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『朝日』安倍龍太郎記者は裁判員制度をどう語ったか

京都弁護士会 弁護士H

 新年早々裁判員裁判を論じる文章にお目にかかった。京都青酸連続死事件をテーマとする『朝日』1月18日の「記者有論」欄のエッセイである。筆者は京都総局の記者安倍龍太郎氏。これが新聞記者の書いたものかと正直驚いた。お粗末な文章はお粗末と言って終わりにしてもよいのだが、この文章の背景には『朝日』の裁判員裁判に対する姿勢があると思えるので、少し丁寧に分析したい。いささか長いが、検証する以上はその全文をまず紹介する。

記者有論 青酸連続死 裁判員裁判 「知りたい」に沿う審理をAS20180118000115_commL

 京都地裁であった青酸連続死事件の公判が終わって1カ月後。一審で死刑判決を出した元裁判員の女性は、拘置所にいる筧(かけひ)千佐子被告(71)との面会を希望した。判決内容に悔いはない。しかし、38回の公判を通し、「本当は魅力的な人なのではないか」という思いがぬぐえなかったからだ。裁判員本来の役割である「起訴内容が有罪か否か」の判断を超え、被告の歩んだ人生をきちんと知りたいと思ったのだという。①        

 裁判員裁判史上2番目に長い135日間の長期裁判となったが、判決後に会見した裁判員3人は「負担は感じなかった」と口をそろえた。そればかりか、検察、弁護側双方に「証拠を絞らず、時間がかかってもすべてを提示してほしかった」と語った。犯行の背景に「多額の借金」があるとされても、公判で具体的な金額はでなかった。犯行に使われた青酸も、被告は「業者からもらった」と言ったが、その証拠は示されなかった。裁判員から「判決を導き出す上でモヤモヤしたものは残したくない。具体的な証拠がほしかった」との声が出るのは当然だろう。077031

 あるベテラン検事は「法廷は真実を解明する場ではない」と言う。殺人事件であれば、裁判員は本当に人を殺したか否かを検討し、起訴状が述べる範囲の「公訴事実」が認められれば量刑を決める。結果、「被告の悩みや借金の程度など、犯行に直結しないものは二の次、三の次になる」。審理日数を抑えようとすれば一層その傾向は強まるだろう。

 一般市民である裁判員の負担軽減のため、法曹三者は証拠の数を絞り、事件の説明を簡略化するよう努める。だが、裁判員たちは負担を負担と思わないほど、事件の全体像を正確に把握しようと目を凝らしている。「枝葉」のように証拠を切り落とすことばかりに目を向けるのではなく、裁判員の「知りたい」との思いに積極的に応える審理のあり方を模索しても良いのではないか。

 判決の前日、拘置所で面会した私に被告は「これまで私の人生を聞いてくれてありがとう」と涙を見せた。死刑を覚悟した上での言葉だった。高校は進学校だったが、家庭の事情で大学に行けず、結婚後に苦労し、人生が暗転したと繰り返した。法廷で被告の人生が詳細に語られることはない。「私は人を殺(あや)めたけど、鬼ではないことは分かって」。被告も、自分が道を踏み外した過程を知ってほしいと願っていた。

 冒頭の女性から体調をいたわる言葉をもらった被告は、ずっと泣いていたという。長い裁判が終わり、走り書きでいっぱいの女性の裁判資料は地裁に回収され、シュレッダーにかけられた。「もう裁判を振り返ることもできない」。真剣に向き合ってきた資料を失ったことを女性は今も残念がっている。542371

 さて、以下に私の意見を記す。

 冒頭に「一審で死刑判決を出した元裁判員」と来る。早くもこれでダメである。判決主文は死刑だったから「一審死刑判決に加わった裁判員」と言うのなら間違いにはならない。裁判所が死刑を言い渡したのであって、「裁判員が死刑判決を出した」のではない。その裁判員が死刑を求めたと言いたいというのであればなおいけない。裁判員はどういう量刑判断をしたのかを公にしてはならないからである。全員一致の死刑であったとしても個々の裁判員の意見を明らかにすることは許されない(全員一致であったかどうかを明らかにすることも許されない)。この文章はその辺りの理屈をこの記者がまったく理解していないことを示している。

 元裁判員は「判決内容に悔いはない」が、「被告人は本当は魅力的な人なのではないか」という気持ちがぬぐえなかったから被告人への面会を希望したという。今度は話の内容そのものがダメである。判決が「被告人の魅力の有無」を論じたはずもない。元裁判員は、この被告人がどうしてかくもたいそうな事件を起こしたのか、本当のところが腑に落ちていなかったということなのだろう。そうだとすれば元裁判員は「判決内容に悔いが残る」と言っているのではないか。「判決内容に悔いはないが判決内容に納得しきっていない」とはどういうことか。そのことに疑問を持たない記者の浅薄さ(疑問を持っても言わないあざとさ)。235797

 「裁判員本来の役割である『起訴内容が有罪か否か』の判断を超え、被告の歩んだ人生をきちんと知りたいと思ったのだという」。何を言っているのか。「裁判員本来の役割は起訴内容が有罪か否かだ」などという決まりはどこにもない(「起訴内容が有罪か否か」という言い方自体がおかしい。普通は「起訴事実が認められるか否か」と言う)。安倍記者は陪審裁判における陪審員の役割と裁判員制度における裁判員の役割の違いも区別できていないし、そもそも裁判に関する基本知識がない。

 被告人が歩んだ人生は被告人に科す刑罰を決める上で極めて重要なテーマである。裁判員裁判においてもそのことは(少なくとも建前としては)当然の前提である。この記者が「裁判員にとって、被告人の歩んだ人生をきちんと知ることは本来の役割を超えるもの」と思っているとすればそれは大間違いと言うほかない。

 出だしでこれだけの不出来では、この記者の文章の先行きが思いやられ、はっきり言って読む気が消え失せるが、分析を宣言した以上、腹を決め読み続けることにする。214625

 第2段落である。共同記者会見に出た裁判員3人が、史上2番目に長い裁判員裁判にも「負担は感じなかった」と口をそろえたと紹介する。みんなが審理に積極的・意欲的に関わったことを強調したいらしい。しかし、参加した裁判員と補充裁判員は当初計11人はいた。後に2人が解任され、結局9人が残ったが、裁判直後の会見にそのうち3人しか出なかった。過半の裁判員たちが自分たちの思いを語らずそそくさと裁判所を後にしたことに記者はまったく触れない。「口をそろえた」裁判員が3人しかいなかったことを論じない記者の鈍感さに驚く。

  元裁判員たちが、会見の場で、検察・弁護の双方に「証拠を絞らず提出してほしかった」と語ったという。この話をそのまま紹介する記者は、証拠を絞り提出させないのは裁判所であるということを知らないようだ。審理に時間をかけないよう最高裁から厳しく注文されている地裁の裁判長が、証拠をもっと出したいと言う検察と弁護を強く牽制して提出証拠を絞らせている。しかもその決着は公判前整理でついてしまっている。知らぬは裁判員と安倍記者ばかりなりである。

 「判決を導き出す上でモヤモヤしたものは残したくない。具体的な証拠がほしかった」 という声が裁判員から出たということは、つまり「判決を導き出す上でモヤモヤしたものが残り、具体的な証拠がなかった(足りなかった)」 と言っていたということである。死刑を言い渡す重大裁判に関わった裁判員のこの不満は到底軽視できない。その声を「当然だろう」という記者は、誰に対して何をせよと要求しているのか。その姿勢の曖昧さは拭いがたい。235798

③ 第3段落。「ベテラン検事」の言葉の理解が全然できていない。
「法廷は真実を解明する場ではない」ということと、犯行に直結しないものは後回しになるということは当然に結びつかない。法廷は、検察の主張を支える立証を検察がし得たかどうかを検証する場である。犯罪事実の存在の証明ができていないと判断されれば無罪になるし、犯罪事実の存在の証明はできているが、検事が求める刑罰を科さねばならないとまでは認定できないと判断されれば検事の求刑より軽い量刑判断がなされる場合がある。つまり検察の主張する内容が検察によって証明されているかどうかを判定するのが刑事裁判の肝で、検察の頭越しに裁判所が真実を究明するものではないという当たり前のことを「ベテラン検事」は言っている。求刑超えの判決というのも稀にあるが、基本はこのとおりである。

 そしてそのことは、当然に「犯行に直結しないものは後回しにする」という理屈には結びつかない。被告人の悩みや借金の程度なども、被告人の責任の程度の判定に意味を持つことがあり、どうでもよいことでは決してない。有罪が前提のケースなら最初から被告人の刑責の程度の論議に入るし、無罪を争うケースなら、主張の仕方は微妙な場合があるけれども(無罪を主張している弁護側としてどのような情状立証ができるかという問題に逢着する)、仮に有罪だとしてもこのような事情があることを斟酌すべきだという論陣が張られるのが普通である。

    審理を抑えようとすればその傾向(情状立証を抑える傾向)は強まろうと記者は予測するが、「抑えようとする」のは誰なのかにも、その目的にも一言も触れないのでは、何も言ったことにはならない。

 第4段落。「裁判員は知りたいと考えている。事件の全体像を正確に把握しようと目を凝らしている。法曹3者は証拠を絞ったり切り捨てたりするな」。それが安倍記者の主張である。裁判員がみんなそのように考えているというのは記者の思いに過ぎない。記者はそうあってほしいと考えているのだろう。しかし、この記者には候補者名簿に登載された裁判員候補者の2割程度しか裁判所に来ず、来た者の中からも裁判員就任を断る者が続出している現状は見えないらしい。

 記者は、証拠を絞らせ、証拠調べを簡略にさせようと躍起になっている最高裁に対して、どうして正面から反論しないのか。圧倒的な数の市民が裁判員をやりたくないと思っている現状を突破する鍵として最高裁は審理の短縮を言い、市民の負担を軽くすることで出頭率を高めようとしている。市民は自ら進んで刑事裁判の審理に関わろうとしていると言うのであれば、記者は出頭率の極端な低さや、その傾向がこの間ますます強まっていることをどう説明するのか。社からこれだけスペースを与えられながら黙して語らないのは、語らぬことを条件とされたからなのか。いかにも不可解、不合理である。275945

 第5段落。「私は人を殺めたけど鬼ではない」と被告人は言い、
「被告人も自分が道を踏み外した過程を知ってほしいと願っていた」と記者は言う。無罪を争う事件で被告人が「私は人を殺めた」と言い、「道を踏み外した」と言うとすれば(それが本当だとすれば)、その被告人の弁護活動は困難を極めよう。捜査の実際も裁判のありようも直接見ていない私は、こうすべきであったという言葉を持たないが、被告人の人生や境遇が十分に注目されないまま審理が終結されたことを強く推測する。そして、それが裁判員裁判の現実であることを強く感じる。だから、裁判員裁判はダメなのだ。しかし、この記者はそういう論旨の展開は一切しない。

 第6段落。どうやら元裁判員はこの被告人と判決後に面会したらしい。元裁判員と被告人の面会は極めて珍しい。その話を聞いた記者としては、あれこれのどうでもよい話をするのではなく、対面の場でどういう会話がかわされたのかに絞ったエッセイにどうしてしなかったのか。裁判に用いた資料は回収され廃棄される。資料を失って残念。そんな感慨より百倍も千倍も大きな教訓が存在したはずである。百歩譲っても資料の廃棄を残念だと元裁判員が言う言葉を引用しながら、その保存をせよと言わないのはなぜか。言えば、保存を否定した最高裁の方針への疑問に踏み込まざるを得ないからではないか。

□ 筆力のない文章であることは措いても、この記者はこれまで刑事事件や裁判を取材した経験があるのだろうかという疑問を懐く。そしてそれ以上に重大なのはこの人は裁判員裁判に関する知識がまるきりないということだ。毒にも薬にもならない中途半端なエッセイと言いたいところだか、この文章には毒がある。市民が裁判員裁判に真剣に取り組もうとしているという「荒唐無稽の大デマ」を含むからだ。572091

 裁判員裁判を真剣に論じるのなら、どこで裁判員裁判が危殆に
瀕しているのかを論じ、どんなに破綻しても破綻を認めない最高裁を批判する姿勢が求められる。しかし、記者は最高裁の「さ」の字にも触れない。誰がこの制度をどういう理由で推進しているのか、そこにどのような問題があるのかということに少しも触れないのは今日の裁判員裁判論の基本を踏み外すものである。

 『朝日』が自社の記者に書かせる裁判員裁判論であるから、所詮はこの程度のものであることは当たり前かも知れないが、それは確実に『朝日』を市民から遠ざけ、市民の裁判員制度批判をいっそう強めるきっかけになることを指摘しておきたい。

以上

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投稿:2018年1月29日

拝啓  オオタニ新最高裁長官 殿

裁判員制度はいらないインコ花1

このたびは、テラダ最高裁長官の後任として新しい最高裁長官になられたそうで、まことにおめでたいと言ったらいいか何と言ったらいいか、インコとしてはホント五言絶句です。ほら裁判員制度に深く関わったタケサキ長官は病気で途中退官したでしょ、テラダ長官は退官の記者会見もせず、すたこら最高裁の用務員口から消えました。オオタニさんはどうなるのかなぁと。それでも就任の言祝ぎですし、とりあえずインコも毒舌を控えようと、かわいく花を持ってみました。

yjimageL14MIT7Iオオタニさんは2002年から05年まで最高裁事務総局で広報課長をされ、07年までは刑事局長、12年からは事務総長と、そういう訳だ。つまり典型的なエリートコース。そして同時に、裁判員制度とこの15年間悪戦苦闘の日々を送り続けてきた方。その感慨を忖度し、心底同情してます。
投げ出したくても投げ出せない、愚痴弱音はあの要塞建物脇の土手の穴ぼこに叫び続けたことでしょう。s_0_vc8_img-01_vc8_img-01_0_vc8_img-01

02年と言えば、司法制度改革審議会が裁判員制度を政府に答申した翌年です。政府には司法制度改革推進本部ができた。裁判員制度の法律を作らねばならんという大騒ぎの中であなたは広報課長になった。裁判員法の国会成立の時もあなたはずっとその位置にいた。

広報課長なんて普通ならちっとも忙しくないポストだけれど、この時は違いましたね。わが国司法史上最激の逆風に抗して、何が何でも制度の宣伝をしてしてしまくらなければいけなかった。だからオレ国民の司法参加なんて反対だったんだ、って正直思ったでしょ。

今、思い起こしても息が詰まります。テレビや週刊誌を先頭に、「とんでもないこと」って調子で多くのメディアが冷たい態度をとった。

推進本部のパブリックコメント(03年)には制度批判の声が洪水のように押し寄せました。『読売』の世論調査(04年)では「参加したくない」が69%、「適切な判断をする自信がない」が71%。この時期のマスコミ各社の調査結果は似たような数字が並びました。

05年の内閣府調査は極めつき。「参加したい」は僅か4%、「参加したくない」が70%。最高裁は目の色を変えました。このままでは制度の発足はとてもおぼつかない、広告に金を使えばメディアも寄ってこようってことになった。広告ほどメディアにとって弱いところはありません。

ところが裁判所ほど広告に縁のない役所はこれもありません。裁判所のパソコンでコウコクって打てば、出てくるのは「公告」や「抗告」ですもんね。待ってましたとあなたたちの素人判断に電通などが飛びついた。それこそハイエナのように。でも言っときますが、同じ素人でもあなたたちとインコたちは違います。インコたちは詳しいことを知らないために自分が損をするけれど、詳しいことを知らないあなたたちは媒体に食い物にされても自分の損はありません。いい気な人たちっていう訳よ。

あなたが広報課長から刑事局長に昇進した05年は、制度起死回生のZ旗が上がった時でした。最高裁は制度のシンボルマークを発表。でもこれもまともに取り上げてくれるメディアはほとんどなかった。シンボルマークというのは、みんなが話題にしたり使ってくれたりして初めてホントにシンボルになる。注目されなけりゃおしまい。インコが聞いたのは「これは国民を縛る手錠か」というトホホな感想。1s_0_vc7_imgtext2-1_vc7_imgtext202

発表から13年目の今、このマークを見せて何のことか分かるかと聞いたら、100人のうち99人は分からないと答えるでしょうね。無限大をイメージしたって言うんですが、何が無限大なんですかね、オオタニさん。

そうそう、05年10月には女優の長谷川京子さんも登場しました。当時の芸能ニュースはこんな紹介をしてましたよ。

 「09年までに実施される裁判員制度を広く知ってもらうため、最高裁判所は女優の長谷川京子(27)を起用した広告を新聞などで展開していくことを発表した。制度に関しては、国の世論調査で国民の7割が『参加したくない』と回答しており、最高裁では『国民の間で幅広く親しまれている長谷川さんにご協力していただくことで、より多くの皆さんが制度に関心を持っていただくことを期待しています』と説明。今月中旬から来年3月までの間に、長谷川が出演した広告が新聞のほか雑誌、インターネットで掲載される。最高裁によると、裁判員制度の広報活動でタレントを起用したPRは今回が初めてという」b250cfd7

こんな報道もありました。

「『裁判は、あなたに語りはじめます』。10月17日の全国紙の朝刊に、長谷川京子さんが遠くを見つめるカラーの全面広告が掲載された。最高裁事務総局には『ハセキョー』の名を知らない幹部もいたが、担当者は『国民の間では広く親しまれているはず』。最高裁は来年3月にかけて、約6億円をかけて新聞のほか約20の経済誌、インターネットなどに、長谷川さんを起用した広告を展開する。内山理名さんが登場する小冊子も制作中だ。最高裁の大谷直人刑事局長と対談し、裁判員制度の仕組みや疑問を解き明かしていく内容で、30万部刷る。こちらの費用は約970万円。こうした広報戦略には、内部から『上滑りだ』『人気頼みでいいのか』などの批判もある。だが導入まで4年を切っており、最高裁事務総局の戸倉三郎審議官は『まずは国民に振り向いてもらわないと』と話す。」

オオタニさんは内山理名さんと対談され、裁判員制度の仕組みや疑問を解き明かし、よくわかっていただけたんですかね。それにしてもこの年だけで広報予算は13億円でした。このコスパを今どう評価していますか。国民に広く親しまれている女優さんたちにあやかろうとしたけれど、この制度は国民にとことん疎まれる制度に落ち込んでいきましたね。そして「上滑り批判」を排してこの方針を決裁したのはあなたでした。

今から思えば「遠くを見つめて」というよりは、「遠い目をしている」って感じですね。もうすでに制度の先行きは暗示されていたのかとインコも遠い目(  ̄◇ ̄)

オオタニさんは無類の読書好きだそうですが、裁判員制度に反対するたくさんの書籍をお読みになられたと想像します。反対する本の方が圧倒的に多く、圧倒的に売れていました。あなたとしても感じるところが本当は多くあったことでしょう。

また、思い出してしまいました。あなたの刑事局長時代には裁判員制度をめぐる不祥事が続出したのでした。制度の広報業務をめぐって、05年と06年の2年間に最高裁が電通に発注した「裁判員制度全国フォーラム」企画(最高裁主催)で、ウソの契約日付を記載し、印刷会社発注パンフの作成でも契約日を偽るなど、16件計約22億円の契約で不適切な経理処理をしていたことがバレました。あなたは自身への波及をおそれてか、さっさと人事局長に横滑り転進しましたね。その「裁判員制度全国フォーラム」、07年には、共催の産経新聞や千葉日報が「サクラ」を動員していたことが明らかになりました。「うそつきは最高裁の始まり」という言葉が広がったのはあなたが刑事局長の時からです。

政府の「国民対話」でも、参加者が多いように見せかける「やらせ」や「仕込み」の偽装が多数行われていたことが後に発覚しましたが、最高裁が電通に委託して実施した「司法制度改革タウンミーティング」でも、電通が人材派遣会社を通じてサクラ要員を募集し、計6回の「やらせ」が行われていました。思い出すのもうとましいご経験でしょう。どうにもこうにも嫌われっぱなしの制度、藁をもすがりたい最高裁はプロの広告業者の餌食にされ、国民の血税をだだ漏れさせたのでした。うまくいかないものはどこまで行ってもケチがつくものですね。yjimage

05年秋の長谷川京子に続いて仲間由紀恵が「ともに」と手を差し出した全面広告が各紙に登場したのは06年秋でした。この時期に彼女は携帯電話会社のCMに出ていたので、多くの市民が裁判員制度のこととは思わなかったらしい。ここでも血税は無駄に流されただけだったようです。

まぁ、あなたの事務総局時代というのは悪評のくそ貯めの中で裁判員制度がもがいていた時でした。あなたはその醜状を終始見続けていた生き証人というわけだ。

 制度が始まって9年目に入る今年です。1923年に始まった戦前の陪審制も発足当初から悪評さくさくで、その生命は事実上3年で絶たれた。とりわけ被告人から拒絶されたことが致命傷になりました。

その教訓に学び、裁判員制度は被告人の拒絶を認めず、裁判員も就任拒絶を原則禁止としました。かくして「強制の仕組み」として登場したこの裁判制度は、内実はどうあれ存在だけはし続けることになった。根腐れしても立ち枯れしても存在はし続けている不思議な制度です。でもオオタニさん、そういう仕組みは国民に散散の悪印象を残します。そう、司法不信という印象です。

あなたは、就任に際し「国民の皆さんにトラディション(伝統)だと言ってもらえるような制度s_0_vc8_img-01_vc8_img-01_0_vc8_img-01にしたい」とおっしゃったそうですね。でもこの制度、定着もしないでどうして伝統になり得るでしょう。「むかしむかし最高裁は国民動員を目論んで裁判員制度を始めました。しかし、良識ある国民からそっぽを向かれ、制度はついに頓挫したそうな」。そんな昔話にはなるかもしれませんが。

 ところで、新聞評によれば、前任のテラダさんは「的確なコントロールで変化球を投げるタイプ」で、あなたは「ストレートの豪速球を投げるタイプ」だとか。そういえば、テラダさんは「出前講座」だの「顔写真入り裁判員候補者への呼びかけ」などの変化技の持ち主でした。でも結果は、的確なコントロールどころか相手にもされないフォアボールに終わりました。オオタニさんはどんな速球を投げるのですか。不出頭者に対する処罰強化ですかね。しかし、その球は、裁判員経験者による急性ストレス障害訴訟で「ボーク」です。あなたに残された球種はたった1つ。そうです、「裁判員制度廃止」という直球。それはあなたを間違いなく「歴史の人」とするでしょう。

ではではオオタニさん、定年まで後4年半、病気にならずに良い日々をお過ごし下さいますよう。

20180120

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿:2018年1月21日

再掲:逆転無罪判決 裁判員や被害者の声に違和感

このトピックスでも度々、転載させて戴いている猪野亨弁護士のブログ。昨年12月27日には、「菊地直子さん無罪が確定 時間が立証を阻んだのではない」をアップされました。無罪は当然だというもので、インコも声を大にしてそのことを訴えたい。

そして、改めて、2015年11月28日に猪野先生がアップされた「オウム元信者に対する逆転無罪判決 裁判員や被害者の声に違和感」をここに転載します。
これは、一審の裁判員裁判の有罪判決に対し、高裁が逆転無罪判決を出したときに書かれたものですが、最高裁判決に対しても同じことが言えるからです。以下、猪野先生のブログからです。

 東京高裁は、オウム元信者に対する控訴審で、一審の裁判員裁判の有罪判決に対し、逆転無罪判決を下しました。
その理由とするところは劇薬ではあるものの、それが人の殺傷に使われることの認識はなかった、つまり故意がなかったという点でした。
元信者が起訴されたのは、都庁事件での殺人未遂と爆発物取締罰則違反のそれぞれの幇助の罪でしたが、劇薬であろうと、それだけで殺人の故意があるということにはなりません。
高裁は、この点を慎重に判断したということなのでしょう。

 問題は、朝日新聞、毎日新聞がそれぞれ一審で担当した裁判員の声を大々的に報じていることです。
捜査幹部「無罪、何かの間違い」、一審裁判員「無力感」」(朝日新聞2015年11月27日)
「菊地元信徒を有罪とした一審で裁判員を務めた会社員の男性(34)は「無罪と聞いてショック。確かに証拠が少ない難しい事件だったが、私たちが約2カ月間、一生懸命考えて出した結論。それを覆され、無力感を覚える」と話した。
一審では19年前のことを振り返る菊地元信徒や証人の記憶はあいまいで、「何が本当なのか判断が難しかった」という。「その分、自分の感覚を大事に意見を出した」と振り返る。」

菊地被告無罪:爆発負傷者「誠に残念」 裁判員、疑問の声」(毎日新聞2015年11月27日)
「逆転無罪判決について、1審で裁判員を務めた男性会社員(34)は「控訴審で刑が軽くなることはあるかもしれないと思っていたが、まさか逆転無罪とは。自信を持って出した判決なのでショックだ」と話した。
1審では教団元幹部らの証言が食い違った。事実をどう認定するかが難しく、評議は約3週間続いた。男性は「事件から年月が経過し、被告の内心の認定に頭を悩ませた。決め手となる証拠もなく、真剣に話し合った」と打ち明け、「裁判員を務めた意味が何だったのか考えてしまう。直接的証拠があり、市民も判断しやすい事件に裁判員の対象を限ったほうが良いのではないか」と語った」

元裁判員は、自信を持った判決だったそうです。このような自信をどこから持てるのかが不思議ですが、裁判員制度のもっとも重大な問題点でもあります。もともと裁判員をもてはやすマスコミは、これを「市民感覚」と表現して持ち上げてきました。
その結果、裁判員は批判の対象から外され、自信だけが増幅されていったのです。それが裁判員による死刑判決が破棄されたときから、何のための裁判員裁判だということが裁判員制度を推進するマスコミから声高に主張されるようになったのです。
それは元裁判員の声を利用する形で報じられてきました。
裁判員制度の意義が揺らぐ? だったら死刑にすべきなのか 岡田成司氏の見解

 それがまたオウム事件というかつてのテロ事件に対する裁判ということで、「市民感覚」がどう裁くというように強調されてきたにも関わらず、その判断があっさりと否定されたものだから、マスコミが元裁判員の声ということで大きく取り上げたという構図です。
有罪・無罪のようなものが「市民感覚」で判断されるべきものではないことは当然のことで、ましてやそれが有罪方向で働くのであれば弊害しかありません。

 もっとも両紙ともこのような声も伝えています。
「一方でオウム事件捜査を担当した警視庁OBの大峯泰広さん(67)は「被告の当時の上司だった土谷正実死刑囚らから、被告に事件の計画を話したという供述を得られなかった記憶がある。状況証拠を詰め切れたとは言えず、判決は致し方ない気もする」と話した。」(前掲毎日新聞)
「元捜査幹部は「菊地元信徒は逃亡したからこそ注目を浴びたが、オウム事件全体でみると果たした役割は小さかった。事件に直結する役割ではなく、元々、立証に難しさはあった」と話す。」(前掲朝日新聞)

事件の全体像については、江川紹子さんのコメントがとてもよく伝えています。
「裁判員らは一般人の感覚で『自分ならこう思う』という発想で結論を導いた。控訴審は、(信者をマインドコントロールした)オウムの特殊環境に置かれていたことも考慮して彼女の内心を推し量った」と判決を評価。」(前掲毎日新聞)

 このオウム事件が起きたとき、私は司法試験を受験している頃で、その年に合格したのですが、江川さんの著作でこの元信者の境遇も読みました。周囲から本当にひどい仕打ちを受けていたということを今でも鮮明に覚えています。オウムに入信することになり、それが駒のように使われるようになったということですが、社会のゆがみこそがこのオウムのようなモンスターを生み出したことを忘れてはなりません。

 もう1つ違和感があったのは被害者の声です。
「(菊地元信徒は)長年逃亡生活を続けており、罪の意識は十分持っていたはずです。無罪の判決は、その事実を法廷という場でしっかりと立証できなかったということで、誠に残念なことだと思います」(前掲朝日新聞)

 逃亡=有罪ではありません。痴漢えん罪でも問題にされることはありますが、「やっていないなら堂々と釈明したらよいではないか」と言われることもしばしばです。しかし、一度、疑いを掛けられたどうなりますか。極論すれば無罪を立証しなければならない立場に追いやられるわけです。
堂々とすればいいなどということには絶対になりません。
また元信者の逃亡の背景には教団からの指令もあったのかもしれません。いずれにしても、逃亡=有罪という認識は問題です。
もしかすると一審裁判員裁判でも、このような有罪推定が働いていたのかもしれません。

 オウム事件では、当時の警察庁長官も狙撃され、かなりたってからオウム関係者が逮捕されましたが、嫌疑不十分で東京地検は捜査を終えているにも関わらず、警視庁はオウムが犯人であるかのように述べ、批判を浴びました。
事件当時も首都を震撼させたということで、警察庁はオウムであれば何をしてもいいというように別件逮捕や違法逮捕などあまりにもひどい捜査がなされていました。対象がオウムだからということで当時は、ほとんど批判的に報じられることがなかったのです。
そのような中で今回、無罪判決が出たということは、当時の捜査がどうだったのか、報道のあり方がどうだったのかが問われるべきでしょう。
前掲朝日新聞が当時の警視庁幹部の言葉として、「幹部は「逮捕状を取った当時は、オウム信者を微罪でも捕まえろ、という世論の後押しがあった。年月を経て、慎重な司法判断が下されたのではないか」と報じていますが、批判的な検証こそ必要です。

 当時の東京は、同時テロに見舞われたパリの状況を彷彿させます。
フランスでは非常事態宣言の延長、国籍剥奪 日本では共謀罪、憲法「改正」だ

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投稿:2018年1月13日

明けまして中ぐらいおめでとうございます~無罪確定を論ず

1-e1397901276348めでたさも中ぐらいなりだが、一応申し上げよう、明けましておめでとうございます。603908

001178まね0また、ひねくれ新年ご挨拶ですか。

1-e1397901276348インコの立場からすると、裁判員制度が廃止されない限り、めでたさは中ぐらいなのです。

hiyokowarai1先輩はお酒が飲めればいつでもおめでたいのと違いますか。

001178まね0混ぜっかえさないことよ。だいたいインコさんは、この2日間飲みっぱなしで3日に新年のご挨拶なんだから。

1-e1397901276348静かにしなさい。年の初めのためしとて、今日は菊地直子さんのことを論じようぞ。

001177最高裁第1小法廷(池上政幸裁判長、大谷直人、小池裕、木澤克之、山口厚各裁判官)の昨年12月25日付け決定で無罪が確定した元オウム信者の菊地直子ですね。17年間の逃亡生活の後に捕まった例の事件…。

20160517114「裁判員裁判の有罪判決がひっくり返った事件」と言ってほしい。それに人の名前を呼び捨てにするのはやめなさい。新聞もテレビも何に気兼ねしてかルールを無視して依然敬称付けを避けているが、無罪が確定した人に失礼ではないか。

001176そうですね、失礼しました。

1-e13979012763482人で事件と裁判の経過を簡単にまとめてくれるかな。

001177はい、では私から。1995年5月、地下鉄サリン事件の2カ月ほど後です。教団が都知事宛に送った郵便物が爆発し、都の職員が重傷を負いました。そして菊地さんは、殺人に使うと知りながら爆薬原料の薬品を山梨県内の教団施設から都内のアジトまで運んだとして殺人未遂ほう助などの罪名で起訴されたのでした。

hiyokosyoumen1地さんは長い逃亡生活の末、2012年6月に逮捕されましたが、始まった裁判員裁判では「運んだものが人の殺傷に使う薬品だとは知らなかった」と無罪を主張しました。しかし一審の裁判員裁判は「菊池さんは教団の幹部たちが薬品を使って人を殺傷することがあり得ると認識していた」として、14年6月、懲役5年の有罪判決を言い渡しましたね。約2ヶ月の審理。裁判長は杉山愼治氏、陪席の裁判官は江美健一氏と戸塚絢子氏です。

001177も、2審東京高裁は、15年11月、「被告人は教団の意思決定を知る立場になかった」として無罪を言い渡し、菊地さんは直ちに釈放されました。裁判長は大島隆明裁判官。

hiyokosyoumen1検察は上告したのですが、今回の上告棄却の決定で2審判決が是認されました。最高裁は「被告人の認識内容は教団幹部らが薬品を使って何らかの活動をするという程度のもので、殺人未遂ほう助の認識があったという1審の判断には論理の飛躍があって合理性がない」などとしました。裁判官5人全員一致の裁判です。

HP201642221いやいやご苦労さん。説明も簡単ではなかったね。裁判員裁判の有罪判断が高裁でも最高裁でも全面的に否定されたということだ。裁判員の有罪と裁判官の無罪。どこで判断が分かれたのか、もう少し踏み込んで考えてみようか。

hiyoko2-11審裁判員裁判は「劇物などと書かれた薬品を運んでいて薬品で危険な化合物を作ることが容易に想像できた」「被告人は教団が人の殺傷を含む活動をしようとしていると認識していた」としています。だから殺人未遂のほう助が成立すると。

001177一方、2審は「薬品が取扱注意の劇毒物だとしても直ちに毒ガスや爆発物を製造することを思い起こすことは困難」「1審が薬品の危険性の意味を明らかにしないまま被告人にテロの未必的認識があったとまで認定したのは問題」「被告人にはどのような殺害行為に出るのかほとんど想起できなかっただろう」「それで殺害行為をほう助する意思があったと結論づけるにはより説得的な論拠が必要」と、1審判決を全面的に切り崩しました。

hiyoko2-12審は、1審判決が拠り所にした井上嘉浩死刑囚の証言を分析し、井上証言は「不自然に詳細で具体的」だと断じましたね。「詳細で具体的」であることは一般的には信用性を高める要素でしょうが、高裁は、井上証言は「不自然に詳細で具体的」だと言いました。さて、どうであれば自然で、どうであると不自然になるのか、その判断の線引きはとても難しいように思います。

001177裁は、長期間の逃亡の事実をもって殺人未遂ほう助の意思を認定することについても否定しましたね。

HP201642221裁判員制度の導入に先立って「事実認定は素人にもできる、簡単なものだ」と言い切ったのはほかならぬ最高裁長官だった。素人には判断が困難なことがあるなどとは一言も言わなかった。

hiyoko2-1「騙される検事」は伊藤榮樹検事総長ですが、「騙す最高裁長官」は誰ですか。

20160517114町田顕(あきら)という人さ。2005年5月の憲法記念日記者会見の場で、「検察官の主張する事実を認めるに足りる証拠があるのかを常識に照らして判断するということ。そんなに過大なことを求められている訳ではない」と言っていた。15年には亡くなったがね。

001177インコさん、その人はホントに亡くなったんですか。

1-e1397901276348ホントに死んでる。今日は4月1日ではない。

001177井上死刑囚は何事についても饒舌で、裁判所におもねるような供述をやたらくり返しした人だったのでは。

1-e1397901276348裁判官たちはプロとしてたいていそういうことを知っている。他方裁判員たちの多くは知らないだろう。裁判官たちがどのように裁判員たちをリードしたかも問われるところだ。

hiyoko2-1それにしても1審の裁判官や裁判員たちが、末端のメンバーに過ぎない菊地さんなのに「劇物運びは危険な化合物の製造のためと想像できた」とか「教団が人の殺傷をもくろんでいることを認識していた」などと断定できたのはどうしてなんでしょうか。

001178まね0それは何と言っても17年間に及ぶ「写真入り手配書」の効果でしょう。「菊地直子は殺人未遂のほう助犯人」という手配ビラは日本中の警察、交番、駐在所、市区町村役場に何万枚も貼られました。犯人じゃなければおかしい、いや確実に犯人だ、誰しもそう考えるようになっていったと思います。

hiyoko2-1でもそんな感覚で行われる裁判は理屈抜きのでたらめ裁判ではないでしょうか。裁判の体をなしていないとボクは思います。

001178まね0マスコミにも責任があるでしょう。長年のお尋ね者がやっと捕まった。さぁ、「走る爆弾娘」をおもしろおかしいニュースねたにしようっていう気分だったのでは。

hiyoko2-1確かに。高裁無罪判決の時のマスコミの対応には、そんな気分に冷や水がぶっかけられたような戸惑いが窺われました。

1-e1397901276348最高裁は「被告人が認識したのは井上死刑囚たちが何らかの危険な化合物を製造し、何らかの活動をする意図にとどまる」「いずれも曖昧な内容であり、これで人の殺傷結果を想起できると推認するのは困難」「また、人の殺傷可能性を想起できるだけでは殺人の認識にもならない」と断じた。それは当たり前過ぎるほど当たり前の判断だった。

001181高裁と最高裁が菊地さんの無罪を明確にしたことで辛くも「破滅司法の惨」をさらさずに終われたけれど、裁判員裁判のでたらめはこれ以上ないほど明確になったということでしょうか。

1-e1397901276348まさしくそんなところだ。

hiyokosyoumen1最高裁決定時の報道ぶりも結構異様でしたよ。マスコミの中には、再逆転してあらためて1審判決が支持されるんじゃないかと見ていた人たちも多かったのではないでしょうか。

001181「オウム事件 残る無念」「被害者は風化を懸念」「年月が立証阻んだ」「関係者複雑な思い」…。新聞の見出しを見ると明らかにそんな感じがします。

hiyoko2-1その一方、捜査当局の判断ミスを論じる報道も、裁判員裁判の問題性に触れた報道もほとんどなかったのではないでしょうか。

001178まね0時の経過が真相究明を困難にしたというような論調がやたら多かったように思います。

20160517114それは、菊地さんがもっと早く逮捕されていれば有罪になったはずだとか、菊地さんは立証不能になるまで逃げ通したというように言っているのに近くはないか。

001178まね0そんな気がします。

HP201642221インコは、菊地さんの1審裁判ほど裁判員裁判の危うさを示した裁判はないように思う。こういうことになるから裁判員裁判はやってはいけないし、廃止しなければいけないのだ。

001178まね0裁判員裁判が高裁や最高裁でひっくり返ると、「無力感」に襲われたというような裁判員たちの感想がよく紙面に登場します。裁判員裁判の裁判長は、3審制という裁判構造や高裁や最高裁での破棄の可能性について裁判員に説明しないのでしょうか。

1-e1397901276348裁判員のやる気をかき立て、判決まで彼らをハイな状態に置き続ける必要があるから、気分を減退させるような話はしないし、できないだろう。結果、彼らは後になって幻滅し、2度と裁判員をやりたくないと思うようになる。

001178まね0それも不幸な話ですね。いくら物好き・説教家・日当稼ぎでもそれなりの負担感はあるでしょう。それを補う高揚感で均衡をとっているのでしょうから、自分の「努力」が無駄だったとなると、何をしていたんだと思うかも知れません。

hiyokowarai1今どき裁判員をやってみたいと思う人たちは、自身の判断が否定されることについて人並み以上に反発するヘンなプライドの持ち主かも知れません。実際、菊地さんの事件の審理に参加した裁判員(30代男性)は「明らかな証拠がない中で一生懸命考えた有罪判決。自分たちの判決には今も自信がある」と豪語していました。

001178まね0「明らかな証拠がない中で有罪判決を出した」と自負する神経には恐ろしいものを感じます。

20160517114それもそうだが、無理筋承知で起訴した捜査当局の責任がなんと言っても重大だ。重大犯人として手配し続けたものの、実際には菊地さんの刑事責任は問えそうにないというのが捜査側の常識になっていた事件だ。警察や検察などが誰々が犯人だと言えば、市民の中にはそうなのかと思う人が当然出てくる。当局の判断が間違っていたとなれば、当然その誤判断を謝罪し、責任をとらなければいけない。

001177これは裁判員裁判が言い渡した有罪判決が高裁で逆転無罪になった7件目の事件だそうですね。

hiyokosyoumen1今回のことで警察や検察は被害者にどう謝るのでしょうか。

HP201642221 曖昧にごまかすだけだろう。これで警察や検察はまた国民の信頼を失う。

hiyokoyoko1納得いきませんね。

20160517114裁判員のことには直接結びつかないかも知れないが一言言いたい。17年も逃げ回るのは犯人に違いないという思い込みから卒業する必要があるな。人は自分が犯人と誤解されていると思うだけで長く逃げ続けようとすることがある。そういう話はドラマの中だけではないということだ。

hiyokowarai1ボクは今回のことで今年もまた一段と賢くなれそうです。そのことに気づかせて貰っただけでも新年を寿ぐ意味があります。そうだ、今年は「レ・ミゼラブル」を読もうっと。

001177屠蘇がまだ残っています。遅ればせながらそれではみんなで新年の乾杯といきますか。

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投稿:2018年1月3日