~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
『毎日新聞』が裁判員のストレスに触れた社説を掲載しました(8月14日「裁判員ストレス 判決後の配慮も大切だ」)。最高裁が、東京地裁の裁判員裁判担当裁判官たちの「配慮の申し合わせ」を参考にするよう、全国の裁判所に対し通知(8月1日『読売』報道)したことに対する論評です。
「配慮」とは、遺体写真のイラスト代用を検討してねとか、どうしても見させるのなら選任段階で候補者たちにそのことを予告しなさいねとか、不安を訴えた候補者はどんどん辞退させなさいとか、そういうことでした。
最高裁はこれを全国の地裁に伝達してすみやかな実行を迫ったのです。実情を言えば、外傷性ストレス障害にかかった元裁判員の国家賠償請求事件であわてた竹崎最高裁が、東京地裁の裁判官に緊急に「申し合わせ」をさせ、それを全国に紹介するという形で統制したお粗末話なのですが、これに対して『毎日』はいささか時機遅れの汗かき記事を掲載しました。
問題はその中身。まず、「裁判員に選任されれば、公正に職務を遂行する義務を国民は負う。だが、精神的に大きなダメージを受けてまで職務を続ける必要はない。全国の裁判官は、これまで以上に裁判員の心情に目配りしてほしい」と宣いました。
ですが、裁判員法は、「裁判員は、法令に従い公平誠実にその職務を行わなければならない」と裁判員の義務を無条件で言い切っていて(9条1項)、どこにも「精神的に大きなダメージを受けてまで職務を続ける必要はない」などと書いていません。そんな基準を敢えて提言する以上は、その理由・根拠に触れなければ物を言ったことにはならないでしょう(それとも「申し合わせ」が言っているので、とりあえず同じことを言ったというだけのことかな)。
職業裁判官はどんなに激しい精神的ダメージを受けても職場放棄は許されません。裁判員の場合はなぜそれが許されるのでしょうか。また、許されるのなら裁判員法9条はなぜそのことを明記していないのですか。そこに潜む不合理を突くのが責任あるメディアの矜恃でしょう。えっ? そんなプライドなんてもうないって?
「公判や評議での裁判員の様子に十分気を配る」「異常が感じられたら辞任を申し出るよう勧めることも考える」「判決言い渡し後も裁判員の相談に積極的に応じる」。『毎日』の論説委員の目には、東京地裁のこれらの「申し合わせ」は「常識的な内容」と映じるようです。最高裁は、裁判官は証人の証言や被告人の供述に意識を集中し、検察官や弁護人の発言や両者の論戦に気を配り、傍聴席の動静も絶えず注意し、その上で公判や評議の場での裁判員の様子にも十分気を使えというのです。
どんな様子が窺えたらどうしろというのでしょうか。そもそも「異常を感じる」状況とはどのような状況なのでしょう。必死にこらえている裁判員からはどう「異常」を感じ取るか。10分に1回は「皆さん、大丈夫ですか」と尋ねろとでも。福島地裁郡山支部の裁判員には「異常」があったという報道はありません。また、判決言い渡しのあと何ヶ月も何年も、転勤後までも、いえ、生涯にわたって元裁判員につきまとわれることを覚悟せよと言っているのですか。何から何までよくわからない。ほとんど「真っ暗闇よ」の世界ですね。そんなこと言われたってという現場裁判官の悲鳴が聞こえてきそうです。
社説は、「重い審理の体験を共有した者同士が連帯感を持ち得るような配慮が重要」との「申し合わせ」の指摘や「判決後に裁判官と裁判員が一堂に会して話をする機会を作る」提言にも共感を表明しました。おかしな話です。たまたま「くじ」で出会っただけの者同士がどうして連帯感を懐き合わなければいけないのでしょうか。「連帯感」なんて裁判員法のどこにも書かれていません。もしそれがこの制度の隠れた目的だとすれば、その「目的隠し」について、メディアは厳しく批判すべきです。
人につらい体験をさせておいて、つらい体験をしたのは自分だけではないと慰め合う「話し合い」って何ですか。この手の会合に集まった人たちは何を語り合うのですか。「みんなで話し合って彼を死刑台に送ったのだ。私1人で結論を出したんじゃない」と確認し合うと、何が解決するのですか。心の負担が軽くなる? 罪悪感を取っ払ってとんでもないことでもやりおおせる人間を増やすことは、悩む人がたくさんいること以上に恐ろしいと思いますね。
そもそも本当につらい経験をした人がどれだけ集まると思っているのでしょうか。この論説委員はお忘れのようですが、『毎日新聞』は昨年5月18日、裁判員経験者のアンケートを掲載しました。「判決後の記者会見で連絡先を提供してくれた全国の1250人にアンケートを送り、回答があったのは467人」。『毎日』の記者は裁判員経験者約2万8千人のうち1250人からしか連絡先を聞き出せず、連絡先を聞き出した相手でも37%しか回答をしてくれなかったのですよ。裁判官ともう一度会いたいとか、裁判員経験者同士交流したいというのは、本心から良い経験をしたと思い込んでいる1%の人たちしかいません。
「窮屈な守秘義務規定がストレスに関係しているのなら問題」「裁判員経験者に詳細な聞き取りをして見直しを検討すべき」。社説は「改善策」提言にはご熱心ですが、最高裁が守秘義務厳守の立場をかたくなに維持している理由には無関心を装っています。「秘密は墓場まで持って行き、国策司法にひたすら協力するのが国民の義務だ」という裁判員制度の背景思想を疑うことをメディアはなぜ躊躇するのでしょう。
結論。「裁判員から国家賠償請求訴訟を起こされるようなことは絶対に避けよ」「辞退希望者がまた増えても仕方がない」「血の海の写真は見せないことにするか、見てもびくともしないような人たちだけで裁判をやれ」。
最高裁がそんなことしか言えなくなったところに制度の危機が歴然化しているのです。最高裁のあわてふためく姿を活写し、鋭く批判するのでなければ、『毎日新聞』はやはり眉唾新聞かと言われます。日にちをあけてようやく社説を掲げた意味がこれでは何もありません。
投稿:2013年8月24日