審のどちらを評価するかと問題提起。

さぁどうする、そこが問題じゃ。尼寺に行かずに考えてくれぃ。
でもね、論説委員の結論は拍子抜けするほど簡単。
「上級審がチェック機能を果たすことが大切」。そりゃそうだ。そう言っていれば全部解決
大田南畝先生の「世の中は いつも月夜と 米の飯 それにつけても 金(カネ)のほしさよ」とおんなじよ。
「古池や かわず飛び込む 水の音
正月ベアCS3     それにつけても 金のほしさよ」
「久方の 光のどけき 春の日に
     それにつけても 金のほしさよ」
どんな立派な句にもあう下の句なんだけど、とたんになんだかなぁ~になってしまう。「金のほしさよ」の代わりに「はて三宅坂」ってなるとますますダメダメ感が…
「裁判員 出頭する人 いなくなり それにつけても はて三宅坂」
「我と来て 裁けや職の ない大人 それにつけても はて三宅坂」

 閑話休題。で、「今後の大きな課題は、裁判員の精神的な負担の軽減である」んだって。検察官は白黒写真やイラストを使えなんて「配慮」を求めている。真実を厳密正確に見極めることの大切さと裁判員の負担過重の「対立構造」をどう考えるか、なんていうテーマは考えつきもしないらしい。そこに踏み込むと裁判員制度はやめるべきかという本質論に突入しちゃうもんね。

 「裁判が終わってから、自分の判断が正しかったのかどうか思い悩む裁判員経験者が少なくない」って。
そうだよ、そのとおり、いいこと言った。
で、どうすべきだって?「無料の相談窓口」のケアや「裁判官が連絡をとって精神状態の問題の有無を確かめる」のケアをもっと充実しろと。
あのねぇ、相談窓口に持ち込む人なんてほとんどいないってこと知らないのキミ。窓口自体がぜ・ん・ぜ・ん信用されていないんだよ。「つらい経験をさせた裁判所が作った窓口」がどうして頼りになるっていう訳さ。

 思い悩んだ末、その窓口に持ち込んでみた福島県郡山のAさん。あのストレス国賠のAさんだよ。彼女はひどい目に遭った。最高裁から自分で電車賃を払って東京まで来いって言われたんだ。Aさんが世に訴えて、そういう対応はないだろうってあちこちで話題になってからもう1年以上経つけど、最高裁は「こういうやり方は今後はあらためます」なんて一言も言っていない。メディアがこのことで何か言うのなら、そういう最高裁は何なんだっていう批判しかなかろうが。069798

 もう一つ言わせてもらう。
「裁判官が精神状態を確かめる」ことほど有害無益な話はない。つらい経験で苦しみ、忘れたい気持ちでいる元裁判員に、突然「あの裁判長」から電話がかかってくる。そこでどんなやりとりをすると言うのだ。「お元気ですか」か? 「どこかおかしくないですか」か? これですべてがフラッシュバック!
実は、この対策は、Aさんから国賠訴訟が起こされた直後に、裁判員裁判に関わっている全国の裁判官に竹崎長官の最高裁が指示した「緊急対策」なのだ。でも、この指示がどのように実施され、その結果どういうことがわかり、そして現場がどのように変わったのか、何ひとつ報道されていないというのが偽りのない真実なのです。

 インコは、あなたの あなたの真実 忘れはしませんっ 『読売』さんよ『読売』さん 空を見上げりゃ空にある…
すみませんちょっと調子こきました、全国の御社記者に指令を飛ばして鳴り物入りの「精神状態聴取方針」の実施状況を調べさせなさい。というよりも、そのくらいのことやってから社説書きなさいよ。適当な思いつき話を書き流してるってことがインコ様にはお見通しだよ。

 「裁判員の辞退率が高まっていることも気がかり」なんだって。
「高まっていることも」なんて「ついで話」風に言うのはいかにもわざとらしくて、いやらしい。そこが最大の論点じゃないか。『朝日』の社説と同じで、このことを最後に持ち出すところに、制度の最悪状態をわかっているというメディアのホンネが透けて見える。

 で、その対策っていったい何なの?
「会社が柔軟に休暇を認めるなど、参加しやすい環境整備」だって。
えーっ、えーっ、えーっ。85.2%がやりたくないって言っているんですよ。「会社が柔軟に休暇を認める」くらいの対策で何とかなると本気で思っているのかね。
「いや、何とかなるもならないも、もう手はねーやな。でもちったぁ書いておかんとな」。
靴を机の上に投げ出して気が抜けたような顔してる論説委員さん。少しは真剣に考えてみなはれ、この制度の現状と行く末を。042306

 

投稿:2014年6月3日

裁判員制度5周年社説をインコが突き回す-朝日編

裁判員制度5年。多くのメディアが社説や特集記事を打ち出し、テレビでもニュース報道などが展開された。今、マスコミは裁判員制度について何を言うのか、どう言うのか。主な新聞の社説を取り上げて、観察してみました。
まず「制度推進は社是」の『朝日』(5月23日)から。033851

現在 過去 未来 最高裁におもねって
  朝日はいつまでも推進していると市民に伝えて…

はい、これがインコが読んで最初に浮かんだフレーズです。

社説は仰々しいぶち抜き1本勝負。普通2本構成にする社説を1本にしたのは、年頭とか憲法記念日とか、今日はこれ以外のテーマは無視するという特別版。『読売』だったら改憲試案を提起するというような時にやるヤツね。
さすが「裁判員問題は我が社に任せなさい」の『朝日』。他社の多くが5年目当日の21日に掲載するものとして23日にご登場。ご本人としては横綱相撲のつもりなんだろう。そしてお題は「社会で経験蓄え育てよう」。何を言っているのか一読ではわからないところに『朝日』記事の奥深さがあるというか、味わい深いものがありますねぇ。

内容に入ります。1本社説って言うことは記事量厖大っていうこと。総量なんと1800字超! ふつうはせいぜい1000字。ずいぶんたくさんのことを論じているのかと思いきや、内容はなんとすかすか、ホント水増しのすかすか。インコが簡単に整理してさし上げます。

① 冒頭で、「『ふつうの市民にできるのか』『辞退続きで裁判にならないのでは』。そんな懸念があったなか、おおむね順調に進んできたといえるだろう」と来た。ふつうの市民はもうやっていないし、実際に辞退続きの惨状になってるでしょうが。このどこが順調ですか。「順調論」は当の最高裁でさえもう堂々と言わなくなっているのに、新聞社の論説委員室の辞書にはまだ残っているらしい(これは『読売』も同じ)。ラッパ
長寿のインコとしては、木口小平のラッパを思い出しちゃうね。ん、知らない? 修身教科書の「キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセン デシタ」さ。精神力の賜物ではなくて死後硬直の問題だって言うのが今では通説らしいけど、マスコミも日清戦争以来ずっと死後硬直状態なんだね、きっと。

② で、ここから「課題は少なくない」という話に。やっぱり課題だらけじゃないか。まてまて、『朝日』が言う課題とは何だ。「有罪・無罪の判断にこそ市民の目を生かすべきで、被告人が起訴内容を争う事件には裁判員を参加させろ」とあるぞ。
冗談言っちゃいけない。この制度はもともと「有罪・無罪の判断に市民の目を生かす」制度ではありません。06年10月に最高裁・法務省・日弁連が御紙の紙面に掲載した全面広告は、「判決や刑罰決定までの過程を体験、理解し、犯罪がどのように起こるのかを考えるきっかけを作ることで、安心して暮らせる社会に何が必要かを自分のこととして考える」んだって言ってたんだよ。わかりやすく言えば「安心安全のためにあんたの感覚で処罰してご覧」ってことだった。
被告人が起訴内容を争うたくさんの事件に裁判員を参加させてみようか。評議室は有罪にしろっていう声に包まれるだろうよ。もう、そんな連中しか裁判員をやらない状態なんだからね。とんでもない仕組みなのに、そうでもなさそうに装う手口っていうのは本当にけしからんよ。それこそ犯罪的と言ってもいい。

004175③ 死刑判決の例を取り上げている。何を言うかと思ったら何も言っていない。多数決ではなく死刑は全員一致にせよという声があるなんて紹介しているけれど、我が社はそう考えるとも言っていない。つまり、てーへんだてーへんだって騒いでいるだけ。アホちゃうか。

④ 「制度はいまだ完全なしくみとはいえない」と来た。「完全」に近づいてはいると言いたさそうだ。でも「裁判官と裁判員が対等でなければ、市民は『お飾り』になりかねない。だが十分な検証はされていない」とも言うんだよね。「お飾り」かも知れないのなら、そんな大事なこと、シロクロつけなければこの制度が順調かどうかなんて言えたもんじゃないだろうが。
ここで急に「急性ストレス障害」が登場した。終了後の心理面の支援にも考慮をとか、医療の専門家も加えて制度の改善を考えるべしなんて言っている。具体的にどうしろとか言うのかと思ったら何一つ言わない。そりゃ何も言えないよね。うろたえる制度推進メディアの無様な姿が浮き彫りになるだけ。制度をやめれば「急性ストレス障害」はなくなる、とただそれだけを言えばいいのよ。

⑤ 出ターッ。最後の最後に「裁判員参加しても可」が僅か14%に落ち込んだことや「辞退率」が63%に達したことに触れたね。そして「制度が定着とは逆行しているように見えるのはなぜか」と来たもんだ。「逆行しているように見える」とはどういうことかいな。「私の見ている光景は幻覚なのか」って聞いているみたいだね。いえ論説委員様、幻覚ではありませぬ、それが現実なのです。定着していないどころか崩れかかっている現実があなたの眼前にある。何を置いてもこの数字の意味を真剣に考えるしかないんだよ、キミは。
打開策は「守秘義務」の見直しだって。あのねぇ、死刑判決にぜひ関わりたかったなんて言ってる人たちが「とてもいい体験をした」ってしゃべくりまくったって、みんなついて行かんのよ。そういう話は「社会で蓄える経験」になんて絶対にならないの。それとも、『朝日』はそういう声が高まることを「健全な民主社会が形作られた」って喜ぶんですか?!

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投稿:2014年6月1日