~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
インコさんは、裁判員制度にお詳しいだけでなく、死刑制度にもお詳しいんだそうですね。
いや、お詳しい…というよりも詳しい…というかな、たいしたことはないが、まぁ、うん。
こういう雲行きの時は危険です。ちょっとお聞きしたかっただけなのに変に刺激しちゃったかな。
日弁連が10月7日、人権擁護大会で死刑制度の廃止宣言を採択したっていう話だろ。ほら君たちも話したさそうな顔してるじゃないか。
知ってますよ。新聞は大会前からずいぶん話題にしてましたから。
死刑存続が社是の『読売』は、10日以上前の9月25日に「『死刑廃止』日弁連に波紋 宣言採択へ 被害者遺族ら反発 存続派抗議声明で応戦も」と挑発的な長い見出しを掲げました。東京本社版は何と6段組みでしたね。
7日の宣言採択を報じた翌8日の報道も本文140行を超える大報道です。「日弁連『死刑廃止』宣言 被害者支援派は反発 機運高まらず 「殺したがるばかども」寂聴さん批判 遺族反発 実行委謝罪」と、これまた見出してんこ盛りの7段組み。寂聴さんがシンポジウムのビデオメッセージで「殺したがるばかども」と言ったのは、被害者や遺族をばか呼ばわりしたようにとられたと実行委員会が謝罪したんだそうです。
一方、死刑廃止に親近感を持つ『朝日』は、10月3日に「『死刑廃止 20年までに』 日弁連表明へ/世論は容認多数 袴田事件で変化 『情報公開必須』」の見出しで報道。宣言採択の報道は「『死刑廃止』日弁連が宣言 採択参加7割弱の賛成で 世界的な潮流 背景に冤罪」とありましたね。
ところで、宣言のタイトルは「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」と言ったな。死刑廃止を言うだけじゃないと妙に強調したような言い方をしたところがくせ者だ。さて、この宣言採決の票数をヒヨコ君知ってるかね。
786人が出席して、賛成が546、反対が96、棄権が144でした。棄権が多かったですね。どうして廃止と存続にすっきり分かれなかったのだろう。
インコは、見たくれは飲んだくれでも、死刑廃止論者の端くれのつもりだ。
だが、死刑廃止運動を進めている弁護士たちの動きには正直言って、強い違和感を覚えたな。
いない。壇上に並ぶ廃止宣言起草者たちの顔には確信も気迫も窺えなかったとか、怯えているようにさえ見えたという話だ。
宣言の内容の問題だ。一言で言えば、起草者たちは死刑という刑罰をなくせれば後はどうでもよいと思っている。それがおろおろしたり怯えたりする原因になっている。
なんと言っても、この人たちが言う「人間としての尊重とか人間性の回復」とかの言葉の意味が何ともいい加減なのだ。
宣言は「刑罰制度は罪を犯した人を人間として尊重することを基本とするものでなければならない」と言っている。それならこの人たちが提案する「仮釈放の可能性がない終身刑」はどうして検討の対象になり得るのか。
宣言は「仮釈放のない終身刑」をこの際、検討の対象にしようと言ってるんですか。
「仮釈放の可能性がない終身刑」はやっぱり「罪を犯した人を人間として尊重すること」に反するじゃないかという訳ですね。
宣言は「刑罰制度は人間性の回復と自由な社会への社会復帰と社会的包摂に資するものでなければならない」という。それなら、どんなことがあっても一生「自由な社会」から隔絶され、何があっても「社会復帰や社会的包摂」とは無関係のまま死んでいかなければならない刑はやっぱり「あってはならない」人権侵害刑だろう。
「死刑は絶対に許されず、絶対終身刑は検討に値する」とどうして言えるのか、起草者たちは一言も言わなかったな。
死刑を廃止するに際して、死刑が科されてきたような凶悪犯罪に対する代替刑を検討すること。代替刑としては、刑の言渡し時には『仮釈放の可能性がない終身刑制度』、あるいは、現行の無期刑が仮釈放の開始時期を10年としている要件を加重し、仮釈放の開始時期を20年、25年等に延ばす『重無期刑制度』の導入を検討すること。ただし、終身刑を導入する場合も、時間の経過によって本人の更生が進んだときには、裁判所等の新たな判断による『無期刑への減刑』や恩赦等の適用による『刑の変更』を可能とする制度設計が検討されるべきである」。
わからんか。キミはまだまだ未熟だが、これがわからないのはキミが未熟過ぎるせいではない。
そうだっか、ほな説明しまひょか。「仮釈放は絶対にない。ただし更生が認められたら刑を変える」と言ったら、子どもでももっとちゃんと説明しろって言うだろ。
絶対終身刑も死刑と同じように基本的人権を侵害するときっと言われる。それをかわすように工夫しなくちゃならない。だからこんな言い方になった。
でも、「絶対に」というのは「例外なく」ということですから、「絶対」と「抜け道付き」は両立しません。こういうのを自己矛盾って言うんじゃなかったでしたっけ。
つまり、あちら立てればこちらが立たず、結局、何を言っているのかわからない論旨になったんだと思うのです。
言いたいことはまだある。重罰化・重刑化と言われる昨今の傾向をこの宣言は間違いなく助長する。
もう一度引用文を見てごらん。「現行の無期刑が仮釈放の開始時期を10年としている要件を20年、25年と加重し」などと言ってるだろ。だが現在でも下獄して10年で無期刑者の釈放の検討が始まるなんてまったくあり得ない。
そのことは刑事事件に関与している弁護士や刑務所収容者の支援運動に関わっている人たちには常識と言っていいんでしょうか。
もちろんさ。そういう状況の下で「仮釈放の開始時期を20年、25年等に延ばそう」などと言ったらどうなるか。
日弁連は仮釈の検討開始を不当に遅らせている現状を批判しないと宣言することになります。
法務省はそう言って喜ぶでしょうね。最近の重罰化傾向にはすさまじいものがあります。その傾向を批判しなければいけない日弁連が逆に容認するような主張に及んだことに私も驚きます。
内閣府が2014年に行った世論調査では、終身刑を導入した場合にも死刑は廃止しない方がよいと思うという意見が51.5%もいたとされる。こういう「世論」を背景にして法務省は死刑をそのままにして絶対終身刑導入の検討に勇んで進む。
「死刑をやめて絶対終身刑へ」のつもりが、「死刑も絶対終身刑も。そしていっそうの重罰化へ」に進んでしまうと。
宣言のタイトルは「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」でした。刑罰制度全体を改悪させる水路作りに日弁連は協力したことになるんですか。
そう思いたくないが、事実を冷静に見ればそうなるな。
『読売』が予測したように、今回の大会では「被害者支援運動」をしているという弁護士たちが宣言に反対する立場から発言したようですね。
宣言起草者たちはどうしてその人たちに正面から向き合わなかったのか。腫れ物に触るように被害者や被害者支援弁護士に対応した。一貫してそらし、かわし、避け続けた。
犯罪被害者がこの社会で置かれた状況をきちんと考えることは大切だと思います。しかし、死刑制度を考える時に被害者と被告人・確定囚を対決的に捉えるのは正しくないと思います。
被害者支援弁護士たちはまさしく対決的に捉えていたが、起草者たちも実は同じ視点に立っていた。「決して被害者の立場を無視している訳ではない」などと弁解するのは同じ線上にいることに他ならない。私たちは本当に被害者の立場に立つ、あなたたちの言う「被害者の立場」とはどういうものなのか、そこをはっきりさせようというような姿勢はまったくなかった。
それが正面から廃止を訴える姿勢かという疑問に結び付いてくるんですね。
私、宣言を丁寧に読みましたが、読めば読むほど中途半端な姿勢を感じました。
「被害者支援運動」に妙に気を使い、奥歯に物が挟まったような言い方をしながら、何とかこの辺で許して頂戴よと言っている。これでは確信も気迫も失せようし、何かに怯えもするだろう。
何が何でも廃止宣言を取ってしまいたいという姿勢に会場の弁護士たちが白け、それが棄権票を増やす原因になったのでは。
そのとおりだろう。宣言採択後に記者会見をした日弁連副会長が「被害者の声にしっかりと耳を傾け、宣言の実現に尽くしたい」と話したと報道された。私はそれがこの宣言の本質を示していると思ったな。
今回の死刑廃止宣言は裁判員制度の廃止とどう繋がるのでしょうか。
そこだ。はっきり言おう。日弁連中枢はもちろんだが、死刑廃止を言う人たちの多くが裁判員制度廃止を言わないところに大きな問題がある。
1つに、裁判員裁判になると死刑判決が減ると思ったということがある。
でも実際に死刑判決が減っていないことがわかったら、裁判員制度反対に舵を切りなおせばいいのでは。
それほど簡単じゃない。日弁連中枢は裁判員制度採用の旗振り役を買って出てこの制度を実現させた。その日弁連に死刑反対を表明させたいと考えれば、とても裁判員制度に反対なんて言えない。
いや、この話は日弁連中枢がなぜ裁判員制度の旗振りをしたかというところに行き着くのだ。政府は、国民の司法動員を国策として位置づけた。だが、日弁連は勝手に陪審制への一里塚だなどと言い募り、何の根拠もなく国民の健全な常識を司法に反映させるのだなどと言いまくった。
裁判員制度は簡易・迅速・重罰という戦時司法を支える仕組みだという見方があるとか。
確かにその要素がある。こんな情勢の下で政府・法務省が自ら進んで究極の刑罰「死刑」を手放すと考える方がおかしい。そしてその政府・法務省に日弁連はすり寄っている。これを何とかしようと言うなら、激しい闘いが欠かせない。
死刑廃止論者は裁判員制度反対の先頭にも立って、日弁連中枢や政府・法務省の姿勢を厳しく批判し、その中から死刑廃止への道筋を切り開いて行くべきだということですね。
11月23日の『読売』の論点欄に、全国犯罪被害者の会の元代表幹事が「死刑廃止運動と弁護士会」というタイトルで投稿している。この人は人権擁護大会でも発言していた。
死刑廃止のような会員の意見が分かれるテーマを日弁連の名前で追求するのはやめろと言っている。
でも、そんなこと言ったら日弁連は憲法に関わるあらゆるテーマについて何一つ物が言えなくなりませんか。
「内閣府の最新の世論調査では死刑容認が80.3%、廃止が9.7%。『国民の健全な常識の反映が欠かせない』として裁判員制度を実現させた日弁連は、この矛盾をどう考えるのか」というところだ。
よく出てくるこの死刑容認の数字は、警察庁や法務省や内閣府が死刑存続論を大宣伝してかすめ取ったもので、まともな議論のベースにすること自体が問題なのだ。
殺人事件などの犯人の凶悪性を社会背景と切り離して強調するのも、言って見れば死刑存続論の変形版ですよね。
うん。その程度のことはきっとこの投稿に対する反論権行使として日弁連の誰かが書くだろう。
そうだ。こんな数字にウソが潜んでいるのと同じように、裁判員制度は国民の健全な常識を司法に反映させる仕組みなどというのはまったくのデマ。しかし日弁連中枢は一貫して「健全な常識論」を言った。そして裁判員制度に賛成した人たちや反対しなかった人たちはみなその「健全な常識論」を受け入れた。
存続派はそこを突いて、「健全な常識論」を支持していながら「80%という常識」をなぜ支持しないのかと切り込んだ。
これにきちんと反論できる「裁判員制度賛成の死刑廃止論者」はおそらくいまい。はっきり言って、死刑制度に正面から反対と言い切れる人というのは、国民に国民を死刑台に送らせたり一生刑務所に送り込ませたりすることに反対する人たちに限られるのではないか。
だから、死刑廃止を検討する代わりに重罰を受け入れるというと議論になるのです。「廃止しろ」、「廃止する」じゃなくて、「検討する」というだけですよ。しかも、裁判員による判決は死刑判決を減らすどころか、裁判官裁判なら死刑にならなかったような事件まで死刑にしてしまい、求刑越え判決も連発しています。そこをまったく問題にしなかった。
現在の死刑廃止論者たちのあいまいさが今回の大会でも浮き彫りになったのではないかという訳ですね。
そのとおりだ。死刑存続と裁判員制度存続と被害者の異様重視は、異常司法の同根の産物なのだ。
キミも結構成長したぞ。日頃からの勉強が大切だ。ま、私を見習って頑張りなさい。
(それを言わなければ成長するんだけど) このところ議論の幅が広がっているインコさん、肩の力を抜いてやって下さいね。
投稿:2016年11月29日
予想大はずれで不動産王のトランプが元大統領夫人で元国務長官のヒラリーに勝ったんで、世の中ひっくり返るような大騒ぎです。
米国では比較少数者が勝つ選挙制度の在り方を根本から考え直す必要があるなんて言われてますね。
メディアは予想の外れを国民に謝罪し、今後は世論調査の手法を変えるとか言ってます。
大騒ぎと言えば、卒倒寸前まで慌てふためいたのがアベ首相ですって?
しばらくトランプとはコンタクトをとらんぷが良いって周りが言ったら、すごく怒ったとか。
政治の世界の要人というのは、こうなったらこう、ああなったらこうするっていつもかなり先を読んで行動しているものじゃないのでしょうか。
彼らもみんなそのつもりでいたのだが、その誰も彼もが読み違えたという訳さ。こういう姿を見せられると、彼らの読みなるものがどれほどいい加減なものかよくわかる。そのことをわからせてくれたありがとう、と言っておこう。
偉そうに物を言っている人たちが実はどうしようもない浅薄な連中だと。それにしてもこの方の慌て方は尋常ではありませんでした。
ゴルフグッズ抱えてニューヨークに飛びましたね。各国の首脳で誰よりも早くトラにあったのがアベ首相ですって。出発直前、この人は羽田でトラを2度も「大統領」って呼んでました。
人間性を見せる旅って粗忽者の顔見せってことですか。民進党の誰とかがみっともない朝貢外交だと批判したとか。
朝貢か。居ても立ってもいられず、会わないではいられなかったというところだろう。つまり世界で一番慌てたのがアベ首相ということだ。
♪慌てん坊のアベ首相♪ 就任前にやってきた♪ 急いでりんりん
はいはい、でもきんきらトラ御殿で1時間半くらいしゃべったら、トラと信頼が築けると確信できたんですって。ゴルフと選挙と家族の話をすると国家と国家の信頼が繋がるって…。
ヒラ陣営がトラのしゃべってることは70%ウソだと言ったら、トラ陣営はヒラは100%ウソをしゃべってると応えたそうですね。
アベ首相とトラがうまく繋がっていないのは確かでしょう。ゴルフグッズの交換なんてどう考えても変です。用意したのが両方ともゴルフクラブだったらと冷や汗三斗だったんじゃ。
会談内容は発表されませんでした。就任前の大統領予定者との非公式の会談で現職大統領に失礼だからとか。
ウソ言え。良い話が出なかっただけさ。何も言わないことにしたのなら、「再び会って広く深く話すことで一致した」と公表するのもおかしい。社交辞令の当選祝いと趣味と家族の話以外に話らしい話はなかったので、近々話し直すということにした。
在日米軍の駐留経費の問題やTPP撤退の問題でうれしい話が聞けたら黙っていられる人ではない。
アベ首相は選挙運動中の忙しいヒラに、当選を信じてわざわざ会いに行きました。そしてその結果をべらべらしゃべりました。失礼というなら一候補者に会いに行く方がもっと現職に失礼でした。
今回は成果がなかったとは死んでも言えないということでしょうね。
御殿でのこの人の引きつった笑顔がすべてを物語っている。だいたい1時間半程度で信頼が確信できる関係なんだっら、どうしてこんなに慌てなくちゃいけないかっていうことだ。
ボクの友人たちはみんな笑っています。それにしてもアベ首相は結局トラのパフォーマンスに利用されたのでしょうか?
俺があんなに毒づいた国のボスがさっそく俺んちまで表敬訪問に来たんだぜ、俺の指定で向こうはアベ1人、こっちは娘夫婦も立ち会わせたさ。君たちももうそろそろ反トラデモなんか止めて俺を大統領らしく扱えよ。まぁ、そんなところだろう。
トラの勝利に腰を抜かしたのは政治家だけではありません。マスコミもしっかり腰を抜かしていまだにリハビリの歩行練習をしています。
全メディア総ぶっ倒れと言ってもよいでしょう。読者・視聴者の皆さん、私たちと一緒にふらふらして下さいって言ってるような感じです。
その言葉を作ったのはマスコミだろう。自分が予測できなかったのに他人ごとみたいに言ってみせるのは何ともいやらしいな。だいたい「現象」なんて皮相的だよ。
自分たちが読めなかったことをごまかして不透明と言い換えるずるさに通じます。
大事なことは、みんなようやくそのずるさが見えるようになってきたということさ。
トラ・ヒラ戦争の結果は本当のところどう受け止めればいいのでしょうか。この際そこをはっきりさせたいと思います。
確かにそうだな。そういう話になったら、ここはしばらくぶりに教授にも参加していただこうじゃないか。
きみ、私が通りかかったのを見てさっそく捕まえたな。だがインコ君、少し聞いていたが、話が難しくなったと思って逃げてはいかんぞ。
インコさん・先輩、話が難しくなったと思ってここは逃げてはいけませんよ。逃げちゃダメです。
いろんなことがありました。ガラスの天井を破るというヒラをサンダースがウォール街の先兵と罵倒したり、億万長者の排外主義者に白人労働者が喝采の雄叫びを上げたり…。
うーむ。トラ・ヒラ戦争の結果をずばり一言で評すればだ。そう、猛毒と劇毒の闘いで劇毒が勝ったということだな。どちらもしっかり有毒。喜ぶのもおかしければ大泣きはもっと論外。アベ政権だけではなく、マスコミまでがヒラが負けたとうちひしがれている。ヒラってそんなに良い候補だと君たち思ってたのかねと聞きたくなるな。
トラは保護主義、ヒラは自由貿易推進なんて言われていましたが。
全然わかっていない。どちらも正真正銘の米国第一主義だ。国益にヒラヒラ飾りを付けて世界全体のためみたいな修辞満載にするか、それともホンネをずけずけ言ってしまうかという違いに過ぎない。どちらにしても世界は米国のためにある。
核軍縮やTPPや地球温暖化への対応など、言い方はいろいろでも、米国は明確に自国の利益にかなうかどうかを行動基準にしてきた。違いを大げさに言うのはおかしい。2人の違いはええかっこしいか格好をつけないかの違いくらいのものなんだから。
トラが保護主義、ヒラが自由貿易主義なんて区分をするのなら、共和党なんて自由貿易主義の牙城だ。米国に限ったことじゃない。独、仏、英、日…、どこの資本主義国も自国経済第一だ。TPPにしがみつくアベ首相はトヨタよりGMの利益を重視しているなんて誰が思うか。それが資本主義の第1法則だ。
猛毒と劇毒の闘いで劇毒が勝ったというと、つまりこれからは救いようのない地獄行きということになりますか。
それは違う。勝った負けたは人の世の常。ではない、選挙戦の結果というレベルの話だ。もう少し奥深く見よう。貧困大国の貧しい多くの人たちが米国の政治や経済の在り方にノーを突きつけた。その意思と要求をトラがかすめ取った。見えにくいが、見抜かなければいけないところは実はそこだ。負けたのは米国の政治や経済の支配のありようなのだ。
米国の衰退凋落にはもう何十年の歴史がある。新自由主義とかグローバリズムとかいうのも、落ち行く米国が少しでも生き残ろうと仕掛けたバトルだった。
それはオバ大統領も言っていた。言いながら彼はイラク・中東・イスラエルと戦争政策を続けたがね。
トラ選後の記事で、「世界の資本主義的システムが構造的な危機を迎えている」という見方を読みました。
米国の社会学者イマニュエル・ウォーラーステインやフランスの歴史学者エマニュエル・トッドなどの見方だ。英国のEU離脱もあって、その見方は今世界に広がっている。
でも、新聞を開くと、いまだに「保護主義はダメだ」なんていうトラ退治風社説を見ます。
この国の政府、財界、マスコミを覆う病は重篤だ。アベ首相と一緒に慌てふためいた連中が今もって情勢から取り残されているというか、情勢をごまかして解釈する側に回っている感じがする。
そう、ごく一部の者たちが社会の一般的な論調を独占していて、自分たちが世論形成の責任者だと自認している。
多くの人たちが置かれた状況やそれを背景にした意見がとことん隠されている状況を打ち破らなければいけない。
マスコミは、いまだにトラはこれから何を言い出すかわからないとか、我が国はトラ一派に人脈が乏しいとか、もっと過去の日米関係の評価をさせようとか、扇動政治から距離を置くのではとか、それこそしょうもない話を言い募っています。
この間、『朝日』が社説で、「戸惑ってばかりはいられない。腰を落として冷静に対処するしかない」と書いていました。「ばかりはいられない」と「するしかない」という言葉に論説委員の絶望感がにじみ出ているように思いました。
戸惑っているのは誰々で、腰を落として冷静に対処しなければならないのは誰々なのかということだ。
トラは大多数の貧困層の労働者の声を拾い上げてこれからの米国の政治経済の改革目標に本当にしてゆくのでしょうか。
それはない。きんきら御殿に住みながら電気代も払えない人たちの生活をどうして守れるかということだ。口先介入で票をかすめとった連中は所詮それだけの奴らさ。必ず大衆を裏切り、貧困労働者をますます苦しめる。裏切られたことを知った怒りの大きさを考えてごらん。韓国の朴退陣要求のすさまじい広がりを見てみなさい。
サンダース候補に期待し、それがダメになってトラに期待した人たちって多いんでしょうね。
なんて言ったって6000万という票だからね。99パーセントの民衆のかなりがここに入っていることは間違いない。それが反乱を起こす。
米国大統領選の結果はいまだに激しい余震が続いていますが、これからどのように動いて行くのでしょうか。
米国も今はまだ争乱の前兆だ。選挙に顔を覗かせた民意はこれから本震になって米国自身や日本やそれこそ世界中を揺るがすだろう。
選挙と民意は必ずしも一致しませんよね。改憲勢力が3分の2を占めたからと言って、世論は決してそんなに改憲を支持していません。
世論が改憲支持多数になったってその世論を誰が作ったっていう問題が残るぞ。
支配の姿から見れば、トラの排外主義や開けっぴろげのアメリカ第一主義でメキシコだけでなくヨーロッパ諸大国との攻防が確実に激しくなる。イエレンはもう心配しているが確実に規制緩和に突き進む。ロシアや中国との関係も対決強調論と対決回避論の激化の中で舵取り不能になる。基軸帝国主義国から諸列強のはざまに揺れる一資本主義国という地位に落ち込み、再び強さを取り戻すというトラの方針は結局惨憺たる結論に向かう。決着の道は戦争ということももちろん考えられる。
ごまかしながら沈んで行く姿から、はちゃめちゃに沈没して行くスタイルに変わるということですか。司法長官は不法移民に厳格で、CIA長官は茶会運動所属で、安保担当補佐官は移民やテロ対策の強硬派として知られる人だそうですから、統制基調の対決路線で突き進むのは間違いないでしょうね。
民衆の動きから見れば、米国大統領選挙の歴史にかつてない「かすめ取り選挙の落とし前を付ける動き」に火が付く。騙された民衆は怒りの出口を求めて動き出す。米国経済は貧乏人を大量に作り出して集約した富で形成されているのだから、米国の富を根底から再分割するという「革命的暴挙」抜きにはトラ支持貧民は幸せを獲得できない。火が付くのはデトロイトだけではない。騒然たる米国社会の予兆はもう姿を現している。「トラは我々の大統領ではない」というプラカードはヒラ支持者が握っていると思ったらとんでもない間違いだ。
韓国だって何十万、何百万という民衆の動きを1年前に予測した人はほとんどいなかったでしょう。
アベ首相も開けっぴろげ抑圧方針に転換するのでしょうか。「えっ、キミはアベノミクスを本気で信用していたの?」なんてね。
最後に、私たちの「裁判員制度反対」について考えたいと思います。今回の選挙はこの制度の今後にはどう影響するのでしょうか。また、私たちは今回の選挙からどういう教訓を引き出せばよいのでしょうか。
今回の大統領選のトラ勝利で私たちが肝に銘じるべきことは、物事を上品そうなウソやまやかしでコーティングして物を言っていた候補が負けたということだ。
あからさまに言い切ると言ったって所詮はかすめ取り戦術の話なんだが、結局投票者のほぼ半分を獲得した。格好を付けてごまかした方は敗退し、格好を付けても見抜かれると感じた方はその狡猾さで頭1つ抜いた。
「格好を付けても見抜かれる」と言えば、真実を隠蔽してきたのは裁判員制度の最大のまやかしでした。「国民の司法理解」などという言葉にくるんで国民動員の本質を隠す。マスコミには「市民参加」などといかにも受けそうな言葉を使わせた。処罰条項は残しながら「嫌なら裁判所に来なくてよい」とお茶を濁した。
それでも圧倒的な国民から「ノー」を突きつけられてしまいました。
米国大統領選でアベ政権も制度推進派もやっぱりぎりぎりの局面に立たされている。アベノミクスの破綻。クロダ日銀の破綻。司法の世界では15年来の新自由主義改革の全破綻。とりわけタケサキ裁判員制度の破綻。みんなウソばればれ・ごまかし透け透けの風景がそこに広がっている。
ウソとまやかしで固めた国策の真実を白日の下にさらし、批判を集中する絶好の機会が生まれたということだ。本当のことを見せず、言わせず、聞かせずの政策を画策しても、それが通用しない状況が海の向こうで生まれた。歴史に後戻りはない。それは日本でも同じように騙し言葉に簡単に騙されない気運が一気に広がり強まる予兆だ。
またおもしろくなってくるな。君たち、もうひとがんばりしよう。
(注)
今回、登場する仮名文字の姓名はすべて実在する人物のもので、架空のものではありません。どうして半欠け仮名にしたのかですって? 短縮表現の趣味です、はい。
投稿:2016年11月20日
弁護士 猪野亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」11月6日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
北海道裁判員制度を考える会では11月5日、日体大の清水雅彦先生をお招きし、集会を開催しました。
雪まじりの雨という悪天候の中、30名もの人たちに集まって頂きました。
ありがとうございました。判員に対する声掛けを行った工藤会組員が起訴され、その裁判が始まりました。
清水先生には、「憲法改悪の動向と緊急事態条項など自民党改憲案の問題点」と題して講演して頂きました。
自民党憲法改正草案を元に、本来の意味で憲法の意義から遡っての解説であり、憲法は国家を縛るためのものであるというものです。
健康にまで国家が介入してくる健康増進法なども考えさせられる問題です。
タバコ問題も例に挙がりました。タバコに対する国家による規制の問題です。
しかし、他方で清水先生は、他者の人権に対する尊重ということについても、本当に理解しているのかという問いかけをされていました。
本来、自分がタバコを吸いたい自由と、それを嫌う人の自由との調和です。迷惑を掛けるような吸い方はもっての他なのですが、こういった集会が終わった後で、みんなで飲みに行ったりすると途端にタバコを吸う人がいるが、これは問題だと。
少なくともその場に集まっている人たちの意向を確認することもなく吸い出すというのは他者の人権を考えていない点で護憲と言っている人でも本当の意味での憲法を理解していない。
灰皿があるからだというように言う人もいるが、「パブロフの犬」だそうです。
名言です。非常に感銘を受けました。
私自身は、分煙については罰則付きで進めるべきと考えてはいますが、憲法の考え方の例えとして非常にわかりやすかったです。
私は、当会事務局として「新共謀罪など一連の治安立法と裁判員制度」として報告を行いました。
さて、裁判員制度と憲法改悪は関係があるのかと言われそうですが、大いに関係があります。
裁判員制度が陪審のための一里塚とか、えん罪防止のためになるのか、などという狭い発想でしか理解できないようであれば、憲法改悪との関係は理解できないでしょう。しかし、それは発想そのものが誤りです。
もともとの裁判員制度の目的は、国民に対して統治に責任を持て、そのためには裁判官と一緒になって刑事被告人を裁けということにあります。
制度を提言した司法制度改革審議会意見書(2001年6月)にはそのように書いてあります。
「国政モニターからの裁判員制度に対する疑問 疑問に正面から答えない法務省」
自民党憲法改正草案では、国民に対して義務を課し、国家のための憲法となっています。この思想は裁判員制度の思想と全く同じなのです。というよりも裁判員制度がそのように制度設計がなされているということです。
捜査機関の捜査手段も拡充されたり、国家が国民を取り締まるための共謀罪であったりとこの間の一連の刑事司法の改悪は治安政策そのものです。
このような制度は廃止するしかありません。
投稿:2016年11月12日