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高裁判決 急性ストレス障害の元裁判員が訴えることは

006311000札幌雪祭り、大通会場は今日までです。

1-e1397901276348札幌いの祭り(=猪野亨弁護士連続講座)は無事完結した。では大通公園へ「進撃のインコ」だぁ。IMG_81637

001178まね0ダメです。

へ?なんでだぁ。

001178まね0猪野さんの講演録や感想文でお茶を濁すのは許されません。

1-e1397901276348そんなことはない。意義深いご講演と真摯なご感想に敬意を表したまでだ。お茶を濁すとはインコにも皆さんにも失敬だぞ。

001177いえいえ、皆さまのお話については重々感服も敬服もしております。が、インコさんの仕事はまだ残っているんじゃないかということです。

へ?何か含みがありそうな話だな。

001177含みも企みもありません。これを見て下さい。『週刊金曜日』1073号(1月29日付け)に、ルポライター片岡健さんの「ストレス障害になった元女性裁判員の訴え『死刑評議』の杜撰な内幕明らかに」という記事が掲載されています。これは、福島地裁で強盗殺人事件の裁判員を務め、急性ストレス傷害になったAさんが起こした国賠訴訟の控訴審でAさんが提出された陳述書をメインに据えて、裁判員裁判の問題をあぶり出しています。なお、この国賠訴訟の1審についてはシリーズ「急性ストレス傷害国賠訴訟」で詳しく報告していますので、そちらをご覧くださいね。

1-e1397901276348で、だから何と。

001177片岡さんは、「(死刑が選択された事件にしては)裁判員裁判の審理や評議があまりに杜撰だったのではないか」と仰って、次のように指摘されています。

裁判員らは被告人質問の際には、裁判長と事前に打ち合わせをするように言われていたが、被告の犯行時の行動に疑問を持ち、事前に打ち合わせのない質問をした。休憩時間に裁判長から「聞いていなかった」と言われ謝罪をしたが、裁判長が許可したことしか質問できないのかと疑問に思った。

評議の多くの時間は、永山基準に沿って行われたが、永山基準に関する具体的な説明はなかった。永山基準とは、死刑適用の判断基準で、動機や犯行態様、殺害被害者数など9項目を考慮し、やむを得ない場合に死刑の選択を許されるというものだが、普段、裁判に関心のない人は知らないだろう。話についていけない裁判員もいたのではないか。

評議の際に裁判員に渡された用紙には、「1.犯罪の性質」から「9.犯行後の情状」まで永山基準の9項目がプリントされていた。Aさんが「前科」という項目に疑問を抱き、「被告人に前科がないので削除すべきでは」と質問。裁判長は「前科の有無に関係なく、これだけ残酷なことをしたのだから」と答えた。
これでAさんは、「この事件の結論は最初から決まっていて、『死刑判決』という軌道の上を裁判員が脱線しないよう誘導しているだけの裁判と確信」して、「自分の考えは(死刑判決の)どこに反映されたかわからない」と受け止めたようだ。

Aさんは、医師から「殺人現場や遺体に関する記憶は時間が経てば薄れるが、死刑判決を下した自責の念は一生消えない」と告げられた。

被告人もAさんも「短い期間でちゃんと審理できたのか、裁判員に考える時間はあったのか」、「たかだか6日の評議で無期懲役とか死刑を選択できるのか疑問」と思っている。

控訴審の代理人は、「守秘義務は、裁判員の心理的状態を悪化させる作用しかない」と主張し、「かりにこのまま裁判員に守秘義務を課す制度を存続させるなら、裁判員の経験を自由に話し、感情を吐き出させる場を保証することが必須」と指摘した。

1-e1397901276348なるほど。で、片岡さんはなんて結論を出しているのかな。

001177結論は特にないと言ってよいでしょう。「この国賠訴訟は裁判員の守秘義務の問題も浮き彫りにした」で締めくくられています。

1-e1397901276348そうか。では、インコがバッサリやりましょう。
質問するのに裁判長の許可がいるというのは、トンチンカンな質問が続出して、始末が付かなくなってそういうことになったのです。裁判員の質問なんて所詮そんなものですよ。裁判の場でどういう質問をするかというのは本来とても難しい判断や知識が求められる。

001177そうですね。「分刻みのスケジュール」と「裁判員のおまぬけ質問」はもともと両立し得ないのです。

1-e1397901276348永山基準の説明がないのは、「結論は最初から決まっていて、そこから脱線しないように誘導されていた」というAさんの感想どおりの話です。

001177そういえば、「見えないレールが敷かれていた」と喝破した人がいました。見えさせないレールの筈だったのが、見えてしまったということでしょうね。

あせあせ結論は裁判員に聞くまでもなく決まっている。だからホントのところを言えば、永山基準とはこういうものですなんて詳しく説明する必要を感じていないということですね。

1-e1397901276348そうだ。詳しく説明して、「永山基準に当てはめるとこの事件はどうして死刑になるのか」なんて疑問を引き出してしまったら、かえって困っちゃうでしょ。

001177どうせ素人にはわからないのだからと説明する時間が惜しいっていうのが半分、説明して万一議論が紛糾したら面倒だしやっぱり時間も足りなくなると心配したのが半分でしょうね。

1-e1397901276348猪野さんの連続講演で「一番の暴走は死刑判決」にあったように、こういう裁判を繰り返していくうちに永山基準を基準というよりは先例程度に考える裁判員も出てくるでしょう。基準の無基準化、そして「無敵の量刑論」に進んで行く。

あせあせ裁判長が時間を気にするの全国共通の現象ですね。

1-e1397901276348そうだ。審理期間が長くなることを最高裁は異様に警戒している。それについては別の機会に話したいが、とんでもない「けつかっちん」状態に現場は追い込まれている。

001177「簡易、迅速、重罰」は戦時司法の特徴だそうですが、裁判員裁判の特徴は戦時司法を地で行くものですね。裁判員にご迷惑をおかけしないようなんてそういうときだけいかにも「お客様扱い」をして、結論は「一丁上がりにさっさと重い結論」の裁判で良いことにした。だからたったの6日間で、人の生死を決定してしまう訳ですね。

1-e1397901276348裁判官による裁判の頃は、死刑求刑が予測される裁判と言えば、公判期間は年を超えるのは当たり前、公判期日と公判期日の間も1、2か月あけるのは当たり前だった。その間、弁護人は前回の公判審理を反すうしたり、次の審理に向けて準備するという時間があった。争う被告人が次回期日の準備に力を入れるのはもちろんだが、罪を認めた被告人も自身の犯罪について様々な角度から考える時間もそれなりにあり、内省も深めていった。それが裁判員裁判ですべてぶち壊された。

001177判員は、マスコミ報道に影響されたままで判決の日を迎えることが多くなり、「人を殺したのだから、命で償え」などという感情論にも影響を受けやすくなりましたね。裁判員裁判に備えて導入された被害者参加制度でその傾向はさらに増幅されています。

1-e1397901276348そう、これまでなら死刑にならなかったケースでも死刑判決が出るようになってきているようにインコは考えている……、重罰化の傾向が明確だ。

あせあせ守秘義務の問題はどうですか。IMG_2340

1-e1397901276348「トラウマになっても、経験を自由に話し感情を吐き出させる場があります」と言われたら、それなら参加しますっていう人がホントにいるだろうか。

001177国賠訴訟では、福島地裁は「裁判員を経験して急性ストレス傷害になったことは認めるが、それは辞退できるのに辞退しなかったAさんの責任の問題だ」と言い、高裁もこれを認めました。「守秘義務があるのを知って参加したのだから何が何でも人には喋ってはいけない。すべて我慢しろ」と言っているようなものですよね。

1-e1397901276348そう、結論は「これだけの問題があるのにトラウマになるようなことをどうしてやらなければならないのか。罰しなければよいのではない。罰則付きで国民を動員することが求められているこの制度をなくせ」ということ以外にない。

001177面白いレポートだったのに、画竜点睛を欠いた感ありでしたね。

1-e1397901276348うむ。これでお茶を濁したということはないという話になったかな。

001177あせあせなりました、なりましたとも。

お茶では、ヒヨコ君、おちゃけを飲みに行こう。もち、マネージャーのゴチでね。

つぎの日、インコたちは思い出した…。かつて、巨酒に支配されていた時間のことを…。

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投稿:2016年2月11日

猪野亨弁護士連続講座 読後感想文「災害現場からの報告」

admin-ajax[1]読者の方から、猪野亨弁護士ウェブ連続講座「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」に対する読後感想文を戴きましたのでご紹介します。

「災害現場からの報告」

足立区・一市民

「裁判員は、有罪・無罪、証拠をどう判断するかということでは、裁判官に太刀打ちできない。しかし、量刑に関しては、そうはいかない。『自分の感覚で良い』となれば、これは無敵です。理由がいらないんですから。」(連載第8回)006969

「今回言われているのは、お芝居としての公判中心主義。裁判所は、お客様の裁判員のためには、そうしたい。調書を朗読されると裁判員はわかりませんと。単調で眠くなるみたいですね。」(連載最終回)

これが、マスコミがこぞって持て囃す“市民感覚”の実態。思わず笑ってしまったが、もちろん笑っている場合ではない。膨大な国費を投じて開通した国道を、無免許運転、居眠り運転の車が暴走して死屍累々の山を築いている。そういう実景が想像できるだろうか。

もちろん、暴走車両の運転員も無傷ではいられない。返り血を浴びるだけでなく、事故のショックで心身に深い傷を負う。プリント

それでも、どれだけ制度破綻は明白であっても、猪野弁護士も認めざるを得ないように、この国家プロジェクトを止めるのは至難のことなのだろう。国策批判を封じ込める仕組み(だけ)は今も健在だ。マスコミも弁護士会も、ここでは全く機能しない。特に、ボランティア精神で国民を動員する「ナチスの手口」が、本邦の裁判員制度に通じるという指摘は重要だ(質疑応答篇)。

そういう意味において、裁判員制度は、解釈改憲からいよいよ憲法改正へと向かう復古主義的統制の一つのリハーサル(予行演習)でもあったのだろう。

ただ、想定外の静かな抵抗が、今じわじわと効いてきている。年を追うごとに増え続ける不出頭者に対して、いまだに一件も罰則を適用できていないらしい。最高裁といえども、これには手も足も出ないということだ(そこで、寺田長官が裁判員候補者の呼出状に「顔」を出したとか)。083587

この声なき抵抗は、安保法制論議の中で、いよいよ話題に上り始めた徴兵制を拒絶し忌避するための、市民にとってのリハーサル(避難訓練?)になるに違いない。そのためにも、血まみれになった裁判員制度の実態に今こそ目を凝らすべきだ。

この講演記録は、誤った国策による災害現場からの生々しい報告に溢れている。

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投稿:2016年2月9日

連続講座 質疑応答篇

1-e139790127634810回に分けてお送りした猪野亨弁護士の講演はいかがでしたでしょうか。連載直後から反響が大きく、感想やご意見などを多くいただいております。その中でも、一番多かったのが、「質疑応答も掲載して欲しい」というご要望でした。これにお応えし、報告集の質疑応答を掲載いたします。なお、質問は、若干、インコが整理しております。
また、ご希望の方には、ご連絡をいただければ報告集をお送りいたします。

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」質疑応答 

107589遅れて来たので、お話しに出たかもしれないのですが、公判前整理手続きでは、裁判員がいないので、いろいろなことができるのでしょうか。

20130926222050518s猪野:私も公判前整理手続きを経験していないので、直接、お答えできる立場にはないのですが。
公判前整理手続きは、基本的に何をやるかというと、審理計画なんです。
建前としては、調書の中身を見ないとか、そういうことになっているはずで、証人尋問の中で何をやるかとかを決める。

だけど、どういった主張をやるかという争点を明らかにしていくために、どんどん、時間ばかりが掛かっていくので、そこには、裁判員はいらないということになっている訳です。裁判員を呼ぶのは、最後の仕上げとしての法廷での審理です。

審理の前の段階ということで、裁判員は関わらなくても、というより、そこに関わったら全部、裁判員が拘束されることになるんで、裁判員制度なんて成り立たないと。また、公判前整理手続きというのは、裁判員制度を実現するために、公判廷での審理を短くするために入れたということになっているので、建前としては、実質審理は行われてはいないということにはなっているんです。ですが、本来、それ自体が非公開というのもおかしいことですし、何をやっているのかは分かるべきものだと思います。ただ、裁判員が入っても、多分、見てるだけということにはなるでしょう。

107590その法廷の前段階では、弁護側の主張というのは、出せるんですか。

もちろん、出せるんです。弁護側として何を主張し、何を立証したいということは、全部、その場で決めちゃうんです。

107590それは、今まで公判廷でやっていたことをですか。

まあ、前倒しして全部やっちゃおうという、そういうことですね。

082060今日は、良いお話しをありがとうございました。以前、裁判として処理する件数が減っていると聞いた事があるのですが、その状況はどうなんでしょうか。

20130926222050518s当初、裁判員裁判対象事件は、年間3千件と言われていたようですが、今は2千件程度だそうです。だから、思ったより事件がなかったようです。ですから、裁判員制度が成り立っているというか、裁判員をやりたくないという人が増えても、取り敢えず、維持できている。

刑事事件自体が減っています。凶悪事件も増えているようで増えてない訳で。センセーショナルに大きく報道するから、あたかも増えているように感じるだけですから、裁判員裁判も減っています。

079928事件件数も減っているけれど、裁判員制度が導入される前より、導入後の方が処理能力も減っているように聞いた気がするんですが。

イメージするところは、刑事事件そのものが減っているので、裁判員裁判も減っている。その中で、処理能力がどうなのかということなのですが。以前ですと、千葉の事件がすごく増えちゃったんで、東京高裁から応援に行くというような遣り繰りまでやっていたんですが、そこまで必要なくなってきてるんじゃないかな。

あのー裁判所、暇ですよ、結構(笑)。以前と比べて事件数が極端に減っていて、裁判官も多少、増員されているところもあって、その代わり、予算の都合があるんで書記官減らしちゃってるんですけどね。

ただ、裁判所の問題よりもね、検察庁とか鑑定医だとか、別の所にしわ寄せさせちゃっているんで、そっちの忙しさは倍みたいですよ。裁判員裁判が始まったことで。

133946これまでも思っていたことなんですが、裁判員になりたい人というのは、かなり特定化されるというか、「自分が裁いてやる」というか、上から「こういうのは、裁いてやらなければいけないんだ」という意識が強い人間が裁判員になっていくと思うのですが、そういった裁判員経験者の人たちのグループはあるんですか。

20130926222050518sあります。俳優が覚せい剤を使用して保護責任者遺棄致死の罪に問われたときの裁判員である田口真義さんという人が、「元裁判員だ」と本も出されて、全国行脚もされている。この人が中心となって、元裁判員のグループを作っています。

その人たちは、まさに裁判員制度宣伝のために、すごい努力されていますよね。その人たちは「私たちには、裁いた責任がある」みたいなことを言っていますので、まさに「自分たちが」という発想そのものかなという感想は抱きました。

あと、それだけではなく、「連絡先を知りたい」と。裁判員として同じグループで裁いた人たちの連絡先を知りたいんだと、裁判所に申し入れたり、なんて言うんでしょうね。連帯感というんでしょうか、自分たちが選ばれた人間という発想を強く感じます。「自分たちは、違うんだ」というようにね、違和感を感じた次第です。

083129当初は、裁判員になりたくない人までもやらされて、PTSDになっちゃたり、秘密を一生持ち続けなきゃならないとか、真面目に捉えている人たちが、苦しんで病気にまでなって追い詰められてきた。それが、今、残ってきている連中(笑)と言いますか、語弊があるかもしれないが、ファシスト的なものを持った部分が突出してきているのかなと思うのですが。

20130926222050518s私も同じようなイメージを抱くんです。
ただ、やっている人たちが、「自分は、ファシストの先兵だ」なんてそんな思いは全くないと(笑)思うんですけど。

しかし、現実に、国家機関の中に取り込まれる形で、自分たちみんなでやっていきましょう、みたいな機運が高められていったとき、果たしてどうなのか。

一昨年、私たちは、京都大学名誉教授の池田浩士先生をお招きして、「ナチスの手口、ボランティア活動に伴うファシズム化」という題名で、講演をお願いして勉強をしました。その中で、やはり問題になったのは、「自分たちが」ということで、みんなでやりましょう、という機運を作り上げる。

最初はボランティアから始まった奉仕的なものから、全体主義、ナチス国家が誕生していく。そういうものと、裁判員制度というものは、どうしても重なると思います。

やはり、「自分たちが」と、統治機構の中に組み込まれていくことを無批判にやっていくことはどういうことなのか、裁判員制度でも問われてしかるべきだし、むしろ、それが司法制度改革審議会の意見書に書かれた「公共的精神を持て」というものと同じではないかと思う訳です。

それが、やってみて、失敗した、という状況だとは思います。だれもそんなことで、立ち上がろうとしなかった。一部の人たちが、そういうところで旗を振っているけれども、全体のところまではいかない。いかせないということが大事だったのかなと。

そういう意味では、この裁判員制度というのは、失敗だと思っています。日本国民全員に「公共精神を植え付ける」という初期の目的というか、真実の狙い、目的自体は失敗した。今、戦争法案が出てきて、国家のために、どう動員していくかというところと、本当は重なってくるのかなと思っていますが。裁判員制度の運動にどこまで持ち込むかはありますが、根っこは一緒かなと思っています。

120184弁護士さんの中で、裁判員制度反対は何人ぐらい。

20130926222050518s恥ずかしくて言えないような数字(笑)(男性の声「痛いところ、突くね」笑)。

080710北海道では。

あのー、例えば札幌で、裁判員制度反対運動やっている弁護士が何人いるかと言えば、「名前、貸してね」って言えば、何人か貸してくれる友だちくらいいますけれど、あのーひょっとすると一人かも知れないという。さみしい。あのー、福岡どうなんでしょう(笑)。

080711なんで、そんなに弁護士さん少ないんですかね。当事者として危機感をもっと。

いやー、弁護士にとっては当事者じゃないんです。裁判員裁判に関わる弁護士って、件数自体も減っちゃっているということともあるし、少数なんです。

弁護士の人口問題は、自分たちの生活に直結するけれど、裁判員裁判はまったく関係ない。そういう意味では、弁護士の中には無関心が多いのかなというのが、率直なところで情けないというところです。

こういう状況だからああいうもの(「おかしいぞ!日弁連、弁護士は権力と手をつなぐな」)を許すんです(笑)。そういう執行部が誕生する訳です。

141114裁判官にはプライドというものはないんですか。

20130926222050518s裁判官ですか。あると思いますよ。

裁判員制度が始まる前に、刑事裁判官と話をしたとき、
「お前、反対か」と聞かれ、「反対です」と。

「お前、裁判官を信用してくれているのか」(笑)
「いやー、そういう訳じゃないんですけど」(笑)
「まあ、俺も官僚だからやるしかないんだ」(笑)
「やれって、言われたらさ」(笑)
まあ、その裁判官はちょっと特殊な人かも知れないですが(笑)
民事の裁判官とは話をしていると、
「いやだね、あの制度。刑事の裁判官じゃなくて良かった」と。
やはり、ない方が楽に決まっていますよね。

だから、裁判員制度がなくなるとき、刑事裁判官が反対するかといったら、内心ホッとするはず。ただ、やれと言われたものは官僚ですから、実績をと言われると頑張ってやるんでしょうね。それが、宮仕えの宿命ですよね。プライドというよりは、やれといわれたものはやると。

元裁判官で反対している人たちはいる訳です。その人たちはまさにプライドです。「国民なんかに踏み入れさせるな」と、そんな感じですね。だから、あの人たちの反対は、私たちの反対とは方向性が逆で(笑)。保守的な立場から、国民なんか入れるなですね。

115793裁判員裁判になる事件とそうでない事件の基準は。

20130926222050518s基準は、最初から法律で決まっていて、一括りで言うと、重大事件。人の生命を侵害したようなものと、あるいは、法定刑にそのようなものが含まれているものと決まっているんです、対象が。なぜ、そんなものから始めたかというと、国民の関心が高いものというだけなんです。だから、結構、しんどい事件ばかり。

245684先ほど、凶悪な事件数が減っていると仰っていましたが、国民には余り伝わっていないですよね。それをもう少しアピールしてもらうと、あっ、話がずれちゃうかもしれないですが。

20130926222050518s少年事件もそうなんですけど、事件数自体は減っていると。ただ、それだけで少年法改悪反対が説得力を持つかというと、もうそういう時代ではなくなってきている。

少年事件にしても凶悪事件とされている事件にしても、「私たちが理解し難いようなものが増えてきた」ということです。そういった視点から、これにどう対処するのと言ったときに、今のマスコミやら保守層は、厳罰化でともかく治安維持を回復するんだ、というところに行き着いちゃうんです。

でも、私たちが理解できないものが、なぜ、生まれたのか、という発想には、まったく行かない。そういった視点から、私たちの運動も再構成して取り組んでいかないと、ただ事件数は減っているというだけで、正面突破ができるかというと、それはもう難しい。

こういった理解できない犯罪がなぜ生まれてくるのか、社会的情勢がどうなのか、私たちがそういったものを生み出していないのか、そういった視点から訴えかけ、社会の問題点と絡めて、対応していかない限り、多くの国民の支持は得られないかなと。そこが突破できれば、そういったところも変えられる。

0930313もっとも恐ろしい顛末と言うか、この制度を続けることで何が起きるんですか。

20130926222050518s裁判員制度のそもそもの目的は、司法基盤の強化ということが言われていました。結局、どんな重罰化であったとしても、それは国民の声だということで正当化しようというのがこの制度だったんです。

ところが、ここで頓挫しちゃった訳なんです。いきなり、ドーンと上がっちゃったもんだから、これは拙いと是正しちゃった。当面、重罰化に行くのは鈍化していくとは思うのです急ブレーキかけちゃったもんですから。

これが徐々に重罰化にいっていたら、思惑通りになっていたんだろうなと。そうなっていないという意味では阻止された。

あと、動員の問題です。マスコミからは、当初、「拒否が多い、過料の制裁をなぜ科さない」という論調が出ていたんです。それも鳴りを潜めた。これで過料なんか加えたら国民の反発が目に見えて起きるだろうということが、想定されたからですね。

ところが、25%まで来ちゃったら、さて、どうするか。また、マスコミの中から出始めました。「制裁を科せ」と。

「出て来る国民と、出て来ない国民の不平等をこのまま放置していいのか」という論調がまた、ちらほらと出ています。安保法制と一緒ですよね。国民をどこまで動員していくのか。

こういう拒否を許さないという。例えば、自民党の憲法改正草案を見ると、義務のオンパレードですよね。義務と責任でもって雁字搦め。ああいったものと、これが重なり合ってくると、国民の義務としての布石になりかねない。

憲法改正が遠い先、遠い先と思っちゃいけないですね、これがどこまで近づいているか、考えなければいけないのですが。裁判員制度が実施されている中で、具体的に国民を動員する方向で、舵を切ったときに、これがどうなっていくのか。日本国民は大人しいから、どんどん、従っていくことになっちゃうのか、一気に不満が爆発して廃止に行くのか、分かれ目です。そのときに、私たちが、どこまで運動を広げてきたかとリンクしてくるのかなと思います。

079682天神での宣伝を聞いて参加した。ファシズム的なとか、裁判の反動化とか言われているけれど、私の個人的な見方では、絶対的なものは存在しないので。この問題では、妥協の余地はないですかね。

20130926222050518s裁判員制度についてなら、私たちの運動で妥協の余地はないと思っています。これが改善で済むかといったら、そうはならない。

例えば、被告人に選択権を与えたら良いという議論があります。しかし、被告人に選択権を与えても、国民の義務として呼び出して、権力に組み込んでいくという裁判員制度の本質は変わらないということになれば、妥協の余地はないと。

制度の目的を見据えて、権力と手をむすばない、そういった観点からやっていくべきです。

1512ii

投稿:2016年2月6日

連続講座最終回 「お客様のために、被告人の反省」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」最終回

お客さまのためには335733e

  全国の裁判所と検察庁、弁護士会との協議会で一審強化方策協議会というものが、必ず行われているはずなんです。札幌でも行われて、その中で、一つのテーマとして、裁判所は白黒写真にしたいということを言い出しました。検察庁は反対であると。弁護士会はまあ、生写真を見せられると被告人に不利になるということがあるので、量刑が上がる方にしか行かないんですよ、普通。ばちっとみせられちゃうとね。だから、その辺はちょっと黙りと(笑)。

裁判所は、国賠を繰り返したくない。仮に起こされてもね、今回の裁判のように、国賠では決まり文句の「必要性があったんだから棄却」、「裁量の範囲ないである」とね。しかし、現実には、国賠が繰り返されると、さらなる裁判員離れを引き起こしかねないという危機感がある訳です。
ですから、全国の裁判所でもって、イラストとかを推進するということが行われ、協議会の中でのテーマになっています。074030

  もう一つ、協議会のテーマになっているのが、裁判所が「証人尋問やりたい」と、あたかも公判中心主義で行くようかのように、公判で見聞きしたもので判断したいから、本来、調書で済むものを調書請求しないで証人請求してくれと検察庁に言う訳です。これ、弁護側からしても、そんな証人尋問しなくても、調書で済ませてくれれば良いのにと思うものまでも、証人を呼ぶという運用にしたいと。

  「公判中心主義」という言い方を裁判所はしませんけれど、これは、公判中心主義ではないです。以前の「調書裁判」に対する批判として用いられた「公判中心主義」というのは、調書裁判をやるなと、そういう伝聞証拠を持って事実認定をするというのはけしからん、そういう弊害は駄目だということのアンチテーゼとして言われたものです。

  今回言われているのは、お芝居としての公判中心主義ですから、わざわざ、被害者を呼んで、とか、目撃証人を呼んで、ということ。検察庁は、当然、嫌がっています。また、連絡取って来させなければいけないし、準備もしなくてはいけないから。

  でも、裁判所は、お客様の裁判員のためには、そうしたいんだということです。調書を朗読されると裁判員はわかりませんと。単調で眠くなるみたいですね。証人を呼んで、証人尋問のような形でやってくれないと理解し難いので、そうしてくれと。要するに、裁判員のために、みんな来なさいということなんです。訴訟関係者はね。

  誰のための裁判か。裁判員のための社会科見学、裁判員のお勉強のためにやっていると言わざるを得ないような状況です。

 これに弁護士会が反対しないというのは、権力と手をつなぐというところですよね。やはり、「弁護士は権力と手をつなぐな」と言いたい。oudannmaku1
弁護士会としての姿勢が非常に問われているところだと思います。

被告人の反省とは

 最後に、ここだけは、紹介しておきたいのが、宮崎で義母と妻と生後何ヶ月かの子どもを殺して死刑判決を受けたという事件です。あれも短期間で死刑判決が出ました。

 あそこで言われていたのは、「被告人が反省していない」ということです。
でも、本当に反省していないのかどうかということですよ。

 裁判員というのは、なぜか知らないけれど、淀みなく反省の弁を法廷で述べられると思い込んでいるんです。そこが一番の問題です。

  裁判員の感想として述べられているのが、「人の顔を見て、ものを言わないで反省していると言えるのかな」とか、「過ちを自分の言葉で説明できないうちは、本当の意味で反省しているとは言えないと思う」と。189320

 いやー、なかなか難しいですよ、これって。しかも法廷ですよ、死刑判決が言い渡されるかも知れない緊張感の法廷で、淀みなく答えられますか。自分の言葉でペラペラと、そんな人間の方が信用できない。そうじゃないですか。緊張感の中でどうだったのか。

  これは、控訴審で「親子3人で暮らしたかった、ただ、それだけです」と。「裁判員に説明しようと思った。けれど、多くの質問には『分からない』と答えてしまった。『分からないなら、分からないでいい』と言われたので、すぐに答えられない質問には全部、『分からない』と答えたんです。判決を読んで、一審をやり直したいと思った」と。

 控訴審では、心理鑑定の中で、臨床心理士はこの被告の心をこう描いた。「義母の叱責と生活苦と睡眠不足で、心神が極度に疲労し、短絡的になりやすかった。義母と妻子が一体で、僕だけが別世界にいるような孤独感を描いた。ずっと言葉にできなかったことが、ここに書いてあると感じた鑑定書。」
「控訴審判決は、その内容をすべて受け入れて認めた。」

  やはり、どれだけ丁寧にやるかということでもありますよね。その人の立場に立って。

  被告人の立場に立って、どこまで説明できるのか、どういう状況だったのかということを考えないで、「あんた、質問に答えないならそれでいい」ということが、この裁判員裁判の中で行われてきた訳です。

  このような中で、「本人が反省していない」などと、よく言えるな、です。たった数日間の裁判の審理の中で、見た目の法廷の中だけの態度で、分かるはずがないんです。191027

  控訴審でも結果として、死刑判決は維持されました。しかし、そのまま、死刑判決で良かったかというと、そうはならないですよね。

  裁判員裁判の悲惨さが、この死刑判決で如実に現れた例だと思います。

  こういったところまで取材したマスコミというのは、素晴らしいなと思います。
それがなぜ、全体の論調にならないのかというところが、もどかしいところです。

一通り、話させて戴きましたが、裁判員制度をどう廃止に持って行くかというところは、なかなか難しいところです。しかし、なおいっそう、今後ともこういった活動を全国で続けていくことによって、廃止の運動の火は消さない、
そして、いつか実現するようにしていきたいという風に思っています。

150504-03インコ一言:いつの時代にも、おかしな政策のお先棒を担ぐ人はいる。今、裁判員制度を支持している人は2割弱。日当が欲しい人、お上に逆らえない人とお上の御用が嬉しい人。こんな人たちに裁かれる被告人。制度の狙いだった国民動員政策は破綻している。破綻した制度はいつ廃止する? 今すぐだ!  

20160201r

投稿:2016年2月5日

連続講座第9回 「国賠訴訟で慌てふためく最高裁」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第9回 

我慢できなくなった最高裁087020

 それまで、最高裁は、「裁判員のご機嫌を取れ」みたいなことを言ってきた訳です。お客様扱いしてやってきた。マスコミもお客様扱いです。そのような流れの中で、裁判員がガンとして首を縦に振ってくれないとなれば、これはもう、諦めるしかないとなっちゃう訳ですね。

 高裁判決も「重すぎて不当とは言えない」として、控訴を棄却する。これも最高裁の意向をおもんばかって、そういう判断を下したんだと思うんですけれども。それが、最高裁で、ひっくり返されちゃうものだから、右に倣えの司法官僚たちは、右往左往するということに繋がっていく。

 「裁判員の発想を尊重せえ」なんてことが、最初に広められてしまっていたものだから、こういった裁判員たちが、「重罰だ」というような意見を述べたときに、裁判官が適切に言えないということなんですね。

  この問題で一番驚いたのは、裁判員制度の創設に関わった京都大学の酒巻匡教授が、「裁判官が現場できちんと指導しているのか」みたいなことを言ったことです。あんたたちが、作った制度でしょうと思う訳です。そういう制度設計にしたのは誰ですか。その人が、こういう判決が出たことに危機感を持つというのは、本末転倒でしょう。ほら、見たことか、という結論になっちゃった訳です。

 ここまで裁判員を煽て上げ、批判をしないまま来て、結局、どういうところに行き着いたかというと、死刑判決を下さなくても良い者に死刑判決を下した、求刑の.5倍もの重罰化にしてしまった。

  それが高裁、最高裁でひっくり返されてしまった、これはいきなりですよ。今まで抑えに抑えて黙認してきたことが、ついに黙認できないところまで来てしまった。最高裁をして、黙認できないところまで来てしまったために、いきなり、破棄と、あるいは、死刑判決破棄を踏襲というところまで、いってしまった訳です。いきなりだったから、元裁判員たちが、承伏できないと怒る。

  そうすると、国民の間では、マスコミも含めて、「何のための裁判員だ」となるんです。
2ちゃんねるは酷かったですね。この判決が出た後、「何のための裁判員だ、こんな制度いらない」。結論だけは一致します(笑)。

  本当に、黙認状態が続いてしまったがために、どんどん、暴走し始め、限界を超えてしまったというところが、今回、問題点として噴出してしまった。
だから、どちらの側に立っても矛盾ということになってしまった訳です。

ですから、裁判員裁判の判決が、最高裁にまで危機感を決定的にもたらしめるということは、制度の矛盾としてはっきりしてしまったということです。HP21621

国賠訴訟で慌てふためく

  それに拍車をかけたのが、PTSD発症による国賠訴訟ということです。この訴訟を契機に、マスコミは、配慮みたいなことを言い出したのですが、率先して裁判所が変わってしまいました。

  生写真のようなものは見せない。イラスト化する、白黒にする。これが証拠と言えるのだろうかというようなものを裁判に出す。率先して裁判所が変えてきた。

  国賠訴訟が起こされるなんてことは、想定外だっただろうし、こういうことが行われることによって、なおいっそう裁判員離れということが進んでしまった訳です。

  悲惨な遺体写真を、誰も見たいなんて言う人たちはいない。逆に、裁判員制度が本当に国民の側から求めたものであったら、そういうものをきちんと見た上で判断すべきものとなる訳です。その覚悟がないのは当たり前でしょう。自分たちが求めた制度ではないのですから。

  その中で、ああいう問題が起きてしまったがために、どんどん、刑事裁判が粗雑になっていくことになる訳です。
PTSDを発症したということでは、途端にマスコミは大騒ぎをしました。しかし、それ以前から、同じような事件というのは沢山あったんです。そういう意味では、報道もきちんとされているんです。

  2010年の『読売新聞』ですけれど、「遺体写真から目を逸らし涙」と記事があり、また、「裁判員女性、遺体写真を見て体調不良」とか。これは福岡の事件ですね。体調を崩して仕事も辞めたとか。しかし、大きく報道されなかった。こういう人たちにどう配慮するのということが、まったくないままに、みんな、見て見ぬ振りをしてやってきて、今回、国賠訴訟を提起されてしまったから、慌てふためいた訳です。

マスコミは、これまで、そういう写真を見ても裁判員は頑張って来たと報道してきました。「涙を拭いながら、頑張って来た」というように持ち上げてきた。そういったことの反省はないままに、国賠訴訟に至って、それまでのことについては一切黙殺で、慌てふためいたのは裁判所だけということなんです。

インコ一言:国賠訴訟の判決は、「裁判員を務めて病気になったことは認める。しかし、辞退できたのに辞退しなかったあんたが悪い」と。それでも裁判員、やりたいですか?

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投稿:2016年2月4日

連続講座第8回 「無敵の量刑論」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第8回 

無敵の量刑論286731a

  裁判員というのは、量刑に関する判断では裁判官に負けないんです。有罪・無罪、証拠をどう判断するかということでは、裁判官の手のひらの上でしょう。責任能力の問題ということになれば、また、話は違ってきますけれども、そうでない場合は、なかなか、裁判官には太刀打ちできないんだろうなという気はします。

しかし、量刑に関しては、そうはいかない。「自分の感覚で良い」となれば、これは無敵です。理由がいらないんですから(笑)。335733c
マスコミは、決まり文句のように、「裁判員は難しい判断を迫られる」というような言い方をするんです。でも、本当に難しいんだろうか、ということなんです。

 東北の『河北新報』は、こう報じています。「東北のある裁判員は、こう打ち明けた。『量刑は、被告人に対する感情で決めた。判例の比較ではなく、感情論』」と。これはもう無敵です。私の感情はこうだということです。もちろん、そう露骨に言わないで、ああだ、こうだと言えば良い訳です。だから、どんどん、重罰化していくというのは当然のことなんです。

 量刑は、求刑の8掛けみたいなことが言われてきましたが、その中で、徐々に量刑が求刑超えをしていきました。

 その行き着くところが、先にお話ししたアスペルガー症候群の判決だったり、求刑の1.5倍判決だったりするのです。児童虐待で傷害致死に問われた両親に、求刑10年のところを懲役15年ということになる。335733b

 この量刑の判断に関して言えば、裁判員には「自分たちこそが」みたいなところがあるんです。

 例えば、求刑20年で判決が懲役17年となった裁判を務めた裁判員は記者会見で、「裁判官だけなら、懲役15年になっていたかもしれない。自分たちが参加した意義がある」と。要するに、裁判官だけなら15年になっていたが、自分たちが頑張ったから17年になったんだと。こういった発想なんです。

 先ほど、ご紹介した1.5倍の判決に関しては、量刑理由もすごいです。「守ってくれるはずの両親から、理不尽な暴行を繰り返され、悲惨・悲痛な死を余儀なくされた」ここまでは良いでしょう。

「児童虐待は、大きな社会問題で今まで以上に厳しい刑罰を科すべきだ」と。社会防衛のために、アスペルガー症候群の被告人を隔離してしまえ、というのとまったく同じ発想です。大きな社会問題だから、今まで以上に厳罰にするんだというところで、懲役10年の求刑に対して15年を言い渡す。まさにこれが裁判員裁判なんです。ひょっとしたら、裁判官は頑張って、裁判員を説得したのか、説得しようとしたのかも知れないけれど、もう押されてしまった。

20160201インコ一言:やれやれ。確かに感情で決めるとなれば理屈はいらない。理由もいらない。無敵です。「市民感覚を裁判に活かす」と言ったことを真に受けた結果。051189

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投稿:2016年2月3日

連続講座第7回 「一番の暴走は死刑判決」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第7回 

一番の暴走は死刑246410b

一番の暴走はなんといっても死刑です。死刑については、裁判員裁判が暴走しているというのは、ご承知でしょう。高裁でもって死刑判決が破棄され、最高裁でそれが維持されたということは、裁判員裁判が下した死刑判決が否定されたということなんですが。

 死刑判決に関わった裁判員の感想がすごいです。
最高裁が死刑判決を下すための基準としてきた永山基準について、「永山基準というものを考慮しませんでした」と堂々と発言しています。それに対するマスコミ批判はありません。335733b

 なんという言葉で言っているかというと、「先例重視か、重視でないか」と。先例を重視するかどうか、確かに先例ですよ、それは。判例ですから。しかし、先例という言葉に置き換えちゃうことが一番怖い。

 先例じゃないんですよ。基準なんです。この人が裁いたら死刑になり、この人が裁いたら無期懲役になる。バラバラで良いはずがないんですよね、特に、死刑判決に関しては。それを、先例重視ということに置き換えちゃうと、何でもありになっちゃいませんか。あくまでも、先例ではなく、基準だと。基準を無視して良いかどうかという表現にしないで、先例重視か重視でないかという言葉に置き換えてしまう。この危うさというものが、マスコミ報道の中で一番多用されていた訳です。

 「先例重視に回帰するのか」みたいなね。
これは、死刑を考える上で、非常にミスリードというか、間違い、間違いというより、意図的なのかなと思います。

 死刑判決が最高裁で否定されたとき、各社説が出ました。「市民参加の責任」から始まって、「死刑制度、国民的議論を活発に」、「市民感覚を活かすためには」とか、「公平と慎重さを求めた」とか。マスコミの論調は、2分したんです。死刑判決だから慎重なのは当たり前だという論調と、逆に、市民感覚を反映させる基準というものを示せとか、市民感覚をどうやって反映するんだという論調とに、2分したんです。どちらかというと、「市民感覚を活かすにはどうするんだ」というような論調が多かったように感じます。

  でもね、皆さん。市民感覚を活かすってどうなりますか。結論として、「死刑にしろ」と言っているのと同じことなんです。だったら、堂々と、「死刑にしろ」と書けば良いと思うんですけど。

  秋田で起きた自分の子と隣の子を殺してしまった女性の事件では、地裁、高裁とも無期懲役だったんですが、ここで『産経新聞』、また、『産経新聞』になりますけれど、社説がすごかった。「極刑を回避するのはおかしい」と。社説で「死刑にしろ」と書くのはすごいな、と思いましたよね。でも、それ自体は、堂々としていますよね。やっぱり(笑)。339527

  それを、市民感覚を活かすためだ、みたいな言葉で誤魔化さないでよ、と思う訳です。このマスコミの報道の「活かせ」ということは、結局、「裁判員の判断を尊重しろ」、「死刑判決を維持しろ」というのと変わらない訳です。それを露骨に書けないから、「市民感覚だ」みたいなことを言うのは、『産経新聞』に比べても卑怯かな、と思います。

  この問題は、はっきりしています。クジで当たる裁判員によって、死刑か死刑でないかが決まるなんて明らかにおかしな話なんです。自分が死刑制度反対だという人が集まったら死刑が回避されて、まあ、それ自体は良いとして。死刑だ、死刑だという人が集まっちゃったら死刑になるんですかということですけれども、今後、ますますそうなるでしょう。「普通の国民」は、嫌がって裁判員にならないということは、はっきりしていますから、そうすると、「俺が、俺が」みたいな人ばかりが出てくるのが怖い。「自分が裁くんだ」みたいな人ですよね。246410a

  死刑判決についても、マスコミ報道を見ていると、裁判員の意識は、はっきりと変わってきています。最初の頃の裁判員裁判で死刑判決が出されたときには、裁判員の意を汲んででしょうけれども、裁判長が控訴を勧めたということが報じられていました。「控訴することは良いと思う」みたいな。

  それが、段々、死刑判決が増えて来始めると、裁判員の感想も変わってくるんですよ。「控訴しないでほしい」とか。どうして、そこまで自信が持てるんだろうと不思議です。286731a

  裁判員裁判の死刑判決を高裁が破棄し、最高裁も死刑は重すぎると判断したことに、元裁判員は、「最高裁は、書類審査だけで、私たちのように被害者の声も聞かないで極刑を破棄するなんておかしい。納得できない」と、怒りのコメントを出しています(会場、ため息)。340598

  こういった人たちが関わっているんだということを踏まえなければいけないんですよ。もう、そういった人たちしか集まって来なくなってきた。そういった人たちによって、裁かれるんだということを。
やはり、これは公平な裁判という観点からも、非常に恐ろしいことだと思います。

パンチインコ一言:法務官僚は、「市民が死刑判決を出している時に、法務大臣が死刑の執行を躊躇することは許されない」と言った。国家権力に踊らされ、利用される人たち。裁判員経験者の中には「死刑のことも知らずに死刑判決に関わらされ」などと言っている人もいるが、なに寝言を言っているのか

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投稿:2016年2月2日

連続講座第6回 「裁判員の暴走と厳罰化」

猪野亨弁護士ウェブ連続講座
「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」第6回 

暴走する裁判員246410b 

 負担をかけられないよう配慮され、マスコミから一切、批判されることのない裁判員がどのようになっていくのか。それが、暴走していく裁判員です。

 大阪で、アスペルガー症候群の被告人に、求刑16年に対し、懲役20年の判決を出しました。この判決には、マスコミも大いに批判しました。このときの判決は、「社会的防衛のためには長く刑務所に入れておく必要があるんだ」ということでの求刑超えだったので、マスコミとしても批判せざるを得なかった。しかし、裁判員が間違っているという批判ではありません。その批判は、「裁判官はちゃんと説示したのか」であり、裁判員には一切、向けられていない。

 しかし、特異な報道はありました。『産経新聞』です。「これぞ、裁判員判決だ」と持ち上げるんで、その意味では素晴らしいですよね、一貫してます(笑)。まさに、裁くための制度であって、裁く側の制度なんだから、それが国民の意思なんだ。重罰化で何が悪いんだと。一貫しているという意味では素晴らしい。339527

 でも、これが正義の制度なんだと言っているような新聞が、こういう判決が出たことに対してなぜ、正面から批判できないのか、というところの方が大きな矛盾ですね。『朝日新聞』とかそういうところです。そういうところが、この判決に対し、正面から批判できないというのは、非常におかしいことです。

 この判決は、2012年7月で、その後、10月にも似たような判決が出ていたのです。私は、この本を書くにあたって、新聞記事を読み返して、こんなのもあったのかということなんですが。

 2人を死傷させた事件なんですが、責任能力については、妄想性障害の影響を指摘する精神鑑定結果がすでに公判廷に提出されていて、弁護人も検察側も「限定責任能力でしかない」と。完全責任能力がないことは、双方、前提として公判を推進し、立証活動をしてきた。ところが、判決がすごいんです。「検察側と弁護側が主張した限定能力をいずれも退け、完全責任能力を認定」して、懲役12年の求刑に対し、それを上回る16年の判決が出された。

 良く報道してくれたとは思うが、どうしてこれが大きく報道されなかったのかというところが疑問です。
弁護人も検察官も、双方が限定責任能力で仕方がないと考えていたところを退けちゃって、完全責任能力があるだって言っちゃう訳です。当然、裁判官裁判だったらこんなことはないんですよね。286731b

 これが裁判員裁判の特徴でもあります。責任能力がないから、罪が減る、刑が軽くなるなんていうのは納得できない、結果責任を問うのが市民感覚なんです。ここが一番重要なところです。

  07年、裁判員制度が始まる前の模擬裁判の報道なんですが。各地で、裁判所や弁護士会がいろいろと模擬裁判をやったんです。その中で、「裁判員6人と裁判官3人は、一部、責任能力を認めて、心神耗弱とすることで一致した。しかし、量刑判断では、『人を殺したのに求刑10年は軽すぎる。被害者遺族の思いを考えるべきだ』との声が相次いだ」とあります。要するに、限定責任能力しかないのなら、それに見合った処遇を考えなければならないのに、そうじゃないんですよ。人が死んでいるのに10年なんて軽いんだというところに、すぐ行ってしまう。

 別の新聞報道ではもっとびっくりすることが書いてありました。同じく模擬裁判ですけれども、「責任能力がない」という鑑定意見が出て、3人の裁判官は一致して無罪、責任能力がないんだから当然、無罪ですよね。これに対して、裁判員たちは全員有罪だった。単純多数決なら有罪なんですけど、裁判員法の規定によって、有罪にするには裁判官が1人は入っていなければならない。ですから、無罪になったら、「何のために俺たちを呼んだんだ」と裁判員たちは怒って帰っちゃったと。やはり、えっとか思うわけですよ。自分たちが入ることによって、市民感覚を実現するんだという意気込みの下で、そうなっちゃうんですかね。恐ろしい。246410b

少年事件への厳罰化

 これに通じているのが、少年事件です。少年だからという処遇を考えるのではありません。被害結果としては大人と同じなんだから、大人と同じに処罰すべきだと発想です。これが、裁判員裁判によって如実に表れてくるようになりました。

 石巻少年事件、石巻で起きた少年が2人を殺害したストーカー事件がありましたが、その裁判に関わった裁判員がどう言っているかというと、「個人的には、14歳、15歳だろうと、悪いことをしたら大人と同じ刑で判断すべきだ。そう心がけて参加した」と。もう、強い意志なんです。

 結果が、被告人がどういうことをやったのかということが重視されているというのが、共通認識なんですね。一般的には。

 どちらの立場に立つかというのは、もう明らかなんです。被害者側の立場に立つ。そういう感覚でもって裁く。その感覚で裁判に参加している訳ですから、どうしてもそういう結果になるのです。

 少年法は、そうした理由で、どんどん、厳罰化が進み、マスコミの論調も「厳罰化については懸念を示す」みたいなことは若干出てはくるけれども、これを正面から批判することはなくなりました。むしろ、裁判員から、「少年に対する刑が軽すぎる」という感想が出されたということを根拠に、量刑を上げる立法改正にも無批判です。ですから、少年法の分野では、最悪の事態を迎えているということです。

 広島で、少女をラインでつながっていた仲間が寄ってたかってなぶり殺しにしたという事件がありました。中には顔見知りでない人も入っていたのですが。中身としてはひどい案件で、主犯は厳罰でした。これを『毎日新聞』は、「社会的注目を集めた24日の広島地裁判決は、裁判員たちが、成人や少年の区別なく、罪に応じた刑罰を科すべきと判断した結果といえる。この日の判決は、市民感情を反映し、少年を特別視しない昨今の傾向が踏襲された形だ」と、肯定的に評価して報じました。 286731a

 ですから、少年法の適用年齢が20歳から18歳に引き下げられるのではないかと。自民党の方から「ともかく、引き下げよ」という声が出始めて、法務省どうするのかというのが、最大の焦点となっています。しかし、マスコミの論調がこんな状態では、今、少年法は極めて危うい状態が招来している。それを後押ししているのが、裁判員裁判であり、マスコミですね。

マスコミが裁判員裁判を是とする限りは、今言った様なことに正面から反論できないはずです。少年法の年齢引き下げだとか、厳罰化に対して、正面から反論するということが出来ない。要するに、手足を縛られたのか、それとも自ら縛っちゃったのか、問題はありますが、少なくともそういう方向に行っていることだけは間違いありません。裁判員制度が導入されたことで、すごく恐ろしいことになっているということです。

へ?インコ一言:最高裁は、市民を利用してもっと緩やかに重罰化を進めようと思っていたのに、一気に暴走してしまった。神様だから、裁判官も暴走は止めない。「罪を犯す奴はエリートのボクとは違うし。ここは10年だと思うけど、庶民…違った、国民のみなさまが15年と言うんだし、最高裁は裁判員を尊重せよと言うし…ししし」 弁護士は? 市民が入れば良くなるという幻想を持っている制度推進の弁護士はこれらの判決に満足か?

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投稿:2016年2月1日