~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
神戸学院大学 内田博文
1.裁判員等経験者に対するアンケート調査
裁判員裁判が実施されたことを踏まえて、最高裁判所によって2種類のアンケート調査が実施されている。一つは裁判員等経験者に対するもので、2013年3月にその調査結果が「裁判員等経験者に対するアンケート調査結果報告書(平成24年度)」と題してまとめられ、法務省が設置した「裁判員制度に関する検討会」に提出され、公表されている。
裁判員経験者に対するアンケートの項目は、「(問1)選任手続期日等のお知らせ時期の適切さ」、「(問2)裁判員等選任手続について」、「(問3)審理内容の理解しやすさ」、「(問4)法廷での検察官、弁護人、裁判官の説明等のわかりやすさ」、「(問5)法廷での手続全般について理解しにくかった理由」、「(問6)評議における話しやすさ」、「(問7)評議における議論の充実度」、「(問8)評議の進め方(裁判官の進行、評議の時間、休憩の取り方など)についての意見や感想など」、「(問9)裁判員に選ばれる前の気持ち」、「(問10)問九で答えた理由」、「(問11)裁判員として裁判に参加した感想」、「(問12)問11で答えた理由」、「(問13-1)裁判所の対応(裁判所職員の対応、裁判所からの情報提供、裁判所の設備など)についての全体的な印象」、「(問13-2)裁判所の対応について感じたこと」、「その他の全般的な意見や感想など」となっている。
これらの項目のうち、問3-5については、次のような結果となっている。
「(審理内容についてー引用者)理解しやすかった」と回答した割合は、審理実日数が1日又は2日の場合、67.1%であるのに対し、審理実日数が6日以上の場合、45.1%となっている。自白・否認別では、「理解しやすかった」との回答が、自白事件において65.1%であるのに対し、否認事件においては50.8%である。」「自白事件において、「理解しやすかった」と回答した割合は、審理実日数が1日又は2日の場合に68.6%と最も高く、審理実日数が5日の場合に52.6%と最も低くなっている。否認事件において、「理解しやすかった」と回答した割合は、審理実日数が1日又は2日の場合、60.3%であり、審理実日数が長くなるにつれて、その割合は低くなる傾向がみられる。」
「検察官、弁護人、裁判官の法廷での説明等について、「わかりやすかった」または「普通」と回答した者の割合は、検察官が93.2%、弁護人が78.9%、裁判官が98.4%である。」「弁護人については審理実日数が長いほど「わかりやすかった」と回答した者の割合は低くなっているが、検察官及び裁判官については審理実日数の長短による顕著な違いはみてとれない。」「三者とも否認事件よりも自白事件のほうが「わかりやすかった」と回答し た者の割合が高い。」
「法廷での手続全般について、「理解しにくかった点はなかった」との回答は33.9%である。理解しにくかった理由については、「証人や被告人が法廷で話す内容がわかりにくかった」(18.9%)、「事件の内容が複雑であった」(15.2%)、「調書の朗読が長かった」(11.5%)、「証拠や証人が多数であった」(3.6%)、「審理時間が長かった」(2.5%)の順で高くなっている。」
「「法廷での手続全般について、理解しにくかった点があるとすれば、それはなぜですか。」との問いについて、「その他」を選択した2120名にその具体的内容を記述してもらったところ、・・・最も多かったのが、「専門用語がわかりにくかった」などとするものであり、以下「証人や被告人の声が聞き取りにくい」、「弁護人の主張がわかりにくかった」などとするものが続いている。」(同調査結果報告書17-23頁)
これによると、全体として弁護人の活動の方が検察官の活動よりは「分かりやすさ」、「理解のしやすさ」の程度が低いことがうかがえる。そして、そのことが前述の量刑における変化、の醸成にも与っているといえようか。すなわち、弁護人の活動が「分かりやすい」「理解しやすい」場合と「分かりにくい」「理解しにくい」場合とで量刑が大きく分かれるという点がそれである。ちなみに、検証報告書19頁は、弁護人の活動が「分かりにくい」、「理解しにくい」理由について、「基本的には被告人の弁解そのものの理解しにくさが・・・反映しているものと解される」と分析している。
検察官の活動についても、検証報告書によると、「検察官の活動については、弁護人よりは分かりやすさの程度は高いが、年々その比率が低下しており、低下率は法曹三者の中で最も高い。とりわけ、自白事件においてその低下が顕著であることは、…冒頭陳述の詳細化、書証への依存度の高さ等と関連しているのではないかと思われる。」(同検証報告書17頁)と分析されている点が注目される。
他方、問6-8については、次のような結果となっている(同調査結果報告書24-29頁)。
「(『評議における話しやすさ』はー引用者」)審理実日数別、自白・否認別いずれも各回答の割合に大きな差はみられない。」「審理内容が「理解しやすかった」、法廷での説明等が「わかりやすかった」と答えた層で(評議がー引用者)「話しやすい雰囲気であった」とする回答の割合がいずれも76%以上となっている。」「(理解しにくかった理由別にみても、評議が―引用者)「話しやすい雰囲気であった」とする回答の割合がいずれも60%を上回っている。」
「(評議における議論の充実度については―引用者)審理実日数別、自白・否認別いずれも各回答の割合に大きな差はみられない。」「審理内容が「理解しやすかった」と答えた層では「普通」または「理解しにくかった」と答えた層よりも「十分に議論ができた」と回答した者の割合は高くなっている。」「理解しにくかった理由について、「審理時間が長かった」と答えた層で、「十分に議論ができた」との回答が60%を下回っている。」「評議の話しやすさ別では、「話しやすい雰囲気であった」と答えた層の81.1%が「十分に議論ができた」と回答しているのに対し、「話しにくい雰囲気であった」と答えた層では、13.8%に止まっている。」
「評議の進め方について、気づいた点を自由に記載してもらったところ、・・・「進行が適切だった」とするものが最も多く、「裁判官の応対(接遇)が適切だった」とするものがこれに続いている。」
注目されるのは裁判員として裁判に参加した感想等問11及び12であるが、ここでも、次のようなアンケート結果となっている(同調査結果報告書32-35頁)。
「「非常によい経験と感じた」との回答が54.9%である。これに、「よい経験と感じた」との回答(40.3%)をあわせると95.2%になり、ほとんどの人が『よい経験』と感じたと回答している。」「審理実日数別、自白・否認別いずれも各回答の割合に大きな差はみられない。」「審理内容について「理解しやすかった」と回答した層では「非常によい経験と感じた」との回答が62.9%となっており、「普通」または「理解しにくかった」と回答した層より割合が14%以上高くなっている。」「「話しやすい雰囲気であった」、「十分に議論ができた」と答えた層では、「非常によい経験と感じた」と回答した者の割合が60%以上と、他の層よりも高くなっている。」「選任前の参加意向が積極的な層ほど、「非常によい経験と感じた」と回答した者の割合が高くなっている。また、選任前やりたくなかったと回答した層であっても、選任後は88.8%が『よい経験』と感じたと回答している。」「理由を自由に記載してもらったところ・・・裁判員に選任されたことを『よい経験』と感じた理由について、「普段出来ない貴重な経験をした、やりがいがあった」というものが最も多く、「裁判や裁判所のことがわかった。身近になった」というものがこれに続いている。」
以上が、裁判員経験者に対するアンケート調査の結果であるが、ここで気になることは、本アンケートにおいては、裁判員の経験を踏まえて裁判員制度の是非を問うようなアンケート項目はまったく見られないという点である。施設の利用者に対して施設利用上の意見・要望等をうかがうようなものばかりである。裁判員には施設利用者の地位しか認められていない。施設の存廃は裁判員経験者とは直接、関係のないことだということであろう。刑事裁判の在り方からみて看過し得ない、裁判員制度の是非につながるような、前述の裁判員裁判で大きく変わったこと、変わらなかったことについても、その是非を問うようなアンケート項目は除外されている。
もっとも、それも、当然のことといえるかもしれない。本アンケート調査の実施主体は、公平な第三者機関ではなく、マスメディアも大々的に動員し、多額の税金を使って鳴り物入りで裁判員制度を喧伝し、その実施・定着を図る側の大黒柱ともいうべき最高裁判所だったからである。与えられた裁判員への取組みでも「真面目(従順)さ」が発揮されたことが容易に想像されることに鑑みると、右のアンケート結果がいずれも「期待される回答」に沿ったものとなっており、想定外の回答は見られないことも容易に理解し得るところだといえよう。
2.国民・市民に対する意識調査
最高裁判所が実施したもう一つのアンケート調査は国民・市民に対するもので、2013年1月に実施され、調査結果が2013年3月に「裁判員制度の運用に関する意識調査」と題してまとめられ、これも同じく検討会に提出され、公表されている。
アンケートの項目は、「Q1 裁判員制度の周知状況」、「Q2 裁判員制度の周知媒体」、「Q3 裁判や司法への関心度」、「Q4 裁判や司法への関心度」、「Q5 裁判員制度が始まる前の刑事裁判についてQ4の印象を持つことになった原因」、「Q6 裁判員制度の実施により期待すること」、「Q7 現在実施されている裁判員制度の印象、裁判員制度についてQ7の印象を持つことになった原因」、「Q8 裁判に参加する場合の心配や支障となるもの」、「Q9 裁判員裁判の傾向について(執行猶予付判決における保護観察の割合)」、「Q10 裁判員として刑事裁判に参加したいか」、「Q11 刑事裁判や司法などに国民が自主的に関与すべきか」、「Q12 制度開始前・実施への期待・実施後の変化」などである。
ここでも、「模範的な回答」が寄せられている。「裁判員制度が実施されている」ことを知っているかを聞いたところ、「知っている」と答えた者が98.5%、「知らない」と答えた者は1.5%であった。裁判員裁判の内容についても、裁判官と一緒に有罪・無罪の判断や刑の内容(重さ)を決める制度であることを「知っている」と答えた者が97.0%、「知らない」と答えた者は3.0%であった。
裁判員制度が開始されてから、裁判や司法に対する興味や関心が変わったかをたずねたところ、「以前に比べて興味や関心が増した」と答えた者の割合は37.4%、「特に変わらない」は61.1%、「以前に比べて興味や関心が減った」は1.6%であった。
裁判員制度の実施により期待することを聞いたところ、平均点が最も高かったのが「裁判の結果(判断)に国民の感覚が反映されやすくなる」(3.97点)、以下、「裁判がより公正中立なものになる」(3.96点)、「裁判所や司法が身近になる」(3.88点)、「裁判がより信頼できるものになる」(3.87点)、「刑事裁判や司法など公の事柄について、国民の関心が増して自分の問題として考えるようになる」(3.81点)、「裁判の結果(判断)がより納得できるものになる」(3.73点)、「裁判の手続や内容がわかりやすくなる」(3.70点)、「事件の真相がより解明される」(3.65点)、「裁判が迅速になる」(3.59点)となっている。
現在実施されている裁判員制度について、どのような印象を持っているかを聞いたところ、平均点が最も高かったのが「裁判の結果(判断)に国民の感覚が反映されやすくなった」(3.67点)、以下、「裁判所や司法が身近になった」(3.59点)、「刑事裁判や司法など公の事柄について、国民の関心が増して自分の問題として考えるようになった」(3.54点)、「裁判がより公正中立なものになった」(3.39点)、「裁判がより信頼できるものになった」(3.39点)、「裁判の結果(判断)がより納得できるものになった」3.26点)、「裁判が迅速になった」(3.24点)、「事件の真相がより解明されている」(3.23点)、「裁判の手続や内容がわかりやすくなった」(3.23点)となっている。裁判員裁判で、保護観察が付された割合が裁判官のみの裁判より多くなっていることについて、「妥当だと思う」+「どちらかといえば妥当だと思う」は47.0%、「どちらかといえば妥当ではないと思う」+「妥当ではないと思う」は12.9%である。刑事裁判や司法などに国民が自主的に関与すべきであるという考え方については、「そう思う」+「ややそう思う」は51.7%、「あまりそう思わない」+「そう思わない」は20.4%である。
3.マスメディアの報道の強い影響
この回答には、マスメディアの報道の影響が色濃く投影されているといえよう。裁判員制度を知っている人に、何から知ったかをたずねたところ、「テレビ報道」をあげた者の割合が最も高く95.1%、次いで「新聞報道」が67.2%で、以下、「家族・友人・知人等の話」(15.1%)、「インターネット」(12.6%)、「ラジオ報道」(12.0%)となっているからである。現在実施されている裁判員制度について前述の印象を持つことになった原因を聞いたところ、「テレビ報道」が88.9%と最も高く、次いで「新聞報道」が64.5%で、以下、「インターネット」(13.5%)、「家族・、人・知人等の話」(12.0%)、「ラジオ報道」(11.1%)となっている。
マスメディアが醸成した漠然としたプラス・イメージに従って回答しているためか、「裁判が迅速になった」、「事件の真相がより解明されている」、「裁判の手続や内容がわかりやすくなった」など、最高裁の検証結果と乖離した回答となっている部分も少なからず見受けられる。
マスメディアが裁判員制度について「国策報道」の役割を担っていることからすれば、このような「模範解答」も容易に了解し得るところであろう。
ただし、本音の部分も透けて見える。裁判員として刑事裁判に参加したいかどうかについて聞いたところ、「参加したい」が4.7%、「参加してもよい」が10.2%、「あまり参加したくないが、義務であれば参加せざるを得ない」が41.9%、「義務であっても参加したくない」が41.9%となっているからである。できれば裁判員になりたくないが。義務とされるなら仕方がない。このような消極的、受動的な姿勢が垣間見られる。
現に、検証報告書によると、「選定された(裁判員―引用者)候補者の53.0~62.0%の者について辞退が認められている。」「調査票段階で認められた者が47.3%、質問票段階で認められた者が44.9%で、選任手続段階で認められた者は辞退者全体の7.7%である。」「選任手続期日前に辞退が認められた候補者が裁判員候補者全体に占める割合は平成22年以降増加している(48.4%、54.7%、57.7%)。」「出席率が制度施行直後の83.9%から80.6%、78.4%、75.7%と年々低下している。」「未だ短期間ではあるが、この間ですでに辞退率の上昇、出席率の低下という傾向が現れてきている。辞退率の上昇は、現在の事件数のもとで、書面審査による辞退の判断を柔軟な基準により行うという面が現れているということも考えられる。一方、出席率の低下は、現状ではさほど深刻なものではないとはいえ、この制度に対する国民の意識の端的な反映ともみられるものであり、今後の動向を注視して、対策を講じていく必要がある。」(同検証報告書5-8頁)と注視されている。
司法改革で標榜された国民における「統治主体意識の涵養」とは逆方向の「客体意識の涵養」の方向に行っているといえようか。
投稿:2013年8月12日