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裁判員経験者による国賠訴訟の提起について

弁護士 織田信夫(仙台弁護士会)

 福島地裁郡山支部の元裁判員が国を相手取り損害賠償請求を起こした事件。
この提訴を受任された織田信夫弁護士から投稿をいただいたのでご紹介いたします。 

 今年(2013年)3月,福島地方裁判所郡山支部で行われた強盗殺人事件の裁判員裁判で,裁判員をつとめた62歳の女性がその後急性ストレス障害と診断され,それまで勤めていた介護施設での介護の仕事を休職せざるを得なくなってしまうという事件が発生した。裁判員として裁判に関与して気分が悪くなった,精神的に不安定になったという方の感想のようなものが新聞で時折みかけることはあったが,このように明確に急性ストレス障害と診断された例はこれまでなかったのではないかと思われる。

 その方のご主人は行政書士をしておられ,私の名前をインターネットで知ったということで,当初は私に福島県内の弁護士で裁判員制度の問題を扱っている方を知らないかと電話で尋ねられた。私には心当たりがなかったので,そう答えたところ,私に直接会ってお話したいということで,仙台までお出で頂くことになった。最初の電話では奥さんの病状からご主人がお一人で見えるとのことだったが,意外にお二人でお見えになった。もちろんお二人でお出で頂いた方が間違いのない対応ができるので,私にとっては有難いことであった。

 その裁判時の証拠調べの経過,それによって食後トイレに駆けこんで嘔吐したこと,その後の期日でも同様の状態であったことなどをその女性は詳細に話され,「2度と私と同じ思いを他の人に味あわせたくない」との強い思いを語られた。ご主人も「これは本当に赤紙ですね」と言われた。

来なかったら処罰する( その女性はこの事件で裁判員候補者として呼出しを受けたとき,裁判員にはなりたくないということで,勤 務先の上司に過料の10万円を施設で負担しては頂けないかと尋ねたら,施設では,休暇はやるが10万円を負担することはできないと断られたとのことであった。

 根が真面目な彼女は,出頭を拒否せず,裁判所に出向いたところ,くじで裁判員に選ばれてしまった。裁判員という仕事がこんなに大変なことであるのなら当初からなぜ断らなかったんだろう,夫は,何故妻に断らせなかったんだろうと思ったと,私の前でご夫婦は非常に残念がっておられた。

 他の人に同じ思いはさせたくないという思いを実現するにはどうしたら良いか,それが私への相談の趣旨であった。私は,穏やかに世間に訴えるということであれば,例えば私たちが行っている「裁判員制度はいらない!大運動」の機関紙の全国情報にその経過と思いを掲載して世間に訴えるという方法がある,その方が経費も余りかけず心理的負担も小さくて済む,しかし強く訴えたいというのであれば,やはり国家賠償訴訟を起こすことになる,そのときは勢い制度の憲法問題を取り上げることになると説明した。ご夫婦は当初,その訴えを起こすと,さも自分たちはお金が欲しいと思われそうで嫌だとお話しされたが,私は,もしマスコミ等に説明する機会があればそこでお金が目的ではないことをお話しされれば良いのではないかと話したところ,納得して下さり,お二人はその場で国家賠償訴訟を起こすことを決意された。その訴訟ではいつも私たちの運動に協力してくれている仙台弁護士会の佐久間敬子弁護士にも代理人になって頂きたいと思っていると話したところ,お二人はそのことを了解して下さった。

 その後間もなく,そのご夫婦と以前から接触のあった某新聞社にお二人のこの意向が伝わるや,「裁判員経験者国家賠償訴訟提起の意向!」と全国の新聞やテレビに大きく報道され,ご当人らはこのような大事になるとは予想していなかったので面食らったらしく,訴訟の進め方について憲法問題ではない方策はないものかと改めて私に打診して来た。私たちは改めてお二人と面会し,裁判員裁判における証拠調べの方法が裁判官裁判と異なることは,本来の刑事裁判の目的である事案の真相を明らかにするものではなく,その証拠調べの方法が裁判官裁判と異ならないことの過失を問うことはあってはならない,また,裁判所に対し単にメンタルヘルスケアの充実を求めるような考えは,裁判員裁判においては裁判員にメンタル面への障害を与えても構わない,ケアさえしっかりしていれば良いという考えに通じるものであり,それは到底私たちの受け入れられるものではない,問題は一般の国民を強制してかかる裁判員という辛い仕事に無理に参加させることになっている裁判員制度そのものにあるとご夫婦に説明し,ご夫婦もそのことを十分に理解され,改めてその趣旨の国賠訴訟に踏み切る決意を固められた。

悪夢(小)

 私たちのこの訴訟の目的は,この国民強制の制度が憲法違反であり,かかる憲法違反の制度をまともな審議をしないで成立させてしまった国会議員に重大な過失があったとしてその責任を問うものである。

 裁判員強制は,現実問題として裁判員制度存続には不可欠な制度であることは良く分かっている。今もなお4割超の国民が制裁があっても参加しないと言い,4割超が制裁があるのであればやむを得ず参加するという,つまり約8割5分の国民が否定的意向を持っている以上,強制を外せば残り15%のやってみたい物好き派,或いは日当稼ぎの暇人しか集まらなくなる。これでは司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上という裁判員制度の前提たる仮説が脆くも崩壊する,適正な刑事裁判でなくなることは火を見るよりも明らかである。

 強制しなければ裁判員制度は成り立たない。国民にどんな苦しみ、不利益を与えても、裁判員制度は続けなければならない。そのようなことは民主国家として認められることでないことは明らかであろう。つまり,この裁判員強制の違憲を裁判所に認めさせることは,裁判員制度を崩壊させることに繋がる。

 2011年11月26日の最高裁大法廷判決は,裁判員裁判を受けた刑事被告人からの裁判員制度は憲法18条違反であるとの主張に対し,本来はそれが適法な上告理由には当たらないのに,敢えて「苦役ということは必ずしも適切ではない」と判示した。その理由がまたふるっている。裁判員となることは参政権と同様の権限を付与するものだ,国民の辞退にも柔軟な制度を設けている,旅費日当も支払われることになっているからだという。

 今回の原告は,事件後3か月を経てもなお精神的不安定は消えず,夜中に,死刑を言い渡された被告人がボロボロの背広を着て玄関先に立っている夢を見たという。そして,自分が死刑を言い渡したからこんな病気になってしまったのだろうかと悩むという。

今回の私らへの依頼者の苦痛を,最高裁いや全ての裁判所は何と捉えるであろうか。これでも裁判員の職務は苦役でないと強弁するのであろうか。

 この裁判で裁かれるのは,その事件を裁く裁判所自体であると考えている。裁判員制度はこの強制の問題以外にも,刑事裁判の崩壊を招くものであり,被告人の裁判員裁判強制,つまり被告人に選択権を与えないことの違憲性などの問題山積の悪制度だが,まず今回の裁判を突破口にして,裁判員制度について国の考え方を根本から改めさせたい,そういう意気込みでこの裁判に臨みたいと思っている。

 この訴について裁判をするものは,「裁判員ともに!」などと今も構内に大きい看板を掲げて裁判員制度を推進しようとしている裁判所である。前記最高裁大法廷判決がその末尾で力説している制度推進にかける情熱を思うと,本来政治的に中立であるべき裁判所が極めて強力に政治的になっていることの怖さ,一体国民は究極的に誰に救いを求めたら良いのであろうかとの不安や,空しさ,戸惑いを隠すことができない。誠に悲しく残念なことである。

 先に,裁かれるものは裁判所自体だと記した。裁判所は何を裁かれるのか。それは憲法76条3項に定める裁判官の良心の有無,その裁判所が真に独立であるか否かということである。制度普及時から現在までの裁判所の動き、最高裁の態度からすれば、極めて期待し難いことではあるが、私たちは僅かな希望を一部の裁判官には残っているだろう良心と勇気に賭けたい。

2013.6.11ご投稿

ヒヒヒ(小)

 

 

 

 

 

投稿:2013年6月15日