トピックス

トップ > トピックス >  「裁判員制度 注視を」  『東京新聞』

 「裁判員制度 注視を」  『東京新聞』

6月6日付け『東京新聞』読者からの投稿面の「ミラー」欄に掲載された投稿を紹介します。

「裁判員制度 注視を」
        NGO(非政府組織)勤務 越智信一朗 32 (東京都小金井市)

なんぼ聞いても1鳴り物入りで始められた裁判員制度は、多くの影響を国民に与え始めている。
5月21日付け社説は、裁判員に対する精神的ケアの拡充や国民がより参加しやすくすべきだと提案している。この考えは私には、国民の犠牲を必要とする制度への追従とも見えた。
一方、4月19日付け特報面「裁判員に心のケアを」では、裁判員が審理過程で事件当時の記録などを見せられ不快になった例が掲載されていた。
5月には、裁判員だった女性が「急性ストレス傷害」と診断され、国を提訴した。これらは氷山の一角にすぎない。

どんなにケアを拡充させても、精神的な場合では人の心を完全に元の状態に戻すことはできない。そのため、この裁判員制度は、常に国民に犠牲を強いるシステムといえる。なぜ国民に不人気だったものが開始されたのか。制度の目的は、国民が裁判に参加することによって司法への理解を促すことだ。
その背景には近年、警察・検察で多くの不祥事や冤罪が生まれたこと。あるいは判決の量刑に国民から強い疑念が注がれるようになったことが考えられる。そして、国は司法の信頼が崩壊する前に、国民を司法側に抱きこみ、それを担保にしようとしたのではないかとの懸念もある。

同時に、死刑判決も含めた判断を裁判員に担わせることで、もし冤罪と判明しても、その責任は私たちも共有する、一種の共犯関係になるということだ。国民はより注意深く、このシステムを見ていくべきである。HPそれでええやん

 

投稿:2013年6月29日