~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
インコが手に入れた大日本陪審協会が1931年(昭和6年)8月に発行した『陪審手引』という小冊子。これを見れば、現在の裁判員制度がどのような精神に基づいて作られたかよくわかります。
24 手当
呼び出された陪審員候補者には手当が支給される。
旅費 旅費は3階級ある場合は2等、2階級しかなければ上級、階級がない場合は水路なら1海里15銭以内、陸路なら1里90銭以内の割合で支給される。
日当 日当は正陪審員や補充陪審員として公判審理に参加したときは1日につき金5円を、呼び出しを受けて裁判所に出頭したが抽選で除かれたり忌避されたりしたときは1日に付き金2円50銭の割合で支給される。
止宿料 陪審裁判が1日で終結せず陪審宿舎に泊まったら1泊金2円50銭、宿舎以外の所に泊まったら金5円を支給される。もっとも宿舎以外に泊まるようなことはほぼない。
以上の費用は、参加した事件の判決が下されないうちに請求しなければならないが、これらは陪審員係の裁判所書記がたいてい手続きをしてくれる。
25 罰則
陪審員は、国民正義の代表として、畏(かしこ)くも天皇の御名(おんな)において行われる神聖な裁判に参加する名誉な権利・貴重な義務である。その職責は真摯熱誠に尽くさねばならない。万一その努めを怠ったら次の制裁を加えられる。
① 呼び出しを受けながら故なく指定期日に出頭しなかったら500円以下の科料。昭和4年1月、九州のある裁判所で開かれた陪審裁判に届け出ずに出頭しなかった陪審員に10円の過料処罰が科された例がある。
② 法廷で宣誓を拒むと500円以下の過料。
③ 陪審員がみだりに外部のものと交通したり退出したりすると500円以下の過料。
④ 陪審員が裁判長から注意された遵守事項に違反すると500円以下の過料。
⑤ 陪審員が評議の模様や陪審員各自の意見やその数の多少などを他に漏らすと千円以下の罰金。陪審員の漏らした事柄を新聞雑誌などの出版物に掲載すると、その記事の真否に関わりなく2千円以下の罰金。昭和5年3月、東北のある裁判所の陪審裁判に陪審員として参加した者が、後日東京の一流新聞通信員に得々と評議の内容を漏らした。一流紙ともあろうものがその記事を地方版に掲載した。むろん本人はうっかり喋ったのだろうが、言語道断である。後日両者とも制裁を受けたが、一般国民は陪審法の内容くらいは心得ておかねばならない。
⑥ 裁判長の許可なく陪審員以外の者が評議室に入ったり、評議前に裁判所で陪審員と交通したりすると、5百円以下の罰金。
⑦ 陪審員に有罪とか無罪とかの答申をしてくれなどと依頼したり、評議終了前に個人的な意見を述べたりすると1年以下の懲役か2千円以下の罰金。
26 陪審員宿舎
陪審裁判の審理が一日で済まない場合、陪審員は裁判所構内の陪審員宿舎に泊まらねばならない。裁判終了前に勝手に帰宅させたり自由に旅館などに泊まらせては、事件の性質や被告人の関係上、陪審の公正を保つことができないおそれがあるからだ。
宿舎は、司法省が細心の注意を払って優遇に努めている。陪審員の疲労を慰めるため、浴室、談話室はもちろん娯楽品なども相当に設備されている。碁、将棋盤、ラジオ、図書類もあり、寝具も一流旅館より上等である。酔っ払わない程度なら晩酌も許される。外部との交通は禁止だが、審理中の事件と関係がなければ外部の人と面会もでき、手紙や電報も出せ、係員の取り次ぎで電話もかけれられる。必要なものがあれば小使に頼んで買い物もできる。缶詰状態などというものではなく明るい愉快なホテルである。見学会などで宿舎を参観した人々は口を揃えて宿泊料を払っても泊まりたいなどと言っている。
陪審員はそれぞれ職業をもっているから、裁判所もなるべく審理を長引かせないようつとめている。しかし事件によっては2~3日くらいはかかる。実施以来一番長い陪審裁判は昭和4年10月、静岡で開廷された『嬰児殺し被告事件』で7日間を要した。その他の事件はたいてい1~2日で済んでいる。
27 陪審員の心得
法の規定どおりにしていれば職務を果たしたことになると思っていたら大きな間違いである。法規を知ることも大切だが、自分は国民の代表として国家のために正義を擁護する尊い義務を尽くす、そしていやしくも人命に関する重大な判断を下すのだと感銘して任務に従わなければならない。
予断は不可 新聞の記事や人の噂などでは有罪だからとか、予審判事も有罪としているからこの被告人は罪を犯したのだろうなどと思って法廷に臨むことは甚だ危険千万である。これを予断という。こ陪審員に予断を持たれては被告人は非常な迷惑である。せっかく陪審員が立ち会ってくれるのだから冤を雪(そそ)がれると思っているのに、有罪とされてしまったということでは、法律が与えた最高の保障がなくなってしまう。予審終結決定書といえども犯罪事実を認定したものではない。よくよく注意して予断に囚われぬように心がけねばならない。
心証を動かすな 被告の風貌や言動に心証を動かすことは一番禁物である。この被告人の面構えはかなり獰猛(どうもう)だ、人を殺しかねないだろうとか、風にも堪えぬような美人がそんな大罪を犯すかというような疑念をもって裁判に臨んだら、諸君の脳裏に黒いものが白く見えたり白いものが黒く映って、到底真実の判断は下されない。十分に慎まなければならない。
弁論は冷静に聞け 検事と弁護人の弁論戦に惑わされてはならない。検事は攻撃の立場にあるから、どうにかして罪のとどめを刺そうと努力する。被告人の言う言葉がことごとく口実のように聞こえ、被告人が確かに真犯人のように思える。しかし弁護人の弁論に耳を傾けると、今度はどうしても無罪のように思えてくる。まことに無理のないことで、弁護人は被告人に有利な点のみを力説する。陪審員の同情を買うためことさらに被告人を弱者にすることもある。人間は誰しも弱きを助けんとすることに一種の快感と興味を持つが、誤った義侠心を起こすことは絶対禁物である。攻防両者の主張はあくまで冷静に聞かねばならない。
情実論を排せ 公務を執るうえで情実は絶対禁物である。評議の際などに、知人であるとかかつて恩恵を受けた人だからといって、その人の説や意見に引きずられるようなことや、または政治的関係や経済的関係などで動かされるようなことがあってはならない。どこまでも自己の良心に命ずる処に従って正義を保持しなければならない。また世論も正当と見られない場合がある。被告人は大官で人の師と仰がれている人物だから罰してはならないとか、名誉ある地位に立ちながら被告人となったのだから罰しなければならないなどと世論が言っていてもこれに顧慮する必要はない。権力権威に屈せず、独立不羈(ふき)、剛毅の精神を持して、任務の遂行に精進することが肝要である。
28 大日本陪審協会の事業
わが国司法史上に一新時代を画する陪審裁判が実施されて満2年になったが、その間に全国各地裁で取り扱われた陪審裁判事件は235件。この事件数は立法当初に司法当局が予想された数より遙かに少ない。これは陪審法の大精神が国民一般に徹底せず、陪審裁判の真のありがたみがわからないからである。事件の数は少ないが、国民の参加振りは甚だしい不成績ではなく、さすがに司法省が準備時代に500万円という莫大な金をつかって真剣に宣伝に努めたお陰であろう。
だが、実施以来の経過を冷静に振り返えると、陪審員候補者各自の無理解と陪審知識の浅さから、失敗や不始末を演じたことも少なくない。すでに述べた不出頭事件や評議の内容の漏洩事件もさることながら、いやしくも輦轂の下(れんこくのもと=天子のお膝元)にある帝都の裁判所で、『無理心中事件』の審理中、自分の任務の何たるかを知らない陪審員が、陪審裁判長に向かって『一体この事件は合意心中ですか、無理心中ですか』と珍問を発して法廷を騒がせた。あまりにも情けなくその無知には茫然自失する。
大日本陪審協会は、このような失態のないよう、一般国民に陪審知識と一般法律常識を教え、未曾有の大法たる陪審有終の美をなすべく、昭和3年11月、陪審法実施とほとんど同時に、在野法曹の大家元司法次官法学博士小山温氏を中心に、時の司法大臣原嘉道博士、大審院長牧野博士をはじめ、平沼騏一郎男爵、鈴木喜三郎氏、花井卓藏博士等、在朝在野法曹権威者の熱心な指導後援の下に創立され、横山勝太郎氏を会長とし、社員一同、熱心に業務に尽瘁(じんすい)している。
すでに全国で5万人余の陪審員候補者を会員とし、教養指導につとめてわが陪審法の運用に多大の貢献をした。幸か不幸か前述のように失態を演じた不出頭者や評議漏洩者、珍問提出者はいずれも本協会の会員ではなかった。
本協会が今日まで行ってきた事業としては、日本陪審新聞社が発行する日本陪審新聞を毎号会員諸君に頒布し、かつ『陪審早わかり』、『憲法早わかり』等の冊子を贈呈した。司法省後援の下に、東京、横浜、浦和、前橋、新潟等の各地裁の陪審法廷、陪審宿舎を特に公開していただき、その地方の陪審員候補者諸君に見学させ、当該裁判所の判検事各位に講演を願い、陪審制度の精神の普及鼓舞に努力した。その他時々各地で刑務所の見学会を行ったり、陪審講演会、陪審映画の公開等を催した。また常任の顧問弁護士を置いて、会員諸君のために法律の無料相談、鑑定の便宜を図るなど、いやしくも立憲法治国の精神を発揮すべく、国民に対して法律知識の涵養と啓蒙に精進してきた。
読者諸君には、本協会の目的とその事業に十分なる同情と理解を賜り、この国家的公益事業の達成に一段のご後援を切望してやまない。
注意
陪審員候補者諸君は、いつ裁判所から呼び出され陪審裁判に参加されるか知れませんが、その際はお忘れなくこの冊子を携帯して下さい。諸君の任務を執らせる上に多大の参考指導となると信じる。法廷参加の記念にするためにもと、巻末に陪審裁判参与日誌を附録として添えて置いた。法廷でそれぞれ記入しておけば後日の思い出ともなり、一家の名誉ある記録ともなろう。なお読者諸君にして陪審法に不明の点があった場合は、遠慮なく本協会出版部宛に返信料封入りの上ご照会ください。
昭和6年8月15日印刷
昭和6年8月20日発行 非売品
大日本陪審協会編纂部
発行者 東京市京橋区銀座三丁目三番地 三溝誠一郎
印刷所 東京市京橋区南鞘町五番地 大日本陪審協会印刷部
印刷者 東京市京橋区南鞘町五番地 清宮三郎
発行所 東京市京橋区銀座三町目三番地 大日本陪審協会出版部
投稿:2014年4月29日
インコが手に入れた大日本陪審協会が1931年(昭和6年)8月に発行した『陪審手引』という小冊子。これを見れば、現在の裁判員制度がどのような精神に基づいて作られたかよくわかります。
今回はいよいよ公判開始から裁判終了まで 目次 18公判手続き 19問書 20評議と答申 21任務終了 22答申の採択と更新 23控訴禁止 をお送りします。
18 公判手続き
構成手続きが終わると、法廷は公開され傍聴人の入場が許される。法廷の席次、様式を簡単に述べておく。
【座席】正面の一段高い所にある裁判官席の中央が裁判長、左右が陪席判事席。裁判官席の左が立会検事席で右が書記席。検事席から左に上下二段に連なる雛壇が弁護人席、これと相対し右側にあるのが陪審員席。弁護人席の下方に木柵をめぐらした席が被告人席、ここに看守人が付き添って被告人が着席する。裁判官席の直下にガラス張りの証拠品台があり、事件で押収したいろいろな証拠品が置かれる。生々しい血痕の着いた衣類などが置かれることもある。法廷中央には演説テーブルのような証人台がある。
【法服】裁判官も検事も弁護人も奈良時代の服装のような法服を着る。肩と胸にかけて判事は紫色、検事は紅色、弁護人は白色の唐草模様の縫い取りがある。
【論告】公判廷が公開されるとまず裁判長が陪審員に諭告を行う。陪審員の任務の重大なことやどのような注意が肝要か、被告人に気の毒だとか憎たらしいとかの感情に動かされず、犯罪事実の有無を冷静公平に判断してほしいと陪審員の心得を説く。
【宣誓】次に裁判長は陪審員に『良心に従い公平誠実に職務を行うことを誓う』という宣誓文を読み聞かせ、署名と捺印をさせる。裁判長が宣誓文を朗読する時は、法廷にいる人々は全員起立する。この後裁判長は被告人を立たせて、氏名、住所、職業、年齢などを尋ね、人違いがないか確かめる。
【検事の事件陳述】次に裁判長は検事に、被告人の犯罪事実を述べさせる。被告人は何月何日何時にかくかくの原因から短刀で誰々を刺して殺したから殺人罪として起訴したとか、火を放って住宅を焼いたので放火罪として起訴したとか陳述する。
【被告人の尋問】検事の陳述がすむと、被告人に対する取り調べが始まる。陪審裁判は特別の場合でなければ公判以前の取調べ結果は証拠にされない。陪審員は事件の内容を知らないので、すべての事情や証拠を完全に陪審員の前に展開しなければならず、裁判長は事件発生の当初から詳細に取り調べる。まず裁判長は被告人に向かい、『検事の陳述した起訴事実と違ったところがあるか』と聞く。被告人が『その通りです』と事実を認めれば直ちに陪審裁判を止め、従来の普通裁判に付せられる。
【証人の取調べ】被告人の陳述が終わると、証人や鑑定人などを裁判長が取り調べる。証人はあらかじめ公判準備手続きの際に、検事、弁護人、被告人が喚問を申請しておく。この人たちの証言が裁判の証拠となるので、陪審員は注意して傾聴しなければない。
陪審裁判は公判廷で直接取り調べたもののみが証拠となるのが原則であるが、①共同被告人や証人が死亡したときや疾病等の事由で召喚が困難なとき、②被告人または証人が公判外の尋問の際に行った供述の重要な部分を公判で変更したとき、③被告人または証人が公判廷で供述しないとき、は予審や検事廷の尋問調書を証拠とすることができる。
肝腎なのは証人の証言、生きた証拠である。多くの場合、被告心理というか被告人の供述は割り引かなければならない。『知りません』『違います』の主張が多くあまり信用できないので、証人の供述に注意力を集中しなければならない。
【証拠調べ】 証人や鑑定人の取り調べがすむと、裁判長が事件に関係のある図書、書類、物件等で証拠となるものを陪審員に開示する。凶行や被害の現場を撮影した写真とか、使用された凶器、被害者が着ていた衣類、燃えさしの襤褸(ぼろ)などを見させ、予審調書や鑑定書などを読み聞かせる。
【陪審員の尋問】 陪審員は事実認定の正確を期すため、検事や弁護人と同様に、被告人はもちろん証人、鑑定人に対しても、不明な点や合点のゆかぬことをどしどし質問できる。質問は裁判長の許可を受けて行うが、事件関係以外の質問をしてはいけない。くだらない駄問は裁判の進行を妨げる。
実施当初は、陪審員から適切な質問が放たれ、玄人の裁判官や弁護人などの気付かない重要な証拠を握って判官連を驚嘆させたこともあったが、近頃の陪審員にはこうした熱心さがあまり見受けられない。諸君は高い雛壇の上等の座席に納まり、事件についての明確な心証を掴むという重大の職責がある。この尊い任務をよく頭に入れて、熱誠をもって裁判に参加してほしい。事件の皮相だけ知ってもらうくらいなら、国家はわざわざ諸君の面倒を煩わす必要はない。陪審の答申が下馬評同様になっては国家の権威も正義も滅茶滅茶になる。尋問権は陪審員に与えられた責任を果たす唯一の武器である。
【検事の論告】証拠の開示が終わると、検事は陪審員諸君に向かい、第一次論告を行う。普通の裁判の論告と違い、陪審員に犯罪事実の有無を判断させるためで、法文の適用や刑法などの点は述べず、犯罪の構成要素に関する問題に絞って意見を述べる。例えば『一般の人々は凶器を持って相手を殺傷しなければ強盗にならないと思っている。被告人は凶器は持っていなかったが、守衛に発見され逃げるためとは言え、猛烈なメリケンを使って負傷させたことは、立派に強盗罪を成立させる。陪審員諸君はこの点に留意せられ、賢明なる判断を下されんことを希望する』というような風に言う。
【弁護人の弁論】検事の論告に引き続き弁護人の第一次弁論がある。これも犯罪構成要素に関する事実上又は法律上の問題について意見を述べるものである。例えば『検事は先刻来、本件を強盗被告事件としていろいろ意見を述べられたが、証拠は不十分である。犯人が逮捕される場合、逃れようとして抵抗を試みるのは人間の本能である。ことに相手方の守衛は追い掛けて捕まえようとしたとき、突然振り向いて鼻の上を突いたと証言している。いかなる面から見ても、本件は単純な窃盗罪である。あえて陪審員諸君の円満なる常識判断を待つ』という具合である。
【裁判長の説示】 被告人の尋問から多数証人の証言、検事の論告、弁護人の弁論という風に、法廷にはいろいろの現象があり、陪審員の頭の中はかなり混乱してしまう。そこで裁判長は、陪審員に説示をして諸君の頭の中を整理してくれる。検事も被告人も弁護人も自分に都合の良い証拠だけを捕まえて論ずるので、裁判長はそのいずれにも偏せず、その事件の犯罪構成に関して『法律上はこの点が問題になり、事実についてはこれが重要である。証拠にはこのようなものがある』というように、詳細にわたって説明する。説示では裁判長は意見がましいことを絶対に述べてはいけないことになっている。
19 陪審に対する問書
裁判長は、説示に引き続き陪審員に『問書』を渡す。これは、犯罪事実の有無を陪審評議に問うために、裁判所の諮問事項を記した書類である。形式は『然り』か『然らず』で答えるように作られている。問いは、主問と補問と別問の3種。事件の内容によっては主問だけで補問も別問もない場合もあり、主問の外に補問がある場合もある。
主問 公判にかけられた犯罪構成事実の有無を評議するための問。検事が言う犯罪事実があるかないかを問う。重いものが主問、軽い方が補問となる。
補問 公判にかけられていない犯罪事実の有無を評議するための問。例えば、殺人未遂事件で起訴されたが、審理の結果傷害罪になるかも知れないと思われるような場合、補問として、『被告人は何某を傷害せるものなりや』と問うようなものである。
別問 犯罪の成立を阻却する原由となるべき事実の有無を評議する問。正当防衛でやむなく傷害に及んだとか、泥酔していて前後不覚で人を傷つけたというような場合、犯罪事実がありながら殺人未遂とか傷害とかの罪が成立し難いようなことで、例えば『被告人が何某を傷害したるは正当防衛行為なりや』という。
裁判所の諮問こそ陪審最後の目的で、一番重要な事項である。陪審員が法廷に参加しているのもこの問書に正しい答弁をするためで、『然り』と『然らず』という僅か2~3字の答えをすることが陪審員の全任務といってもよい。開闢以来の大法典として陪審制度が実施されたのも、ただこの正しい答申を得ることに全目的がある。答申が正しくなければ無辜を罰し有罪を逸することになり、司法の威信も存在しないことになる。陪審員はよくよくこれを肝に銘じなければならない。
20 評議と答申
陪審員は裁判長から問書を渡されたら陪審評議室に入り、先ず陪審長を選ぶ。選ぶ方法は投票でも抽選でも差し支えない。陪審長は普通の会議でいう議長で、評議の進行整理の任に当たる。
評議:評議は主問から行う。主問で、犯罪事実を認めて『然り』ならば補問を評議する必要はない。主問が『然らず』となった場合に補問について評議する。陪審長は各陪審員の意見を求め、最後に自分の意見を述べる。
評決: 評決は過半数の意見で決する。陪審長を含め7名以上の同意を要するが、犯罪事実を認めるものと認めないものが同数のときは認めないものとされ、『然らず』と答申する。
答申: 答申は、『然り』か『然らず』の一語でするのが原則である。1個の問の中に数個の犯罪を構成する事実があって、うち1つを認めて他を認めない場合は、個々の事実について、『然り』または『然らず』と答申する。例えば、『被告人は何某方に侵入して金品を窃取したりや』という問に対しては、『侵入は然り』、『窃盗は然らず』と答える。そして、答申は裁判長から渡された問書の余白部分に『然り』とか、『然らず』とか書き、これに陪審長が署名捺印して裁判長に差し出す。
万一裁判長の説示を理解できなかったとか、不明瞭の点があって評議が進められないときは、裁判長にもう一度説示を求めることもでき、問書にわかりにくい文言があるときは説明してもらうこともできる。
陪審員が評議室に入るのは評議の秘密を保つのと局外者の干渉を防ぐためである。陪審員は評議室に入った上は評議が終わるまでみだりに室外に出たり外部の者と連絡をとることが厳重に禁止される。裁判長といえども勝手に評議室に入ることはできない。
21 任務終了
陪審長から答申書が提出されると、裁判長は公判廷で裁判所書記に問書と答申を朗読させる。この答申朗読の瞬間が陪審裁判のクライマックス。被告人はもちろんのこと、検事も弁護人も一般傍聴人も固唾(かたず)を飲み、法廷は緊張そのものになる。
朗読がすむと陪審員の任務が終了し、裁判長がその労をねぎらって、陪審席から退く。
22 答申の採択と更新
陪審員が陪審席から引き下がると、裁判長と2人の陪席判事は合議室に入り、陪審答申の採否を合議し、答申を正当と認めれば裁判長は公判廷で採択を宣告する。この場合、答申が『然らず』であれば裁判長は直ちに『被告人を無罪とす』と言い渡す。
答申が『然り』であれば、検事は直ちに法文の適用や刑罰について意見を述べ、『被告人の所為は刑法第何条に該当するから懲役何年を科すべきであるが、かくかくの事情があるから特にこれを軽減して懲役何年が至当である』などと求刑する。弁護人がこれに対し『懲役何年は酷である。何年位が至当である』というような意見を述べる。これを第二次の論告、弁論という。
万一陪審の答申を裁判官が不当と認めた場合は裁判所はこれを採択しない。例えば、数多くの証拠により裁判官が有罪と認めているのに、陪審が『然らず』と答申したような場合である。裁判所が答申を採択しなければ、改めて別の陪審員候補者を呼び出して新しい陪審にその事件の裁判をやり直させ、裁判所の意見と一致するまでこれを行う。これを陪審の更新という。制度実施後更新が行われたのは、大分地裁を皮切りに水戸、大阪がある。
欧米諸国では陪審の評決が絶対で、立派に有罪の証拠があっても陪審が無罪と答申すれば裁判所はこれに拘束されて必ず無罪の判決を言い渡さなければならない。わが国の陪審は厳正公平を期する意味から不当な陪審答申には何ら拘束されない。この点が世界に誇り得る日本独特のものである。
23 控訴禁止
陪審員が評議して下した判断はその陪審員が国民の代表者となり良心に従い公平に行った判断であるから、それに基づく判決は絶対に尊重すべきで、これに対して不服を申し立てることはできず、普通裁判のような控訴は許されない。
しかし特別の場合には、大審院に上告することができる。陪審裁判の手続きが法律に違反したとき、例えば、裁判に手抜きがあるとか、裁判長の説示に意見が加わっていたとか、陪審員の資格に欠陥があるとかの場合である。大審院で審理した結果、原判決が破棄されれば、その事件の審理はもとの裁判所か他の裁判所かでやり直しをすることになる。千葉地裁の陪審裁判の判決が2件破棄され、いずれも東京地裁で審理されたことがある。
投稿:2014年4月27日
インコが手に入れた大日本陪審協会が1931年(昭和6年)8月に発行した『陪審手引』という小冊子。これを見れば、現在の裁判員制度がどのような精神に基づいて作られたかよくわかります。
今回は目次 9陪審対象事件 10辞退と自白 11資格条件 12候補者 13無資格者 14除外者 15除斥者 16辞退できる人 17陪審の手続き をお送りします。
9 陪審対象事件
陪審事件には、法定陪審事件と請求陪審事件がある。法定陪審事件は殺人とか放火など、死刑とか無期懲役、無期禁錮などに処せられることのある事件。
これらの事件なら被告人が辞退しない限り原則当然陪審裁判になる。
請求陪審事件は被告人が陪審裁判を請求した場合で、窃盗、詐欺、横領、文書偽造行使など、刑期が3年を超える懲役や禁錮に処せられることのある事件。例をあげる。
刑法第225条 営利、猥褻または結婚の目的をもって人を略取または誘拐した者は1年以上10年以下の懲役。3年より重い懲役に処せられることがある事件だから、当然請求陪審事件になる。
刑法第205条 身体傷害により人を死に致した者は2年以上の有期懲役。有期懲役の最長期は15年なので『2年以上15年以下の懲役』にあたり、これも請求陪審事件。
刑法第246条 人を欺瞞して財物を騙取した者は10年以下の懲役。懲役刑の最短期は1か月だから『1か月以上10年以下の懲役』になり、これも請求陪審事件。
請求するのは第1回公判期日まで。第1回公判日の前でも呼び出しを受けた日から10日間を過ぎると陪審の請求は許されなくなる。
陪審裁判にかけるのが不適当な事件は、①皇室、皇族に対する危害罪。②内乱、外患、国交に関する罪、騒擾罪。③陸海軍刑法その他軍規に関する罪。④選挙法違反事件。⑤国体の変革、私有財産否認に関する罪。
10 辞退と自白
被告人が陪審裁判を望まなければ、法廷陪審事件でも普通の裁判になる。これを陪審の辞退という。辞退は口頭でも書面でもよい。ただし公判廷で検事が公訴事実を陳述するまでにしなければならない。
請求陪審事件は、被告人の請求で陪審裁判になるが、請求は取り下げてもよい。取り下げは辞退の場合と同様。
被告人が公判準備手続き中か公判の際に犯罪事実を認め自白した場合は、普通の公判で刑を決める。ここでいう自白は、警察や検事の前の自白や予審廷における自白ではない。たとえ検事廷や予審廷で自白していても、公判準備手続き中や公判の場で自白を否認したり翻したりすればやはり陪審裁判にかけられる。また複数の被告人のうちの一部が自白している場合は、自白していない被告人だけが陪審裁判になる
11 資格条件
陪審員は次の4要件を備えていなければならない。①日本臣民で年齢30歳以上の男子であること。②引き続き2年以上同一市町村内に居住していること。③引き続き2年以上直接国税3円以上を納めていること。④読み書きができること。
① 司法権の運用参加は日本臣民のみの特権。外国人には絶対に許されない。30歳以上としたのは世の中の様々な事柄について相当の経験と一通りの知識を要するから。女子を除いたのは国の現状から女子を陪審員に加えるのはまだ適当でないため。
② 定まった住居もなく各地を渡り歩くような者は陪審員として不都合なため。
③ 少なくとも直接国税3円くらいは納められる財産を持っていたり納税できたりする人でないと大切な職務を行うのには不都合。
④ 法廷で証拠書類を見たり字を書いたりすることがあるから。読み書きの程度は日常生活の用が足りる小学校卒業程度でよい。
陪審資格者は、毎年9月1日現在で、市町村長が名簿を作成する。この名簿を「陪審員資格者名簿」といい、氏名、身分、職業、居住地、生年月日、納税額を載せる。陪審員資格者は全国で170~180万人である。
12 候補者
地裁所長は毎年、必要な陪審員の数をあらかじめ定め、管内の市町村に案分して割り当てて市町村長に通知する。
市町村長は、陪審員資格者3人以上の立ち会いのもとでくじ引きを行い、くじに当たった人を陪審員候補者として名簿に載せる。この名簿を「陪審員候補者名簿」という。陪審員資格者名簿と同じ事項を記載する。本年度(昭和6年度)の陪審員候補者数は全国で7万8,222人である。多数の資格者の中から陪審員候補者として当選するのは非常に光栄で名誉なことである。
13 無資格者
陪審員になる条件があっても、 ①禁治産者、準禁治産者、②破産者で復権を得ていない者、③聾者、唖者、盲者、④懲役に処せられた者、⑤6年以上の禁錮または旧刑法の重罪の刑もしくは重禁錮刑に処せられた者は陪審員になれない。
いずれもそれぞれ欠けたところがあることから、貴重な裁判手続きに参加し正義公平を旨とすべき陪審員とするには不適当とされる。
14 除外者
陪審員となる資格があっても種々の理由から陪審員の職務に就かせない人々である。
①国務大臣、②在職の判事、検事、陸軍法務官、海軍法務官、③在職の行政裁判所長官、行政裁判所評定官、④在職の宮内官吏、⑤現役の陸軍軍人、海軍軍人、⑥在職の庁府県長官(知事)、島司、庁支庁長、⑦在職の警察官吏、⑧在職の刑務官吏、⑨在職の裁判所書記長、裁判所書記、⑩在職の収税官吏、税関官吏、専売官吏、⑪郵便、電信、電話、鉄道及び軌道の現業に従事する者並びに船員、⑫市町村長、⑬弁護士、税理士、⑭公証人、執達吏、代書人、⑮在職の小学校教員、⑯神官、神職、僧侶、諸宗教師、⑰医師、歯科医師、薬剤師、⑱学生、生徒
重い国務に携わっていたり、民衆の利益に密接な関係の職務に就いていたり、裁判所に出頭することは公益上よくないので、陪審員の職務を執らせない。
15 除斥者
陪審員となる資格はあるが、特別の事情のため陪審員としての職務から除かれる次の人びとを言う。
①被害者、②私訴の当事者、③被告人、被害者もしくは私訴当事者の親族、④被告人、被害者または私訴当事者の属する家の戸主または家族、⑤被告人、被害者または私訴当事者の法定代理人、後見監督人または補佐人、⑥被告人、被害者または私訴当事者の同居人または雇い人、⑦事件の告発者、⑧事件の保証人または鑑定人、⑨事件の被告人の代理人、弁護人、補佐人または私訴当事者の代理人、⑩事件の判事、検事、司法警察官または陪審員。
陪審の評議に際し公平無私な態度をとることが困難と思われるので、除くことにした。
16 辞退できる人
職務の関係上または心身の状態から陪審員の職務を辞退できる次の人びとである。
①60歳以上の者、②在職の官吏、公吏、教員、③貴族院議員、衆議院議員及び法令を持って組織された議会の議員、但し会期中に限る。
60歳以上とあるのは、年齢の関係上、中には心身老衰者があるためである。官吏、公吏は陪審員除外者としての官吏、公吏以外の人、教員は官立、公立、私立の各中学校以上の教員その他各種学校の全部。法令を持って組織された議会の議員というのは、府、県、市、町、村会等の議員をいう。議会開会中に限られる。書面や口頭で、裁判所へ申し出ればよい。届け出をせずに呼び出しに応じないと処罰を受ける。
17 陪審員の構成手続き
陪審員の選定
陪審員は1事件について12人。事件の内容が複雑で公判が2日も3日もかかる見込みのときは、ほかに1人~数人の補充陪審員を選定する。12人の正陪審員中で公判中に発病したとかやむを得ない理由で中途で退く場合の予備員である。
補充陪審員は正陪審員と同列で参加するが、欠員が生じない限り評議に参加できない。
陪審員と補充陪審員は、事件の公判日が決まると地裁所長は1名~数名の裁判所書記の立ち会いのもと、甲の町から何人、乙の村から何人、丙の市から何人というように抽選で36人を選定し、公判の5日以上前に呼出状を発送する。
36人も呼び出すのは、病気の者、辞退する者、除斥される者などが予想されるためである。出頭人数が24人に達しかなかったときは、裁判長は裁判所所在地付近の市町村に居住する陪審候補者の中から必要な人数を抽選で適宜に呼び出す。
陪審員候補者が揃うと、公判廷で非公開で判事、検事、裁判所書記、被告人、弁護人が列席し、裁判長から陪審員候補者の住所、職業、氏名、年齢を記載した書類を検事と被告人に渡して、除斥する者の有無を尋ねる。出頭した陪審員候補者が有資格者か否かを調べるためである。この時、陪審員候補者は自分が参加する裁判の被告人の名前と事件を知る。除斥者、除外者、無資格者などは直ちに退廷してもらう。
忌避とは
次に、検事と被告人が陪審員候補者に対して忌避の手続きを行う。忌避とは、この人は公平な判断を下さないと検事や被告人が思う時に排除すること。例えば検事は、この候補者は被告人と近所同士で平素懇意にしているとか、被告人から特別の恩顧を受けたことがあるから被告人に有利に判断するだろうと考えられるとか。一方被告人は、この候補者は自分の商売敵であるとか、平素から不仲なので自分に対し不利益の判断を下すと考えられる場合など。忌避の理由は述べなくてよい。
忌避というと感じが悪く、誤解されたことがある。東京地裁の陪審裁判で、ある陪審候補者が呼び出しを受け、一家の名誉光栄と喜び勇んで出頭した。ところが法廷で裁判長が自分の名前を読み上げると、検事がヂロリ自分の顔を見て『忌避』と言うと、裁判長から退廷を命じられた。「自分に何の不都合があって排斥するのか、自分は一度も曲がったことをした覚えがない。理由も聞かされず排斥されてどの面(つら)下げて村に戻れるか」と裁判所に食ってかかった。忌避は少しも恥じではないので誤解のないようにしてほしい。
構成手続き
有資格者が決定すると、裁判長はその姓名を厚紙に書き、小さな抽選箱に入れて振り動かす。そして検事と被告人に、11人とか12人忌避できると告げる。検事側と被告人側は、告げられた人数の半数ずつを忌避できる。11人とか13人とか奇数の場合は被告人の方が1名余分に忌避できる。細かい点にまで気を配って被告人を少しでも有利にしてやるように作られている。
裁判長は、抽選箱から陪審員候補者の氏名票を一枚ずつ抽き出して名前を読み上げ、まず検事側が、その陪審員の承認ないし忌避を申し立てる。『忌避』と言われればその候補者は退廷する。続いて被告人側が忌避とか承認とかを述べる。被告人側が忌避すればその人は退廷し、承認すればその人は初めて正陪審員となって法廷に残る。
この手続きを繰り返し、12人の正陪審員と1~2名の補充陪審員を加えた人数だけが法廷に残り、この抽選の順序で陪審員席に着席する。呼び出した陪審員候補者の点呼からこれまでの手続きを陪審員の構成手続きという。
投稿:2014年4月25日
原告女性が法廷で訴え(福島14/4/22) ←YouTubeの映像
裁判員を務めたことで、「急性ストレス障害」と診断されたとして、国に制度の見直しと
青木 日富美さん(63)は、証言台で、時折涙ぐむ姿も見られたが、しっかりとした口調で、
この裁判は、裁判員を務めたのが原因で、「急性ストレス障害」と診断されたとして、青
22日は、青木さん本人が法廷に立ち、「今でも、悪夢にうなされる時がある」と訴えた
裁判後の会見で、青木さんは、あえて法廷で訴えた理由を「裁判員になることを強制する
一方、国側は「国会で、審議が十分尽くされている」として、裁判員制度は、憲法違反や
裁判は22日で結審し、判決は9月30日に言い渡される。
投稿:2014年4月23日
戦前、日本でも陪審制度があったことは多くの方がご存じだと思います。
日本の陪審は1923年(大正12年)4月18日に公布され、5年間の準備期間を経て1928年(昭和3年)10月1日に始まり、1942年(昭和17年)まで行われました。しかし、多額の陪審費用が被告人負担となることが多かったことや陪審を選択した場合は控訴できなかったことから被告人からは敬遠され、陪審対象事件となる2万5097件のうち、陪審に付されたものは448件、陪審請求事件では請求件数が43件で実際に陪審が行われたのは12件、実施3年後から急速に下落し、41年と42年には陪審審理は1件ずつしかないという不人気ぶりで停止しました。
裁判員制度はこの陪審の轍を踏んではならぬと、被告人に選択権を与えないことになりましたが、それ以外ではこの陪審制度をかなり見習ったところがあると聞いていました。
しかし、具体的にどう見習ったのかわからず、「あ~調べるの面倒やなぁ」と思っていたところで、大日本陪審協会(←そんな協会が存在したことも驚き)が1931年(昭和6年)8月に発行した『陪審手引』という小冊子を手に入れました。
この大日本陪審協会は会員数なんと5万人、日本陪審新聞社(←そんな新聞社が存在したことにも驚愕)が発行する日本陪審新聞を毎号会員に頒布(無料?)していたということです。
というわけで、この『陪審手引』がどういうものか4回に分けてご紹介したいと思います。
はっきり言って、何とも言えない権威主義と民主主義らしきものがない交ぜになっていて、突っ込みどころ満載です。
太字になっている部分はその中でも特にインコが注目したところです。
なお、一部不適切な表現もありますが、当時を知るためにもそのままにしてありますのでご容赦を。
はしがき
陪審法はわが国未曾有の法である。実施まで巨額の予算を投じ宣伝につとめた国が、実施後きちんと指導しないのは遺憾である。踊りの前の人寄せより踊りが始まってからの鳴り物が大事とも言う。陪審法の精神が一般国民に徹底していないことは陪審事件数が証明している。一般人は法律をとても難しく考えている。伝統的慣習からとかく法律には無関心だ。本書は陪審員候補者に陪審法の概要を知らせ、裁判に参加したときに誤りなく公平に任務を果たせるよう、極めてわかりやすく説明したものである。
陪審員として呼び出しを受けた時には本小冊子を持って出頭すれば助かるだろう。付録の日誌に記入すれば記念にもなり、ながく一家に伝える名誉の記録にもなろう。
昭和6年8月
【目次】
1生活と法律 2常識裁判 3陪審裁判とは 4外国では 5わが陪審法の精神 6世界に類例がない 7裁判の実施 8裁判の手続き 9陪審対象事件 10辞退と自白 11資格条件 12候補者 13無資格者 14除外者 15除斥者 16辞退できる人 17陪審の手続き 18公判手続き 19問書 20評議と答申 21任務終了 22答申の採択と更新 23控訴禁止 24手当 25罰則 26陪審員宿舎 27陪審員の心得 28大日本陪審協会の事業
1 生活と法律
日本国民の日常生活はほとんど法律に関係を持っている。日々安心して生活できるのは法律があるからだ。他人に悪いことをされれば法律で保護してもらえるし、暴行されたり名誉を毀損されたら告訴もできる。結婚しても子どもが生まれても法による届け出をしなければならない。不動産を売買すれば登記が要るし、手形の振出しや受け取りでも法定の要件を備えねばならない。車や汽車や汽船に乗るのもすべて法律と関係している。
しかし、世間には『自分は悪いことをしないから法律の世話にならない、裁判所の門をくぐったことがない』などと自慢する人がいる。立派な立憲法治国となった今日ではこのような考えは大きな間違いだ。わが国に今のような裁判制度ができたのは明治維新後のことで、武家政治の封建時代には為政者は『法は由らしむべし、知らしむべからず』という方針のもと、もっぱら民衆を統制してきた。そのため民衆も法律に無関心の態度できた関係があり、今日に至ってもまだこの気分から抜けきれていないということもある。
2 常識裁判
封建時代のお白洲裁判から大きく変わり、西洋風の裁判制度がしかれて50余年が経った昭和3年10月、時機は到来したと未曾有の民衆裁判「陪審制」が実施された。国民自らが陪審員として犯罪事実の有無を判断するという重大な任務を負うことになった。
しかし、国民の間には今なお陪審法がわからず、陪審員が何をするのかも知らない人が多い。陪審裁判は常識裁判とも言われ、刑法や刑事訴訟法などを知っている必要は特にないが、陪審員候補者となった以上、陪審法の精神や裁判に臨む心がまえくらいは知っておくのが当然の義務だ。
3 陪審裁判とは
陪審裁判とは、専門の裁判官の外に、素人の一般国民をその裁判に参与させる(=立ち会わせる)制度。陪審員は犯罪事実の有無を評議して、裁判所に答申する。裁判所が答申を正当と認めれば採用し、それぞれの刑罰を被告人に言い渡す。わが国の陪審制は被告人が有罪か無罪かを決定するもので、その任務は重大である。
畏(かしこ)くも天皇の御名(おんな)において行われる神聖の裁判に列し、このような重大な義務を果たすのは、国民として兵役に就くのが大きな名誉であり義務であるのと同様のことである。
4 外国では
英国では700年も前に陪審制が採用され、フランスではフランス革命時に採用された。現在欧米でこの制度を採用していない国は、トルコ、スペイン、オランダの3か国だけだ。
陪審制を大別すると民事陪審と刑事陪審になる。民事陪審は財産上の請求や身分関係の訴訟事件で事実認定をし、刑事陪審は犯罪に関して事実認定をする。
刑事陪審には大陪審(起訴陪審)と小陪審(公判陪審)がある。起訴陪審は被疑者を起訴するか否かにつき陪審員の判断を求めるもの。公判陪審は予審判事が有罪と認め公判へ回した事件で、陪審員が犯罪事実の判断をするもの。わが国の陪審制は公判陪審である。
5 わが陪審法の精神
英国では、官憲の圧政に苦しみ、裁判官の横暴と専断によって生命や財産が蹂躙された人民が要求し採用された。ほかの国も似たような理由で陪審制が採用されている。
しかしわが国が陪審制を採用した理由は諸外国とは根本的に異なる。民衆が要求したものではなく、従来の裁判に弊害があったこともない。日本の裁判は世界に類を見ないほど厳正公平であり立派なもの。国民もわが裁判を絶対に信頼している。
陪審制を採用したのは立憲制の精神に基づく。万世一系の天皇がわが帝国を統治し給うことはあらためて言うまでもなく、国家の統治権は天皇御一人が総覧し、国政の統治は天皇の大権に属する。立憲政体の本義として、憲法の条文に基づき、国民を国政の一部に参加させるのはひとえに天皇の大御心(おおみこころ)の発露にほかならない。国権は、立法、司法、行政の三部であり、立法においては国民の代表者によって組織される帝国議会の協賛権にこれを認め、行政においては各地方の県会、町会、村会等によって自治制度が行われ、国民は立法と行政の両権に参加している。
しかし、司法はもっぱら裁判官に携わらせてきた。裁判事務は人民の貴重な生命財産を擁護し、国家の綱紀と社会の安寧秩序を維持するという国家政務の中でも一番重要な位置を占めるためだ。しかし憲法がしかれて40余年、国民も国政参加にかなりの経験と訓練を経、世の中に起きることがらも複雑になってきたため、一般国民を裁判の一部に参加させることで裁判に対する国民の信頼を一層向上させ、法律知識を涵養させ、裁判に対する理解を増し、裁判制度の運用を一層円滑にするという精神から採用されたのである。
6 類例がない
わが国の陪審法は、4で述べた刑事陪審のうちの公判陪審を基準に研究草案された。刑事の公判陪審だけに採用されたのは、国民一般は法律に無関心で法律上の常識に欠け権利や義務の観念もないので、すべての裁判に陪審を採用するのには懸念があったからだ。また民事事件は、専門的な法律知識が必要であり、素人にはとても難しい。
こうした欠点に鑑み、わが陪審制では、裁判官は陪審の評決意見に拘束されないことにした。陪審員が感情にとらわれて不公平な答申をしても裁判所が不当と認めれば何度でもあらためて他の陪審の評決に付し、あくまでも厳正公平を期することにしている。この点が外国に例のないわが陪審法独特の大いに誇りとするものである。
7 陪審裁判の実施
陪審法は、大正九年、在野法曹の権威故江木衷、原嘉道、花井卓藏三博士の進言に基づき、原敬首相の同意によって法制審議会と陪審法調査委員会の議を経て、議会に提出された。調査委員会の波乱曲折は花井博士の思い出話で有名だが、穂積陳重委員長の苦労は一通りでなかったらしい。第46帝国議会で可決され、大正12年4月18日に公布、5年間の準備期間を経て昭和3年10月1日から実施された。わずか110か条からなる小法典だが、天皇の御名において行われる裁判に民衆が参加するという開闢(かいびゃく)以来の大法である。
政府も500万円という巨額の国費を支出して準備に万全を期し、全国各地裁に陪審法廷や陪審員宿舎を建築し、判事や検事を増員し、多数の司法官を欧米に派遣して視察させた。各地で講演会を開催し、小冊子を印刷頒布し、映画・ラジオ・新聞・雑誌とあらゆるメディアを使って宣伝につとめた。一つの法律の実施でこれだけ大がかりな宣伝や準備をしたのは憲法発布以来初めてと言う。陪審法がいかに国家にとって重大な法律かがわかる。
8 刑事裁判の手続き
陪審法は刑事部門の一部なので、刑事裁判の手続きの概要から説明する。
【捜査】司法警察官の報告のほか、告訴や告発やその他いろいろの事由によって犯罪事件の発生を知ると、検事はそれぞれの機関を指揮して捜査を開始する。
【起訴】取り調べた結果、証拠があればもちろん、自白がなくても嫌疑が濃厚と判断されれば、起訴手続きをとる。
【予審】重い罪や、軽くても複雑なケースでは地裁に起訴し、そうでないものは区裁判所に起訴する。地裁に起訴する事件でもすぐ公判請求をするものと予審を請求するものがある。直接公判を求めるのは極めて少なく、予審判事が綿密に取り調べ、公判に回すべきということになれば公判に付す。新聞などで知られる予審決定とはこのこと。また取調べの結果、その事件は罪にはならないとか、公判に付す嫌疑がないことになれば、予審免訴または公訴棄却とする。
【公判】公判に付された事件は、公判に先立ち公判準備手続きが行われる。被告人が自白していれば普通の公判が、事実を否認していて事件が陪審法第2条に該当するものなら陪審裁判を開くことになる
投稿:2014年4月23日
自分で言うのもなんですが、インコは、インコのお山では鸚哥大学法学部(鸚哥大学は法科大学院を認めておりません)のにゃんこ先生とフクロウ教授の両巨鳥から「裁判員制度はいらない」という称号をわが名に冠することを認めていただいておりまして、人間界でも十指に入る裁判員制度問題のエキスパートを自負・自認しておりました、おりましたのですが…
しかし、裁判員の解任問題というか裁判員の身分のあたりのところがよくわかっていなかったかもしれないということが判明! ガ━━Σ(゚◇゚|||)━━ン!!
にゃんこ先生は、ご著書『やまどり反裁判員のあしびき手引き』(有羽閣刊)の中で「裁判員を辞められるのは辞めさせられる時だけである」と書いていらっしゃいます。でも、裁判員法第44条1項には、一定の事情があるときは「辞任の申立てをすることができる」とあります。「辞任の権利がない」というのは間違いか、少なくとも言い過ぎのような気がするのですが。
いやいや、間違いでも言い過ぎでもない。裁判員法が言っているのは「辞任の申立てをすることができる」ということだけだ。第44条をよく読んでご覧なさい。2項には「裁判所は…その理由があると認めるときは…解任する決定をしなければならない」とある。つまり、裁判所が理由ありと認めなければ裁判員や補充裁判員を辞めさせないでよいということと、裁判員や補充裁判員がその職を退けるのは唯一解任されるときだけだということが書いてあるのじゃ。
単に「辞めさせて」と言えるだけの話で、それは権利と言えるものではないと。
そのとおりじゃ。辞めたいなんて言ったって、そんなものは寝言と一緒。誰だって寝言は言えるが、それはその程度のものなのじゃよ。
寝言を言う権利と一緒ですか。つまり、勝手に言ってろってことか?!
まだよくわかっていないみたいね。裁判所に許可されなければ通用しないってことは権利じゃないってことでしょ。
条文にもう一度目を通してみなさい。まず辞任の申立て自体に強烈な制限がかかっている。選任前に申し立てていれば辞退できたはずの事由が選任決定後に発生し、そのために今後裁判員や補充裁判員の職務を行うことが難しくなった場合しか辞任の申立てができない。選任されたのは辞退理由がなかったためだからその理由がいつ発生したかが重要になる。
確かに紛らわしい。辞退という言葉が出て来たのでおさらいしておこう。辞退できるのは「重い疾病か傷害で出頭困難」「同居の親族の介護か養育の必要」「事業の重要な用務で自ら処理しなければ事業に著しい損害が生じるおそれがある」「父母の葬式への出席その他の社会生活上の重要な用務」がある場合のほか、政令で定める「妊娠中その他の支障事由や、自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当な理由がある」場合だけだ。
選任前には存在しなかったかくかくしかじかの新事情が選任後に発生したという場合だけ、辞任させてほしいと言ってもよろしい。だが間違うな。あなたには辞める権利があるのではない。裁判所があなたには裁判員や補充裁判員を引き続きやらせられないと判定した時だけあなたを辞めさせてやるというだけのことだ。
ふーむ。辞任の権利もないのに「辞任の申立てをすることができる」なんてどうして書いたんだろう。これじゃみんな辞任できるって思っちゃうでしょうに。
さすがはインコ君、目の付け所が真ん前だ、いや間違えた目の付け所がたいへんよろしい。辞任の申立てというのは、解任のきっかけに使われるだけなんだ。「辞任の申立てをすることができる」とあるだけで「辞任できる」と書いていないところがミソというかクソと言うかポイントなんだが、裁判員法の解説書も「辞任の権利はない」なんて強調しないから誤解が広がっているんじゃろう。
そんなこと強調したら、ますますみんな裁判所から離れちゃうから、曖昧模糊の感じにしておきたいんでしょうね。
うるさい、前からそんなところかなって思っていましたよ、「かな」ってね。
普通の会社なら、その会社を辞めたい社員は原則いつでも辞められる。会社は特別な事情がない限り辞めたいという社員に居続けろとは言えない。職業選択の自由は憲法22条1項が厳粛に定め、職業安定法2条が具体的に「自由に選択できる」と規定しておる。ところが「裁判員会社」という会社の就業規則だけはそう書いてない。ある条件を満たした者、人数にして1億人ほどの国民はこの会社への入社が義務づけられていて、社員になると今度は辞職が原則として禁止とされている。
そうはいっても会社の目から見てもこの社員の働きぶりではどうしようもない、このままにしておくと会社が損害を被ってしまうと判断する時もある。そういう時には会社はその社員の首を切る。
会社じゃ。首を切るきっかけを言えば、奇矯な言動が目立つなどその社員の仕事ぶりに関する上司(裁判長)の目がある。そしてそのほかに「私がいると会社にひどく迷惑をかけることになる。私を辞めさせたほうが会社のためによいと思う」という社員自身の申し出もきっかけにしておくという仕組みになっている。そのことが裁判員法44条1項に書かれているのじゃ。
どこまでも裁判員の人格を軽視したというか、ないがしろにした話ですね。最高裁が解任の数や理由を公表しないことや、どの裁判所も解任理由について判で押したようにプライバシーを理由に公表しないのも、そういう仕組みや姿勢に関係しているんでしょうか。
そうだ。それが最高裁の方針なのじゃ。この秘密主義は裁判員裁判が恐ろしげな制度だということをみんなに知らせる効果だけは十分に発揮していると私は思うがね。
そう言えば、逃亡した兵士を厳しく処罰するのは戦場の基本ルールと聞きました。
そうじゃ。裁判員は徴兵と同質、戦争と秘密主義は切っても切り離せない。「勝ってくるぞと勇ましく」なんて元気のよい話ばかり聞かされるが、実際の戦場は例えようもなく悲惨なものさ。「こんなはずじゃなかった」と思っても除隊は認められないから、辛くなった兵士は脱走するしかない。最高裁はその実態を知られたくないし、知らせたくない。
裁判員法は解任できるケースをたくさんあげていますね。裁判員が「不公平な裁判をするおそれがあるとき」とか「公判廷において、裁判長が命じた事項に従わず又は暴言その他不穏当な言動をすることによって公判手続きの進行を妨げたとき」なんて、とても気になります。
裁判員になるのは参政権のようなものだなんて最高裁は言ってるが、この制度がどんなにすさまじい強制動員装置なのかっていうところを知ってほしいと私は思う。
何かそうかなって思っていたことでしたが、今日はよくよくわかりました、はい。
投稿:2014年4月19日
一読者(保護司)
私は地方都市で保護司をしています。投稿「全国犯罪被害者の会に参加し、刑事司法を考える」を興味深く読みました。この会(「あすの会」というのが通称だそうですので、以下はそのように言います)の集会については、このウェヴでも以前に触れられていますが(3月12日: 死刑判決破棄の高裁判決に対し検察が上告断念 弁護士 猪野亨)、私も少し感想を述べたくなりました。
犯罪の被害者が加害者に対して強い非難感情を持つのは当然だと思います。非難感情を持たないとか希薄な感慨しか懐かないとすれば普通ではありません。しかし、被害者の心境・心情を非難感情の一点で整理してしまうのははなはだ不合理です。
ご遺族などが何をおいても懐く思いは、真相を知りたいということです。そして、一様に心の拠り所を強く求められます。どうしてこのような事件が起きたのか説明を受けられないこと、真実を知らされないことの苦痛は例えようがありません。会場では「被告人に罪を直視させ、人間としての良心を思い出させたい」というご遺族の思いが吐露されたそうですが、そこに心の拠り所を見出したいというご遺族の気持ちが表れています。
「壇上のご遺族の話は被告人への処罰感情よりも大切な家族を失った悲哀の方がより強く心に残った」と投稿者は感想を述べています。このことは非常に重要なポイントです。ご遺族の多くは、やり場のない苦しみや悲しみや喪失感にさいなまれています。そして、その心情は「真実を知る」ことによってそれこそほんの少しですが癒されます。
真実を知ることは責任のありかを知ることにつながり、いのちが還らない今自分たちがこれからできることは何かを探る決意にもつながります。悲劇を繰り返させないため遺された者に何ができるかを考えるご遺族は実際少なくありません。
さてそう考える私ですが、この決議を読んで、「あすの会」のみなさんの問題意識に強い違和感を覚えたことを告白します。私は、犯罪被害者が当然に死刑制度を存置する考えに立っているとは思わないし、そういう考えに立つべきだとも思っていません。また犯罪被害者が先例よりも市民感覚を反映した量刑判断を尊重する考え方を当然とっているとも思わないし、そういう考え方をとるべきだとも思いません。
この文章を読まれるみなさんは、犯罪被害者はひたすら加害者に厳罰を求めていると思っているでしょうか。実は圧倒的なご遺族の心境は先にも述べたように「真実を知りたい」であり、「原因を知りたい」です。また、「同種の事件を繰り返させないために自分たちに何ができるか」を考えている方もいます。ひたすら死刑や厳罰を求めるという心情は「真実はどうであれ死刑台に送りたい」とか「細かいことは詮索無用。ひたすら厳罰に」という思考に陥りかねず、むしろ多くの被害者の心情とは思考の方向性が異なるとも言えます。
『朝日新聞』(4月3日)のオピニオン欄に、片山徒有さんのインタビュー記事「厳罰化と償い」を掲載しました。片山さんは、17年前にお子様がダンプカーに轢かれて亡くなった交通事故のご遺族です。当時、事件は「隼君事件」の名で話題になりました。
片山さんは、加害者を憎むよりはほかの人を支援することを考えた方が建設的で自分にも励みになると述べています。被害者はみな加害者への厳罰を望んでいるのではない、厳罰を望まないご遺族も少なくないともおっしゃいます。ご自身、「死刑で命を奪うのは被害者を新たに増やすことになる」と発言したら、「被害者なのに死刑に反対するとは何事か」と猛烈に非難された経験があるそうです。あぁやっぱりと私は思いました。
ここには考え方の大きな分かれ道があります。そして、敢えて言えば、犯罪被害者は犯罪被害者らしく加害者に非難の言葉を徹底的に浴びせ、捜査当局や裁判所などに厳しい刑罰を要求しなければならないという、まことに薄気味悪く恐ろしい社会的な強制力が働いているように感じられます。片山さんは、「亡くなった○○ちゃんは望まないかもしれないけれど、私は加害者の死刑を望まなければいけないのです」と泣かれたご遺族の言葉を紹介しています。
私は、今、極めて意図的に「望ましい被害者像」や「あるべき遺族像」が作られつつあるように思えてなりません。「あすの会」という団体がどのようなバックグラウンドの下にこの運動を進めているのか知りませんが、警戒して見守って行く必要があるのではないかと感じています。
もう一つ。「裁判所は、裁判員裁判における一般市民の感覚を反映した量刑判断を尊重すべきであり、先例をことさらに重視すべきではない」という決議がなされたことについてです。
猪野弁護士さんによれば、「決議」は「従前の裁判例を引き合いに出して無期懲役に減刑したが、これでは裁判員が何時間もかけて慎重に審理を尽くしこの事件は悪質だとして死刑を言い渡した一般市民の判断の重みを軽視することになり、司法の独善や裁判員制度の否認につながりかねない。裁判所は、一般市民の良識ある判断を尊重すべきで軽々にその判断を覆すべきではない」と指摘しているそうです(前掲投稿)。
「何時間もかけ」た程度で「慎重に審理を尽くし」たことになるのかどうか、私にはよくわかりませんが、どうもそうは思えません。また、「一般市民である裁判員が言い渡した死刑の判断は軽視してはならない」などと言い切ってしまうことは、それこそ刑事司法の「重みを軽視することにな」るのではないかという気もします。
市民感覚は必ず厳罰感覚、市民は軽い刑を決して望まないという確信がここにはあるようです。誰かが市民感覚を厳罰指向に方向付けようとしてしている。いや、裁判員裁判という仕組みそのものがそういう市民教育と連動しながら作られたものではないかという印象を私はどうしても持ってしまいます。私の仮説が当たっているとすれば、「ねじ曲げられた被害者像」と「死刑制度存置論」と「裁判員制度堅持論」は深部でつながっているということになりそうです。
投稿:2014年4月17日
OM(ジャーナリストの卵)
平成26年1月25日(土)、青山のドイツ文化会館で行われた「全国犯罪被害者の会(通称・あすの会)」の集会に参加した。テーマは「死刑制度を考えよう~こんな判決で良いのですか~」。刑事事件被害者のご遺族と弁護士、学者らが登壇し、議論した。
この日の集会では、昨年、裁判員裁判で出た2件の死刑判決事件が、二審で無期に減刑された事案を中心に議論が進んだ。「不当に失われた被害者一人の命に対しては、“永山基準”云々以前に、被告人は命をもって償うほかない」「計画性のなさが減刑理由にはならない」「同種前科が認定されていない」「裁判員裁判の意義が薄れる」「無期懲役とした二審は不当な判決である」として、次のような決議につなげている。
第1決議:死刑制度の存置
死刑制度は、犯罪被害者を含む国民の圧倒的多数が支持しており、今後も存続すべきである。
第2決議:裁判員裁判における量刑判断の在り方
裁判所は、裁判員裁判における一般市民の感覚を反映した量刑判断を尊重すべきであり、先例をことさらに 重視すべきではない。
2件の判決を出した東京高等裁判所の村瀬均裁判長は、今年2月27日にも裁判員裁判で死刑とされた被告人に対して無期懲役の判決を下した。3件目の判断だ。
一方で、同裁判長は3件目の判断を出す一週間前、その3件目で争われている事件の別の被告人が「死刑」とされた事案については、一審の裁判員裁判の判断を支持し、弁護側の控訴を退けている。
殺害行為への関与度が異なるため、同じ事件の2人の被告人の間に「死刑」と「無期」という違いが生じたものだ。無期と判断された3件のケースは、いずれも事実認定と量刑が精査された結果、「一審の量刑判断に誤りあり」として判決が覆っている。
最高裁司法研修所が2012年10月に公刊した『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』という論文がある。ここでは、裁判員制度に直面する法曹三者が従来の量刑判断から脱却する必要があることを述べながらも、裁判員制度は刑法の原則に立脚しており、制度が導入されたからといって刑罰を科す根拠が変化したわけではないとし、①量刑判断にあたっては、裁判員に「刑罰の目的や量刑の本質論をきちんと踏まえてもらう必要が」あり、「我が国の刑法の成り立ちや拠って立つ理念を十分に理解した上で」②(法曹三者が)「個別の事案に即してその量刑判断のポイント・分岐点を裁判員に的確に伝えることで、裁判員が量刑についての意見を適切に述べることができるような審理・評議を実践していかなければならない」こと。また、③量刑の本質である「『行為責任』が意味するところが正確に理解され、これが裁判員に的確に伝えられ」る必要があることなどをあげている。
市民感覚が求められて導入された制度ではあるものの、あくまでも刑事司法の実行体として、本質的な理解と運用を求めたものだ。
翻って3件を見てみれば、いずれも行為責任原則に照らして「死刑しかありえない」という判断には導かれないはずのものだった。誤った判断に基づく判決が上級審で翻される運命にあることは言うまでもない。
誤った判断が出された裁判員裁判には、当然ながら3人の裁判官も加わっている。
判決に至るまでの過程が非公開であるため、職業裁判官が従来と異なる判断をした背景は不明だが、上級審で翻される判断だったことに変わりはない。
刑事裁判の目的は、適切な事実認定と量刑判断だ。裁判官には、裁判員に法益や量刑などの原則を説き、客観証拠に基づいた核心的な議論を促すことが求められているが、現実にはそうした過程から逸脱し、被告人の行為責任を度外視した量刑判断が濫発している。
職業裁判官を含む合議体においてすら刑事裁判の理念が尊重されていないという現状からは、結局、この制度自体が拙速に過ぎたのだという印象を受ける。
そして、適切な事実認定・量刑判断が欠けた判決は、真実究明を求めるご遺族の期待にも背くものだ。
この日の壇上でも、被告人に極刑を求めながらも叶わなかった思いを抱えるご遺族が並び、被告人への死刑判決を躊躇すべきでないこと、一審の裁判員裁判で出た死刑判決を翻すべきではないことが語られた。苛烈なように見えたが、根底にあるのは殺された家族への思いだ。帰ってこない子どもを、血の気が引く思いで待つ親の気持ち。待ち望んでいた再会が最悪の事態になってしまったときの衝撃。家族を失った失意から、家族の一員が命を絶ってしまう。生まれた時よりも小さい姿で戻ってきた子どもを、相当な覚悟で迎えたご家族の姿。過酷な話が続いたが、話を聞くうちに被告人への処罰感情よりも、大切な家族を失ったという悲哀の方がより強く心に残った。
さらに、ご遺族のお一人が「被告人に面会し、罪を直視させたい。人間としての良心を思いださせてやりたい」という心情を吐露された。家族がなぜ殺されなければならなかったのか。真実究明のために被告人に事実を聞きたい。こちらも言いたい、という希望はこれまでも語られてきたものだ。ご遺族は癒えない傷を抱えながら裁判に臨む。彼らの希望が託された裁判体が事実認定を軽視し、誤った事実に基づいた量刑を下せば、それがご遺族の願いにそぐわないことは明白だ。
ご遺族が置かれている現状や、凄惨な体験、ご家族への愛情は、この日の集会に参加して初めて目の当たりにしたものである。しかし、先に述べたとおり、第2決議は問題をはらむ裁判員裁判の量刑判断を無条件に肯定しており、違和感を抱かざるを得ない。また集会で配布された資料によれば、第1決議の根拠として、“死刑存置派が85.6%”という数字が出た内閣府の世論調査や、「故意に死を招いた者は死をもって償うべきだという道徳観」が日本社会に定着していることをあげているが、そのどちらも非科学的であり、“国民の圧倒的多数が支持”という文脈を補完するものではない。特に世論調査については設問が誘導的であり、厳密な“死刑存置派”が“85.6%”から大きくポイントを下げることは、各所で指摘されている通りである。
ご遺族に対しては、何よりも決議文で示されていた、もう1つの項目「新たな被害者補償制度の創設」でサポートすべきである。
第3決議:新たな被害者補償制度の創設
犯罪被害者等給付金制度を抜本的に改め、新たな生活保障型の犯罪被害者補償制度を創設すべきである。
『平成25年度版 犯罪被害者白書』によれば、犯罪被害給付制度に則り、平成24年度は8967人に約15億0900万円が裁定額として支給された。しかし、この制度は一時金の形をとっており、被害者や遺族が被害を受ける前の生活水準に戻すだけの補償や、精神的・経済的に回復するための援助には到底なっていない。このため、この日の集会でも「生活保障型」の補償制度の創設が求められたものだ。カウンセリング等心理療法の公費負担も現行制度では認められておらず、被害回復への経済的援助が希薄すぎる現状に対し、内閣府や警察庁、法務省等は制度の拡充と新たな補償制度の創設について検討を続けている。
ご遺族に対する精神的・経済的ケアが拡充されることに異論のある人は少ないだろう。新たな被害者・遺族が誕生し続ける社会において、被害者政策は、私達自身の政策でもある。
刑事司法は被告人の人権を制限するため、適切に行わなければならない。誤判により、何人もの無実の人が不当に服役・処刑されてしまったという歴史の汚点もある。また誤判ではないにせよ、本来ならば行為責任が原則となるところ、法廷でのプレゼンや世論の厳罰化の傾向により、過重な罪が認定され、重い刑を科されている被告人もいる。こうした事例は、原理的には不当なものだ。刑事司法は、あくまで事実認定と量刑についての冷静な審理を大前提とし、迎合的で表面的な判断は控えなければならない。些末な判断は時間と手間の浪費であり、ご遺族への配慮にも欠けるものだ。
誤った判断を蔓延させないために刑事司法の本質的な理解を広めること、事件を精査して真実を詳らかにする法廷が実現されること、そしてご遺族に対しては、社会的経済的ケアを充実させることが求められている。
投稿:2014年4月14日
B 原告の請求原因追加(最高裁の責任)に関する原告(あり)と被告(なし)の応酬
C 原告本人調べの決定(ついにご本人が法廷で訴える!)
□ 最高裁の欺瞞判決にたいする原告の責任追及は
原告は、訴状訂正申立書(請求原因の追加的変更)を陳述しました。「従前の請求原因を第1の請求原因とし、以下の主張を第2の請求原因として追加する」と言うのです。これまでは国会の責任しか追及していなかったから1も2もなかったけれど、これからは国会の責任を1とし、最高裁の責任を2とするっていう訳です。この要旨も前回ご紹介しましたが、大事なところなのでもう少し詳しくご紹介することにします。
1 最高裁判所大法廷は、平成23年11月16日、次の内容を含む判決を言い渡した。「所論は多岐にわたって裁判員法が憲法に違反する旨主張するが、その概要は、①憲法80条1項を踏まえ32条、37条1項、76条1項、31条違反、②76条2項違反、③76条3項違反、④18条後段(苦役禁止)違反である」
2 この主張整理には重大な偽りがある。同事件の弁護人の違憲主張は「多岐にわたって」などいない。同弁護人は、上告理由として、「80条1項の裁判官任命制度と裁判員選任制度の齟齬矛盾の問題だけをとりあげる」と言い、裁判員が参加する合議体が行う評議や評決は「80条1項により潰え去る。このことにより第一審判決は法律に従って構成されていない裁判所によって言い渡されたことになる」と記述するだけであり、④は上告趣意にはなっていない。なお、原審東京高裁の判決も、最高裁における検察官の答弁も、80条1項違反などしか論じていない。
3 原審判決も論及せず弁護人も検察官も触れていない「苦役禁止による違憲論」の否定に最高裁が踏み込んだのは、まずは裁判所法10条一号中の「裁判」として、小法廷の合憲判断への水路を作るためである。実際、この後に続いた小法廷判決はすべてこの大法廷判決を引用している。また、大法廷の合憲判断は拘束力を持つ判例になり、下級審の違憲判断を極めて困難にし、刑事訴訟法405条二号による上告事件の判断にも大きく影響している。最高裁がそれらの効果をあわせ狙ったことは明らかである。
4 言うまでもなく、この判例は裁判員制度の「定着」に結びつく。大法廷は判決の中で、「裁判員制度は国民の視点や感覚と法曹の専門性が交流することで相互の理解を深めそれぞれの長所が生かされる刑事裁判の実現をめざすもの」などと言っているが、この判示は上告趣意に対する判断ではなく、上告事件の判断に不可欠でもない、極めて政治的なメッセージである。
5 同判決は、苦役非該当の判示に続けて「裁判員たちの人権も侵害しない」と言う。その判断も具体的争訟の解決に必要な範囲内で判断すべき最高裁の職責を大きく踏み外すものであり、そこには裁判員制度違憲論を制圧して制度の定着をめざす狙いがある。
6 最高裁は制度施行前に裁判員のための「心のケア・プログラム」の方針を決めていた。メディアもPTSDに論及し、国会でも自殺の危惧が論じられていた。それらのことを知りながら真実に反する上告趣意を作出した最高裁は、この制度により裁判員就任を義務づけられた者が心的外傷を負った時には、 確定的もしくは未必の故意または重大な過失によりその損害を発生させることを容認したものと解される。
7 憲法81条は最高裁に憲法裁判所としての権限を与えていない。故意過失により国策に迎合推進して国民の権利擁護の使命をないがしろにする最高裁の行為は容認し得るものではない。最高裁の裁判官15名の行動は国会の立法における不法行為と共同不法行為の関係に立ち、原告の急性ストレス障害はその行為と相当因果関係にある。
憲法などの条文がたくさん出てきた/(・◇・;)\ 勉強家の皆さんはご自身で六法全書をお調べになるのかも知れませんが、ご参考までに引用しておきます。これはインコからのサービス Σ(^◇^)ふふふ。
【憲法】
第18条【奴隷的拘束および苦役からの自由】 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第31条【法定手続の保障】 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第32条【裁判を受ける権利】何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第37条【刑事被告人の諸権利】 1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を 受ける権利を有する。
第76条【司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立】 1 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第80条【下級裁判所の裁判官、任期、定年、報酬】 1 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
第81条【法令等の合憲性審査権】 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
【裁判所法】 第10条(大法廷及び小法廷の審判) 事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない。
一 当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。)
【刑事訴訟法】 第405条【上告のできる判決、上告申立理由】 高等裁判所がした第一審又は第二審の判決に対しては、左の事由があることを理由として上告の申立をすることができる。
二 .最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと。
□ 最高裁責任の追及に対する被告の応答は
被告国の代理人の2月28日付け第3準備書面がそれです。法廷では、裁判所から「原告の追加主張に対する被告の認否と反論ですね」と聞かれ、「そのとおりです」と答えただけで内容がわからなかったもの。その内容は次のようなものでした。あいかわらずひどく堅苦しい物言いだけど、なに、たいしたことは言ってない。原告の最高裁に対する責任追及をここでは「第2請求原因」と言っている。被告の準備書面は、第1「第2 請求原因に対する認否」と第2「被告の主張」からなっているのです。
1 これは、原告が訴状訂正申立書に書いた主張に対する認否の部分。
最高裁大法廷の判決があるという原告の主張は認めるとか、その事件の弁護人は多岐にわたる違憲の主張をしているという大法廷判決は事実に反する(つまり、たくさんの違憲主張などしていない)という原告の主張は争う(つまり、たくさんの違憲主張がされている)とか、原告がこの大法廷判決の後に福島地裁郡山支部から罰則警告付きの呼び出しを受け裁判員の職責を果たしたことは認めるとか、ホントわかりきったことやしょうもない言い分がえんえんと続くのだ。
そこで、インコとしては、後に出てくる「被告の主張」を読めばわかると思われることはここでは基本的に省略します。大事なことを意図的に外すなどという卑劣な態度はとりませんので、ご心配なく。
2 けどちょっと待って。ここに出てくる被告の認否の中から、大事なことだけは紹介しておくことにします。
○ 最高裁が平成20年頃までに裁判員に対する心のケアプログラムの方針を決めたことは認める。
○ 衆院法務委で委員から「裁判員になった人で自殺する人が出てくるのでは」という発言があったことは認める。
○ 最高裁が具体的な争訟について裁判をする裁判所であり、一般に違憲合憲を判定する憲法裁判所ではないというのは認める。
○ 原告が急性ストレス障害を発症したことは知らない。
○ 最高裁が被害発生を予測していたと言う主張は争う。
○ 原告は裁判員をやって心的外傷を発症した被害者・犠牲者だとの主張は争う。
○ 原告の被害は制度推進のため上告趣意を敢えて虚偽作出した大法廷裁判官15名による違法行為によるもので原告の傷害との間に相当因果関係があるとの主張は争う。
1 結論
国家賠償法に基づいて賠償をしなければならないのは、公務員が個別特定の国民に対して負う義務に反した場合だけ。裁判官の場合には、違法不当な目的で裁判をした場合など、裁判官の権限の趣旨に明確に反する権限行使をしたと認められるような特別の事情がある場合でなければならない(昭和57年最判)。
最高裁の判決は、当該事件(平成23年最判の事件)の被告人以外の者には効果が及ばないから、原則としてそれらの者との関係で職務上の義務を負担したり国賠法上の違法が認められたりすることはない。また、そのことをおいても、平成23年最判を言い渡した最高裁裁判官が違法不当な目的で権限を行使したなどの「特別の事情」はない。
2 平成23年最判の裁判官は原告に法的義務を負っていない
国賠法1条1項の「違法」とは、公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に負う職務上の法的義務に違背することをいう。しかし、最判の裁判官は原告に法的義務を負っていない。義務を負うのは基本的にその事件の被告人だけである。最高裁の判決に事実上の拘束力があっても、そのゆえに直ちにその事件の当事者以外の第三者に国賠法上の義務を負うことは原則としてない。本件でも、平成23年最判を言い渡した最高裁の裁判官が裁判員法の合憲違憲を判断するに当たり、将来裁判員となり得る一般国民に何らかの国賠法上の義務を負っていたと考える余地はなく、その判決を言い渡した行為が原告との関係で国賠法1条1項の適用上違法となる余富ない。
3 判決言い渡しに違法不当な目的で権限を行使した「特別の事情」はない
国賠法1条1項の「違法」について、昭和57年最判は、国賠責任が生じるためには、当該裁判官が違法不当な目的で裁判をしたなど、付与された権限の趣旨に明らかに背いて行使したと認め得る特別の事情がなければならないと判示している。極めて例外的な場合に限られるのである。
平成23年最判には国賠法1条1項の適用上違法はない。原告は、最高裁の裁判官は上告趣意に憲法76条3項および18条違反の主張が含まれていなかったのに、これらも上告趣意として取り上げるという虚偽を作出して判断したと主張し、その理由に裁判員制度の推進を図るという政治的目的があったと主張する。
しかし、同事件の弁護人の上告趣意に、憲法80条1項本文前段と裁判員法との論理矛盾の問題を取り上げるとの記載があったとしても、他方でこの上告趣意には裁判員法が憲法に反する理由として憲法80条1項本文前段のほか、憲法32条、37条1項、31条、76条1項ないし3項、18条後段を挙げて明確な主張がなされていたから、最高裁がこれらの各条項に違反する旨の主張が上告趣意に含まれていると理解して憲法適合性の判断をしたことに何の問題もない。
このことは、検察官が弁護人の上告趣意に対する答弁の中で触れていないとか、原判決がそれらの論点に触れていないという事情によって影響を受けるものではない。
また、最高裁の裁判官が制度推進という政治的目的のためにこの判決を言い渡したとの原告主張は、何ら合理的理由もない憶測である。
結局、平成23年最判の判決を言い渡した最高裁裁判官が「違法不当な目的」をもって裁判をしたなど、付与された権限の趣旨に明らかに背いて権限を行使した「特別の事情」は何ら認められないから、国賠法1条1項の適用上違法となる余地はない。
□ 原告追いかけ、被告は逃げる
C= C= C= ((((((へ(`∧´)ノ。。。ヘ(;><)ノ
被告国に対し、原告代理人はすかさず求釈明をしました。「求釈明」というのは、相手方が言ってることがよく理解できないときに説明を求めることだそうです。原告代理人は、被告第3準備書面に対する反論を準備する上で必要なので、被告主張の曖昧なところをここで明らかにしてほしいと述べました。この求釈明の内容も前回報告しましたが、ここでもあらためてご紹介します。
1 小清水弁護人(=最高裁の事件の弁護人)は、「違憲のデパート」と言われるほど数多くの違憲の問題がある裁判員法について、憲法80条1項本文と裁判員法の論理矛盾の問題だけを取り合えるとわざわざ断り書きをし、検察官もそれに対応してその2点についてのみ答弁しているというのに、被告はそれ以外にも上告趣意があったのだと主張する趣旨か。
2 それとも、最高裁は、上告人が上告趣意をしていない点についても、憲法違反という文言が上告趣意書中に表れていれば、その中から自ら適宜憲法違反の上告趣意として構成して判断を示すことが許されているという趣旨なのか。その理由或いは参考判例や学説があるなら示されたい。
3 憲法18条後段違反との言葉がどのような文脈で用いられているかにかかわりなく、その言葉が上告趣意書中のどこか1か所にでも用いられていれば、それは上告趣意に含まれることになるというのが被告の主張の趣旨か。
裁判長は、被告国の代理人に「被告はどう応答するか」と尋ねました。すると、被告代理人は「釈明の必要を認めない」と。「ふざけるなと思ったね」というのがインコのマネージャーの報告です。原告代理人は「それでは原告は、そのような被告の対応を前提に書面を提出する」と述べました(こういう余裕がないんだなマネージャーには…)。ま、いいでしょ。次回までに原告代理人は被告の認否反論に対する再反論を出すようです。これは次回の法廷で正式提出になるのでしょう。原告代理人のみなさんがどういう批判を展開するのか、次回の報告で詳しく説明します。ご期待下さいね。
□ 次回の法廷は
さて、最後は次回の法廷の予定です。原告は、原告Aさんを調べてほしいと言い、被告国は調べる必要はないと応じました。裁判所は休憩をはさんで合議。そして結局、原告Aさんを調べることに決定!
次回口頭弁論期日は4月22日午後2時30分。原告Aさんを原告代理人が30分尋問し、被告代理人が10分程度聞くことが決まりました。これでこの事件の審理のすべてが終わります。
さあ、すべては次回の法廷だぁ! マネージャー頑張れっ└( ̄◇ ̄*)┘ガンバレー!!
投稿:2014年4月11日
1「立法事実なし」との原告の主張に対する国の反論
(立法事実はあるぞっていう主張らしい。事前に原告に渡されているけれど、法廷では被告国の代理人は何も説明しない。傍聴席にいるだけだと何もわからない。)
2「請求原因を追加する」っていう原告の新しい主張
(原告は、欺瞞的な大法廷判決について最高裁の責任を国の責任として新たに賠償請求の理由に追加すると。うわっ。)
3 1の国の反論(立法事実あり)に対する原告の再反論
(原告は手回しよくもう準備していましたね。しかも原告代理人はこれについて法廷できちんと説明されました。)
4 2の原告新主張に対する被告国の認否反論
(「被告の認否反論ですね」って裁判長に確認を求められて、「そうです」と言っただけ。声の出し惜しみをするなよ! けっ。)
5 4の被告国の認否反論に対する原告の求釈明
(被告国の認否反論に対する再反論をこれから準備するが、その上で必要な事前の説明要求だと。よく準備されているなぁ!)
6 5の原告要求に対する被告国の応答
(「釈明の必要を認めない」って。元裁判員の請求に国は回答する必要がないという返事! これじゃぁねぇ、あんた一事が万事よ。)
7 最後に次回の裁判の予定と日程
(次回は4月22日午後2時から。Aさんの原告本人尋問だぁ!)
今回の法廷、いろいろありました。これをさらにさらにまとめれば、
A 立法事実の有無に関する被告(あり)と原告(なし)の応酬
B 原告の請求原因追加(最高裁の責任)に関する原告(あり)と被告(なし)の応酬
C 原告本人調べの決定(ついにご本人が法廷で訴える!)
ということになりますね。今回と次回に分けてこの3本柱の説明をします。ぶっ続けはインコもみなさんも疲れるからね。
□ 立法事実の有無に関する被告の主張は
立法事実に関する被告の主張を明らかにしたものという1月24日付け第2準備書面です。これが25頁もあって何とも長ったらしい。だが、内容は本当にあるか、実体はこけおどしではないか。超簡単に紹介すると次のとおりになります。
1 立法目的(立法趣旨)は明確
国民参加で司法に対する国民の理解支持が深まり司法がより強固な国民的基盤を得ることができるようになることが主目的。裁判の迅速化やわかりやすさの実現も期待された。平成23年最高裁判決もそう言っている。
2 立法目的の合理性・必要性、目的達成の手段の合理性を裏付ける立法事実
一般に、「立法事実とは法律の立法目的の合理性と立法の必要性を裏付ける事実」および「目的達成の手段の合理性を基礎づける事実」をいう。識者の説明によれば、それは絶対の真理や客観的真実ではなく、解釈・評価・予測が多く含まれ、証拠で支えられるものではなく、国会の裁量に委ねられることも多いとされる。
まず「法律の立法目的の合理性と立法の必要性を裏付ける事実」。
司法の国民的基盤がより強固になり、裁判がより迅速化され、よりわかりやすくなることが期待されることが立法事実である。欧米にも陪・参審などの国民参加制度があり、わが国でも過去陪審制が採用されていた。司法制度改革審議会の意見書も、司法機能の充実のためには国民の幅広い支持と理解が不可欠だとして、司法制度改革の主柱の1つに位置づけている。これを受けて成立した司法制度改革推進法は国民が裁判官とともに刑事訴訟手続に関与する制度の導入を方針とした。裁判員法制定後の意識調査の結果で国民から高い期待や評価が寄せられていることは立法目的の合理性や立法の必要性を裏付ける。なお、裁判員法が従来の刑事司法の弊害を克服する目的で制定されたものではないことは制定当時法務大臣や政府参考人が再三国会で答弁している。
次に「目的達成の手段の合理性を基礎づける事実」。
広く国民が参加することで司法の国民的基盤が得られる。出頭義務を課さなければ広い参加で国民的基盤を確立するという立法目的に沿わないし、国民負担の公平性も確保されず、選ばれる裁判員の資質や性向に偏りが生じる懸念がある。義務不履行に制裁を科さなければ履行確保が担保されないことも自明である。制裁として10万円以下の過料としたのは、司法制度改革審議会の「裁判員制度・刑事検討会」の議論の結果、それが妥当と判断されたのである。選挙人名簿から無作為抽出した候補者に出頭義務を課したこと、裁判員に職務遂行義務を課したこと、違反者に10万円以下の過料の制裁を定めたことは、法の立法目的を達成するために必要な合理的手段である。このことについても制定当時法務大臣や政府参考人が国会で答弁している。
裁判員法は、従来の刑事司法の弊害を克服するという消極的未来的のためではなく、よりよい刑事司法を目指して立法されたものであり、高度の政策判断が求められ、憲法上保障された国民の重要な権利・自由を直接規制する立法ではないことなどから、立法府に広範な裁量が認められるべきであり、立法事実の存否や妥当性についても基本的に立法府の判断が尊重されるべきである。最高裁平成23年判決も国民参加の内容は立法府に委ねられていると言っている。
最判が立法事実の存否や妥当性について述べず特段の検討もなく合憲の判断をしているのは、立法府の広範な裁量を前提として立法府が判断することを合理的だと認めたからである。裁判員の職務は参政権と同様の権限を国民に与えるものなどと言っている。これは、裁判員法の立法事実の存在と妥当性を当然に公定しているものと解される。この判断は確立した判例であり、裁判員法の立法事実の審査をする必要性自体乏しい。
第2 裁判員法は憲法18条に違反しないという最高裁平成23年判決の判示が違憲だとの原告主張は失当
1 原告は、弁護人が上告理由としなかったことを理由に「裁判員法は苦役の禁止(憲法18条)に抵触しない」という最高裁判決には拘束力はないと言う。
2 当該事案における弁護人の上告趣意は憲法18条違反の主張を含むものと解して憲法18条違反にならないと判示したものであり、憲法81条に違反しないし、判例としての拘束力も否定されない。平成23年最判は参政権類似の裁判員の職務を苦役というのは不適切だとしており、裁判員法16条やこれに基づく政令等が柔軟な辞退制度を設けていることや出頭裁判員(候補者)に負担軽減の措置が講じられていることなどに徴し、裁判員の職務が憲法18条後段が禁ずる『苦役』に当たらないことは明らかである。
1 原告は、長期短期にかかわらず公務員の職務に就く義務を負わせることは職業選択の自由に反すると言う。
2 職業というのは継続性と生計維持目的を要素とし、昭和50年4月30日最判のいう「生計維持のための継続的活動」という定義は、その範囲を明確適切に画したものである。労働の対価を得ない一時的公務たる裁判員の職務が「職業」に当たらないのは明らかで、裁判員法制定過程やその後の議論でも、裁判員法が憲法22条(職業選択の自由)に適合するか否かを議論した形跡がほとんどない。
1 原告は、裁判員法は、憲法13条(生命、自由、幸福追求の権利)を侵害すると言う。
2 裁判員の職務は合理的な範囲内の負担であるから13条に違反しない。長谷部恭男東大教授は参院法務委で同旨の意見を述べ、平成23年最判もそのことを認めている。
1 原告は、国賠法1条1項の違法性判断に関する確立した判例はないと言い、仮に平成17年最判に基づいても裁判員法の制定は国賠法1条1項の適用上違法だと主張する。
2 平成17年最判は、法律の内容が仮に違憲であってもその立法行為の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するなど極めて例外的な場合のみ国賠法1条1項の適用が違法とされると判示したものである。そして、同最判はその他の最判で引用されるなどしており、確立した判例というべきである。
原告は、平成17年最判の理解を前提としても裁判員法の制定は国賠法1条1項の適用上違法だと言う。しかし、裁判員法が違憲ではないことは平成23年最判のほか累次の最判が認めており、「立法内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」(平成17年最判)に該当する余地はなく、その法制定行為が平成17年最判の判断枠組みの下で例外的に国賠法1条1項の適用上違法と判断される余地はない。
□ 対する原告の反論は
原告代理人織田弁護士は、2月20日付準備書面(3)の内容を陳述しました。これも14頁におよぶ読みでのある書面。法廷で実際に述べた内容は前回紹介しましたが、改めてここでご紹介します。
1 被告が立法事実として主張するものは、裁判員法に根拠を有しない独自の目的なるものを持ち出しているに過ぎない。
2 司法の国民的基盤の強化が目的というなら、それを強化しなければならない状況があることを明確にすることが立法事実の主張と言える。被告はそれを全く明らかにしていない。却って、今の司法には問題がないと言っている。
3 欧米諸国では陪・参審制という国民の刑事司法参加の制度があるというが、それをわが国にも必要だというのであれば、欧米がそれを導入した歴史的背景等立法事実を明確にし、それと同じ立法事実が今の我が国にもあることを主張すべきである。武器保有を憲法に規定している先進国があれば、それを真似るべきだということになるのか。
4 我が国で過去に陪審制を採用していたことが何故に立法事実になるのか。却って、裁判所法3条3項に「陪審の制度を設けることを妨げない」と規定されていても、戦後60年余年間全くその制度設定の兆しも見えなかったのは、我が国には国民参加の必要性がなかったと言えるのではないか。
5 被告は平成23年11月16日大法廷判決を盛んに引用するが、それは上告趣意を虚偽作出した違法な判決であり、何ら判例としての価値のないものである。
6 職業選択の自由という場合の職業というのは、人間が社会的関係において営む仕事をいう。対価を伴うかどうかは必須ではない。被告の主張は間違っている。
7 裁判員法制定時には、徴用される国民の苦痛への配慮、その憲法問題としての認識は、全くなかった。被告としては長期的政策目的があれば国民の1人や2人の犠牲者が出てもそれは立法の裁量に委ねられていると考えているようであるが、それは憲法が掲げる国民の個人尊重の理念に反するものである。
これで、立法事実に関する原告と被告の応酬は一応終わりました。このやりとりについて、裁判所はどのような判断を下すのか。適当な言葉で逃げさせないように監視しなければいけませんね。
さて、Aの解説はここまで。続いて、
B 原告の請求原因追加(最高裁の責任)に関する原告(あり)と被告(なし)の応酬
C 原告本人調べの決定(ついにご本人が法廷で訴える!)
投稿:2014年4月9日
今回は傍聴券の配付なし。それでも「裁判所」という腕章をつけた職員がわらわらと。地裁側の緊張は変わらない。傍聴人は一般の人が9人、マスコミ関係者が11人。傍聴席は満席に近いか。被告席には8人が! 第1回7人、第2回6人。過去最高ということは結審圧力か、それとも暇なのか。今回の法廷、順をおって説明します。
・裁判長 被告は1月24日付けの第2準備書面を陳述しますね。
・被告代理人 陳述します。
・裁判長 これは、立法事実に関する被告の主張を明らかにしたものですね。
・被告代理人 (中腰で、ぼそっと)そのとおりです。
(これで終わり! 25頁もある被告主張の中身は? 被告主張はまたしてもわからない。この準備書面の内容は次回、説明します!)
・裁判長 さて原告です。原告は訴状訂正の申立書を提出していますね。これは請求原因を追加するものですか。
(「請求原因の追加」は原告の損害賠償請求の根拠として新しい理由を追加するということ)
・織田弁護士 そのとおりです。
・裁判長 平成23年11月16日の最高裁大法廷判決を国家賠償法上の違法事由として主張に付け加えるという趣旨ですね。
・織田弁護士 そのとおりです。
(この「請求原因の追加」については、閉廷後に織田弁護士がメディアのみなさんに主張の要約を配った。次のとおり。)
本来争訟の解決により立法府の専横から国民の基本的人権を守るべき責務を有する最高裁裁判官は、前記大法廷判決においてはその責務を果たすどころかその職権を濫用し、逆に裁判員制度の実施によって国民を強制的に裁判員の職務に従事させれば裁判員経験者に対し心的外傷を与えることがあり得ることを十分に承知の上で、裁判員制度の推進を図るという政治的目的を持って上告趣意を敢えて虚偽作出し、それに関する合憲判断を判例化することを企図した。これにより、事実上、下級裁判所に対し裁判員法の違憲判断を困難にして裁判員制度を運用させ、裁判員として職務を果たすことになった原告に対し心的外傷を与えたというものである。 よって、被告国は、この点からしても原告に対し国家賠償法第1条により、請求の趣旨記載の損害賠償義務がある。
(オオオオッ!!(ノ゚д゚)ノ! 最高裁の不法行為責任を地裁に認めよと迫るとは! この詳しい説明も次回に!)
・裁判長 わかりました。続いて原告は2月20日付準備書面(3)を陳述しますね。
・織田弁護士 陳述いたします。
・裁判長 これはさきほど陳述された被告の1月24日付け第2準備書面に対する反論ですね。
・織田弁護士 そのとおりです。この書面の内容もこの場で簡単に述べさせて下さい。
(織田弁護士は、用意したメモに基づいて述べた。さきほどの被告の主張の中身が織田弁護士の反論陳述で推測される形になった。法廷の後に配られたメモの全文を紹介)
1 被告が立法事実として主張するものは、裁判員法に根拠を有しない独自の目的なるものを持ち出しているに過ぎない。
2 司法の国民的基盤の強化が目的というなら、それを強化しなければならない状況があることを明確にすることが立法事実の主張と言える。被告はそれを全く明らかにしていない。却って、今の司法には問題がないと言っている。
3 欧米諸国では陪・参審制という国民の刑事司法参加の制度があるというが、それをわが国にも必要だというのであれば、欧米がそれを導入した歴史的背景等立法事実を明確にし、それと同じ立法事実が今の我が国にもあることを主張すべきである。武器保有を憲法に規定している先進国があれば、それを真似るべきだということになるのか。
4 我が国で過去に陪審制を採用していたことが何故に立法事実になるのか。却って、裁判所法3条3項に「陪審の制度を設けることを妨げない」と規定されていても、戦後60年余年間全くその制度設定の兆しも見えなかったのは、我が国には国民参加の必要性がなかったと言えるのではないか。
5 被告は平成23年11月16日大法廷判決を盛んに引用するが、それは上告趣意を虚偽作出した違法な判決であり、何ら判例としての価値のないものである。
6 職業選択の自由という場合の職業というのは、人間が社会的関係において営む仕事をいう。対価を伴うかどうかは必須ではない。被告の主張は間違っている。
7 裁判員法制定時には、徴用される国民の苦痛への配慮、その憲法問題としての認識は、全くなかった。被告としては長期的政策目的があれば国民の1人や2人の犠牲者が出てもそれは立法の裁量に委ねられていると考えているようであるが、それは憲法が掲げる国民の個人尊重の理念に反するものである。
・裁判長 わかりました。次に、被告の2月28日付け第3準備書面ですが、これは今陳述された最高裁裁判官の責任に関する原告の追加主張に対する被告の認否と反論になりますね。
・被告代理人 そのとおりです。
(今度は立ち上がった。声もちゃんと出せる! でもやっぱり内容はわからない。被告は国民にこの制度を理解してもらいたかったんじゃないのかね。そう、これも次回以下で。)
・裁判長 そして、原告からこの被告主張に対する求釈明が本日付けで出ていますね。
・織田弁護士 そのとおりです。被告の第3準備書面は期日の直前に出されましたので、原告はこれから準備の上反論しますが、被告主張の曖昧なところをこの段階でただしておきたいのです。
(求釈明の内容は、法廷の後に織田弁護士から配られた。その内容は次のとおり。)
被告第3準備書面については次回までに反論するが、つぎのとおり曖昧な点があるので、その点を釈明したい。
1 小清水弁護人(=最高裁の事件の弁護人、インコ注)は、「違憲のデパート」と言われるほど数多くの違憲の問題がある裁判員法について、憲法80条1項本文と裁判員法の論理矛盾の問題だけを取り合えるとわざわざ断り書きをし、検察官もそれに対応してその2点についてのみ答弁しているというのに、被告はそれ以外にも上告趣意があったのだと主張する趣旨か。
2 それとも、最高裁は、上告人が上告趣意をしていない点についても、憲法違反という文言が上告趣意書中に表れていれば、その中から自ら適宜憲法違反の上告趣意として構成して判断を示すことが許されているという趣旨なのか。その理由或いは参考判例や学説があるなら示されたい。
3 憲法18条後段違反との言葉がどのような文脈で用いられているかにかかわりなく、その言葉が上告趣意書中のどこか1か所にでも用いられていれば、それは上告趣意に含まれることになるというのが被告の主張の趣旨か。
(上告趣意に関する最高裁判決の矛盾を突こうとしているんだね。この説明も次回に!)
・裁判長 で、これに対して被告はどう応答されますか。
・被告代理人 釈明の必要を認めません。
(ゲッΣ(@◇@;))
・織田弁護士 ただいまの応答を調書に取っていただけますね。
(そんな話、あったっけなんて後になって言わせないために、その日の手続きを記録する裁判所の調書に記録してくれっていう訳。)
・裁判長 (被告に対し)調書に取ってよろしいですね。
(思いつきを言ったんじゃなくて、釈明しないというのは国として腹を決めた対応なのだなと確認。)
・被告代理人 結構です。
・織田弁護士 それでは原告としては、そのような被告の対応を前提に書面を提出することにします。
(これで原告と被告のそれぞれの主張に関する裁判所とのやりとりは終わり。ふーむ、今日の法廷までの間にいろんな書面づくりの作業と提出があったんだと実感する。)
・被告代理人 司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会の議事録などを提出します。
・織田弁護士 原告の陳述書など甲第37号証から第50号証まで14点の証拠を提出します。
□ 第3ステージ:今後の訴訟進行の議論。や・ま・ば!
・裁判長 双方の主張はこれで一応出尽くしたと考えてよろしいでしょうか。
・織田弁護士 はい。
・被告代理人 はい。
(いよいよ・・・ドキドキ(((o(*゚◇゚*)o))))
・裁判長 人証についてはどうお考えでしょうか。
(書証の調べは終わったが、原告や被告関係者など「人」の調べはどうしたいと考えているのかという裁判所の質問。)
・織田弁護士 原告本人尋問をぜひ行ってほしいと考えております。
(キタ―――ヽ(゚◇゚)ノ―――ァッ!!)
・裁判長 原告のご意見について、被告はどうお考えになりますか。
・被告代理人 原告は陳述書をすでに複数出しています。被告はその内容を「不知」としていますが、原告の陳述書の内容を積極的に争うつもりはありません。陳述書があるのですからそれに加えて敢えて本人尋問をする必要はないと考えます。
(えっ、えっ、えっ。被告は原告が心の病に苦しんでいることについて、法廷にナマの話が出てくるのをよほど嫌がっているんだね。でも、原告の陳述書について被告が「不知」なんて言ったから原告は本人を調べてほしいって要求しているんでしょうが、何言ってるの。)
・裁判長 (左右の陪席裁判官の顔をちらりと見て)では、ここで5分ほど休廷します。お待ち下さい。
-休廷始まる-
(裁判官たちが法壇の後ろの扉からそろりと消えた。控えの部屋で合議を行うらしい。ふーむ、どうなるのか心配!o+゚||*´゚◇゚)。o○ドキドキ…。5分が経過し。裁判官たちが法廷にまたそろりと入ってきた。)
-休廷終わる-
・裁判長 法廷を再開します。裁判所としては原告本人の尋問をすることにします。
(やった! やっぱりやるんだと。ε- ( ̄◇ ̄A) フゥー)
・織田弁護士と佐久間弁護士 (黙礼)
・裁判長 主尋問の時間は原告の請求では30分ということになっていますね。
(あらかじめ織田弁護士たちは尋問時間の希望も出していたんだ!)
・織田弁護士 そのとおりです。
・裁判長 被告は反対尋問をしますか。
(えっ、えっ、えっ、そんな質問アリ? 被告代理人は尋問不要って言ったんだから、反対尋問はしないですねって聞けばいいじゃん。で、被告は反対尋問をしないって言うんだろうねぇ…。)
・被告代理人 えーとえーと、では念のため10分ほどお願いします。
(なんだそりゃ。なんだかんだ言いながら、やっぱり原告を問い詰めようという根性は捨ててないんだ、こいつら。地獄に行け!)
・裁判長 わかりました。
(わからん。被告に親切すぎる、国民に親切にしろよ。)
・裁判長 次回の原告本人尋問でこの事件の審理は終結するということでよろしいですか。
・織田弁護士 結構です。
・被告代理人 結構です。
・裁判長 では、次回口頭弁論期日は4月22日午後2時と指定します。今日はここまでにします。
(審理時間約25分)
読者の皆さまへ
次回以下、本日の法廷で双方が主張したことや反論したこと、そしてその意味などについてわかりやすく整理し、インコ渾身の報告をいたします。乞う、ご期待!
投稿:2014年4月7日
トピックスでご紹介した札幌の猪野亨弁護士のブログ記事「門田隆将氏の袴田事件を救ったのは裁判員制度のお陰!? 」をお読みになりましたか?
極右評論家(?)の門田氏が「裁判員制度によって公判前整理手続きが導入され、証拠開示がなされるようになり、静岡地裁もこれによって証拠開示をした」という珍論を展開した。氏は、静岡地裁が判決で指摘した証拠ねつ造には一言も触れず、警察・検察・裁判所に対する批判も一切行っていないと。ま、権力擦り寄りのヘタレ評論家の人物像や理論に対する批判については猪野弁護士のブログをご覧いただくとして…。
証拠ねつ造は袴田事件だけのことではない。ねつ造による犯人でっち上げを疑われている事件は枚挙にいとまがない。そして大事なことは警察・検察が証拠をねつ造しても大した問題ではないと思うようになったのは裁判所の責任ということ。検察はあの大逆事件で大きく道を踏み外し、それが今に引き継がれている。その暴走を良しとしたのが裁判所である。検察はこの時以来腐敗の歴史を刻んで今日に至っている。
犯人を断定する、だが決定的な証拠がない。そういう順序でことが進む。おかしいががこういう順序なのである。「ではちょっとやってみるか」。集まった証拠では犯人と断定するには矛盾が残る。「ではこういう証拠を作ってつじつまを合わせよう」。この証拠がじゃまになる。「では隠せ」。普通の世界ではとうてい考えられない話なのだが、彼らには「ねつ造の能力と必要性がある」(袴田事件再審開始決定書)。ねつ造抑止のハードルがひどく低い彼らは簡単に則(のり)を超える。
起訴されて弁護人や証人から「証拠が不合理」「証拠相互に矛盾がある」などと主張されても心配はない。検察があれこれ言う前に、裁判所が警察・検察を擁護する立場に立つ。「どうしてそんなこと言うのですか」。どこぞの国は人権無視の後進国だとか、わが国は「法の支配」の国だとか、大嘘つきのこんこんちき。かくして検察は、不正入学者の胴上げよろしく裁判所に祝福される常勝将軍であり続けてきた。結果、不敗の道は腐敗の道。ねつ造証拠は致死的な能力劣化の副作用をもたらした。
えん罪で死刑になった人に対するこの国の基本的な考えを探る。死刑廃止の機運が高まり、国会で死刑廃止論がさかんになされていた1956年。参議院法務委員会に公聴人として登場した刑法学者小野清一郎氏は、要旨「死刑制度はえん罪で死刑になることを予定している。財産や生命を守るシステムはえん罪を受け入れざるを得ない」と喝破した。これでこの国の死刑廃止の流れが止まった。
小野清一郎氏について一言エピソード。同氏は、東京帝国大学法学部の教授などを歴任した著明な学者だが、戦後には弁護士も経験している。有名なえん罪事件の一つにヤミ市の商人同士の乱闘が強盗殺人事件として摘発された福岡事件がある。1956年4月17日、最高裁は2人の死刑を確定させた。実行犯のAは後に恩赦で無期懲役になったが、実行を指示した(とされた)西武雄死刑囚は犯行を否認し、Aも「西は無関係」と証言していた。小野氏はその西死刑囚の弁護人だった。西死刑囚の死刑が確定した3週間後に、この小野氏が前述の国会証言をした。彼は法務省の特別顧問に就任し、死刑は執行された。
その法務省が最高裁と一緒になって推進している裁判員制度。捜査当局によるでっち上げえん罪もなんのその。「この国の裁判は正統。国民を裁判に関わらせて国民の司法への理解の増進と信頼の向上させる」とうそぶく。国民を裁判所に罰則付で動員して国を守る危害を持たせようとする。元裁判員によるストレス国賠訴訟でも、国側は「重要な政策の実現のためには国民の1人や2人が犠牲になるのはやむを得ない」と言わんばかりの主張をしているこの制度。
♪日本の司法の場合はあまりにも違憲だ
日本の司法の場合はあまりにも悲劇だ
3月30日の日曜日
ブログで批判された話一つ
裁判員制度♪
♪ホントのことを言ったら
出世できない
ホントのことを言ったら
あまりにも悲しい
3月30日の日曜日…♪
*右のマンガは、4月3日付け『朝日新聞』夕刊に掲載されたものです。
投稿:2014年4月5日
米軍(たぶん)のハンドサインをパロディにした作品が今ツイッターで大流行。
○○県民のハンドサイン、○○大学生のハンドサイン、○○企業のハンドサインetc
インコも作ってみました。裁判員制度をやりたい人たちのハンドサイン。
投稿:2014年4月4日
弁護士 猪野 亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」3月30日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
袴田事件というえん罪事件について、ようやく重い扉であった再審請求が地裁段階で認められました。
死刑のための拘置も停止され、東京高裁も静岡地裁の決定を支持しました。
検察が最高裁へ特別抗告するかどうかですが、もはやこの流れは変えられないでしょう。
現状のマスコミ報道からみても、今、最高裁がこの流れを変えるとは思われませんし、袴田さんの再審無罪も目前であると言えます。
この再審無罪を勝ち取ったのは、袴田さんが無実であると確信した多くの人たちの支援があったからこそです。
そして、ねつ造とまで言われた捜査の在り方そのものが批判及び検証の対象とされなければなりませんし、えん罪の原因がどこにあったのかどうかという点こそが重要です。
「袴田さん釈放! 検察は被告を「有罪」にするためだけに存在しているのか」
ところが、この袴田さんの再審決定に対して、筋違いな論評を寄せている人がいます。
「なにが「袴田巌」を死刑から救ったのか」(門田隆将氏オフィシャルサイト)
何と、その功績を裁判員制度に求めているのです。
論旨曰く、裁判員制度により公判前整理手続きが導入され、証拠開示がなされるようになった。
今回、静岡地裁が命じた証拠開示は、この裁判員制度と公判前整理手続き、証拠開示があったからというのです。
これはいくら何でも歪曲が過ぎるでしょう。証拠開示といっても全面開示からほど遠く、開示請求にあたっては開示させる証拠を特定しなければなりません。
刑事訴訟法316条の15第2項
被告人又は弁護人は,前項の開示の請求をするときは,次に掲げる事項を明らかにしなければならない。
一 前項各号に掲げる証拠の類型及び開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
二 事案の内容,特定の検察官請求証拠に対応する証明予定事実,開示の請求に係る証拠と当該検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし,当該開示の請求に係る証拠が当該検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であることその他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由
そもそも証拠については当然の前提として検察官手持ちの証拠はすべて開示しなければならないのに、現在はそのような制度にはなっていません。
むしろ、現在、行われている「法制審議会-新時代の刑事司法制度特別部会」での議論では日弁連が要求していた証拠の全面開示は見送られる公算が大です。えん罪発生防止の観点からは全くのザルです。
参照
「新たな刑事司法制度の構築に関する意見書(その2)」(日弁連意見書、PDF)
門田氏の主張は、これをもって静岡地裁の開示命令と同一視してしまうのは問題であるばかりか、捜査機関によってえん罪が作られたということに対する視点が全く欠如しています。どの識者もこぞって捜査機関や裁判所の責任を追及する意見を表明している中で門田氏の見解は特異なものといえます。
振り返ってみれば、門田氏は極右の評論家(?)であり、国家機関を批判するなどという視点は一切、持ち合わせていないのでしょう。
「安倍首相「靖国参拝」と映画『永遠の0』」(門田氏のブロゴスの記事)
これを読むと、あの百田尚樹氏の駄作『永遠の0』について、「邦画史上に残る最高の傑作」とまで評価しています。
「映画館には、戦争も、まして特攻のことも知らない若いカップルが数多くいた。途中から館内にすすり泣きが聞こえ始め、映画が終わった時には、拍手する観客もいた。珍しいシーンだった。
生きたくても生きることができなかったかつての若者の姿に対して、現代の若者が涙を流す――私は、そのシーンに強烈な印象を持った。」
だそうですが、この安っぽい涙には反戦思想は全く伺えません。
「NHK経営委員百田尚樹氏の『永遠の0』と都知事選田母神支持発言」
このような国家主義思想の持ち主にとっては、袴田事件は国家の汚点として表現するわけにはいかず、逆に国民動員を前提にした裁判員制度を持ち上げるという本末転倒な評論というべきものです。
このようなすり替えの論理を許してはなりません。
投稿:2014年4月2日
『毎日朝から深読み新聞』14年4月1日号外
昨3月31日、最高裁と法務省が共同の記者会見を行い、裁判員制度を廃止する方向で検討を開始すると緊急発表した。制度の構築に関わった元裁判官が、国民動員の目的で導入を強行したと謀略の真相を暴露し、来週発行の週刊誌に詳報が掲載されることが判明したことから、この動きが一挙に現実化した。最高裁事務総長と検事総長は苦渋と緊張の面持ちで記者会見に臨んだ。
(右写真は「戦後 処理は君に任せた」 と敗走する竹﨑前長官を睨みつける寺田新長官)
共同記者会見から外された日弁連は、この日執務を開始したばかりの新会長が独自に記者会見を行い、「市民参加の道が閉ざされるのはまことに残念」と涙ぐんだ。日弁連が旗を振ったのでこの制度が始まったのではとの記者の質問に、マスコミも先導したのではと気色ばんで言い返す場面(左写真)もあった。
最高裁や法務省などが「あらたな司法制度」と鳴り物入りで発表して全国民を驚かせた裁判員制度が実施5年で廃止の方向に急展開することになった。記者会見の模様は「日本の司法の信頼性に根底的疑問」「この国に司法はあるのか」など厳しいトーンで世界に発信され、BBC・ABCなど欧米のテレビメディアのほか、ウォールストリートジャーナル・ニューヨークタイムス・ボストングローブ・人民日報・東亜日報など各国各紙がいっせいに大きく報道している。
市民を3~4日裁判所の法壇に座らせて裁判所の空気に浸し、強い刺激を与えるだけで、国を守る気概を持つ人間に変わる仕組みとして5年前に登場したこの制度。この人心改造方法は権力統制色の強い戦前の陪審制を焼き直ししただけのものとの評価が絶えず、言われるような効果が果たしてあるのかという指摘も続いていた。また、この間これは単なる設計ミスではなく、確信的で意図的な国民誘導政策として作られたという疑いが急速に広まっていた。元裁判官は「私は何のためにこの制度の創設に関わったのかわからなくなった。最高裁・法務省は私の告白を制度の致命傷と判断したのだろう。裁判所に絶望している全国の裁判官から共感と連帯のメールが入っている」と語った。
政府の司法制度改革審議会の答申を受け2001年に発足した司法制度改革推進本部の裁判員制度・刑事検討会。井上正仁東大教授ユニットリーダーら11人のメンバーは口をつぐんだままである。井上教授は「ずさんな発表との批判は甘んじて受けるが、政策そのものは誤りではない、一旦廃止になっても再び信を問う機会が来るだろう」と語った。しかし、日本刑法学会は井上ユニットリーダーの資格審査の検討に入ると表明、検討会メンバーの四宮啓弁護士や大出良知九州大学教授はこの間周囲に連絡を絶っている。遺体発見の報も一部にあり、情報は混乱している。(肩書きはすべて当時)
昨夜、東京の三宅坂と霞が関で「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げたデモが目撃され、また皇居前では制度の全面広告を芝生に広げて割腹自殺を図り保護される事件が発生した。当局は発生場所との関係で今回の制度廃止の動きとの関連を調べている。菅官房長官はこの制度はユニットメンバー全員の了解がなくても廃止できると述べた。
同じ昨日、定年まで4か月を残しながら退官した竹崎博允最高裁長官は、数日前の退官記者会見の中では「比較的順調」と言っていたが、「本当のことを言うと、制度発足当時の鳩山法務大臣と同様、自分もこの制度に疑問を持っていたし、そのことを自分は隠してもいなかった」と語った。しかし、制度の廃止と前倒し退官の関係を記者団に問われ、「健康が比較的不順で…」と言葉を濁した。一方、小田中聰樹東北大学名誉教授は「朗報だ。私たちはこの国の司法の黎明のときを迎えている」と喜びを隠さない。また、裁判員裁判に関与してきた大阪地裁のある裁判長(53歳)は「ほっとした、悪夢の5年間がこれで終わる。私は落ち着いて仕事をする普通の裁判官に早く戻りたい」と述べた。
裁判員制度の違憲性や不合理についてはこれまで市民や法曹各界から強く指摘されていたが、最高裁・法務省は一貫して制度の合憲性や合理性を強弁してきた。だがこの間裁判員の出頭者は年々大きく減り、国は元裁判員から国家賠償訴訟を提起されたり、裁判員たち全員が裁判を放棄する事件などが発生して、制度の存続はその面からも危ぶまれていた。また、制度推進派の聞き取り調査の結果でも、参加に意欲的な市民の多くはもともとこの国を守るために自らの命を投げ出してもよいと考えていた人たちであることがわかり、制度の存在意義自体なくなっていると指摘する声もあった。
被疑者や被告人の人権保障の劣悪さなど日本の刑事人権保障の問題点については、かねてから国連などの国際機関で厳しく指摘されているが、今回の発表はその傾向をいっそう強めるものと見られる。裁判員制度やその報道では日弁連やマスコミが暴走したことも歴史に残ろう。
裁判員制度を廃止するだけで幕を引くことは許されない。なぜこのような反国民的な制度が一時的にもせよ導入されたのか、強い疑問が各方面から投げかけられている。ある外国人研究者は「裁判員制度の問題にとどまらず、日本のあらゆる司法問題に対する信頼にマイナスの影響が出るだろう」と述べている。わが国司法の国際的な信用失墜のダメージを取り戻すのは容易ではない。私たちマスコミも深く反省し、今回の問題を深刻に受けとめる必要がある。
投稿:2014年4月1日