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謹賀新年 制度廃止でもっとおめでとうへ

1-e1397901276348とにかく新しい年のお正月を迎えました。あけましておめでとうございます、と一応申し上げます。

001177裁判員制度の打倒・粉砕をめざして闘っているインコさんとしましては、その目的を達する前にまた新年を迎え、残念無念というのがホントのところなんですね。

1-e1397901276348そういうことです。では、年明け早々に裁判員裁判の死刑執行の話をさせていただきます。

00631100えっ、年頭のあいさつにはちょっとふさわしくないのでは・・・。

怒り何を言ってるんですか。市民に死刑を言い渡させること自体がメチャクチャふさわしくないことです。年頭も年末もなく、似つかわしくないという話ならそこから似つかわしくないでしょうがっ。

0011780まぁそう力まずに。わかりました、わかりましたから。ご自由にやってくださいませ。

1-e1397901276348うこなくちゃ。大問題です。年の初めです。新聞だって2倍の厚さだ。この際2回にわけてしゃべるかな。

0011780どうぞどうぞ2回でも3回でも。

1-e1397901276348そこまで言われるとちょっと勢いがそがれるけれど…。まぁいいでしょう。
法務省は昨年12月18日、2人の死刑を執行しました。その1人は11年6月に横浜地裁の裁判員裁判で死刑が言い渡されT死刑囚(63)。判決によれば川崎市内のアパートで3人を殺害したということです。弁護人が控訴したのですが、被告人自身が控訴を取り下げてしまったので、高裁や最高裁の判断を経ずに、つまり裁判員裁判だけで死刑が確定してしまった。

1-e1397901276348岩城光英法務大臣は、「裁判員の方には大変重い判断をいただいた。慎重に審理を重ねた上での死刑判決が言い渡された」と述べ、各紙は記者会見をする法相の姿を写真入りで大きく報道。『朝日』は執行当日夕刊の一面と社会面で、「裁判員判決で死刑 初執行」「市民参加 重い節目」「裁判員 悩んだ末の極刑選択」などと速報。『読売』も当日夕刊の一面と社会面で、「裁判員死刑判決 初の執行」「法相『重い決断頂いた』」と。『東京』は当日夕刊で、「自分が命奪っていいのか」という大きな横見出しと「元裁判員 市民による判断反対」という縦見出しを付けました。

001181市民による市民に対する「合法」殺人。制度実施から6年半の間に、裁判員裁判で26人に死刑が言い渡され、うち死刑確定者はT死刑囚を含めて7人に達しました。初めて死刑が確定した裁判員判決は10年11月の強盗殺人事件だったが(これも横浜地裁。控訴取り下げで確定)、それ以来の大報道になりましたね。

1-e1397901276348マスコミはいっせいに「言渡しの苦しみ」とか「こころのケア」とかに照準を当てました。ここで「言渡しの苦しみ」とか「こころのケア」に関係することでどうしても触れなければならないのは、この事件に関わった裁判員たちの一般的な「傾向」の問題です。

1-e1397901276348裁判員たちは、本当に法相が言うように「重い判断」をしたのか。話はそれほど単純ではない。単純でないところにこそ問題があるのだと思います。率直に言えば、地裁判決後の裁判員たちの言葉には凄まじいものが多かった。補充裁判員を含む9人のうち6人が共同記者会見に出席した場で「被告人は罪と向き合ってほしい」と言った。つまり被告人は自分たちが出した結論をそのまま受け入れてほしいと強調したということです。大学4年生(当時22)は、「考え抜いた末の納得の結論。5日間の評議で思い残すことなく自分の意見も言えた」と言い、会見に出た6人のうち5人が「被告人は控訴しないでほしい」と述べたとも報道されています。

1-e1397901276348被告の控訴取り下げで死刑が確定したことについて報道陣に意見を聞かれた6人の元裁判員たちは「問題ない」と答えた。公刊された本の中で自身名前を名乗っているので、ここでも実名で紹介させていただくが、米澤敏靖さんという方は次のように述べています。「やってみたいと思って行ったら選ばれた。あんたにできるのと母親に言われ、何でお前がと父親に嫉妬され(笑)、やってやろうと。初法廷は皆さんに目を向けられ気持ち良かった。評決時には達成感があった。父からは『大変なことをしたな』と言われた。大変だったねという意味だ(笑)。友だちには『人を殺したのか』と言われ、そういうことになるのかと思った。間接的に人を殺したことになっても後悔はしない、参加してよかった」(『裁判員のあたまの中』現代人文社刊)。

1-e1397901276348「僕らで人を殺したと考えられるので、精神的につらいものがありました」と振り返った20代の男性会社員の言葉を紹介する記事もありましたが(『朝日』当日夕刊)、どうにも浅く軽い印象がぬぐえません。この判決に関わった裁判員や補充裁判員がみんな同じ考えではないでしょうが、集団ヒステリーなのか厳罰論者が多いのか、被告を死に追いやることにさして躊躇を感じていないように見えます。楽しげにと言ってもよいような経験話を開陳している現実がここにはあります。しかしこの事実にマスコミはほとんど関心を寄せない。

0011780「控訴するな」を批判したマスコミもいません。自分たちが「死ね」と命じたのだから、黙って受け入れろという傲慢さはどこから来るのでしょうか。

1-e1397901276348早い時期から裁判員裁判は、隣人の処罰に躊躇のない人、説教したがるお節介者、妙な自信家、日当に惹かれた人などに支えられてきました。そこに誘い込まれ迷い込んだ数少ない超律儀者、国の命令に抵抗できない気の弱い人やお人好しが、自身の経験によって煉獄の苦しみに追い込まれ、迷える子羊になっています。「罪悪感を感じた」とか「心の負担の軽減」とか「一生苦しみが消えない」などというのはそういう「一部の人」に関する話なのです。福島地裁郡山支部で裁判員を体験して心の病に陥った元裁判員がその典型です。

001177この事実にもマスコミはまったく関心を寄せません。マスコミがそろって言うのは、「こころのケアをしっかりと」です。だが、具体的に言えば何をしろというのでしょうか。『朝日』は「裁判員候補者の6割が辞退している。負担の軽減や心のケアなどの課題はなお未解決」と言い(当日)、『読売』は「裁判員から『自分が殺すのと同じ。罪悪感を感じた』などの声が出ている。自分たちの判断が直接執行につながったという心理的負担は重いはず。精神面のサポートのためによりきめ細かなケアを」と言いました(当日)。

001181しかし、これまでに裁判員を務めた人の数は約6万人にのぼりますが、最高裁が設置したケアシステムを利用した人の数は僅か300人ほどに過ぎません。0.5%しかいないのです。マスコミがこぞってとり上げた「ケア強化」の声と実績の甚だしい乖離が示すものは何でしょうか。

1-e1397901276348第1は、やりたくない人たちはもう大半が出頭を拒絶し、今出頭する人たちの多くはマスコミが言うほどストレスを感じていないというそれ自体恐るべき事実です。第2は、ケアと言いケア強化と言うけれども、一体何をケアするのかという根本のところがまるで明らかにされていないということがあります。

001181「心に傷を負った人をケアするきめ細かな方法」とは具体的には何でしよう。何をすれば人はケアされるのでしょうか。すべてのマスコミはそのことに一言もふれません。
そこにこの話の基本的なウソがありますね。

150504-03そのとおりだ。あなたが殺したのではないというような超理屈を言うのか。あなたが殺したのには正当性があるとでも言うのか。神様のご加護をなどと言って抱きしめるのか。「ケア」の中身を一言も言わずに「ケア強化」を言うアホらしさをマスコミは少しでも考えて見ろと言いたい。

1-e1397901276348「ケア」強化論ほどのゴマカシはありません。そんなことしか言えないところに裁判員制度の終末の風景が見えます。『東京』の論調に沿って言えば、「自分が命奪っていいのか」という問いに対する答えは、「市民による判断反対」しかないということです。
と、まぁ本日は元旦ですから、この程度におさめておきましょう。

おたけび2ではでは、今年もずずいーっとよろしく。

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投稿:2016年1月1日