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等質の時代背景は等質のスローガンを作る =第2篇=

「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」のルーツとは? 

 15年戦争の間、この国の国民が見舞われた戦争国策のスローガンの嵐。それはそのまま裁判員制度推進スローガンになりかわるものです。「等質の時代背景は等質のスローガンを作る」はインコのお山に伝わる大事な格言。第1篇に引き続き、第2篇は大戦突入の年以降のもので、今度も改変バージョンはすべてインコ謹製です。第2篇に入ると、もう改変の必要なんてないスローガンが続出します。「やっぱりねぇ…」。いえ、これはインコの独り言。

 国策スローガン、発表組織、発表年、その年の重大な事件、そして裁判員バージョンの順序も変わりません。ではどうぞ。

「強く育てよ 召される子ども」 日本カレンダー株式会社 41年 東条英機「戦陣訓」
「強く育てよ 呼び出しに備える子ども」
*将来、裁判の途中で倒れたりしないようにね

働いて 耐えて笑って ご奉公」 標語報国社 41年 国民学校令公布
⇒はい、もうこのままですね。

まだまだ足りない 辛抱努力」 日本カレンダー株式会社 41年 生活必需物資統制令公布
⇒はいはい、このまま使わせていただきます。

国策に 理屈は抜きだ 実践だ」 日本カレンダー株式会社 41年 独ソ戦開始
⇒完全にそのままですね。

「国が第一 私が第二」 日本カレンダー株式会社 41年 ゾルゲ事件
⇒「国が第一 二も三も四もなく 私は第五」

任務は重く 命は軽く」 中央標語研究会 41年 真珠湾攻撃・日米開戦
⇒何をいうことありますでしょうか。そのまま使わせてもらいます。

「一億が みな砲台と なる覚悟」 中央標語研究会 42年 公共料金一斉値上げ
⇒「一億が みな法壇に 乗る覚悟」
*でもね、国会議員、法務省の役人、中央官庁の高級官僚、各自治体の首長などは裁判員にならなくてよく、弁護士や法学部の教授などはなりたくったってなれないんだよ。

足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」 大政翼賛会 朝日、読売、毎日 42年 シンガポール占領
⇒やっぱりこのまま使わせていただきます。
*出頭する裁判員候補者がどんどん減っている。裁判官は呼出に一層奮励努力せよ

「欲しがりません 勝つまでは」大政翼賛会 朝日、読売、毎日 42年 翼賛選挙饉
⇒「辞めません 裁判が終わるまでは」
*途中でリタイアする人は約13件に1人の割合。1つの裁判で3人が辞めちゃってあわやの事例も。

デマはつきもの みな聞き流せ」 中央標語研究会 42年 ミッドウェー海戦大敗
⇒そのとおり。このまま使わせていただきます。
裁判員制度で司法が良くなったはデマ…大嘘です。

見ても話すな 聞いても言ふな」 中央標語研究会 42年 米穀配給通帳制に
⇒断然、このままそのとおり使わせてもらいます。
*評議の秘密は墓場まで。もし漏らしたら…「裁判員 口が滑って 被告人」です。

デマに乗り デマを飛ばせば 君も敵」 台北州防諜連名 42年 新聞1県1紙に
⇒これもこのままで良いでしょう。
*裁判員制度に対する批判はすべてデマにしたい? でも憲法違反のオンパレードなのはデマではなくて事実です。

「買溜に行くな行かすな 隣組」 大阪時事新報社 42年 「海ゆかば」国民歌に
⇒「制度から逃げるな逃すな 隣組」
*最高裁長官、「隣組」という住民相互監視システムの復活を願う?

「長袖で敵が撃てるか 防げるか」 中央標語研究会 43年 ジャズ禁止 ⇒
⇒「あなたの感覚で尋問できるよ 裁けるよ」
*裁判員がトンチンカンな質問したらすぐ休憩が入るってのは有名な話

「嬉しいな 僕の貯金が弾になる」 大日本婦人会朝鮮北支部 43年 電力消費規制
⇒「嬉しいな 僕の有休 御国に納める」
*ありたけの 有休を使って 見せられる 裁判劇ほど 憂きものはなし。 見たくもない遺体の写真を見せられて。中にはずっと寝ていた裁判員というのもいましたね。

「分ける配給 不平を言うな」 大日本婦人会朝鮮北支部 43年 衣料簡素化実施
⇒「分ける選任 不平を言うな」
*出頭してきて何で自分が選ばれちゃったのって文句言ってもダメ。補充裁判員はさらに不満が溜まるんですって。補欠って辛いね。

「初湯から 御楯と願う 国の母」 仙台市役所 43年 学徒出陣開始
「初湯から いずれ裁判員と 願う母」
*そんなことあるわけないでしょ。

「アメリカ人をぶち殺せ!」 『主婦之友』12月号 43年 イタリア降伏
⇒「制度に反対する奴らをぶち殺せ!」
*婦人雑誌も過激です。

「米鬼を一匹も生かすな!」 『主婦之友』2月号 45年 敗戦
⇒「いらないインコを生かしておくな!」
*インコは、法務省・最高裁指定の絶滅希望種です\(^◇^)

 さあ、どうでしたか。裁判員制度のスローガンとして歴史に残るのは、「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」。キャッチフレーズとして、最高裁が2005年9月に「選定」したもの。ほかにも、「裁判に深まる理解 高まる信頼」や「活かしましょう あなたの良識 裁判に」だの「国民と司法のかけはし 裁判員制度」なんてのもありました。

  15年戦争に突入した後、真珠湾攻撃から最初の半年、大多数の国民は「神国日本が負ける」などとは思ってもみなかったということです。しかし、対米開戦から半年後のミッドウェー海戦で大敗、その後は連戦連敗でしたが、情報統制の中で敗走を転戦と言いくるめ山のようなスローガンを並べ続けて国民を欺きました。欺されていると気がついた国民も、特高警察の監視下で声をあげることができませんでした。そして広島・長崎への原爆投下の後、やっと国は負けを認めたということ。スローガンなど何の意味も持たず、完全に敗れ去ったのです。

 逆に言えば、スローガンを並べ立てたのは、国民の心を掴めなかったことを証明するようなものだと言ってよいでしょう。

 裁判員制度は、その実施前から多くの国民が反対していました。実施後も国民の不人気は変わらず、不出頭者は増え続けていますが、最高裁長官は「概ね順調」と言って制度の持つ問題を直視しようとはしません。マスコミも大本営発表を報道するのみです。ついには福島の女性が急性ストレス障害で国賠訴訟を起こすに至りました。これから何が起きて最高裁は白旗をいつ上げるのでしょうか。

 最後にもう一度、最高裁の選んだ裁判員制度のスローガンを見てみましょう。

裁判に 深まる不審 高まる不満  

活かしましょう あなたの良識 くじ逃れに

国民へ司法の裏切り 裁判員制度

私の視点、私の感覚、私の言葉で制度は廃止  

 猫掲示板

投稿:2013年9月18日