~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
「名前を言う訳にはいかない女性に、内容を詳しく言う訳にはいかないが、わいせつな行為をして傷害を与えた。よって被告人を無期懲役に処す」と言われたらあなたはどうしますか。
裁判員制度と歯車をかみ合わせて登場した被害者参加を背景に、被害者の名前を匿名にしようという動きが盛んになってきています。「性犯罪の再被害(セカンドレイプ)を許さない」と、この一見もっともらしい口実で時代はとんでもない方向に暴走しようとしています。
子どもが見ず知らずの男に公園のトイレに連れ込まれてわいせつな行為をされ、写真を撮られた(と検察は言います)。しかし、検察は被害者の名前を示しませんでした。
裁判所は、これでは起訴内容が特定されていないとして、被害者の名前を明らかにするよう検察に命じました。検察が裁判所の命令に従わなければ、控訴が棄却されることになるだろうと観測されています。裁判所の姿勢はからくも健全ですが、果たしてこれからどうなるでしょうか。
被害者の氏名を匿名のままにしてよいのでしょうか。刑事訴訟法第256条第3項には、「公訴事実は、訴因を明示して記載せよ。訴因を明示するには、できる限り日時、場所、方法をもって罪となるべき事実を特定せよ」とあります。
訴因とは「犯罪の具体的な事実」のことです。検察官は、被告人が犯した罪の内容を明示しなければいけません。あいまいだと裁判所は裁く対象ががはっきりしないし、被告人や弁護人はどう防御するかをめぐって窮地に立ちます。訴因の特定は文字どおり裁判の命です。
怪我をさせた相手の氏名などを特定しなければ訴因の明示を欠くことになるというのは法律家なら誰でも知っている常識(大阪高裁昭和50年8月判決)。
少しでも考えればわかることですが、どんな犯罪も非常にプライベートな関係の中で敢行される超プライベートな行動です。私的な世界の中で犯罪は行われています。そして、こそ泥でもスリでも交通事故でも、被害を受けた人がそのことを自ら公にしたがることは普通ありません。人に知られることを望まないのは性犯罪に限らないのです。だから、被害者匿名論はここから際限もなく広がっていくことになります。
刑事裁判というのは、本来なら他人に知られることもなく、知られたくもなかった事柄を白日の下にさらして、このような事実が現実に存在する以上、罪を犯した者を刑務所に送り込みたいと言う国家の意思を理解してほしいと広く国民に了解を求める仕組みです。
秘密裡に犯罪が認定され、理不尽にも監獄や死刑台に送り込まれた痛恨の歴史経験の中から、国家権力が人を処罰する時には誰のどのような行為を問題にするのかを疑問の余地なく明確にせよという大原則に到達しました。裁判の公開の原則も同じ思想に立っています。
匿名化は、被害者保護の名の下に、この基本的な考え方に真っ向から挑戦します。被告人の人権を保障しながら真実を究明し必要な制裁を考えるという近代刑事法の思想をうち破り、密室・暗黒裁判の時代に逆戻りさせることになります。
これまでの常識が常識ではなくなり、「被害者の名前なんてわからなくてもいいじゃん」となる危険が生じています。裁判員裁判のもと、裁判所が、検察に歩調を合わせて、被害者の名前を明らかにしなくてよいと言い出す危険が迫っています。
被害者が望んでいないとして誰に対する犯罪かも分からず、被害者が望んでいないとしてどんな罪を犯したのかもよく分からないままに、被害者の家族と称する人が法廷に出てきて、あなたを糾弾する…
投稿:2013年9月3日