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死刑判決の裁判員裁判を尊重するのは大問題

弁護士 猪野 亨

 下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。
 猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

東京高裁は先般、2件の裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役に減刑しました。
 東京高裁2013年6月20日
事案
 飲食店経営者(74歳)を強盗目的で殺害。
 前科として妻子を殺害、懲役20年で出所して半年後の犯行。

東京高裁2013年10月8日
事案
 千葉大生宅に押し入り、強盗殺人、その後、放火。
 出所後2ヶ月後の犯行。

これらは原審の裁判員裁判ではいずれも死刑判決を下し、被告人が控訴していた事案です。
 この無期懲役に減刑した高裁判決に対し、検察側は、2013年12月25日、裁判員裁判の結論を尊重せよという趣旨で上告趣意書を提出しました。しかもその内容を公表までしています。(朝日新聞2013年12月26日付など)
 最高裁は、これまで死刑判決以外の量刑判断については、裁判員裁判の結論を尊重するという姿勢を示しました。
 もともと、裁判員裁判では、量刑があたる裁判員によってバラバラになるのではないかが危惧されていました。
本来、事案ごとに特性があるとはいえ、裁判所も含め法曹界では同じような事案においては同じ量刑というのは当然の前提とされてきました。
 同じような事案において、この被告人は無期懲役としながら、別の被告人は懲役10年では適正手続き(憲法31条)の観点からも法の下の平等(憲法14条)という観点からも問題があるからです。
 そのため最高裁は量刑検索システムを導入し、何とかバラツキを防止しようとしていました。
 しかし、実際に裁判員裁判が始まってみると、このような量刑検索システムはあまりに役に立たないどころか批判の矢面に立たされることになりました。
裁判員の感想に端的に表れています。
●量刑検索システムは1つの参考に過ぎない
●従前の先例に従うのであれば裁判員が参加する意義がない。

実は、この量刑判断については裁判員と裁判官は対等、あるいはそれ以上の立場で対応することが可能なのです。
 事実認定など証拠評価に係わるものは、裁判員が裁判官と対等に張り合うなど全く無理です。所詮は裁判官の掌の上なのです。素人の裁判員がプロの裁判官を論破するなど無理な話です。
 しかし、量刑は違います。理屈でなく感情だけを言い張ることが可能だからです。もともと法定刑としても幅広いのですからなおさらです。
 その結果、裁判員裁判の量刑は特定の犯罪分野では重くなりました。
 マスコミはこれを裁判員制度の成果だと絶賛しました。

最高裁は、この量刑の在り方については、既に『裁判員裁判における第一審の判決書及び控訴審の在り方』(平成21年4月15日)では、「控訴審の在り方としては、事後審としての立場を維持すべきであるということが基本となり、ただ、裁判員制度の下では、控訴審の運用において、第一審の裁判を尊重するという立場から、事後審としての本来の趣旨を「より徹底させることが望ましい」としていました。
 東京高裁などは量刑不服の被告人の控訴に対して、「裁判員裁判だから」という理由でことごとく被告人の控訴を棄却してきました。
求刑を上回る判決 控訴審
 最高裁判決も結局は、量刑が重すぎるという理由で控訴審判決を破棄するようなことはしていません。
 但し、死刑判決については結論は出していません。今後、この事件の最高裁の判断が非常に重大になってくるのです。
このような量刑について場当たり的な裁判が裁判の名に値しない、要は感情や感覚に基づく人民裁判のようなものであり、到底、近代国家の刑事裁判と言えるものではありません。

 ところで、この量刑で一番、シビアな場面になるのが死刑か無期懲役かの選択する場合です。
 最高裁は、この点について『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』(平成24年10月20日)で分析はしていますが、結論は示していません。
 前掲『裁判員裁判における第一審の判決書及び控訴審の在り方』では、以下のように問題提起するのみです。
 死刑か無期懲役かが問題になるケースにおいて、以下のように分類しました。
(a)第一審の判断は無期懲役であるが、控訴審は死刑と考えた
(b)第一審の判断は死刑であるが、控訴審は無期懲役と考えた

第1説 裁判員裁判を尊重 (a)無期懲役 (b)死刑
第2説 控訴審の審査枠を遵守 (a)死刑 (b)無期懲役
第3説 被告人に有利な方向で裁判員裁判の判断を維持 (a)無期 (b)無期

 今回の検察側の上告趣意書は、この第1説ということになります。
 ところで、被害者団体(全国犯罪被害者の会(あすの会))も「裁判員裁判の尊重」を求めた決議をしたと報じられています。(2014年1月25日付)
 同じように第1説ということになります。

しかし、このような裁判員裁判の「尊重」は、他方で、従来の先例に従えば死刑となるところを裁判員が無期懲役を選択した場合でもそれを尊重せよということにもなります
 検察庁や被害者団体は、そのような腹を固めたということでしょうか。それともご都合主義的に裁判員裁判の結論を利用しようとしているだけなのかが問われます。
 また、最高裁が死刑判決の場面において正面切って裁判員裁判の結論尊重を打ち出せば非常に重大な結果を招きます。
 最高裁の示した基準は、死刑が極限的な刑罰であることからやむを得ない場合の選択という位置づけですから、殺人は死刑みたいな短絡的な発想の元で選択されるべき刑罰でないことは明らかだからです。
 当たる裁判員の人生観によって差が出ることは明らかに不合理です。
 もともと裁判員制度自体には賛成する論者からも死刑判決や量刑判断に裁判員が関わること自体が問題だという指摘もありました。

裁判員裁判は重大な岐路に立っていると言えます。037270

 

 

 

 

 

 

 

投稿:2014年1月30日

辞退可能を報道しなかったマスコミ

 インコのホームページ読者の石川幸男さんから、寄稿をいただきました。「裁判員制度施行前、裁判員になる精神的負担をいえば辞退できると最高裁から説明を受けたことをマスコミが報道してくれていたら」との思いから、当時の状況を報告してくださいました(タイトルは編集部がつけました)。

                                 石川幸男 

家族にも職場にも精神的に弱い者がおり、裁判員制度開始直前の08年10月29日に開催された、東京商工会議所と最高裁の共催による裁判員制度の説明会に参加して、閉会後個別に質問を行い、解説ご担当の最高裁参事官殿から、下記の回答をいただきました。

①Q:裁判員へのメンタルケアや、職務が原因で生じた損害の補償については非常勤の国家公務員として扱う(これは公になっていますね)というが、裁判員を務めたことと、メンタル障害などの損害発生との因果関係の立証責任は裁判員が負うか。

A:上記因果関係の立証責任は裁判員が負う。 

(ここで質問コーナーが時間切れとなり、閉会したのですが、上記の質問に興味をもたれたのか、読売・朝日・日経の法務担当記者の方が私のところに来られて、取材を受けている時に、今度はわざわざ参事官殿が壇上から私のところに出向いてきてくれたので、私が改めて②の質問を行い、回答を頂きました。) 

②Q:①の事態が発生した場合に因果関係存在の立証責任まで裁判員に負わされるのであれば、損害発生は「可能性」の問題とはいえ、そこまでのリスクを負担できないので、裁判員就任を辞退したいという申し出を行った人は、過料を課せられること無く、辞退を認められるか。

A:その場合は、過料を課さずに辞退を認める。

  この質疑は大変和やかな雰囲気の中で行われ、参事官殿にはにこやかにしかしきっぱりと答えていただきました。この時は、最高裁の参事官殿がマスコミの前で、どこにも記載のないような事例に明確に回答して良いのかな思いました。が、あとでよく考えてみると、6名の裁判員を選出するのに100名の候補者に呼び出し状を出すことになっており(当時の資料)、その中には平均3割・約30名の「引き受けてもよい」人が含まれる計算ですから、嫌がる人をそのまま除外しても裁判員制度の維持には影響がないということかもしれません。

  * 残念ながら、都内の上場企業を中心に500社の担当者を集めて開かれた、この説明会自体が、(TV局も取材に来ていましたが)マスコミに全く取り上げられず、上記質問と回答についても記事にはなっていません。 3名の記者の方とは名刺交換も行い、質問の趣旨も説明して、「回答がもらえて良かったですね」なんて言葉もいただき、大満足でしたが、単なる自己満足に終わってしまいました。その後もこの問題について、突っ込んだ議論があまりされて来なかったのが不思議でしたが、とうとう心配していた事態が起きてしまいました。私も勇気を奮って質問したので、記者の皆さんも問題意識を持って報道してくれていれば、今回の様な不幸な事態の発生は避けられたと思います。

そうなる前に4

投稿:2014年1月26日

裁判員制度5年目の「ナチス記念日」をどう迎えるか

今月30日、ヒトラーが政権を取って81年目の日を迎える。この機会に、裁判員制度の視点から、ナチスの登場をもう一度振り返つてみようと思う。

□ 麻生太郎氏は♂≠ℵ⊆Êǜと言った。
「3分の2という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力でとったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持であったり、そうしたものが最終的に決めていく」「しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。そのときに喧々諤々、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない」「そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない」-そして-「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」(植草一秀氏の『知られざる真実』から)。

□ ジェノサイド比較論の大家R・ジェラテリー教授は「ヒトラーは監視社会による犯罪の防止を国民に受け入れさせた。『強制』と『同意』は一貫して縺れ合っていた」と言った。
「多くのドイツ人は、自分たちの抱く深い不安感と密かな希望に訴え続けてきたヒトラーに言い寄られて、心地よいことを聞かされ、感情と打算の両面からナチス独裁制に熱を上げたのだ、秤にかけてみると、ほとんどの人びとは、犯罪のない街路、繁栄への復帰、それに自分たちがよいと思う政府を求め、その代償に進んで監視社会という考えを受け入れ、普通は自由民主主義と不可分とみなされる自由を放棄したのだ」(『ヒトラーを支持したドイツ国民』みすず書房から)

□ 同氏は、また「ドイツでは法違反を申告することは市民参加のもっとも重要な貢献のひとつだった」と言った。
「政権は、人種主義制度の違反容疑について、国民から密告を得るのに苦労しなかった。警察またはナチ党に情報を提供することは、第3帝国では市民参加のもっとも重要な貢献のひとつだった。…普通犯罪にかんしても、彼らは密告に躊躇しなかったに違いない。 この種の市民参加と、警察または党に自分たちの疑惑を進んで密告する市民の姿勢は、抵抗運動に壊滅的影響をおよぼした。…多くの人びとがよろめきながら終焉に向かっていった」(前同)

□ 京都大学名誉教授のドイツ文学者池田浩士氏は「ドイツ共産主義者もヒトラーの歓迎に転向した」と言った。
「1933年1月30日、ヒトラーが政権を掌握した。そのとき、ファシズムともっとも真摯に闘ってきたドイツの共産主義者たちでさえ、このことの意味を正しく捉えることができなかった。かれらはむしろ、ヒトラーの登場を、やむを得ない前段階のひとこま、と考えた。つまり、ヴァイマル共和国に失望した民衆はナチスを一時的に支持しているものの、すぐまたこれに幻滅させられるにちがいない。そのときこそ、真の社会主義ドイツへの道が開かれるのだ。-『まずヒトラーを来させろ。そのあとからわれわれが行く!』」(『ファシズムと文学 ヒトラーを支えた作家たち』インパクト出版会から)

で、インコはそっとつぶやく。
ボルサリーノ・麻生・マフィアファッション(米ウォールストリート・ ジャーナル(WSJ)は「ギャングスタイル」と報道した)は、みぞうゆうのお勉強で整理つかないまま間違いだらけでしゃべっちゃったって感じ。誰かが彼に「ヒトラーも鞭でひっぱたいただけじゃなかったんですよ」なんて教えたんでしょうね。「手口に学べ」は人に言ってはいけないはずの言葉だったのに、そこまで口にしちゃった。そこがチャックのかかりにくいお口の方の特徴。

ユダヤ人たちは公職を追放され、アーリア人とユダヤ人の結婚や同居が禁止され、「正義の回復」を求める市民の司法参加(密告)がナチスの支配を確実に支えていった。その経過は、ナチズムの再来を懸念する世界の学者がそろって指摘しているところですね。

アムステルダムの隠れ家にいたアンネ・フランクたちをゲシュタポに密告した市民の行動も、ドイツ民族の純血を守る「司法参加」そのものでした。かくしてベンチはアーリア人用とユダヤ人用に分けられ、ユダヤ人企業はアーリア人に買収され、ユダヤ人医師はユダヤ人以外の診察を禁じられ、ユダヤ人弁護士は活動禁止になる。「市民参加」の恐ろしさ。

「ナチス憲法」なんて言ったり、支離滅裂な話が例によって多いけど、イタリア・ファッショの麻生…じゃなかったマフィアファッションの麻生氏が言った話の中で、「ドイツ国民がヒトラーを選んだ」っていうところにはある種の真実がある。裁判員制度の旗を振って有頂天になったこの国の進歩的な政党や制度推進派の弁護士たちには、この人を批判する資格があるのかしらね。

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投稿:2014年1月23日

ストライキに立ち上がった裁判員たち

  私も言いたい一弁護士

    論告求刑を前に辞任を申し出た裁判員の解任で、6人いなければならない裁判員が5人になってしまった。不足の裁判員を新たに選任するのでもう少し裁判員の仕事を続けてほしいという裁判所の指導に納得しない5人の裁判員全員が自分たちもやめると裁判所に辞任を申し出た。結果、全員が解任になり、すべての裁判員と補充裁判員を初めから選び直さなければならないことになった。

これまでにも裁判員たちを選んでいる余裕もないほど出頭者の数が少ないケースというのはあったが、進行中の裁判が裁判員の解任で立ち往生したというのは、今回の水戸地裁の裁判が初めてだ。この大事件に、弁護士の猪野亨さんが16日、同じく弁護士の川村理さんが17日、さっそく投稿されている。私も自分なりにこの問題を考えてみた。                                      

プリント

  まず、報道に接した最初の印象から。
ひどく忙しくて時間的にも精神的にも余裕がない。法律の知識もないし責任も持てない。なにやかやで裁判員などやりたくない。でも、正当な理由がない不出頭には10万円以下の過料だと言われている。いやいやながら裁判所に出かけたらくじに当たってしまい、心ならずも裁判員(補充裁判員)をやらされることになった。でもこれ以上はやりたくない。裁判員(補充裁判員)を引き受けた人たちの中にもまだそういう「善良な市民」が残っているのだとうれしくなった。それがこのニュースを聞いたときの私の率直な印象だった。

 なぜそんな感想を持ったかというと、これほど嫌われている裁判員裁判に参加してもよいと思う人たちというのは、人の処罰に興味があるとか、物事を詮索したがるとか、人に説教を垂れたがるとか、失礼な言い方だが一種の変わり者しかいなくなっているのではと思っていたからだ。まだまだ普通の人たちが多くいて変人奇人は少ないと見える。これなら裁判所に出かけて行く市民の数はこれからもっと減るだろう、よっしゃという感じである。

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 次に、裁判官たちの反省と改善策について。
裁判長や陪席裁判官たちは、肝が潰れ、頭は真っ白になっただろう。裁判員たちに対する対応のまずさを責められてもいよう。今や針のむしろである。苦しむ裁判員のように眠れぬ夜を過ごしているかも知れない。制度の間違いが本当の原因だなどとは決して言えない。そういう裁判所内ではいったいどんな反省と改善策が考案されているのだろうか。

 考えられる反省改善策の第1は、補充裁判員の増員だろう。たいていの事件では補充裁判員は2名だが、これを3人、4人と増やす。裁判員法第10条は補充裁判員の数を「合議体を構成する裁判員の員数」以下と決めているから、普通は6人までは選べる。だが、そうなると選任期日に出頭した候補者が裁判員に選ばれてしまう比率は相対的に高くなる。ということは「いやいや選任率」も上がり、解任事件発生率の上昇にもつながる。

 そうなると反省改善策の第2は、選任の段階で意欲のありそうな候補者に絞り込むべきだということになる。背に腹は代えられない。私の言う変わり者を選ぼうということだ。裁判長は「辞めたい人は今のうちにそう言ってくれ、言わなかった以上は最後まで付き合ってほしい」という強い姿勢で選任に臨む。おそらく多くの候補者がやりたくないと言い出す。だがそれも致し方ない。選ばれた人たちの顔つきを想像するとなんとも気分が悪くなるが、現状ではそれが最適策ということになろう。

 そして反省改善策の第3は、呼び出し対象そのものを増やすことだ。そうすれば変わり者の数も増え、最後までくっついてきてくれる裁判員(補充裁判員)が何とか確保できる。しかし難しいのは増員の限度である。私が地元の地裁の書記官に聞いた話では、選任期日に出頭してくじに外れた候補者から、呼び出す候補者の数を少なくしてほしいという声が出ているらしい。「みんな無理をして裁判所に来ているのである。もう少し気を遣ってくれて当然だろう」という訳だ。結果、裁判官や書記官たちは、候補者の出頭数を予測して呼び出す数を多すぎず少なすぎないように決めるという不毛な仕事に精を出しているらしい。おかしな制度を作られて消耗なことをさせられる現場の人たちもご苦労なことである。どの反省改善策も考えて見れば展望がない。

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 さて、裁判員の解任について。
猪野さんも書いているように、裁判員には辞任の権利がない。普通の会社なら、やめたい社員は退職届を出せば会社をやめられる。しかし、裁判員会社は社員が退職届を出しても当然にはそれを認めない。辞職希望に理由があると社長が判断すればその社員を解雇して会社は社員と縁を切る。辞任したいという裁判員(補充裁判員)が出てきたらその言い分を聞き、これ以上やらせなくてもよい法令上の理由があると裁判所が判断した場合に限り、その裁判員(補充裁判員)を解任してお役ご免とする。生殺与奪の権利はすべて裁判所が握る仕組みである。

 だが、解任の決定は次の場合に限られている。イ重い疾病傷害、ロ同居の親族の介護養育、ハ決定的に重要な事業上の用務、ニ父母の葬式参加など変更不能の用務のほか、ホその他政令で定めるやむを得ない事由がある場合(裁判員法16条八号)。 「政令」が掲げる事由とは、①妊娠中か出産後8週間以内、②日常生活を営むのに支障がある親族や同居人の介護養育、③重い疾病傷害を持つ配偶者・事実婚者などの通院などの付添い、④妻・事実婚者・子の出産立ち会いや付添い、⑤遠隔地居住による出頭困難、⑥その他裁判員の職務を行い又は裁判員候補者として選任手続期日に出頭することで自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由がある(と裁判所が判断する)場合。

 何と厳しく小うるさい制限だろう。ちょっとやそっとのことでは解任は認めないぞという緊張した姿勢が法令の条文の隅から隅まで張り詰めている。今回のケースでは、政令の⑥に当てはまるかどうかが問題になるのだろうが、解任理由の存否は1人ひとりの個別の事情で決まるもので、一律一括で答えを出すようなものではない。5人が5人ともこれに該当するという結論に到達するとは到底考えられない。 プリント

  みんな嫌がっていることについて。
 しかし、水戸地裁の裁判員たちは全員がそろって辞任を申し出て、結局それが認められて解任になった。これはもうストライキ通告とその完徹と言うほかない。裁判所は、辞任は権利ではないとか解任は裁判所が個別に判断して決めるものだとか強弁して彼らを押さえつけようとして失敗した(そんな報道はされていないが、任務の続行を求めて裁判所が必死に説得したであろうことは容易に想像できる)。ついにストライキが貫徹され、裁判所はタオルを投げた。裁判員たちと裁判官たちの「最後の対決」の場面を想像すると、インコさんのトップページの標語「みんなで拒否して、制度の廃止!」が思い起こされる。私が映画監督だったらこのシーンを山場にするんだがなぁなどと思ったりする。

 川村さんの投稿によれば、裁判員裁判で解任された人の数は全国で実に384人に上るそうである。この人数は2012年10月以前のものらしいから、実施から3年少しの間のデータということになる。ものすごい数字である。そのころまでに行われていた裁判員裁判の数は4000件をいくらか上回る程度だったと思われるから、10件に1人近い割合で解任事件が発生していたことになる。私はそんなに解任が多かったとはまったく知らなかった。ほとんど報道されていない話だと思うが、マスコミはいったい何をしているのだろう。今回の事件が特異なケースではないことがよくわかる。そして制度廃止を求める市民の要求のマグマが地表近くに上ってきていることをよく感じさせる。

「桐一葉」と言う。桐の葉が1枚落ちるのを見ても世の衰亡のきざしが感じとれるらしい。だが、今私たちの目の前に今起きている風景は一葉どころの話ではない。桐の葉が束になってボロボロと落ち始めた図である。最高裁の庭の桐はどうなっているのだろう。033502

 

 

投稿:2014年1月19日

制度崩壊の日は近い

 弁護士 川村 理

  1月16日に報じられた水戸地裁における裁判員・補充裁判員の8人の全員解任事件は、裁判員制度が、ほぼ瓦解寸前の現状にあることを改めて浮き彫りにした。

  本件は、今月14日から開始された現住建造物放火事件(事件は昨年9月)の公判が、全公判日数はわずか3日しかない予定であったのに、6名の裁判員と2名の補充裁判員が次々と途中で辞任を申し出、その結果、裁判所が8名全員を解任したというものである。

  裁判所による裁判員解任の実態は、従来、あまり明らかにされてこなかったが、一昨年10月1日発行の『裁判員制度はいらない!全国情報』36号によると、その実態は別表のとおり、当時の統計から推定しても、10数件の裁判で1件の割合による解任事案が発生していたのである。ちなみに同号の記事によれば、「拒絶しそびれて心ならずも就任してしまったり、やってみてもと思って名乗り出て就任した数少ない裁判員や補充裁判員の中から、ボロボロこぼれ落ちる脱落者がこれだけいる」などと分析されていたのだ。

 しかし、8名全員の総辞任による全員解任という今回の事態は、当時の記事の想定をもはるかに上回る異常このうえない事態である。

  奇しくも、1月16日に公判が開始されたオウム真理教元信徒の事件における裁判員選任手続(東京地裁1月10日)では、選出母数の候補者400人中、選任手続当日に出頭した候補者はなんとたったの60名、全体の15%でしかない。候補者の参加率自体が、徹底的に落ち込んでいるのだ。

  裁判員制度の違憲性を訴えるストレス障害福島訴訟において、被告国側は、制度が「苦役」に当らない根拠として、「候補者の辞任や辞退を広く認めている」などと主張している模様である。こうした国側の主張を、裁判所が自己の行動でも示していくならば、当然のごとく、今後、裁判員候補者の不出頭や辞退、辞任は爆発的に広がらざるを得ない。既に、裁判員制度が「見直し」等では到底解決できない地点に追い込まれているのは明らかではないか。

  いま一つ、水戸地裁の事件で決して看過しえないのは、全員解任による公判中止という事態が、被告人の迅速な裁判を受ける権利(憲法37条)を侵害した、すなわち、裁判員制度が被告人の重要な権利を蹂躙したという事実である。前記のとおり本件はわずか3日で判決まで予定されていたことからして、事実関係にはほとんど争いがなく、当該被告人も迅速な裁判を望んでいたと思われる。裁判員裁判では、こうした被告であっても否応なしに公判前整理手続きを強要し、今回のように裁判員が辞任してしまえば、裁判はさらに数カ月延期ということになる。制度の違憲性がいま一つ明確になったというべきではないか。

  最後に、『朝日新聞』1月16日は、本件の記事を「そして誰もいなくなった」などとアガサ・クリスティの小説のタイトルを用いておかしげに報じた。制度推進の急先鋒であった同紙が、制度の問題点をかくも深刻に示しているこの事件を、ふざけた態度で報じることは、許されない。

  一日も早い制度の廃止を!

各地裁別解任された裁判員数(人)
総数 384 神戸地裁姫路支部 1 熊本地裁本庁 5
東京地裁本庁 45 奈良地裁本庁 1 鹿児島地裁本庁 7
東京地裁立川支部 18 大津地裁本庁 5 宮崎地裁本庁 1
横浜地裁本庁 15 |  和歌山地裁本庁 1 那覇地裁本庁 13
横浜地裁小田原支部 2 |  名古屋地裁本庁 12 仙台地裁本庁 15
さいたま地裁本庁 13 |  名古屋地裁岡崎支部 1 福島地裁本庁
千葉地裁本庁 53 |  津地裁本庁 3 福島地裁郡山支部 6
水戸地裁本庁 10 |  岐阜地裁本庁 4 山形地裁本庁 3
宇都宮地裁本庁 4 |  福井地裁本庁 1 盛岡地裁本庁
前橋地裁本庁 4 |  金沢地裁本庁 3 秋田地裁本庁 1
静岡地裁本庁 2 |  富山地裁本庁 青森地裁本庁 1
静岡地裁沼津支部 3 |  広島地裁本庁 13 札幌地裁本庁 7
静岡地裁浜松支部 1 |  山口地裁本庁 函館地裁本庁 1
甲府地裁本庁 7 |  岡山地裁本庁 5 旭川地裁本庁 3
長野地裁本庁 4 鳥取地裁本庁 釧路地代本庁
長野地裁松本支部 1 松江地裁本庁 1 高松地裁本庁 5
新潟地裁本庁 6 福岡地裁本庁 14 徳島地裁本庁 2
大阪地裁本庁 26 福岡地裁小倉支部 3 高知地裁本庁 4
大阪地裁堺支部 9 佐賀地裁本当 3 松山地裁本庁 1
京都地裁本庁 2 長崎地裁本庁 5 (注)
    延べ人数であり、速報値である
神戸地裁本庁 6 大分地裁本庁 2

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投稿:2014年1月17日

裁判員、補充裁判員全員が辞任? 放火事件で水戸地裁

弁護士 猪野 亨

 下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。
 猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

水戸地裁で行われていた現住建造物等放火事件で、補充裁判員、裁判員が次々と「辞任」し、すべて「辞任」となったので、選任と審理をやり直すということになりました。
 朝日新聞の見出しがおもしろいです。
裁判員、そして誰もいなくなった 水戸地裁、辞任相次ぐ 公判後に定員割れ、選び直し」(朝日2014年1月16日)

 本来、裁判員には「辞任」する権限はありません。あくまで法定の事由がある場合に「辞任」を申し出ることができるだけです。
 裁判所は、正当と認める限りにおいてその裁判員を解任することを決定します。

第44条 裁判員又は補充裁判員は、裁判所に対し、その選任の決定がされた後に生じた第16条第8号に規定する事由により裁判員又は補充裁判員の職務を行うことが困難であることを理由として辞任の申立てをすることができる。
2 裁判所は、前項の申立てを受けた場合において、その理由があると認めるときは、当該裁判員又は補充裁判員を解任する決定をしなければならない。

16条8号の規定は以下のとおり
8 次に掲げる事由その他政令で定めるやむを得ない事由があり、裁判員の職務を行うこと又は裁判員候補者として第二十七条第一項に規定する裁判員等選任手続の期日に出頭することが困難な者
イ 重い疾病又は傷害により裁判所に出頭することが困難であること。
ロ 介護又は養育が行われなければ日常生活を営むのに支障がある同居の親族の介護又は養育を行う必要があること。
ハ その従事する事業における重要な用務であって自らがこれを処理しなければ当該事業に著しい損害が生じるおそれがあるものがあること。
ニ 父母の葬式への出席その他の社会生活上の重要な用務であって他の期日に行うことができないものがあること。

 今回は、補充裁判員、続いて1人の裁判員が「辞任」を申し出、裁判所が解任したことにより、既に予定されていた期日を取り消し、別途、期日を指定しようとしたところ、他の5人の裁判員全員から、「辞任」の申し出があり、裁判所は全員を解任したというものです。
 この全員に上記に上げたような事由があるとも思えず、要は、実情としては裁判員がもうやりたくないという申し出を裁判所が認めたということです。
 本来的には裁判員法の精神は、国民の義務であってお役目を果たさなければならないというものですが、現実には、この裁判員制度の根幹は揺らいでいます。
 裁判所の発表では、出頭命令に対して9割の国民が出頭していると発表していますが、実際には、事前に幅広く「辞退」を認めているので、3~4割程度の国民しか出頭していません。
遺体写真見たくない! 当たり前のこと
 なお、裁判所から呼出を受けたときは、「出頭」であり、それはあくまでも国家による命令なのです。
 裁判員法には以下のように規定されています。
第29条 呼出しを受けた裁判員候補者は、裁判員等選任手続の期日に出頭しなければならない。

 実際には、義務だ、出頭せよということで運用することになっている裁判員制度は、現実には国民的な支持などなかったのです。
 もともと裁判員制度が始められたのは、国民を関与させることによって司法基盤を強化することでした。
 あたかも国民の大多数が出頭しているかのような当局の大本営発表の下に、「自分も呼出を受けたら出頭しなきゃいけないのかなあ」という気持ちにさせようとしているのです。
 しかし、昨年には、遺体の写真をみてPTSDを発症した女性が国に対し、損害賠償請求訴訟を提起するに至り、本当に国民は裁判員にならなければならないのかということが国民の間でも当然の疑問としてクローズアップされるようになりました。
 この訴訟では国は言うに事欠いて、裁判員は「裁判員は辞退や辞任が認められている」などと答弁したのです。
奇っ怪な国の答弁 裁判員の辞退を認めている?

 これでは、裁判所(国)が裁判員制度が限界に来ていることを露呈したようなものです。
 裁判員制度に大義はありません。裁判員になることを拒否しましょう。

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投稿:2014年1月16日

提灯記事はもう読みたくない…『朝日新聞』記者への手紙

『朝日新聞』記者山本亮介様        015087

裁判員制度はいらないインコ

     前略 1月11日の『朝日新聞』であなたの署名入り記事を読み、このお便りをお送りしたくなりました。裁判員経験者にインタビュー結果をまとめた『裁判員のあたまの中~14人のはじめ物語』という本の紹介記事です。「法廷で質問勇気いる」「死刑後悔していない」「裁判員の生の声聞いて」「14人体験まとめた本出版」などの見出しを並べています。定価のほか、問い合わせ先として出版社の電話番号まで書いてあるので、紹介宣伝記事と言ってよいものでしょう。

 3つお尋ねをします。まず、なぜ今になってこの記事を書かれたのかという質問です。この本については、3カ月も前の昨年10月18日付け『読売新聞』が詳細な紹介記事をまとめており、同じ10月の29日には『東京新聞』がさらに詳しい紹介を書いています。他社に抜かれた報道は、よほどの事件でもない限り黙殺するのがこの世界の常識と聞きますので、不可解の感が否めません。

あなたの記事の中には新しいことは特に書かれていません。あらためてこの本の出版を読者に知らせなければならない事件が発生したというような記述もありません。最近、書店で見たところ、この本は昨年11月5日に発行されたまま、まだ1度も増刷もされていないようです。『朝日』が今になってこの書籍出版をあらためて報道した理由は何ですか。どうにも売れないので紙面で宣伝してほしいという出版社の要望に応えたということでしょうか。

2つ目。この記事でやや新しい表現と思えたのは、「出版のきっかけは裁判員制度がスタートして4年が過ぎ、制度に向けられる社会のまなざしに違和感を持つようになったから」という著者の言葉です。しかし不思議なことに、著者が持ったという「社会のまなざしに対する違和感」の内容についても、「まなざし」の内容そのものについてもあなたは何も触れていません。その一方で、あなたは「良い経験をした」と答えた裁判員経験者の感想に疑問を持ったという著者の感想を引用しています。

「社会」と言えばおそらく「世論」のことでしょうが、世論はこの制度に基本的にアゲインストです。このことに違和感を持つ著者が制度を賞賛する元裁判員の言にも首をかしげている。となるとこの制度に対する著者の基本的な姿勢はどこにあるのか、私にはまったくわからなくなりました。

著者の視点が定まっていないのかあなたの視点が定まっていないのか、その両方なのか。少なくともこの記事は基本的な視点の整理を十分にしないまま書いたものだろうという印象が強く残りました。あなたはこの記事でいったい何を読者に伝えたかったのでしょうか、説明して下さい。

3つ目。着る服で悩んだとかお昼の弁当のことを話す経験者の話などもそのまま伝えたとし、「一人ひとりのストーリーで制度を身近に感じてもらえれば」というのが著者の希望だと紹介していることについてです。

「1つひとつの卑近な話を通じて制度を身近に感じてもらいたい」というのはどういう意味ですか。著者は、裁判員経験者に共通していたのはじっと考え込む場面だったと言っています。自分の判断の正否に悩んでいるという経験者の声も紹介しています。素直に読めば、裁判員経験者には多く悩みがあったということになるでしょう。あなたも、この制度がいまだに多くの国民に受け入れられていないばかりか、強く批判されたり疎まれてもいることをご存じのはずです。とすれば、ここで「制度を身近に感じてほしい」と発言することがどのような意味を持つのか。そのことに、思いを及ぼして当然だろうと思います。

そのような問題意識をうち捨ててしまったかのように、「制度を身近に感じてほしい」と言う著者の言葉を手放しで紹介されたことに、私はそれこそ強い「違和感」を抱きました。あなたは、多くの国民はなぜ「身近に感じない」のだろうかとか、国民に「身近に感じさせたい」狙いはどこにあるのだろうかなどということにまったく関心を寄せていません。「制度を身近に感じる」という著者の言をあっけらかんとそのまま紹介されたのはどうしてでしょうか。

これらの質問にお答えいただければ幸いです。私はあなたのお答えを皆さまに紹介するつもりです。回答がないときはそのようにお伝えしなければなりませんが、不都合を隠したいから逃げているのだろうなどと非難されるのはおそらく不本意でしよう。できるだけ内容のあるご回答をすみやかにいただきたいと思います。

私は、裁判員裁判が発足する以前から『朝日』提灯持ち説が話題になっていたことを思い起こします。それは事実に反することだったのか、やはり事実だったのか、この質問へのあなたのご返事でもう一度その仮説を検証してみたいという気持ちでおります。よろしくお願い申し上げます。            

草々     

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投稿:2014年1月15日

私は裁判員に裁かれたくない

                                                    裁判員経験を後悔している女性

 裁判員を経験しました。それまで裁判所に行ったことなど一度もなかった私です。最高裁から通知が届き、裁判所の呼び出しを無視したら処罰されると書いてあったし、それだけでなく、出頭しなければどんなことが起こるのかわからないと恐ろしくなりました。それで裁判所に行ったら裁判員に選ばれてしまったのです。007966

 裁判官3人の両側に裁判員が3人ずつ座り、後ろには補充裁判員の方が3人座りました。私は裁判官の右隣の席でした。

 合計5日間、裁判所に通いました。裁判官は一生懸命気を遣ってくれました。職員も下にもおかないおもてなしという対応です。お菓子も食べ放題でした。

 でも、私はその5日間、私がこんなところに座っていていいのか、こんな高い法壇から人を見下ろせる人間かと悩みました。人を裁くことは恐ろしい。どうして私がこんな恐ろしいことをしなければならないのかと涙しました。
判決に責任が持てません。責任を感じなくても良いのだというようなことを言われました。最高裁のパンフレットにもそのように書いてあります。でもそんな無責任なことで良いのでしょうか。私が被告人ならこんな無責任で無知な裁判員に裁かれたくありません。

 おかしな言い方になりますが、たった一つ救いがあるとすれば、無責任で無知な裁判員が出した結果ではなく、裁判長のリードによって、裁判官の判断で出された判決だったということです。

 裁判官のみなさんと私たちずぶの素人の間にははっきりとした壁がありました。気を遣われ、おもてなしを受けても所詮はそこまででした。私たちは(少なくとも私は)、宿題を与えられてやる生徒たちで、答えは裁判長が持っていました。それは考えてみれば当然のことだと思います。 007966

 なぜ、私たちは裁判官の横に座り、人を裁くという恐ろしいことに巻き込まれるのでしょうか。後で知ったことですが、裁判員法第1条には「司法に対する国民の理解と信頼を深めさせること」というようなことが書いてあるそうです。
 でも、私は裁判員を経験して司法に対する理解と信頼は増さなかったし、素人を呼び出してやらせる裁判所は信用できません。

 私は呼び出される前にインコさんのホームページを知っていたら、絶対に裁判所へ行かなかったと思います。

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投稿:2014年1月13日

押し黙る4万6千人、守秘義務死守は何を意味するのか

インコは常々、疑問に思っています。この国の政府・最高裁はどうしてここまで厳しい縛りをかけたのか…。裁判員法はなぜこれほど厳しい守秘義務を国民に課したのだろうかと。inko_A4

この制度は国民に義務を課す制度なのだからみんなが裁判の内容を話題にすることなど想定しなかったのだろうというのが一般的な見方なのだそうです。しかし考えてみれば、みんなに話題にして貰った方が制度の趣旨がより早く広く国民の間に伝わり、より多くの国民がこの制度に親しみを感じてくれるはずですよね。この国の司法が正統に行われてきたとみんなが声を上げても悪くはない。広く知られないようにしようとかできるだけ秘密にしようというような発想はこの制度に不可欠・不可避のルールでもないように思います。

裁判員法が定める守秘義務の内容を簡単におさらいしておくと…。裁判員や補充裁判員が評議の秘密のほか職務をしている間に知った秘密を漏らすと「秘密漏示罪」という名前の犯罪が成立するのです。刑罰は6か月以下の懲役か50万円以下の罰金。裁判員や補充裁判員の職務に従っている時に犯せばもちろんですが、職務が終わってから漏らしてもこの犯罪が成立します。裁判官や裁判員の評議中の意見はこうだったと言ったり、このような意見を言った人が何人いたなどと言っただけで犯罪が成立するのです。また、本当はこのように認定すべきだったと思うとかこのような量刑にすべきだったと思うなどと言ったり、言い渡された判決の事実認定や量刑のよしあしについて意見を述べただけで犯罪になります。その判断でよかったと思うと言っだだけでも成立するという恐ろしい法律です(裁判員 秘密漏らして 被告人)。inko_A4-3

これで、何も言わない、何も書かない、ひたすら黙るという究極の沈黙の世界が現出しています。脅された裁判員たちの多くは、自分は恐ろしい世界に足を突っ込んでしまった(突っ込まされてしまった)ものよという感覚に陥ります。また、裁判員たちの周囲の人々も裁判員たちにものを聞いてはいけないらしいという腫れ物に触るような心境に追い込まれているのです。

朝日新聞ニューヨーク支局の中井大助記者が米国で陪審員を務めた経験報告を書いた文章(昨年12月6日の紙面記事と25日の「記者有論」欄)を読んで、あらためてこの思いを深くしました。

中井記者は、陪審員を務めた経験で「司法参加の原点」を実感したと言います。市内で男性2人の背中を刺して怪我をさせたという傷害事件。弁護側は捜査のずさんさなどをいろいろ指摘しました。実際、証言はあいまいで調書の信用性も争われましたが、1人については、結局「怪我を負わせた場合」の2級傷害罪の成立で全員一致。もう1人については「重大な怪我を負わせる意図」をめぐって争われ(その意図があれば1級傷害未遂が成立し、なければ無罪)、陪審員の間で意見が割れたが、1日半の評議でこちらは無罪になった。中井記者は2つの事件でともに少数派だったということです(陪審制は全員一致制のため、記者も最後にはほかの意見に同調したという)。

中井記者は、「被告人と同じ立場にある市民として」「全員同意して」結論を出すところに陪審制度の根幹があると評価しつつ、現実の運用を考えると刑事裁判のあり方として陪審制が最善なのか疑問が大きくなったと結んでいます。また、「ここで経験したことをぜひ話してほしい。それでこそ制度が広く理解されるから」という裁判官の言葉に感銘を受け、日本の裁判員裁判の「守秘義務」をもっと緩めて、裁判員制度に関する議論がより活発に交わされることも提言しています。

日本で裁判員制度の取材をした経験を持つ中井記者が、米国の裁判官から「陪審員としての経験を広く知らせてほしい」と求められて感銘を受けたのは、日本の裁判員制度の強烈な秘密主義と陪審制の公開精神の落差を感じたからでしょう。米国では、有名な陪審事件の陪審員手記が店頭に並ぶことが珍しくありません。陪審裁判の問題点もいろいろ取りざたされていますが、陪審裁判に対する裁判官の誇りと陪審制の歴史の重みに一線記者として衝撃を受けたことは想像に難くない(記者が陪審制にも懸念を感じた理由についても知りたいところですが、それはここではとりあえず措いておきます)。

さて、問題は裁判員制度。わが国の「司法参加」制度に不抜の確信があるのなら、国も最高裁も、この制度のもとで行われる評議の過程や量刑の論議について、国民の間であらゆる角度から自由闊達に議論してほしいと言ってもよかったでしょう。どうしてそのような態度をとらなかったのか。

これまでに4万6千人もの国民が裁判員や補充裁判員として法壇に坐り、6500人近い被告人が彼らが参加した裁判で裁かれています。しかし、そこで裁判員たちが本当は何を感じ、何を評価し、何を批判しているのかということは霧の中、いえ闇の中です。裁判所が裁判官の面前で裁判員たちに書かせるアンケートでも、各地の裁判所で開かれている意見交換会の場でも、裁判官に対する遠慮や守秘義務の縛りが拘束になって真実はほとんど明らかにされていない(意見交換会の発言記録にも「守秘義務の制約があるのでこれ以上は言えない」などという弁解が出てきている)。最高裁の報告書は、アンケートや意見交換会の結果を引いて制度の定着を自賛していますが、これで真実がわかったという人は少ないでしょう。

最高裁は、3年後の見直しでも守秘義務の緩和にはまったく手を付けませんでした。守秘義務の死守の陰にあるのは、この制度の真実が国民に知らされることへの底知れぬ恐怖ではないでしょうか。守秘義務の緩和は日弁連などが繰り返し求めていることですが、義務を緩和すればこの制度がよくなるのではなく(裁判員たちの参加が刑事裁判の基本を破壊していることが満天下に明らかになるだけで)、これほどまで厳格な守秘義務を課しても堅持しようとしているところに、この制度の基本的な問題性が象徴的に示されていると思います。休暇の秘密

 

 

 

 

 

投稿:2014年1月12日

被害者匿名起訴は司法を自ら否定するものでは

                                                刑事司法の行方を危惧する一弁護士

新年早々ですが、非常に気になる報道に接しましたので、投稿させていただきます。051606

全国の地方検察庁が調べたところ、被害者の名前を隠した起訴状が昨年1年間で60件あったそうです(『毎日新聞』13年12月30日)。性犯罪などの被害者の名前を隠す運用が多くの検察庁で始まっていることがわかります。被害者の名前が被告人に知られておらず、生命・身体・名誉に被害がおよぶおそれがあり、匿名にすることが被害の拡大防止に役立ちそうな場合に匿名化が検討されるという説明が付されていました。

この動きは、一昨年秋に神奈川県逗子市で起きたストーカー殺人事件などの「反省」をきっかけとするものです。事件は、女性の結婚を知った加害者の男性が被害者の女性に「刺し殺す」などという内容のメールを日に何十通も送りつけたことで、警察は男性を脅迫罪で逮捕。裁判所は懲役1年・執行猶予3年の判決を言い渡しました。すると今度はこの男性は慰謝料請求のメールを毎日数十通も女性に送り続け、女性はあらためて警察に対応を相談します。しかし警察は、メールはストーカー規制法が禁じる「つきまとい」にならないと女性に説明しました。そうしているうちに男性はこの女性を襲って殺害し、自分は自殺してしまった。かくて被疑者死亡の殺人事件として捜査に終止符が討たれたというものです。051864

神奈川県警が男を脅迫で逮捕する際に逮捕状に書かれていた被害女性の新姓や転居先市名などを読み上げたことや、被害者の個人情報の漏洩に探偵業者が堂々と関わっていたことなどが各方面で話題になりました。しかし、最大の問題は、この女性が殺されずにすむように警察はなぜ対処しなかったのかという議論に進まず(進めず)、被害者の名前をどのように隠すかという議論に流れてしまった(流してしまった)ことにあると思います。

多くの刑事事件で被告人は被害者の名前も住所も知りません。知らされていないと言ったほうがよいでしょう。「生命・身体・名誉に被害がおよぶおそれ」と言いますが、その有無は何を基準にし、また誰が判定するのでしょうか。「名誉」などを挙げたら、犯罪の被害者にとっては被害を被るだけで名誉が傷ついているとも言えます。これ以上世間で話題にされたくないという心境になるのはごく普通のことです。「名前を隠すことが被害の拡大を防ぐのに役立ちそう」に至っては話にもなりません。私が中学生のころ、同級生の妹さんが誘拐される事件がありました。幸い事件は早期に解決しましたが、妹さんの名前が新聞に載ったことで同級生のお父さんは娘さんがまた誰かに狙われるのではととても心配していました。検察のこの基準では、たいていの事件の被害者の名前は隠すべきだということになってしまうでしょう。051864

この議論をすると、被害者の人権と刑事司法のバランスをどうとるかという話になりがちです。しかし、私はそのような議論の立て方自体に問題があると思うのです。刑事訴訟法が「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所、方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と定めている(第256条第3項)ことの意味は非常に重いと考えます。

「被害者の名前や住所」はここに掲げられていませんが、それは当然の前提とされます。また、「できる限り」とありますが、それはいかに努力しても解明しきれなかったけれどもだからといって事件を放置する訳にはいかないという特別の場合を指すものです(例えば、誰もいないところで覚せい剤を使用したその使用日時について、尿検査の分析結果などからこの時期からこの時期の間ということは推認できてもそれ以上は特定できないというような場合)。何かの関係で不都合なら書かなくてよいというような便宜的な対処を許すものではありません。これも通説です。

再犯の懸念とか模倣犯の心配などをこの議論の場に持ち込むことは許されないと思います。警察の捜査がずさんで情報漏れが多いことや探偵業者(それも退職警察官がやっている例が少なくない)から匿名起訴の容認に話を進めるなどもってのほかです。警察の腐敗の克服打開の論議をほかの論議にすり替え、基本の問題と枝葉末節の問題を混乱させることは認められません。051606

女性の後をつけて部屋に押し入って胸などに触ったとして強制わいせつの罪に問われた男に対し、昨年12月26日、東京地裁は「再被害の具体的な恐れがあるとまでは認められない」として、「東京都杉並区□□に単身居住していた女性」という公訴事実の記載を変更させたそうです(前記『毎日』記事)。原則を大事にしているようにも見えますが、具体的な恐れがあれば匿名を認めることに道を開きかねない見解でもあります。10月17日には、親の実名と続柄だけを記載した強制わいせつの事件で、東京地裁が児童の実名を記載しない検察の対応を問題にし、検察は起訴を取り消していましたが、裁判所もじわじわと検察に迎合し始めているように見えます。

公訴事実に被害者の名前を書く理由に、「審理対象の特定の必要」と「被告人の防御権の保障」を並べて言うことがあります。その説明に間違いはありませんが、前者が圧倒的に重要です。防御権の問題と言ってしまうと、実際の防御の場面で不都合はないだろう(被告人は防御上困らなかっただろう)とか、被告人がよいと言っているのだから特定・不特定の議論は無用だろうというような議論に流れていきがちです。近い将来、被告人がよいと言っていれば「被告人は去年ある女性の胸を触った」というだけで強制わいせつ罪の成立を認めてもよいなどという「法律論」が登場しないとも限りません。

匿名公訴事実の問題は裁判員制度特有の議論ではありませんが、裁判員制度の登場は、「市民常識」の反映という形で、刑事司法の世界でこれまでは当然と考えられてきた原理的な法律論を根底から崩壊させて行くきっかけになっているように思われます。裁判員制度に反対する皆さんにこの辺の事情も知っていただければと思い、この投稿をさせていただきました。

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投稿:2014年1月10日

制度に込めた検察の狙い

弁護士 川村理

  年末年始、検察庁の裁判員制度に込めた狙いをよく示す二つのニュースが報じられた。0483011223

  一つは、昨年6月、裁判員裁判の死刑判決を破棄した東京高裁判決に対して上告を行った東京高検が、その判決に対する上告趣意書(検察側の上告の理由は詳しく書いた書面)を提出し、しかもその内容の要旨を異例にも報道機関に公表したというものだ(2013年12月26日朝日新聞)。

 事件は、男性一人が殺害された強盗殺人事件であり、一審の東京地裁の裁判員裁判は、2011年3月、被告人の前科を重視して死刑判決を言い渡したが、その控訴審で東京高裁は、「一審は前科を重視しすぎた」として、無期懲役に減刑していた。

 これに対し、東京高検は、昨年2月の最高裁判例を引用し、無期懲役に減刑した東京高裁は、その判例に違反すると主張しているようである。

 しかしながら、昨年2月の最高裁判例は、「事実認定がよほど不合理でない限り、裁判員裁判の判断を尊重すべきだ」として、もっぱら事実認定に関し、もとの判断の尊重を言っているのであり、量刑についてもとの判断の尊重を言っているのではないから、検察の「判例違反」の主張はかなり苦しい。検察による「異例の」上告趣意書の公表、という事態はこうした苦しさを補強するとともに、問題を大衆化させ(?)、裁判に一種のポピュリズムを持ち込み、重刑化を図る意図があると感じられる。048301122

   もう一つは、本年1月4日の報道により明らかにされた検察官による証言誘導問題である(2014年1月5日朝日新聞)。

 この問題は、2010年、宮城で3人が殺傷された事件の元少年に関する裁判で起こった。その事件の争点は、被害者のうち、2人の殺害に関し、計画性があるか否かであった。ちなみに、従来の裁判例では、2人の死者が出た事件は、死刑か無期かのボーダーライン上にあり、そこでは計画性の有無はかなり決定的な意味を持つ。つまり計画性があるとなれば、死刑判断に傾きやすい。

 こうした微妙な事件で、仙台地検は、共犯者の男性の証人尋問に先立ち、いわゆる「証人テスト」を行ったのであるが、その際、共犯者の男性は、もともと計画性はなかったと証言しようとしていたのに、検察官から「ダメだ」と言われ、供述調書のとおりの証言を誘導されたという。かつての大阪地検特捜による証拠捏造事件を想起させるとんでもない話だ。

 裁判員裁判は、連日開廷で、分刻みの超計画審理を行う実態であるから、そもそも弁護側が、個々の証人の反対尋問をじっくり尽くすことは難しい。今回の検察による証言誘導が、こうした裁判員裁判の構造を前提に、どうせばれないであろうとして敢行されたものであることは明らかだ。裁判員裁判の正当化にしばしばもちられる用語は「核心司法」であるが、検察は、制度を利用してその核心事実すら捻じ曲げようとしているのだ。

  一日も早い制度の廃止を!

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投稿:2014年1月8日

インコ長老伝授不出頭手習鑑-四段目・寺子屋の段

戸浪、戻りし源三に何かありやと尋ぬれば、菅秀才の追っ手が村に迫れると。追っ手に囲まれたる上は秀才の首を討ちて渡すほかなきか。源三、そこで小太郎を秀才の身替わりにと考える。追っ手を斬って捨てるか秀才とともに自害し果てるか。あぁ、「せまじきものは宮仕え、せまじきものは宮仕え…」。

というわけで、インコ、最後のお願いと長老直伝、苦役に難渋しとうない皆さまのために謹んで裁判員の断り方をお知らせいたしまする。新春プレゼント第3弾は、三段目車曳きの段から桜丸切腹の段までをすっ飛ばし、人気の四段目・寺子屋の段でござりまする。

さて、第二段・杖折檻の段は腕を競っての論戦展開。対する四段目はひねくれ人の皆さまがお相手の場面でござります。ひねくれ人って本当にひねくれている人じゃないよ、勘違いしないでね。もはや理屈を超越した境地に立つ方々のいやみ、ひねり、揶揄、罵倒のたぐいですね。長老も「これはセンスが問われるのじゃ」と申しておりまする。「お主やりおるな」と言わせるような名言で舞台を圧倒してください。ではよろしくね。041057

またまたちょいと幕間のご挨拶を

何事も末期という時期に至りますと、争乱怒濤の時代に入ります。徳川の世もそうでした。第2次大戦末期もそうでした。裁判員制度が登場した現在も例外ではありませんな。たがが外れている。制度が出てきておかしくなったのか、おかしくなったから制度が出てきたのか、裁判員制度はもう投げられたってそこのところジョニーにうまく伝えてよ…♪。いやいや失礼、くちばしが滑りました。真梨子の世界に入りかかっちゃった。とにかくそこら辺はよくよく研究しなければいけませんが、世の中がこのところ奥底からおかしくなっていることは間違いありません。

前の段で不出頭は正義だと申しました。制度拒否の皆さまにはご自身が出頭を拒絶する理屈を展開するのは雑作もないことかも知れません。そういう方の中には、こんな制度はそのうちつぶれちゃうのだからほかっておくのが一番ではなどとおっしゃる方がいらっしゃいます。こういう考え方を「放置主義」とか「法の腐敗」と言い、それはダメです。

でも、前にも申し上げたとおり、無視黙殺や飲み屋のうんちくたれでは事態は根本からは変わりません。名簿記載の通知書(調査票)にも地方裁判所からの呼出状(質問票)にも、間髪入れずにあなたらしい皮肉を込めた拒絶通知を叩き付けていただきたい。ただし、できるだけ品位のあるウィットを飛ばして下さいね。

ひねくれ御仁のあなたに呼出状が来たら「四段目」の線で行き、周囲の方に来たら、その方のタイプにより「初段」から「四段目」までのどれかで行く。そこら辺も考えながら周りの方にも断り状をお勧め下さい。通知書にも呼出状にも闘わんかなの精神でとりくみましょう。通知書に対する出頭拒絶の回答の内容次第で呼出状の送付先から外されますし、呼出状に対する出等拒絶の回答も理由次第で呼び出し取り消しの対象になります。

インコは、こういう断り状はいかがかという「長老直伝・お断り参考文例」を皆さまにお届けします。特にこの段は独創性が重要です。だいたい平安時代に寺子屋なんてなかったもんね、細かいことは言わない。ウィットやユーモアの世界では、既視感がないことがとても大事です。読む側に与える打撃効果や引きつけ効果に大きな差をもたらします。文例はあくまでもちょっとした参考です。適宜大きく修正してご利用下さい。

それでは、続いて皆さまを、第四段『寺子屋の段』へとご案内つかまつりまする。9386895

第四段「寺子屋の段」

これは、表面では春風駘蕩を装いながら、その実戦々恐々としている連中の心臓を一刺しで貫く小気味よい剣先の断り状です。理屈というのはいろいろあっても数に限りがある。しかし、ウィットやユーモアの世界は限りがありません。人の数だけ言えます。

おかしな時代には、皮肉に溢れた罵倒や揶揄やおちょくりが幅をきかせます。この国も、アジア最強のマンモス国家や東北アジアの世襲元首国家に負けない秘密統制強靱国家です。四段目は、そのようなお国と時代にぴったり合った寸鉄人を刺す名文の断り状です。さぁ、インコも頑張ろうっと。

(心構え)
長老は、
「内容が不正確だったりしてはいけないのは前の段と同じじゃが、にやっと笑えるかどうかが決定的なポイントじゃ」と申しております。ひとりよがりはバカにされるだけ。奥の院は必死、でも現場の人たちはなんだこの制度って思っている。そのどちらにもぐさっと突き刺さる中身がほしい。そうなると制度廃止に向けたのろしの決定打になります。

(例えば次のようなことを書く)
□日当1万円と聞いて考えたのは、出頭して「断固拒否」と騒いだうえ、一日分の手当をもらって凱旋し、おいしいワインを買って帰ることでした。でも考え直してバーゲンセールに直行ということにします。おいしいワインも気分が大事。この制度は人を豊かな気分にさせません。それに幅広く辞退を認めるって国が言っているじゃないですか。バーゲンに行くのも「正当な理由」になりますよね。

□「それが反省している態度か」と人に説教したり、「生まれ変わって人格を変えろ」と被告人に言ったり、挙句は「裁判員になって勉強になりました」とか「社会に関心を持つようになりました」なんてアンケートに書いたり。そんな人を見下した言葉やごますりの言葉はいりません。わざわざ裁判所に行かなくても、毎日会社で聞かされたり言わされたりしていますので。

□呼出状が届いてから体の震えが止まりません。考えるだけで涙が出てきます。いやなものはいや、だめなものはだめです。これは国によるDVだと思います。人を裁くことを人生の目標にしている人のそばに近づくだけでも私は気持ちが悪い。自分の身体を机に縛りつけても家から離れません。私に呼出状を送った人を生涯をかけて探し出し、呪って呪って呪います。

□裁判は誰にでもできると最高裁の偉い人が言っているのをテレビで見ました。それならどうして裁判官に高い給料を払うのですか。裁判官の給料ってすごく高くて、しかも私たちに裁判員をやらせたからって皆さんの給料が下がったりしないんですってね。それってどういうことですか。あなたたちの給料が日当1万円と交通費だけになったときに私も出頭します。それまでは私を呼び出さないで下さい。

□名張ぶどう酒事件とか袴田事件とかいろいろな再審請求事件がありますね。そういう事件なら出頭もしましょう。えん罪の片棒担ぎをさせられるのはごめんですので、裁判員の呼び出しはお断りいたします。どうしても私に裁判員になれというのなら、被告人が自白していようが現行犯逮捕だろうが、私は「被告人は無罪です」と言い続けます。私はこの国の刑事裁判をまったく信用していませんので。

□裁判員法は苦役を国民に強制するもので、憲法違反の法律だと思います。そのような簡単なことがわからないような裁判官の横に座ったら、そのお馬鹿が伝染しそうで恐いので出頭しません。わかっていながら素知らぬ顔をして坐っているのなら、そんな卑劣な人とは同席したくありませんのでやっぱり出頭しません。どういうつもりで裁判員裁判に関わっているのか裁判官に質問します。大至急私に「回答書」を送って下さい。

□私は忙しい物書きです。どうしても来いというなら必ず裁判員に選んで下さい、必ずですよ。メシのタネですから聞いたことは何でも書きます。罰金50万円を超える印税をもらえる本を書きます。最高懲役6か月だそうですが、実刑にはならないと友人の弁護士に聞きました。もし実刑になったらそれも結構。その体験を週刊誌に売るか本にします。ひとつの経験で2冊の本が書けるかも。さぁどうします、裁判長。E69687E6A5BD

(工夫のしどころ)
□  うん、これならボクにも書けるっていう感じになったかも知れません。ただし、
長老は「ユーモアと本気の両立って意外に難しいものじゃ」と申しとります。「おしゃべりを楽しんでいるだけととられないように気を遣え」とも。鍵はやっぱり「知識と怒り」。私はこの制度のあやしさを知ってるよという雰囲気をみなぎらせ、相手を追い詰める気迫を堅持しなければなりません。

□ 大事なことは、前から申し上げているとおり、こいつを呼び出すとろくなことにならなさそうだと裁判所に思わせ、二の足を踏ませることです。

□ そしてこれはあくまでもちょいとした参考文例です。あなたの感性を磨きに磨いて、思う存分大展開して下さい。がんばれ主権者の皆さま。それから書いたものは送る前に必ずコピーをとっておきましょう。2007-35_1

最後のむすび

大きな声で笑いながら怒りを叩きつけましょう。魯迅は「水に落ちた犬を打て」と言ったようですが、裁判員制度犬という犬は、水に落ちてもここには水はないなどと言うへんな犬です。また、水から出てきてからまた悪さを始めるとてもおかしな犬なのです。最後の最後まで叩きつぶさなければなりません。何と言っても「寺子屋の段」ですから、偽の首実検なんて手も使われかねない。愛犬家の皆さん、ごめんなさい。不適切な表現と思われた方は、「犬」の代わりに別の言葉を入れて読んで下さい、ただし「インコ」は使ってはいけません。

断り状は必ず書きましょう。納得していないという意思を示す場としてこの機会を利用するのが目的です。この行動は、制度に対する批判の強さを裁判所に思い知らせ、彼らをめげさせ、つくづくいやにさせます。せまじきものは宮仕え。裁判所で働く大半の人たちは、どうしてこんな制度を始めちゃったんだと思っています。本当に悪い奴はこの国のど真ん中にいる数少ない連中だけです。

初段の断り状が初手の反撃とすれば、第二段の断り条は切り込み隊の反撃、そして第四段は総仕上げの総大将の反撃です。渾身のラブレターをものして下さい。最後にまたもインコからのお願い。裁判所に送る断り状のコピーを送って下さい。「裁判所に送る一通の手紙」大コンクールで紹介させていただきます。

さてもさても、インコのお山長老伝授不出頭手習鑑全三幕の通し狂言、長らくのご愛顧、ご愛読まことにありがとうございました。

裁判員制度廃止

 

投稿:2014年1月7日

インコ長老伝授不出頭手習鑑-二段目・杖折檻の段

夜も更けた覚寿の館。別れの際に一目父に会いたやと苅屋姫。姉の立田と話しおるところに覚寿現れ、色恋に依り丞相陥れし憎き輩と杖持ちて姫を殴りつける…。

だがだがお立ち会い、裁判員制度には父娘の情愛は出て参りませぬ、ありませぬ。間違った御成敗には心置きのう折檻してたもれ。というわけで、今回もインコのお山の長老直伝、苦役に難渋しとうない皆さまのために謹んで裁判員の断り方をお知らせいたしまする。新春プレゼント第2弾は、手習鑑二段目・杖折檻の段でござりまする。

二段目は、初段・筆法伝授の段に引き続きまいて、制度拒否の皆さまがお相手。障子の向こうから「折檻し給うな」などと決して声はかかりませぬ。情け容赦もなく杖を振り回して最高裁を折檻していただきたく存じまする。ではよろしくね。041057

ちょいと幕間のご挨拶を

制度発足4年、法律成立からは都合9年。そのうち落ち着くだろうという当局のあてが完全に外れたこの制度。仕組みや目的を知る人が増えるにつれて、批判の素材もどんどん増え、反論の突っ込みは鋭くなって参りましたぞ。

「ドンタコスったらドンタコス♪」っていうテレビCMが評判でしたよね(今もやってるかな)。繰り返し言ってればみんな食べたくなるっていう発想のCM。そういう広告戦略もアリだとは思うけど、みんなが食べたくなるには何と言っても本当においしいスナック菓子であることが欠かせない前提ですね。そこで失格したら逆効果です。裁判員制度はその典型。湯水のごとく宣伝広告費をつぎ込んで、いやがる国民を大量生産してしまいましたな。

今年5年目のこの制度。おかげさまで制度がよくわかった上で批判するお方が増えました。「正当な理由がないのに応じなかったら10万円以下の過料」なんて言われると、「正当な理由って何だ」とか「過料と罰金の違いはだな」なんてすぐ反応しちゃったりして。

制度実施以来ペナルティーが1人も科されてもいないことを取り上げた東北のある地方紙が、処罰するのかしないのかここら辺で態度をはっきりさせてくれと社説に書いてました。インコは、この制裁を科された人が4年間に1人もいなかったということは、この間のすべての拒絶には正当な理由があったのだとここに宣言します。

そう、不出頭には正義があります。「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という言葉が一世を風靡しましたが、あれには「信号が赤だったらホントは止まんなきゃいけないのはわかってんだけどさぁ」っていう了解がありましたよ。裁判員制度にはそれがないのですね。裁判員制度の場合は、間違った表示をする信号機だから取り外せっていう要求をしていると言ってもいいでしょう。

さて、制度拒否の皆さまにとっては、こんなもの無視すりゃいい、飲み屋で制度批判のうんちく傾けてりゃいいっていうことになるのでしょうか。インコはそれは断固違うと叫びたい。名簿記載の通知書(調査票)にも地方裁判所からの呼出状(質問票)にも、間髪入れずに拒絶の通知を叩き付けましょうよ。あなたの持てる知識・教養を紙の弾丸にして闘って下さいな。
ただし、長老からはきつく「生兵法は怪我の元、知ったかぶりは禁物。言う以上は批判に耐えるものを書かねばならぬ」と言われておりまする

ご自身に呼出状が来たら「二段目」の線で行き、周囲の方に来たら、その方のタイプにより「初段」で行くか「二段目」で行くか、考えながら周りにも断り状をお勧め下さい。ともあれ通知書にも呼出状にも今こそ闘わんかなの精神でとりくみましょう。通知書に対する出頭拒絶の回答も理由次第で呼出状の送付時に外されますし、呼出状に対する出等拒絶の回答も理由次第で呼び出し取り消しの対象になります。

インコは、こういう断り状はいかがかという「長老直伝・お断り参考文例」をお届けします。文例はあくまでも参考です。適宜加筆したり修正したりしてご利用下さればと存じます。180px-Kagaya_Katsugoro_of_Hongo_-_Sugawara_denju_tenarai_kagami_-_Walters_95766

それでは、続いて皆さまを、第二段「杖折檻の段」へとご案内つかまつりまする。

第二段「杖折檻の段」

これは、ご自身が裁判員裁判についてご存じの知識を使って、自分には裁判員として参加する意思ががないことを理屈っぽく伝えるパターンの断り状です。「イヤだと言ったらイヤなんだ」もドンタコス正義としてしっかり通用しますが、せっかくですから、選ばれし者の特権を駆使して、あんたの言ってることはここが違うんだよとか、私はこういう理由であんたには反対なんだよとか。「目の前にいる相手を打ちのめす気概で一戦交えよ」と長老は申しております。彼らには確実にボディーブローとして効いていきます。これも制度の廃止に向けた大きな力です。

(心構え)
再度、長老からのお言葉。「知識・見識は正確に吐くのじゃ。
間違っていたり生兵法だったりすると、人を誤らせますしご自身怪我のもと。言う以上は正確を期す。つまらんことで足許をすくわれないよう気を遣うのじゃ」。ホントくっだらない奴らを私たちは相手にしてるんだよねぇ。

(例えば次のようなことを書く)
□ この国の司法はえん罪・誤判の歴史で汚れている。私はウソに協力する気がない。私を裁判員にしたら法廷でも評議の場でも、そのことを言う。ウソで固めた制度だということを記者会見の場でも告発する。それでも私に裁判員をやらせるか。

□ 私が裁判員を務めたことで外傷性ストレス障害になったりPTSDになったりしたらその責任を必ずとると約束しなさい。最高裁はその兆候を早期に発見せよと現場の裁判官に命じているが、私自身がその危険があると言っているのだぞ。それでも私を呼び出すか。

□ 裁判員など体のいいお飾りのお客さんだ。裁判員が裁判官と対等に論議できるなどと本気で思っている裁判官などひとりもいないだろう。最高裁自身が市民の判断能力を低いと断じ、評議に参加しても表決権は与えるべきでないとも言っていたではないか。

□ 国民に国民を裁かせる制度に私は絶対に反対する。ほかのことで意見を聞かれてもそのことを言う。法廷では被告人にこんな裁判はイヤだと言わないのかと聞く。これだけ言っても私を裁判員に呼び出すのなら、裁判所が私の決意表明を承知したものと理解する。

□ 私は守秘義務を守らず何でも周りに話す。6か月以下の懲役と言われるが、実刑になるはずがないからそれも結構だ。ただし漏らすと表明した自分を敢えて呼び出す裁判所にも責任をとって貰う。知られたくない秘密がそんなにあるというのなら私を呼び出すな。

□ 私は警察が信用できないから被告人の無罪を確信すると選任期日に発言する。これだけ言っても私を呼び出すのなら、無罪を強く主張した私を裁判所が呼び出したのだ、それでもいいのかと検察官に尋ねる。

□ 私は警察が捕まえた以上は被告人の有罪と極悪性を確信すると選任期日に発言する。これだけ言っても私を呼び出すのなら、有罪と重罰を強く主張した私を裁判所が呼び出したのだ、それでもいいのかと弁護人に尋ねる。

□ 裁判所はどうして他の仕事より裁判員の仕事を重視せよと言えるのか。私の商売が裁判員出頭のために困難に陥ったら、私は裁判所に賠償を請求する。そのことを了解したという返事を送ってきなさい。そうしたら私は裁判員を引き受け20060125150223てもよい。

(工夫のしどころ) 
□  こんなこと言ってもいいのかなぁなんて思っている向きがあれば、念のためお答えします。何も問題ありません。ここには何一つウソはないし、そもそも国民には表現の自由という憲法上の権利があるのです。それに、最高裁自身が、やりたくないならやらなきゃよかったのに、やってから文句つけたりするなよって言ってるんですからね。

□ 初段でも申し上げましたが、ここに紹介したことを組み合わせて書いてもよいし、ほかにいろいろ考えて書き足しても結構です。たくさん書いた方が説得力が増すでしょう。がんばれ主権者の皆さま。なお、書いたものは送る前に必ずコピーをとっておきましょう。

□ 大事なことは、こいつを呼び出すとろくなことにならないと裁判所を動揺、震撼させること。ヘンな奴を呼び出した責任を最高裁から問われるのは現場の裁判官。こりゃ危ないやと思えばさっさと削ります。「裁判員制度絶対反対」と書いたたすきを着けて出頭しただけで裁判員に選ばれずに済んだ人もいる。そういう行動をとるぞと前もって知らせようというのが二段目の精神です。p11

この段のむすび

放っておいても処罰されないのなら放っておこうかと思っている方にあらためて長老からひと言。
やっぱり断り状はちゃんと書くべきじゃ。納得していないという意思表示の場として、この機会を効果的に使うのじゃ。この行動は、単に裁判員に選ばれないことを狙うだけでなく、制度に対する批判がこれだけ強いのだと裁判所に思い知らせる行動なのじゃからな。

ということで、あなたのひと言が彼らを確実にめげさせ、いやにさせます。裁判官たちも裁判所の職員たちも、本当のところどうしてこんな制度を始めちゃったんだと思っているのです。本当に悪い奴はこの国のど真ん中にいる数少ない連中だけです。

初段の断り状が初手の反撃とすれば、第二段の断り状は切り込み隊の反撃です。日ごろの学習をここに練り上げ絞り上げて舌鋒鋭く切り込んで下さい。ではでは皆さま、グッドラック!

最後にインコからのお願い
初段と同じく、裁判所に送る断り状のコピーを送って下さい。「裁判所に送る一通の手紙」大コンクールを開催し、そこで紹介させていただきます。

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投稿:2014年1月5日

インコ長老伝授不出頭手習鑑-初段・筆法伝授の段

「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
春を迎えましたな。高潔英明な菅丞相さまになりかわるつもりは毫もござりませぬが、インコこの際、学問の神さんにちょっと許しとってとお願い申し上げて、苦役に難渋しとうない皆さまのために謹んで裁判員の断り方をお知らせし致しまする。菅原ならぬインコのお山長老伝授手習鑑、新春のプレゼントでござりまする。初段、二段目、そして三段目をすっとばして人気の四段目と、まぁそんな具合で人形浄瑠璃の調べに乗せて都合3演目構成です。よろしくね。”N‰ê7

はじめに

正当な理由がないのに出てこなかったら「10万円以下の過料」の制裁が科されることになってる。でも、制度実施以来この制裁に遭遇した人は1人もいない。これまでに裁判員候補者の名簿に載せられた人は180万人もいて、不出頭者はべらぼうな数に上るにのにでっせ。

始まる前からめっぽう嫌われ、始まってからはさらに嫌われているこの制度、ここで不出頭を処罰でもしてご覧なさい、目も当てられない修羅場が眼前に広がります。冗談じゃないって誰も彼も裁判所に行かなくなっちゃうんですね。もう完全に定着した集団拒絶状態から今度は制度廃止に向け、怒りの要求が奔流となって流れ出す。絶望的な不評をよくよくわかってる最高裁としては、処罰なんかできる訳がない。竹崎最高裁長官とすれば、あなたの首に縄をかけても引っ張り出したいと思っているんだけど、そうはさせじとあなたの怨念が飛び梅のように三宅坂に飛んで彼の腕をぐっと押さえてる、とまぁそんな力関係なんですね。

制度を始める前の最高裁は、こんなときの不出頭は認めないとかこんなときなら許してやるとか、やたらにえらそうに詳細な基準作りに精を出していた。でも始まってみたら何のことはない、出頭者には感謝状や記念バッジを配る(金がかかっているとはとても思えないしろものだけど)一方、不出頭のペナルティーは何もなしということになってしまったんさ。

じゃ、こんなもの無視してすっぽかせばいいってことになるか。確かに調査票が入っている通知書については(質問票が入っている呼出状についてもかなりの程度で)、無視・黙殺・ゴミ箱直行・鍋敷き利用などの民間ルールがほぼ確立されている。でも、これまでのところ通知書が送られてきた人の3~4人に1人の割合で呼出状が送られてきています。それがそもそも極めて不愉快。しかし、最高裁自身が報告書の中でこれまでに9万人以上が「調査票により辞退等が認められた」と言っている。つまり調査票への対処いかんで呼出状が送られてくるかこないかが変わることになる。最高裁はまた9万2千人以上が「質問票により辞退等が認められた」とも言っている。質問票への対処いかんで不出頭が認められることにもなる。不快回避対策はやればそれなりに効果が出るのです。

そこでインコは、調査票や質問票に対して、こういう断り状を出したら裁判所はあなたを呼び出しにくくなるという「長老直伝・お断り参考文例」をご紹介しようという訳です。

それでは、まずは皆さまを、初段「筆法伝授の段」へとご案内つかまつ1りまする

初段「筆法伝授の段」

これは、ご自身が裁判員裁判に参加する考えがないことをきちんと率直に訴える断り状です。「アベが通れば道理が引っ込む」時代ですから、世の中ご無体だらけ。なにごとも正直・率直がよいという泰平の世ではありませんが、でもすなおはやっぱり百千万の力です。

(心構え)
自分は主権者(この国の主人公)で、あなたたちは私たちの税金で暮らしている公僕なのだという強い姿勢に立つこと。何とか勘弁して下さいと懇願するのは絶対にいけない。お願いする気持ちになると彼らはすぐに高ビーになり、勘弁してやらん出てこいって言い出す。醍醐天皇の時代からホントしょうもない奴らなんだよねぇ、お上って言うのは。

(例えば次のようなことを書く)
□ 自分は絶対に人を裁かない。人を裁くということは自分のこれまでの人生を否定すること、これからの自分の人生を狂わされることだ。いかに裁判所といえども人の人生を否定したり狂わしたりする権利はないはずだ。(ここで宗教上の信念を展開されるもよし)。

□ 自分には人を裁く知識や判断の力がない。知識や経験がなくてもできるという説明を聞いた(読んだ)が、とてもそうは考えられない。裁判は専門知識や長い経験を持つ人だけがなし得る厳粛な仕事のはず。裁判はもっと大事に扱われるべきものではないのか。

□ もし、法廷で裁判官の席に坐らされたり、事件や被告人について裁判官などと話をしなければならない場面になっても私は口を開かない。もし口を開いたら何回でも「私にはわからない」と繰り返す。それでは被告人にも裁判官にも迷惑をかけるだけだろう。

□ みんなで相談して結論を出すのだから不安になる必要はないという説明を聞いた(読んだ)。しかし、それでは他人に責任をかぶせる逃げ口上になるだけで、安心できることにはならない。裁判員みんながそう思ったら大変な無責任ではないか。

□ 多数決で結論を出すのだと(読んだ)聞いた。そうすると自分が少数説だったら結論は自分の意見ではないことになる。それでは自分は気持ちの整理が絶対につかない。自分は無罪だと思っても、判決が有罪になったら、自分は生涯そのことを悔やむ。

□ 事件の現場の悲惨な写真を見せられたりするのは耐えられない。しかし、どぎつい写真は省略したりモノクロ写真にするというのもおかしいと思う。素人を呼び出して裁判官のまねごとをさせるところにそもそもの間違いがある。

□ 裁判所に出かけていく時間はまったくない。仕事(家事)が大変で、人をどう処罰するかなどと考えている余裕は自分には全然ない。自分の忙しさを説明しなければならないのも理不尽だと思うが、簡単に言えば…………という状況だ。それでも来いというのか。

(工夫のしどころ)
□  縦書き、横書き、手書き、ワープロ打ち、なんでもよろしい。調査票や質問票には書き込むスペースがないので、別の紙に書くこと。紙の大きさも問いません。なお、書いたものは送る前に必ずコピーをとっておきましょう。

□ ここに紹介したことを組み合わせて書いてもよいし、ほかにいろいろ書き足してももちろん結構。短くまとめてもよいが、たくさん書けば説得力が増す場合が多いでしょう。

□ 一番大事なのは、無理して呼び出してもこの人は選任期日にあーだのこーだのと余計なことを言い、裁判が始まってからとんでもないことを起こしたり、あげく裁判員解任なんていう面倒なことに発展する人かも知れないと裁判所に思わせ”N‰ê7ることです。

この段のむすび

処罰されないのなら放っておこうかと思っている方に長老からひとこと。
断り状はやっぱり書いた方がよい。自分を呼び出すなという声を上げることは、この制度に納得していないという声につながり、結局は制度の廃止につながってゆくからです。私の苦労を後の人に味合わせたくないと思えば、制度を廃止させるのが最善の道筋、王道です。

それに何と言っても無理が通って道理が引っ込む時代です。極限まで追い込まれ、裁判所への出頭者がほとんどいなくなったら、批判・反発の十字砲火を浴びても不出頭を処罰すると言い出すかも知れない。どこぞの宰相だって世界中の非難を覚悟しながらどこぞの神社に参拝したじゃないですか。

裁判員制度の目的は国民の司法教育だと当局の人は言っています。では私たちの方から、国民はこう思っているぞと反撃教育に打って出ようということです。これが断り状の第1目的と言ってもよい。「アニーよ、断り状を手にとれ」なんてね。

最後にもうひとつ。こればインコからのお願い。
裁判所に送る断り状のコピーをできたらメールか郵便で送って下さい。いつかまとめて、「裁判所に送る一通の手紙」大コンクールをこのウェヴで発表させていただきます。選者はもちろん私、インコです。

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投稿:2014年1月3日

新春を迎えてお祝いのご挨拶を申し上げます

 おめでたくないことが多かった昨年ですが、そのなかで何といってもぶっちぎりでおめでたい話は裁判員制度がいよいよ破綻し、廃止に向けて一段と事態が進んだことでした。今年こそ息の根を止めてやろうじゃねえか(すみません、止めてやりたいものだ)と、インコは元旦早々決意を新たにしているところです。

裁判員裁判が始まって5回目のお正月。毎年、最高裁から裁判実施状況の報告書が発表されます。特に一昨年12月には、09年5 月から12 年5 月までの実施3年分の「裁判員裁判実施状況の検証報告書」が発表されました。今年もデータが発表されるでしょう。ワクワクします。だって、あれやこれやの延命装置でなんとか命をつないでいるこの制度がついに脳死状態に陥ったということを、最高裁自身が報告せにゃならんのだから(初春からこんな話になってしまったこと、重ねてお詫びします。)。

検証報告書を見ると、裁判員候補者の出頭率が年々確実に3ポイントくらいずつ下がっていることがわかる。出頭率というのは、「裁判員候補者名簿に記載された者の数」に対する「選任手続期日に出席した候補者の数」の比率のことです。実施年にすでに38.1%という低さだったのが3年後の12年には30.4%と8ポイント近くも落ち込み、昨年は20%台に凋落していることは絶対確実。長期審理事件では10%を割り込む例も出ています。

しかもこの出席者たちがみんな裁判員をやると言っているのではないのですよ。10万円以下の過料という脅しもあり、心ならずも(つまり、不承不承とか、おびえてとか、怒り心頭でとか)出頭はしたけれども、私はやりたくないとその場で裁判長に直談判する候補者たちがとても多いのです。早い話、やってもよいという候補者はもう暁天の星という少なさに近づいていることになります

PN2008112501000889_-_-_CI0003うすりゃいいのさ思案顔のタケザキ君。えっ、誰のことだって? 知らないんですか、あの好男子の竹崎博允最高裁長官を。まぁ、ご面相のことは置いときましょう。私の里インコのお山の国語辞典で「破綻に瀕している」ということを、この人が使っている最高裁国語辞典では「順調に推移している」と表現します(イン最辞典「破綻」の項参照。)。用語例をご紹介しますと「順調に推移して順調に死滅した」なんて言いますね。そう、ミッドウェイ海戦よりもっと悪いわな。竹崎A

昨年は、元裁判員が国を相手取り責任追及の訴訟を起こしました。こういう事件が出てくるということは制度が終末期にあることをよく示しています。そしてタケザキ君があわてて出した結論は「自業自得」論。「辞退できるのに辞退しなかったのはお前が悪い」っていう訳です。そりゃウソだろうって? いえいえウソではありませぬ。ストレス国賠訴訟の報告を見て下さい。国はそうとしか言いようのない言い逃れをしていると、原告代理人が国を鋭く追及しています。

ま、これで制度の息の根は完全に止まりますね。だって、これほど国民を愚弄する話はないもん。10万円のペナルティーで出頭の脅しをかけたかと思うと、無理して出て行って病気になったら出てこなくてもよかったのにと言う。これじゃ、皆さん出頭しないでいいですよって触れ回ってるようなもんでしょうが。

裁判官は、裁判から1か月も経ったころに、元裁判員に電話をかけて「あんたもしかして病気になってないの」なんて尋ねることも方針に取り入れたそうです。そんな電話がかかってくるだけで憂うつになるっていうことがタケザキ君にはわからない。上からしかものを見ない人たちには、そういう対処法しか思いつかないんだね。

というわけで、この制度はもはや順調に消えていくしかなくなりました。悪法・悪制度の歴史的な終焉のときが間もなく来ます。みんなでこの醜悪な制度のぶっ倒れ際をよくよく見せてもらおうじゃねえか(いや、拝見させていただきましょう。) 。

では、どちらもどっちも今年もよろしくおたの申します。

                         おとそでほろ酔い加減の                                                  裁判員制度はいらないインコ 拝   

                              39-h色

投稿:2014年1月1日