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新刊書籍?(^◇^)ご案内『月刊裁判員医学』

国民の圧倒的多数が裁判員への就任を拒絶する時代に、裁判員就任を願望する人々が僅かながら存在する。弊社編集部は、就任念慮に襲われるのはどのような人々か。その状況を克服する対策は何か。専門家の英知を結集して本特集をまとめた。

『月刊裁判員医学』 第30巻3号〈特集〉裁判員就任予防の医学-臨床に活かす裁判員対策-B5版 低下もとい定価本体3000円+税  発行:三宅坂書房

【内容概要】
□ 裁判員就任のリスク評価における司法知識障害の意義
□ 裁判員就任のリスク評価において何に注意すべきか
□ 裁判員就任時の向精神薬の過量服用は安全か
□ 裁判員就任念慮のアセスメント
□ 対人関係理論に基づく裁判員就任のリスク評価
□ 裁判員就任未遂者の初期介入に求められるスキル
□ 複合的裁判員就任対策プログラムの就任企図予防効果に関する研究
□ 就任未遂者の再就任予防に必要なこと
□ 高齢就任希望者の傾向と対策
□ 知識過信階層における就任念慮に関する考察
□ 就任念慮とメディアの責任
□ ゲーム嗜好と就任願望の相関/ほか

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投稿:2015年3月30日

本日発売『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』

本日(3月20日)発売
『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』

トピックスでもお馴染み猪野亨弁護士の共著です。インコのホームページも出てくるとのことです。ぜひ、書店で手に取ってみて下さい。ご本人の紹介文を掲載いたします。

 本日、『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』が発売となりました。

 これまで、マスコミは裁判員制度を絶賛してきました。異様な報道ぶりです。
しかし、その報道の中に垣間見える裁判員制度の姿は、あまりに悲惨極まるものでした。裁判員制度が始まる前から、一部の弁護士や刑事訴訟法学者がこぞって裁判員制度を賛美し、あたかもこれが従来の暗黒刑事裁判の改革につながるのではないかという幻想を振りまいていました。

 調書裁判が成り立たなくなり、公判中心の審理になるというような言われ方、そして官僚司法制度が打破されるかのごとくです。しかし、やっぱりというか、裁判員制度が実際に運用されると、そこで示された裁判員制度の姿は官僚司法制度を支える、いやそれ以上に煽り立てるだけであったことが如実に示されました。

 裁判員制度によって刑事司法を被告人の側に立った改革につながるなどというのは幻想に過ぎなかったということが実際の運用でも明らかになったのです。

 当初、刑事司法の改革だなどと主張していた刑事法学者は、こぞって御用学者に転落しました。

 本書では従来のような理念的な批判ではなく、実際の運用という視点から制度の批判を展開したという点において新たな試みと自負しています。

 今や惰性で続けてられている裁判員制度ですが、このような愚策に1日も早く終止符が打たれるよう願ってやみません。

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投稿:2015年3月20日

見放し見放されて、ともに出口はなく

1-e1397901276348おもしろい話題があります。「裁判員経験者ネットワーク」という制度支援団体の話。裁判員制度が始まった翌年の2010年に、裁判員経験者、市民団体、弁護士、カウンセラー、法学研究者などが参加して設立した団体らしい。「裁判員の貴重な体験を市民全体で共有すること」と「裁判員経験者の交流の場を設けて心理的負担の軽減に役立てること」を目的にしているという。

001177ネットを見ると、陪審論者改メ裁判員論者で知られた四宮啓弁護士の推薦もあって大手保険会社系の団体の研究助成対象に選ばれたって嬉しそうに報告していますね。なるほどというのでしょうか、やっぱりというべきでしょうか。代表世話人は牧野茂さんというこれも弁護士。

1-e1397901276348裁判官しか体験しないはずの裁判に加わり、高いところから裁判官と一緒に被告人を観察する。みんなで言い渡す判決を決める。普段の生活では絶対に考えられない体験をするのだから、「貴重」でない訳がない。だが、「貴重な体験を市民社会で共有すること」って言うんだから、ここでいう「貴重」には、ただ珍しいというだけじゃなく、ありがたい・大事な・喜ばしい、そんなニュアンスが確実に込められている。そこが基本的にうさんくさい。

001181「貴重な体験を市民社会で共有すること」って言うけれど、裁判員体験をどうしてみんなが共有しなければいけないのでしょうか。

006311000共有しろってさかんに言うのは最高裁や政府でしょ。

001181そう。市民自身が共有しようなんていつから言い出したのかってことよ。

1-e1397901276348「交流して心理的負担の軽減をはかる」? どうして市民自身がそんなこと考え始めなきゃいけないのさ。何とか負担を軽くしてやることにするっていうのは、やらせたい人たちが考えることです。フツーの人はいやならやらないだけなのよ。「裁判員経験者ネットワーク」のお里が知れるっていうことだね。

001181で、それの何がおもしろい話題なの。

1-e1397901276348前置きが長くなってすみません。それはこの団体が「裁判員体験と心のケア」を研究すると言い出したからです。さっきも言った大手保険会社系の団体がお金を出してくれたらしい。つまりスポンサー付きの研究。

読書うさぎえーっと、なになに。テーマは「裁判員裁判における裁判員の家族にも話せない苦痛の実態と軽減策-親族間の刑事事件の特色を生かした社会的対策-」。

006311009テーマがわかりません。

1-e1397901276348だよね。文章の作りが基本的にへんちくりんだからさ。「裁判員裁判における」という言葉と「裁判員の」という言葉と「家族にも話せない」という3つの句が並んで「苦痛」に係り、その「苦痛の」が「実態」に係って、それと「軽減策」が並ぶんだよ、おそらくね。

006311009……

001177「裁判員裁判における裁判員」と続くんじゃない。そして「話せない」の主語はおそらく裁判員。突然の「軽減策」、これは何を軽減するのでしょうねぇ。

006311009副題の「親族間の刑事事件の特色を生かした社会的対策」がもっとわからないっす。

1-e1397901276348ごめん、こりゃインコにもわからん。「親族間の刑事事件の特色」も「特色を生かした社会的対策」も何を言いたいのか。出来の悪い卒論のタイトルみたいだ。

001177まずは「研究」の結果を楽しみにしましょうよ。

1-e1397901276348そう。おもしろいのはこの団体が、研究の資料に使うんだと言って、昨年12月に「裁判員体験者に対するアンケート調査」の実施を発表したということさ。

001177アンケート調査と言えば、裁判所が裁判員裁判の終了直後に裁判員経験者に書かせるアンケート結果がありますね。最高裁が2012年12月に発表した「裁判員裁判実施状況の検証報告書」中にはそのことに関する報告があります。アンケートは2万1000通に達したと。そして「よい経験と感じた」という意見が95.4%を占めているとも書かれています。

1-e1397901276348この「裁判員滅法大好評」論はその後最高裁や推進勢力の間で常に引用され、彼らの守り神みたいな存在になったが、そのあほくさいリアリティー欠如は笑い話のネタとしてもあちこちで使われた。

001177で、ネットワークに話を戻しましょう。代表の牧野弁護士は、『週刊法律新聞』(15年1月9日)に次のように書いています。「急性ストレス障害裁判員の国賠訴訟で、地裁は急性ストレス障害と裁判員の職務の因果関係を認めるという注目すべき判決を言い渡した。この訴訟提起は裁判所に衝撃を与えたようで、裁判所は『残酷な証拠の制限』『選任時の説明』『審理中の配慮』など一定の改善に踏み切った。」

1-e1397901276348だからこのアンケート調査は時宜を得た取り組みだという。ということは、最高裁の2万人調査は実情を正確に把握していないという立場に立つのだろうか。

001177「最高裁のアンケートも網羅的な質問表に過ぎず、こころの負担に重点をおくアンケートにはなっていない」とか「審理直後は高揚して充実感があるが、次第に重い心の負担を感じ(るようになっ)た例もある」などのコメントがあります。

1-e1397901276348最高裁のアンケートはこの団体からも高く評価されていないようにうかがえます。それにしても「審理直後は高揚している」は傑作。本当は裁判所の職員が監視しているところで書かせてるんですけどね。

006311000下手なことを書いたら日当に響くんじゃないかとか思ったりして…。

001177「身内」からの異論も出るでしょう。なんてったって「怒濤の感動」と言われて、そうかそうかとついて行く方がおかしいですもの。今年1月末を回答期限にして、2~3月に研究、そして4月頃に公開シンポで発表という段取りだと言われてましたけど。

1-e1397901276348さて、春も3月になった。結果はどうなったか。

0063110002万人の半分ぐらいの回答があったのですか。

1-e1397901276348それがまったくうまくいっていない。反応がひどく悪い。1月末の締め切りは早々と延期。3月はじめに3月末日にまた延ばしたけれど、果たしてどうなるものやら。公開シンポは4月19日、タイトルは「裁判員の体験とこころのケア」とされているが、「アンケート結果に基づく研究報告」はできるのだろうか。出来の悪い卒論風にならないことを祈ろう。

001181さて、この不評、あら失礼、「反響の低さ」は何を意味するのでしょう。すばらしい体験で満足しきっているのに、「こころは傷ついてないか」などと気色の悪い質問をするなとご不満なのでしょうか。

1-e1397901276348それはないよ。実際を言えば、「思い出したくもない」「聞かれるだけでも傷は深くなる」「もうやめてほしい」「わずらわしい」というような思いがほとんどの裁判員経験者の心境と思うな。ネットワークの人たちはそのことが分かっていない。

001177ネットワークの皆さんが裁判員経験者のことを気遣われる思いは多としましょう。でもそのご心配はずれまくりの善意です。85%の市民がやりたくないと言っているこの制度をなんとしてもやり抜こうとすれば、「こころの傷は覚悟」というのが裁判所のホンネです。それは福島地裁がAさんの請求を棄却したことですべてが明らかです。

1-e1397901276348こころを傷つけなければ裁判が傷つきます。残酷な写真もそれが真実。写真を見ないで判決を出してよいことになれば、今度は裁判の方が崩壊します。

006311000いや、もう崩壊しかかっています。あちら立てればこちらが立たずです。

001177マネ:もう騒乱状態ですね。そう沖のカモメに潮どきを聞く時がきたのですよ、はっきり言って。

1-e1397901276348インコ:無理無理ヘンなことを考え出すより、「みんなが嫌がることはやらせないことにすればこころは傷つかない」という単純な結論に到達した方がいいってこと。

やーれん節

やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん128740
いつ廃止にするかと インコに問えば
わたしゃいますぐ 猶予はならぬ チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ

やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん128741
廃止のインコに 潮どき問えば
いますぐ廃止と 最高裁にいえ チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ

やーれん そーとも そーとも やーれん やーれん128740
度胸試しなら 死体の写真
どんと衝撃で PTSD チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ

やーれん そーとも そーとも やーれん やーれんj“úƒoƒ“ƒUƒC
困る最高裁 インコの唄で
暗黒司法に 光がさすよ チョイ
ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ
ア ドッコイショ ドッコイショ

 

投稿:2015年3月20日

『朝日新聞』は結局最高裁の広報紙か

                                                                  名古屋の弁護士

 昨年7月に投稿させていただいた名古屋の弁護士です。掲載基準が厳しいのかもしれませんが、また投稿させていただきます。よろしくお願いします。

 1-e1397901276348インコご挨拶  いえいえ、決して厳しくありません。ふるってご意見をお寄せ下さい。
…………………………………………………………………………………………………………

 『朝日新聞』は、裁判員死刑判決を否定した高裁判決を是認した最高裁の決定について、「覆った死刑と裁判員制度」という特集をオピニオン欄で組んだ(「耕論」2月21日)。裁判員制度に対する同紙自身のオピニオン(見識)について、私の感想を述べたい。

 特集をお読みにならなかった方のために要旨を紹介しておこう。インタビューに答えて意見を述べているのは、元裁判官の法科大学院教授平良木登規男氏と弁護士の織田信夫氏と裁判員経験者の田口真義氏の3人である。

 平良木登規男氏は42年生まれ。裁判員制度を作ることに関わった方。表題は「いずれ国民の総意に沿う」。氏は言う。「死刑の適用は慎重を期すべきで最高裁決定は妥当である。1人殺害は死刑回避が妥当というルールも長い間には変わるかも知れず、いずれ国民の総意にそった形になってゆくだろう。私としては初めは比較的軽い犯罪を担当させ徐々に重罪に進むべきと思っていた。これからは何らかの選抜が要るのではないか」。

 織田信夫氏は33年生まれ。元裁判官だが早くに退官されている。「刑罰の公平性保つべきだ」のタイトル。裁判を経験して国家賠償請求を起こした元裁判員の代理人をされ、裁判員制度には強い反対意見を持つ。「刑罰の公平性、公正さを保つ最高裁の判断は正しい。議論が混乱したのは『司法への国民参加で国民の健全な社会常識が反映される』などという制度のイメージがメディアを通じて広がったためだ。裁判員法1条には『司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上に資する』とあるだけなのに。感覚と感情を根拠にする裁判員は重罪に傾く。国民には司法権の行使者としての正統性もない」。

 田口真義氏は76年生まれ。裁判員を経験した不動産業者。表題は「情報公開し是非の議論を」。裁判員の交流団体のまとめ役を務めているという。「最高裁判決への疑問に違和感がある。冷静に受け止めるべき。執行の実情や死刑囚の状況などの情報が公開されていない。死刑にしたくて下した判断ではないのに実情を知らないまま選択せざるを得ないのは恐ろしい。量刑判断は酷という意見があるが、裁判員は量刑を判断することで被告人のその後に思いをはせられる。死刑を言い渡した裁判員にはどうあれ苦悶が残る。もっと情報公開を進め、死刑とは何かということに市民は目を向けるべきだと思う」。

 データが紹介されている。裁判員のメンタルヘルスサポート窓口に入った相談の約3割が「話を聞いてほしい」、約3割が「メンタル症状が出ている」、2割近くが「不安へのアドバイスを求める」。強盗強姦罪と傷害致死罪の量刑分布は、ともに裁判官裁判より裁判員裁判の方が重刑に傾斜している。求刑を上回る判決は裁判員裁判が裁判官裁判の10倍に達する。以上が特集の概要である。正確に紹介したつもりだが、まとめが不適切ならお詫びする。

 私の感想を一言で言うと、各氏のご主張に対する感想以前の問題として、『朝日新聞』はいつから最高裁の広報紙になったのかという驚きだ。いや、もともと最高裁の広報紙なのだという意見も聞いた。死刑廃止に熱心な新聞なので、死刑が無期になったことを喜んでいるだけなのじゃないかという見方もあるらしい。基本 CMYK

 私にはそのあたりはよくわからないが、裁判員裁判の死刑判決をひっくり返したのは妥当だったという言葉を3人の論者にそろって同じように主張させた。この見識を広めたいという編集者の強い姿勢を感じさせる。中正・公正のバランスをとるに気を遣ってみせる『朝日』風を投げ打っているように思える。

 しかし、「死刑の適用は慎重を期すべきで最高裁決定は妥当」という平木氏も、「冷静に受け止めるべき」という田口氏も問題に正面から答えていない(特に、「死刑にしたくて下した判断ではないのに実情を知らないまま選択せざるを得ないのは恐ろしい」という田口氏の言は何を言っているのかまったくわからない)。

 裁判員裁判に参加した3人のプロの裁判官は裁判員たちを相手に、「死刑の適用は慎重を期すべきだ」とそれなりに説得したはずだ。しかし、おそらくはそれにもかかわらず裁判員たちは死刑を選択したのだろう。「裁判員裁判という新しい制度を採用したからにはこれまでとは考え方を変えてもよいはずだ」と言った裁判員もいたに違いない。

 最高裁の判断に疑問を持つのはおかしいという田口氏は何を言いたいのだろうか。氏自身が見聞きした裁判員の訴えの中に冷静さを欠く意見が多かったのか。それともこの国の司法は三審制を採用している以上当然だというただそれだけの話なのか。

 この種の物の言い方は今回の問題の説明にまったくなっていないと思う。三審制は中高生程度の司法知識があれば誰でも知っていることだ。裁判員制度の後に三審制が登場した訳でもない。一審の判断が控訴審や上級審でひっくり変えることがあることくらい誰でも知っている。基本 CMYK

 問題は裁判員裁判になって市民の意見に重きを置くことになったというので、これまでの司法の考え方がそれなりに変わるのではないかという「市民感覚」が生まれているということだ。死刑は慎重にとか三審制だからと言っただけではそういう見方に対する答えにはならない。

 答えにならないことを言われると、問題がわかっていないのか意識的にそらしているのかという疑いの目でみたくなる。そう考えると、「司法への国民参加で国民の健全な社会常識が反映される」などという制度のイメージがメディアを通じて広がったために議論が混乱したという織田氏の説明は私を納得させる。国民参加という新事態がこれまでの判断基準をどう変えるかがわからないために、そんなはずじゃなかったというような意見もあちこちから出てくるのだろう。

 「市民参加」になるとこれまでの考え方がどう変わるのか、変わってゆくのか。最高裁は一般の市民を理解させる説明を何もしていない。今回の最高裁決定の理由をいくら読んでも、裁判長の補足意見をいくら読んでも、その点は私には少しも理解できなかった。

 データを見るまでもなく、現実の市民参加裁判の特徴は明らかな重罰化だ。それが目的だったのか結果論なのかははっきりしないが、制度導入時から重罰化が進むだろうという声があったのは紛れもない事実だ。しかし、『朝日新聞』は官僚裁判官の弊害を市民裁判官によって正すというような論陣を張り、市民参加の重要性をメディアの先頭に立って大宣伝した。

 その『朝日』が、「過去の裁判例をもとに、死刑を選択する際に考慮されるべき要素を検討し、評議ではその検討結果を共通の認識として議論しなければならない」などという最高裁の決定に、何一つ異論も唱えず、「市民感覚を法廷に持ち込みさえすればいいという制度ではない」とか、「今後どう向き合うか、裁判官と裁判員が議論を続けていくしかない」などとまるでそらとぼけたような言説を展開している(2月6日「社説」)。

 『朝日』は、市民感覚を大事にするというような物の言い方をすました顔でどこかにしまい込み、今や名実ともに最高裁の広報メディアになりきったということなのだろうか。

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投稿:2015年3月16日

すべての悩みの解決策はやっぱり制度の廃止

カレンダー・6月裁判員裁判の判決が上級審で否定された事件の報道が続くなど、裁判員裁判をめぐる「識者」や市民の声がメディアに登場することがこれまでになく多くなった。そのなかからいくつかの声を取り上げ、鸚鵡大学にはぐくまれたインコの視点で論評させていただく。
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「強姦裁判の刑 あまりに軽い」埼玉県伊奈町
自営業 田路一さん(51) 。『東京新聞』(14年12月26日)。
被害者女性5人の事件で裁判所は求刑懲役30年を切り下げ23年にした。30年でも軽すぎると思った。判決理由に「動機に酌むべきものがない」とあるのにどうして7年も軽くしたのか。裁判員制度は裁判官と国民感覚の乖離解消を目的の1つとした制度だというのに、国民感覚とズレている。

騙し騙され、落ち行く先は
そうねぇ。強姦が成立するのなら(有罪を前提に言うのなら)「動機に酌むべきものがない」のは当然でしょう。同情の余地がある強姦の動機なんてあるりません。求刑を下回る判決を言い渡す時はに何の理由も言わずに求刑を切り下げることは普通ありません。この判決を報道したメディアがその部分を落とした可能性が高いとインコは思います。

 また、裁判関係者が関心を寄せるのは「動機」だけではないということをぜひ考えていただきたいと思います。被告人の反省の態度、なぜこのような事件を起こすことになったのかという背景事情、重い判決が被告人の周囲の人たちに及ぼす影響などなど、様々な要素を総合的に考慮して被告人の責任の程度が決まり、量刑が決まるのです。

 国民の感覚を反映させていないという田路さんのご意見。あなたは根っからの善人です。失礼ながらあなたは国民感覚の反映なんていう最高裁と政府の飾り言葉に簡単に騙されたってことです。中原中也風に言えば「騙されちまった悲しみに今日も難儀が降りかかる」です。

 ウソだと思ったら裁判員制度の目的が書かれてある裁判員法第1条をみてご覧なさい。「司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上に資する」って書いてあるだけでしょ。国民の感覚の反映なんてどこに書いてありますか。131308
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「裁判員選任について思うこと」法律事務職員
髙橋季里さん(36)。『週間金曜日』(15年2月20日)。
強制わいせつ事件の裁判員候補者として出かけたが、女性は1人も選ばれなかった。市民の経験や常識に照らして事件を審理するのが裁判員裁判なら、女性を遠ざけるのは弱者の視点を損なうことにもつながりかねない。性犯罪事件は裁判員に性別に大きな偏りが生じないようにできないか。

質問です
性犯罪事件の裁判員から女性を外すと女性偏見の裁判になるのではないかと疑っている髙橋さんに、こちらから少し質問させて下さい。

 質問1。お気持ちはまるきりわからないではありませんが、しかしそうすると裁判官の場合はどうですかね。裁判官全員が男性というのは少しも珍しくありませんぞ。裁判官なら男でも弱者の視点を堅持していると言えますか。あなたの疑惑は男性市民裁判官(=男性裁判員)に限っての話だとすると、それはどうしてでしょうか。市民の経験や常識を大切にしたいとおっしゃるあなた自身の中に市民不信の思いや職業裁判官信奉の思いが潜んではいませんか。

 質問2。 あなたはほとんどの市民が裁判員をやりたくないと言っている今日、珍しくも裁判員をやってもよいと決断されたお方のようです。どうしてそのように思われたのでしょうか。一般の市民より裁判員裁判のことを考えたり話題にしたりすることが多い(であろう)職場にいらっしゃることを考えると、細かい制度運用の話の前に、そもそもこの制度自体がおかしいのではないかという「根本」のところをお考えになったり、周囲の皆さんとの間で話されることはないのでしょうか。身近に山ほど素材があって、一般の方以上に実り多い論議になるようにも思うのですが。基本 CMYK
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「市民感覚 万能ではない」神奈川県寒川町会議員
中川登志男さん(40)。『東京新聞』(15年2月14日)。

 最高裁の決定を支持する。市民感覚は必ずしも妥当性を持たない。刑事司法への市民感覚の反映は量刑判断の場面でなされるべきではない。市民参加の原点は検察立証に無批判な傾向を持つ職業裁判官の在り方を正すことにあったはずだ。それにこの国の裁判は三審制だ。裁判員裁判に拘束されるのなら三審制は有名無実化する。少数意見は反市民感覚と言われかねないし、多くの人は自分の感覚こそが市民感覚だと思っているだろう。市民感覚は意外に曖昧な概念だ。

あなたのご意見は制度廃止論そのものです
市民感覚は時に妥当性を持たない、少数意見は反市民感覚と言われかねないというあなたのご意見に完全に賛同します。陪審制にお詳しい方とお見受けしますが、おおせのとおり市民感覚は特に量刑判断で暴走することが多いとインコも思います。

 中川さんは、市民参加の原点は検察立証に無批判な傾向を持つ職業裁判官の在り方を正すことにあったはずだとおっしゃいます。そこには大きな誤解があります。それを言ったのはマスコミや日弁連や革新政党などで、最高裁や政府は決してそうは言っていませんでした。

 しかし、最高裁や政府の悪らつさはここに始まります。彼らはしめしめと下を向いて笑い、マスコミや日弁連や革新政党などが国民主権の司法制度と褒めそやし、私たちの時代が来たと言いはやすのを放置し、「それは違う」などとくってかかることもたしなめることもしませんでしたね。「好都合だ、そう思わせておけ」ということだったのです。

 ここから悲劇的で喜劇的な歴史が展開します。制度の本当の姿がだんだん国民の前に明らかになってきました。特に最近の裁判に特徴的です。その結果、そんな話じゃなかったはずだという声が国民から起こされてしまいました。誤解と正解の衝突です。今になってその付けが致命的な形で回ってきたのです。

 はぐらかされ放り出されたマスコミも、自分たちの居場所がはっきりしなくなった日弁連や革新政党も、この事態にどうつじつまを合わせようかと必死です。「残されて戸惑う者たちは、追いかけて焦がれて泣き狂って」います。

 インコは勉強家の中川さんにお伝えしたい。「最高裁の決定を支持する」のではなく、「最高裁の手の込んだ悪さ」を実感したと言って下さい。そう、わかれうたを唄う時がとうとう来たのですよ。093212
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「量刑相場」コラム「水や空」
執筆者(智)さん。
『長崎新聞』(15年2月9日)。
量刑相場という言葉には実務家の「慣れ」「軽さ」を感じる。そのような「慣れ」を戒めるためにも刑事裁判に市民感覚を取り入れるということだったのでは。市民感覚補正の動きが上級審で相次ぎ、裁判員経験者の苦悩やストレスが種々指摘されている。くじで当たったばかりに突然裁判員裁判に関与させられ、悩み抜いた結論が上級審で重すぎるとか間違いだとか言われる。相場の変動は制度導入時から想定していなければならなかったことだ。許容範囲を超えるというのなら不完全な制度を見直すべきだろう。

さて、どうするか
「相場」は守るものか、変えてゆくものか。今回の最高裁判決で裁判長を務めた千葉勝美裁判官は、自ら補足意見を書き、その中で次のように言っています。「国民の良識を反映させる趣旨で裁判員裁判が導入されたのに、職業裁判官の判断だけで変更されるのであれば、制度を導入した意味がないとの批判もあり得る」「ただ制度は、裁判員裁判であっても常に正当で誤りがないものとはしておらず、事実誤認や量刑不当があれば職業裁判官だけの裁判で破棄することを認めている」「裁判官と裁判員は、過去の裁判例で示された『量刑判断の本質』を共通認識として評議を進めなければならない」。

 ひっくり返してもよいという決まりがある、先例を裁判官と市民が一緒に勉強して評議すればよい、と言ってる訳です。国民に対する弁明と開き直りのメッセージとインコは読みました。これで済むんだから(済ませちゃうんだから)、最高裁の裁判官なんてラクなもんよ。

 私はラクをせず、きちんとコメントします。最高裁は、この制度が国民の良識を反映させる趣旨で導入されたものだというところまでは認めているようです。つまり、これまでの裁判には「国民の良識が十分反映されていなかった」ことは認めると言っている(ようなもんな)のです。

 でも、この制度を作る過程では、裁判長は裁判員参加は一審だけという結論に固執し、高裁や最高裁の裁判への市民参加論は一蹴していました。最高裁は、「国民の良識の反映」の百倍の重みで、国民の司法教育という観点を重視していたのです。

 さて、「水や空」の(智)さんと一緒に考えたいと思います。不完全な制度を見直すというのはつまりどうすることでしょうか。私たちの眼前には、2つの道があります。1つは「高裁や最高裁にも市民を入れて市民の良識を反映させる」という路線です。もう1つは「くじで当たったばかりに突然裁判員裁判に関与させられ、悩み抜いた結論が上級審で重すぎるとか間違いだとか言われる」ような制度なんかやめてしまえという路線です。

 最高裁も政府も、高裁や最高裁の審理に市民を加えることを絶対に認めません。なにしろ、この国の司法は職業裁判官の手によって長年にわたり正しい道を歩み続けてきたというのが不抜の司法観なのですから。話がここに来ると本音と飾り言葉のガチンコ勝負になります。衣の下から鎧が見えても、彼らは絶対にここは引かないのですね。

 で、結論はですって? (智)さん、戸惑うのも泣き狂うのもやめましょ。この制度のこれからって言えば、もう廃止しかありません。そうすれば国民は無用で有害な苦悩から解放されます。そう、江戸の誤りは長崎でこてんぱんに叩きましょうよ。

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投稿:2015年3月12日

三鷹ストーカー高裁判決が示す制度の末路

001177前回の話を論じたのに続いて考えたいのが三鷹ストーカー殺人事件の高裁判決です。これは2013年に私立高校3年の女子生徒(当時18歳)が元カレに刺し殺された事件。一審東京地裁立川支部の裁判員裁判は懲役22年を言い渡していました。しかし、東京高裁は、今年2月6日、一審判決を破棄して審理をやり直させる差し戻し判決を言い渡したのです。

0249090うむ。最高裁の死刑否定判決の3日後だね。2つの裁判がほぼ同時に出たことの意味はとても大きい。前のテーマのおさらいをかねて今度はこの判決を考えることにしよう。

001177事件を簡単に言うと、交際相手だった女子生徒に恨みを抱いた被告人が、女子生徒の自宅に侵入してクローゼットの中に隠れ、帰宅した女子生徒を襲い、女子生徒宅の敷地内や路上で彼女の頸部をナイフで刺すなどして殺害したというものです。

1-e1397901276348一審裁判員裁判の判決は、かつて被告人が撮影していた女子生徒の画像や動画を被告人自身が今回の犯行後にネット公開したことを重視、「被害者の生命を奪うのみでは飽きたらず、名誉をも傷つけたことは極めて卑劣。殺害行為に密接に関連する」と判示していました。そう、求刑は無期懲役でした。

001177高裁判決はネット公開が名誉を傷つけたと言った一審判決にかみつきました。画像投稿は名誉毀損として起訴されていない。それなのに起訴された事件のように扱ったのはダメだと。高裁はあらためて適正な裁判員裁判を行い量刑も再検討すべきとして審理を東京地裁立川支部に差し戻す判決を言い渡しました。

006311000検察は控訴審判決に対する上告を断念。さすが賢察。

1-e1397901276348ということで、地裁は裁判員裁判をやり直さなければならなくなったってわけだ。裁判員は選び直される。

0249091検察は、被告人のリベンジポルノを名誉毀損の罪で起訴するかしないか詳細に検討して不起訴の結論を出していた。

006311000なぜそう言い切れるのですか?

0249091起訴すべしという判断になっていたら当然起訴していたはずなのに、名誉毀損の起訴をしていないからだ。説明しておこう。死者に対する名誉毀損は、その事実が客観的に虚偽の時しか成立しない(刑法230条2項)。つまりウソを言っておとしめたのでない限り死者に対する名誉毀損は成立しないのだよ。

001177しかし、一審審理の中では被告人の画像投稿が大きく取り上げられました。ネット投稿の影響を調査した警察官の証人尋問なども実施されましたし。

1-e1397901276348高裁は、「一審の審理は情状として考慮できる範囲を超えており、実質的にこれも処罰するかのような刑を裁定した疑いがある」と判断した。そのような訴訟経過を辿ったのは、一審の公判前整理の段階で、つまり裁判員が参加する前の段階で、そのような審理方針ががっちり固められていたからだ。

001177公判前整理の中で検察官はリベンジポルノを量刑事情として強調し、裁判所は検察の主張を受け入れていました。また裁判所は、審理が始まった時点で被告人の投稿画像を被告人の情状判断の検討対象にする姿勢を取りました。裁判所が判決の中で「被害者の名誉をも傷つけたことは極めて卑劣。殺害行為に密接に関連する」と何の断りもなく明言していることがその経緯を雄弁に物語っています。

1-e1397901276348それだけじゃないありません。東京高検の堺徹という次席検事はこの高裁判決について、「予想外の判決に驚いている」という談話を出しました。不起訴事件を量刑事情にして裁判所に登場させるのは当たり前の手法と考えているようです。痩せても枯れても高検トップの東京高検。そこで2番目に偉い人がそう言っているのだから、そうに違いないでしょう。

0249091起訴されていない犯罪を起訴されているように扱ってはいけないというのは法律家にとっては常識以前の常識。だが、悪しき情状として扱うのならそんなに厳格に抑制しなくてもよいという考え方もこの世界にはある。厳格に考えなければいけないケースとそれほど気にしなくてもよいケースの境界線がどこに引かれているのかは、法律家にもそれほど簡単にわからない。

006311000裁判員にはその境界線はもっともっとわからないです。

0249091一審裁判員裁判の評議の場でどういう会話が交わされたのか、交わされることもなかったのか、実情は霧の中だが、刑法と刑事訴訟法と裁判員法でメシを食っている、失礼、これでご飯を食べている裁判官3人から堂々と「これでいいのです」と言われれば、異を唱える裁判員などいる訳もなかろう。

1-e1397901276348「裁判員は誰でもできる。難しくない」。制度開始の時期に、最高裁も法務省も、このことを言って言って言いまくりましたよね。そのウソがこういう裁判で決定的に暴露されているってことです。「誰でもできる簡単なこと」と言えば、目の前の被告人が悪い奴風かそれほど悪い奴じゃなさそうかという程度の勘と印象だけ。そして一般の市民は、最高裁や法務省が「勘裁判」「印象裁判」でよいと言っていると百%理解した。

001177実際、最高裁が「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」と一緒に送ってくる制度説明のマンガ本『よくわかる! 裁判員制度Q&A』には、「裁判員は事実があったかなかったか どのような刑にすべきかを判断していただきます」「それらの判断に通常法律の知識は必要ありませんし 必要なことは裁判官がきちんと説明しますよ」という言葉が載っていますからね。

0249091今回の高裁判決は、刑事裁判の判断の難しさを全国民に説明した上、すべての刑事裁判官と検察官に裁判をもっとちゃんとやれと説教するものだった。だが、いくらちゃんとやれと言われても、現場の裁判官にも検察官にも判断の確かな基準がわからないのだ。

006311009素人にはもっとわかりません。

0249091前回の「死刑」破棄の2事件で考えよう。過去の妻殺害と今回の店長殺害は関連が薄いと最高裁は言うが、関連の濃淡の基準は何か、そもそも「関連が薄い」とはどういうことか。女子大生殺害の前後に犯した強盗強姦は人の命を奪うものではないと最高裁は言うが、殺人の悪らつさと強盗強姦を複数回行うことの悪らつさの軽重は何を基準に考えるのか。

006311009本当にわかりにくいですね。

0249091それだけじゃない。最高裁は集積された共通知識に依拠せよと言うが、過去の経験を乗り越えるものとして「市民感覚」というあらたな基準が採用されたのではなかったのかという大問題がある。

1-e1397901276348だいたい最高裁自身、2012年2月の判決で、「よほど不合理ではない限り裁判員の出した結論を尊重すべきだ」と言ったではないですか。つまり認定の幅をぐっと広げたはずです。その最高裁が「過去の裁判例の中にあるいわば『量刑判断の本質』を共通認識として評議を進めることだ」(千葉勝美裁判長の補足意見)などと言っている。

001178まね0これじゃあ現場は右往左往ですね。

むふふなんじゃもんじゃ。どうすりゃいいのさ思案橋。下手の長考休むに似たり。これが本当の思案六法だぁー。

0249091プロの法律家たちも基準がわからなくなっている。最高裁から裁判員裁判の現場まで、刑事裁判の世界は完全に混乱状態に陥った。この混乱の近未来を予言しよう。間違いなく「裁判員を拒絶する市民」だけじゃなく、「裁判員裁判を拒絶する裁判官」が生まれることになるだろうよ。 

006311000ところで先輩。思案六法っていうのは、六法全書を前にして僕らが思案しているって意味ですか?

お茶いやいや、これはね、「おいちょかぶ」という博戯に出てくる言葉さ。花札やトランプでやるゲームでバカラやブラックジャックに似ていて(…中略…)配られた2枚か3枚の札の合計の一の位がカブ(9)に近いほど勝ち。3以下ならもう1枚引かなければならないから「サンタに止めなし」。7以上ならもう引いちゃダメで「ナキナキ勝負」。2枚目が6だったらもう一枚要求するかこのまま勝負するか迷うから「思案六法。下手の長考休むに似たり」ってからかわれた、これが語源さ。もちろん1や9でも5や6の振りをして悩んでみせることもあるよ。駆け引きだからね、

0063110005はセオリー通りだともう1枚引くんですよね。

1-e1397901276348それがね、「ゴケ勝負」と言って、即決で2枚で良いと。すると親、胴元は「これは8か9だな」と思って、弱気になったりもう1枚引いて自滅したりすることもある。

006311009まさに寺田長官の状態! コケ勝負。どう廃止すべきか、それとももう1枚有効な手立てがないかってところを思案六法中。

むふふでも 国民の8割以上はこんな博戯からとっくに下りてるけどね。

焦る(呆れ声)先生、インコさんのうんちくたれは博戯にまで及んでいるんですね。

 0249090うーむ。あの熱意を少しは勉学に向けてくれたらなあ…。

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投稿:2015年3月10日

重罰裁判員を蹴っとばして最高裁はどこにとんでゆく

にゃんこ先生が海外出張から戻り、
これでトピックス再開と活気づく鸚哥大学研究室です・・・

001177にゃんこ先生が1カ月以上、ご不在の間に裁判員制度をめぐる情勢は大きく動きました。

1-e1397901276348そうです、そうです。今年2月には裁判員裁判が出した死刑判決を最高裁が否定しました。そのニュースでメディアは大騒ぎ。特に新聞各紙は政治面、社会面、解説、社説と、各頁がこの話で埋まったんです。

0249090私がいない間にどうしてそのニュースを深掘りしてアップしなかったのかね。君たちにできないことじゃないだろうに。

へ?まあその~それはですね。あの~その~。

読書うさぎ鳥会えず、各紙の見出しを紹介します。「裁判員の『死刑』破棄確定へ。最高裁、無期判決を支持。死刑判断の『公平』重視。『裁判員裁判 何のため』」、これは『朝日』。「裁判員死刑判決 破棄確定へ 最高裁決定 過去の量刑重視」、これは『読売』です。「裁判員『死刑』破棄確定へ。最高裁 2事件『無期』。裁判員の『死刑』破棄 『市民参加 何のため』、『涙も出ない』遺族、強い憤り」というのは『毎日』。みんな2月5日の朝刊。

1-e1397901276348(フゥー)こちら社説です。翌6日の『朝日』のタイトルは「裁判員と死刑 市民参加の責任と意義」と。翌々日7日の『読売』は「最高裁死刑破棄 裁判員に公平と慎重さ求めた」。「責任と意義」?「公平と慎重さ」? どちらも社の主張はまるで見えない。何を言いたいのかさっぱりわからない…。

0249090まぁ、ゆっくり読ませて貰おう。

001177では、問題の事件と裁判を雑ぱくながら紹介させていただきます。1つは東京・南青山の飲食店店長を殺害し、強盗殺人罪などの刑事責任が問題になった事件。もう1つは千葉・松戸で女子大学生を殺害し、やはり強盗殺人罪などに問われた事件。両方とも被害者は1人。東京高裁はこの千葉と東京の一審死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡し、検察が高裁判決を不服として最高裁に上告していたのです。
どちらも一審裁判員裁判が死刑を言い渡し、東京高裁がこれを無期懲役に変更。この2つの高裁判決について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は2月3日、高裁判決のとおりでよいという決定を出した。最高裁は判断を判決で言い渡す場合と決定で言い渡す場合があり、今回は後者です。

1-e1397901276348「裁判員裁判であっても先例から外れた判断をすることは認められない」と言い切る最高裁の決定に、制度推進に走ったメディアは狼狽を隠せないです。『朝日』社説は「市民が悩み抜いた末の死刑判決がプロの裁判官に覆されることは、関係者ならずとも複雑な思いを抱くかもしれない。何のための市民参加なのか、と」と来ました。複雑な思いを抱いたのはほかでもない『朝日』さんじゃないのかいとインコは言いたい。

001181『読売』社説は「事件と裁判の説明に徹したが、『国民の視点や社会常識を判決に反映させることが、裁判員制度の趣旨だ。最高裁も過去の判決で、裁判員の判断を尊重すべきだとの見解を示している』と指摘。また、「無論、極刑を選択せざるを得ない事件はある。…凶悪犯罪を抑止するためにも、酌量の余地のないケースでは、毅然とした対処が必要である」と注文を付けることを忘れなかった。これで本当によいのかといかにも悔しそう。

0249091最高裁は、決定の中で、基本的な考え方として、「過去の裁判例を検討して得られた共通認識を議論の出発点にすべきであり、その原則は裁判官裁判と裁判員裁判とで変わるものではない」と言っているね。「過去の裁判例による共通認識」というのは、明治以来の刑事裁判を通して作り上げられた常識ということ、つまり裁判官の伝統的判断ということになる。

1-e1397901276348店長殺害事件については、被告人には以前に妻子2人を殺害して服役した経歴があるが、無理心中を図った前科の事件と今回の事件は関連が薄く、前科を重視し過ぎた一審判決は量刑が不当と断定しました。

001178まね0また、後者の事件については、殺害に計画性がなく、今回の事件に前後して起こした強盗強姦事件などは人の命を奪おうとした犯行ではないから、これを理由に死刑を選択するのは困難と言い切りました。

006311000要するに、「被害者1人は原則無期」という伝統墨守の大号令ですね。

0249091さてさて、「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」のキャッチコピーを思い起こそう。「市民感覚の裁判」を売りにした裁判員制度だったはずだ。それがメディアや弁護士会を引きつける格好の材料に使われた。それはたいそうな撒き餌だった。

001178まね0ところが、この間、どんどん「ひどい奴には重い刑を」「被害者が一人でも死刑でいい」「求刑を超える判決を」「私たちの声こそ天の声」っていうことになってきました。そして現場の裁判官たちの中には時流に乗ってその勢いに調子を合わせる連中がけっこう出てきましたし。

1-e1397901276348それはそうですよね。裁判長が「それは違います」と言えば、たいていの裁判員はそれで静かに黙るのに、裁判長がそれを言わないんだから。

001177説教垂れやゲーセン気分などのごく少ない市民しか裁判所に出てこなくなる一方、「私はやりたくない」と言って出頭を拒絶するフツーの市民がめっぽう増えました。「市民」の大分裂です。

006311009そして制度は破綻のステージに突入した…。

0249091元を言えば、裁判員制度は「衣の下の鎧」だったのだ。飾りと本体の関係と言ってもよい。裁判員制度の立案者は、「この制度でこの国の司法の正統性を国民に学習してもらう」と言っていたくらいだからね。

1-e1397901276348つまり、「アンタの好きなようにやっていいよ」なんて本当は一度も言ってなかったってことです。

0249091にゃんこ先生:今回の最高裁決定の半分は本音。だが半分は「最高裁はまともな市民を求めています」というメッセージだ。最高裁がまともになったのではない、自身が国民から見放されていることを自覚し、言い換えると国民から見放されていることを認めない訳にいかなくなり、少しばかり衣替えをして国民のご機嫌をうかがっている、という図だ。

1-e1397901276348「死刑は究極の刑罰だから公平性の確保も大事」だって? 「死刑に処すべき具体的、説得的な根拠に欠ける」だって? カッコいいじゃん。でも、これでみんなは最高裁に惚れ直すかなぁ。裁判員やってもなんて考え直すかなぁ。

001177とてもそうは思えないわね。そりゃ無理筋ってものよ。

むふふますます、裁判員なんてやりたくなくなるだけでしょ。みんなイヤになっちゃうだけでしょ。辛くも残っていた厳罰大好き裁判員たちまで裁判所におさらばし始めたら、もう救いようがないんだよ寺田クン、てことですね。

0249091まっ、そういうことだ。現在の状況を一言で言えば次のようになる。一般の市民は、最高裁の言葉でますます裁判員裁判をやりたくなくなる。現場の裁判官は、ダメだダメだと最高裁から叱られてますますやる気を失う。

1-e1397901276348ホントにそうですね。実にすっきりしたお話です。

0249090よし、そう言ってくれたなら、君たちにもすっきりと一言言おう。

1234i(嬉しそうに)何でしょう。

0249090イヤ、簡単な話さ。これくらい君たちでちゃっちゃとまとめてアップできなかったのかねっていうことよ。

へ?うっ!

006311009えーっと。お茶入りました。

お茶そうそう、先生、これどこの国のお菓子です? 美味しそうですねぇ~

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投稿:2015年3月8日

近刊ご案内『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』

トピックスでもお馴染み猪野亨弁護士の共著。

マスコミが伝えない裁判員制度の「不都合な真実」が暴かれる!

『マスコミが伝えない裁判員制度の真相』

猪野 亨:著, 立松 彰:著, 新穂正俊:著, ASKの会:監
発行:花伝社  発売:花伝社
四六判 上製
定価:1,500円+税
 奥付の初版発行年月:2015年02月 書店発売日:2015年03月16日

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本書の紹介文から

マスコミは未だに裁判員制度を絶賛中です。
2001年に出された司法制度改革審議会意見書以降、マスコミは司法「改革」に関しては、批判的精神をかなぐり捨て、旗振り役を担ってきました。
裁判員制度はもとより法科大学院制度も崩壊しました。

 しかし、ダム工事であれば無駄と批判するマスコミは司法「改革」に関しては今なお自省することもなく、裁判員制度を持ち上げ、法科大学院制度を擁護しているのです。
 このような異様なマスコミの報道に関して批判をしたのが本書です。
 是非、ご一読ください。

投稿:2015年3月3日

裁判所の立場は裁判員制度の趣旨にそぐわない? 上野達彦氏の見解

弁護士 猪野 亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」02月27日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

 毎日新聞は、最高裁が裁判員裁判による死刑判決を破棄した高裁判決を支持したことに対し、上野達彦氏の見解を掲載しています。
上野達彦先生の三重つれづれ:裁判員裁判制度 先例主義、排除されたか /三重(毎日新聞2015年2月25日)
批判すべき箇所を掲載します。
 

私は以前、2009年に始まった裁判員裁判について、期待感を持って評価した。幾つかの課題を抱えながらも、市民参加による裁判が関心を引き、市民の信頼を高め、欧米諸国の陪審制度や参審制に並ぶ、新しい形態の司法制度として期待されたからだ。
かつて、著名な刑法学者の故・平野龍一東大教授が裁判員制度導入前の刑事裁判を「絶望的」と評したことはよく知られている。この制度は、司法に対し市民の信頼を失いつつあった、我が国の刑事裁判に新たな息吹を吹き込むという役割も担っていたのだ。
そんな中、考えさせられる事案が最近、2件あった。いずれも強盗殺人事件について、1審の東京地裁と千葉地裁における裁判員裁判で死刑判決が言い渡されたのに対し、東京高裁は2件とも無期懲役に減刑した。新聞報道によれば、先例との比較の中で、死刑の選択はないと判断したという。注目された最高裁の決定も、東京高裁の判決を支持した。
このような裁判所の立場は裁判員制度の趣旨にそぐわないのではないだろうか。
例えば先例主義について検討してみよう。同種の事件と比較し、バランス(公平性)を重視した決定だったが、そもそも裁判員裁判が導入された経緯の中で、先例主義や過去との比較をできるだけ排除し、新しい司法制度を構築することを目指したのではなかったか。そのことが、司法に対する「国民の理解の増進とその信頼の向上」(裁判員法・第1条)に寄与することになるわけで、まさに法の精神である。最高裁は、この精神を育てていく責務があろう。

ここでの趣旨は、要は、最高裁が裁判員裁判の死刑判決を破棄した高裁判決を支持したことに対し、「裁判所の立場は裁判員制度の趣旨にそぐわない」と主張しているのです。
しかし、そうであれば、上野達彦氏の主張は、裁判員が死刑と言ったんだから死刑にしろ、という主張でしかなくなります。
これが刑事法の学者としての発言であれば、極めて残念な見解です。
そもそも死刑判決にバラツキがあってよいということ自体があり得ないのです。
裁判員制度を是とするか非とするかによって異なってはならないのです。
裁判員制度の意義が揺らぐ? だったら死刑にすべきなのか 岡田成司氏の見解

刑事法学者がこの刑事手続きの原点を理解できないのは、何故なのでしょうか。

ところで、この上野氏の主張ですが、前提に平野龍一先生の有名な言葉を引用しています。
「絶望的」の部分です。
しかし、この引用はいくら何でもひどすぎます。
平野龍一先生の言葉として引用されることが多いのですが、これは団藤重光博士古稀祝賀論文集に記載されたものです。(1985年)

わが国の刑事裁判は「調書裁判」である。このような訴訟から脱却する道があるか、おそらく参審か陪審でも採用しない限り、ないかもしれない。わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。

この一文からもわかるとおり、平野先生が指摘されてきたことは刑事訴訟が密室での取り調べによって作成された調書によって有罪が認定されていくことを問題視したのです。
ところが、上野氏は、「裁判員制度導入前の刑事裁判を「絶望的」と評したこと」と裁判員制度の導入と平野先生の「絶望的」を結びつけているのですが、あまりにひどい結びつけ方です。
これでは裁判員制度がその「絶望的」な状態を改善するため、克服するために導入されたかのような文脈ですが、裁判員制度は、そのような経緯で導入されたものではありません。
ましてや、それが裁判員裁判による死刑判決という結論を尊重せよということに、平野先生の「絶望的」が結びつくはずがないのですはっきり言えば、自らの刑事法学者の立場から論ずることを正当化するために平野先生の権威を利用した悪質なすり替えの論法なのです。

それから確認のために述べておきますが、裁判員裁判になってから調書ではなく、「公判中心主義」になったと評する人たちがいます。
明らかなすり替えであり、悪質というべきものです。権力に擦り寄る刑事法学者たちの発想です。平野先生の「絶望的」を歪曲した今回の主張からは、上野氏もその1人ということができます。

従来、公判中心主義は、調書裁判に対比される形で用いられてきました。公判廷において、証人に対し、反対尋問が功を奏し信用性を打ち砕いたとしても、起訴前に作成された供述調書が、突如として刑事訴訟法321条以下の規定によって証拠として出てくる、しかもそれが有罪の証拠として用いられる、これが調書裁判の弊害の意味です。
これに対比する意味において、調書ではなく、公判廷で取り調べた内容こそ重視すべきだ、これが従来言われていた公判中心主義です。

ところが裁判員裁判が始まってからは、調書ではなく、それを被告人質問とか証人尋問で行うよう裁判所から「指導」が入るようになります。
それは、調書の朗読(裁判員裁判でなければ、要旨の告知のみ)では、裁判員がわかりづらい、だから証人尋問や被告人質問の形でやれというわけです。
この「公判中心主義」が従来、言われていたものとは全く異なります。
従来であれば、内容に争いがなければ、証人については調書で済ませていたわけです。しかし、裁判員裁判のために証人に敢えて出頭を要請するのです。
これらはすべて裁判員のためです。証人も迷惑この上ない話です。

このような裁判員裁判を平野先生の言葉を使って自らの主張を正当化しようというのは、上野氏は刑事法学者として最低と言えましょう。054014

 

投稿:2015年3月2日