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福岡・第14回裁判員制度はいらない!市民集会&デモ 

 9月29日、福岡で裁判員制度に反対する集会とデモが行われました。この集会とデモに、「裁判員制度廃止インコ」さんが参加してくれました。福岡でデビューした「廃止インコ」さん(ちなみに「いらないインコ」のデビューは東京・有楽町)は、 5年ぶりの里帰りとなったそうです。
 
以下は、「裁判員制度廃止インコ」さんの報告です(超長文です)。

 こんにちは。裁判員制度廃止インコです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA遅くなりましたが、福岡での集会とデモの報告をします。なお、ブログ「白い狼のため息」にも書かれていたとおり、集会は某党派のS弁護士の妄想とそれを盲信する人たちによって妨害されましたが、そんなことにめげるような「追求する会」と廃止インコではありません! これからも制度廃止まで頑張ります。

第14回裁判員制度はいらない!市民集会
主催:市民のための刑事弁護を共に追求する会
日時:9月29日午後1時30分から午後3時30分
場所:福岡市中央市民センター

司会あいさつ:李博盛弁護士OLYMPUS DIGITAL CAMERA
 
みなさん、こんにちは。私は「市民のための刑事弁護を共に追求する会」の事務局を務めております弁護士の李と申します。「追求する会」が主催する第14回目の集会です。事前のチラシあるいは案内では、今日、講師として東京の弁護士で裁判員制度廃止運動の中心的な存在である高山俊吉弁護士をお招きすることにしておりました。まず、お詫び申し上げなければならないことは、高山弁護士はこの会場に今のところお見えになっておりません。高山弁護士が今日、そっと顔を出していただけるのかなと期待しつつ、今日の集会を進行させていただきます。重ねて今日の事務局の行き届かないことをお詫び申し上げます。
 さて、冒頭で、「追求する会」の共同代表であります渡辺冨美子元弁護士から開会のあいさつをいただきます。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA開会あいさつ:渡辺富美子共同代表
 みなさん、こんにちは。本当にお久しぶりです。1年ぶりです。予定していた講師がお見えにならなかったことについては本当に深くお詫びいたします。せっかくの機会ですので、ここに集まった者たちが日頃考えていること、行動していることなど、いろいろな情報交換と質疑応答などでこの機会を活かしていきたいと思います。
 なお、みなさん、ご存知のとおりインコちゃんが飛んできてくれているので、暑い中、ありがとうございます。
 最初に討論の糸口として、この頃、私が考えていることを少し話させてください。

 裁判員裁判は2009年5月に始まり、もう4年半が過ぎました。制度の矛盾は多々出てきておりますが、制度廃止に向けての政治的見通しは残念ながらはっきりしません。一方、安倍政権の軍事治安国家作りは恐ろしいほどの急ピッチで進んでいます。新聞を見るたびに戦慄が走るような恐ろしさを正直なところ感じています。このような状況下で私は、どう反対運動をしたら良いのだろうかと、正直、途方に暮れるような気持ちです。そこでかんがえたことは改めて自分がこの制度に反対、裁判員制度はいらないと考えた出発点に戻って考えてみようということです。

 私が考えてきた裁判員制度反対は、大きく2つの側面があります。
 1つは、裁判員法の内容と仕組みです。「司法の民主化」というキャッチフレーズに本当に向き合ってきました。私は、自由民主主義といっても自由も民主主義もごっちゃにしてるような人間でした。斎藤さん(斎藤文男九州大学名誉教授)のお話しでは、裁判員制度は自由と人権を守るべき司法制度の仕組みを完全に崩す内容になっているということでした。

 もう1つの側面は、裁判員制度の背景、どのような時代が裁判員制度を醸成しているのかということです。直接的には経済界とアメリカ合衆国の要求、圧力から司法制度改革が始まり、その一環として裁判員制度がありました。ソビエト体制の崩壊、冷戦体制の崩壊に伴う日米軍事同盟の変化と、資本主義経済体制の現段階というか新自由主義体制への構造改革の一環なのです。資本の活動に邪魔になる仕組みをすべて取り除いていこうということです。1990年後半から始まりましたが、一番華々しかったのはあの小泉さん(小泉純一郎元総理)です。ご承知のとおり、アフガン、イラク戦争の中で、自衛隊の海外派兵を行い、教育基本法を改悪し、ここに上げることができないほどの治安立法を矢継ぎ早に制度化していき、実質改憲と軍事治安体制の強化と合わせ鏡にこの裁判員制度はできました。

 2001年の司法制度審議会の答申があり、2004年度にこの法律は制定されました。当時から高山さんをはじめ、「裁判員制度はいらない」という運動を展開してきたのですが、残念なことになってしまいました。
 私たちの集会は、第14回になりますが、繰り返し裁判員制度と戦争、死刑、憲法の関係を多面的に問題にしてきました。今、さらに厳しく問わなければならない現状になっていると思います。資本主義経済の元では利潤が拡大し続ける、いわゆる経済成長していかなければ潰れるのです。グローバル化した経済資本体制は世界のあらゆる国、地域、アメリカでもデトロイトなどもそうでしたが、とことん収奪し尽くすのです。

 IMF、国際通貨基金などを利用して否応なしに新自由主義体制を導入させられているのは、アフリカでもアジアでも各国の実情です。これを国内的に見ると、本来、国の任務であるはずの国民、庶民の福祉や公共サービスなどをとことん切り捨てながら、危機に陥った資本擁護のためにそれこそ全権力を動員して社会の仕組みを変え、税金を止めどもなく注ぎ込んでおります。軍事産業、原子力産業もその中核です。リーマンショックのときもそうでした。今、また、東京電力に注ぎ込んでいます。

 安倍総理は、積極的平和主義と言いながら、アジアに対し軍事力を持って臨む日本にしようとしています。ニューヨークでのあの傲慢な演説に多くの人はゾッとしたかと思います。
 
そして、アメリカの軍事体制の元に組み込まれているとは言え、名実共に日本の帝国主義化政策ではないかと思います。今国会でも秘密保全法や国家安全保障会議設置法案などが上程され、だれも反対する勢力、阻止する力がない中でほぼ通っていくでしょう。
 
今、私がいる日本はこんな時代です。

 逆に言えば、裁判員制度に担わせようとしている国家の意図は非常に分かりやすくなっていると思います。庶民を国民として再組織化する、これは私がそう思うのですが、排外主義、ナショナリズムに充ち満ちた国民として再組織化していく。そして、統治意識を持たせ、国策に積極的に協力させ、異論を言う者を排除し、構造的に社会が生み出さざるを得ない一定の階層をどんどん切り捨てていっています。国際紛争という名の戦争、3.11などの災害、あるいはオリンピックなどを利用して、ナショナリズムを排外的に煽り、社会の仕組みを強引に変えつつあるとも言えると思います。

 主権者と言われても国民は、一人ひとりは、また集団としても権力行使はできないのです。それをあたかも持っているかの如く思わされ、統治に積極的に加担し、隣人と競争に競争を強いられ、異端者、少数者を排除していく。そのようなことはできません。だからこそ、この国の施策、裁判員制度に反対し抵抗しているのだと思います。
 原子力発電、あるいはオスプレイ配備などいろいろな課題について、多様な運動が多様な形態で組まれています。私たちの力は異議申立の行動やそれを支える個々人の思想だけです。そのような中で運動する者の内部でもいろいろな矛盾や軋轢が出てきます。それでも私は身体を動かして意思表示を、抗議の行動をしていくこと、それを通じて国家に対する問題意識も共有できていくし、違いは違いとして乗り越えていくのではないかと思います。

 今日はせっかくの機会ですから、この集会もそのような場としてほしいと思います。
 少数の集会ですので、逆に率直な運動上の疑問も何でも出せる場になりましたので、李事務局長も言われましたが、筋書きはありません。何でも自由に発言していきましょう。

司会:李弁護士
 
後から入場された方もおられますが、本日、講師を予定しておりました高山俊吉弁護士が出席されないことになっております。高山弁護士の話をぜひとも聞かれたいということでここにお見えの方には本当に申し訳ありません。先ほど、共同代表から話がありましたのは、今日は自由な討論で裁判員制度を中心に、それぞれのみなさんの関わっていることや思いを話ししていただき、本日のデモ行進、そして次回の集会へ繋げていきたいと考えております。

 今日、まえだけいこさんから「裁判員制度が死刑制度を強化する」というペーパーが準備されております。このためにという訳ではないのですが、ここから今日の口火を切ってもらいたいと思いますので、「死刑廃止・たんぽぽの会」まえだけいこさん、よろしくお願いします。

報告「裁判員制度が死刑制度を強化する」:まえだけいこOLYMPUS DIGITAL CAMERA
 
ご紹介いただきました「死刑廃止・タンポポの会」のまえだけいこと申します。
 
「死刑廃止・タンポポの会」は1987年、福岡で死刑廃止運動をするべく結成された市民グループです。私たちは25~6年ほど活動を続けてきたことになります。
 私たちは死刑廃止の声を福岡から上げるということで、福岡拘置所の未決囚、死刑判決を争っている人との交流を続けてきました。面会、差入れ、文通などといったことです。やはり、勾留が長い人は精神的な問題からトラブルになり、交流ができなくなった人もいますし、死刑が執行された人もいます。いろいろな交流がありましたが、やはりえん罪であろうとなかろうと死刑は執行されてはならない、命を奪われてはならないと思います。

 「タンポポ」では『わたげ通信』という機関紙を年4回ほど発行しています。よろしければ送らせてもらいます。
 また、年末には福岡拘置所の死刑囚に対して、千円ずつ餅代のような形で差入れをしています。中には「入りません」と断られる方もいます。そういう人間関係を作るのがイヤだという感じです。

 私は、3~5分の予定で喋るつもりでしたが、時間があるようなので「タンポポ」の紹介をさせてもらっています。よろしいですか。

 今、私は、宮崎の3人殺し、最高裁で争っている人と交流しています。手紙でのやりとりです。その方は、手紙を読む限りは、優しくて思いやりがあって、どちらかといえばぼーっとした天然タイプの方です。報道を見ると、子どもまで殺していて凶悪犯というイメージで、今度、面会を予定しているのですが、実際に会うとどんな感じかなと。報道に接するとどうしても不安になるのですが、今までの面会の経験からすると、彼らも人であるということです。人を殺すという極限状態の中で、その瞬間は普通の人ではなくなっているんですね。会えば普通の人だとわかっていても、死刑囚ということでこちらも構えてしまうのですが、話をすると本当にそんな大したことはないと思います。まあ、暴力団関係の人は違います。そういう生き方をしているのだと思います。

 今、その交流している人と面会したいと思っているのですが、「タンポポ」の会もお金がなくてですね(笑)。カンパ要請です。宮崎に面会に行くのに、お金どうするべーと思っているので、もし、よかったらカンパなどもお願いいたします。
 何の会かわからなくなってきました(笑)。

 「タンポポ」は『わたげ通信』では行動の報告、例えば執行があれば抗議行動を行い、ビラ撒きをしますのでその報告を行い、また、面会にいけばその結果を報告します。私たちは死刑に対する情報をみなさんに提供することができますので、ぜひ、支援していただきたいと思います。

 10月10日は世界死刑廃止デーということで、この日、「タンポポの会」としては、「福岡事件から見た死刑制度」という集会を行います。講師は八尋光秀弁護士で、午後7時から場所は「ボランティア交流センターあすみん」です。平日の夜ですし、いつも5~6人だったらどうしようと思うのですが、結構、みなさん関心を持って集まってくださいます。この中からもきっと何人かは来てくださると信じていますので、よろしくお願いいたします。
 
お願いばかりが多いですが、これも市民グループならではのものだと思ってください。
 
これで「死刑廃止・タンポポの会」の紹介を終わらせていただき、本題である「裁判員制度からみた死刑制度」に入らせてもらいます。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 裁判員制度が導入されるとき、いろいろな意見がありました。政府から、日弁連から。「何でいまそんなものを導入するんや」「一般市民の感覚が今の裁判所には欠けちょるんや」と言われて、裁判員制度が導入されることになったと聞いて、私は,これは死刑が増えるんやなかとと思いました。

 一般市民の感覚を考えたときに、「命は大切」「人は殺しちゃいけん」と言いながら、子を殴る親、殴る教師、躾には暴力が必要という感覚がこの国には染みついていると日ごろ感じているからです。裁判員制度に素人が導入されるということは、そういう感覚が導入されるのではないか。つまり「お前、死刑」という感覚が増えるのではないかと思っていました。

 でも、「素人が恐ろしくてそうそう死刑判決など出されん」という意見も聞きました。それこそ、裁判員制度を導入すれば素人は死刑判決を出さないという意見が勝ったんですかね。それとも死刑制度のことなど無視されたまま導入されたんですかね。細かいところは私にはわかりません。

 実際に数字を出してみました。
 2005年から今日まで。裁判員裁判では2010年11月16日に初めて死刑判決が出されたのですが、今年の9月までに裁判員裁判で死刑求刑は27件、死刑判決は20件。それ以前を見ていると、05年が死刑求刑24件(死刑判決13件)、06年が22件(13件)、07年が21件(14件)、08年が12件(5件)と、死刑求刑が結構多かったんですね。判決も結構な数字です。

 裁判員制度が導入されてどうなったかというと、死刑求刑自体が減っているが、10年が求刑が5で判決が3、11年が10件で9、12年が6件で3、13年が6件で5、12年は半分と少ないですが、死刑が求刑されれば死刑になるという感じです。

 ついでに無期懲役も調べてみました。
 2010年は無期懲役の求刑は1件でそのまま無期判決、2011年は34件の無期懲役が求刑され33件の無期懲役が言い渡され、12年には27件の求刑に対し28件の無期懲役判決が言い渡されています。それ以前の無期懲役件数は調べられなかったので、比較はできないのですが、無期懲役は多いと思います。
 それと死刑求刑とを考えると、判決自体が重くなっていると思います。
 
もう少しきちんと調べれば良かったのですが、この2~3日でバタバタとしたもので、すみません。

 結局、裁判員制度は素人を入れるということで、死刑にするのか無期懲役にするのかという判断をさせること事態が重いことです。そこで、「無期懲役、一応、殺さないよ、命はあるよというところにすればいけるんじゃないか」と、お上は考えたんじゃないですかねぇ。少なくとも私はそう思っています。

 死刑求刑は少ないが確実に判決は取りに行っている。裁判員たちは、裁判官に「死刑だ」と言われたら「判例的にそうなんですか」と聞くみたいです。そこで「判例では死刑だ」と言われたら仕方がない。そのまま死刑に流れてしまうと現場からは聞いています。
 ですから私は求刑の数が減る分、死刑判決の確率は高くなっていると結論付けました。
 無理やりじゃないですよね。この数字をみたら。

 ちなみに死刑執行がどうだったかといいますと、2005年が1、06年が4、すみません。人の命を数字で言うのは好きじゃないですが。07年が9、08年が15、09年が7、2007年と08年が突出してますけれど、これは第1次安倍内閣の長勢甚遠法務大臣が10人殺しています。そして福田政権の鳩山邦夫法務大臣が13人殺しています。本当にこの時代はひどくて「死刑廃止の暗黒の時代」と言っていますけれど。ジョークにならない話を鳩山さんは言っていました。ベルトコンベアー発言。死刑囚を荷物のように「ベルトコンベアーに乗せて順番にやってしまった方がいい」と。彼は「法律に則って」と言いたかったのでしょうか、いろいろと揶揄もされ、でもかわいそうじゃないですよね。それに「その通りだ」と応じる人もたくさんいたようです。実際に死刑執行がこれだけ行われているということは、戦後すぐの混乱期以降以来だと思います。

 では、裁判員制度が導入されてからはどうかというと、2010年は2人、11年は0、2012年は7、13年が6となっています。11年の0の後、この2年間ですでに13人の執行が行われているのです。あっという間にベルトコンベアーの時代を通り過ぎてしまうかもしれないという危機感を私は持っています。
 圧倒的な国家の暴力性、これに身がすくむ思いです。

 さらに悔しいことに、毎年1人から2人、獄死という形で死刑囚が死を迎えています。その死の報道は死刑執行の報道に比べてはるかに小さく、ほとんどの人が知ることも無く、無縁仏になる方もいます。
 
この獄中というのはすさまじい状況で、死刑囚に限らず勾留されている場というのは衛生的にも悪いし、鍵をかけられているだけではなく、いろいろな不自由があります。
 それにも関わらず、「死刑を廃止するために終身刑を導入したらどうか」という話がありますけれど、これには私は反対です。少なくとも、今の日本で終身刑、死ぬまで出さないということになれば、今の無期に加えて終身刑があり、死刑は残っていく、厳罰だけになると思います。今のこの国の人権感覚から見て、先に終身刑に飛びついて死刑廃止をというのはどうかなと思います。そういうことを言う人にはまず獄中処遇改善の運動をやってもらいたいと思います。ここで言うのもどうかと思いますが。
 
すみません。もう日ごろ思っていることを全部ぶちまけてしまって。

 一般市民の感覚について、お話しします。
 今年、裁判員制度見直しということでいろいろと書いています。先日、『朝日新聞』の記事について、「追求する会」の会議でも読み合わせをしたので紹介します。

 4年で3万9000人が裁判員や補充裁判員を務めて、そのうち171人が死刑判決に関わったということらしいです。17件の死刑判決に関わった裁判員経験者に取材をしていろいろな言葉を引き出しています。

 「相手の執行のことは知りたくない」「執行の報道があるたびにドキッとする」「結局、自分は人殺しだ」などと書かれています。「テレビを見ながら、こいつ死刑だ」というのとは全然違うということです。これは経験したものでないと全然わからないことだと。職業裁判官でもないのに死刑の重さを背負いきれないのではないかという記事もありました。

 そうかと思えば、『産経新聞』は、「もっと工夫して簡略化した裁判を求める」という記事を出しています。「評議に要した時間が当初の予定より1.4倍くらいになっている」とか、「審理が長期化している。簡略化してもっと簡単に終わるというのが裁判員裁判ではなかったのか、これは問題だ」とこういう論調でした。

 審理でカラー写真を見て急性ストレス障害になって国を訴えた女性がいらっしゃいました。その方のこともちらっと書いてありました。

 国賠までいかなくても、血の海、ちぎれた身体などの写真は、ドラマとは違う臨場感で撮られていると思いますので、衝撃は大きいと思います。しかもどういう風に殺した、殺されたと蕩々と聞く訳ですから。それを聞きながらその写真を見ると言うことは、その場に自分がいるような思いになるでしょう。『産経新聞』はそれらの問題をさらさらっと流していました。

 それと「暴力団関係者の公判を対象から除外する」という議論が進んでいると書いてありました。決まったとは書いてなかったですね。

 裁判員法では、「裁判員に危害が及ぶ恐れがある場合は裁判官だけで審理する」とありますので、これをもっと運用できるのではないかという声が上がっているんですね。裁判員裁判では裁判員は相手、被告人やその関係者に顔を見られてしまう。相手が暴力団だった場合、恨みとか敵討ちに合うんじゃないかと思う。自分で死刑判決出しておいて、そんなこと恐れるんじゃないよと思うけれども、やはり素人なんですね。その日だけ裁判官の人にとっては、そんな重荷は背負いきれないはずなんです。そんなこと、最初から分かっていたはずなんです。それを今になって新聞は書いてみるという感じですかね。

 アンケート会社の記事があります。実は私、ここのアンケート会社の会員です。
 
自分が受けたアンケートについては、守秘義務があって言えないのですが、たまたまアンケートしなかったので、良いかなと思うのですが。

 リサーチパネルという会社が行った「裁判員をやりたいか」というアンケートですが、人数がすごいです。回答者数3万7110人です。ネットですが、それ以上の人に配っているということになります。

 「裁判員をやりたいか」に思うという人が19.3%、思わないが79.5%、裁判員制度を知らない1.1%、まあ呑気な人がいます(笑)。やりたいと言う人が10人に1人いる。死刑判決を出したい、自分が死刑だと言ってやりたいという人が結構いるんです。そこが脅威です。

 やりたくないという人でも、「仕事が忙しい」とか「人のお手伝いなんて余裕がないです」とか、ものすごく軽い、真剣に考えないで軽いノリで「やれない」と答えている。軽いアンケートだと思うのですが、これが現実じゃないですか。

 候補経験者からの声としては、「一度裁判員候補で一年間過ごしたが、送られてきた小冊子を読むと、責任は大きく、拘束期間も長い。勤め人が気軽にできるものじゃない」と書いている。
 
この軽い書き方、このアンケートを掲載した『瞬刊!リサーチ』は裁判員制度推進派なんですかね。

 やはり、『朝日新聞』が書いていたように、人の命を扱うということは自分がボタンを押すわけではないけれど、人殺しになってしまうということがたまらないというのは、ちゃんと想像力を持っていろいろ考えて。まあ『朝日新聞』に出てきた人は経験者ですから違うのかもしれません。

 私は、ツイッターとかよくやるんですが、死刑執行があったときには抗議の文章をガンガン入れるんです。そういったときに来る反応というのは、「お前、家族が殺されても死刑と言わないのか」とか「オウムはどうなんだ」とか、やはりいろんなことを言われます。「国家に殺されたくない」とかお行儀の良いことを言いますし、「殺したいよ。でも、この手で八つ裂きにしてやりたい。そうじゃないでしょ。それに殺した人の家族はどうなる。やはりイヤだ」とか真剣にやり取りをするんです。ツイッターでも話をしていくと、深いところまで話ができる。「実は遺族だった」とか。

 私は、死刑廃止運動をやっている中で、裁判員制度廃止運動に取り組んでますけれども、やはり死刑制度を補完する、強化するのが裁判員制度だと日常的に思うようになりました。知り合いが候補として呼ばれるということは少ないですが、1件でもあれば、考える切っ掛けになると思うんです。自分のことにいかに引きつけて考えられるかということは人間として問われるのではないですか。でも、今の時代はそういうことを考えないように、とりあえず今、目の前にあることだけで楽しめるように、刺激を楽しめるように持って行っているのがこの裁判員制度で、ゲーム感覚で人を裁けるようなシステムだと思うのです。結果的に、やっていることも人間を駄目にしていっている、駄目というのもおかしいけれど、考えないようにしていっている。裁判員制度を打ち崩さなければ、死刑制度も倒れないと思っています。
 以上です。

司会:李弁護士
 
まえださん、ありがとうございました。
 
今の話を受けてご意見がある方、どなたでも構いません。この裁判員制度と死刑について自由討論ですから、思ったことをそのまんま、おられませんか。

 以下、自由討論。なお、インコにはお名前がよくわからないので、わからないところは女性、男性としか書いておりません)

 女性:質問。アンケート会社ってどんな会社ですか。

 まえださん:リサーチ・パレードという会社ですが、企業に頼まれたり、内閣府から頼まれたり、いろんなところから、アンケートを専業でやっているんです。ネットアンケートはものすごくたくさんあるんです。職業、年齢、性別、趣味など別に毎日いろんなアンケートが送られてくるんです。それに答えるとポイントがもらえて換金できたり、商品に替えたりすることができるんです。

 女性:みなさん、ご存じでしたか。

 男性:アンケートに答えたら商品がもらえるというのはありますね。

 まえださん:基本的にはマーケティングなんです。リサーチですね。どういった商品が売れるかとか、それに合わせて商品開発する。その商品は旅行とか、ものすごく幅広いんです。それで死刑とかもアンケートになっています。

 男性:商品って商売じゃないですか。裁判員制度って商売と結びつくんですか。

 まえださん:依頼したところが、内閣府だったり、マスコミだったりというのもあるんだと思います。

 男性:私たちの思いつかないようなところで利益が出ているのかも知れません。裁判員制度で六法全書が売れるとか。

 まえださん:政府や政党などもリサーチすることで、市民が望むような施策をとりあえず言ってみるとかはするんです。裁判員制度開始前も散々リサーチがありました。情報戦ですね。

 李弁護士:三上さん、どうですか。

 三上さん:北九州から来ました。去年の5月の裁判員制度反対集会に行ってのち、横断幕も開いてなくて、全く実際的な行動ができていません。ほんとに、先ほど、渡邊さんが仰ってたように、日本の国がなんとも言えない方向に、こんなにも簡単に動いていくものなのかと。嘆き悲しんではいてられないのですが、なかなか気持ちが明るい方向に行くのが厳しい。その中でも裁判員制度は、教科書に載せて教育の場でも出ている、子ども達に裁判に制度を教えているというニュースで見て、腹立たしい思いをしました。

 ほんとうに何ができるのか、何をやったらいいのかと思わない訳ではないのですが、なかなか道が開けていないというのが私の今の状況です。
 
ほんとうに止めてほしい。こんな制度はほんとうに潰れて欲しい。それが今の気持ちです。

 男性:私はさっき、渡辺さんの話を聞いて、胸がドキドキしてきました。新聞なんかでは、安倍さんがいろんなことをやるのを腹立たしく思いながら、一つひとつ進んでいるんだなとしか受け止めない。先ほどのお話の中でIMFの世界経済への関わりなどの見方が、私なんかはユーロ危機がどのように進んでいるのかなとかばかりに気を取られ、それがどういう風になっているのか知りたいということばかりで記事を読むもんだから、渡辺さんが見られたような視角から見ることがなかったなぁと。それがどっきりしたんですが。今日は改めて、これは毎度なんですが、頭を殴られたような気持ちで話を聞いていました。ありがとうございました。

 男性:死刑制度について、世界中で死刑廃止が進んでいる中で、日本の場合はちょっと特殊じゃないかなと思っているんです。ユーロの場合は、ユーロに加盟する条件の中に人権問題、死刑が存置されていれば絶対にユーロに入れない。そういうことってありますよね。IMFとの問題ともダブルんですが、今は資本主義社会とか社会主義社会とか区別がなくて、片方で非常に悪辣なことをやりながら、片方でそれをカバーする福祉国家的なやり方とか、人権擁護的な生き方とか、両面をいつも持ちながらやっている。だから、渡辺さんが仰った視角から見るのはなかなか僕には難しいなと、お話しを聞きました。

 男性:私は裁判員制度には当初から反対でしたが、裁判員制度は一般常識から離れている裁判官に一般の普通の感覚を持ち込む一点だけは良い物だと思っていた。毎日、新聞よんだりしていると、たまに裁判員裁判で無罪判決が出たりするけれでも、でも、死刑判決もあったりで、どうも一般の裁判員というのは裁判官の意見に引きずられているのではないかと感じたりもして。3年経ったら裁判員制度は一度見直しますというのも、もう4年になっていますが、正直なところ、欺されたというのが正直な感想です。

 男性:前から疑問に思っていたんですけれど、裁判員制度は、裁判官と一般人の感覚のズレかな、それがあるから取り入れたというのですけれど、だったら裁判官とかそういう偉い人も何年に1度はその職務を離れて一般人として暮らしてみると、そういうことをやった方がいいんじゃないかなと。なぜやらないのかなというのが素人の素朴な疑問です。
 
会社の代理人の弁護士ともやりあってますが、福岡弁護士会の会長をやっているような人は私たちと感覚が違って、出してきた書面は全部インターネットのコピーなんです。私たちのような一般人にはこれで十分だと思っているのでしょうが、ああいう人たちが庶民の感覚を理解するためには、時々、庶民として暮らしてみると。まあ、つまらない話でした。

 女性:日ごろ付き合っている人権派と言われる弁護士さんの中で、反対派と言われる人と、えっあの弁護士さんは賛成なのと言われる人がいらっしゃる。裁判員裁判が始まって、短期間で集中審理をしなければならないし、プレゼンテーション能力が問われるようになったとか聞くんですけれど、施行された後、実際、弁護士さんの間での声で良かったというのはあるんでしょうか。裁判員裁判を担っている側には。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 李弁護士:この会場では私が弁護士なんですが、私は裁判員裁判を経験していません。で、経験した弁護士からの話ですと、「裁判員裁判はとんでもなかった」という人と、「案外、裁判員がいて刑が軽くなったよ」という人と二通りあるようです。これは検証してみないとなんとも言えないんですけれども、現状、そうです。とんでもないというのは、公判前整理手続きで公判では言えることが非常に限られていて、短期間で終わって十分な弁護が出来なかった、故に重たくなった、あるいは有罪になったと。結果から見て、有罪になればとんでもないと、軽ければ良かったとなるのかもしれませんけれども、ともかく二つに分かれている。

 ただ、私は、第1審が裁判員裁判の殺人未遂事件で、高等裁判所、控訴審で担当しましたので、間接的に関与しました。その時、1審を担当した弁護士から聞き、あるいは裁判所にある1審の裁判記録を見たときに、かつて私が経験した裁判の記録とは格段に違います。殺人未遂事件、しかもこれは否認事件ですから、裁判の記録はこんなに厚く高くなるんですが、非常に薄い。というのは、いろいろな周辺証拠というのは、公判前整理手続きで全部削ぎ落とされており、裁判には出て来ない。要するに記録として残らない。だから他にオープンになっていない証拠、検察官から出されていない証拠に大切なものがあるかもしれないと気づいて、高等裁判所で出そうとすると、裁判官がそれを見ようとすることはなかなかないと実感しました。

 そういう経験があります。これから実際に経験した人の話を聞いて、良いか悪いかというより、私が直に経験した部分では、非常にやりにくい。被告人の弁護はやりにくいということを実感しました。それは高等裁判所になってからですけれどね。

 渡辺共同代表:弁護士の間で議論が分かれているということなんですね。私たちが最初に作ったのは「おかしいぞ日弁連」だったんですね。実を言いますと、私も昔は弁護士だったんですけれど、弁護士業界から事実上、追い出されたのか,おん出たのかわかりませんが、今年の初めに弁護士資格を返上しました。弁護士にとってこれが良いのか悪いのかというと、自分の依頼者に良い判決が出れば、とりあえずは良い制度なんですね。だけど、この仕組み、一つは老人介護とか老老介護とか、家族の介護責任とか、庶民の中ではあんな苦労した人では、ということで従来より少しは和らいでます。ただ、これは良いとか悪いとか検証ができていないです。子殺しは罪ならないという文化を日本は持っていますからね。

 もう一つ、社会全体、社会の秩序を乱すような罪、恐怖心を与えるような罪には、ものすごい重罰化がなされているんですね。裁判員が入った裁判だけでなく、全体の枠組みがものすごく重罰化されています。交通事故一つとっても、枠組みが違うような重罰化がなされています。暴力団に関しては、2件、裁判員を排除して裁判官だけで審議するという事例が出ました。まえださんが先ほど仰ったように市民の感覚では非日常的で怖いということに乗じているんですけどね。暴力団はどちらにしても異端者だと、社会から排除すべき人だ、抹殺すべきグループだと特別視していくんですね。1995年のオウムのときがそうでしたよね。その直前までは死刑廃止運動というのは非常に、日本でも「地球が決めた死刑廃止」ということで盛り上がっていました。ところが、オウム事件が起きてからは「あれはオウムなんだから」ということで一挙にそれが崩れてしまいましたね。特別視するわけですね。その前は、「あれは過激派集団だから」というのもありました。次々、異端して排除していく。先ほどのリサーチ会社じゃないですが、世論調査でできていくことなんですね。

 司法というのは、きちんと定められた法律の中で適正手続きを持ちながら行われていくことに民主主義とは違う理念を持っているということなんです。大岡裁きはないということなんです。それが社会の中で一定の層、一定のグループを特別視することで崩されていく。裁判員制度がそれに加担していると思います。裁判員制度も裁判の仕組みの中で裁判員は裁判官の訴訟指揮の下に強固に置かされている。それはなかなか表に出ない。裁判員の感覚は説得されていくのです。私たちがよく問題にしていたのは、裁判員選任のときに「私は死刑に反対ですから絶対に死刑判決には賛成しません」という意思表示をしたらクジに当たっても絶対に選任されないということです。

 それから、審議の中でも、自分は無罪だと思っていても、多数決で一つひとつを決めていきますから、多数決の結論に従って意思表示がさせられます。「私はどうみても彼、彼女はやっていないと思う」と言っても、多数決で有罪だとなると、有罪として量刑はいくらかと表明させられるんですよ。それこそ、「君が代に心を渡さない」ではないですけれど、自分の良心に反した意思表示をさせられる。とことん、権力構造が心の中に土足で踏み込んでくるんです。だから恐ろしい。私は行かないだけでは済まない問題であり、「良心への赤紙」だということです。

 4年半にもなると、裁判員制度の仕組みなど、いろいろなことが分かっているものとして置いてきぼりになります。大元の構図としてそこの所へ立ち戻っていただきたい。日々、被告人は言いたいことも言えない権利状態になっている。国民の一人ひとりの良心が権力に踏み込まれている。日弁連も司法制度改革が始まる前、陪審制を権力の裁判よりは隣人の裁判が良いと陪審制を推進してきたのです。しかし、司法制度改革審議会で陪審制が否定され、その代わりに官が統制する裁判員制度というおかしなおかしな日本独特の仕組みが織り込まれたのです。日弁連が陪審制度の闘いに敗北した中で生まれてきたのです。

 日弁連の主要な部分とまではいいません、あの当時は五分五分、少なくても6対4くらいまでは(賛成反対)がいっていましたから、半分か半分ちょっとの人たちが、裁判員制度を「司法の民主化、陪審制度の第一歩」だという旗振り役をやったのです。

 これに対し、福岡では私や李さん、他の人もいますが「おかしいよ」と言い続けてきました。全国的には高山弁護士が中心となって問題を曝いてこられた。また、東北大学の小田中先生とかがわかりやすく問題を解いてこられた。

 先ほどのアンケートで思い出したのですが、少しずつ歩み寄っていったり、良いところだけピックアップしてみたりとか、おもねるような雰囲気を作っていくんですね。マスコミなんかもかなりの危機意識を持って報道していました。ところが1年2年と経つうちにこの制度が当然のものとして報道しかしなくなりました。

 ですから今、裁判員制度の報道は死刑判決が出たときとか、この前のPTSDの国賠訴訟といった特別なときしか報道しない。もう制度が当たり前のものとしてマスコミは見ているからです。

 ほとんどの人は、私もそうですが、マスコミを通じてしか世の中の情報が掴めない人はマスコミの論調が変わるということは自分の頭の中も変わるということなんですね。

 話が逸れますが、先ほどIMFのことでコメントをいただきました。こういうのも債務国、もう国が破綻したような国に世界各国が出したお金を、日本もかなり出していますが、「お金を貸しますよ」といかにも平等化、助けていくようなスタイルを使って、貸し付けていくんですね。ところがその条件というのが、グローバル資本が完全にその国に入り、自由に活動できるような仕組み、法律の仕組みを作ることなんです。弱い国、ちょっと開発が遅れていた国などはいっぺんに壊されてしまうんですね。一頃アジアで起こり、今アフリカで起こり、南アメリカでも起こっている。南アメリカではちょっと反乱も起きていましたが。その中で貧富の差なんかも拡大していき、内乱状況などを起こし、いかにも宗教戦争のようなことを言いながら。しかし、ああいった内乱もグローバル資本が生き延びるために利用されているんですよね。そこの構造がなかなか見えないけれども、自分がああこの人はと思ったような人たちの書いた本を手に入れて、少し丁寧に読んでいけばわかるんじゃないかなという気がします。

 ちょっと長く喋り過ぎなんですが、もう一つ。みなさん、ご存じかも知れませんが、国際連合が人間の安全保障という考え方を1990年代前半に出しましたよね。緒方貞子さんとかが。国家の安全保障ではなく多面的な人間保障として。実を言うと、これもグローバルな資本主義社会の矛盾が世界的に広まってきたから、こういうところに出たんですよね。これも一歩前進なんだけれども、やはりこれはおかしいということで、小倉利丸さんなんかが民衆の安全保障ということを提起しています。民衆の安全保障というのは、国家を主体としない。原則的に非暴力です。私も国連の人間の安全保障というのは聞いていましたが、これにアンチして、民衆の安全保障ということがかなり強く社会運動の歴史の中で言われているんですね。詳しくは知りませんが沖縄のサミットのとき、この考え方について、沖縄では元々、民衆の闘いには自らが主体となって安全を守っていくしかないんだという問題提起がなされている。ちょっと説明になっていませんが、民衆の安全保障ということが社会運動の中では提起されていることをどこかでまた調べてみてください。

 三上さん:去年、ノルウェーで70数人が射殺された事件がありましたが、犯人は死刑になっていません。このことを日本のマスコミはほとんど報道しませんでした。そのことを取り上げないマスコミというのは、私たち読者に何を伝えたいのかと思います。殺された人の肉親である若い女性が「これだけの憎しみを彼に出させたものを」と、言葉を忘れてしまいましたが、事件直後に罪を許すという言葉が出る。涙が出ます。事件の詳細も忘れてしまいましたが、そのことだけは言いたいと思いました。

 李弁護士:今の三上さんの話の補足ですが、「それほどまでの憎しみを持つエネルギーをその事件を起こした人を更生させるというか、受け容れる赦しのためのエネルギーに差し向けることができるんじゃないか」というのが被害者遺族の言葉でしたね。
 
さて、裁判員制度に対して日ごろ思っていること、伝えておきたいことがありませんか。

男性:事務局の方から案内を何度かいただいて参加させてもらっていますが、私がここに参加する理由は、裁判員の召集が来たらどうしよう、怖くてなりたくないというのがあるんです。なりたくないし、もし、そういうのが来たらどうしたらいいのか、こちらには弁護士さんもいらっしゃるというので、それをお尋ねしたい。人が罪を犯すのはそれぞれ理由があると思いますが、私如きが、犯罪を裁くなんてことはできない。ましてや死刑なんて。いかに検察や警察が証拠というものを出してきたところで、判断できないと思うのです。もし、私に召集が来た場合、辞退をしたいと思っていますが、どうしたら良いでしょうか。

李弁護士:私が聞いている拒否した人には二通りありまして、名簿に登載されたときに尋ねられる質問票に答えない、また、次に出頭してくださいという呼出状が来たときに出頭自体をしない、理由もいわないという全面的な拒否、ボイコットですね、そのケースがあります。書面で拒否をする、書面自体も出さないという拒否ですが、10万円以下の過料、あやまちりょうが科せられることになっているんですが、未だかつて科された人は1人もいない。

 もう一つのやり方は、実際に呼出状があって出頭する。「追求する会」を一緒にやっていた人の場合は、私たちも地裁で門前抗議行動をやり、その人はゼッケンをつけて抽選会場まで入っていった。結果、選ばれませんでした。そういう積極的な姿勢を示して選ばれずに帰って来る。

 書面段階で拒否をする。出て行って拒否をする。大きくはその2つで裁判員にならずに済んでいるのが、私が知っている実情です。

質問者の男性:それは無視をしていいということ。そうすればいいということ。

李弁護士:無視をしていいとは、私はなかなか言えないんですよ(笑)。実情としてはそうだということです。

質問者の男性:その~やり過ごすことはできるということですか。

李弁護士:病気になったという人もいますし、これこれの仕事が忙しいと言うことができる人もいますね。

質問者の男性:理由を申し述べなきゃいけない…

李弁護士:理由自体を申し述べずに

質問者の男性:拒否することはできる…

李弁護士:理由自体を述べずに出て来ない人もいる。理由自体も述べない…

質問者の男性:それで通る…

李弁護士:通るというか今のところは罰せられてはいない。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ここで空調の不具合ということで10分間の休憩…
(1羽で扇風機を独占しているインコ…)

李弁護士:再開いたしましょう。会場にいらしている方で発言しておかれたい方、はいどうぞ。

男性:原発反対、死刑反対、裁判員制度反対といろいろありますよね。なんか見とって、運動的な形で盛り上がってこない。先に渡邊先生言われたんですけれども、裁判員制度始まるときは…オウムの関係でこうなるとか…私思うんですが、一般市民とか国民とか考えるときに放ったらかしにしておったら、新自由主義を擁護する市民、国民ですね、一般的ではないかと思うですね。それを考えながらこういう運動をしてるんじゃないかなと思うんですね。私たち一人ひとりが死刑制度にしろ、裁判員制度にしろ反対する根本はなんなのかということを明確にしていくということね。今の社会が新自由主義社会ね、小泉さんから安倍さんまでずーっと、今度は世界からも日本が右傾化したと言われるくらい堂々としている形がある。そう意味でも問題点が風化していく気がしてならない。

 なぜそういうかというと、私は26年前に国鉄分割・民営化で労働組合に所属していたが故に解雇された1人なんですね。北海道の事故が多発というのはわかります。あれを見て途轍もない腹立たしさを感じるんだけれども、それはいわゆる何人かであって、ほとんどの人はそうではないのじゃないか。テレビで見ていても、北海道の事故の原因はなんなんだと、評論家が言うことはなんてことない「人が不足しているんだ」「技術が落ちているんだ」「修繕するモノがなくなっているんだ」とそういうことだけが原因なんだと。それで終わっていったんですね。そこで言いたいのは、起こった事象としては人が少なかったり修繕する部品がなかったりでしょうが、原因は違う。

 原因は分割・民営化した26年前、あれがこの事故を起こしているんだよと。今はたまたま北海道で起こっておりますが、これは日本の全国の鉄道で起こっている。尼崎事故で多数死んだ。あのときだって運転手が悪いかのようにばーんとやられていった。しかし、あの運転手は新幹線の運転手になりたいと子どものころからですね。ところが内部は分割・民営化の当時のように、社内教育で1分でも遅れたら処分ですね。そしてあの運転手は「新幹線の運転手にはなれんぞ」と脅されていたんですね。だから遅れを取り戻そうとスピードを上げたんだろうと思うんです。私も運転手だからわかるんですけれど。しかし、目先の処分が怖かったという形で尼崎の事故が起きたと思うんです。

 しかし、尼崎事故では社長以下無罪が出ましたよね。いわゆる企業が人殺しをしたら罪にならない。この日本の制度に憤りを感じる。原発なんてそうじゃないかと。あれだけの事故を起こして、確かにバタバタと人間が倒れて死んでいないということがあるかもしれないけれど、今から5年先、10年後にどれだけの人が白血病や後遺症になるかわからない。

この現実をみると腹立たしい。

 裁判員制度しかり、死刑廃止しかり、運動する私たちがここに集会やら出て来るときには学んで「そうだよな」となるんですが、それを頭の中に置いてしまっている。それじゃあ一歩も広がっていかないんじゃないかな。

 それで、私は隣組の会議やらでこの話を持ちかけていく。あるときは「あの人は変わっとるね」と言われることもありますが、あるときは盛り上がってしまって、「もう少し教えて」という人もいると。また、自分の友人・知人に話をしていくと。こういう形をとっていかないと残っていかないのではないだろうか。金太郎飴では広がっていかないだろう。一人ひとりがそうやって語りかけていかないと。集会終わったらデモやりましょうよというのも、知ってもらうということで良いことだと思う。裁判員制度のおかしさ、死刑制度のおかしさを多くの人に知ってもらうのが課題だろう。

 死刑制度については、悪い奴は殺していいじゃないかとなっとるような。なぜ、死刑制度が必要なのか利用されているだけではないかということを知ってもらいたい。

李弁護士:北海道の事故は分割・民営化が出発点だと。裁判員制度にしろ、死刑制度にしろ本質はなんなんだという問いかけでした。隣の人に本質はこうなんだよと話をしていくとこに。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA渡辺代表:本質というのは人によって取りようもあるし。何が本質ですよとは言えないし。一人ひとり違うとは思うんですけどね。法律の仕組み、こんな裁判の仕組みで良いと思いますかとかね。なんで2004年にこんな制度が出てこやんとあかんかったのか考えてみようとかね。私だったらそういう形でしか語りかけていけない。それをどう本質ということに絞られていくかは難しいですね。

 それと隣組の話ですけど、聞いて怖いです。なかなか言い切らんというかね。東京の杉並区なんかね、そういう長年にわたって作ってきた隣組なんかならあれなんですけど、今のところはせいぜい幾らか安心して喋れるか、それとも一対一で喋れるか、街頭アピールとか、ある意味竦んでるのかもしれませんが、中心におった人間がどんどん崩されていっているのが今までの歴史だし。せめて崩されないように核は自分の中に持っておきたいなと。これは回答にならないかと思いますが、先日、サウンドデモの中間報告会に行って、そこで「君が代に心は渡さない」という裁判闘争記を読んだことがなかったので読んでみて衝撃を受けました。なんかよくもまあ見事な闘いだとは思うのだけれども、一人ひとりの教師の心の思いみたいなのが最前線に立たなきゃいけないというのかね。裁判員制度反対なんかも私たちは「一人の拒否からみんなの拒否へ」なんか言ってるけど、ぎりぎりのところでなんか裸にされたような闘いしかできないのかという気もします。

 事故についていえば、国鉄3分割が原因だと言えるかもしれんけど、私なんかの年代になると、三池炭鉱が潰されたときにあの事故が起きた。そっちの方がより衝撃的ですね。やはり働く現場の労働者の総意、自主性を潰し、利益優先に効率的に合理化していくなかで次々に起きてくる訳ですからね。

 やはりそれぞれが向き合って、この事件については直近の何が引き金だろうか、その後ろにどういう考え方があるんだろうか、どういう仕組みがあるんだろうかと、一人ひとりができることで追求していくことじゃないかなと思いました。

 君が代裁判の経緯をみても、最初は権威的に校長から命令されるのに反発した、段々、国旗・国歌法が出来ていく中で、自分たちは何を問うているのだろうと思っているところで、子ども自身の良心、教育における内心の自由、労働者の働く現場における自由など多面的に問題が出されてきた。

だからあんまり、底へ底をと追求することも必要なんだろうけど、一つの事として絞り上げる必要はないんじゃないかなという気がします。

男性:死刑反対について、死刑になるような人は極悪犯罪人やないですか。だから死刑やとなっている。人を殺したからお前も死ねという格好で。死刑というのはなんちゃことない。だれかが殺す。国家ですよね。国家が殺していく。しかし、それだって結局、人を殺すことに間違いないやないですか。人を殺してはならないんだ。国家がとるべき道は、その人をどのように改悛させ、人間として立ち直るような形のものをどれだけ努力してやったのかというね。そういうことを国家がやらずして、判決をしたらずーっと監獄に入れとって、ポンとやるというね、そういう形が断じて許されないんだと。だから私は死刑に反対なんだと。ずっとこう言ってますがね。

渡辺代表:私は正直言って、自分が30代半ばになるまで、死刑制度について賛成も反対もなかったですね。個々のえん罪事件については関心を示すことになっても。はっきり言って弁護士になった頃から免田さんの事件やらが出て来る中でいろんなことを考えて、今仰ったように命というものに絶対的な基準を置いて、人を殺そうが何をしようが国家が殺すのがあかんと反対する人もおるし、あるべき国の文化のレベルとして反対する人もおるし、多様なものを含んでいると思うのですよ。

 だから、死刑制度の廃止というのは絶対に多数決ではいかないと思います。ごめんなさい。また、各人各様あらーなで流しても。ここでいつか、まとめて喋ったこともあったけど、一言では言えないんだけれども、命は絶対尊きものなんだから、だれが殺してもいけないんだという理屈だけでは、また、違った形で反論する人を打ち切らんじゃないかなと思って。一方的に何回も自分はなんで反対するんだろうと問うていくしかないんじゃないかな。

 団藤重光さんは法律家には影響力のあった人なんですけども、死刑制度を容認して最高裁判事までなったんですけれども、やっぱり法廷で「人殺し」と叫ばれたときに、彼はそれと正面から向き合い、そこから死刑制度廃止の法律論を、法律家や学者やそれなりの人が納得できる論を展開していったんですよね。各人が置かれている場で説得できる理屈、通じ合うような了解点をどう作っていくですね。私はこの頃、いつもそういう風に考えてしまいます。

 それから、私、うまく説明できないんですけれど、特定秘密保護法案が急浮上してますよね。秘密保全法が出て、共謀罪が出て、これを取り組んでいる方たちから、アピールでもしていただけたらと思うんですけど。

(ここでさざ波のように広がる「真昭さん」というお名前)

木村真昭さん:秘密法の反対運動を作ろうということで、10月10日、準備会を行います。10月27日、集会をもとう、まあ学習会ですね。ご承知のとおり、パブリックコメントもわずか2週間で9万を超える意見が寄せられたということで、みなさん方もぜひご参加ください。講師も交渉中で、今、準備中ということになりますが、10月27日(*)の集会場所はここです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

女性:地元での反対集会ということですね。

木村さん:そうです。いろいろな考え方があると思うのですが、憲法改正の条文を見ても、自民党議員たちが何も分かっていない。やはり県選出の国会議員事務所にも反対だよという意見書を出そうとか、おかしいんだよという取り組みをしていこうと。とりあえず、いろんなアイデアを持ち寄ろうとしていますので。良い知恵を集めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。とりあえずの連絡係は脇さんがなってくれています。押しつけた訳です(笑)。買って出た訳ではないので(笑)

(*)変更のお知らせ:集会は11月16日(土)午後1時30分~場所は農民会館(福岡市今泉)です

 李弁護士:特定秘密保全保護法ですね。裁判員制度の話になぞられてみると、裁判員の人たちに課せられているのも守秘義務で6ヶ月以下の懲役、50万円以下の罰金と。特定秘密保全法の場合は公務員が重罰化されていて、公務員をそそのかした民間人も含めて処罰されるということですね。そこは裁判員制度が先取りされていますよね。死刑もあり得る刑事事件の評議について、官と民が話し合った中身ですね、民のみが罰せられる。こちらの法律は官と民が合わせて罰せられるようで、ある意味、裁判員制度が「赤紙」で強制されて守秘義務まで課せられて罰せられる可能性があると。そして取り込まれていくという意味では、今回の秘密保全の法律についても繋がっている部分があると言えば、あると思います。

 先ほどの裁判員制度の本質はという点においては、九大の斎藤先生も言われていましたが、「民営化」「裁判員制度は裁判員という民間人を民間人のままで公権力を行使させる、いわゆる裁判の民営化だ」と。先ほどの国鉄の民営化となぞらえれば同じ流れにあるのかなとも思います。

 じゃあ、民営化して責任を取るのかというと、社長が全部無罪になって責任の所在はどこにということになったように、裁判員裁判も裁判員は匿名ですから責任の所在はおっかぶせられないと。本来ならば責任をおっかぶせられた方が本人たちも楽であろうと思うんですがね。裁判員たちは実際に死刑判決に関わったり、むごたらしい写真を見て心が病んでいくということですね。罰せられでもしたら少しは楽になるんでしょうけどね(笑)。

 JRの社長たちも無罪になっても心は苦しいはずなんですよね。そういった民営化といったくくりで言えば共通しているのかなと思いました。それは私の感想です。

 集会も終盤になってきています。
 
次回の集会をいつ持とうかということもありますが、そこに向けていろいろ、今日、みなさんからお話しがあったことを整理して、事務局で共有して次回の集会に反映させたいと思います。

 今までこの裁判員制度の運動で福岡から裁判員制度いらないインコちゃんも含めてですね、斎藤先生、内田先生(内田博文神戸学院大学教授)と、そういった人たちが福岡から東京の方へ行って運動の中心を担い続けているという実情にあるようですから、福岡もなおこれから頑張っていきましょう。

 なお、インコちゃんからメッセージがあるようです。
 
本人は喋れないようですから(笑)代読していただきます。

インコ(代読・R子ちゃん):裁判員制度廃止インコからのお願い。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
 不出頭で処罰された人はいません。そして今回の国賠裁判にびびった最高裁は、精神負担を言えば裁判員にならなくて済むようにしました。裁判官は裁判員のメンタルケアに務めよと言われています。裁判官は被告人に配慮せず、裁判員にのみ配慮するのは、裁判員法の精神を体現したものです。

 裁判員裁判13件に1件の割合で裁判員が解任されています。1つの裁判で3人の裁判員が解任されたケースもあります。でもその理由は公表されていません。

 このことは、裁判員制度はいらないインコさんのホームページが詳しいです。裁判員制度の様々な問題を取り上げている「裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動」をぜひご覧ください。よろしく。

ということで、ホームページを見てほしいということです。みなさん、ぜひご覧ください。

 李弁護士:裁判員制度廃止インコちゃんからのメッセージでした。みなさん、ぜひホームページをご覧ください。
 
さて、もう時間も迫ってきております。後、次にデモとなりますけれども最後に、共同代表のもう一人の代表であります筒井さんからデモの案内も含めて集会締めのあいさつをお願いします。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA筒井修さん:みなさん、今日はお集まりいただいてありがとうございました。今日は改憲と裁判員制度と題して講演をお願いしていた高山先生が来られなかったんですが、みんなで意見を出し合って、問題意識を共有しあって、それはそれで良かったんじゃないかなと思っています。私が思うに、改憲で自民党がやろうとしているのは、憲法は、政権を縛るモノではなく国民が守るものというように性格を変えようとしているということです。まさに換骨奪胎というか、憲法そのものを根底からひっくり返そうとしている。その狙いというのは国民が憲法を守るんだという思想を植え付けようとしていると。国民を統治される主体から統治する主体へと意識を転換して、民衆を国家の側に取り込もうとしている。このような改憲と裁判員制度が表裏一体、それぞれの市民を裁かれる側から裁く側に取り込んでいく、動員していく。そしてそれの延長の元に戦争ができる国にしていこうと。そのためにはやはり憲法を変えなければ行けない。改憲の一里塚が裁判員制度ではないかと思っています。

 そういった意味において、裁判員制度そのものに反対する運動を福岡の地で作り上げていきたいOLYMPUS DIGITAL CAMERAと思います。

 デモはここから警固公園までおそらく1時間コースです。デモ申請は余裕を持って、今日は3時半から5時半まで取っています。片付けてデモに出たいと思います。
 
今日は本当にありがとうございました。

 李弁護士:みなさん、本当に今日は蒸し暑い中、外は若干涼しくなりましたが、本当にご参集いただきましてありがとうございました。次はデモです。よろしくお願いいたします。

 OLYMPUS DIGITAL CAMERAデモ 午後3時45分頃から約1時間のデモ。コースは中央市民センター出発~昭和通り~赤坂交差点右折~明治通り~西鉄グラントホテル前右折~きらめき通り~警固公園ゴール。

小雨のぱらつく中、交通整理ばためんおまわりしゃん18人に守られ、白バイ2台の付き添われてデモ隊は進むたい。しゃらに私服の怪しげなお兄しゃんとおじしゃんが5人付いてくるとね。

 昭和のノスタルジックなシュプレヒコールば行う筒井共同代表。

 だけん、まえだけいこちゃんの演説は良か。博多弁ば交えた語りかけは通行人ば引きつけたとたい。ちゃーそうか! けいこしゃんの演説ば引き立とうためにわざっち筒井しゃんは昭和んシュプレヒコールばやった…(多がと、そげなこつ考ておらんな…笑)

 途中で花束ば持ったお兄しゃんの抱きつかてくるハプニングもいり、楽しかったたい。

いらないインコの独り言
 
妄想老人の暴走には困ったものです。S弁護士はインコに対して文字どおり一宿一飯の恩義があるのにねwww どちらにしても裁判員制度廃止集会を妨害ってだれのために?

 

 

投稿:2013年10月19日