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松山警告 いやならやるな、やるなら文句を言うな!

 松山地裁で8月30日から公判が始まる傷害致死事件。裁判員の選任手続きで、裁判長が遺体の写真が証拠提出される予定だと裁判員候補者に説明。2人の候補者が不安を訴えて辞退させてほしいと言い、それが認められたよ。ボードうさぎ

  対象の事件は、昨年8月29日、愛媛県今治市の塗装工が同僚男性に暴行を加えて死亡させたというケース。27日の選任手続きには、調査票を送った90人のうち出頭したのはたった3割の28人。「公判で被害者の遺体写真を取り調べる必要があるので、不安がある人は個々にうかがう」と説明。その少ない人数の中から辞退希望者が11人も出て、うち2人が「身体・精神・経済上の不利益」を理由に挙げたというのが裁判所の記者たちへの解説だったようだね。

 さて問題です。「では残る9人の辞退理由は何だったのでしょうか」。「身体にも精神にも経済上も不利益はないけれど、やりたくない」理由というのはいったいなに? 「身体・精神・経済上の不利益」を理由に挙げなかった候補者も、実際には遺体を見させられるのはたまらないという人たちだったのではないかな。それとも、制度絶対反対という硬骨正義漢だったのかも。疑問うさぎ

 どちらにしても、こういう発表があったら「それってどういうこと?」って疑問を感じるのが当たり前の記者じゃないのかな。「9人は『仕事上の著しい損害』を理由にした」という報道もあったが、さてどうなのか。本当に仕事がひどく忙しいのなら、事前にそのことを裁判所に言って当日欠席すればよいだけの話。実際多くの候補者がその「手」を使っている。メディアの人間なら、「『仕事上の著しい損害』などと言われても本当の理由とは思えないが」くらいは食らいつくべきだったと思うね。どのメディアの報道を見てもそのあたりの説明記事がない。当たり前の記者からたれ流しの記者という流れがここにも見える感じがする。インコ思うに、これじゃあ記者じゃなくて、裁判所の広報担当だよね。

 結局、呼び出し対象者90人のうち残ったのは17人。全体の19%にも満たない極少のみなさんでした。そこから6人の裁判員と2人の補充裁判員が選ばれたというのですから、「当選率」ほぼ5割。呼び出された時に、当日以前か最悪当日に何らかの抵抗行動を実行しないと、2人に1人は裁判所に「当選おめでとう」と言われてしまう計算です。

 裁判員の精神的負担をめぐっては、今年3月に福島地裁の郡山支部で強盗殺人事件の審理に加わり、現場の写真などを見せられた女性裁判員が急性ストレス障害と診断され、女性が国家賠償を求めて提訴したことはご存じのとおり。

 東京地裁の刑事裁判官たちが、遺体などの写真を証拠として提示する時には、裁判員の選任手続きの段階で候補者に説明することなどを申し合わせました。7月、最高裁が全国の地裁にその内容を参考にして裁判員の精神的負担に配慮し、選任手続きの段階で場合により証拠の内容を「事前説明」せよと指示していました。

 「やりたくないというものにはやらせるな、強いてやらせて国賠訴訟など起こされたらたいへんだ」。最高裁の指示は、国賠提訴を受けて制度の危機を痛感した最高裁の、恥も外聞も忘れた「最後の切り札」。  

 イン衝撃うさぎコは2つの面から見る必要があると見ます。1つは、「これでもう裁判所に行かなくてよいことになった」ということ。とうとう完全に裁判員制度とはホントにさよならの時代に入ってしまった。行かなくても処罰されない。処罰規定の自爆。もう一つは、いやならやらなくてもよいと助言したのに引き受けた以上、文句を言うなと言われること。「やっぱりストレス障害になったので責任をとってほしい」などと言ったら、「あれだけ言ったのに引き受けておいて今さら何を言うか」と反論の武器に使われる。あな恐ろしや。

 「いやならやるな、やるなら文句を言うな」。裁判員候補者として呼び出されたら、何がなんでも出頭しないと裁判所に通告し、裁判所には絶対に出かけていかないに限るね。結論はこれ以外にない。相手にしてはいけないし相手にしなくて良いというのは、つまり制度幕引きの秋。ひらめきうさぎ

  時は今 みなが拒否して 廃止だよ

投稿:2013年8月30日

寄稿「『裁判員制度廃止論』(織田信夫)を読んで」

裁判員制度を壊滅的に批判する書が発売された。978-4-7634-0675-0

 織田信夫先生(仙台弁護士会)著作の「裁判員制度廃止論」(花伝社 1,600円)である。

 著者は、元日弁連副会長、東北弁連会長の経歴を有する弁護士であり、現在は、「裁判員制度はいらない!大運動」の呼びかけ人となっているほか、裁判員員経験者の国賠訴訟の代理人を受任しておられる(「裁判員経験者による国賠訴訟の提起について参照)。金木犀・9月

 本書は、これまで著者が、「法律新聞」や「司法ウオッチ」に投稿してきた論文を一冊にまとめたものだが、これを読了すれば、裁判員制度の全般的な不当性、特にその違憲性(先般の最高裁の合憲判決の問題点)が論証しつくされているとわかる。また、諸外国の制度の実情との比較や最新の学者・実務家の意見も多数批判的に検討されている。

  以下、好みが出てしまって恐縮であるが、私が特に「異議なし!」と叫んだセンテンスを紹介する。金木犀2・9月

  「裁判員制度は真実の発見や法令の適正且つ公平な適用を直接の目的とするものではなく、刑事訴訟において、配慮されなければならない被告人の権利を無視している。審議会最終意見は、裁判員制度は個々の被告人のためというよりは国民一般にとって或いは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入するものだから、被告人に裁判員制度の選択権がないというけれども、刑事裁判は本来被疑者、被告人の基本的人権擁護のための手続きであり、それが被告人の利益より国民教育・意識改革優先だというのはまさに本末転倒であろう。」金木犀2・9月

  「日弁連が、前述のように裁判員制度にしがみついて行こうとする姿は、この政府、知事、会社の社長と同列、つまり制度制定者・権力者側にいることを示す。しかし、日弁連、弁護士というものは、そもそもそのような立場に立って良いのであろうか。基本的人権の擁護、社会正義を実現することを使命とする弁護士の団体は、この綻びを最初から抱えている、いまだに多くの国民の支持の得られていない制度に対し、制度制定者とは明確に距離を置いて、一般市民、上記アマチュアの立場で、主体的に「英知」を生かす知的生命体として明確にものを言い、舵を切りなおす責金木犀・9月任があるのではあるまいか。」

  「人間にとって、自分の欲しないことを無理矢理させられるほど嫌なことはあるまい。それは飲めない酒を無理に飲まされるようなもの、高所恐怖症のものを崖の上に立たせるようなものである。長時間法廷に釘づけにされ、聞きたくもない話に付き合わされ、見たくないものを見せられ、果ては人を刑務所に送り込んだり、絞首刑を命じさせられたりすることが苦役でなくてなんであろうか。裁判は、裁く者にとっても裁かれるものにとっても本来は苦役の場である。裁判官は裁くことに苦しみや痛みを感じないのであろうか。これが参政権の行使と同じだという感覚は、到底理解できないものである。」金木犀・9月

  本書の終章「3.11後の不安の中で」では、次のようにある。ちなみに著者は、戦時中、福島第1原発のある現在の福島県大熊町に疎開し、終戦を迎えたという。

  「今回の震災、福島第1原発の事故から我々は何を知ったでしょうか。それは政府も電力会社もマスコミも真実を報道しないで国民を騙してきたということです。」「私は『原子力村』という言葉を知ったのはこの事故のあとです。裁判員制度についても、その広報について、やらせ、さくら、パブ記事など国民の目を欺くことが行われてきたことが伝えられました。我々は、これからはやはり眼光紙背に徹する眼力を持ち、この騙しの行為を暴きそして監視していかなければなりません。その監視力こそ民主主義成熟度のバロメータだと思います。そして批判し、行動すること、そのことを震災・事故から学ばなければならないと思います。」

  若手弁護士、特に裁判員裁判の現場で呻吟する若手弁護士に是非一読を進めたくなる書物である。金木犀9月

金木犀2・9月金木犀2・9月金木犀2・9月金木犀2・9月金木犀2・9月金木犀2・9月金木犀2・9月金木犀2・9月

投稿:2013年8月29日

新刊書籍紹介『裁判員制度廃止論』

『裁判員制度廃止論』978-4-7634-0675-0

出版社:(株)花伝社

著者:織田信夫 

発行:2013年8月

国民への強制性を問う

劇場と化した法廷 裁判員制度を裁く

裁判員制度施行から4年…

国民への参加義務の強制と重い負担

刑事裁判の変容

最高裁の制度定着への並々ならぬ意欲…

裁判員制度はこのまま続けてよいのか(同著・帯から)

著者紹介
1933年 仙台市にて出生
1956年 東北大学法学部卒
1963年 判事補
1970年 弁護士登録(仙台弁護士会)
1988年 仙台弁護士会会長
1989年 日本弁護士連合会副会長
1999年 東北弁護士会連合会会長

野ぶどうライン野ぶどうライン2

 

 

投稿:2013年8月28日

『河北新報』かく語りき―仙台の8月は熱い

 読者から「広域紙『河北新報』が連載記事「裁判員裁判 5年目の課題 東北の現場から」を掲載した(8月14日~18日)」と連絡をいただきました。  

 『毎日』の社説(の問題はこちらをどうぞ⇒「判決後」にではなく、「制度続行の危機」に意識を!)とほぼ同時期の「現場」を標榜する記事です。中途半端な指摘もいくらか混じりますが、一所懸命追いかけているところは評価したいと思います。これは『毎日』と『河北』の差なのか、論説委員と現場記者の差でしょうか。詳しくは原記事を検索していただきたいのですが、せっかち読者のために『河北』5回の記事を超簡単ダイジェストにご紹介します。

 1列目□に各回のタイトル、「 」で小見出しと要旨、○出しで特徴的な記事、の順でまとめました。考える猫

□ 8月14日 裁判員(上) 密室 評議透明化望む声も

「選択できるか」=死刑と無期懲役を裁判員は本当に選択できるか。
誰にも明かせず」=守秘違反に6か月以下の懲役か50万円以下の罰金の重さ。
弁護士会が意見」=裁判官の不適切な誘導で評決結果に歪みが生じていないか。 

 ○ 殺意がいつ発生したかをめぐり、ある裁判員が「凶器を持って現場へ行った時か」と尋ねる。裁判官は「違う。凶器で被害者を攻撃した時です」と指摘した。
○ 
裁判官は最後にこう伝えた。「ここを出たら、裁判所は(裁判員経験者らを)守れません」 肉球左向き

□  8月15日 裁判員(下) 義務 参加意義 乏しい議論

「制度の実験台」=急性ストレス障害と診断された郡山の裁判員の深刻な状況。
社会守る意識を」=秩序・治安を自ら守る意識改革を国民に求める国。
環境整備が必要」=参加しやすい条件を整えないと辞退者は増える。   

○ 東北では昨年12月末現在、約2万5400人が裁判員候補者となり、約6割が病気や介護などの理由で辞退を認められた。
○ 
郡山国賠訴訟の代理人の織田信夫弁護士(仙台弁護士会)は訴える。「なぜ市民がそこまでしなければならないのか、詰めた議論はない。国の仕組みに無理やり組み入れるのはおかしい」魚を考える

□  8月16日 裁判官 配慮 審理との両立に苦心  

「市民負担を軽減」=審理10分で休憩、昼食も裁判員と一緒にという配慮。
『誘導』の重圧も」=結論をもって評議を進め、時間ばかり気にするる裁判長。
説明評価が9割」=裁判官のそばで書き込むアンケでは本当の意見は出てこない。

○ ある裁判員経験者は、「裁判長が結論ありきで評議を進めた印象がある。疑問点を聞いても裁判長の意にそぐわないと退けられたと感じた」と不満をぶちまける。
○ 
刑事裁判官は複雑な胸中を明かした。「裁判員に言いたいことを自由に言わせるだけでは収拾がつかなくなり、意見を修正すれば『誘導した』と捉えられかねない」
○ 
(最高裁が、アンケート調査の結果、法廷での裁判官の説明を9割近くが「分かりやすかった」と評価し、評議の議論の充実度について7割超が「十分に議論ができた」と答えたと発表したことについて)ある裁判員経験者は、裁判所内で裁判官がそばにいる状況で、アンケート用紙に記入したという。「裁判官が喜びそうな答を選んだ」と明かし「裁判官の対応の検証は、裁判員の『本音』に基づいてなされるべきだ」と提案する。肉球右向き

□   8月17日 検察 強調 証拠の見せ方 異論も   

「13秒の長さ実感」=飲酒運転者の前方不確認時間をストップウォッチで実演。
弁護側に危機感」=被害者の法廷内嘔吐、血の海のカラー写真、そこまでやるか。
イラストも検討」=負担配慮は本末転倒では。脚色して結果を変えてはならない。  

○ 福島地裁郡山支部であった強盗殺人事件の裁判。検察側は血の海と化した現場のカラー写真を示し、被害者が消防署に助けを求める音声を聞かせた。判決は極刑。複数の裁判員経験者が「写真を見て、こんなにひどい事件を起こした被告は死刑しかないと思った」「音声が頭から離れない」。
○ 
ある弁護士は裁判員裁判の経験を通じ、最近の検察側の立証に危機感を抱く。「量刑が重くなるよう、被告に不利なことを裁判員に必要以上に強く訴えかけている」箱考える

□   8月18日 弁護士 苦境 被告防御 困難さ増す   

「求刑上回る量刑」=求刑超え判決すでに5件、重罰志向の傾向が弁護士を襲う。
『審理尽くして』」=裁判員裁判の審理不足を控訴審で回復する必要に迫られる。
スキル向上図る」=刑事弁護技術の向上を図るというが…。  

○ 裁判員経験者と法曹三者の意見交換会。「法廷で弁護士の話が分かりづらかった」裁判員経験者の男性が指摘した。同じ裁判で裁判員を務めた全員が分かりにくさを感じたという。同席した小野寺友宏弁護士(仙台弁護士会)は「弁護士が厳しく見られている」と受け止めた。
○ 
一審から傍聴してきた更生支援団体関係者は、「一審は少年法の理念や事件の背景の審理が欠けていた。二審は審理を尽くしてほしい」と訴える。
○ 
(裁判の当事者である被告の権利の保障や、公判前整理手続きに伴う被告人の長期拘束の問題について)裁判員裁判の見直しを議論した法務省の検討会では、「被告人の裁判を受ける権利より、裁判員の負担の方に軸足を置いて考えるべきだ」との意見も出ている。  箱考える猫

インコの感想を一言

 『河北新報』の記事を一言でまとめれば、裁判員は「密室」と「義務」に縛られ、裁判官は裁判員への「配慮」に苦労し、検察官は証拠の「強調」に走り、弁護士は被告人の防御で「苦境」に立っているということです。この制度、どこにいいところがあるというのでしょうか。記事を読んだ大半の人たちも同様の感想を持つと思います。

 「どうしてやるのか。なぜやめないのか」。いまや議論はこの一点に集中すべきときだとインコは考えます。青木正芳弁護士(仙台弁護士会)は、「廃止は拙速。市民や専門家の力を借りながら改善し、存続させるべきだ」とコメントしたそうですが、なに寝とぼけたようなことを仰るのか。「4年も月日をかけて」やってみたけれど、「どうにもこうにも拙(まず)い」のなら、やめようという話でしょう。そのどこが「拙速」なのですか。「市民や専門家の力」って何のことでしょうか。それに、この方は法務省が「見直すべきことは基本的にない」と断言していることもおそらく全然ご存知ないのでしょう。ご存知ならばそのことに触れない訳にはいかないはずですからね。

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投稿:2013年8月26日

寄稿 「判決後」にではなく、「制度続行の危機」に意識を!

 『毎日新聞』が裁判員のストレスに触れた社説を掲載しました(8月14日「裁判員ストレス 判決後の配慮も大切だ」)。最高裁が、東京地裁の裁判員裁判担当裁判官たちの「配慮の申し合わせ」を参考にするよう、全国の裁判所に対し通知(8月1日『読売』報道)したことに対する論評です。ぶどうと小鳥

 「配慮」とは、遺体写真のイラスト代用を検討してねとか、どうしても見させるのなら選任段階で候補者たちにそのことを予告しなさいねとか、不安を訴えた候補者はどんどん辞退させなさいとか、そういうことでした。

 最高裁はこれを全国の地裁に伝達してすみやかな実行を迫ったのです。実情を言えば、外傷性ストレス障害にかかった元裁判員の国家賠償請求事件であわてた竹崎最高裁が、東京地裁の裁判官に緊急に「申し合わせ」をさせ、それを全国に紹介するという形で統制したお粗末話なのですが、これに対して『毎日』はいささか時機遅れの汗かき記事を掲載しました。

ぶどうと小鳥 問題はその中身。まず、「裁判員に選任されれば、公正に職務を遂行する義務を国民は負う。だが、精神的に大きなダメージを受けてまで職務を続ける必要はない。全国の裁判官は、これまで以上に裁判員の心情に目配りしてほしい」と宣いました。

 ですが、裁判員法は、「裁判員は、法令に従い公平誠実にその職務を行わなければならない」と裁判員の義務を無条件で言い切っていて(9条1項)、どこにも「精神的に大きなダメージを受けてまで職務を続ける必要はない」などと書いていません。そんな基準を敢えて提言する以上は、その理由・根拠に触れなければ物を言ったことにはならないでしょう(それとも「申し合わせ」が言っているので、とりあえず同じことを言ったというだけのことかな)。

 職業裁判官はどんなに激しい精神的ダメージを受けても職場放棄は許されません。裁判員の場合はなぜそれが許されるのでしょうか。また、許されるのなら裁判員法9条はなぜそのことを明記していないのですか。そこに潜む不合理を突くのが責任あるメディアの矜恃でしょう。えっ? そんなプライドなんてもうないって?ぶどうと小鳥2

 「公判や評議での裁判員の様子に十分気を配る」「異常が感じられたら辞任を申し出るよう勧めることも考える」「判決言い渡し後も裁判員の相談に積極的に応じる」。『毎日』の論説委員の目には、東京地裁のこれらの「申し合わせ」は「常識的な内容」と映じるようです。最高裁は、裁判官は証人の証言や被告人の供述に意識を集中し、検察官や弁護人の発言や両者の論戦に気を配り、傍聴席の動静も絶えず注意し、その上で公判や評議の場での裁判員の様子にも十分気を使えというのです。

 どんな様子が窺えたらどうしろというのでしょうか。そもそも「異常を感じる」状況とはどのような状況なのでしょう。必死にこらえている裁判員からはどう「異常」を感じ取るか。10分に1回は「皆さん、大丈夫ですか」と尋ねろとでも。福島地裁郡山支部の裁判員には「異常」があったという報道はありません。また、判決言い渡しのあと何ヶ月も何年も、転勤後までも、いえ、生涯にわたって元裁判員につきまとわれることを覚悟せよと言っているのですか。何から何までよくわからない。ほとんど「真っ暗闇よ」の世界ですね。そんなこと言われたってという現場裁判官の悲鳴が聞こえてきそうです。ぶどうと小鳥

 社説は、「重い審理の体験を共有した者同士が連帯感を持ち得るような配慮が重要」との「申し合わせ」の指摘や「判決後に裁判官と裁判員が一堂に会して話をする機会を作る」提言にも共感を表明しました。おかしな話です。たまたま「くじ」で出会っただけの者同士がどうして連帯感を懐き合わなければいけないのでしょうか。「連帯感」なんて裁判員法のどこにも書かれていません。もしそれがこの制度の隠れた目的だとすれば、その「目的隠し」について、メディアは厳しく批判すべきです。  

 人につらい体験をさせておいて、つらい体験をしたのは自分だけではないと慰め合う「話し合い」って何ですか。この手の会合に集まった人たちは何を語り合うのですか。「みんなで話し合って彼を死刑台に送ったのだ。私1人で結論を出したんじゃない」と確認し合うと、何が解決するのですか。心の負担が軽くなる? 罪悪感を取っ払ってとんでもないことでもやりおおせる人間を増やすことは、悩む人がたくさんいること以上に恐ろしいと思いますね。

 そもそも本当につらい経験をした人がどれだけ集まると思っているのでしょうか。この論説委員はお忘れのようですが、『毎日新聞』は昨年5月18日、裁判員経験者のアンケートを掲載しました。「判決後の記者会見で連絡先を提供してくれた全国の1250人にアンケートを送り、回答があったのは467人」。『毎日』の記者は裁判員経験者約2万8千人のうち1250人からしか連絡先を聞き出せず、連絡先を聞き出した相手でも37%しか回答をしてくれなかったのですよ。裁判官ともう一度会いたいとか、裁判員経験者同士交流したいというのは、本心から良い経験をしたと思い込んでいる1%の人たちしかいません。ぶどうと小鳥2

 「窮屈な守秘義務規定がストレスに関係しているのなら問題」「裁判員経験者に詳細な聞き取りをして見直しを検討すべき」。社説は「改善策」提言にはご熱心ですが、最高裁が守秘義務厳守の立場をかたくなに維持している理由には無関心を装っています。「秘密は墓場まで持って行き、国策司法にひたすら協力するのが国民の義務だ」という裁判員制度の背景思想を疑うことをメディアはなぜ躊躇するのでしょう。

結論。「裁判員から国家賠償請求訴訟を起こされるようなことは絶対に避けよ」「辞退希望者がまた増えても仕方がない」「血の海の写真は見せないことにするか、見てもびくともしないような人たちだけで裁判をやれ」。

 最高裁がそんなことしか言えなくなったところに制度の危機が歴然化しているのです。最高裁のあわてふためく姿を活写し、鋭く批判するのでなければ、『毎日新聞』はやはり眉唾新聞かと言われます。日にちをあけてようやく社説を掲げた意味がこれでは何もありません。

ぶどうと小鳥3

 

 

 

 

 

投稿:2013年8月24日

大分地検:殺人罪の被告が勾留中の刑務所で病死

-インコの深読み分析-

『毎日新聞』8月16日記事

  大分地検は16日、大分県別府市のアパートで昨年2月に大家の女性(当時81歳)を刺殺したとして殺人罪で起訴された被告(64)が、勾留中の大分刑務所内で死亡したと発表した。検査の結果、心筋梗塞(こうそく)の症状がみられたという。

 地検によると、13日夜、被告が単独室内で倒れているのを刑務官が発見し病院に搬送したが、死亡した。それまでに体調不良の訴えはなかったという。発表が3日遅れた理由について田中宏明次席検事は「病死と明らかで、直ちに発表する必要はなかった」とした。

 被告の裁判員裁判は大分地裁で9月26日に初公判の予定だったが、地裁は16日、期日を取り消し、裁判員の呼び出し取り消しの手続きを始めた。

足跡引用終わり

疑問いっぱい、正解ひとつ。016604

疑問1

 判決も出ていない被告人を刑務所に収容したって? それってどういうこと? 書くなら大分刑務所拘置区だとか、誤解されない書き方をしたらどうだ。

疑問2

 「『病死と明らか』なら直ちに発表しない」とはどういう理屈なのか? 「『病死と明らか』なら直ちに発表する」ではないのか? それとも、病死と明らかでない事件はやたらに多く、そういう場合には疑惑を受けないように直ちに発表するが、数少ない病死明確事件は安心して(慢心して)ちんたら対応するということかな。ぶっちゃけて言えば、「病死に見せるため3日間かけて隠蔽工作してたんじゃないか」って思っちゃったけど。 

疑問3

 「検査の結果、心筋梗塞の病状が見られた」と。 亡くなっている人を相手に何の検査をしたのかちゃんと調べてはっきり書け。

疑問4

 「それまで体調不良の訴えがなかった」ということと「病死と明らか」とはどういう関係になるのか? 心筋梗塞は予兆がいろいろあるということは常識。それが何もなかったのなら、「病死は明らか」ではないと疑って良いはずだ、いや、疑わなければならないはずだ。どうにも話が全体にアヤシイ。名古屋刑務所、徳島刑務所、宮崎刑務所と次々明るみに出た受刑者に対する虐待や、高齢者施設で虐待されていた入所者の死亡診断は「急性心筋梗塞」だったというニュース見たなあとか、いろいろ思い出しちゃったよ。

疑問5

 被告人が死亡したら控訴棄却で終わるのは刑事裁判の基本(でしょ)。裁判は裁判官だけでやることになる。裁判員候補者には出頭が不要になったということを一刻も早く丁寧に伝えるのは当然過ぎるほど当然の裁判所の義務になる。検察庁はなぜこれを遅らせたのか?

正解はただ一つ

 検察にとっては被告人の健康状態はおろか、彼が死んだことも大した問題ではなく、裁判員候補者たちへの連絡の遅れも大した問題ではないということ。

 検察官にとって、被告人や裁判員などのことはつまりどうでもいいっていうこと。 

 高崎山のお猿さんの方がずっと賢い話です。

012220  

 

 

 

 

投稿:2013年8月23日

「国策報道」はいつか来た道 行き止まり

 裁判員制度は施行3年を過ぎて去年見直しの時期に入った。実施時には、この制度は3年後に見直されるとマスコミは揃って紹介していた。さて、全国紙をはじめとするメディアのどこが見直すべきことを具体的に取り上げたか。どこにどのような問題があるとか、このような改善案を出すとか、何一つ言いもしなかったことはご承知のとおり。お喋り好みのA紙も提言好きのY紙もだんまりを決め込んだ。元々、メディアは最高裁の醜悪極まる提灯持ちだった。その根深い前史をこの機会に思い起こしておこう。011732

 国策報道に邁進するマスコミ

 国民の8割以上がやりたくないと言っている裁判員制度。しかし、マスコミの多くは国策を批判することなく、最高裁の発表を垂れ流しするだけであった。なぜなのか? 

 一つは「利権」だ。業者が政治家や役人と結託して獲得する権益である。宣伝・広告費(税金)が欲しかった。

 少し古くなるが、最高裁と結託した電通、共同通信そして各地方紙の「裁判員制度タウンミーティング問題」を取り上げる。019168

 最高裁のサクラは2月に咲いた

 裁判員制度タウンミーティングに、電通・共同通信・各地方紙はむらがった。そのことは、『週刊現代』07年2月24日号の魚住昭氏寄稿文「『裁判員制度タウンミーティング』は最高裁と新聞メディアと電通の『やらせ』だ」に詳しい。少し長くなるが引用する。

  「パブ記事」という業界用語をご存じだろうか。一般記事の形をした偽装広告のことだ。…当然ながら新聞社や雑誌社ではこうしたパブ記事の掲載を禁じられている。記事の客観性・中立性に対する読者の信頼を決定的に損なうことになるからだ。ところが、こともあろうに最高裁が広告代理店『電通』と結託し、巨額の広報予算をエサに世論誘導のためのパブ記事を、全国47の地方紙に掲載させていたことが、最高裁や電通の内部資料で明らかになった。最高裁の狙いは情報操作で、裁判員制度を積極支持する世論を形成することだ。国民をダマして国策を受け入れきせる大がかりな仕掛けが明らかになったのである。

  最高裁は全国各地で地元紙の共催により「裁判員制度全国フォーラム」というタウンミーティングを開催している。そのうち『産経新聞』大阪本社と『千葉日報社』がそれぞれの地域でアルバイトの「サクラ」を大量に動員していた事実が1月29日(07年・引用者注)、分かった。

  入手した内部資料から浮かび上がったのは、マスコミ界のタブーとされる電通と霞が関の癒着構造だった。そこに全国の地方紙と、私の古巣でもある共同通信が元締めとして加わり、「四位一体」で国策遂行のための世論誘導プロジェクトが、8年前から水面下で進行していたのである。I„c0o0š0

  「不況で広告が集まらなくなって地方紙の経営状態が悪くなったのが発端です。そのとき電通新聞局が主導して巨額の政府広報予算を地方紙に回すために作った組織が地方紙連合だった。だから裁判員制度のフォーラムは、地方紙連合が電通経由で各省庁から受けた仕事の一つに過ぎません」…この編集幹部の証言によると、政府が世論形成をしたい場合に行うシンポでは省庁側から①シンポの模様を伝える特集には「全面広告」のノンブル(断り)は打たない ②紙面に「広告局制作」といった表現も認めない という条件がつけられた。政府広報と分かると広告効果が格段に減る。世論形成のためにはパブ記事でなければならぬというわけだ。…大多数の地方紙が報道機関として越えてはならぬ一線を越えたのは、政府広報が企業広告のように値切られる心配がない、「おいしい仕事」だからだ。

  フォーラムの開催が決まると、共催者の地元紙は、まず開催告知の「社告」を掲載する。次に最高裁による、フォーラムの「予告広告」(5段=紙面の3分の1)を2度、有料で掲載する。3番目は、フォーラム開催を伝える社会面用の記事を載せる。記事なので無料だ。最後が、フォーラムの詳細を伝える10段(紙面の3分の2)の特集記事と、最高裁の裁判員制度についての5段広告。広告はもちろん有料だが、併せて掲載される10段の特集記事は前出の地方紙編集幹部が言うパブ記事である。05年度、全国47紙の地方紙を使い、フォーラムと広告と記事を抱き合わせた世論誘導プロジェクトに使われた税金の総額は3億数千万円である。

  電通が最高裁に提出した契約書に添えられた「仕様書」も紹介しよう。そこには、このカラクリに秘められた本音が、あからさまに語られている。「最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、主催新聞社(各社、全国地方新聞社連合)、共同通信社、電通が一体となり、目的達成に向けて邁進する」。この一文を見て、私は戦時中の国家総動員体制の中核を担った同盟通信社を思い出した。同盟通信は36年に日本電報通信社の通信部と新聞聯合社が合併して発足した国策通信社で、国民の戦意高揚や情報統制の手段として大きな力を発揮した。敗戦後、その同盟通信が分かれて発足したのが共同通信と時事通信だ。一方、36年の同盟通信発足時に日本電報通信社から切り離された広告部門が、現在の電通だ。つまり同盟通信の後身である共同通信と電通、さらには地方紙と裁判所が一体となって仕組んだ「国策遂行プロジェクト」が、裁判員制度フォーラムの裏の顔だったのであるマスコミ

ばら8384引用ここまで。

 『朝日新聞』は何をしたか

 最高裁は、制度実施に先立ち有識者を集め、「裁判員制度広報に関する懇談会」を立ち上げた。

 懇談会参加委員の名簿には、『朝日新聞』現論説委員の渡辺雅昭氏の名前がある。最高裁が『朝日』を取り込んだのは、朝日がエセ紳士だと見抜かれたからか? ここはお上品にいきたいので、よたもんと揶揄された『讀賣』と、まゆつばと言われた『毎日』には声をかけなかったのか? サクラを集める『産経』は声をかけなくてもついてくる?

  制度や法の是非を憲法に基づいて判断する最高裁が、「国策の制度をどう広報するか」などと考えたり実行したりすること自体そもそもおかしな話なのだ。だが、その最高裁を批判的に評価・報道しなければならない新聞記者が「国策」に協力するというのもおかしな話だ。国策協力といえば、戦前のマスコミの大本営翼賛が直ちに思い起こされる。皮肉を言えば、そのことは『朝日新聞』自身の検証記事「歴史と向き合う 戦争協力 見失った新聞の使命、反省を『今』につなぐ」に詳しい。その反省はどこへ行ったのか? 渡辺君!

  制度の宣伝に関わる人は、制度を正しく論評・批判できるわけがない。国策協力に自社要人を送り込む新聞がその国策を叩けるはずがない。実際、『朝日新聞』記者の中には「裁判員制度推進は社是ですから」と力なく漏らした者もいる。

 社是ならば、裁判員制度を報道するときには「社是として制度を推進する」と断るべきだろう。「国策推進に邁進している」と堂々と言わず、さも公平なフリをして「パブ記事」を書くのはなぜか。

  織部法太郎氏が言うように「権威や権力が好き」で「読者程度の国民の有象無象にはわからないような、日本の裁判の不都合や、陪審・参審の良さを、高学歴・高教養の自分たちはわかっているから、国民を教化善導しなくちゃいかん、それが社会の木鐸だ、という思い」(「続々・裁判員制度を嗤う 架空対談・大本営発表」)から、国民参加は民主主義の窮極の姿だという宗旨に染まったのか。

 そして将来・・・015436

 内田博文神戸学院大学教授は「菊池事件と裁判員裁判」で次のように指摘された。

 ファシズムの成立には、国民・市民の動員も不可欠である。全体主義国家の構築のために国と国民・市民が一致協力する。それによって「法の支配」を超えた統治を実現させる。「障害物」はすべて除去していく。そのためには、マス・メディアの統制がキーとなる。…統制されたマス・メディアはファシズムの「生みの親」ともいえる。

 ファシズム体制という観点から裁判員裁判を見た場合、どのように映るのであろうか。裁判員裁判における「法の支配」からの逸脱。すなわち、日本国憲法や国際人権規約等が「法の支配」の貫徹をもっとも強く求める刑事訴訟法の原理・原則からの逸脱。そして、これを「国民世論」の名で正当化し、国民・市民を裁判員裁判に動員する。さらに、国策に沿って「国民世論」を創り上げるマス・メディアの存在…。 

 斎藤文男九州大学名誉教授は「改憲と裁判員制度」で次のように喝破された。

 裁判員制度が、憲法改正の地ならしなのか。それは、裁判員制度の発想と憲法改正の発想が同じだからです。いずれも、憲法を人権保障のためではなく、権力者の統治のための法とみなし、人権よりも国家への服従義務を優先させているからです。

  『朝日新聞』はいつの日か、裁判員制度と本紙の検証姿勢と題する記事を書くのだろう。そのタイトルは「歴史と向き合う 裁判員制度 見失った新聞の使命、反省を『今』につなぐ」となるに違いない。 

 中途半端に反省をしてみせるエセ紳士。過ちは繰り返しませんと誓ってまた誤るエセ紳士。その犯罪性は「撃ちてし止まん」でひたすら暴挙に突っ込むのに劣らぬ悪辣さを歴史に留めるであろう。H24.7.30.ŠÏ—tA•¨

 

 

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投稿:2013年8月21日

インコのTシャツが大活躍

  まえだけいこ

市民のための刑事弁護を共に追求する会事務局
福岡市民救援会事務局  

 反原発運動していた福岡のKさんは、6月25日に、佐賀駅で、佐賀県警と福岡県警に、身に覚えのない傷害容疑で逮捕・勾留・起訴されました。(裁判は9月11日福岡地裁)
 その勾留理由開示公判では、たくさんの市民運動の仲間が集まりました。傍聴席は24しかなく、集まった人数は倍以上でしたが「遠くの人、入ってください。」、「親しい人が入って」と、微笑ましく譲り合いしていました。

 ところが、救援会の事務局が法廷に入ろうとすると、廷吏が走ってきて、「入れません」と言います。「なんでですか?」と問うと、「その赤いTシャツが管理規定違反になります」と言う。「なんで?どんな規定ですか?」「政治的メッセージは駄目です」「メッセージって、これは、すり切れて、もう、インコのイラストしか残ってないんだよ。問題ないでしょ。」「駄目です、裁判長が駄目と言っています。」「裁判長は見たの?もう一度聞いてきてよ。」

 すると、「OKです」。あれ~?
Tシャツの後ろには、「裁判員制度反対大運動」って書いてあったんだけどね(笑)。小さい文字だし、リュック背負ってたから問題ないかな? 

 「戦争反対」、「再稼働反対」、「強制するな」というメッセージTシャツ、私たちはスローガンTシャツって言うかな?こういうものの着用を理由に裁判所は傍聴人を締め出す。でも、根拠と言われる管理規定に、本当はきちんとした基準はないようだ。廷吏や裁判官の気分や趣味で、傍聴者を規制できる裁判所って前近代的でおかしいよね。

 だいたい、服装に押し付けがましい主張する裁判官は、訴訟指揮も厳しい。この日も、傍聴人が、ちょっと喋ったら退廷を命じた。抵抗したら監置もあり得そうな雰囲気だった。法廷の一番高いところに立つ裁判官って、神さまになったつもりなのかな~?

 こんなんで民主的な裁判ができるはずがない。裁判員制度という、彼らの非民主性を補完する「市民感覚」なんてーいらないよ!裁判員制度を解体せよ!

 なお、8月10日発行の『救援』第532号にも、この事件について書いた私の原稿が掲載されています。

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投稿:2013年8月20日

「生駒市・主婦殺害事件」-インコによる公判後整理

 奈良県生駒市で2011年6月、元交際相手の母親(60歳)を殺害し、ばらばらにして遺体を山中に捨て、クレジットカードなどを奪ったなどとされる「奈良市・主婦殺害事件」。
 この事件の裁判・裁判員・被害者遺族について、公判後整理をしてみま030673した。

 

【裁判】

  強盗殺人・死体損壊・死体遺棄などの罪に問われた36歳の被告人は強盗殺人を否認。遺棄現場からは不自然なほど短時間で白骨化した遺体のそれもごく一部しか見つからず、凶器も発見されなければ殺害方法も死因も不明という事件。

 過去の「遺体なき殺人事件」を思い起こさせますが、遺体なき殺人で有罪になったのはたいてい容疑者や共犯者の供述が決め手となっています。しかし、今回の事件では被害者の一家と交流があった被告人は一貫して「被害者宅を訪れたときにはもう死亡していた。自殺したのだと思う」と主張。遺体を損壊・遺棄したのは自分が殺したと思われたくなかったからだと供述していました。

 9か月の公判前整理を経て、13年1月28日、奈良地裁としては過去最長の55日に及ぶ裁判員裁判を開始。260人の裁判員候補者のうち出頭者はわずか51人。選ばれなかった候補者の一人は、「選ばれた方はお気の毒」と語りました。

 裁判で弁護人は、直接証拠がほとんどないと指摘し、無罪推定の原則が厳格に適用されるべきだと主張。裁判所の訴訟指揮が注目され、「推定無罪」という刑事裁判の原理を裁判員たちがどれだけ理解できるかにも関心が集まりました。

 判決は3月5日。裁判所は、「遺体を徹底して損壊、遺棄したのは犯人と解さなければ説明できない」といともあっさりと強盗殺人を認定。「犯行は冷酷非情で非人間的」として検察の求刑どおり無期懲役を言い渡しました。

 状況証拠しかなかったり直接証拠が極めて少なかったりした時の事実審理は,薄皮を剥ぐような丁寧さで分析する必要があります。奈良地裁は「状況証拠による事実認定にあっては、被告人が犯人でないとすれば合理的な説明が極めて困難な事実関係が間接事実中に含まれていななければならない」という最高裁判例に本当に従ったと言えるのでしょうか。拍子抜けするくらい簡単に有罪と認定してしまったことに強い違和感が残ります。044507

 

【裁判員】

  5月25日付け『毎日新聞』奈良地方版は、同裁判で裁判員を務めた40代の男性の「苦悩を吐露した」言葉として、次の述懐を紹介しました。

 「多いときには週に4回裁判所に通った。仕事にも影響したが審理後や土日にも出勤した。ずっと気持ちが張り詰めていた。寝る前にも事件について考える日々が続いた。新聞記事をすべてスクラップし、刑法も勉強した。それでも確かな証拠が少ない中、素人が意見を出して判断するのは難しい。あれで良かったのか、判決をずっと背負っていかなければならないと思うと精神的にもつらい。今でも事件のことは気になる」 

 一方、裁判終了後の記者会見では、次のような発言もありました。

 「専業主婦で最近、社会との接点が持てていないと思っていたので、本当に良い経験でした」(女性)
「いかに考えずに生きてきたかがわかった。一つの物事には理由と結果があるということが理解できた」(54歳男性)

 このような状況に立ち会うことになっても、「久しぶりに世間の空気に出会えて良かった」などと喜ぶ人や、物事には理由と結果があるということも分からず54年も生きてきた人(?)に裁かれた被告人。

 また、殺害を否認する被告人をどう思うかと問われた裁判員は「本当のことを言ってほしいといつも思っていた。判決の今日もそう思ってすごく切ない」と告白しました。「殺していないというのはウソだといつも思っていた」と言うのですから、「推定無罪」はこの人にはわからなかったのでしょう…‰Ä‚̉ԉΑå‰ï2

 

【被害者遺族】

  極刑を望んでいた被害者の遺族は、「これだけの残忍で身勝手極まりない犯行なのに、なぜ死刑でないのか。検察官は極刑を要求して控訴してほしい」と強く非難し、被害者が公判前整理手続きに参加して、証人尋問もできるようにしてほしいとも要望しました。

 8月13日付け『MSN産経ニュース』によると、被害者の遺族は、今年8月24日に東京で開催される犯罪被害者支援のシンポジウム「被害者が参加して刑事裁判はどう変わったか」(主催「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」)に参加して、「公判前整理手続きの段階から被害者参加ができる制度に改められるべきだ」と主張するそうです。

 仮に有罪判断が正しいとしても、死亡被害者1人の事件で検察官が死刑の求刑を躊躇するのは、現在の刑事裁判の例としてはごく自然なこと。刑事裁判は、1人殺したら1人殺し返すというほど単純な報復の論理を貫くものではないのです。また、裁判所が検察官の求刑どおりの判決を出しているにも関わらず、「その量刑に納得できないと言え」と検察官に迫る遺族の言い方は、法律論として通るはずもありません。このような「不規則発言」がマスコミに登場するだけでも、司法が直面している病状を強く感じます。メディアの資質・姿勢も大きくレベルダウンしています。

 そもそも否認事件なのに、被害者遺族が裁判の途中に法廷に登場して「この人を重罰に処してほしい」と主張すること自体が問題です。いえ、たとえ被告人が罪を認めていても、被害者感情が法廷を支配することはあってはならないと思います。

 公判前整理への被害者参加や証人尋問権の付与の要望に至っては、もはや刑事裁判の根底的な崩壊です。このような議論を弁護士がリードするというのですから、法曹自身が法律の基本をうち砕くようなものです。もっとも最高裁が裁判員制度の先頭に立っているので、当たり前と言えばそれまでのことですが、ともかく尋常ではありません。

 刑事司法は裁判員制度をきっかけに崩壊の一途をたどっています。

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投稿:2013年8月19日

自分の事情を言い募るのは非国民!?

 8月15日付け『讀賣新聞』夕刊に「『DVで辞退』認めず 宮崎地裁 不出頭扱いに」という見出しの記事が掲載されました。ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者がそのことを理由に裁判員になりたくないと訴えたのに裁判所が認めなかったという事件です。少し複雑な経過があるので時系列で説明します。

12年5月 宮崎地裁は、A子さんを「裁判員候補者」に選び、呼出状を送付
  
 DV被害者のA子さんは裁判員に選ばれることを懸念してこれに応えず
  

 A子さんの父親が「娘がDVの被害に遭っているので候補者から外して欲しい」と地裁に手紙を出す
 ↓
地裁は合理的理由のない不出頭と処理
 ↓
12年10月 地裁は別の事件で再びA子さんを裁判員候補者に選び、呼出状を送付
 ↓
 A子さんは再びこれに応えず
 ↓
地裁はまたまたA子さんを合理的理由のない不出頭と処理
 ↓
13年7月末 A子さん家族の強い抗議で、地裁はようやく重い腰を持ち上げ、「配慮にかけるところがあった」と謝罪

  A子さんは2度にわたる呼び出しに返事をしませんでした。DVの被害者が自分に関する情報が外に漏れることを強く懸念するのは当たり前のこと。父親を通して候補者からの除外を求めた心情はよくわかります。彼女は警察も裁判所も信用できないと思っているのです。父親は父親で娘のためを思い、必死に訴えたのでしょう。その気持ちもよくわかる話。

 裁判所は、手続きに問題がなかったと弁明しました。本人以外の者が申し立てた内容を本人の意思とは認めなかったこと、裁判員に選ばれなかった者を再び裁判員として呼び出したことなどは、ルールに則ったものであるという趣旨でしょう。不出頭は過料に直結しないなどと開き直りもしたそうです。官僚答弁とはこのことを言うのです。それなら謝ったりするなと言いたい。

 今回の事件は、候補者の選任や呼び出しの過程に相手を思いやる気持ちなど爪の先ほどもないことを暴露しました。このような弁明自体、裁判員制度が持つ非人間的な統制の本質を強く臭わせています。

 問題は、一地裁の問題ではなく、裁判所全体の問題であり、最高裁の問題です。裁判所に欠けている「配慮」とは、国民一人ひとりの事情などすべて踏みにじる姿勢。それはDVの被害者だけの問題ではありません。配慮というなら、制度の廃止こそが正しい配慮です。

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投稿:2013年8月18日

ストーカー2女性殺害事件 『長崎新聞』コラム

 読者から、「『長崎新聞』の名物コラム『水や空』に『裁判員の告白』という記事が掲載されていました。ご参考に」と連絡をいただきました。ご紹介いたします。

 長崎県西海市でストーカー被害を訴えた女性の母と祖母が殺害された。被告人は28歳の男性。被害を訴えた女性とその父親は西海署に相談したが、警察は被告人の居住地の千葉県警習志野署に相談するように言った。実家に娘を連れ戻した父親はわざわざ千葉へ相談に行くことになった。被害届けを出すため習志野署まで向かい、その間に母親と祖母が殺害されたというもの。判決は求刑通り死刑でした。

『長崎新聞』 コラム 水や空 6月20日

裁判員の告白

 「判決の日は裁判所に行くのが嫌だった。まるで自分が被告に『死ね』と言っているような気がした」「知人や家族には同じ経験をさせたくない」▲絞り出すような言葉が続いていた。長く重い1カ月間だったに違いない。被告の男に死刑判決を言い渡した西海2女性殺害事件の裁判で、裁判員を務めた男性が長崎新聞社の取材に応じ、公判中の苦悩や葛藤を語ってくれた▲身勝手極まりない動機で凄惨(せいさん)な事件を引き起こした被告の男は、公判の間ずっと「自分はやっていない」と、自分でこしらえた虚構の中に閉じこもっていた。自分は犯人ではない、と主張しているのだから、反省や後悔の言葉はひと言もなかった▲求刑は死刑。刑の減軽に結び付きそうな事由は見当たらない。それでも裁判員は「自分が人の人生を決めなければいけないのか」と自問しなければならなかった。「ニュースで聞いていただけなら、死刑は当然だと思っていただろうに」と考えながら▲裁判員制度はスタートから4年が過ぎた。「司法に市民感覚を反映させる」という狙い自体は間違いではないだろう▲だが、重大犯罪の裁判に限って、くじ引きで選んだ市民を参加させる現行の仕組みは、真にその目的にかなうものなのか。市民感覚の出番は他の場所にありはしないか。裁判員の告白を何度も読み返しながら、4年前から消えない疑問をあらためて思い起こした。(智)

 裁判員制度を推進してきたマスメディアからも制度への疑問の声が上がってきています。

natu 

投稿:2013年8月17日

澱の中で考える人々 - 最高裁アンケートのからくり

 最高裁は、本年3月、裁判員・補充裁判員・選任期日に出頭したけれど裁判員や補充裁判員に選ばれなかった人たちを対象に行ったアンケート調査の結果として、「裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書」(平成24年度)を公表しました。

 「裁判官の法廷の説明はわかりやすかった-86%」「評議は話しやすい雰囲気だった-74%」「評議で十分に議論ができた-72%」「よい経験をした-95%」…。全部で197頁、馬に食わせるほどとはこのことかというような分厚い書面ですが、「ひたすら巨大な単なる虚無」と断じるにはあまりにも惜しい資料です。麻生財務相の「ヒトラーの手口」ではありませんが、最高裁の人騙しのテクニックを知る機会になります。

  まず、裁判員と補充裁判員のアンケートを見てみます。問題は、これらのアンケートが取られた状況、場面です。判決言い渡しの後、法廷から戻った控えの部屋で、裁判長は裁判員と補充裁判員に感謝とねぎらいの言葉をかけます。これは極めて意味深い厳粛な儀式です。丁重な謝辞を裁判長が述べ、時には感謝状や記念の絵はがきなどが裁判員のみなさんに配られるのです(2009年8月、全国2番目に行われたさいたま地裁の裁判員裁判では地裁所長が感謝状を手渡しました。「みなさまが示された姿勢、意見が日本の社会を支えていくと思います」。)。

 絵はがきには三宅坂の最高裁の威容(別名「司法の墓場」右下写真)が写ったりしています。子供だましだと思われるでしょうが、裁判員に与える感銘効果(最高裁の威信に恐れ入ってくれるかと?)を期待しているのでしょう。そしてアンケート用紙が配られ、その場で回答を書かされるのです。「アンケートご協力のお願い」の冒頭には、「imageお疲れのところお手数をおかけします」とあります。共同記者会見が待っているということで、アンケートに費やせる時間は少ないのです。

 裁判所の中で、裁判官と裁判所職員が見守り、熟慮の時間も与えられずに行われるアンケート調査は、日当支払いに先立って行われるので、裁判員のみなさんには「実績考課」にも思えるはずです。「アンケートの回答如何では日当が減らされるのかな」とかね。

 裁判員の任務の中にはアンケートへの回答という仕事がきっちりと組み込まれているのです。特異なことを書いてはいけない…澱(よど)んだ空気がまとわりつき、疲労が澱(おり)のように体に沈んでいるでしょう。明らかに裁判員たちは自身の真意を述べにくい状況に追い込まれています。共同記者会見の場でも、裁判所職員の目を気にしてオドオドする裁判員たちの姿をマスコミ報道でご覧になられた方もいるでしょう。泣いた裁判員もいました。あの直前にアンケートが取られているのです。

 最高裁は、「本アンケートの調査の協力を求めたところ、調査対象期間中、合計37,665名から回答が得られた」というだけで、このアンケートをどこでどのように集めたかについては一言も触れません。アンケートの取り方の不公正を批判され、回答の片寄りを突かれることを最高裁は恐れているのです。

 次に、選任期日に出頭して選任に漏れた候補者のアンケートを見てみます。あらかじめ候補者に送られてきている「質問票」に「辞退希望」と答えた人は、当日一旦は他の出頭者と同じ部屋に集められますが、その後、別室に連れて行かれ、一人ひとり裁判長から辞退の意思を確認されます。「どうしても辞退したい」と言えば、多くの裁判所は「当日辞退者」としてこの出頭者を選任の対象から外しています。

 この間、他の出頭者は先の部屋で待っています。面接が終わった辞退希望者たちも再び他の出頭者と同じ部屋に戻され、そこで選任結果の発表という段取りになります。辞退を希望して外された人もいますが、辞退を特に希望せずに外される人もいます。

 選任手続きが終わると、「選任されなかった方はお引き取りいただいて結構です。なお、アンケートにご協力ください」と言われます。当日、あらかじめ出頭者に渡された封筒の中に候補者用のアンケート用紙が入っています。出頭者に封筒を渡した時点ではだれが選任されるかわからないし、辞退が認められるかもわからないので、すべての出頭者の封筒にアンケート用紙を入れています。それに答えてくださいと言われるのです。

 最高裁のいうアンケート結果は、この日の辞退者を外して集計したものなのか、それも含めているのかがはっきりしません。実際には、辞退希望が受け入れられて「釈放」された候補者の中には、帰宅後、封筒にアンケート用紙が入っていたことに初めて気がついたという人もいます。この人たちを外して計算しているとすれば、「批判票」はより少なくカウントされていることになります。

 最高裁から調査票が送られてきた段階から拒絶を通告している人がいて、地裁から送られてくる質問票で拒絶を言う人もいて、結局、候補者名簿に登載されている人の6~7割前後がすでに外されています。当日出頭する人は「やっても良いと思っている人」か、「本当はやりたくないけどやらざるを得ないと思っている人」かということになります。悩む

 「裁判員として選ばれることをどう思っていたか」という問いに対する回答は、「やってみたいと思っていた」が34%、「(あまり)やりたくないと思っていた」が約39%です。「やりたい率」は一般人対象の世論調査の数字より高いですが、それでも「やりたくない派」の方が多く、「選ばれなくて良かった派」が全体の26%ほどにも達していることに驚きます。

  裁判員になるのを厭う名簿登載者の多くを外して、やっとの思いで掻き集めた「従順な子羊」のような候補者の中にも不選任を喜ぶ人がこれほどいるところが裁判員制度の悲劇(?)でしょう。

 ちなみに回答者の内訳は裁判員経験者が8,331名、補充裁判員経験者が2,604名、裁判員候補者経験者が26,730名とのことです。

 回答率を見ます。この報告書では説明されていませんが、別の最高裁の報告書(平成24年における裁判員裁判の実施状況等に関する資料)によると、選任期日の出頭者は41,526名,うち選任された裁判員が8,633名、選任された補充裁判員が2,906名、選任されなかった裁判員候補者は29,420名です。

 個々の人数と合計人数は整合しませんが。これらの数字によってアンケート回答率を仮に算出すると、裁判員は8,331/8,633=96.5%、補充裁判員は2,604/2,906=89.6%、不選任裁判員候補者は26,730/29,420=90.9%になります。

 この数字が意味するところは小さくありません。判決を言い渡した直後の裁判所直々のアンケート要請(先に書いたとおり、裁判所職員の監視下で、日当の査定に影響するかもと思う中)に、3.5%の裁判員と10.4%の補充裁判員が答えていないのです。あの空気の中でもこれだけの人々が回答を断っているという事実は、最高裁にとって決して無視できないことでしょう。この人たちは、裁判への自身の関与を後悔したり、制度を批判したりしている可能性があります。まさに蟻の一穴かも。もちろん最高はこのことにも一言も触れていません。

 今年5月、裁判員を経験させられ外傷性ストレス障害に罹患したとして、国(=最高裁)を相手取る国家賠償訴訟が提起されました。その深刻さとこの報告書の「脳天気」の乖離は報告書の欺瞞を浮き彫りにするものです。憲法記念日に先立つ記者会見で竹崎最高裁長官はこのことに特に論及して狼狽を隠しませんでした。「百日の説法屁一つ」とはまさにこのことです。

 最高裁の発表は、美味なるワインはみな瓶の外に流れ出て瓶底に澱だけが残っている時に、これをひたすら分析してワインの風味を論じるものです。しかし、澱は澱でしかありません。いくら仰々しく飾っても、飾り文句の空々しさの印象だけを残してウソは消え去っていくしかありません。

 最後に、自由回答欄に記された記述のなかから興味深いものを少しだけご紹介します(原文まま)。
○ 裁判員
・被告人の人生をある程度決めるというのはやはりストレスがある。
・見聞きする事実と心神耗弱の影響をどう整理すれば良いのかわからなかった。
・裁判官の皆様に誘導されている様な気もする。
・裁判官(長)の評議のリードが上手で、想定外の結論が出る可能性が低いと感じる。
・裁判官が知識に基づいたことを仰ると、裁判員は流されやすくなってしまう。
・我々裁判員が量刑まで決めるのには無理があるのではないか。アンケ~1
・自分の判断が正しかったどうか、今でも迷っている。
・専門職の人にまかせた方が良い。
・何のためなのか目的がわからない。
○ 裁判員候補者
・税金の無駄だと思う。
・専門として職業についている人がやればいいのでは。
・正直、選ばれなくてほっとした。

 それにしても国民の8割台が裁判員になりたくないと言っているというのに、3万7,000人を超える出頭者・参加者の回答の中に「裁判員制度は反対だ」とか「裁判員裁判はやめるべきだ」という回答が唯の一つもなかったというのはどう考えてもおかしいでしょう。それだけは絶対に紹介できないのです。これで何が「自由回答」か!  最高裁には「余裕」がないことがよくわかります。

教訓:ワインをデキャンタをしてもらったところ、2割ほど残された。意地汚くその2割を飲ませてもらったところ、はい、飲めた代物ではありませんでした。

 

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投稿:2013年8月15日

菊池事件と裁判員裁判

神戸学院大学  内田 博文

  国によると、裁判員制度を導入する理由として、刑事裁判に対する「国民の理解と信頼の向上」及びこれを通じた「国民の統治主体意識の涵養」が掲げられた。ここに「統治主体意識」というのは、次のような意味ではないかと想像される。

  国民は、国の統治の主体であって、統治の客体(単なる受益者、被保護者)ではないのであるから、国の統治について傍観者として振る舞うことは許されないのであって、主体としての自覚に基づいた行動と役割が求められる。それは刑事裁判についても同様である。

  国は、この裁判員制度に対する「国民の理解と支持」を得るために、多額の税金を使い、マス・メディアを最大限に利用した「裁判員裁判は素晴らしい制度ですよ。」「皆さん方も是非、裁判員になりましょう。」キャンペーン等を展開した。この国の目論みは、ある意味では、成功したといえないこともない。最高裁が2013年1月に実施し、「裁判員制度の運用に関する意識調査」と題してまとめられた調査結果によると、アンケートに対する回答には、マス・メディアの強い影響が認められるからである。

  裁判員制度を知っている人に、何から知ったかをたずねたところ、「テレビ報道」をあげた者の割合が最も高く95.1%、次いで「新聞報道」が67.2%で、以下、「家族・友人・知人等の話」(15.1%)、「インターネット」(12.6%)、「ラジオ報道」(12.0%)となっているからである。現在実施されている裁判員制度について前述の印象を持つことになった原因を聞いたところ、「テレビ報道」が88.9%と最も高く、次いで「新聞報道」が64.5%で、以下、「インターネット」(13.5%)、「家族・友人・知人等の話」(12.0%)、「ラジオ報道」(11.1%)となっている

  マス・メディアが裁判員制度について「国策報道」の役割を担っていることからすれば、このような「模範解答」も容易に了解し得るところであろう。

 しかし、この「国策報道」が効果を発揮すればするほど、国の言いなりになる、すなわち、「統治客体意識」を持った国民・市民が醸成され、自分の頭で刑事裁判を考えようとする国民・市民は逆に減少する。現に、最高裁が実施した意識調査ではそのような結果になっている。国の真の目的は、「統治主体意識の涵養」ではなく「統治客体意識の涵養」ではなかったのかというような疑いさえも生ずる。

 ここで脳裏に浮かぶのは、国連憲章、世界人権宣言、そして、各種の国際人権規約などが一致してその再発の防止に努めているファシズムの問題である。国連憲章は、ファシズムとそれによる戦争の防止が国連の最大の目的であると謳っている。日本国憲法やサンフランシスコ講和条約も、このような立場に立っている。

 しかし、国の側だけではファシズムは成立しない。ファシズムの成立には、国民・市民の動員も不可欠である。全体主義国家の構築のために国と国民・市民が一致協力する。それによって「法の支配」を超えた統治を実現させる。「障害物」はすべて除去していく。そのためには、マス・メディアの統制がキーとなる。国民・市民の動員にはマス・メディアが欠かせないからである。「国民世論」をでっち上げ、この鋳型の中に国民・市民を押し込んでいく。押し込めない者は「非国民」扱いし、排除する。統制されたマス・メディアはファシズムの「生みの親」ともいえる。ナチス・ドイツでは、国家宣伝と国民指導を目的とする「国民啓発・宣伝省」が置かれたことが、そして、ファシズム日本でも、戦争に向けた世論形成と思想取締り及び国家宣伝の強化等を目的として「情報局」が置かれたことが想起される。

 ちなみに、朝日新聞の主筆を務め、朝日新聞を退社後、小磯内閣の下で国務大臣兼情報局総裁として入閣した緒方竹虎は、戦後、次のように述懐したという。

  「日本の大新聞が、満州事変直後からでも、筆を揃えて軍の無軌道を警め、その横暴と戦っていたら、太平洋戦争はあるいは防ぎ得たのではないかと考える」

  玉音放送の際の情報局総裁も、朝日新聞で専務・副社長を歴任し、日本放送協会会長も務めた下村宏であった。国によって統制されたマス・メディアは、マス・メディアを統制し、国民を指導する側に回ったのである。

 ファシズムのおそれは、決して過去のことではない。菊池事件(「菊池事件の再審をすすめる会」のHP)等を参照。)では、日本国憲法下にもかかわらず、国の誤ったハンセン病強制隔離政策を強行するための官民一体の「無らい県運動」が展開される中で、被告人がハンセン病患者だという理由で、裁判官、検察官、そして弁護人も協力して、何ら有罪証拠らしい証拠がないにもかかわらず、憲法違反だらけの刑事裁判を強行し、有罪とし、それも量刑相場を著しく踏み外して、死刑を言渡した。上訴審も、これを何らとがめることなく、維持し、マス・メディアもこれを黙示し、国民・市民もこれを傍観した。そして、同裁判が社会問題化するのを防止するために、間もなく死刑が執行された。この菊池事件で見られたのは、まさに「司法におけるファシズム体制」ともいうべき構図であった。

 国の誤った強制隔離政策のために醸成され拡大されたハンセン病差別・偏見のために、「法の支配」を大きく逸脱する国家機関。「基本的人権の擁護」を使命とするにもかかわらず、この逸脱に協力する弁護士。そして、ハンセン病強制隔離政策とそのための「無らい県運動」に関して「国策報道」を繰り広げ、ハンセン病差別・偏見の拡大に貢献し、菊池事件の死刑判決についても支持に回ったマス・メディア。「無らい県運動」の一翼を担い、患者・家族を国・自治体に密告し、社会から排除する役割を受け持ち、マス・メディア同様、菊池事件の死刑判決を支持した国民・市民。それは、戦後の日本でもファシズム体制の構図が温存されていることを如実に示すものであった。

 ファシズムのおそれは、今の日本では、減少するどころか、むしろ高まっているとさえいえる。公然とファシズム体制の良さが語られるような状況が現出しつつある。アメリカの研究によると、「決められる政治」、「もっとも効率的な政治」とはファシズムだと結論されている。今の日本のマス・メディアも、ナチス・ドイツ下の、あるいはファシズム日本下のそれに近づいていると言ったら言い過ぎであろうか。外国のマス・メディアから「権力の番犬」といわれるような状況にある。緒方の述懐は今のマス・メディアにもあてはまる。

 それでは、ファシズム体制という観点から裁判員裁判を見た場合、どのように映るのであろうか。裁判員裁判における「法の支配」からの逸脱。すなわち、日本国憲法や国際人権規約等が「法の支配」の貫徹をもっとも強く求める刑事訴訟法の原理・原則からの逸脱。そして、これを「国民世論」の名で正当化し、国民・市民を裁判員裁判に動員する。さらに、国策に沿って「国民世論」を創り上げるマス・メディアの存在。如何であろうか。ファシズム体制に見られる、国―マス・メディア-国民・市民という「トライアングル」の構図は、裁判員制度においてもより顕著となっているといえないであろうか。

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投稿:2013年8月14日

覚せい剤ダメ。ゼッタイ。 裁判員裁判ダメ。ゼッタイ。

 覚せい剤を所持していたとか、使用したということだけでは裁判員裁判の対象にならないけど、営利目的の輸入や譲渡ということになると対象になるんですね。静岡地裁で話題になった麻薬特例法違反(業として営利目的譲渡)は、今年に入って京都地裁でも2件行われています。 

1月18日 求刑懲役15年・罰金600万円・追徴金135万円
     判決懲役14年・罰金400万円・追徴金135万円
3月19日 求刑懲役14年・罰金600万円・追徴金約1655万円
     判決懲役10年・罰金500万円・追徴金約1655万円

ついでに一番新しい営利目的輸入の麻薬特例法違反と覚せい剤取締法違反の判決を2つご紹介します。どちらも千葉地裁です。
7月25日 麻薬特例法違反(覚せい剤営利目的輸入)などの罪(被告2人)
 求刑懲役6年・罰金200万円 判決懲役5年6月・罰金150万円
 求刑懲役8年・罰金300万円 判決懲役8年・罰金250万円
 求刑・追徴金約692万円 判決・追徴金約692万円(追徴金は2人合算)
7月31日 覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)などの罪
 求刑懲役13年・罰金700万円 判決 懲役9年・罰金400万円

 そこで問題です。京都地裁の罰金ですが、同じ600万円の求刑で1月の判決は罰金400万円でしたが、3月の判決は500万円でした。値下げをした理由と金額の根拠は何だっだのでしょうか? 追徴金は桁が違いますがどちらも求刑通りでした。なぜでしょうか?

 事件の中身もわからないのに判断はできない? ごもっとも。覚せい剤とは何で、麻薬とは何なのか? 覚せい剤取締法違反と麻薬特例法違反の違いってなんだかわかりますか? 罰金と追徴金の違いはどうですか? どう判断して決めたら良いのでしょう?

 「覚せい剤や大麻の販売を業(ビジネス)とした」ことを素人が判断できるかどうか以前の問題ではないかと、インコは思うんですけどね。そう、知らなかったではすまない。裁判員裁判ゼッタイ、ダメ!!image

 

 

投稿:2013年8月13日

誘導される「国民世論」と裁判員裁判

神戸学院大学 内田博文

 1.裁判員等経験者に対するアンケート調査

  裁判員裁判が実施されたことを踏まえて、最高裁判所によって2種類のアンケート調査が実施されている。一つは裁判員等経験者に対するもので、2013年3月にその調査結果が「裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書(平成24年度)」と題してまとめられ、法務省が設置した「裁判員制度に関する検討会」に提出され、公表されている。

 裁判員経験者に対するアンケートの項目は、「(問1)選任手続期日等のお知らせ時期の適切さ」、「(問2)裁判員等選任手続について」、「(問3)審理内容の理解しやすさ」、「(問4)法廷での検察官、弁護人、裁判官の説明等のわかりやすさ」、「(問5)法廷での手続全般について理解しにくかった理由」、「(問6)評議における話しやすさ」、「(問7)評議における議論の充実度」、「(問8)評議の進め方(裁判官の進行、評議の時間、休憩の取り方など)についての意見や感想など」、「(問9)裁判員に選ばれる前の気持ち」、「(問10)問九で答えた理由」、「(問11)裁判員として裁判に参加した感想」、「(問12)問11で答えた理由」、「(問13-1)裁判所の対応(裁判所職員の対応、裁判所からの情報提供、裁判所の設備など)についての全体的な印象」、「(問13-2)裁判所の対応について感じたこと」、「その他の全般的な意見や感想など」となっている。

 これらの項目のうち、問3-5については、次のような結果となっている。

 「(審理内容についてー引用者)理解しやすかった」と回答した割合は、審理実日数が1日又は2日の場合、67.1%であるのに対し、審理実日数が6日以上の場合、45.1%となっている。自白・否認別では、「理解しやすかった」との回答が、自白事件において65.1%であるのに対し、否認事件においては50.8%である。」「自白事件において、「理解しやすかった」と回答した割合は、審理実日数が1日又は2日の場合に68.6%と最も高く、審理実日数が5日の場合に52.6%と最も低くなっている。否認事件において、「理解しやすかった」と回答した割合は、審理実日数が1日又は2日の場合、60.3%であり、審理実日数が長くなるにつれて、その割合は低くなる傾向がみられる。」

 「検察官、弁護人、裁判官の法廷での説明等について、「わかりやすかった」または「普通」と回答した者の割合は、検察官が93.2%、弁護人が78.9%、裁判官が98.4%である。」「弁護人については審理実日数が長いほど「わかりやすかった」と回答した者の割合は低くなっているが、検察官及び裁判官については審理実日数の長短による顕著な違いはみてとれない。」「三者とも否認事件よりも自白事件のほうが「わかりやすかった」と回答し た者の割合が高い。」

 「法廷での手続全般について、「理解しにくかった点はなかった」との回答は33.9%である。理解しにくかった理由については、「証人や被告人が法廷で話す内容がわかりにくかった」(18.9%)、「事件の内容が複雑であった」(15.2%)、「調書の朗読が長かった」(11.5%)、「証拠や証人が多数であった」(3.6%)、「審理時間が長かった」(2.5%)の順で高くなっている。」

 「「法廷での手続全般について、理解しにくかった点があるとすれば、それはなぜですか。」との問いについて、「その他」を選択した2120名にその具体的内容を記述してもらったところ、・・・最も多かったのが、「専門用語がわかりにくかった」などとするものであり、以下「証人や被告人の声が聞き取りにくい」、「弁護人の主張がわかりにくかった」などとするものが続いている。」(同調査結果報告書17-23頁)

 これによると、全体として弁護人の活動の方が検察官の活動よりは「分かりやすさ」、「理解のしやすさ」の程度が低いことがうかがえる。そして、そのことが前述の量刑における変化、の醸成にも与っているといえようか。すなわち、弁護人の活動が「分かりやすい」「理解しやすい」場合と「分かりにくい」「理解しにくい」場合とで量刑が大きく分かれるという点がそれである。ちなみに、検証報告書19頁は、弁護人の活動が「分かりにくい」、「理解しにくい」理由について、「基本的には被告人の弁解そのものの理解しにくさが・・・反映しているものと解される」と分析している。

 検察官の活動についても、検証報告書によると、「検察官の活動については、弁護人よりは分かりやすさの程度は高いが、年々その比率が低下しており、低下率は法曹三者の中で最も高い。とりわけ、自白事件においてその低下が顕著であることは、…冒頭陳述の詳細化、書証への依存度の高さ等と関連しているのではないかと思われる。」(同検証報告書17頁)と分析されている点が注目される。

 他方、問6-8については、次のような結果となっている(同調査結果報告書24-29頁)。

 「(『評議における話しやすさ』はー引用者」)審理実日数別、自白・否認別いずれも各回答の割合に大きな差はみられない。」「審理内容が「理解しやすかった」、法廷での説明等が「わかりやすかった」と答えた層で(評議がー引用者)「話しやすい雰囲気であった」とする回答の割合がいずれも76%以上となっている。」「(理解しにくかった理由別にみても、評議が―引用者)「話しやすい雰囲気であった」とする回答の割合がいずれも60%を上回っている。」

 「(評議における議論の充実度については―引用者)審理実日数別、自白・否認別いずれも各回答の割合に大きな差はみられない。」「審理内容が「理解しやすかった」と答えた層では「普通」または「理解しにくかった」と答えた層よりも「十分に議論ができた」と回答した者の割合は高くなっている。」「理解しにくかった理由について、「審理時間が長かった」と答えた層で、「十分に議論ができた」との回答が60%を下回っている。」「評議の話しやすさ別では、「話しやすい雰囲気であった」と答えた層の81.1%が「十分に議論ができた」と回答しているのに対し、「話しにくい雰囲気であった」と答えた層では、13.8%に止まっている。」

 「評議の進め方について、気づいた点を自由に記載してもらったところ、・・・「進行が適切だった」とするものが最も多く、「裁判官の応対(接遇)が適切だった」とするものがこれに続いている。」

 注目されるのは裁判員として裁判に参加した感想等問11及び12であるが、ここでも、次のようなアンケート結果となっている(同調査結果報告書32-35頁)。

 「「非常によい経験と感じた」との回答が54.9%である。これに、「よい経験と感じた」との回答(40.3%)をあわせると95.2%になり、ほとんどの人が『よい経験』と感じたと回答している。」「審理実日数別、自白・否認別いずれも各回答の割合に大きな差はみられない。」「審理内容について「理解しやすかった」と回答した層では「非常によい経験と感じた」との回答が62.9%となっており、「普通」または「理解しにくかった」と回答した層より割合が14%以上高くなっている。」「「話しやすい雰囲気であった」、「十分に議論ができた」と答えた層では、「非常によい経験と感じた」と回答した者の割合が60%以上と、他の層よりも高くなっている。」「選任前の参加意向が積極的な層ほど、「非常によい経験と感じた」と回答した者の割合が高くなっている。また、選任前やりたくなかったと回答した層であっても、選任後は88.8%が『よい経験』と感じたと回答している。」「理由を自由に記載してもらったところ・・・裁判員に選任されたことを『よい経験』と感じた理由について、「普段出来ない貴重な経験をした、やりがいがあった」というものが最も多く、「裁判や裁判所のことがわかった。身近になった」というものがこれに続いている。」

 以上が、裁判員経験者に対するアンケート調査の結果であるが、ここで気になることは、本アンケートにおいては、裁判員の経験を踏まえて裁判員制度の是非を問うようなアンケート項目はまったく見られないという点である。施設の利用者に対して施設利用上の意見・要望等をうかがうようなものばかりである。裁判員には施設利用者の地位しか認められていない。施設の存廃は裁判員経験者とは直接、関係のないことだということであろう。刑事裁判の在り方からみて看過し得ない、裁判員制度の是非につながるような、前述の裁判員裁判で大きく変わったこと、変わらなかったことについても、その是非を問うようなアンケート項目は除外されている。

 もっとも、それも、当然のことといえるかもしれない。本アンケート調査の実施主体は、公平な第三者機関ではなく、マスメディアも大々的に動員し、多額の税金を使って鳴り物入りで裁判員制度を喧伝し、その実施・定着を図る側の大黒柱ともいうべき最高裁判所だったからである。与えられた裁判員への取組みでも「真面目(従順)さ」が発揮されたことが容易に想像されることに鑑みると、右のアンケート結果がいずれも「期待される回答」に沿ったものとなっており、想定外の回答は見られないことも容易に理解し得るところだといえよう。アンケート

 

2.国民・市民に対する意識調査

  最高裁判所が実施したもう一つのアンケート調査は国民・市民に対するもので、2013年1月に実施され、調査結果が2013年3月に「裁判員制度の運用に関する意識調査」と題してまとめられ、これも同じく検討会に提出され、公表されている。

 アンケートの項目は、「Q1 裁判員制度の周知状況」、「Q2 裁判員制度の周知媒体」、「Q3 裁判や司法への関心度」、「Q4 裁判や司法への関心度」、「Q5 裁判員制度が始まる前の刑事裁判についてQ4の印象を持つことになった原因」、「Q6 裁判員制度の実施により期待すること」、「Q7 現在実施されている裁判員制度の印象、裁判員制度についてQ7の印象を持つことになった原因」、「Q8 裁判に参加する場合の心配や支障となるもの」、「Q9 裁判員裁判の傾向について(執行猶予付判決における保護観察の割合)」、「Q10 裁判員として刑事裁判に参加したいか」、「Q11 刑事裁判や司法などに国民が自主的に関与すべきか」、「Q12 制度開始前・実施への期待・実施後の変化」などである。

 ここでも、「模範的な回答」が寄せられている。「裁判員制度が実施されている」ことを知っているかを聞いたところ、「知っている」と答えた者が98.5%、「知らない」と答えた者は1.5%であった。裁判員裁判の内容についても、裁判官と一緒に有罪・無罪の判断や刑の内容(重さ)を決める制度であることを「知っている」と答えた者が97.0%、「知らない」と答えた者は3.0%であった。

 裁判員制度が開始されてから、裁判や司法に対する興味や関心が変わったかをたずねたところ、「以前に比べて興味や関心が増した」と答えた者の割合は37.4%、「特に変わらない」は61.1%、「以前に比べて興味や関心が減った」は1.6%であった。

 裁判員制度の実施により期待することを聞いたところ、平均点が最も高かったのが「裁判の結果(判断)に国民の感覚が反映されやすくなる」(3.97点)、以下、「裁判がより公正中立なものになる」(3.96点)、「裁判所や司法が身近になる」(3.88点)、「裁判がより信頼できるものになる」(3.87点)、「刑事裁判や司法など公の事柄について、国民の関心が増して自分の問題として考えるようになる」(3.81点)、「裁判の結果(判断)がより納得できるものになる」(3.73点)、「裁判の手続や内容がわかりやすくなる」(3.70点)、「事件の真相がより解明される」(3.65点)、「裁判が迅速になる」(3.59点)となっている。

 現在実施されている裁判員制度について、どのような印象を持っているかを聞いたところ、平均点が最も高かったのが「裁判の結果(判断)に国民の感覚が反映されやすくなった」(3.67点)、以下、「裁判所や司法が身近になった」(3.59点)、「刑事裁判や司法など公の事柄について、国民の関心が増して自分の問題として考えるようになった」(3.54点)、「裁判がより公正中立なものになった」(3.39点)、「裁判がより信頼できるものになった」(3.39点)、「裁判の結果(判断)がより納得できるものになった」3.26点)、「裁判が迅速になった」(3.24点)、「事件の真相がより解明されている」(3.23点)、「裁判の手続や内容がわかりやすくなった」(3.23点)となっている。裁判員裁判で、保護観察が付された割合が裁判官のみの裁判より多くなっていることについて、「妥当だと思う」+「どちらかといえば妥当だと思う」は47.0%、「どちらかといえば妥当ではないと思う」+「妥当ではないと思う」は12.9%である。刑事裁判や司法などに国民が自主的に関与すべきであるという考え方については、「そう思う」+「ややそう思う」は51.7%、「あまりそう思わない」+「そう思わない」は20.4%である。021639

 

3.マスメディアの報道の強い影響

  この回答には、マスメディアの報道の影響が色濃く投影されているといえよう。裁判員制度を知っている人に、何から知ったかをたずねたところ、「テレビ報道」をあげた者の割合が最も高く95.1%、次いで「新聞報道」が67.2%で、以下、「家族・友人・知人等の話」(15.1%)、「インターネット」(12.6%)、「ラジオ報道」(12.0%)となっているからである。現在実施されている裁判員制度について前述の印象を持つことになった原因を聞いたところ、「テレビ報道」が88.9%と最も高く、次いで「新聞報道」が64.5%で、以下、「インターネット」(13.5%)、「家族・、人・知人等の話」(12.0%)、「ラジオ報道」(11.1%)となっている。

 マスメディアが醸成した漠然としたプラス・イメージに従って回答しているためか、「裁判が迅速になった」、「事件の真相がより解明されている」、「裁判の手続や内容がわかりやすくなった」など、最高裁の検証結果と乖離した回答となっている部分も少なからず見受けられる。

 マスメディアが裁判員制度について「国策報道」の役割を担っていることからすれば、このような「模範解答」も容易に了解し得るところであろう。

 ただし、本音の部分も透けて見える。裁判員として刑事裁判に参加したいかどうかについて聞いたところ、「参加したい」が4.7%、「参加してもよい」が10.2%、「あまり参加したくないが、義務であれば参加せざるを得ない」が41.9%、「義務であっても参加したくない」が41.9%となっているからである。できれば裁判員になりたくないが。義務とされるなら仕方がない。このような消極的、受動的な姿勢が垣間見られる。

 現に、検証報告書によると、「選定された(裁判員―引用者)候補者の53.0~62.0%の者について辞退が認められている。」「調査票段階で認められた者が47.3%、質問票段階で認められた者が44.9%で、選任手続段階で認められた者は辞退者全体の7.7%である。」「選任手続期日前に辞退が認められた候補者が裁判員候補者全体に占める割合は平成22年以降増加している(48.4%、54.7%、57.7%)。」「出席率が制度施行直後の83.9%から80.6%、78.4%、75.7%と年々低下している。」「未だ短期間ではあるが、この間ですでに辞退率の上昇、出席率の低下という傾向が現れてきている。辞退率の上昇は、現在の事件数のもとで、書面審査による辞退の判断を柔軟な基準により行うという面が現れているということも考えられる。一方、出席率の低下は、現状ではさほど深刻なものではないとはいえ、この制度に対する国民の意識の端的な反映ともみられるものであり、今後の動向を注視して、対策を講じていく必要がある。」(同検証報告書5-8頁)と注視されている。

 司法改革で標榜された国民における「統治主体意識の涵養」とは逆方向の「客体意識の涵養」の方向に行っているといえようか。いやです

 

 

 

 

 

投稿:2013年8月12日

寄稿 静岡に裁判員裁判を売り込むもくろみの無理

 覚せい剤を何度も売ったとして、静岡地検は、裁判の途中で覚せい剤取締法違反から麻薬特例法違反に訴因を変更して、裁判員裁判に切り換えることにしました(8月10日付け『読売新聞』静岡版)

 被告人は、埼玉県朝霞市の衣類販売業(47歳)と同県富士見市の革製品製造販売業(48歳)の男性。2人は昨年12月から今年2月にかけて、愛知県の女性に覚せい剤など約42グラムを計106万円で販売したほか、1人は他にも多数回にわたって複数の人に販売を繰り返したとされています。

 営利目的で覚せい剤を売れば、覚せい剤取締法41条の2、2項違反で、法定刑は20年以下1年以上の懲役。しかし、ただ売った者ではなく売ることを「業とした者」は麻薬特例法5条4号違反で、法定刑は無期または20年以下5年以上の懲役になります。
 裁判員法は、「死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪に係る事件」は裁判員裁判の対象と定めているから、検察官の訴因変更で、裁判官が審理していた事件が審理の途中で裁判員裁判に変わるという異例の展開になりました。

 さて、問題は「業とした」です。「業」は業苦・因業・業腹の「ごう」ではありません。家業の業、「ぎょう」、仕事、なりわい、生活をしていく手立てということです。と言っても、何をもって「業とした」ことになるのでしょうか。42グラムというのは覚せい剤の世界ではとても大量とされます。でも1回にどかんとまとめ売りしたら直ちに「業」になるということもないでしょう。12月から2月まで3か月の期間をかけたというのはどう判断したらいいのでしょうか。

 「業」と言えるには、繰り返していたり、多数の客を相手にしていたり、儲けていたり、売り方を決めていたりする必要があるんだろうなぁというあたりまでは何とかついていけるかしら。でもその辺でアウト。何回繰り返し、どの位儲けて、どんな販売形態なら「業」になるかなんてわかるわけないでしょうが。

 いえいえ、皆さんのその気配をみてとると、裁判長さんがすかさず言ってくれるのですね。
「3回以上繰返していたという理由で業と認めた何年何月何日の大阪地裁の判例があります。儲けていたかどうかですか。えーと、代金20万円を儲けていたということで業と認めた何年何月何日の札幌高裁の判例もありますねぇ」
そんな話わかる訳ない裁判員の皆さんはただぽかーんと聞いているだけです。

 今年4月末で全国の覚せい剤取締法違反事件の裁判員裁判は546件、そのうち成田空港を抱えた千葉地裁が6割近い313件。一方、静岡地裁には麻薬特例法を含めこれまで1件もありません。静岡地検は県民に薬物事件の裁判員を経験させようと、覚せい剤取締法違反で起訴した被告人について、わざわざ麻薬特例法違反事件に作り替えるという奇手を考案したのです。

 しかし、無理なものは無理。裁判官が判断のレールを敷いてしまうのはそれこそ目に見えていると言ってよいでしょう。

  裁判員裁判 ダメ。ゼッタイ。 1

 

 

 

投稿:2013年8月11日

遺体写真見たくない! 当たり前のこと

弁護士 猪野 亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

先般、遺体の写真を見たことで福島県の60代の女性がPTSDとなり、国家賠償請求訴訟を起こしました。
裁判員のPTSD 勤務先からの解雇は不当か

 これを受けて、東京地裁では8月1日から遺体の写真を見たくないという裁判員候補者の辞退を「柔軟」に認めるという運用を始めました。
 最高裁も東京地裁に習うよう全国の地裁に同様の通知を送付しました。
「遺体写真見たくない」…裁判員辞退を容認」(読売2013年8月1日)

 裁判員制度は義務として国民に出頭を強要し、そして、刑事裁判に関与させるというもので、現代の「徴兵制度」ともいうべきとんでもない制度ですが、国民の拒否反応の前に、この義務が形骸化してきており、支配層が目論んでいた目的、国民を義務として動員(徴用)するというやり方が崩れつつあることを意味します。

 もともと、裁判員制度が導入される前から裁判員をやりたくないというのが国民の圧倒的多数の声でした。
 最高裁が実施した意識調査より

  参加したい  参加してもよい   義務であれば参加せざるを得ない 義務であっても参加したくない   わからない
平成22年1月調査 7.2% 11.3% 43.9% 36.3% 1.3%
18.5% 80.2%  
平成23年1月調査 4.6% 10.4% 42.6% 41.4% 1.0%
15.0% 84.0%  
平成24年1月調査 3.8% 10.7% 42.3% 41.1% 2.3%
14.5% 83.4%  

 それ以前の世論調査についてはこちら。
各種世論調査」(北海道裁判員制度を考える会)

 制度導入前は、最高裁は繰り返し、誰でもできると宣伝していたのですが、それは国民の拒否反応が強かったからです。
私は、法律を知らない素人です。そんな私でも裁判員として判断できるのでしょうか。」(北海道裁判員制度を考える会)
 しかし、徐々に被告人が否認していたりなど複雑な事案が増えるに従って裁判が長期化してくるようになると、誰もできるよ、負担などないよ、などとは言えない実態が明らかになりました。

 もともと当初から裁判員候補者に対しては、それこそ「柔軟」に辞退を容認していました。
 実際には、100人選出した候補者のうち、義務として呼び出しているのは30~40人で、それ以外の60~70人に対しては、辞退を認めているのです。
 そして、その義務のある30~40人の中で無断欠席がありますが、母数を30~40人ということにしているので(最初の100人を母数としていないということ)、出頭率が「9割」という当局の発表になっているのです。
 「実際の出頭数」(北海道裁判員制度を考える会)
 数字に欺されてはいけません。

 このように従前より裁判員制度の初期の目的は崩れつつあったのですが、裁判員が遺体写真を見なければならないという現実の前に、いよいよ制度としての形骸化が進んでいくことは必至です。

 とはいえ、このように「辞退」が進むと、「オレがオレが」の人ばかりが裁判員として登場してくることになります。
裁判員をやりたい! ってどんな人?
 刑事裁判としては最悪の状態と言えます。

 無理矢理にでも遺体の写真を見せ、義務を尽くさせるという国民動員が失敗しただけでなく、刑事裁判それ自体を破壊してしまった裁判員制度。
 しかし、裁判員制度による国民動員の失敗、今後、ますます裁判員制度を拒否する国民が増えていくことでしょう。
 ここに私たちは、裁判員制度の廃止に向けた展望を見出すことができます。
 何としても、この愚かな制度を廃止させなければなりません。

rainrain

 

投稿:2013年8月8日

通訳問題  検証時間なしの連日開廷で作られる冤罪の山

 8月4日付け『琉球新聞』は 
     
法廷通訳、裁判員導入で負担増 公正な裁判に支障も 
 
と題する共同通信の配信記事を掲載した。

刑事裁判で外国人被告の通訳を担当する「法廷通訳人」を対象に業務環境についてアンケートを実施したところ、裁判員裁判経験者39人のうち8割以上が「制度導入後に負担が増えた」と答えたことが4日、分かった。
 裁判員裁判で始まった集中審理が通訳人の負担になっている実態が具体的なデータで明らかになるのは初めて。通訳業務の質が下がれば公正な裁判に支障が出る恐れもあり、制度改善を求める声が出そうだ。
 アンケートは、静岡県立大の水野かほる准教授(日本語教育)や名古屋外国語大の津田守教授(司法通訳翻訳論)らの研究グループが昨年12月~今年1月に行った。
 
                                       

かつて、インコは外国人の刑事事件を多く手がけている弁護士から、「裁判員裁判と通訳の問題」についてお聞きしたことがあるが、「最大の問題は連日開廷による検証時間がないこと」と言われた。

  法廷通訳に問題があるというのは、被告人や弁護人に日本語及び現地語の双方の語学能力がないと見過ごされてしまう。とは言っても、被告人のほとんどは英語やフランス語といったポピュラーな外国語を話すことができず、弁護人にも語学が不得手な人は多い。法廷で使われた言語は一説には70数言語に上るという。場合によっては現地語から英語、英語から日本語といったように二重、時には三重の通訳が必要となる場合もある。

 これまでの刑事裁判では、次回公判までの2か月なら2か月の間に翻訳の問題を検討する時間があったし、場合によっては学者など第3者へ内容を検討してもらう依頼をすることもしてきた。そして問題があれば、次回からは新たな通訳人で審理を行うこともできた。

 しかし、裁判員裁判は連日開廷であり、その検証の時間を奪ってしまった。通訳に問題があっても見過ごされてしまう可能性はこれまで以上に高くなった 。
 通訳人にしても、これまでなら通訳ミスに気づけば、訂正する時間があったし、その訂正に基づいて審理が進められた。しかし、連日開廷となると、通訳ミスに気づいたときには公判は終了してしまっている 。
 
裁判員裁判の対象事件になる犯罪で外国人に多いのは覚せい剤密輸事件であるが、覚せい剤密輸事件は否認事件も多い。細かいニュアンスが伝わらないと間違った事実認定が行われてしまう 。
 
外国人が被告人の事件にはただでさえ、冤罪が多いと思っている。連日開廷で行われる裁判員裁判は冤罪の山といってもいいかもしれない。002676

 

 

 

 

投稿:2013年8月5日

深読み 裁判員の精神的軽減に関する申合わせ

「精神的負担の軽減を言うなら制度の廃止でしょ!」をアップしたところ、東京地裁本庁刑事部の「申合わせ」がインコの元に届きました。
青字の【深読みメッセージ】はインコのコメントです。

裁判員の精神的軽減に関する申合わせについて

平成25年7月19日 東京地裁本庁刑事部

【申合わせ事項】

1公判前整理手続段階における配慮
○ 遺体写真等の刺激の強い証拠については、両当事者の意見を聴取した上で、要証事実は何か、それとの関係でその証拠が真に必要不可欠なものなのか、その証拠の取調べが裁判員に過度の精神的負担を与え、適正な判断ができなくなることがないのか、代替手段の有無等も考慮しつつ採否を慎重に吟味する。

【検察官へのメッセージ】
裁判員が参加する刑事裁判は、真実の発見よりも裁判員に過度の精神的負担を与えないことの方を重視するものになりました。(いや、元々そうだったんですけど、この際、特に強調しておきます)。血の海の写真は赤ワインに変えましょう。肉はパンで代用します。
代替手段の工夫にあなたの出世がかかります。代替手段は写真ではなくイラストやコンピュータ・グラフイックスなどが考えられますが、手直し・脚色・変形など創意工夫でやることです。
もうこれからは現場写真を克明に撮影するなど、警察官に指示する必要はありません。何が必要不可欠かは伝統にとらわれず考える時代になったのです。

2 選任手続以前の配慮
○ 事前質問票は裁判官が遺漏なく目を通し、精神的不安を訴えたり、その兆候が見られたりする裁判員候補者がいた場合には、必要に応じ、追加の事情聴取や個別質問における聴取事項等を検討する。
○ 関係職員との間で裁判員候補者からの問い合わせに対応する際には、その不安を考慮した懇切な対応を心掛けるよう、認識の共有化を徹底する。

【裁判員候補者へのメッセージ】
今まで裁判官がまともに目を通していなかった事前質問票に今後は目を通すことになりました。イヤだというあなたの言葉を裁判官が必ず読むことになったのです。不安を強く強く訴えましょう。彼らは「兆候」にも配慮しなければいけないことになったのですから、その責任は重大なのです。
質問票には、「どうしても出頭しろというなら、改めて連絡をよこせ」と書いて返送しましょう。「追加の事情聴取」も要求しましょう。これで彼らはお手上げです。
職員の回答が納得できない場合は、「それが裁判官の考えなのですね」と厳しく確認を求めましょう。彼らは「認識の共有化を徹底」しているはずですから。

3 選任手続における配慮
○ 取調べの必要性が高いと判断されたために、裁判員に重い精神的負担がかかる遺体の写真等の証拠を取り調べることを決定している場合は、オリエンテーションにおける事案の内容の説明等に付随して、そのような証拠が取り調べられる予定である旨を裁判員候補者に告げ、不安のある裁判員には個別質問を申し出ることができる機会を十分に保障するようにする。
○ 前記の場合において、個別質問では、裁判員候補者の不安の内容を具体的に聴取し、裁判員の精神的負担に対する配慮についても丁寧に説明した上で、参加への支障があるかどうかを確認し、辞退の拒否を検討する。

【裁判官へのメッセージ】
裁判員に重い精神的負担がかかる遺体の写真等の証拠を取り調べる予定であることを裁判員候補者に告げた時に、不安のある候補者が「やりたくない」と言った時にはどうしたらよいか、そんなことは自分で考えなさい。
「精神的負担に対する配慮についても丁寧に説明」って何のことかって、それも自分で考えなさい。
短いやりとりでそんなことは判断できません、ですと? それもあなたの仕事になったのです。012090
ぶっちゃけ言えば、イヤがる奴はどんどん辞退させろってこと。国賠起こされたらたまんないものね。
えっ? そしたらだれも来んようになったって
!?

4 審理、評議における配慮
○ 裁判官は、審理、評議を通じて、裁判員の様子に十分気を配り、些細な変化を感じ取った場合でも適切に声をかけるなどして話を聞き、場合によっては辞任を申し出てもらうよう勧めることも柔軟に検討する。
○ 裁判官は、評議において、刺激の強い証拠によって裁判員の精神が動揺し、証拠に基づく理性的な評議が阻害されていないか、ということに注意する。

【裁判員へのメッセージ】
裁判官は被告人の様子や検察官の様子や弁護人の様子に気を配るほか、あなたたちにも気を配るんですと。「些細な変化を感じ取る」というのですから、あなたのまばたきや、おでこのシワや、もしかしたら心臓の鼓動も感じ取るのかも。そうしたら「適切に声をかける」んだって。その具合次第で辞任もあるっていうのだから、裁判が始まった途端に、イヤだイヤだという雰囲気を身体中で現すことね。翌日出頭しなくてもそれは裁判官の責任だから、安心して行くの止めちゃいましょう。
刑事裁判の証拠なんて、平生の生活で見たこともない感覚で刺激の強い証拠ばかりですよ。どんな裁判でも「精神が動揺」しない裁判員なんていませんからね。評議が辛ければ、サッサと裁判員を辞めてよいということなんですよ。

5 判決宣告後の配慮
○ 判決宣告後であっても、裁判員の精神的負担軽減は裁判官の職責であり、職員任せにせず自ら誠実に対応する。
○ 裁判員が職務を終えるにあたり、裁判官から適切な説示を行い、裁判員の精神的負担の軽減を図る。その際、①結論は裁判員と裁判官の全員で十分な意見交換を行いながら議論を尽くして出したものであり、裁判員が一人で全ての責任を負うものではないこと、②職務を終えた後であっても、体調の不良その他不安や疑問を感じた場合にはいつでも裁判官に相談できること、③メンタルヘルスサポート窓口の案内を改めて伝えることなどが考えられる。また、守秘義務の範囲を誤解して、裁判員経験者が「親しい者にも裁判に関する話ができない」というような苦痛を感じることがないよう、守秘義務の範囲についても改めて適切な説明を行うことが考えられる。
○ 死刑を宣告するような重大な事件では、事件の体験を共有した者同士が連帯感を持ち得るような配慮をすることが重要であり、例えば、事後に裁判官、裁判員が、一堂に会して話をする機会を設けることなども考えられる。また、裁判員等経験者から、経験者同士の交流のため他の裁判員等経験者の連絡先を知りたい旨の要望があった場合には、相手方の了解を前提に連絡先を伝える。
○ 関係職員との間で、心身に不調を感じた裁判員等経験者から連絡があった場合には、まずは丁寧に話を聞いた上で、合議体を構成した裁判官と直接話ができるように手配するよう認識を共有化する。裁判官は、場合によっては裁判員等経験者と面談を行うなどして、裁判員の精神的負担軽減に努める。

【最高裁へのメッセージ】
「判決宣告後も、裁判員の精神的負担軽減に自ら誠実に対応せよ」っていうのは、つまり何をしろというのか?
「裁判員が一人で全ての責任を負うものではない」と言われても、不安が解消しないと言われたらどうするのか?
で、いつから
「親しい者」に評議の秘密を漏らしたり、多数決の内訳を説明したりして良いってことになったの? 「親しい者」の定義は、裁判員経験者がそう思えば良いってことでオッケー? 「改めて適切な説明を行う」というのは、これまでの裁判員法に関する最高裁の説明を改めるということなのか。
「事後に一堂に会して話をする機会を設ける」って、誰を呼んで何を話すのか。
ところで、裁判官はカウンセラーの資格・能力をいつから持ったのか? 一人ひとりの裁判員にいつまで責任を負い続けなければいけないのか? 一生面倒をみろってか? それともメンタルヘルスサポートと同じで1人5回まで話を聞けば良いのか?
「良い経験をした者90数%」という最高裁報告とこの神経ピリピリ状態とはどういう関係になるのか。「裁判員経験者のほとんどが良い経験をした」という話がインチキ話であることを公に認めたことになるんじゃないの。

 結論。こんな文章を書かなければならないところにまで、とうとう裁判員裁判は来てしまったんだね。往生際が悪いよねぇー。

3月色つき 

 

ダメ 

 

投稿:2013年8月4日

ずれまくりの批判はいらない。裁判員制度こそ「静かな改憲」

「手口に学べ」論は不適切、恥ずかしい、歴史の誤解、失言、お粗末…。国内外の非難の嵐を前に、あえなく発言撤回に相成りましたが、この男の発言のどこがどうして問題なのか、本当に誤解を招いたのか、そのポイントはまるで共有されていません。小論はそこを小気味よく突く(笑)。

 さすが元オリンピックのクレー射撃選手です。この男の言ったことは実は的を射ているの。「ヒトラー憲法」なんてないでしょうって? そんな無粋なことを言わないの。細かいことはどうでもよいのです。この男は大筋本当のことを言っているのですから。

 ナチス体制はワイマール憲法下で血も流さずに生まれました。ヒトラーは民主主義を標榜し国民の支持をかき集めながらファシズムの階段を駆け上がったのです。それはやりようで俺たちにもできる。憲法改正なんて大騒ぎしなくても、授権法の確定までこぎ着けられる。ヒトラーを好例と捉え、しっかり学ぼうと言っています。「悪しき例」を引いた? そんなことは決してないのです。そう、民主主義もひとひねりすれば使えるんだよ、ほら俺の口元を見てみろって。

 ヒトラーは国民主権も民主主義も踏みにじるなんて一言も言いませんでした。それどころか、主権者の国民が司法参加することも強調しました。ヒトラーの司法参加は、ユダヤ人とドイツ人の結婚や同棲や居住禁止区域にユダヤ人が住んでいることなどを当局に密告させ、国民自身を不法者・犯罪者の摘発と断罪の先頭に立たせ、わが国土を法治の国にし、そこに正義を実現することだったですが。と言えば賢明なあなたなら思い出すでしょ、私たちの裁判員制度のことを。

 国民を犯罪の摘発と断罪に参画させるわが国の裁判員制度。この国を敵から守るのは自分だと思わせ、国民の心を内側から武装させちゃうのは、それこそ実質改憲ね。憲法9条をどうしようなんて言わなくても交戦権を心の中に定着させちゃうんだから。この男の言っていることを突き詰めると(本人が理解しているかどうかは帽子が邪魔になってよくわからないけど)、この国の改憲はこうやって静かに進めることが可能なんだって言ってるの。

 ヒトラーにならおうと言うのは差別の極致。だけれどこの男の発言を人種差別の問題だけで捉えていると、今この国で進んでいることがよくわからなくなっちゃう。実際、彼に即刻撤回を迫ったマスコミ自身が裁判員制度を推進しているんだから。この矛盾にみんな気づかなくなっちゃうでしょ。特にA新聞なんかY新聞の10倍のスペースを使って彼を叩いているから、余計この男の本当の問題がわかりにくくなっちゃうね。

 裁判員制度に国民をもっと組み込めば改憲が実現できる。そう言うに等しい彼の言葉は実に当たっているのです。 この男は単なるバカでもあほうでもないの。あそうね。あっ、そうだったのね。014888

 

 

 

投稿:2013年8月2日

精神的負担の軽減を言うなら制度の廃止でしょ!

『読売新聞』(8月1日付け)によると、東京地裁は8月1日から、遺体などの写真を示す場合には裁判員を選任する段階で説明し、不安を訴える人の辞退を柔軟に認める新たな運用を行うということで、最高裁は全国の裁判所に対し、東京地裁の対策を参考にするよう通知したということである。

これは、死刑判決を言い渡した福島地裁郡山支部での強盗殺人事件の裁判で、裁判員を務めた女性が、被害者の遺体のカラー写真を見たことなどが原因で急性ストレス障害を発症して、国家賠償請求訴訟を起こしたことを受けての措置だという。

記事では、精神的負担への対応策の主な内容として、
  公判前整理手続き
     遺体の写真などが必要か吟味する
     イラストなどで代替できないか検討する
 裁判員選任手続き見たくない
     遺体写真などを見せることを説明する
     不安を訴える人の辞退を認めるか検討する
 審理・評議
     裁判員の様子に気を配る
     辞任を勧めることも考える
 判決言い渡し後
     裁判員経験者の相談に応じる
     経験者同士が交流できる環境を整える
とある。

裁判員の精神的負担に配慮した措置だというが、そもそも法曹人でない人たちに、なぜ、そのような負担を強いるのか。
裁判官も検察官も弁護人も、遺体の写真だろうと何だろうと、裁判で必要とあれば見るということを覚悟してその職に就いた人たちである。素人にプロと同じ覚悟を求めるのはおかしいだろう。

また、裁判官には、審理や評議の際に、裁判員の様子を気にとめ、判決言い渡し後も、体調不良などがあればいつでも裁判官が自ら相談にのるようにしろという。
お客様である裁判員に気を遣い、判決後もカウンセラーの役割をしろということだが、それが裁判官の仕事なのか。

国民に精神的負担を与える制度は廃止して、裁判官は裁判に専念してまともな判決を出せと言いたい。

さて、「遺体の写真を見る必要があります」と言われて、喜んでやりたいという人が出てきたら、それはそれで真夏の怪談以上に怖い話である。015583

 

 

 

 

 

 

 

投稿:2013年8月1日

裁判員裁判と刑事弁護の変質の危機

弁護士 川 村  理

今年の8月で、裁判員裁判が現実に実施されて4年目を迎えた。大手マスメディアや当局の「順調」キャンペーンにもかかわらず、制度に対する国民の支持は一切高まらないばかりか、PTSDになった裁判員経験者からは国家賠償請求訴訟を提起されるなど、制度はまさにぐらぐらの状態にある。しかしながら、一方で危機的に進んでいるのが、裁判員裁判を担う弁護士の側の問題、すなわち、刑事弁護の変質である。

今から約20年前、1994年に発行された「刑事弁護の技術」(第一法規)という上下2冊の書物がある。この書物は、当時、第一線級の刑事弁護士らが、各項目にわたり、その「技術」を説いている内容だ。その中で、東京の有名な刑事弁護士である佐藤博史氏(以下、「佐藤氏」)は、「弁護人の任務とは何か」との項で次のように述べていた。

「弁護人の任務とは端的に被疑者・被告人の利益・権利を擁護することにあると言い切るべきである」「弁護人の『刑事司法に協力する義務』(公的義務ないし司法機関性)が説かれることもある。しかし、被疑者・被告人に対する義務を全うすること自体が究極的に刑事裁判の目的にかない公益的意義を有するのであって、そのことを離れて右のような義務があるのではない。」

ところが、裁判員制度においては、法51条に次のような条文がある。「弁護人は、裁判員の負担が過重なものとならないようにしつつ、裁判員がその職責を十分に果たすことができるよう、審理を迅速でわかりやすいものとすることに努めなければならない」

すなわち、弁護人は、裁判員に配慮し、審理の迅速やわかりやすさに協力せよ、ということであり、弁護人に対して、被告人の利益追求とは別に、審理へ協力する義務を求めているのだ。このような規定が定められること自体、裁判員制度は、かつては佐藤氏の説いた「弁護士の任務」を大きく変質させるものであるが、なぜか佐藤氏がこの規定を問題視し、制度に反対したという話はほとんど聞かない。それどころか佐藤氏は、制度の賛成派として、雑誌「世界」(2008年6月号)の裁判員を巡る対談にまで登場し、高山俊吉弁護士らと討論を行うような立場に変わった。

同じく94年の「刑事弁護の技術」には、「裁判所による事前準備にどのように対処するか」の項があり、ここでは大阪の有名な刑事弁護士である後藤貞人氏(以下、「後藤氏」)が、次のように述べていた。「時として裁判所が相当長期間にわたって、しかも期日と期日の間隔を非常に短くしかおかずに指定しようとすることがあり、とくに東京においてその傾向が強い」しかし、こうした審理を進めようとする論者は「職業としての弁護士の存在を困難ならしめる」ものであり、「論者のいう1カ月で月に2回ないし3回の開廷が2年間も連続してあれば、準備なども含めると、場合によっては他の事件はほとんど担当できないことも起こりうる。他の手持ち事件が支障になれば、それを『整理』すべきだというのであるから、仮に『複雑困難な事件』が無報酬に近い事件であれば、刑事弁護については職業としての弁護士は存立しえない。無理解を通り越して『暴論』というべきではないか。」

ところが、裁判員制度においては、後藤氏の言う「無理解」ならぬ「暴論」がまさに制度化され、「1カ月に2、3回」どころか、事件によっては、数カ月単位の連日的開廷が実施されている現状だ。そうであれば、後藤氏は、このような連日的開廷は暴論以下のものであるとして大いに怒ってしかるべきなのであるが、ご本人は、現在、制度の推進派として、裁判員裁判をご活躍のようである。もっとも、国選の裁判員弁護は結構な報酬がつくので、後藤氏の上記の立論とは必ずしも矛盾しないということかもしれないが、かつて「1カ月に2、3回」の審理を暴論としてきた人が、今ではそれ以上のペースの審理に協力するなど、あきれるばかりの転向ぶりではないか。

裁判員裁判が、刑事弁護の現場にもたらした変質例はまだまだある。従来はほとんどなされなかった「弁護人からの求刑」、本来の証拠が冗長すぎるからと「圧縮」(改竄)された証拠の横行、弁護団同士の殴り合いを含むパフォーマンス立証、裁判員裁判をビジネスの対象としてとらえる一部若手弁護士の登場…かつて「大衆的裁判闘争」を唱えた部分も、裁判員裁判で大衆的闘争を構えたという話はついぞ聞かない。密室の公判前整理手続きが長期間続き、公開の公判が連日となると、裁判支援そのものも極めて困難となっていくだろう。

かつて筆者は、制度の実施前、裁判員制度は「闘う刑事弁護の排除だ」という趣旨で講演をしたことがあるが、当時の危機感はことごとく現実化しつつある。「闘う刑事弁護」を取り戻すためにこそ、裁判員制度は廃止すべきだと訴えたい。00780-450x337

 

 

 

投稿:2013年8月1日