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勝訴でも地獄の最高裁 急性ストレス障害国賠訴訟判決

福島地裁の潮見直之裁判長は、9月30日、裁判員を務めて急性ストレス障害になったAさんの国家賠償請求について、Aさんの請求を棄却する判決を言い渡した。

Aさんの障害は裁判員を務めたことが原因であると認めた上で、裁判員を務めさせることは憲法18条後段が規定する苦役の強要には当たらないとの判断を示した。

Aさんの深刻な肉体的・精神的ダメージを認めながら、裁判員は苦役でないと判断したことは、裁判員を経験することによって深刻なダメージを受けることを憲法は容認するものだということを広く宣言をしたということを意味する。093249012

この判決で国民の裁判員裁判への参加はさらにまた大きく後退するだろう。勝訴判決を最高裁も法務省も喜べない理由がここにある。

Aさんは、控訴方針について「判決を熟読して結論を出す」と言ったが、控訴は必至であろう。高裁や最高裁がこの裁判をどのように審理することになるか、イバラの道のトゲは一層鋭さを増して彼らに突き刺さるだろう。
勝つも地獄、負けるも地獄。最高裁は国民を棄てて勝つ地獄を選んだのだ。

 

投稿:2014年9月30日

急性ストレス障害国賠訴訟、明日判決!

9月30日午前11時、福島地裁で判決言い渡し。
傍聴ご希望の方は午前10時20分までに地裁庁舎北玄関脇へ。傍聴整理券が交付されて抽選になるとのことです。

潮見直之裁判長は、国の責任と違法性を認めるか?
判決速報のほか、特集を組んでお送りいたします。乞うご期待!

卵なし4インコ先輩は辺野古に行ってまだ帰京していないので、マネージャーが明日の裁判を傍聴に行くとか。ボクとしては原告Aさんが勝訴するものと期待しています。
潮見直之裁判長は、2011年3月の福島第1原発事故に伴う避難生活中に自殺した女性の遺族が東京電力に約9100万円の損害賠償を求めた訴訟で、「自殺と原発事故との間には因果関係がある」と認定し、東電に計約4900万円の賠償を命じたという人ですよね。原発事故後の避難住民の自殺を巡り、東電の賠償責任を認めた初の司法判断を下した人。この判決でも「裁判員の違法」だと初の司法判断を下してほしいものです。

1-e1397901201583ヒヨコ君、気持ちはわかるが、それはいささか甘い期待だろうな。

卵なし4なぜですか。敗訴すると当然、原告側は控訴するでしょ。この問題を引きずらせないためには、いくらかでも勝たせてしまった方が賢明なのでは。肉を切らせて骨を断つ…あれっ?これはちょっと違ったかな・・・

1-e1397901201583言葉はそんなに違っていないが、状況がひどく違う。肉を切らせて骨を断つのは、しのぎを削る良い勝負の時の戦術じゃ。おのれの肉をお前に切らせてやる代わりに、お前の骨は俺が断ち切ってやるというわけだからね。

卵なし4なるほど。今はそんな勝負の時ではないと。

1-e1397901201583そう、彼らにはもうそんな余裕なんかない。完全な負け戦なんだよ。だから、なんだってかんだってここで国を負けさせる訳にはいかんのだ。そんなことをやってご覧。99%の国民は裁判所に行かなくなるよ。これで裁判員制度はおしまいっていうことになりかねない。

卵なし4ちょっとだけ喜ばせておくなんてサービスすることなどまるっきりできないと。でも、絶対に国を勝たせろなんて潮見裁判長に命令することはできないでしょ。「裁判の独立」というのがあるんですから。

1-e1397901201583ヒヨコ君、良いことを言った。そう、「裁判の独立」がある。だが、「ぎりぎりの国難」の時となれば、何でもアリということも考えなければいかんだろう。この国には昔から国難の時はデタラメの限りを尽くすという汚辱の歴史がある。ロシア皇太子謀殺未遂事件の時の児玉惟謙大審院院長もそうだったし、東京地裁の米軍駐留違憲判決の時の田中耕太郎最高裁長官の駐日大使との密談もそうだった。これ以上は論点がぼけるので、この話は後日詳しくやろう。

あせあせうーん。

1-e1397901201583よしんばそこまでのことがなくてもだ。この裁判は、全国で裁判員裁判に関わっているたくさんの裁判官のほか、最高裁や高裁の裁判官たちが固唾を呑んで見守っている焦点の裁判だ。潮見裁判長と2人の陪席裁判官は、自分たちの判断がこの人たちからどう見られるかを、「過去の記録にないほどの激しい」緊張をもって考えていることは間違いない。

卵なし4自分たちが裁判員制度を終焉に追い込んだと言われることになる。それでもいいのかということですね。

1-e1397901201583まぁそういうところだ。だが、この判決で国が敗れればもちろんだが、勝ったとしても裁判員制度の評価が上がり、みんなが裁判員として気分良く裁判所に出頭することにならないことは当たり前だ。
国は裁判員が病気になっても見棄てるのだということが広く知られるだけだからね。

卵なし4「絶望の裁判員制度」とはこのことですね。では、そのあたりをよくよく考えて明日の裁判を見守ります。

 

投稿:2014年9月29日

福岡9.6裁判員制度反対学習会の報告

「市民のための刑事弁護を共に追求する会」は、9月6日、福岡市のふくふくプラザにおいて、学習会を開催。インコ事務局からはマネージャーが出席し、「裁判員制度の現状」について簡単に報告しました。 0011
 その内容をご紹介。

1 減る出頭率とやりたい人たち
裁判員制度を推進している人たちはどういう人たちか
=死刑を存置し、この国の裁判は「正統」に行われてきたと主張する人たち
最高裁、法務省、検察庁そして日弁連執行部
「日本の司法は正統に行われてきた」といい、「裁判員を経験すれば子どもの教育やしつけにも生きている」と宣う。
この人たちにはえん罪・誤判に対する反省はない

減る出頭率…裁判員候補者として呼び出されても拒否
出頭者18人、うち9人が固辞、残り9人が裁判員6人と補充裁判員3人という例も

裁判員として参加したい…16%(本年7月11日『読売新聞』)
最高裁調査もほぼ同様の数値

8割がやりたくないといっている中でやりたい人はどういう人か?ya1
リサーチパネル調査結果 回答者数3万7110人…やりたい19.3%
やりたい人の主な意見を集約すると
「人を裁くチャンス、宝くじに当たったようなもの」
「お金がほしい、アルバイトの気持ち」
「裁判員に選ばれたら『死刑でいい。こんなクズ生きてても仕方ない』と言ってやる」
「何が何でも死刑判決を出したい」

2 裁判員裁判の判決
進む重罰化
 
裁判官裁判の判決(制度施行前3年)と裁判員裁判の3年比較
(最高裁「裁判員裁判実施状況の検証報告書)
06~08年 被告人7522人 有罪 7224人  96.0%
09~12年 被告人3885人 有罪 3769人 97.0%
                                      (どちらも一部無罪を除く)
強盗致傷 94.2→97.2  殺人 97.4→97.7
厳重建造物等放火 96.4→97.2 傷害致死 97.6→97.9
強制わいせつ致傷と準強制わいせつ致傷 97.2→99.5
強盗強姦 90.5→91.4  強盗致死(強盗殺人) 95.8→98.2
覚せい剤事件だけは事件件数が増加、有罪率は97.2%→94.6%と下がっているが、最高裁は「背後に組織が関与している場合は『覚せい剤とは知らなかった』という言い訳は通用しない。有罪」という判例を示したので、今後どうなるかは?

求刑超え判決が相次いでいる。最高裁によると、制度施行から今年3月末までで求刑越えは43件。大阪の求刑1.5倍判決などの重罰も。

死刑判決は激減などしていない→『週刊文春』スクープのウソ
終局人員のうち、死刑判決が出ている殺人と強盗致傷を引き出して比較すると、終局人員が激減しているので死刑判決も減っているだけ

死刑判決が出ている殺人と強盗致傷の終局人員に占める死刑判決の割合(平均)
05~08年 0.71
10~15年 0.72
*09年は制度施行年、裁判官裁判での死刑判決のみのため排除

05年 殺人 836人  強盗致傷 1086人 死刑14人 0.68%
15年 殺人 332人  強盗致傷  357人   死刑 7人   0.73%

死刑判決・求刑超えに対し「裁判員の判断を尊重せよ」の大合唱
裁判員裁判の結論を尊重せよということは、3審制の否定。

法務省幹部「市民が死刑判決を出しているのに、大臣が執行をためらってはならない」
市民は裁判員制度に動員され、重罰・死刑に利用されている。

3 裁判員経験者の声
「よい経験をした」と言いながら大多数が沈黙を守るのはなぜか。
アンケートの取り方にからくりがある。
アンケートは判決直後にとられ、膨大な質問項目の一つ。
めったにできない経験だったから「よい経験」という項目に○をつけるだけ。
後日、落ち着いてからのアンケートなら果たして結果はどうなるか。
裁判員経験者は「裁判員には裁かれたくない」と(静岡地裁での裁判官との懇談)

8割が拒否し、経験者が沈黙を守る中で、積極的に推進を言い募る極少数の人たち
『裁判員のあたまの中』という本を読む。
「人を裁くことに対する恐れの気持ち」の欠如075572ふ
好奇心やゲーム感覚で裁く
人の人生を左右することを楽しんでいるような発言
死刑事件でもタダでもやりたい
お金を払ってもやりたい
選ばれて心中「ふふふっ」と笑った

 「国が決めたこと」にひたすら従い、自ら傷つきながら制度を受け入れる
なぜ、自分たちがこんなことをしなければならないのか疑問に思わない不思議
「事件がフラッシュバックして調子が悪い。死を直視することに慣れておく教育が必要。そうしないとPTSDになってしまう」

 死刑判決の裁判員=被告人に黙秘権を認めることに疑問、自分たちの判断に不満を言ったり控訴したりすることを批判する人もいる
自分たちの判断が疑いの目で見られたり、不服を主張されたくないという不遜な思いがある。

  この中で、急性ストレス障害で国賠訴訟が起きている。

4 死刑の全員一致を求めても…
「いま、裁判員になりたい人はどんな人か」を見ればどうなるかわかる

 他の裁判員から「こんな悪い人を庇うのか」と詰め寄られたら…
宮崎地裁における死刑判決直後の裁判員による記者会見
「いろいろな意見があったが努力の結果、最後は全員が一致」

 裁判長が死刑判決を出すと決めていたら…
裁判長は裁判員を解任することができ、解任の理由を明らかにする必要はない
「不公平な裁判をするおそれがあるとき」
「公判廷において、裁判長が命じた事項に従わず又は暴言その他不穏当な言動をすることによって公判手続きの進行を妨げたとき」

最後に「裁判員には辞任の自由はなく、解任の申し立てができるだけ。裁判所が認めたら解任さえる」
戦場で「こんなはずじゃなかった。帰る」と言っても許されないのと同じ

*インコの後日談
9月19日、東京地裁で出された死刑判決
田辺三保子裁判長の発言「裁判官・裁判員一同の意見」045213000

 

投稿:2014年9月28日

「まいど!裁判所です」の岡持ち担ぐ人とは…

横浜 森山邦泰

 07年6月26日付け『朝日新聞』(田園都市版紙面)、神垣清水前横浜地検検事正のインタビュー記事に衝撃を受うけ、切り抜きをしておいた。

 私が衝撃を受けたのは、次の言葉である。 063963

○ 裁判員制度の意義のひとつは、司法へのコスト原理の導入だ。司法だけがなぜ、無尽蔵に時間と金と人をかけて許されるのか。これを裁判員の手を借りて、短時間でやることになる。これからは、裁判官、検察官、弁護士もコスト意識を持たなければならない。

○ 裁判員制度には、治安への効果もある。殺人事件の被告や被害者とむきあい、被告をどう処罰するのかを考える。今までは、新聞やテレビで触れるだけだった国民が直接事件に触れ、判断をすることで、子どものしつけや、教育にも生きてくるのではないか。時間はかかるだろうが、治安はひとごとではないという意識も生まれるはずだ。 

司法が時間と金と人をかけるのは当然ではないかと思った。人の自由を奪い、場合によっては死刑=命を奪うというのである。それがコストを問題にし、コストを考えろということに衝撃を受けた。さらに裁判員の手を借りてコスト削減するという。手をかけさせられる裁判員のコストはどうなるのか?

 そして何より問題なのは「被告をどう処罰するのかを考える」という言葉である。推定無罪は頭にないというのは「さすが検事(棒読み*)」と言うしかないが、「子どものしつけや、教育にも生きてくる」とは、何がどう生きてくるというのか。 さらに「時間はかかるだろうが、治安はひとごとではないという意識も生まれるはずだ」というのはどういうことなのだろうか。「人を見たら泥棒と思え」「被告人は有罪」と考えろとでもいうのだろうか
 
*棒読み=ネットスラングの一つ。前文を否定または嘲笑することを意図してつける。

 さて、今になって私がこのことを思い出したのは、9月22日付け『神奈川新聞』の記事からである。
その記事をざっと紹介する。

  裁判員制度の開始から5年を迎え、制度をより身近に感じてもらおうと、横浜地裁がPRに力を入れ始めた。16日には、裁判員経験者が登場する初めての「出前講義」を横浜市内で開催。この出前講義には、今年の6、7月に裁判員を経験した男性=瀬谷区在住=が出席。同じ裁判を担当した同地裁の足立勉裁判官と関口恒裁判官が刑事裁判や裁判員制度の仕組みについて解説し、男性と対談する形式で講義。

  裁判官から審理の感想を聞かれた男性は、「人を裁くことによって、人権についても意識できるようになった」と自らの意識の変化を説明。「裁判によって社会の秩序がどう守られているのか学ぶ機会にもなるので、周囲の人に通知が来たら参加を勧めたい」と強調。

  参加者からの「裁判員を経験して人生観は変わったか」という質問に対し、男性は「人生観は変わらないが、被害者の視点に立つと、法律は身を守ってくれるが、感情までは守ってくれないと実感した」と振り返り、「子どもたちには被害者にも被告人にもなってほしくないと思い、日頃から自分の身は自分で守るようにと伝えた」と話した。


私は、この記事を読み、人を裁くことで人権について意識し、裁判によって社会の秩序がどう守られるか学び、日頃から自分の身は自分で守れという裁判員経験者は、神垣検事正が言っていたことをまさに体現していると思った。 

 ほとんどの人がイヤだといっているときに、のこのこと出かけて行くような怪しげな国策のお先棒を担ぐ人は、自分たちのやっていることが意義あることだと言いたいのだろう。その物言いが権力側の人と同じになるのもむべなるかなである。

  『神奈川新聞』によると、「同地裁本庁で裁判員候補者が選任手続きに出席する割合は、制度開始の09年は81.7%だったが、14年(6月末まで)は74.2%に低下している。」ということで、「こうした状況を踏まえ、同地裁は今後も経験者の協力を得ながら、制度の周知に力を入れていく考えという。」ということで、この記事では、横浜地裁が「出頭率低下に危機感を抱いて自主的にPR活動に力を入れている」ように読める。

  ところが、インコさんの「最高裁は出前講義『まいど!裁判所です』で何を訴える」を読むと、横浜地裁がPRに力を入れだしたのも、「最高裁の刑事局長がこの6月17日、全国の地方裁判所に『裁判員勧誘の広報活動を強めろ』と指示していた」ことに従ったということになる。

  権力におもねる特異な人を講師に、最高裁の指示どおりにPRに務める横浜地裁のお陰で、裁判員裁判が始まる前に感じた怒りを久しぶりに思い出した次第である。08

 

 

投稿:2014年9月24日

死刑判決に関わった裁判員たちを解剖する

東京 大学非常勤講師

資産家夫婦強盗殺害事件で東京地裁は被告人に死刑を言い渡した。考える2
この事件に関わった裁判員や補充裁判員の対応や感慨を考える。

事件は、スイスに住んでいるファンドマネジャー夫妻(夫51歳、妻48歳)が2012年11月に一時帰国して12月に東京銀座のマンションから失踪、2か月後の13年1月に埼玉県久喜市に埋められていた2人の遺体が発見され、ひも様の物による窒息死と判断。逮捕された44歳の男性が、5月、強盗殺人・死体遺棄で起訴された。公訴事実は、睡眠薬を飲ませて殺害し金品を奪ったというもの。被告人は、死体遺棄は認めたが首を絞めたのは別の人物と主張して公訴事実を否認。弁護人は別の人物と一緒に脅そうとしただけで、被告人の刑事責任は傷害致死にとどまると主張した。

今年8月19日の第1回公判から9月19日の判決公判まで公判回数は計14回。検察は死刑を求刑。評議は9日間。田辺三保子裁判長は「別の人物が夫妻の首にかけたロープを引いている間に死んだという被告人の主張は不自然極まる。被告人は信用できない弁解をくりかえし、真剣な反省が感じられない。あらかじめ遺棄場所を確保した計画的犯行であり、被告人には被害者のすすめで買った株で損失を被ったことによる恨み妬みがあったと考えられるが、それは量刑で酌むべき事情にはならない。裁判官・裁判員一同の見解」として死刑を言い渡した。弁護側即日控訴。プリント

メディアの報道では事実関係の詳細や判決内容の詳細はよくわからない。考えたいのは、裁判員や補充裁判員たちの反応である(以下、「補充裁判員」を補充員と呼ぶ。裁判員と補充員をまとめて裁判員たちと言うこともある)。彼らの言葉は今回メディアに紹介された以上に今後開示されることはないだろうということもある。裁判員たちの言動を検証することは、裁判員裁判が陥っている限界的窮状、とりわけ死刑求刑裁判に直面させられた裁判員たちの現状を知る貴重な手かがりになろう。

通算32日、公判14回、評議9日というのは、裁判員裁判としては長期間の裁判に属する。出頭拒絶者が多くなることを予測して候補者の呼び出し人数も多くしたはずだ。普通は2人程度にする補充員を4人も選んだのも、公判中や評議中に解任事件が発生することを裁判所が予測した結果であることは疑いの余地がない。

裁判員たちの反応を比較的詳細に報道したのは『読売新聞』(9.20)である。『朝日新聞』(同日)は裁判員たちの反応に僅か11行しか割かなかったが、『読売』は裁判員たちの記者会見での発言内容をテーマ別に表にまでして紹介した。『朝日』はそもそもこの判決に関する扱いの姿勢が全然違い、記事総量が『読売』の3分の1程度しかなく、見出しも小さく少ない。『読売』に基づいて整理を試みる。076525

裁判所は、裁判員裁判の判決言渡し後の共同記者会見にはできるだけ出てほしいと裁判員たちに強く要請している。最高裁の「裁判員裁判実施状況の検証報告書」(2012年12月)は「『貴重な体験であった』というアンケート回答が95%を超えている」と手放しで嬉しがっている。その生々しい充実感を判決直後に国民に伝える機会が共同記者会見だ。マスコミもその言葉を国民に知らせようと待機している。ここで多くの裁判員たちが、それぞれの言葉で裁判員裁判の意義を語ってほしい。そうでないとアンケート結果はインチキくさいと言われかねない。

だが、この事件の共同記者会見に出席した人たちは、裁判員がたった2人、補充員も2人と、なんとも寂しいものであった。裁判員は3分の2が会見出席を断った。最悪の出頭情勢下でも裁判所に来てくれる人たちは、裁判所にとっては感謝しきれぬほどの国策協力者である(実際、感謝状を出している裁判所もある)。しかし、その彼らの過半が判決言渡しが終わったらさっさと帰ってしまった。この人たちは今後世の中に現れて裁判員裁判の語り部になるなどということは絶対にない。その心づもりがあれば、記者会見をすっぽかすことはしないだろうから。「最強の協力者たち」の実情も、裁判員たちの心をつかめぬ裁判所の窮状も、こうして隠すすべもなく見えてしまう。080865021

僅かな出席者の発言は次のようなものだった。

□ 裁判員1番(60代男性、会社員)
殺人事件のことが生活の中に深く入り込み、1人の男性の人生を左右するという考えが常にあった。週末などに自宅で(死刑の是非などを)考えない時はなかった。変な判断はできないという重圧があり、自分を律する気持ちが芽生えた。1人の男性の人生を左右することに今回取り組んでみて、(死刑の判断は)やるべきだと考えた。(遺体写真は)イ
ラストでイメージをつかめたが、(写真を見て)もっとリアリティーをつかみたいというのが率直な意見。

□ 裁判員5番(20代男性、会社員)
法律で人を死なす、死刑にするというのは非常に重大。量刑の判断の日が近づくにつれ、素人の裁判員が決められるのかという重圧が大きくなった。本当に死刑でいいのかというプレッシャーがあったが、裁判官が声をかけてケアしてくれた。(死刑判断は)これしかないだろうと考えて結論は出たが、個人的には(裁判員裁判の対象から)外していいと思う。本当に反省するのであれば、真実を語るのが大事だと思う。

□ 補充員2番(30代女性、会社員)
写真があっても良かったが、見てしまったら、自分の意見を左右したかもしれない。(法廷で被告人が遺族に土下座したのを見て)反省、謝罪の気持ちがあるのだと感じた一方で、果たして本当なのかという思いもあった。

□ 補充員4番(40代男性、理容師)
(死刑判断に加わったことについて)違う視点や観点から(評議で)話せて、意義があった。(死刑事件を対象とすることに)問題ない。0808640

裁判員たちはもっといろいろ話したのかもしれない。話さないところに重大な問題が潜むことが多いので、実際に話した内容のすべてを知りたいところだが、ここでそのことを言っても仕方がない。これが話のすべてであるとして分析を進める。

裁判員1番
死刑を受け入れる素直な国策協力者である。だが、その彼も死刑事件に関わることの深刻さをリアルに語る。「自分を律する気持ち」とは、「放縦な行動や判断はこの際許されないという思い」のことだとすれば、それはあまりにも当然だろう。人を殺害するのかしないのかという瀬戸際の問題に直面させられたのだから。

彼らはひたすら「歯を食いしばって必死に耐える」国民である。国が苦しいのだからと窮乏生活も耐え忍ぶ国民や出征兵士を日の丸の小旗で送る人々を連想させる。その彼も写真を避けイラストで済ませるやり方のおかしさに触れた。殺し殺される戦場をイラストで描かれてはたまらないと訴えているのだろう。

裁判員5番
国民が死刑を判断することに疑問を懐いている。田辺裁判長は死刑判決に国民が関わることを裁判員たちにどのように説明したのか。若い彼はその疑問を評議の中で裁判官にぶつけたのか、ぶつけなかったのか。ここでこのような感想を吐露しているということは、14回の公判と9日間の評議を通して裁判官たちは彼を納得させる答えを出せなかったことを意味する。

裁判官が声をかけてケアしてくれたことに触れる子羊の従順さ。「結論はみんなで出す。1人で責任を感じる必要はない」というのがこういう時の常套句らしいが、それは彼の心を癒す言葉になったか。市民の意見だの市民の感覚だのという言葉のなんという空疎さ。080863011

「本当に反省するのなら真実を語るのが大事」と彼は言う。「真実を語る」責任が被告人にあり、語らぬのは悪質・悪性を推定する根拠になるという考え方にそれは近い。しかし、そのような思想は刑事訴訟の世界には基本的にない。

「死刑判断に疑問をもち、かつ近代刑事訴訟の思想を理解できていない」人によって被告人は「殺される」ことになった。

ところで、補充員1番は判決公判までいたけれど会見出席は断ったのか、それとも裁判員の解任があって裁判員に「昇格」したのでいなくなったのか。何の報道もないのでわからない。公判に詰めている記者たちには法壇の顔ぶれの変化でわかるはずだが、裁判員の異動に関する記事はない。

補充員2番
「写真を見たら自分の意見を左右したかもしれない」という言葉の意味は理解しにくい。写真の強烈な印象がなかったので死刑に賛成しなかったということか。でも、裁判長は全員一致の死刑だったように言っている(これは評議の秘密を漏らしたことにならないか)。

謝罪の気持ちが本当にあるのか、土下座はその場のパフォーマンスなのか。じっくり時間をかけて聞かなければそれはわからない。小さなたとえを言えば、私たちの日常生活の中でのちょっとした行き違いで他人に詫びる時でさえ、その心情には複雑なものがあることが多い。0808650

殺人であれ傷害致死であれ、自分が関わって他人を死なせてしまったとなれば、その謝罪の心情は腰を据えて耳を傾ける心と時間の余裕が絶対に必要だ。判決によれば、被告人は手数料をだまし取られたと言っているらしい。そのように言う(思っている)被告人の謝罪の難しさも考えなければならない。「果たして本当なのか」という疑問に対して、「本当とはどのようなことを言うのですか」と返したい。

補充員4番
「違う考え方を評議の場で交わせて有意義だった」「死刑事件に裁判員が関わることはよいことだ」。このような感想を聞くと、出頭する裁判員候補者の平均像はどんどんこういう人たちに収斂しているとつくづく思う。

評決に加わる資格のないそれも4番手でも最後までベンチで勤め上げ、記者会見にもわざわざ出席するという気合いの入れようである。だが、このような経験はいったい何に関して、また何に際して「有意義」なのか。死刑判断に加わったことがこれからの自身の理容師としての生き方に何か役立つのか。家庭生活にどう役立つというのか。

最高裁や法務省をあわてさせるような重罰志向者たちとこのような発言をする人たちはおそらく大きく重なる。僅かに残った人たちによって支えられている裁判員制度は最高裁や法務省や日弁連が臨んだ形態のものでは決してなかったはずだ。

むすびに
死刑事件に参加した裁判員たちの言動や感想を新聞報道に基づいて考察してみた。そこに広がる情景は、裁判員裁判が国民の中に入り込めていないことを示すどころか、国民から拒絶され孤立の度合いをどんどん深めていることを示す徴表の山々である。最高裁が裁判員制度の実施状況を検証した「検証報告書」は、制度の深刻な現実をまったく報告していない。そのことはこの1死刑事件の共同記者会見の模様からもうかがい知ることができる

0808630

投稿:2014年9月22日

最高裁ふらつき、自民党毒づき、ツイッター元気づく

  大阪地裁の求刑1.5倍判決を最高裁が見直したことについて、自民党法務部会は会合の中で、「市民目線で刑の重さを考えるという裁判員制度の趣旨を根底から覆しかねない判決であり、懸念を抱かざるをえない」とか、「過去の量刑の傾向を重視しすぎると、裁判員制度を導入した意味がなくなる」とか、議論百出になったらしい。プリント

 実はインコは、鸚鵡大学法学部長からこのことについてきちんと論ぜよと命じられていた。だがしかしだ、無芸大食じゃなかった無学文盲じゃなかった天衣無縫じゃなかった、そう無為無策に時を打ち過ごしているうちに、「私も田舎の一弁護士」さんに抜かれてしまったのだ(「この制度はもう山を超えられないのでは」)。抜かれたとは何かって? うれしそうに追い込まないでよ。インコが書く前に、田舎の一弁護士さんにこの件で投稿をいただいてしまったっつうこと。 

プリント しまったと思ったが後の祭り。同じような論陣を張っても、どっかで聞いたなぁなんて言われそう。インコは評判が高い分、あちこちからねたまれてもいる。もてる者は気苦労が多いのよ、わかる?

 無為不言、ここは「きくち君の宿題に便乗するののちゃん方式」でいくことにした。えっ、何の話かって?    

 いしいひさいちさんの同名マンガの主人公。そう、「裁判員制度は社是」の『朝日新聞』に長期連載中。ののちゃんは、夏休みって言えば(夏休みだけやないけど)、いつもやらなきゃならないことを友だちキクチ君の宿題に便乗してやりおおしたような顔するんや。

 という訳で、この際、インコの「ツイッター」や「ホームページ」に寄せられたみなさまの声を一気にどーんとアップし、この問題に関する学部長の厳命にインコがきちんとお答えしたことにする(ことにさせてね)。だが、ホントにそれきりだとあまりにも申し訳ない(というか、ひどすぎる)から、インコとしては謹んでちょったどけコメントを付け加えさせていただきまする。ではでは、シュッパーツ。

「市民の目線がそれほど大事なら、政治家の収賄事件や選挙違反などはすべて起訴して市民に裁かせたらどうか。それが一番民意を反映する裁判で国民大歓迎」008074い
……確かにそうなんですが、自民党代議士の言う「市民目線」は一般人の目線ではありません。福島の放射線や汚染水はアンダーコントロールと本気で思っている人の目線です。そういう人たちは殺人事件の被告人には厳罰を求める一方、収賄とか選挙違反とかには、まぁまぁそなんなうるさく言っても仕方ないよ、なんてすごく寛容です。

「裁判とは、権力によって一方的に過度な刑罰が科せられることがないように市民を守るものであるべきだ。自民党は何をいっているのか。厳罰化と先例無視でいいはずがない。そのような犯罪が発生する社会的要因はなにか、政治に問題がないのか、社会のセーフティネットはどうなっているのか考えるのがお前たちの仕事だ。さぼるんじゃない」
……はいはい、仰せのとおりです。犯罪の本当の社会的要因なんて本気で考えたとするとですな、自民党政権は1週間と持ちませんがな。ま、99パーセントの民衆が貧困から解放されたら、現在の犯罪はそれだけで10分の1に減るとインコは断言します。

「『過去の量刑の傾向を重視しすぎると、裁判員制度を導入した意味がなくなる』ってなんだよ。裁判員制度ありきでいいのか」
……裁判員制度を導入した時から、判例とか先例とか、そんなことにこだわらない新時代の司法を目指してるんだよ。なんてったって、戦争の時代が来たんだぜ。国民動員の裁判員制度を大々前提としてすべてを考えなくてどうするのさ。いいかい、すべては裁判員制度ありきで考え始めるの(と言ってるんですね)。

「市民目線で考えるというなら高裁、最高裁にも市民を入れるべきだ。そうでなくて1審だけを尊重しろというなら、それは軍事法廷、なら最初から重罪犯罪は1審制にすればよい。人権後進国の日本にふさわしいね」0335030
……ありゃ~、あまりにも本当過ぎることをあっけらかんと。裁判員裁判はホントの話、軍事法廷なんよ。この判決は国民の声、天の声なんだから、はっきり言うと控訴なんてしないでほしいの。控訴審も上告審も裁判員様々で今必死に統一しようとしている。情勢を理解できない裁判官の変な抵抗でうまくいってないところもあるけどね。でも今裁判所に来ている裁判員たちはみんな一生懸命この国の将来を考えて、仕事を投げ打ってやってくれてるんよ。裁判員になりたい人の中には「どんな事件だろうが、お前みたいなクズは生きている価値がないから死刑って言ってやる」とか言った人もいたね。

「憲法解釈を勝手に変更する自民党らしい意見ですね。最高裁の判決には縛られないとかいった人もいましたっけ
……最高裁の長官には自民党の息がしっかりかかっています。というか私たち自民党がしっかり粉をかけています。私たちが納得しない人たちはその地位には就けません。なのに時々私たちに逆らうような態度をとったりする。許せない。裁判員制度は自民党も最高裁も気持ちを1つにして創った制度なんですけどね。最高裁はもう疲れてしまったようですね。今回も恥ずかしいフラフラ判断です。中立を装いながらしっかり私たち自民党と連携するっていう固い信念にやや欠けているように思います。

「市民感覚で刑罰を決めるなんてどこの国もやっていないこと。参審制は裁判員制度とは全く違う。どれだけ危険な話かと思う」
……裁判員制度は参審制の一種だという人もいる。それは当たっていなくもない。でも、短期間で裁判を終わらせようとか、市民感覚で裁けとはどこの国も言っていない。市民感覚で刑罰を決めるのはおかしいというのはホントにそのとおりです。「酒の席で口論となり、殴られたので殴り返したら相手がその場に倒れ、頭を打って死亡してしまった。この加害者にふさわしい刑罰は」なんて考えて生活してますか?。アメリカの陪審制は、否認事件で被告人が希望したときだけ陪審員が有罪か無罪かを判断し、量刑は原則として職業裁判官が判断することになってる。素人は量刑を判断できない。

「自民党の政治が市民目線とはとても思えません。司法に口出しするより、自分たちの仕事をきちんとしてほしいと思います」
……この党の用語辞典で「本当の市民」をひくと、「この国を守る気概に溢れた国民のこと」とあり、「ちまたで使われている市民」をひくと「非国民のこと」とあるって誰か言ってたよ。司法がきちんとした基準で行われていない時には自分たちが口出しして是正するしかない、つまり口出しが自分たちの仕事、それが歴史的使命なんだってさ。

「近代刑法をやめるか裁判員制度をやめるかのどちらかです」0495565
……いやまったく。裁判員制度は近代以前です。3日だの5日だのという超短期間で被告人に刑事責任があるかないかを判断しちゃう。どれだけの刑罰がふさわしいかということだってじっくりゆっくり考えることなんか一切しない。その日のうちに結論を出しちゃう。それは到底まともな刑事裁判とは言えません。目見当裁判とか当てずっぽう裁判とか言うのがふさわしい。こりゃ盟神探湯(くかたち)みたいなもんじゃないかって言った人もいるよ。

「市民目線で刑を考えたら、重罰化するに決まっている。でも、そんな感情論で判決が出て良いと思っているのか」
……本来の市民目線はそんなもんじゃないと思うのだが、この政党が理想型とする市民というのは、確かに「放っておいても重罰要求でいきり立ち、厳罰を科せと大きな声を上げる国民」なんだろう。私たちはどうしてこの政党にこんなにたくさんの議席を与えちゃったのか。「全国の非国民よ決起せよ」と叫びたい。

「導入した意味がなくなったんだから、制度を止めればいいじゃん」
……そうそう、設計図どおりの建物が順調に建たなかったんだから、無理に耐震装置なんかで補強を考えたりしないで、素直にもうやめますと言えばいいのに、最高裁は自民党に色目を使ったり、判例先例に気を使ったりとダッチロール状態。そうなると自民党はいったいどうなってるんだと言い出す。3.11直後の東電本部のようにしっちゃかめっちゃか。

「市民目線で刑を決めるって要するにリンチですね」
……そのとおり、理屈もへったくれもない袋だたきの儀式。ローマ帝政時代の円形闘技場コロッセオを思い出せばよい。奴隷が血を流して倒れたらみんなが喝采を上げるあれね。時代がおかしくなるとこういう異常事態が生まれる。この国は今明らかにおかしくなっている。104377

「なぜ重罪事件だけを裁かなきゃならないのか。なんのために裁判官がいるんだよ。それほど市民に裁判をやらせたいなら政治家の汚職事件を裁かせろ」
……軽罪から始めたらどうだという議論もあったけど、そういう考え方も裁判員制度推進論に引きずられた論だった。どうしてこの制度をやるのかっていう基本のところを考えなければ。万引きや痴漢事件と違って社会を大きく揺るがす重大事件こそ国民教育上効果的。この国の治安を守ると決意するにはそういう事件の方が良いんです。政治家の汚職事件などに関心を向けているようでは、「この国を守るのは自分だ」という無我の境地にまだとても立てない。精進精進。

「死刑執行では世論がといい、重罰化には民意がという。それほど民意を反映したかったら、国民の8割が嫌だといっているこの制度をまずは廃止すべきでしょう」
……そうです。何も言うことありません。

はい、これでインコの夏休みの宿題、全部おわりっ。008074お

 

 

 

投稿:2014年9月19日

あてどもなく荒野をさまよう最高裁

001177求刑を超える判決の是非をめぐって「最高裁もフラフラしている」という投稿がありましたよね。(「この制度はもう山を超えられないのでは」) 。インコさん、最高裁もフラフラとはどういうことですかって質問が来ているわよ。saikou

卵なし4ぼくもわかりやすく話をしてほしいです。

へ?わかった。わかりやすく話をしよう…。でも、判決の比較の話だから、どうしても細かくなり、長くなるのは許してね

001181…(あれっ?どうしのかな。いつもにまして弁解がましい)

1-e1397901276348最高裁の同じ小法廷の2つの判決を比較して考えることにする。

あせあせ小法廷って何ですか?

001177最高裁は長官と14人の判事によって構成されているの。このうち、15人の裁判官全員で裁判をする法廷のことを大法廷といい、原則5人の判事で裁判を進める法廷を小法廷というの。この小法廷は、3つあって、それぞれ第1小法廷、第2小法廷、第3小法廷とよばれるの。長官もいずれかの小法廷に属することになっていて、寺田逸郎長官は第2小法廷に所属しているわね。ちなみに上は大法廷の写真ね。

1-e1397901276348舞台は第1小法廷。最初に登場するのは、2012年2月13日に判決が言い渡された覚せい剤取締法違反等被告事件の判決。最高裁判事自身が後に紹介する別の判決文の中で「チョコレート缶事件」と名付けている。

001177判決に入る前に、いつものように事件を紹介しましょう。公訴事実(検察官の主張する犯罪事実)は次のようなものね。
「被告人は、クアラルンプール空港から成田行きの航空機に搭乗する際に、営利目的で氏名不詳の者と共謀し、約1キロの覚せい剤を缶3個に小分けしボストンバッグに隠して手荷物として積み込ませ、成田では機外に搬出させて覚せい剤の輸入行為を行った(ここで覚せい剤取締法違反は既遂)。
また、覚せい剤の携帯を申告せず税関の検査場を通過して輸入しようとしたが職員に発見され目的を遂げなかった(関税法違反は未遂)」

1-e1397901276348地裁・高裁の判決はこうだ。第1審千葉地裁は、裁判員裁判の結論として、「缶の中に覚せい剤が隠されていることを被告人が認識していたとは認められない」。無罪判決だ。検察は納得できぬと控訴。
第2審東京高裁は裁判員裁判の判断には事実誤認がある、検察の不服には理由があると認定して1審判決を破棄、一転有罪判決。今度は被告人側が上告。

あせあせ検察は、1審判決を尊重しなかったんすね。

1-e1397901276348ういうことになる。さて、最高裁第1小法廷は、12年2月、「原判決を破棄する。本件控訴を棄却する」と言い渡した。つまり、「検察官の控訴に納得した東京高裁はダメ、第1審裁判員裁判の結論のままでよろしい」ということ。ここまでよいかな。プリント

卵なし4はい

001177時期を押さえておきましょう。11年11月16日の大法廷は、「裁判員の職務は参政権と同じような権限を国民に与えるもので苦役を強制するものではない。裁判員制度は合憲」という判決を出したの。当時は竹﨑長官で、寺田さんは判事として裁判に加わっていたわね。
11年と言えば、3.11大震災があり、そのわずか2週間後に福島でも裁判員裁判を再開せよと最高裁が号令をかけて猛反発を受けたとき。焦った最高裁が必死の巻き返しを図って裁判員裁判は合憲だという判決を出した。この小法廷判決はその合憲判決からわずか3か月後に言い渡されたものだったのよ。

1-e1397901276348高裁の破棄判決の内容に入るよ。
被告人の機内携行袋にあったチョコ缶よりも預けたバッグのチョコ缶の方が重かったのでX線検査を施行したら影が認められ、開缶したら白色結晶が発見され、覚せい剤であることが確認された。

卵なし4チョコ缶の重さに違いがあったと。でもそれってあり得ることじゃないっすか。クッキーが入っていると軽いとか。

1-e1397901276348(無視して)被告人は名義の異なる5通の外国旅券を持っていて、うち3通は偽造だった。捜査の中で、被告人は国内にいたある外国人から30万円の報酬で偽造旅券の密輸を頼まれ、マレーシアでその外国人への土産としてこのチョコ缶を渡すことを頼まれたと供述した。
裁判では「被告人が覚せい剤と知っていたか」が争点になった。検察官は犯行の態様や被告人の言動、弁解の実情から覚せい剤と知っていたことは明らかだと主張。これに対し被告人は、偽造旅券の密輸の認識はあったけれど、チョコ缶に覚せい剤が入っているという認識は絶対になかったと弁解。

あせあせ偽造旅券の密輸を頼まれただけだと…

1-e1397901276348第一審判決は、検察官の主張に即して次のように判断した。
①缶の内身は外から確認できないし、開缶した気配も特になかった。
②偽造旅券の密輸の事実があったからと言って、直ちに覚せい剤密輸の認識につながるものではない。
③被告人は預けたチョコ缶と手持ちのチョコ缶の重さの違いに気づく機会がなく、また仮に重量差に気づいたとしてもだからと言って直ちに薬物隠匿がわかるものでもない。
④税関検査時の被告人の言動の不自然さをいうが、子細に考察すれば納得できないものではない。
⑤被告人に報酬を約束した者が覚せい剤輸入事件の被告人として裁判中の人間であることは、確かに被告人の認識をうかがわせる事実ではある。
⑥しかし、偽造旅券は隠していたのにチョコ缶は目立つところにおいていたり、偽造旅券の開示には抵抗したのにチョコ缶については直ちに開示したことなどからすると、被告人の弁解は信用できないとは言えない。
以上の判断に基づき、裁判所は結局無罪を言い渡した。

001177特に、「税関検査時、チョコ缶開示を求められたとき、被告人にうろたえた様子がなかった」ってことがポイントだったみたいね。

1-e1397901276348そういうこともあった。で、控訴審は、いろいろ主張が変遷したり隠そうとしたりしていることを挙げて、被告人の供述や態度は総じて信用できず、第1審判決の言うあれこれの指摘や説示は納得できないと判断、被告人が覚せい剤と認識していたと認めるのが相当として第1審判決を破棄、有罪を言い渡した。

001177判決は懲役10年と罰金600万円だったので、当然、被告人側は上告ね。

1-e1397901276348最高裁はこう言った。控訴審の審査はあくまでも第1審の判断が不合理なものと言えるかどうか事後的に審査するもの。だから第1審判決に事実誤認ありと言うためには、第1審判決の不合理を具体的に示さねばならない。裁判員裁判では直接主義・口頭主義が徹底されたからとりわけそう言える。
①~④は被告人の薬物認識を推認する根拠としては足りない。
例えば、供述に変遷があると言うだけでは足りないし、⑤は確かに認識をうかがわせはするが、被告人はそれなりに裏付けのある弁解もしている。
被告人の認識を支えると検察官が言う間接事実は被告人に認識がなかったことの証拠とも評価でき、第一審判決が不合理だとは必ずしも言えない。控訴審としては第1審判決に論理則や経験則等に照らして不合理があることを十分に示していない。

001177ここで、白木勇判事は次のとおり補足意見を示したの。
「裁判員裁判の事実認定や量刑判断に幅の広がり、許容範囲を認めないのは不合理。裁判員制度の下では、控訴審は第一審裁判員裁判の判決をできる限り尊重すべきであり、論理則や経験則等に照らして不合理でなければこれを受け入れるべきである」とね。

怒り何を言うとるんや。
控訴審は第一審判決を前提として事後的に審査するという理屈は裁判員裁判だろうが裁判官裁判だろうが刑事裁判の基本原則だ。論理則だの経験則だのと小難しい言葉を振り回さんでもよろしい。
第一審の判断に具体的な不合理が見いだせなければ、裁判官裁判だって第一審判決を尊重しなければいけない。裁判員制度が導入されて直接法廷で尋問したり、書面証拠より口頭証拠が重視されるようになったから事後審査になった訳ではない。
あったり前の話について、なにをごちゃごちゃ言っとる。プリント

焦るインコさん、落ち着いて…

怒り裁判員裁判になったからもっと重視しろという理屈のおかしさをとりあえずおいて考えることにしてもだ。
裁判員を重視尊重するとどこまで、しかもどういう基準で受け入れの幅が広がるのかがさっぱりわからない。つまり、論理則とか経験則とか合理性とかいろいろ言っても、要するにどのような場合には第1審判決をひっくり返してよいのか、ひっくり返さなくちゃいけないのかという基準が全然示されていないだろ。

きっ白木判事はほとんど底抜けに裁判員優先を言いたいみたい。でも、基準は不要とまでは言わず、できる限りなどと言っているのだから、他人に理解できる判定基準をきちんと言わなければいけないはずなんだけど、確かに彼はその点何も言ってないね。

あせあせ簡単に言えば、「裁判員裁判はできるだけ尊重してよ」と言っているだけなんですね。

001177そういうこと。裁判員裁判が崩壊しかかっている現実をよく反映した悲鳴に近い判断だったってことね。

1-e1397901276348最高裁のおそまつな裁判員尊重のメッセージさ。
それがどうフラフラしているのか。それから2年5か月が経過し、ここで話は第2章、今年7月24日の同じ最高裁第1小法廷の判決の段に移る。

001177この判決についてもインコのトピックスにいくつも記事があるので参照してね(「『いま、最高裁は語りはじめます』ってか?!」「超えるか超えぬか 最高裁はどこに行く」「最高裁は結局こういところに行き着く」)。

1-e1397901276348この事件について第1審が認定したのはだいたい次のようなことだ。「被告人ら父母は2人の間の3女に継続的に暴行を加え、お互いに容認して共謀し、自宅で父が3女の頭を平手で強打して床に打ち付けさせ急性硬膜下血腫などの傷害を負わせて脳腫脹により死亡させた」。
1審大阪地裁は、検察官の各懲役10年の求刑に対し、これを5割も超える各15年の刑を言渡した。量刑理由は、犯情に関しては、児童虐待の親の責任、態様が悪質、結果が重大、身勝手な動機、父母の責任に差異なしなどなど。一般情状としては、堕落的な生活、罪に向き合わない態度、責任を2女に向ける態度などなど。

卵なし41.5倍の懲役15年になった量刑理由はなんでしたっけ。

1-e1397901276348検察官の求刑は児童虐待の悪質性や2人の態度の無責任さを十分に評価していないと断じたね。
また、同種事犯の量刑傾向と言っても、過去の実例がまとめられている「量刑検索システム」では判断の妥当性の検証ができない。
今まで以上に厳罰を科すことが社会情勢に適合することなどを挙げたね。

001177これについて、2審大阪高裁は、第1審判決は誤っているとまでは言えず、第1審の量刑判断が同種事犯の刑より突出して重いものになっていることで直ちに不当とも言えないと判断したの。
つまり第1審裁判員裁判の完全受け入れ声明ね。

卵なし4「なんてったって最高裁の12年2月の判決があるからなぁ」なんて高裁の裁判長は言ったんすかねぇ。

焦る…(うわっ。その物言い、インコさんそっくり)

1-e1397901276348ところが最高裁の判断は、裁判員裁判の第1審判決も、これを擁護した第2審の判決もそろって破棄するというものだった。裁判員顔色なしの形なしだ。
さてさて、これはいったいなんなんだということになった。

001177ふぅー、ここまでの話が長かったけど、これで最高裁フラフラって言う訳よ。

1-e1397901276348で、最高裁はこんな風に言っている。第1審判決の量刑とこれを維持した第2審の判断は次の理由で是認できない。
先例の集積によって量刑傾向が示され目安とされるから、量刑要素が客観的に適切に評価され、結果が公平であることが必要になる。これまでの量刑傾向を視野に入れて判断することは、量刑判断のプロセスの適切さを保証する重要な要素になる。その理屈は裁判員裁判でも変わらない。
先例の集積結果に相応の変容を与えることはあり得るが、裁判員裁判といえども他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならないことはいうまでもない。

卵なし4それって当然すぎるくらい当然の話ですよね。

1-e1397901276348第1審判決は、従前の傾向に必ずしも同調せず、そこから踏み出した重い量刑が相当であると考えていることは明らかである。公平性を考えてもその判断が是認できるものであるためには、従来の傾向を前提とすべきではない事情の存在について具体的、説得的に判示せねばならない。
本件第1審判決はその点の根拠を示していない。
結果、甚だしく不当な量刑判断になったので破棄して自判する。父は懲役10年、母は懲役8年。

001177ここでまた白木勇判事が登場して補足意見を言うのね。この人はかなりおしゃべりな人と見える。0174670

1-e1397901276348むふふマネージャーと…

きっ何か言った?

むふふえっ、いえいえ何も言ってなんかいないわ、泣いてない♪…

001177「量刑は直感で決めればよいのではない」だって。裁判員裁判であろうがなかろうがそれは当然のことでしょうが。直感で決めることの良し悪しなんてわざわざ言うのはどういうことよ。

あせあせえっ、この人そういう宗旨でしたっけ、前の判決はちがっていたんじゃ…。

001177「裁判員裁判の裁判官は量刑に関する判例や文献等を参考に、量刑評議のあり方について日頃から研究し、考えを深めておく必要があろう」

1-e1397901276348それって判決の中で書くことかい。

001177ふふふ。「個別の事案に即して判断に必要な事項を裁判員にていねいに説明し、その理解を得て量刑評議を進めていく必要がある」。
裁判員のいうことにできるだけ耳を傾けろっていうんじゃなかったのかしら。この人のいう「できるだけ」の意味の研究も必要ね。

1-e1397901276348やっぱ、ご本人自身、過去の発言との整合性を問われるなと思ったんだろうな。
自分から、12年2月のチョコレート缶事件で言った自分の補足意見を引っ張り出した。
「私(白木判事)が『裁判員裁判ではある程度幅のある認定、量刑が許容されるべき』と言ったのは、適切な評議が行われたことを前提にしているのだ」ってさ。

卵なし4なーるほど。「幅は認めるがそれは裁判官がきちんとリードした場合に限るよ」ってことっすね。

001181(あらっ!よくわかってるじゃない)

卵なし4それにしても、ある判決の趣旨を別の判決の中で釈明するって前代未聞じゃないっすか。

001177そうでしょうね。自説の論旨が一貫していないって別の判事に指摘されたりして、いやあれはこういう意味だったんですよ、なんて弁解して、そうだ言うことがその時々でまるっきり違うじゃんなんて言われないように時機後れでもなんでもいいからこっちの事件の方で弁解しておこうって思ったんでしょうね。

1-e1397901276348でもねぇ。「可能な限り裁判員の言い分を聞け」とか、「裁判員にていねいに説明しろ」とかいったって、要するに裁判員の主張についてホントのところどういう姿勢をとれというのか、具体的にはまるでわからんというのが正解だろうね。
だって基準標と言えるものが何一つ示されていないもん。実際の裁判には一切関わらない最高裁の判事たちの勝手な空論には、現場のまじめな裁判官たちは頭ぶち切れるんじゃないかなあ。

お茶さぁて、「最高裁がフラフラしているってどういう意味ですか」って質問をくれた読者の皆さん。最高裁が空論をもてあそんで、あっち行ったりこっち行ったりとそれこそ定まるところもなくフラフラしていることはおわかりいただけたでしょうか。

001177今夜は月がきれいね。同じふらふらでも、私たちは秋のすすき野にふらふらと散歩に出ますか。

お茶いいっすね。月見で一杯っと。準備してきまーす。

あせあせこういうときだけ、インコ先輩って動きが素早いですね。

焦るほんと。ほんと…087589

 

 

 

投稿:2014年9月16日

「裁判員制度と死刑」のなんだかよくわからないお話

 8月30日と31日、京都府亀岡市の大本教みろく会館において、「第24回死刑廃止運動全国合宿」が開催された。この合宿は、死刑廃止運動に関わっている人、死刑廃止に関心のある人が一堂に集まって、ディスカッションを行うというもので、毎年1回秋(今年は特別早かったらしい)に行われている。もみじ上

 例年、初日の午後は一般公開の集会、夕食をはさんで18時半から全体会、分科会とその後に徹夜組も出る交流会、翌日午前中に分科会報告と全体会が行われ、正午で解散
 
インコのマネージャーは毎年参加している。

 今年の公開集会のテーマは「裁判員制度と死刑-裁判員経験者からの提言」、田口真義氏(裁判員経験者によるコミュニティ発起人)と堀和幸弁護士がそれぞれの立場で発言し、4つの分科会のうち1つがやはり「裁判員制度と死刑」というテーマだったらしい。

 マネージャーの報告では突っ込みどころ満載。ということで、田口氏の講演をインコ突く(青字が田口氏発言、インコは黒太字)。もみじ中 

「執行は非常にショック。退任直前執行に憤慨する。抗議文が激しすぎると支援者に評された」←廃止ではなく一時執行停止を主張しているのだなどと強調しているが、「非常にショックで憤慨している」のになぜ死刑即刻廃止要求を主張の柱にしないのか。

「自身が裁判員裁判に関わって被告人席をみたとき、自分もいつでも被告人になる可能性があると感じ、被告人に同化した。寛容な社会への取り組みを模索している」←裁判員裁判の評価という基本的な問題からどうして目をそらすのか。修復的司法はいま論題ではない。

「2010年12月、最高裁に同じ事件の裁判員経験者同士の連絡先斡旋を申し入れて実現してもらった」←そのもくろみが実現したこと自体、田口氏の行動を最高裁が歓迎し、協力したことを示している。そして田口氏はそのことも意に介していない。立ち猫mi

「裁判員は年間1万人くらい選ばれるので、50年くらい経てばたいていの人は裁判員に何らかの形で関わることになる。裁判員になる可能性は死刑に関わる可能性とほとんどイコールではないか」←1万人×50年は50万人、日本の人口って何人でしたっけ? で、裁判員裁判で死刑判決が出たのは21人なので、21人×9人(裁判員+補充裁判員)=189人。経験者約5万人のうちの約0.4%。それでどうして裁判員になる可能性と死刑に関わる可能性がほとんどイコールになるのか? 

「死刑について裁判員は何も知らないし、裁判官も知らない。それは恐ろしいことだ」←田口氏は「死刑を知る」ということの意味も、「死刑を知った」先に何があるのかも説明しない。死刑の執行の仕方についてマスコミにしか公開しないなどと仰るが、そうすると、「知る」とは執行方法を知るという程度のことかも知れない。また、死刑を知った結果、死刑制度賛成になるのならそれもよしというのなら、それは単なる情報開示論ではないか。立ち猫

「死刑判断をした裁判員には苦悩が窺えた。知らないから悩んでいると考え、執行停止の署名協力を求めたら協力して貰えた」←情報開示を求めることが苦悩からの解放の鍵になるのなら、死刑に関して詳細な知識を持てば安心して死刑判決に関わるだろうということになりそうだ。それでよいのか。

「裁判員裁判で政治家は裁判員になれないことになり、一般市民が死刑を考えなければならないことになった」←政治家は裁判官裁判の時代から判決に直接関わってなどいない。また、直接関わるとと死刑を考えることになり、直接関わらないと死刑を考えないことになるという理屈の途方もないおかしさ。

「要請書では、死刑の執行停止、情報公開、国民的議論を求めている。廃止ではなく停止を求めているのである。車もいきなりエンジンを切ったらかえって危ない」←田口氏は直ちに廃止という論はむしろ危険だと仰る。即刻廃止論に反対までしているのだから、死刑廃止論の亜流でさえないだろう。

「裁判員制度が始まって5年目でやや低調、それほどトピックスにならなくなった。流されやすさがあり風化している。裁判員にも死刑にも国民は意識が低い」←何に関する意識が欠けているのか。国民は裁判員や死刑について、いったい何が足りないというのか。裁判員制度に対して言えば、流されやすく風化などしていない。それどころか「イヤだ」と意思表示をする人がどんどん増えている。立ち猫mi

「アメリカでは死刑に関して情報公開がなされて国民が死刑を支持している。これが本来の民意、民主主義だ。執行前の告知や面会保障もあり、人権尊重の死刑になっている」←これを聞いたとき、田口氏は、徹頭徹尾死刑廃止論者などではまったくなく、文字どおり単なる情報開示請求論者に過ぎないと確信した。こういう人は死刑廃止運動にとって敵になることはあっても味方になることは決してないだろう。

「学生は、死刑は被害者の感情を考えると必要だというが、感情論ではないか」←では田口氏はどうなのか。死刑廃止論は言わず、廃止論を急ぐのは危険だとまで言うのだから、学生の論と大した違いはないというのが正しいだろう。

「死刑執行の命令書に署名をする谷垣法務大臣を許さないが、許そう。許すのは完璧な復讐だ。6月の執行も昨日の執行も許せないが、乗り越えるために許したい」←なんのこっちゃ。

「裁判官に、被告人の服役中から社会復帰まで彼を見守りたいがどうしたらよいかと聞いたら、ここは人を裁く場所でその人の今後を考える場所ではないと言われた。これが裁判官の考えなのだと痛感し、私は裁判が終われば一般市民としてそのことができると思った」←「裁判官は被告人のその後を考えないけど、被告人のことをこれだけ考えている僕ってすごいでしょう」という自画自賛ですかね
 でも、裁判官は保護司ではないという意味では裁判官の言は完全に正しいですね。裁判員制度は民間保護司制度として作られたのではない。本当に社会復帰まで収容者や刑余者を見守りたいのなら保護司やそのボランテイアを目指せばよい
 そもそも裁判員制度について何を言いたいのかさっぱりわからない
 また、氏は、分科会でも「この被告人を収監中から支えるために文通とかできることはないか尋ねたが」と同じようなことを話していたらしいが、インコが被告人なら、「お前は○年刑務所に行ってろ」と言った人と文通したいなんて絶対に思わないし、ましてや支えてもらいたいとは死んでも思わないね
 「善導ってやつかね。なに上から目線でモノ言ってるんだよ」くらいに反発するね。善意の押しつけはまっぴらごめんだ。もみじ中

 死刑制度に反対しながら裁判員制度に賛成するというのは、インコに言わせりゃ基本的に矛盾である
 「市民が死刑判決を出しているのだから、大臣が執行をためらうようなことがあってはならない」。これが法務官僚の言葉だ
 自民党の中からは裁判員裁判での求刑超え判決に対する最高裁の見直しに対する批判が噴出しているという。市民は、死刑や重刑に体よく利用されていると言っていいだろう。

 田口氏は「裁判員制度には肯定も否定もしないという立場だ」と言う
しかし、やっていることは最高裁のお粗末なお先棒担ぎであり、薄っぺらな制度推進論者以外の何者でもないと断じておく。氏は、死刑についても廃止を言わない
 田口氏は「いきなり廃止は危険だ」という奇妙な論理を持ち出し、アメリカの死刑執行は情報開示が行われており、民主的だなどと、死刑執行をある意味で賛美するような発言を行っている。

死刑の情報開示がなされて、それでも国民が死刑を支持したらそれでよいと氏は言うのか。窮極の情報公開といえば、公開処刑になるが、それで良いのか。

 情報公開でどんなに苦しんで死んだかと言い募っても、被害者のことを持ち出されて一蹴されるのがオチだろう。死に至るまで20分はかかりましたと開示されたとしよう。被害者遺族から「私の息子は絶命させられるまで半日いたぶられた。20分は短い」と言われたらどうなるか。国民が報復感情を募らせたらどうなる
せいぜい、「憲法は残虐な刑を禁止していますから、即時、痛みを感じさせないようにしなければならないのです」というのが精一杯だろう。立ち猫

 もう一つ、合宿では死刑の全員一致を求めるということも議論されたというが、全員一致で出された判決なら良いという訳ではないだろう。

 こういうと、「全員一致でなければ死刑判決が出せないとなると、1つでも死刑判決が減るだろう」という反論があるかもしれない。しかし、「あなたはこんなひどい罪を犯した人をどうして庇うのか。被害者のことを考えろ」などと詰め寄られたら、一体どれだけの人がこの圧力に抗しきれるだろうか。

 そして、裁判官が公判や評議・評決の邪魔となると見なせばその裁判員は解任できるのだ。裁判長がどうしても死刑判決を出したいと思えば、死刑判決に反対する裁判員は解任すれば良い。解任理由を開示する必要もない。

 ましてやいま、国民の8割以上がイヤだと言っている裁判員裁判に参加して人を裁いてみたいという人がどういう人かを考えたとき、おのずから結論は明らかと言うべきだろう。
 結局、裁判員制度を廃止しなければ死刑廃止もできないのだ。089214

投稿:2014年9月11日

この制度はもう山を越えられないのでは

私も田舎の一弁護士

秋深く日本海を越えてくる湿った風が私の町の東側の山並みにあたり山々の頂が雪の冠に覆われるとその雪は根雪になり、いつものように長い冬が始まる。猛暑だったが短かった夏が過ぎると、間もなくその季節が来る。りす

時々、このウェブは見ているが、あまりまじめな読者ではない。これは最初にお断りしないといけない。

先月、私は何ヶ月ぶりかで東京に行き、裁判所の前でしばらくぶりの友人に出会った。司法問題や裁判員制度などにいろいろ関わっている知友だ。今何が話題なんだいと聞くと、彼は頭をぐるりとまわして、そうだな、例のきゅうけいごえの最高裁判決かなぁ、こないだ判決が言い渡されたでしょ、最高裁もフラフラしてるから波紋が広がるかもねと言った。

「きゅうけいごえ」は弁護士としては恥ずかしながら知らない言葉だった。きゅうけいごえねぇなるほど、などと中途半端な返事をして別れたが、実は最高裁の判決と言われても、新聞になんか載っていたなという程度の記憶しかなかった。それが司法問題に詳しい弁護士の常識らしいと知って少しひるんだのだった。

夜、事務所に戻った私は、先週の新聞を引っ張り出して記事を探した。そうか、「きゅうけいごえ」は「求刑超え」か、難しいな。こころみに目の前のパソコンできゅうけいごえと打ってみたら、休憩声と出た。パソコンも休みたがっている。少なくとも求刑超えはまだ社会常識ではない。こんなことで気を取り直そうと思う自分も少し情けなかった。087636

翌日、ちょっと試してみたいという気持ちも働いて、事務所で主(ぬし)のような顔をしている事務員に、ほら、この間の求刑超えの最高裁判決だけどさぁと口にしてみた。途端に彼女は、涼しい顔をしてきゅうけいごえってなんですかぁーと返してきた。知らないことを知らないと正直に言えるのはいいなぁなんて、一瞬思ってしまった。

新聞を読んだだけの付け焼き刃の知識で言えば、求刑超えの最高裁判決というのは、女児虐待死事件と言われる大阪の事件で、被告人は1歳の娘の両親。検察官の求刑を超える重い判決を言い渡した一審大阪地裁の裁判員裁判やその判決でよろしいと認めた二審大阪高裁の判決について、事件の実情に合わない重罰を言い渡すのはだめだと全部破棄し、最高裁自身がもともとの一審検察官の求刑以下の判決を言い渡したというものだ(インコ注。この判決については「最高裁は結局こういうところに行き着く」で詳しく紹介しています)。

裁判員裁判が始まってから、検察官が求める刑より重い刑を言い渡す判決が増えているという。私の実務経験の中には求刑超えなんて一度もなかったし、私は裁判員裁判の弁護活動をしたこともないから、門外漢の感想になるのかも知れないが、求刑を超える判決を言い渡された検察官は、公訴官としての自分の判断の根幹をを否定され、立場がなくなるのではないか。088719

しかし、私の知友が懸念していたのは検察の権威失墜のことではないらしい。新聞は、裁判員たちががっかりしたり反発したりしていることを大きく報道している。裁判員制度の今後に暗雲が垂れ込めたというような論評もあった。
翌日、事務員に、最高裁判決の説明をして、キミはどう思うかねと尋ねてみた。彼女の答えは明快だった。裁判員が判断したって上の裁判所でひっくり返されちゃうんだったら裁判員裁判はムダだと思います、やめちゃえば、ときた。なるほどムダねぇ、やめろか。自分の机に戻った私は小さくつぶやいた。

この制度は国民の声を裁判に反映させるものじゃなかったのか。公民司法教育という国民動員目的の制度だという見方もあるようだが、マスコミなどの受け止め方は国民の声を反映させる国民本位の裁判方式ということだったと思う。だから大方の市民は、自分としてはあまり関わりたくはないけれど反対はしないという気持ちになったのだろう。

国民の声が求刑超えならこの国の司法部はその声をそのまま受けとめるべきだという議論は確かに一つの正論だ。これを仮に事務員説と言おう。法律専門家は事務員説にどう答えるか。この国の司法は三審制といって、一審にあるかもしれない誤判の間違いを正すために二審高裁があり、二審の誤判を正すために三審最高裁がある、裁判員裁判を正すために二審や三審で職業裁判官が待ち構えているのではないというようなことを言うのだろう、きっと。088719

法律専門家説の難点は、だったら二審にも三審にも素人の国民を入れてちょうだいよという声にちゃんと答えていないところだ。現在の刑事裁判は一審に裁判員を参加させるだけだ。二審にも三審にも素人の国民が裁判員として入り、地裁の裁判員の判断が高裁や最高裁の裁判員に否定されるんだったらそれは仕方ないとあきらめもつく。そうでないから、ムダ論や廃止論に火が付く。三審制の法律専門家説も正論ではあるが、裁判員が一審にしか参加していないからムダ論・廃止論が生まれてしまうのだろう。

どうして二審・三審にも裁判員制度を登場させなかったのか。夜遅く知友の自宅に電話を架けて聞いてみた。彼の説明によれば、2001年に答申された政府の審議会では上級審の裁判員参加問題はうやむやになり、その後裁判員法の制定準備の中でそのことは議論になったけれども、結局、「一審尊重を含みとして裁判官だけでやる」ということになったという。波紋はキミのところにまず広がったようだと電話口の彼から笑われたが、夜中の問い合わせにこれだけ答えてくれた彼もすごいもんだと感心した。088719

何でもかんでも国民を引きつけたいと思うあまり、国民の声を裁判に反映させるなどと調子の良い言い方をし、それがやたらに宣伝された結果、「国民の声は天の声」まで高まってしまった、いや高めてしまった。そのことが話のねじ曲がりのきっかけになっていることは確かだ。

考えて見れば、「一審尊重を含みとする」と言ったって、一審地裁の判決のままにするのかそれとも一審判決をひっくり返すのか、その境界の判断基準がさっぱりわからない。「原判決破棄の基準を多少厳格にするってことらしい」と彼は言っていたが、「多少厳格」では何の基準にもならない。この話はもともと途方もなくあいまいな話なのだ。
原判決はだめと言う破棄判決が増えれば裁判員裁判を軽視するなという声が高まり、原判決のとおりで結構ですと言えば何のための控訴審かということになる。進退極まる結果を招いたのは最高裁自身だ。裁判の基本的な考え方は変えないという立場と国民参加で新しい司法をという立場を両立させるのはもともと難しい話なのである。

最高裁もフラフラしているという彼の言葉は、裁判員に妙におもねってみたり、そうかと思うと旧来の司法を変えないと言ってみたりと、時計の振り子のようにふらついているという意味なんだろう。私の頭でもそのあたりまでは何とか推測できた。今日はこのあたりで納得して寝よう。086619

何日かして彼からメールがきた。8月22日に開かれた自民党の法務部会が最高裁の例の判決に苦言を呈したという。「裁判員裁判は検察の求刑を大幅に上回る判決を出していたのに、最高裁が量刑の先例に従って原審を破棄したのは、市民目線で刑の重さを考えるという裁判員制度の趣旨を根底から覆しかねない。過去の量刑の傾向を重視しすぎると裁判員制度導入の意味がなくなる」。そんな批判が相次いだとある。

彼が言うとおりやっぱり議論はひたひたと広がっている。裁判員裁判に国民がノーを突きつければ突きつけるほど「調子こきのキャッチコピー」を頻繁に使わなければならなくなり、そうなればなるほど先例を踏襲しなければという伝統的な考えとのずれが広がる。そして外野は日増しにうるさくなる。

さすがの最高裁もこんなに重罰を求める裁判員が多いとは予測しなかっただろう。というよりも圧倒的多数の国民が裁判員をやりたくないと言う中で、重罰を求める数少ない国民が裁判員席に残っているという予想外の実態が現出しているのだろう。

裁判員裁判の上訴審破棄をめぐって進退窮まる状態に追い込まれているらしい最高裁はどこに活路を見出すのか。いくら頑張ってみても言葉の飾りでとりつくろうのには限界がある。5年を経過したこの制度はいよいよ難しい局面に突入した。

雪と寒さの季節が過ぎればこの地にも春がめぐり来るが、裁判員制度には越えたくても越えられぬ峻険な山々がありすぎ、遭難の危険こそ高まれ、春風が吹く見通しなどとても立たないように思われてならない。088719

 

 

投稿:2014年9月9日

最高裁は出前講義「まいど!裁判所です」で何を訴える

むふふとうとうZZ旗が揚がったね。

卵なし4ZZってなにですか?

1-e1397901276348ダブルゼットは終わりの終わり、おわり名古屋の金のしゃちほこよ。

あせあせ……

焦るインコさんは相変わらずしょーもないことを。つまり、最高裁の刑事局長がこの6月17日、全国の地方裁判所に「裁判員勧誘の広報活動を強めろ」と指示していたの。そのことがようやく8月29日になってメディアに伝わったってわけ。

1-e1397901276348湯水のようにお金を使い、制度の広告宣伝に女優まで使ってメディアを動員していた最高裁が、今度は国民に直接呼びかけもせず、地裁に指示したことさえメディアに知らせなかった。2か月以上の密行の暴露。

卵なし4どうして密行してたんすか。

1-e1397901276348どうしたもこうしたもない。恥ずかしくて堂々と言えないからさ。いや、正確に言えば恥ずかしいなんてもんでもない。ここで大げさにプレスリリースしてごらん。またまた「反裁判員勢力」から激しく叩かれるし、当の国民からもいい加減にしろと批判される。言うに言えず、語るに語れずという自縛状態に追い込まれているのさ。

卵なし4で、何をやったんです?

1-e1397901276348まぁまぁ、落ち着いて聞いてくれ。6月17日付けの刑事局長の通達だ。

卵なし4通達って?

1-e1397901276348「通達」とはつまり部下に対する命令。「裁判員制度を安定的に運用し、着実に根付かせていくためには、裁判所が引き続き国民の理解と支持を得ることが必要。裁判所からの情報発信や地域住民の意識・動向の把握など息の長い取り組みを」とある。

あせあせ何だかよくわかりません。

1-e1397901276348そうさ。最高裁語は国民には理解できない。最高裁は裁判所部内でしか通用しない言葉つまり隠語と符丁で連絡しているのだ。

001177では、ここでインコさんに翻訳解読して説明してもらいましょ。

1-e1397901276348つまりこういうことだ。「裁判員制度はもう不安定なんてもんじゃない、明日も知れない立ち枯れ状態というか根腐れ状態、ダウン寸前のフラフラになってしまった」と、まずここから始まる。「こうなってしまった以上は、『いつか来た道恥さらし』なんて能書き並べていないで、引き続き(=つまり、またぞろ)サクラでもヤラセでもいいからやりまくれ」と言い進む。

卵なし4タウンミーティングのやらせで「最高裁のサクラは2月に咲いた」といわれたんでしたっけ。今度は何月に咲かせるんすかね。

1-e1397901276348こうも言っている。「裁判所発の宣伝文書を飽かずたくさん作れ。こういう時期だ、金に糸目はつけない。そう金目ということだ」「町内会や商店会にもちゃんと顔を出せ。意識と動向の把握なんて探偵のようなことできない? なに言ってるんだアホウめが。合議の時だって裁判員の意識と動向を把握せよってあれほど言ってるじゃないか、同じことだ」

あせあせその金目って税金のことっすよね。

1-e1397901276348まだ続く。「最高裁長官どの、刑事局長どの、私はもう疲れました、制度も私ももう息もたえだえですって? 何という恐ろしいことを言う。どんなにそうであっても口にしてはいけない台詞ってものがある。今は戦時なんだぞ。なんつったっけほらわが宰相のひきつった顔、あれを思い起こせ」。これで説明注釈、終わり。

あせあせその超訳、ほんとっすか?

1-e1397901276348ホントもホント、疑っていたら『キミはなんにも富士のしらゆき』なんて言われるぞ。いいかい、通達には「裁判員広報実施要領」といういかにも役所風の指示がくっついてるんだ。

001181行政官僚経験の長い寺田逸郎長官の好みそうなタイトルね。

1-e1397901276348何が書かれているか知りたくないか。

卵なし4いえ、くだらなさそうだから知らなくてもいいっす、

1-e1397901276348まあ、そう言わず聞き耳を立ててくれ。次のような要領でなんと「出前講義」をやれと言ってるんだ。
ア ホームページで「出前講義」への参加者を募集する。
イ 教育委員会や商工会議所、地元企業などの団体に「出前講義」を売り込む。
ウ 裁判員裁判の中で裁判員たちに「出前講義」への参加を呼びかける。

あせあせえっ。裁判官たちに「出前講義」へ行けと命じただけじゃなくて、裁判員裁判の中で裁判員たちに「出前講義」に同席してくれと頼めと命じたんですか。

1-e1397901276348そうさ。裁判官たちは、公判の準備や公判審理の責任を負うだけでなく、その営業活動も進んでやらなければならないことになった。

001177そう言えば、裁判員裁判が終わってから1か月くらいしたら、事件を担当した裁判官は裁判員に連絡して「PTSDにかかっていませんか」などと聞けなんていうしょうもない方針が最高裁が出していたけれど、あれはどうなったんでしょうね。

1-e1397901276348もし、それもやらされこれもやらされるとしたら、現場の裁判官の肉体的・精神的疲労はもう極限のはずだ。これからはその対策も考えなければならなくなる。

あせあせつまり、その対応の責任を負わされる別の裁判官たち、そしてその裁判官たちの苦労を支える別の…、そして…。

1-e1397901276348裁判員の方に話を戻そう。裁判員になるのをいやがる人はもう「この上」がないくらい多くなっている。この国の宰相がお好きな言葉「この国の津々浦々」「この国の隅々」には景気浮揚のかけらも見えないけれど、この国のどこの役所や公共施設や学校にも裁判員制度の宣伝広告ポスターがよく見えるところにしっかり張られている。

001177そのおかけで裁判員制度を知り、そしてそのおかげで裁判員制度がいやになった国民がもうごまんといますけどね。

1-e1397901276348その彼らを相手にしなければならないのだ。教育委員会や商工会議所や地元企業などに「出前講義」を売り込むことがいったい何の対策になるのか。このアホらしさには評する言葉もないね。

001177そういえば、以前、インコさんも参加したあの集会。「裁判員制度を考える会」なんてあいまいな名前だったから、制度推進の集会と思われて参加者が数えるほどしか集まらなかったってことがあったわね。後から「はっきり反対集会って打ち出せばよかった」って主催した町内会長がぼやいていたわね。

1-e1397901276348何事も最高裁のお先棒担ぎをする東京地裁は早くも8月から「出前講義」の宣伝を始めている。裁判員の勤め先などに出かけて行くと言うのだが、どれだけの裁判員経験者やその勤め先が喜んで裁判官を招待してくれるか。

001177これもちゃらちゃら最高裁について行きたがる大阪地裁も裁判官の訪問先をホームページで募集し始めてますよ。「裁判員制度出張説明会」と称し、「費用等は一切いただきません」と書き、「裁判員制度のポイント解説」と「裁判員制度の現在の状況に関する説明」と「裁判員制度に関する座談会と質疑応答」を1時間程度でやるというんですって。チラシには「まいど! 裁判所です」ってある。

1-e1397901276348しょーもな。その時間でどれだけの「説得効果」を望めると思っているのかということも気になるけど、それ以上に気になることを言えば、経営者の素直な感覚としては、違法残業が裁判官に摘発されないかとか、退職肩たたきが裁判官にばれないかとか、裁判官のご来臨となれば余計な心配の方が先に立つだろうよ。

001177まったく。それに年々、あっと驚くような駆け足で裁判員候補者の出頭率が減っていますし。

1-e1397901276348もう候補者名簿に掲載された候補者の4分の3は出頭しない状態になっている。それこそ秋の日のつるべ落としの風情だ。何年も前からその傾向をインコは指摘してきたが、竹崎前最高裁長官は公の場ではその傾向を決して問題視せず、制度は基本的に順調などとうそぶいていた。

001177でも、今年4月新任の寺田長官は、とどまる気配を見せない出頭率減少の傾向を前に、なりふり構わず対策を立てることに方針変更をしたのね。

卵なし4何をやってももともとどうしようもないことだど思います。

むふふそこでかけた号令が制度実施前にもやった「出前講義」の再施行だった。なんとも言いようのないトホホの世界だ。ま、断末魔の風景とはこういうものだということを肝に銘じてよく見ておこうじゃないか。

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投稿:2014年9月6日