~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
原作:聖徳太子・超訳:インコ
憲法十七条(ケンパフジフシチデウ)
604年、推古天皇の時代に、聖徳太子が制定した17ヵ条の条令。群臣に垂示した訓戒で、和の精神を基とし、儒・仏の思想を調和し、君臣の道および諸人の則るべき道徳を示したもの。ただし、古くから後世の創作とする説があり、成立時期や作者を含め真偽は今でも問題になっている。なお、『日本書記』などの聖徳太子像は現在、虚構説が主流となっている。
裁判員法百十三条(サイバンヰンハフヒャクジフサンデフ)
ちょうど1400年後の2004年、小泉内閣発足直後の時期に制定された百と13ヵ条。裁判官と国民に垂示した訓戒で、国民は国のために身を捧げる精神を基本とし、必罰の思想と国法に従う生き方を深く身につけよと諭し、またそこに向けて上手に国民を指導するのが裁判官のつとめだと訓導したもの。ただし、制定当初から国民の支持を得られず、圧倒的多数の国民が後世に残せないシロモノだと叫んだことで知られる。
トーザイ、さてさて道中双六は第二篇裁判所大広間の段でござりまする。ん? 今度は文楽調になっちゃった。どうもなけなしのガクがじゃましてあかん。
【第十条】
忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。
忿を断ち憤りを表に出さず、ゆめゆめ発言を怒らざれ。一寸の虫けらにも五分くらいの魂は有るって。ドロボーだって三分の理が有るんだからね。血を見て平然の貴官よ、卒倒する裁判員もいると心得よ。PTSDに陥らせぬよう、国賠なんぞ起こさせぬよう、細心の注意をもって挙え。
【第十一条】
功過(こうか)を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず、事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。
裁判員を良い気分にさせたかやってられへんという気分にさせたかを明らかに察して、賞罰必ず当てよ。ひとり結論の中身だけで有能無能を判定する能わず。所長・所長代行ら宜しくその基準にて出世左遷を吟味すべし。
【第十二条】
国司(こくし)国造(くにつくり)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君なく、民に両主なし。
裁判官も総務課長も裁判員を丁重に扱い、断じて偉そうな態度をとるへからす(←濁らない)。あんたらが偉いんやない、この制度を決めたお方が偉いんや。裁判員があんたらを敬ってもしゃぁない、この国を思うその心持ちだけを大事にして帰らせるんやで。
【第十三条】
もろもろの官に任ずる者同じく職掌を知れ。あるいは病し、あるいは使して、事を闕(か)くことあらん。それあずかり聞くことなしというをもって、公務を防ぐることなかれ。
貴官、出産しおりしとか支部回りなりしとか、かねて諸事あれこれつかまつり候へども、事ここに至りたるほどには腹括りてこの仕事に専念すへし。空気読めぬままにしょーもない奴らを相手に七転八倒せにゃならん時もこれあり。されど事情いかにあれ「わからん」の一語のみは発すること許さず。みんな無理してやってんだから、ひとたび言ってみよ、現場は大混乱。
【第十四条】
群臣百寮、嫉妬(しっと)あることなかれ。われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。ゆえに、智おのれに勝るときは則ち悦ばず、才おのれに優るときは則ち嫉妬(ねた)む。
群卿百寮(裁判官たち)、嫉妬あることなかれ。おもてなし上手と隣部総括を嫉めば、やけに事件処理が早いと隣部総括から嫉まれる。嫉妬の患その極を知らず。我をおきて人はあらじなんて思ってる手合いばかり集まったって、基本がダメなんだから何やったってダメ(えーと、何の話だっけ。)。
【第十五条】
私に背(そむ)きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。上下和諧(わかい)せよ。それまたこの情(こころ)なるか。
私心をきっぱり捨てて、公のために尽くしなさい。裁判官も国民もです。そう、上も下も心を一つにすることだ。えっ、和諧号も脱線転覆したじゃないかって? 話を脱線させないで。つまり何よりも大事なのは協調と親和ですね。この国をよくするために1億火の玉になりましょう、なりましょう。
【第十六条】
民を使うに時をもってするは、古の良き典なり。故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。
民を使うに時を選ぶは基本のき、昔の人の良き教えなり。みんなもともとイヤがってるんだから、ますますイヤになるような時に呼び出したりしたらアカン。年末とか年度末とかはできるだけ避けようぞ。それを外して裁判所も結構気を使ってくれてるんだと思わせるところが大事なんよ。
【第十七条】
それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むへからす。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。故に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。
それ事件は独り断むへからす。必ず裁判員とともによろしく論うよう雰囲気作りに精を出すへし。裁判員にはみなで論じて出した結論だって言うのんよ。そうすれば判決はいかにもリクツにかなっているように聞こえるもん。それでも気にする裁判員には、みなで出した結論だから責任を感じるには及ばないと諭(さと)すへし。
さぁさぁさぁさぁ、
一度に晴るる胸の内、空に知られし上野の仇討ち、武名は世々に鳴り響く、伊賀の水月影清き、今に誉れを残しけり
投稿:2013年10月17日