~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
インコは、新潟大学名誉教授西野喜一さんの著『さらば、裁判員制度』を読みました。副題は「司法の混乱がもたらした悲劇」。今日はその話をしたいと思います。
西野名誉教授と言えば、裁判員制度廃止要求の研究者として押しも押されもしない第一人者ですわ。法律雑誌にたくさんの批判論文を書かれ、そのことで出版社が当局からにらまれたのか、出版社が当局を恐れたのか、なかなか批判本を出せなくなってご苦労されたとも聞いております。
それでも2007年には講談社現代新書から『裁判員制度の正体』を出され、08年には西神田編集室から『裁判員制度批判』を上梓された。また、昨年は、雑誌『判例時報』に、「裁判員の解任」というタイトルで、裁判員の解任に関する裁判員法の規定ぶりを奥行き深く分析された。裁判員制度には「解任」という落とし穴があり、これも制度崩壊のきっかけと読者に思わせたのではと評する人もいる。
その西野さんの新著『さらば、裁判員制度』ですね。ヘミングウェイを思わせます。
西野さんの主張の骨格は、もともとおかしな制度なのだが、実施後になんとか生きながらえさせようとしてますますおかしくなってしまったということです。それを問題にするのがこの本の目的だともおっしゃっている。そう、「違憲のデパート」から「屁理屈のデパート」への衣替えっていうこと。
「違憲のデパート」から「屁理屈のデパート」への衣替えとは言い得て妙。さすが。
西野さんは、ご自身の裁判官体験に裏付けられた司法府のあり方に対する危機感がこの本をまとめた底流の思想だともおっしゃる。
瀬木比呂志さんの本など裁判官体験者の告発本がこの間話題になっていますが、そういう声があちこちから出てくることもこの国の司法の劣化の表れかと。
そう言えば、福島地裁のストレス国賠訴訟を担当された元裁判官の織田信夫先生も『裁判員制度廃止論』を書いていらっしゃる…。
この本は、大きく3部構成になっている。第1部は、制度はもともとどんなに変な制度なのかを論じたパート。「制度本体の悲劇」と銘打たれている。第2部は、裁判員裁判を始めたらどんなに変なことになってしまったかというパート。これは「制度運用の悲劇」だ。第3部は、最高裁の考え方が当初とその後で大変わりしたという西野理論の大展開。これは「変節の悲劇」。
そういう作りは実に研究者らしいですね。理路整然の展開は学者の命。そして、「悲劇」の演出。
「なんたらの悲劇」なんて言われたら、インコなんかすぐエラリー・クイーンの方に頭がいっちゃうけれど、そこが学者とインコの脳みその違いなんだなぁ。
(鳥頭の自分を引き合いに出すなんて、ちょっと厚かましくなくて)
『間違いの悲劇』かな。そういえばエラリー・クイーン・ジュニアの「ジュナの冒険」シリーズに確か『黄色いインコの秘密』という作品があった。
さて、第1部。この制度はどうしてできたのか。司法制度改革審議会というのがそもそものくせ者で、すべての元凶。2年で結論というのも途方もなく拙速だし、「裁判員制度は司法の国民的基盤をより強固にする」って言ってるけど、いったいどういうことかもまるでわからない。審議会ではそのことについて何も議論していないし。「この制度で国民の司法に対する理解・支持が深まる」って言うけれど、それもどうしてそう言えるのか何一つ議論していない。
そう、じゃぁ何があったのかというと、弁護士委員などの陪審推進論者と陪審反対派の最高裁や法務省などの間の激しいせめぎ合いだけ。その妥協の産物として生まれたのがこの制度。妥協なんだからそれ自体に「本来の目的」なんてありゃしない、ぬえ(鵺) は所詮ぬえ。得体の知れない妖怪みたいなもんに存在目的なんてないのよ。もっともらしい飾り言葉がくっついているだけでね。
審議会が議論しなかったことを西野さんは列挙しました。紹介すると。
□ 結果の適正と手続の迅速がどうして調和できるのかについて議論しなかった。
□ これまでの裁判の誤判の原因と対策について議論しなかった。
□ 国民が参加するとどうして誤判が防げるのか議論しなかった。
□ 国民が司法への参加を求めているのか議論しなかった。
□ 国民がどのくらい協力してくれそうか議論しなかった。
□ この制度で司法のどこがどうよくなるのか議論しなかった。
□ この制度で審理が粗雑にならないのか議論しなかった。
□ この制度でどうして事案の真相が明らかになるのか議論しなかった。
□ 弁護士がこの制度に対応できるのか議論しなかった。
□ 被告人、被害者、国民にどのような負担をもたらすのか議論しなかった。
□ この制度は現在の刑法や刑事訴訟法の体系に調和するのか議論しなかった。
つまり、審議会では議論がありませんでしたということですが、この列挙を見るともう言葉もありません。
次に西野さんが丁寧に展開されるのは、「裁判員制度とはどういうものか」です。対象事件が重大犯罪に制限されていること、裁判員選任手続の進め方、検察官や被告人・弁護人による忌避の手続、補充裁判員を含めみんな解任でいなくなったらどうなるか、また公判手続や評議などの実情、上訴審での差戻しなどについても詳しい。インコのトピックスに出ていることにも触れてくれているので、わかりやすい。
さて、ここで一息入れてコーヒーブレイク。続き(中篇、後篇)はこの後にご紹介します。
「愛情は小出しに」って言うでしょ。時間をかけて小出しに、能力を小出しに、嘘をつかずに小出しに、手くだも小出しに、へへ…。
投稿:2015年4月26日
弁護士 猪野 亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」04月18日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
現在、日本の刑事裁判では国家主導の元で裁判員制度が実施されています。
この制度はマスコミが絶賛し、「市民感覚」といういい加減な感覚裁判を持ち上げてきました。
裁判員制度を持ち上げてきたのは、何も国家のお先棒を担ぐマスコミだけではありません。
日弁連も同様です。もっとも日弁連執行部は中坊氏が会長になって以降、宇都宮会長などごく例外を除いて、権力に擦り寄ってきましたから、マスコミと同じく裁判員制度の提灯持ちを担ってきました。
しかし、それだけなく、陪審論者や冤罪事件に取り組む弁護士の中からも、この裁判員制度にエールが送られてきたのです。
その理由は、いろいろ論者によって違うのですが、①陪審制度導入のための一里塚だ、②官僚裁判官だけの裁判よりましだ、③裁判員制度が導入されれば全面証拠開示や取調べの可視化が実現できる、などです。
③は論外です。昨年の法制審議会でも結局、このようなものは実現する見込みがないことを証明しました。
可視化もほとんどスカスカなものです。裁判員裁判の対象事件とはされましたが、そもそもこの可視化が議論されるきっかけになったのは、あの村木事件であって裁判員制度がきっかけではありません。
「通信傍受に賛成しようとする日弁連執行部 刑事司法改革で最大の汚点」
①も幻想と言いましょうか、民間丸投げの陪審制度と、裁判官主導の裁判員制度では全くもって構造が異なります。あたかもくじ引きで市民(正確には市民など という言葉はなく、有権者の中の除外事由がない者ということになります。)の中から選ぶ点で、似ているというに過ぎません。
②についても裁判官だけよりましという議論も現実には裁判員の暴走により重罰化などの問題にぶち当たっていて、到底、裁判官だけの裁判よりましなどという議論は破綻していると言わざるを得ません。
ところで、戦前の日本では陪審裁判が実施された時期があった、そこでは無罪判決も多く出されたし、日本国民だって立派に陪審員を務めることができるんだ、と言われることがあります。もちろん陪審制度の信奉者からです。
戦前の例が陪審制度信奉者から紹介されている記事がありました。
少々、古いのですが、東京新聞2009年7月12日付です。
この時期は、まさに最初の裁判員裁判が始まろうとしていた時期です。
元裁判官で弁護士の秋山賢三氏に対するインタビューが主の記事です。
「昭和3年10月23日、大分地裁で日本初の陪審裁判が開か れました。30歳代の工場長が年上の愛人女性の心変わりに怒って包丁で刺し重傷を負わせた事件で、読み書きや納税の条件を満たした陪審員12人が選ばれ た。裁判長は、有罪または無罪と心の中で決めてしまってはいませんね、と確かめたあと、法廷で被告の犯行時の酒量や包丁の持ち方を調べたり、証人尋問を 行ったそうです。焦点は殺意の有無。陪審の評議は殺意なしで被告は懲役6月の判決を言い渡された。当時の市民の常識では、検察官の描いていた殺人未遂では なく、傷害罪程度という判断だったのでしょう。日本の陪審は戦時中まで続き、約480件のうち約80件が無罪判決でした。」
これをみて、「市民」感覚が優れていると思いましたか。
愛人女性の心変わりに激怒して包丁で刺しているのに殺意なしが、市民の感覚だそうですが、全くもって驚きの発想です。
記事からはその女性がどこを刺されたのかは書かれていませんが(実際には、そこを刺して殺意なし?? というところかもしれませんね、そうでなければ紹介 しているでしょうから)、包丁でもって刺す行為に通常、殺意なしという場面は極めて限られていますから、これだけ聞かされても説得力はなしです。
しかも、一番重要なのは、当時の陪審員の資格は一定の納税額を納めている者に限定されており、しかも男性限定です。
要は、陪審員は、カネ持ちの男なんです。そうすると、愛人を囲っているような被告人と心変わりした被害者とどちらに親近感を持っているのかということでもあります。
当時は愛人を囲うなんていうのは、公認の時代だったし、逆に女性の場合には姦通罪によって処罰の対象にすらなていた時代。
陪審員たちが、この被告人に加担したという構図にしか見えないし、被害者側からみたら、当然に男社会の論理そのものだとしか感じるでしょう。
この構図って、どこかで似たような事件を聞いたことがありますよね。
そうです、米国の陪審裁判です。
白人警察官が黒人を射殺。白人による陪審員たちが無罪の評決。
この構図と全く同じなのです。
このような陪審制度が刑事裁判の改革になるというのは幻想どころか害悪にしかなりません。
現実の裁判員の関わり方をみると、裁判官がいなかったら、本当に危なっかしい存在でしかなく、どんな結論が出るのか、全く予想もつかないということに陥ることでしょう。
冤罪を防止するためには、それに見合った制度こそ必要であり、しかも、治安維持を優先したい権力との闘争によって初めて勝ち取ることができるものです。
単に陪審制度にしたとか法曹一元を実現したとかいうことだけで実現するものではないとうことくらいは自覚してもらいたいものです。
投稿:2015年4月24日
福岡を中心に裁判員制度反対で活動されている「市民のための刑事弁護を共に追求する会」からビラが送られてきました。毎月、福岡の中心である天神で配布されているものだそうです。
福岡のみなさ~ん、「追求する会」の街頭宣伝に出合ったら、ぜひ現物受け取って周りの方へ広めて下さい。
投稿:2015年4月18日
パンパカパーン・パンパンパン・パーン。さぁさぁお立ち会い、やっと出ました、出ましたぞ、天の諭しか地の叫びか。
これが騒がずにいられよか。「裁判員『定着せず』」の見出しが新聞紙面に躍りました。
いやいや、これこそ誓ってホンモノ中のホンモノ。4月1日じゃありません。3月29日でーす。県紙・広域紙中で紹介されました。社説で取り上げた新聞社もありましたね。
えっと、なになに「日本世論調査会」が今年3月21~22日に実施した全国面接世論調査の結果ですって。
はい、「日本世論調査会」は共同通信社とその加盟社中の38社が作っている世論調査の全国組織。
ちゃんと紹介すれば次のとおり。
北海道新聞社、東奥日報社、岩手日報社、河北新報社、秋田魁新報社、山形新聞社、福島民報社、茨城新聞社、下野新聞社、上毛新聞社、神奈川新聞社、新潟日報社、北日本新聞社、北國新聞社、福井新聞社、山梨日日新聞社、信濃毎日新聞社、岐阜新聞社、静岡新聞社、中日新聞社、京都新聞社、神戸新聞社、山陰中央新報社、山陽新聞社、中国新聞社、徳島新聞社、四国新聞社、愛媛新聞社、高知新聞社、西日本新聞社、佐賀新聞社、長崎新聞社、熊本日日新聞社、大分合同新聞社、宮崎日日新聞社、南日本新聞社、沖縄タイムス社、琉球新報社。全国の読者のみなさんのお近くの新聞社もあるかと思います。
折々の重要な社会的テーマについて調査を行い、結果はこの加盟社に配信する。掲載は各社の自由。今回は、全国250地点から20歳以上の男女3000人を調査対象者に選んで、調査員が直接対象者に面接し、1653人から回答をもらったそうです。
【3.0パーセント】
今回の調査は次の質問から始まります。「一般の市民が裁判官と一緒に重大な刑事事件を審理し、判決を言い渡す裁判員制度が2009年にスタートし、まもなく6年になります。あなたは裁判員制度が一般社会に定着していると思いますか」。
いいわねぇ。あなた裁判員をやりたいか、やってもいいかという例の質問形式じゃなくって、あなたはこの制度が「定着していると思うか」って聞いてるのね。始まって6年も経ってからこんな質問をしてるってとこがミソね。
ぶっちゃけ言ってそれほど制度が定着していないように思えるってことっすね。
さてこの質問に対する答えはどうだったか。皆さんはどのように想像されますか。
違う違う、落ち着いて読んで下さい。それともマネージャーは乱視か。
誤植ではありません。「定着している」って答えたのは、たった3.0%だった。
そう、「市民感覚」信頼しまくりの一部の皆々さまに謹んでご報告すれば、これが本当の「市民感覚」というものです。制度が定着したなんて確信している市民はこの世にほとんどいやしない。ヒヨコ君。この数字にぶったまげてるようでは、君の脳みそは最高裁と法務省にかなり冒されています。早く脳洗浄しなさい。
いえいえ、私が驚いたのはこの数字じゃなくて、マスコミがとうとう取り上げたってことよ。
【6.3パーセント】
次の質問はこういうものです。「裁判員制度は国民主権に基づく裁判制度で刑事裁判が迅速になり、健全な社会常識がより反映されると反映されると評価される一方、参加する市民の負担が大きいなどと批判的な意見もあります。あなたは裁判員制度を評価しますか」。
これも実にいい質問ね。制度を評価するかしないかという端的な問いです。良い制度か、良い制度とは言えないか、ここではっきりさせてくれという興味津々の質問ね。
評価するという答えは僅か6.3%。今度はインコさんになんやかや言われないように警戒して見たから、誤読しなかったわ。
そう、制度を正面から評価してくれた奇特な人はたった6.3%しかいなかったとです。
(先輩は嬉しくなるとあちこちの方言が出るのでわかりやすいなぁ)
この数字は、裁判員制度に対する国民の支持なんてもはやないも同然ということを意味しています。これでええ制度やなんて言ってたら、誰にも相手にされまへんで。
【15.2パーセント】
これは何の数字かって? よく聞いてくれはりました。
そりゃ誰だって聞くでしょうよ、これだけ見せられてもわかんないもん。
ここで裁判員をやるかやらないかという質問が初めて登場するのです。でもそれは、あなたはやりたいかやりたくないかというあの質問とはスタイルが違う。質問を正確に紹介しましょう。「裁判員は選挙人名簿から候補者がくじで選ばれ、裁判所で裁判長の面接などを経て決まります。仮に、あなたが裁判員に選ばれた場合どう思いますか」です。
そうです、よく考えられた質問です。あなたは一般論としてやりたいと思うか思わないかと聞かれているのではない。今質問を受けているあなたはただのあなたではありません。「裁判員候補者名簿に名前が載ったという連絡を最高裁から受け」「地方裁判所から呼出状が届いて断らずに選任期日に出頭し」「裁判長の面接で裁判に関する説明を受け」「検察官・弁護人の不選任請求もクリアして最終的に裁判員に決まった」あなたです。その時あなたはどう思うかと聞かれているのです。
つまり、その前に出頭を拒絶、いえ謹んで辞退を申し出ているたくさんの人たちがいる。そしてその人たちの大半は裁判員から早々に退散してしまっている。その機会をみすみす逃したり反対に進んで裁判所に出頭したがった数少ない人たちの中にあなたがいる。そのように想定してどう思うのか言って下さいって訳ね。
屠所に曳かれてきた諦めの牛とパドックではやる暴れ馬の群れの中にいるって感じかな。
さて、このアンケート結果は、そのように裁判員に選ばれてしまった人たちの気持ちに立っても、「裁判員を務めたいと思う」人はたった15.2%しかいなかったということを示しています。もうやるっきゃないという究極の場面になっても「裁判員を務める」ことを決断できない人が85%近くもいる。そう言えば、観衆の大喚声に包まれてピッチャーマウンドになぜか突然立たされているど素人という缶コーヒーの広告が昔ありましたな。あれですね、あの感覚、その戸惑い。
言い換えればこれは、辞任や解任の予備軍がいかに多いかということをリアルに示す数字です。最高裁にとっては抜き差しならない悲惨な実情を示す悪魔の数字。囲碁や将棋ならここで潔く決断の投了です。
【真実を正面から描写する識者】
ここで、裁判員制度に徹底的に反対する研究者として知られる新潟大学名誉教授の西野喜一さんの明快な解説をご紹介しましょう。
「この制度は、マスコミの報道が偏っていることもあって、一見順調に運営され、重大刑事事件に関する新しい訴訟方式として国民の間に定着しつつあるように見え、そして最高裁は現にそういうPRを繰り返しています。しかし、実情は全くその正反対で、第一線の地方裁判所から最高裁判所に至るまで強引な無法がまかり通って事案の真相を追究するという刑事訴訟の本来の理念はどこかへ吹き飛んでしまい、国民には大変な迷惑がかかり、その上、制度を支える現場の裁判所の職員は疲労困憊状態、というのが現実です」(『さらば、裁判員制度』ミネルヴァ書房刊。同書の「序章 裁判員制度の悲劇とは」から引用。)。
【ウソを並べ批判精神を投げ捨てた日弁連】
裁判員法施行3周年の2012年5月、山岸憲司日弁連会長は、次の談話を発表しました。「裁判員の方は積極的に審理及び評議に参加して職務を果たしているものと考えられ、裁判員制度は、市民の間に確実に定着しつつあり、無罪推定等の刑事裁判の原則に忠実なより良い刑事裁判を実現する機能を果たしていると評価することができる」。
法施行5周年の14年5月には、村越進会長は、次の談話を発表しましたね。「裁判員制度は概ね安定した運用が定着し、市民に着実に根付いてきたといえる。特に裁判員として参加した市民が、その職務に熱心に取り組み、水準の高い裁判を実現していることは、市民の司法参加の成果として高く評価できる」。
【ウソと騙しの手口を使いまくる最高裁】
並べて見ましょうか。
「裁判員制度は当初考えられた以上に、国民の強い熱意に支えられている」寺田逸郎最高裁判事就任会見
10年12月……裁判員法案の作成・成立に深く関わった人物。
「裁判員制度は比較的順調」竹崎博允最高裁長官憲法記念日会見
11年5月……東日本大震災の直後に、被災地での裁判員裁判再開を推進しようとした人物。
「裁判員制度は比較的順調な運営だった」竹崎長官憲法記念日会見
12年5月……この人は前年秋の最高裁大法廷で裁判員制度合憲判決を言い渡した時に裁判長を務めた。
「裁判員制度は順調に運営されている」竹崎長官憲法記念日会見
13年5月……福島ストレス国賠提訴報道にうろたえながらこう言った。
「裁判員制度は国民の理解と協力で順調に運営されている」竹崎長官退任会見
14年4月……異例の定年前退官の本当の理由は制度崩壊前の逃亡ではとささやかれた。
「裁判員制度は中長期で改善」寺田逸郎最高裁長官憲法記念日会見
14年5月……「順調」の言葉が消えた。直後、長官は全国の地裁に裁判員裁判の「出前講義」を命じた。
「裁判員裁判は予想以上に円滑に動いていると感じる」小池裕最高裁判事就任会見
15年4月……これが予想以上に円滑ならどういう状況を円滑でないと言うのかとあきれられた。
さて、今年も憲法記念日記者会見が迫ってきました。寺田長官は今年はいったいどういうお言葉を並べるのでしようか。皆さま、インコの昨年5月3日のトピックス「裁判員制度はもうダメです-新長官の憲法記念会見を斬る」を座右に置きながら、今年もせいぜいお楽しみ下さいね。
投稿:2015年4月12日
全国の心ある読者のみなさま
東京と名古屋を中心に報道された拒絶のリアルを「インコ特報部」が紹介しますΣ(^◇^)
雪崩を打つように拒絶者が増えている。メディアもとうとうそのことに触れないで通る訳にはいかなくなった。
突破口を切り開いたのはやっぱり『東京新聞』
「市民参加」のウソとカラクリがついにメディアの場でも公然と語られるようになった!
投稿:2015年4月9日
鸚哥大學附属中学校の要請を受け、中学2年生を対象に裁判員制度の現状の出前講義。はらはらしているマネージャーを尻目に、インコ張り切って出かけました。
今日は、最高裁ご発表の数字によって、裁判員制度の惨憺たる数字、略して惨数のお勉強をするつもりで参りました。基本資料は「裁判員裁判の実施状況について(制度施行~平成27年1月末・速報)」です。
皆さんもご承知のとおり、裁判員裁判は2009年の5月に始まりました。始まった年を1年目とすると今年2015年は何年目になりますかぁ?
そうですね、よくおわかりです。最高裁は、判決まで行っていない事件を「新受人員」と言い、判決まで行くと「終局人員」と言います。今からお話するのはすべて「新受人員」についてです。
今年1月までに行われた裁判員裁判は、被告人数で9161人です。1万人近い人が法律知識をほとんど持たない素人に裁かれ、刑務所に送り込まれるなどしています。
そうですね。その半分近くを占めるのが「強盗致傷」と「殺人」です。「強盗致傷」は強盗の機会にケガをさせたもの、「殺人」はご存じ殺意を抱いて人を死なせる犯罪。これに「現住建造物等放火」「傷害致死」「覚せい剤取締法違反」が続き、この五傑で全体の7割を超えます。こそ泥や空き巣も刑事事件です。道交法違反だって刑事犯罪ですよ。裁判員裁判の対象犯罪なんて言うと考えるのもおぞましくなりますね。
どっかの国の首相もおぞましいよ~(笑
もしかしてこの人のことですかぁ(笑
あはは。失礼ですよ。
これまで裁判員裁判をいちばんたくさん審理しているのは千葉地裁で884人、次が東京地裁本庁で750人、3番手が大阪地裁本庁で715人。さて、千葉地裁がトップなのはどうしてかわかりますか。
はい、成田空港があるので、覚せい剤取締法違反が多いからです。
(さすがイン大付属、予習もバッチリね。インコさん下手なこと言っちゃダメよ)
はい、そのとおりです。よく知っていますね。やらされる千葉県民も県民に裁かれる被告人もかわいそう。立川支部と堺支部を加えるとこの3都府県の裁判員裁判の被告人の総数は2793人。罪名別と庁別で最高裁発表の数字が異なっているのでややこしいけれど、3都府県の総数は47都道府県の総数の実に3分の1を占めているのです。
東京都民も大阪府民も、都民・府民に裁かれる被告人もかわいそう。
制度施行2年後に起きた東日本大震災と福島の原発事故。このことに関連したデータも見ておきましょう。この7年間に福島県では115人、宮城県では110人、岩手県では33人の被告人が裁判員に裁かれている。仮設住宅や避難先にも出頭要求の赤紙が来たとして、なんということだと非難の声が上がりました。
自分の今日明日の生活を犠牲にしても人を裁くために裁判所に出頭せよと言うですから、裁判員制度は鬼畜です。
裁判員や補充裁判員の実情に目を移してみましょう。この7年間に実際に裁判員を務めた人は4万2268人、補充裁判員を務めた人は1万4413人、合計5万6681人です。
そうです。ですが、その人たちはどこに行ってしまったのかまったくわかりません。マスコミなどに登場するのはほんとうに限られた人しかいないのです。こういう少なさを「仰天の星」と言います。驚くほど少ないときに使う言葉です。
6万人近い人たちがひっそりと生きていることを考えて下さい。これは大変なことです。そう、「暁天の星」と言う人もいますね。
審理期間を見ましょう。
審理全体の平均期間は1年目が5.0月で今年1月が8.2月と、明らかに長期化しています。裁判所は血相変えて短くしようとしているけれど、なかなか短縮できません。当たり前です。短い公判期日で勝負を迫られる検察も弁護も公判前整理手続の中で粘りに粘りますからね。
審理期間のうち公判前整理手続の期間に絞って見れば、1年目が2.8月で今年1月が6.6月。2倍を優に超えています。いくら最高裁がハッパをかけても簡単に短くなんかなりませんよ。この傾向は、自白事件、つまり被告人が犯罪の成立を争わない事件と、否認事件、被告人が犯罪の成立を争う事件で大きな差はありません。裁判所の強権発動に抗(あらが)い、自白事件でも悪質性の有無や程度をめぐって激しい闘いが展開されているからですね。
続いて平均実審理期間を見ましょう。
平均実審理期間というのは第1回公判から判決言渡しまでの日数です。1年目が3.7日で今年1月が8.9日。たいへんな延び方でしょう。いや、正確に言えばもともとが短すぎるんですよ。
はい。犯罪の認定や刑の量定が1週間くらいでできるという考え方自体、そもそも根本的におかしいと思います。
延びるのが当たり前です。
そうですね。最近の最高裁は「裁判員の理解が深まるよう丁寧に議論せよ」なんて言っているけれど、現場は早期終結の大号令が鳴り響き、裁判長は時間に追われて血眼です。それでも審理期間はどんどん延びている。これは否認事件で特に目立つ傾向ですね。否認事件に限って見れば、1年目が4.7日で今年1月が12.3日。実に3倍に近い延び方です。
取り調べた証人の数の変りようを見ておきましょう。1年目が1.6人で今年1月が3.1人です。調べる証人の数はほぼ2倍に増えている。裁判が当初からじわりじわりと長期化し、調べる証人の数なども確実に増えているということがよくわかります。
さて、皆さんご関心の裁判員出頭の実情です。究極の惨数のお話に入ります。ここは今回のお話のヤマですから、まずは最高裁のデータをそのまま示させていただきましょう。わかりにくい表ですので、横目でにらみながら私の説明を聞いて下さい。
初めにイ欄です。7回に及ぶ「裁判員候補者名簿記載者数」の合計は197万906人。毎年23万~34万人ほどの国民に、候補者名簿にあんたの名前を載せたぞと通知しているということです。ぎょっとするくらい大きな最高裁判所の名前入りの封筒を約200万の国民に送りつけている。手続は民間会社丸投げ。初めの頃は郵便受けからはみ出るほどの大きさの封筒を使っていましたね。「最高裁」の文字がご近所で噂になると批判され、その後版を小さくしたいわく付きのしろもの。
中を見ずゴミ箱直行の人も多いようですが、出頭する気がまるっきりないとか、大病を患って大ケガもしているのに家族同様の者の結婚式に出なければならないとか、今このことを担架の上で書いているとか、一生懸命拒絶の理由を書いて送り返した人もいると聞きます。そういう訳で、まず最高裁はこの200万人の大半を一気に「反裁判員勢力」に追いやりました。その皆さんは、この国の国民の多くが病人やケガ人であることを率先して語ってくれた功労者です。ガツンと一発くらった政府・最高裁は完全にめげましたね。
ニ欄「調査票により辞退等が認められた裁判員候補者数」。いっせいに辞退の発信が始まり、ここで19万1624人の辞退が認められています。調査票には「辞退希望」なんていう書き込み欄はないのに、ここで「辞退等の申し出」をした多くの人たちがいて、実際最高裁はその人たちに了解の態度示しているのです。
ヘ欄「質問票により辞退等が認められた裁判員候補者数」。具体的な事件について、地裁から裁判員候補者としての出頭を求める赤紙(呼出状)が来ます。調査票に対しては、辞退希望を出しそびれた人や最高裁に辞退を通告したのに地裁から赤紙が送られてきた人などがいっせいに辞退等の申し出をします。結果、ここでも20万4202人の辞退が認められています。執念の拒絶通告とあきらめの辞退承認ですね。
地裁は、この辞退承認者を除いた残りの人々を裁判所に呼び出します。それがト欄「選任手続当日に出席を求められた裁判員候補者数」の数字。チ欄「選任手続期日に出席した裁判員候補者数」は、実際に出頭した人の数です。やりたくないと返事してきた人以外の人たちはみんな来てくれると思うのは甘い。音無の構えで黙殺する不逞の輩(ふていのやから)がたくさんいるんですね。最高裁は、拒絶されなかったのでそれなら大丈夫かと呼出状を送った対象者の何%が本当に出頭してきたのかを書き出しています。ご丁寧なことです。それがリ欄「出席率(%)」です。
先に(「チ」/「ト」)の方を見て下さい。これは、呼出状を送った人のうち選任期日当日にちゃんと来てくれた人の比率です。「出頭辞退をしてこなかった者のうち本当に出頭してきた者の割合」ということは、つまり「まじめ出勤率」ですね。それが1年目には83.9%だったのが今年1月まで下がりに下がり、ついに66,8%まで20ポイント近くも落ち込んだということです。階段を下りるような「規則的」な下落ぶり。言い換えれば、実にしっかりした足取りで「無断欠勤率」が年々上昇しているということ。
次に、同じリ欄の(「チ」/「ハ」)を見て下さい。これは出頭者をハ欄「選定された裁判員候補者数」で割った数字です。これは「地裁が裁判員候補者にしようと決めた(選定した)人のうち何人が本当に出頭したか」を示す数字です。この数字こそが裁判員候補者の出頭状況をリアルに示す最適のデータです。1年目には40.3%だったのが、今年1月にはとうとう23.5%まで落ち込みました。初めの40%もひどく低い数字ですが、今年1月には4分の1も割り込んでしまった。それも年々確実に大きななテンポで。今年始まったばかりの数字がこれでは、年末にはどういうことになるんでしょうか。
楽しくて情けない話はまだ続きます。それは、選任期日に出頭してきたからと言ってそのみんなが裁判員をやってもよいと思っているのではないということ。出頭したのはやりたくないと言いにきただけだという裁判員候補者がいるのですね。なぜか最高裁はここにその数字を書き出していません。
具体的な事件でこの一連の数字を示してみましょう。米子市で昨年1月に起きた殺人事件の裁判員選任手続が今年2月18日に行われた。6人の裁判員と2人の補充裁判員がこの日選ばれましたが、この事件で選定された270人の裁判員候補者のうち、調査票に対する回答で早々と辞退を認められた人が101人に達し、実際に呼出状を送った人の数は166人に激減しました。
そう。しかし、地裁の呼出にも辞退を求める人たちが続出、地裁はなんと124人もの候補者に辞退を認めました。そして、残る42人に出頭を求めたところ、当日出てきたのは26人だけでした。16人は無断で不出頭を決め込んだのです。
しかも出頭者のうち8人は当日選任の場で自分はやりたくないと言い、裁判所はこれを認めざるを得なくなりました。
最後まで残ったのはたった18人。裁判所はそこから裁判員と補充裁判員計8人を選んだというのです。ほぼ2倍の選任率。「選任」なんてかっこいい言い方をするのも恥ずかしい実態。これが裁判員裁判のいつわらざる現実です。
すごい。やってもいいって言った人は結局270人のうち18人しかいなかったんだ。
最近、大谷直人判事とか小池裕判事とか、裁判員制度の導入に関わった裁判官の最高裁判事就任が続いています。大谷氏は最高裁刑事局長の頃に制度設計に携わった人。小池氏も最高裁の事務総局にいた時代に裁判員制度など司法制度改革に携わった人です。就任の記者会見で、大谷氏は「国民と裁判所の距離は確実に縮まった」と言い、小池氏は「裁判員制度は予想以上に円滑に動いている」と言いました。
いかに自分の努力を否定されるのがつらくても、事実を認めない人たちや事実を正面から否定する人たちにいったい人を裁く資格があるのかという根本的な疑問を感じます。それにしても、「裁判員の言うことを唯々諾々と聞くな」という最近の最高裁の姿勢をこの人たちはどう引き継いで行くのでしょうね。
あっ、ベルが鳴っています。では、これで本日の「惨数の時間」の講義を終わります。
投稿:2015年4月6日
『毎日朝辛深読新聞』15年4月1日号外
長野県南東部の南アルプス山中で3月10日に墜落したジャパンライトウィングスのヘリコプターを巡り、大野恒太郎検事総長は3月30日、東京霞ヶ関で記者会見し、乗客の今崎幸彦最高裁刑事局長がヘリの操縦席に突然近寄り、操縦士の操作を力ずくで妨害し、機体の安定を意図的に失わせて墜落させたとの見方を明らかにした。
伊那市内の病院に収容された生存乗員の回復を待って詳しく聴取した結果、確認された。機長を含む3人の乗員を死亡させ自らも死亡したこの事件。検事総長は、最高裁刑事局長について被疑者死亡のまま殺人容疑で捜査することになると、苦渋の表情で語った。この日、最高裁事務総局と刑事局長の官舎の家宅捜索が行われ、関係証拠が押収された。最高裁や刑事局長の官舎の捜索は初めて。
写真:苦渋の表情で記者会見に応じる大野検事総長
今崎刑事局長は、長野地裁松本支部で今年1月に行われていた裁判員裁判で、裁判員と補充裁判員全員が辞任を申し出て裁判が暗礁に乗り上げたことを重く見て自ら現地調査に赴き、その際不慮の事故に遭遇したとされていた。ネット上では「三宅坂某重大事件」の名で騒がれていたこの事件。国土交通省運輸安全委員会は、昨日全容解明に向け全力を挙げるとし、政府は今日午前9時、緊急閣議を開催した。
事件は偶発的な事故ではなかった。
最高裁・法務省は昨年4月、制度の廃止を検討していると表明したが、現場からは制度実施の責任を問う声がいっせいに上がった。その中で、昨夏以来、評議の時間が極端に減り、書記官や事務官の間では裁判官だけの合議がさかんに行われるようになったことが話題になり、裁判員裁判が極端に形骸化したという噂が全国の裁判所に広がっていた。
そこで本紙は、昨秋「特別取材班」を設置、裁判員裁判の形骸化問題について集中的に取材を進めたところ、驚くべきことが判明した。当面、裁判員裁判を外観だけ実施するという「外観処理方針」、別名「生きてるふり方針」が打ち出され、これが全国の裁判官に極秘指令されていたというのである。
この話を取材班が掴んだのは今年1月。大阪地裁の裁判員裁判で左陪席を務めた未特例女性裁判官が、これでは裁判員裁判はないも同然だと思い詰め、地裁所長に涙の抗議をしているところをたまたま書記官に目撃されたのがきっかけだった。
方針の具体的な内容は次のとおり。裁判員たちには法壇に坐らせ被告人や証人の供述を聞いているふりをさせ、判決言渡しの際にも法壇に並んで裁判員たちの結論というふりをさせる。裁判員たちにはそれで十分意味があると指導する。証拠調べの間、裁判員たちは証人や被告人の供述を聞く必要はない。もちろん衝撃的な写真を見る必要もない。すべて裁判官がやるので静かに見ていてくれればよいと言う。守秘義務を厳重に告知し、ただし、裁判が終わったら「とてもよい経験をした」とアンケートに答えてもらう。これだけはきちんとやってくれないと手当を払いにくいと言う。
裁判員制度の廃止検討が公表されたのは昨年3月末。誰にでもできるなどと言われたところで、実施後も制度を学習する空気は国民の間にまったく広がらなかったが、この極秘指令はその国民総非学習状態を逆用した「終戦処理策」だった。黙って坐っているだけで意味があるという説明に、ほとんどの市民は刑事裁判はそういうものと受けとめていたようだ。ともあれ裁判員裁判の実態が昨年4月以来純然たる裁判官裁判になり、裁判員はこの1年間、文字どおりお飾りであった。今回の松本支部の「そして誰もいなくなった」裁判は、これでは市民参加の意味がないと裁判員たちがそろって異議を申立てたことによるということだ。
この極秘指令を出したのが今回死亡した今崎刑事局長だったというのである。関係者によると、良い評判のうちに誰も傷つかず制度の幕を引けると考えたと言っていたいう。取材班は刑事局長本人にも取材を申し込んでいたが、回答がないまま今回の事件が起きてしまった。
写真:今崎刑事局長
途方もない司法擬装策が「国の司法政策の誤り」への批判に発展することを恐れた刑事局長が自ら命を絶って真相を闇に葬ろうとしたと見られる今回の事件。かえって裁判所ぐるみ、最高裁ぐるみの「暗黒の司法犯罪」を浮き彫りにしたといえる。
この間、最高裁が裁判員裁判の死刑判断を是正するなど、伝統的な裁判所の判断を徹底する傾向を強めていたこともあり、最高検関係者は、この「終戦処理策」には、最高裁判事も関与しているのではないかと語った。
31日に記者会見した村越進日弁連会長は、「無念の極み。それにしても刑事局長はなぜヘリなど利用したのか」などと語った。取材陣からは、何を指して無念と言っているのかとか、ヘリ利用を問題にするのはピントがずれていないか、などと追及されたが、会長は「じゃぁ、あなたたちは残念ではないんですか」と逆ギレし、「盗聴拡大や司法取引を認める法改正を一日も早く実現してほしい」と泣き叫んで会見を打ち切った。写真:泣き叫ぶ村越会長
刑事局長の墜落死事件は国外にも大きく報じられた。各国首脳がこの問題に論及し、オバマ米国大統領は「墜落死とは語るに落ちる」と語り(『ニューヨークタイムス』電子版3月31日)、オランドフランス大統領は、「ウソは恋愛問題に限った方がよいのでは」と述べ(『ル・モンド』同日)、プーチンロシア大統領は「やり方が拙劣だ」と漏らした(『ロシースカヤ・ガゼータ』同日)。裁判員制度は歴史的失敗司法として世界に知られることになった。
投稿:2015年4月1日