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6月6日付け『東奥日報』社説

 6月6日付け『東奥日報』社説「正しい刑事司法か検証を/裁判員制度見直し」は、久々にまともな記事。

 マスコミは、裁判員制度を批判するときはどこか腰が退けていた(裁判員制度宣伝の広告を出してもらってことを恩義に感じてかな?もちろん多額の宣伝費は税金です)。

     「裁判員制度の意義は認めるが……」

     「市民が参加するという意義を生かしつつ……」

     「よりよい制度に向けて……」

  しかし、この記事では問題を指摘した後、がつんと言っている。

「裁判員制度の定着ありきの論議では不十分。本当に目指すべきは、より良い裁判員制度ではなく、より良い刑事司法なのだ」

 まさに仰せのとおり!!

  社説  正しい刑事司法か検証を/裁判員制度見直し

  裁判員法施行から先月21日で丸4年が経過し、法務省の有識者検討会は今月中に、制度見直し意見を取りまとめた報告書を提出する。しかし、内容はあくまでも裁判員制度定着に向けた改善点を示すものとなる。果たしてそれで十分だろうか。

  裁判員制度によって実際に司法が国民のものになったのか。さらには、裁判員制度が刑事司法として正しく、有用な制度なのか。それこそが検証すべき優先事項ではないか。

  裁判員法は、3年経過後に検討を加えて必要な措置を講ずるよう付則に定めている。有識者検討会の検討はそれに基づくもの。3月に出された報告書案では、超長期化裁判は対象から外す、大規模災害の被災地住民は裁判員候補者としない-などを改善事項として挙げた。いずれも裁判員の負担軽減が狙いだ。

  今年4月、死刑判決をめぐり、裁判員を務めた福島県の女性がストレス障害になったとして損害賠償を求め国を提訴した。この一例を見ても、裁判員の負担軽減が必要なことは確かだ。

  だが、裁判員の負担抑制と交換に多くを犠牲にしたことの方がもっと問題だ。

  例えば、審理期間の短縮化へ、裁判官、検察官、弁護人が協議して証拠や争点を絞り込む公判前整理手続を導入し、特別の理由がない限り新たな証拠請求などはできない制限ができた。事前に決めた審理日程も基本的には変更しない。

  忘れてはならないのは、刑事裁判の主役は裁判員ではなく、被告人、被害者であるという大原則だ。

  当事者にとっては当該の裁判の行方が全て。えん罪は無論、不当な量刑は決して許されない。裁判員の負担の軽重よりも、裁判員制度で、法の下、公正で平等な裁判が実現しているかが問われなければならない。

  ところが裁判員制度は、誤判防止を目的には作られていない。報復や嫌がらせを防ぐため、裁判員経験者には厳重な守秘義務が課され、家族にすら生涯にわたって裁判の中身を話したりできない。したがって、評議などの妥当性を外部検証しようとしても不可能だ。 ある意味、刑事司法はかえって密室化した。

  国民参加と言いながら、国民が司法のあり方に責任を持つことができない。主権者として能動的に司法権を行使しているのではなく、裁判に動員されているのが実態だ。

  それでなくても私たち日本人は、沈黙は金、出るくいは打たれる、という精神文化の中にある。子どもの頃から法律に触れ、自律的に判断する訓練を積むよう教育制度を改めない限り、裁判員裁判は真に国民の意見を反映したものにはならないだろう。

  裁判員制度は欧米の陪審制、参審制とは異なる日本独自の制度だ。だからこそ原点に返り、裁判員裁判でよいのか一から考えるべきだ。裁判員制度の定着ありきの論議では不十分。本当に目指すべきは、より良い裁判員制度ではなく、より良い刑事司法なのだ。

懲りない人達HP

投稿:2013年6月12日