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人質司法が裁判員制度で変わるという話のウソ

001177留守番ご苦労さま。お土産に札幌のわらく堂さんの「白どら」、博多の石村萬盛堂さんの「鶴乃子」に広島の藤い屋さんの「淡雪花」よ。

006311000ありがとうございます。1631312g1g1ii

admin-ajax[1]インコセレクトの白いお菓子シリーズだ。
で、もう一つこれを

00631100白地に妙なラインの入ったハンカチですか。

1-e1397901276348明しよう。「裁判員制度の実施以来、勾留請求却下が増えている、あぁよいことだ」みたいな記事がときどき流されているのは知っているだろう。最近のものでは、昨年12月24日の『毎日』などがその典型だ。

001177その記事の見出しは「勾留請求の却下急増 『裁判員』後 厳格運用 全国地裁・簡裁」。わかりにくいですね。

1-e1397901276348確かにわかりにくい。裁判員裁判が実施されてから、全国の裁判所で検察の勾留請求を却下する傾向が出て、急速に刑訴法の定めるとおり勾留が厳格に運用されるようになった、という意味なんだよ。

006311000「拘留」と「勾留」があって、あとの方の「勾留」なんですね。

1-e1397901276348そうだ。そこまでわかっても「勾留」の意味がよくわからないとやっぱり話がこんがらかってしまう。その説明から入ろう。

1-e1397901276348容疑者(刑事訴訟法は被疑者と言う)を逮捕した警察は、48時間以内に検察に送致しない限り被疑者を釈放しなければならない(刑訴法203条1項)。

001177送致を受けた検察にも時間的な制約があります。検察官は、被疑者を受け取った時から24時間以内に裁判官に被疑者の勾留を請求をしないとやはり被疑者を釈放しなければいけません(刑訴法205条1項、4項)。

1-e1397901276348こういうルールは、刑事責任の追及は人権保障を前提にしなければいけないという憲法上の要請(31~40条。勾留に関しては特に34条)に基づく大原則だ。

001177勾留というのは、簡単に言えば、強制的に被疑者や被告人を拘束することですね。勾留には、捜査段階の勾留と起訴後の勾留がある。起訴後の勾留は裁判が始まってからのもの。ここで問題にされているのは捜査段階の勾留。どちらも重大な人権侵害の恐れがあるから、できるのはどういう時か、刑訴法60条が厳格に要件を定めています。

1-e1397901276348勾留については、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が備わっていることが前提になる。
「捜査当局はこの男が窃盗犯人だと思っている」なんて言っただけでは「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由あり」とは認められない。かくかくしかじかの事情があり、その証拠はこれこのとおりだ、というように具体的な証拠を示して請求に臨まなければならない。

001177さらに次の3つの要件の少なくとも1つが必要になります。1に住居不定。2に罪証を隠滅すると疑える相当の理由。3に逃亡すると疑える相当の理由。

006311000刑訴法は、被疑者の身柄拘束というのは基本的に捜査上の便宜のためのものだから、よほどの事情がなければを認めないという考えに立っているのですね。

1-e1397901276348そうだ。
具体的な手順を説明しよう。検察官が裁判所に勾留を請求する。勾留を決定するのは裁判官。裁判官は勾留を認めない時は直ちに被疑者の釈放を命じなければならない(刑訴法207条4項)。認めるとしても勾留期間は10日以内。やむを得ない事情があるときはさらに10日以内の限度で延長を認める。検察はこの期間内に起訴できなければ被疑者を釈放しなければならない(刑訴法208条)。

001177日本国憲法は刑事司法の必須の原則として被疑者の人権擁護を定め、これを受けて刑訴法は刑事捜査の重要な前提事項として勾留の要件を規定しているのです。

1-e1397901276348ところが、である。この国の刑事捜査の原則には恐るべき大逆転がある。原則が例外に、例外が原則になっているのだ。警察も検察も基本的に被疑者を拘束する。検察が裁判所に勾留を請求すれば、地裁・簡裁の裁判官たちはほとんどのケースで、言われるままにほいほいと勾留を決定する。それがこの国の刑事司法の「輝かしい」伝統なのだ。

001178まね0多くのえん罪事件はそのような状況の下に発生してきました。何が被疑者の人権保障かという感じ。

20160201被疑者の身柄を拘束して被疑者を苦難のどん底に突き落とせば、結論は捜査当局の思うままになるという権力優位の反人権司法が恥ずかしげもなくまかり通っている。そして、この国の多くの刑事法学者や刑事弁護士たちは、「人質司法を止めよ」と以前からこのやり方を批判してきた。

1-e1397901276348今日の本論に入る前の予備知識として、ここらあたりまでの「常識」を心得ておいていただきたい。

00631100わかりました。

1-e1397901276348で、『毎日』の記事に戻る。裁判員裁判が実施されてから、全国の裁判所で検察の勾留請求を却下する傾向が出て、法律の定めのとおり勾留が急速に厳格に運用されるようになったというのだ。

0011780えーっ本当ですか。本当なら裁判員制度には歴史的な効用があることになりますね。

1-e1397901276348うだ。インコは頭を丸めて(頭部の羽毛をむしり取って)隠遁の生活に入らねばならないことになりそうだ。
では、なんと言っているのか、『毎日』の本文記事を全文そのまま紹介しましょう。

     逮捕された容疑者を拘束する検察の勾留請求を全国の地裁と簡裁が却下する件数が年々増加し、2014年に3000件を突破して過去40年で最多となったことが分かった。裁判員制度導入を機に、裁判所が容疑者を長期間拘束する要件や必要性を従来より厳しく判断している傾向が明らかになった。却下の対象は容疑者が否認している事件にも広がっているとみられ、今後も流れは強まりそうだ。

     勾留は検察官の請求に基づき、裁判官が決定する。最高裁によると、過激化した学生運動による逮捕者が多く出た1970年前後には、却下件数は2000〜5000件台に上り、却下率も一時3〜4%台で推移したが、その後は減少。78年以降は却下率1%未満が続き、却下は数百件にとどまった。

 しかし、09年の裁判員制度スタートに向け、05年に公判開始前に争点を絞り込む公判前整理手続きが始まると、却下件数が増加。06年に1000件を突破した。14年は11万5338件の勾留請求のうち、前年比819件増の3127件が却下された。却下率は2.7%だった。

 刑事訴訟法は、証拠隠滅や逃亡の恐れがあると疑う相当な理由がある場合、裁判官は勾留を認めることができると定めている。期間は10日間で、やむを得ない場合はさらに10日間以内の延長が認められる。裁判所が要件を厳格に捉えて逃亡や証拠隠滅の恐れはないと判断するケースが増え、容疑者が否認していても拘束を解く判断につながっているという。

 こうした姿勢は起訴後の被告に対する保釈の判断にも表れている。95年に20%を割り込んだ保釈率は低下傾向が続いていたが、14年は25.1%まで上がった。

 刑事弁護に詳しい前田裕司弁護士(宮崎県弁護士会)は「否認しただけで勾留が付いた時代からすると隔世の感があり、裁判所の運用を評価したいが、不必要な勾留はまだあり、課題は残る。条件を付けて釈放される制度なども検討されるべきだ」と話している。【山本将克、山下俊輔】

001181「3000件突破。勾留請求却下件数は14年に過去40年で最多に」「裁判員制度導入を機に裁判所が従来より厳しく判断している傾向が明らかに」「却下率3~4%のレベルから下がって1%台が続いていたが、制度開始に向け公判前整理手続きが登場して却下が増加」「11万5338件中3127件と却下率2.7%まで戻した」「前田裕司弁護士は隔世の感と」…。署名入り記事で、勾留請求の却下数と却下率のグラフをつけた詳細な解説が続きます。

怒り何が隔世の感だ! 寝言は寝てから言え。寝ぼけてないで覚醒しろってんだ。山本クン、山下クン。冗談じゃないぜ。却下率2.7%程度でどうしてそんなに嬉しがるんだ。たった2.7%程度とはなんといういうことだと怒らないのか。インコは頭を丸める必要なんか全然ないぞ、それどころか怒髪天をついている。

00117711万5338件中11万2211件、比率で言えば実に97.3%の勾留請求が依然として認められているという事実をどうして論じないのでしょうね。変動があるとか却下率が上がったとか言ったって、たかだか2~3%の範囲内のことでしょう。

怒り勾留認容率が99%から97%に下がったことは四段抜き見出しものですか。そもそもこの程度の変りようを「請求の却下急増」と表現するのは国語として正しいですか。

怒りインコに言わせると、君たちは不勉強なのではなく、悪質なのです。説明に付けたグラフにそのからくりが潜んでいる。読者の皆さんにこのグラフをそのまま紹介しよう。160321gg1ii

右のカラーグラフをみてほしい。横軸は50年分という長さをとっている。時間軸を短く示すと時の経過が矮小化され、徐々の変化が急激な変化のように見える。早送りの動画のようなものだ。縦軸は勾留件数の総数が10万件を超えるのに、6000件・6%という少数・低比率の部分しか示さない。そうすると一部にだけ目が行き、全体的把握が困難になって、特定の結論を強引に導くことが可能になる。

怒り果、いい加減な話がいかにも本当らしく見える。こういう演出法はトリックの基本と言ってよい。

1-e1397901276348事柄を正確に視覚化するのなら、このように描けというグラフをインコが示す。それが上記カラーの『毎日』のグラフを囲む上に示したもう一つのグラフだ。こちらにはなんという空間の広がりがあることか。この「虚空」の存在こそ、人質司法がまかり通る現実を告発し、勾留請求却下の「増加」のウソをリアルに示す可視データだ。

001178まね0裁判員制度が始まり公判前整理手続きが進んだ現在でも、裁判所は被疑者の長期間拘束の要件や必要性についてほとんど態度を変えていません。「人質司法」は一連の「司法改革」によって根幹の部分で変化していない。

1-e1397901276348マスコミは脳天気にこの制度の旗振りをしたが、国は「裁判員制度は我が国の司法の正統性を国民に実感させるものだ」と言っているのだから、捜査における人権侵害構造が基本的に変わらないのは当たり前の話なのだ。

001178まね0マスコミのあり方として言えば、なんとしても刑事司法の現状に対する厳しい批判をしなければならない時に、これが「『人質司法』脱却へ一歩」(=「解説」のタイトル)などとはやしてみせるのは愚劣を通り越して、悪辣です。

1-e1397901276348誤解を誘う説明や図解は人だましの手口。許されるものではない。わざわざそのような説明をするところに、裁判員制度やそれを支える公判前整理手続きに対する意図的な美化の発想がある。マスコミの裁判員病はいまだにというか、ますますというか重篤である。

001177ついでに言っておきましょう。「刑事弁護に詳しい」と紹介されている前田祐司という弁護士さんは、法務省に設けられた「裁判員制度に関する検討会」の委員でした。つまり裁判員制度の推進派の中心にいる人。同じ委員に四宮啓など裁判員制度推進のA級戦犯がずらり並んでいます。

怒り山本クン、山下クン。一言言っておこう。
丸め込み 民の難儀を はかるとも  インコと仲間  それを許さじ

1-e1397901276348さ、もうすぐ桜の季節だ。美味しい真っ白なお菓子をほおばりながらふくらみかけた桜の様子を見に行こうじゃないか。そういえば、今日、東京でも桜が開花したというしね。

00631100……。それにしてもこの白づくしには何か意味が隠されているような気がする、だってなんだか先輩の話、できすぎているもん。ずいぶんのご無沙汰を白いお菓子でごまかされているのではないだろうか。

001177そう言えば、白々しいっていう言葉もありましたね。もうすぐ桜の季節だなんて言ってたけれど、ほら、足音も立てずにしらーっと消えていきましたよ。私たちだけでしらん顔して食べちゃいましょう。 季節だって知らん顔して過ぎてゆくんですからね。

00631100……。おっとっと、なんのこっちゃ。

投稿:2016年3月21日

出頭新論を呈す 「裁判員裁判に不出頭者はいない」

0063118ふふふ。2度目の独壇場。ウ・レ・シ・イ。うるさい先輩がいなくて嬉しくてしょうがないって? いえいえ、違います(その気持ち、ないこともないこともない)。

ふふふのココロは22.2%、だからふふふなんです。22.2%?What? 最高裁発表の1月末の出頭率です。あの怪談話、丁寧に申し上げると悲劇の階段転げ落ち話。その階段はこちら「制度廃止への道のりを図解する」を見てください。

月末〆切の各種データを地裁が集計し、月が変わって早々に最高裁へご報告。それを事務総局が取りまとめる。結論が出るのは2月22日くらいかな。2月22日の22.2%、ふふふと、これはボクの勝手な推測。

このデータを見た寺田長官は「フッフッフッ」と呼吸を荒くし、顔を歪める。そして叫ぶ。「インコが笑う、インコが笑う、ぐやじぃ~」。これは勝手な推測ではない、いくらか合理性のある推定。

2割を切るのは時間の問題。hp22

インコ先輩は「ワインボトルの底に溜まる澱のように、怪しげな政策のお先棒を担ぐ人はいつの時代にもいる。やりたい人は2割くらい残っちゃうかも」なんてと言っていた。でも、澱が2割もあるなんてビンテージもんでしょう。裁判員制度は高級ワインじゃないし。ボクは20%をぶっちぎりに割り込むと思う。

そして、ここから今日の本題。ボクが熟考の末にたどり着いた結論です。
最高裁が裁判員の「出頭」とは言わず、「出席」となぜ言うのか。その理由とは。ここに恐るべき陰謀をボクはかぎつけた。

「出頭」というのは、アタマを出せという「徹頭徹尾、上から目線のお役人言葉」であり「頭(ず)が高い。控えおろう」と。これがインコ先輩やマネージャーの解釈。そうでなくても悪評ぷんぷん。ご機嫌伺いに必死の最高裁としては、せめてしばらくの間はへりくだった振りをして、「出頭」と言わず「出席」にしておこうという魂胆なんだろうと言っていた。

そこんとこ、ボクはちょっと考えが違うんだ。最高裁って、国民の気持ちを考えようなんて、そんな殊勝な役所じゃないし。ご機嫌伺いに一生懸命になるなんて、そんな人間くさいこともしないと思う。
法律に書いてあるかどうかだけで決めるというのが裁判所の本来の姿。ここはこうずらし、ここはこのように融通をなんていう解釈はないはず。

弁護士の猪野亨先生が「司法を終えたのは、修了か終了か」と最高裁に尋ねたら、「法文上にないので正式回答はできません」と答えたとか。法文上にないことは言わない。まさに法を司る最高裁職員の矜恃、素晴らしい(棒読み)。

では、なぜ「出頭」と言わずに「出席」と言うのか。法文上にない言葉を使うなんて、プライドはどこへ。

裁判員法には「出頭」という言葉しかなく(29条)、そして正当は理由がなく出頭しなければ制裁するとある(112条)。hp234

最高裁は、正当な理由もなく「出頭」しないあなたを処罰しなくちゃいけない。でも、処罰したらどうなるか。制度はおしまいになる。「法廷はマイコートだ。素人が出しゃばるな」と考えている裁判官を多数抱えている最高裁としては、制度がお終いになるのは別に構わないが、自分たちで幕引きはしたくない。
最高裁が処罰したから制度が終わりになった=最高裁の責任、それは困る。
責任回避は役所の命。どう責任回避をしていくか、ここテストに出ます。

で、正解はこちら。
最高裁は、わざわざ法文上にない「出席してください」と言っているのです。これで出て来なくても、「欠席しただけ」なので、処罰しなければならない事態も発生しないことにしたんです。

言っているボクも詭弁だとは思うけど、詭弁の制度には詭弁の言辞(あっ、なんかこれってインコ先輩の物言いに似てる。やだな~)

寺田長官は、「不出頭者は処罰しないのか」と聞かれたら、「欠席された方はいると認識しておりますが、それが不出頭にあたるかどうかは慎重な検討が必要でございまして。さらにそれが処罰の対象となるかどうかはさらに精査が必要となる次第でございます」と答弁されるでしょう。

そして、これまで裁判員候補者で「出頭した人」もいないってことだったんです。「出席した人」が裁判員や補充裁判員をやったけれど、あれが本当に裁判員なのかどうかについてこれまで争った人がいないから、それで通っているだけ。

裁判所には、こんなけったクソ悪い制度なんかやってらんない、っていう空気、蔓延してるって聞きました。そのことを最高裁も良く分かっているって。だから、すべてを曖昧にモコモコと、そのうちにこの制度が潰れると予期してやっているからだと思います。

最高裁が恥ずかしげもなく法律にない言葉を使って、公的な書面を作ったり発信したりするのには、実はこういう背景事情が密接に関係しているかと。

そして、ボクは寺田長官の破滅的献身性に感服しています。
どんなに嫌がられても、現場の声や現状には耳をふさぎ目をつぶり、「出前講義をやれ」と号令を発し、1年間の点検チェックをやり続け(やらせ続け)、ますます現場を疲れさせた。その上で、ご自身のご真影登場です。
あぁあの顔であの顔で裁判員頼むという、顔写真で引きつけ手段、メッセージをもらった人がどん引きしたのは間違いないと思います。yjimage
ということで、自分の顔写真入りメッセージで出頭率が上がると思っている厚顔による捨て身戦法の蛮勇さに、ボクはいたくいたく敬服しているのです。並みの人にできることではないと思います。

 ボク、裁判員裁判には「逆数の法則」っていうのがあるんじゃないかと思っています。別名「澱の法則」。出頭数の比率と重罰化の比率を掛け合わせると常に1になるという仮説です。今年1月末の速報によれば、出頭率(最高裁のいう出席率)は、裁判員裁判が始まった2009年40.3%から22.2%に激減しました。比率で言えば55%=0.55.その逆数は1.82.
20160313制度が始まった頃に懲役5年の判決が言い渡された事件と同じような罪を犯すと今では1.82倍の懲役9年1月になります。出頭率15%になるとその逆数は6.67倍、つまり懲役33年あまりの刑が科せられるということになります。

出頭率が下がるほど、法壇は、被告人を睨みつけ怒鳴り散らす「出席」裁判員たちで埋まるようになる。疲れ切っている裁判官や書記官をよそに、裁判員たちは記者会見で「自分たちの判決に控訴をするな」と言い放って意気揚々と引き上げる。そんな状況、これを「オイラー(俺様ら)の定理」と言います。

これ以上勝手なことを言っていると、インコ先輩やマネージャーから叱られちゃう。
では、今後とも「裁判員制度はいらないヒヨコ」に生あたたかいご声援をお願いします。

hp12342

投稿:2016年3月15日

ヒヨコ独白 フェイクな責任論はいらない

0063118インコ先輩は、どこかをバタバタと飛び回って教室に出て来ない。マネージャーも同行しているのか姿が見えない。ニャンコ先生は長期海外出張中。

留守番を任されたボクは、ここでホームページのデビューを試みる。だって暇なんだもん。

訴状じゃなかった俎上に乗せるのは(ん?インコ先輩そっくりの言い方になっちゃった)、『週刊新潮』3月10日号の【刑務所では工場長「O(実名が書かれている)」の「今もテレビに出ている奴がいる」】というタイトルの記事。20160303

マスコミが大騒ぎしたので、覚えている方も多いでしょうが、Oさんとホステス嬢の物語、略してO嬢の物語(『O嬢の物語』先輩に話を聞いて興味津々。ここで使ってみました)。

Oさんは、1つは合成麻薬MDMA譲り受け・所持・譲渡の疑い(麻薬取締法違反)、もう1つはマンション内で一緒にMDMAを使って意識不明になったホステス嬢について119番通報を怠るなど適切な処置をしなかった疑い(保護責任者遺棄致死罪)で起訴された。

制度開始1年後の2010年9月3日に公判開始。Oさんは保護責任者遺棄致死罪について無罪を主張した。しかし、9月17日、保護責任者遺棄罪で懲役2年6月の実刑判決。求刑は懲役6年だったが、119番通報をしても助かったとは言い切れないとして「致死」が外されて軽くなった(保護責任者遺棄の問題も言いたいことはあるけど、それはまた機会があれば)。

Oさんは上訴したけれど、高裁も最高裁も一審を支持してこの物語は終わりました。

Oさんが著名な芸能人であったことやホステス嬢が全裸で発見されたことなどから、当時はこれでもかこれでもかとスキャンダラスに報道され、おまけにそれが裁判員裁判で裁かれるというので、裁判所は人山の黒だかり、いや黒山の人だかり。世間の注目を集めたものでした。

でも「人の噂も七十五日」。75日どころか、事件から7年も経てば、みんな次、その次の次の次の事件くらいに関心が移っちゃいます。そうするとマスコミは、今度は「今は昔、あの人は」なんていうのを探し出してもう一度世間に話題を提供しようと画策する。そういう週刊誌ってたくさんあります。これもその一つ。

記事は、仮出所してからもう1年も経ち、落ち着いたOさんが過去を振り返り、刑務所生活や近況を語るものですが、この中でOさんが裁判員裁判について語っているところが興味津々、夜も深々、春宵一刻値千金。ボク、なに言ってるんだろう。そう、Oさんは、次のように言っている。

 自分が犯した罪(保護責任者遺棄罪、麻薬取締法違反)に関しては、深く反省しています。それしかない。ただ、裁判員の方から、「伝えなくてはいけない事実がある。文通しましょう」と手紙を貰ったことがありました。たしかに、(ホステスの)Tさんが亡くなったのは事実ですが、「じゃあ、この人はどれだけ本当のことを分かっているんだろう」と反発を覚えて返事をしませんでした。

手紙を出した裁判員というのは、あちこちで裁判員制度についてしゃべっているあの人、Tさんです。「刑の言い渡しで終わりじゃない。被告人に寄り添っていくのが刑を言い渡した者の責任だ」とか「裁判員を経験したものだけが付けることを許されるバッチを付けた者の責任」みたいなことをさかんに言っている。推進派に重宝がられて、最近は死刑廃止運動なんかにも顔を出しています。この事件の裁判をやったってこと、手紙出したってこと、自分からしゃべっているので間違いないでしょう。yjimage

だけど、手紙を出すってどういう神経なんだろう。Oさんは無罪を主張していたのに。「おまえは有罪だ。刑務所に行け」って言った人に会いたいとか、文通したいとか、どんな形にしろ、関わり合いたい元被告人がいるって思う不思議。

「刑を言い渡した者の責任」とか、「裁判員経験者だけがつけることができるバッチを付けている者の責任」とか、そういうのってウケるんですけど~。
バッチというのは、弁護士バッチや検察官バッチじゃなくて単に、「クジで選ばれて、お国の言いなりなったという証」なんだもん。

急性ストレス障害になって国賠訴訟を起こしたAさんは、「この徽章は、裁判官でもない平凡な一国民が、十分に裁判内容を考える時間もなく、自身で内容を整理できないまま、モニター映像・録音テープ・検察官の口頭で説明されただけの内容で、自分の視覚と聴覚の二つの感覚だけで判決を下した、軽率で馬鹿な自分を自戒するため、自分が火葬される時に、一緒に納棺してもらい、煙にしてもらうつもりで封印しておき、家族にもこのことは遺言しました」と。その重みに比べて、「バッチを付けることが許された者の責任」という言葉の軽さ。

責任、責任って言うけど、「みんなで裁くのだから、そんなに責任重大に感じなくて良いです」というのがこの制度の「売り」なんです。だからバッチの責任ってウケる~。
最高裁は、「経験者に『裁いた責任がある』なんて強調され過ぎると、普通の人は『そんな責任は負えない』と、ますます辞退率が上がる、困ったな」って思っているんじゃないかな(でも、以前、インコ先輩は「最高裁は、『裁くのは自分だ。責任持ってやるんだ』と国民に思わせたい。だから、『裁いた責任がある』と言う彼は優等生なんだ」と言っていた。う~ん)。201631111

もちろん、本来、人を裁くことには重たい責任が伴うことくらいボクだって分かっています。でも、判決文に名前を書くのは裁判官だけ。裁判に責任を持っているのは裁判官だけなんです。お客様の裁判員には責任はありません。

しかし、Tさんは責任と言い、刑を言い渡した後まで刑余者を追い掛け回す。ストーカーみたいに。でも、裁判官は受刑者や刑余者を追いかけたりしない。裁きに責任を持つということと追いかけることは別です。判決に責任を負わない人が判決後に「責任」を言い募るなんてね。まさか、判決に責任を持たせてもらえなかったからと言う訳ではないでしょう。

「裁く」という強大な国家権力を行使した者が、行使された側に「寄り添う」というくらい傲慢で欺瞞的な話はないと思います。裁いた人と裁かれた人が対等な関係を築けるはずがないから。

簡易・迅速の裁判でどれだけ被告人のことやもろもろの事情を理解して判断できるのか。Aさんはそのことも悔いている。

でも、Tさんは「伝えなくてはならない事実がある」と言い、「寄り添う」と言う。本音は、「自分は、刑を言い渡した後もその人のことを気にかけている」と自己陶酔し、「彼を今でも支えています。それが裁判員を務め、刑を言い渡した私の責任だ」とぶち上げて喝采を浴びたいのだろうと、ボクは思います。

そのことをOさんは見透かしたから、「どれだけ本当のことが分かっているのだ」と反発したんだとも思います。

そうでないのなら、どういう気持ちで「関わり寄り添う」と言っているのか、真意もボクは知りたい。

ヒヨコ、最後に一言。読者のみなさま、これからも「裁判員制度はいらないヒヨコ」に生あたたかいご声援をよろしくお願いいたします。

告知:近日公開予定だった映画「だから俺達は、裁判員を待っていた」は、主役・寺田逸脱の評判が悪すぎて、永久お蔵入りとなりました。

20163111

 

 

投稿:2016年3月11日