トピックス

トップ > トピックス > 裁判員裁判の弁護人が論じる弁護論のおかしさ

裁判員裁判の弁護人が論じる弁護論のおかしさ

                                                               名古屋の弁護士

事務所に「法テラスニュースレター」という冊子が送られてきたhouterasu
2号とあるが、1号の記憶はない。
2号(2014.7)の「特集」のタイトルは「プロフェッショナルに聞く! 裁判員裁判のフロントライン」。裁判員裁判の弁護人を経験している若手弁護士として、08年に弁護士登録をした趙誠峰という弁護士が登場している。末尾の説明を読むと、法テラスには「裁判員裁判弁護技術研究室」という組織があり、この人はその研究室で主任研究員という肩書きを持っているらしい。この人の報告や意見に私の感想を書き加えてみた。

○裁判の最後に、裁判官と対等に議論できるよう、裁判員を勇気づけたいという想いを込めて「評議では、裁判官に遠慮せず、自分の意見を言ってください」と必ず言うことにしている。花火セット

裁判員裁判の現場には基本的に裁判官優位・裁判員劣位の関係がある。このことを忘れていないらしい趙弁護士は、裁判官に負けるなと激励のメッセージを裁判員に送るというのだ。

趙弁護士には、検察官の求刑などどこ吹く風と被告人に重罰を科すよう裁判官に迫る裁判員たちがいる(しかも少なくない)という現実が見えないのだろうか。今やこの制度は有資格者の15%くらいからしか相手にされていない。処罰圧力をはねのけ圧倒的多数の国民が拒絶する中で、いそいそと裁判所に出かけてくる裁判員の問題意識をどれだけ理解しているのか。

裁判員制度が始まるころ、裁判員制度を陪審への一里塚と位置づけて制度応援の旗を振った法律家団体が「私たちはヘンリー・フォンダを捜しています」というキャッチフレーズのリーフレットを各方面に配ったと聞く。思い込みで走る人は制度をとんでもないところにおし進める無自覚のお先棒担ぎになる。地獄への道は善意のレンガで敷き詰められているというが、至言である。

○傷害致死の事件。酔っぱらいの男性にからまれ一旦離れたが、追いかけられコンビニで鉢合わせした。殴りかかられ殴り返したところ男性は後頭部を地面に打ち付けて結局死亡。冒頭陳述の中で、被害者が亡くなったことを「自業自得」と表現することについて、死者への冒涜と裁判員から反感を買うことを危惧したが、白髪蓄髭の相弁護人に語って貰ってやり通した。語る人と語り方で伝わり方が全く異なる口頭主義の醍醐味と感じた。専門家を法廷に呼ぶ際には話してほしい内容をしっかり注文すること、また素人に分りやすく説明できる専門家と日頃から関係を作っておくことを助言する。花火セット

「自業自得」と表現するかどうかはそんなに重大なことか。私は強い違和感を持つ。だいたいこの冒頭陳述は書面になって裁判所に提出されたはずだ。審理が控訴審に移っていたら高裁の裁判官たちはこの書面しか見ないことになる。口頭主義の醍醐味とやらはどう引き継がれるのか。法廷の空間に霧と消えるすべての情報は、後に検討の対象にすることが一切できない。そのことを趙弁護士はどう考えているか。

なんと言っても気になるのは、奇妙奇天烈な技術優位の発想だ。技術で裁判員の心を捉えるという思想は裁判員に対する冒涜、侮辱、侮蔑ではないだろうか。こういう物の見方、考え方をする人は、裁判官裁判なら今度は裁判官が受け入れやすい言葉はどういうものかなどという発想に流れて行くように思う。

もう一つ付け加えれば、専門家とのつながりの話だ。指摘のようなことはどんな裁判でもあまりにも当たり前のことだろう。百歩譲って技術を論じることを前提にするとしても、裁判員裁判のフロントラインに立つ自負があるのなら、裁判員裁判に独特の弁護技術を言わなければ意味がない。この冊子は国民の税金で作られていることを忘れられては困る。

○手作りパネルでも良いから、写真や図表を視覚的に見せよう。パワーポイントは関心がモニター画面に集中してしまうので要注意。正当防衛の主張は、被害者を主役にした病気とお酒のストーリーを展開するものにした。それによって被害者はただの可哀相な人ではなく、事件を避けることが本当はできた人だという印象を与えることができた。花火セット

視覚的に訴えることはおかしいと言うつもりもないが、だから何なのだという疑問が湧く。パワーポイント論に至ってはなおのことだ。「病気とお酒のストーリー」などと仰々しく言うのもついていけない。ある意味、刑事弁護は例外(少数説・非常識)の原則(多数説・常識)に対する挑戦である。私なら、相手が裁判員だろうと裁判官だろうと、通り一遍の常識で簡単に考えてくれるなと言う。事件や被害者の特殊性を必ず訴える。それ以外のことを論じる裁判ではないだろう。

○「受取人は覚せい剤だということを知らない」というが、そんなことは本当にあるのかという疑問を一般人は持っている。そこで組織的密輸の実態を説明し、組織は事情を知らない受取人を利用することがあり得ることを裁判員に理解してもらった。また、ラトビア人の被告人が日本でさかんに飲酒していて覚せい剤の受取人としてははなはだ緊張を欠く状態(犯罪関与者らしくない状態)にあったことを印象づけた。検察の土俵で勝負するのではなく、弁護側の視点を明確に提示することにしたのだ。花火セット

そりゃようござんしたと言ってあげたいところだが、最高裁は、背後に組織が関与した密輸事件では、被告人が組織から回収方法を指示されたと認定するのが相当だという判決を出していなかったか。最判と趙弁護士の関与事件の判決との先後がわからないが、最高裁は今や趙弁護士の経験したような事件で無罪を言い渡すことを厳に警戒しているはずだ。その突破策を報告するのなら一読の価値があるが、これはそのような文章にはなっていない。

○情状弁護に燗する立証や主張には難しい問題があるが、事件の内容に深く関心を寄せる必要がある。また、家庭環境のことや謝罪のことなど犯罪そのものとは別の情状に関する検討にも力を入れている。花火セット

裁判員裁判に独特の情状立証の弁護活動とは何か、ということをどうして論じないのだろうか。論じたくても論じられないのだろうか。不可解と言うほかない。私などは、数日で審理が終わってしまうような事件では、情状立証の余地など基本的に与えられていないに等しいと思うのだが、趙弁護士はそんなことにはあまり関心がないと見える。情状と言えば、犯罪事実に直接関わる情状事由もあるし、それ以外の情状事由もある。皮相の事実だけではうかがい知れない事件の深層がある。その中から弁護人としては、被告人に有利に働く可能性のある事実を丁寧に拾い上げてゆくことになるはずだ。そういう弁護活動が裁判員裁判のもとで十分できると考えるのか、問題があると考えるのか。このレポートからは少しも見えてこない。

全体的な感想を一言。裁判員裁判の最前線でプロとして頑張っているというのだから、裁判員裁判の弁護活動の特徴をきちんと言うのでなければなるまい。刑事弁護に日ごろ関わっている私としては、刑事裁判一般の弁護活動の話など別に聞きたくもない。そう思う弁護士は私だけではないだろう。

どうして裁判員裁判の弁護活動に絞り込んだ解説をしないのか(敢えて言えば、それができないのか)と言えば、そのような総括を趙弁護士はしていないからだろうと思う。そもそも法テラスの裁判員裁判弁護技術研究室というところは、本当に「裁判員裁判の弁護技術」を研究しているのだろうか。

しかし、考えてみれば、裁判員たちがどのように裁判官に統制されているか、あるいは統制にめげず裁判官に立ち向かっているか、そこは本当のところわからない。逡巡する裁判官を煽りけしかけているのかも知れない。そのような状態では、裁判員への影響を意識した弁護方針など立てようもない。何を言っても机上の空論になってしまう。

「俺たち、本当のことを言えば雲を掴むような話しかしていないんだよ」と言っている方がよほど真実味があると思うのだが。074284

 

 

 

投稿:2014年7月20日