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「生駒市・主婦殺害事件」-インコによる公判後整理

 奈良県生駒市で2011年6月、元交際相手の母親(60歳)を殺害し、ばらばらにして遺体を山中に捨て、クレジットカードなどを奪ったなどとされる「奈良市・主婦殺害事件」。
 この事件の裁判・裁判員・被害者遺族について、公判後整理をしてみま030673した。

 

【裁判】

  強盗殺人・死体損壊・死体遺棄などの罪に問われた36歳の被告人は強盗殺人を否認。遺棄現場からは不自然なほど短時間で白骨化した遺体のそれもごく一部しか見つからず、凶器も発見されなければ殺害方法も死因も不明という事件。

 過去の「遺体なき殺人事件」を思い起こさせますが、遺体なき殺人で有罪になったのはたいてい容疑者や共犯者の供述が決め手となっています。しかし、今回の事件では被害者の一家と交流があった被告人は一貫して「被害者宅を訪れたときにはもう死亡していた。自殺したのだと思う」と主張。遺体を損壊・遺棄したのは自分が殺したと思われたくなかったからだと供述していました。

 9か月の公判前整理を経て、13年1月28日、奈良地裁としては過去最長の55日に及ぶ裁判員裁判を開始。260人の裁判員候補者のうち出頭者はわずか51人。選ばれなかった候補者の一人は、「選ばれた方はお気の毒」と語りました。

 裁判で弁護人は、直接証拠がほとんどないと指摘し、無罪推定の原則が厳格に適用されるべきだと主張。裁判所の訴訟指揮が注目され、「推定無罪」という刑事裁判の原理を裁判員たちがどれだけ理解できるかにも関心が集まりました。

 判決は3月5日。裁判所は、「遺体を徹底して損壊、遺棄したのは犯人と解さなければ説明できない」といともあっさりと強盗殺人を認定。「犯行は冷酷非情で非人間的」として検察の求刑どおり無期懲役を言い渡しました。

 状況証拠しかなかったり直接証拠が極めて少なかったりした時の事実審理は,薄皮を剥ぐような丁寧さで分析する必要があります。奈良地裁は「状況証拠による事実認定にあっては、被告人が犯人でないとすれば合理的な説明が極めて困難な事実関係が間接事実中に含まれていななければならない」という最高裁判例に本当に従ったと言えるのでしょうか。拍子抜けするくらい簡単に有罪と認定してしまったことに強い違和感が残ります。044507

 

【裁判員】

  5月25日付け『毎日新聞』奈良地方版は、同裁判で裁判員を務めた40代の男性の「苦悩を吐露した」言葉として、次の述懐を紹介しました。

 「多いときには週に4回裁判所に通った。仕事にも影響したが審理後や土日にも出勤した。ずっと気持ちが張り詰めていた。寝る前にも事件について考える日々が続いた。新聞記事をすべてスクラップし、刑法も勉強した。それでも確かな証拠が少ない中、素人が意見を出して判断するのは難しい。あれで良かったのか、判決をずっと背負っていかなければならないと思うと精神的にもつらい。今でも事件のことは気になる」 

 一方、裁判終了後の記者会見では、次のような発言もありました。

 「専業主婦で最近、社会との接点が持てていないと思っていたので、本当に良い経験でした」(女性)
「いかに考えずに生きてきたかがわかった。一つの物事には理由と結果があるということが理解できた」(54歳男性)

 このような状況に立ち会うことになっても、「久しぶりに世間の空気に出会えて良かった」などと喜ぶ人や、物事には理由と結果があるということも分からず54年も生きてきた人(?)に裁かれた被告人。

 また、殺害を否認する被告人をどう思うかと問われた裁判員は「本当のことを言ってほしいといつも思っていた。判決の今日もそう思ってすごく切ない」と告白しました。「殺していないというのはウソだといつも思っていた」と言うのですから、「推定無罪」はこの人にはわからなかったのでしょう…‰Ä‚̉ԉΑå‰ï2

 

【被害者遺族】

  極刑を望んでいた被害者の遺族は、「これだけの残忍で身勝手極まりない犯行なのに、なぜ死刑でないのか。検察官は極刑を要求して控訴してほしい」と強く非難し、被害者が公判前整理手続きに参加して、証人尋問もできるようにしてほしいとも要望しました。

 8月13日付け『MSN産経ニュース』によると、被害者の遺族は、今年8月24日に東京で開催される犯罪被害者支援のシンポジウム「被害者が参加して刑事裁判はどう変わったか」(主催「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」)に参加して、「公判前整理手続きの段階から被害者参加ができる制度に改められるべきだ」と主張するそうです。

 仮に有罪判断が正しいとしても、死亡被害者1人の事件で検察官が死刑の求刑を躊躇するのは、現在の刑事裁判の例としてはごく自然なこと。刑事裁判は、1人殺したら1人殺し返すというほど単純な報復の論理を貫くものではないのです。また、裁判所が検察官の求刑どおりの判決を出しているにも関わらず、「その量刑に納得できないと言え」と検察官に迫る遺族の言い方は、法律論として通るはずもありません。このような「不規則発言」がマスコミに登場するだけでも、司法が直面している病状を強く感じます。メディアの資質・姿勢も大きくレベルダウンしています。

 そもそも否認事件なのに、被害者遺族が裁判の途中に法廷に登場して「この人を重罰に処してほしい」と主張すること自体が問題です。いえ、たとえ被告人が罪を認めていても、被害者感情が法廷を支配することはあってはならないと思います。

 公判前整理への被害者参加や証人尋問権の付与の要望に至っては、もはや刑事裁判の根底的な崩壊です。このような議論を弁護士がリードするというのですから、法曹自身が法律の基本をうち砕くようなものです。もっとも最高裁が裁判員制度の先頭に立っているので、当たり前と言えばそれまでのことですが、ともかく尋常ではありません。

 刑事司法は裁判員制度をきっかけに崩壊の一途をたどっています。

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投稿:2013年8月19日