~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
弁護士 猪野亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
裁判員制度は、2009年より実施されていますが、国民の義務として制定され、これまでも多くの国民を動員してきました。
今年3月、死刑判決に関与した60歳代の女性裁判員がPTSDを発症したとして、8月、国に対し、損害賠償請求訴訟を提起しました。
「遺体写真見たくない! 当たり前のこと」
その第1回口頭弁論期日が9月24日、福島地裁で行われました。
読売の報道(2013年9月25日)によれば、そこでの国の答弁が非常に奇っ怪です。
「裁判員の職務は、司法権の行使に対する国民参加という権限で『苦役』ではない」
「裁判員は辞退や辞任が認められている」
答弁書そのものではなく、報道によるという限界はありますが、いかにも暴論そのものです。
何故、参加が権限なのですか。
裁判員法には「権限」などという規定はありません。出頭を命じる規定だけです。裁判員法にも規定されていない「権限」などという暴論を吐くとは、国としてあるまじき主張です。
権限だったら放棄できるはずですが、裁判員制度はそのような制度とは全く違います。
不出頭には科料という制裁すら科せられるのが裁判員制度なのです。
しかも、「権限」だから『苦役』ではない!?
この論理もメチャクチャです。「権限」であれば無断欠席しても当然に問題がないというのであれば、かろうじて成り立ちうる主張でしょう。「権限」というからには自分から進んで行使するという意味合いも含まれていると強弁することもできるからです。
しかし、前提が明らかに誤り。「権限」ではないのですから。
しかも、実際に残虐な遺体の写真を見せつけられるわけですから、これが苦役ではないなどという言い放つ神経が理解できません。
この事件を契機に裁判所では、これまでカラー写真で示してきた残虐な遺体の写真を白黒にしてみたり、イラストにしてみたりと「工夫」をしてきました。
大いなる矛盾。二枚舌。
しかし、これ自体、証拠に基づかない裁判であり問題外の措置。
それはともかく、裁判所は、遺体の写真そのものを見ることが裁判員にとって苦役であることを自ら認めているんですよ。
国は行政で、裁判所は司法。独立しているから主張は異なっても良いということなのでしょうか。
しかし、そのようなご都合主義的な主張が認められて良いはずがありません。
それとも、あなた方国のみなさは、平気で遺体の写真を見ているのですか。国側の訟務検事は本籍裁判官でしょうけれど、当然、遺体の写真などいくらでも見ていると思いますが。
職業上では平気で見ているでしょうが、それと同じ感覚で一般国民も遺体の写真なんて「平気」で見ているとでも思っているのでしょうか。
国の主張は、非常識極まりない発想です。
さらには、辞退や辞任が認められているという主張も暴論です。
裁判員法は、どこにそのような辞退を認めていましたか。ウソをつくのもいい加減んしてもらいたい。
むしろ、この事件があってからです。事前に残虐な写真があるから、それを裁判員候補者に伝え、広く辞退を認めるようになったのは。
もちろん、それ以前から裁判所は広く候補者の辞退を認めていました。
2012年度で57.3%の事前の辞退が認められていました。しかし、あくまで裁判所が認める必要があるというのが法の建前です。当然の権利として辞退を認めているわけではないのです。
それを言うに事欠いて、「裁判員は辞退や辞任が認められている」などというのは本当に大嘘つき。
国の主張は、いかにも自分の意思で裁判員にならない、あるいは裁判員を辞めることができるというものであって、鉄面皮そのものなのです。
それとも無断欠席にも制裁たる科料を科していないからとでも主張するのでしょうか。
それだったら、無断欠席でも制裁は科さないという周知(呼出状に記載する)しているなら格別、むしろ科料の制裁を明記しているのですから、国の主張は成り立つ余地がありません。
投稿:2013年10月1日