トピックス

トップ > トピックス > 被害者匿名起訴は司法を自ら否定するものでは

被害者匿名起訴は司法を自ら否定するものでは

                                                刑事司法の行方を危惧する一弁護士

新年早々ですが、非常に気になる報道に接しましたので、投稿させていただきます。051606

全国の地方検察庁が調べたところ、被害者の名前を隠した起訴状が昨年1年間で60件あったそうです(『毎日新聞』13年12月30日)。性犯罪などの被害者の名前を隠す運用が多くの検察庁で始まっていることがわかります。被害者の名前が被告人に知られておらず、生命・身体・名誉に被害がおよぶおそれがあり、匿名にすることが被害の拡大防止に役立ちそうな場合に匿名化が検討されるという説明が付されていました。

この動きは、一昨年秋に神奈川県逗子市で起きたストーカー殺人事件などの「反省」をきっかけとするものです。事件は、女性の結婚を知った加害者の男性が被害者の女性に「刺し殺す」などという内容のメールを日に何十通も送りつけたことで、警察は男性を脅迫罪で逮捕。裁判所は懲役1年・執行猶予3年の判決を言い渡しました。すると今度はこの男性は慰謝料請求のメールを毎日数十通も女性に送り続け、女性はあらためて警察に対応を相談します。しかし警察は、メールはストーカー規制法が禁じる「つきまとい」にならないと女性に説明しました。そうしているうちに男性はこの女性を襲って殺害し、自分は自殺してしまった。かくて被疑者死亡の殺人事件として捜査に終止符が討たれたというものです。051864

神奈川県警が男を脅迫で逮捕する際に逮捕状に書かれていた被害女性の新姓や転居先市名などを読み上げたことや、被害者の個人情報の漏洩に探偵業者が堂々と関わっていたことなどが各方面で話題になりました。しかし、最大の問題は、この女性が殺されずにすむように警察はなぜ対処しなかったのかという議論に進まず(進めず)、被害者の名前をどのように隠すかという議論に流れてしまった(流してしまった)ことにあると思います。

多くの刑事事件で被告人は被害者の名前も住所も知りません。知らされていないと言ったほうがよいでしょう。「生命・身体・名誉に被害がおよぶおそれ」と言いますが、その有無は何を基準にし、また誰が判定するのでしょうか。「名誉」などを挙げたら、犯罪の被害者にとっては被害を被るだけで名誉が傷ついているとも言えます。これ以上世間で話題にされたくないという心境になるのはごく普通のことです。「名前を隠すことが被害の拡大を防ぐのに役立ちそう」に至っては話にもなりません。私が中学生のころ、同級生の妹さんが誘拐される事件がありました。幸い事件は早期に解決しましたが、妹さんの名前が新聞に載ったことで同級生のお父さんは娘さんがまた誰かに狙われるのではととても心配していました。検察のこの基準では、たいていの事件の被害者の名前は隠すべきだということになってしまうでしょう。051864

この議論をすると、被害者の人権と刑事司法のバランスをどうとるかという話になりがちです。しかし、私はそのような議論の立て方自体に問題があると思うのです。刑事訴訟法が「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所、方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と定めている(第256条第3項)ことの意味は非常に重いと考えます。

「被害者の名前や住所」はここに掲げられていませんが、それは当然の前提とされます。また、「できる限り」とありますが、それはいかに努力しても解明しきれなかったけれどもだからといって事件を放置する訳にはいかないという特別の場合を指すものです(例えば、誰もいないところで覚せい剤を使用したその使用日時について、尿検査の分析結果などからこの時期からこの時期の間ということは推認できてもそれ以上は特定できないというような場合)。何かの関係で不都合なら書かなくてよいというような便宜的な対処を許すものではありません。これも通説です。

再犯の懸念とか模倣犯の心配などをこの議論の場に持ち込むことは許されないと思います。警察の捜査がずさんで情報漏れが多いことや探偵業者(それも退職警察官がやっている例が少なくない)から匿名起訴の容認に話を進めるなどもってのほかです。警察の腐敗の克服打開の論議をほかの論議にすり替え、基本の問題と枝葉末節の問題を混乱させることは認められません。051606

女性の後をつけて部屋に押し入って胸などに触ったとして強制わいせつの罪に問われた男に対し、昨年12月26日、東京地裁は「再被害の具体的な恐れがあるとまでは認められない」として、「東京都杉並区□□に単身居住していた女性」という公訴事実の記載を変更させたそうです(前記『毎日』記事)。原則を大事にしているようにも見えますが、具体的な恐れがあれば匿名を認めることに道を開きかねない見解でもあります。10月17日には、親の実名と続柄だけを記載した強制わいせつの事件で、東京地裁が児童の実名を記載しない検察の対応を問題にし、検察は起訴を取り消していましたが、裁判所もじわじわと検察に迎合し始めているように見えます。

公訴事実に被害者の名前を書く理由に、「審理対象の特定の必要」と「被告人の防御権の保障」を並べて言うことがあります。その説明に間違いはありませんが、前者が圧倒的に重要です。防御権の問題と言ってしまうと、実際の防御の場面で不都合はないだろう(被告人は防御上困らなかっただろう)とか、被告人がよいと言っているのだから特定・不特定の議論は無用だろうというような議論に流れていきがちです。近い将来、被告人がよいと言っていれば「被告人は去年ある女性の胸を触った」というだけで強制わいせつ罪の成立を認めてもよいなどという「法律論」が登場しないとも限りません。

匿名公訴事実の問題は裁判員制度特有の議論ではありませんが、裁判員制度の登場は、「市民常識」の反映という形で、刑事司法の世界でこれまでは当然と考えられてきた原理的な法律論を根底から崩壊させて行くきっかけになっているように思われます。裁判員制度に反対する皆さんにこの辺の事情も知っていただければと思い、この投稿をさせていただきました。

051712

 

投稿:2014年1月10日