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心理学者は何のために分析に精を出すのか

「裁判員裁判と求刑」-公判技術に関する実証研究における一つの試みというタイトルの報告をインコはクチバシを食いしばって読んでみた。法と心理学会の機関誌『法と心理』の2013年号。大学の刑事訴訟法の先生や心理学の先生たちの共同報告とある。これは3歩あるけば忘れる鳥頭インコによるその報告記。きつねとたぬき

裁判員裁判を体験した弁護士11人にインタビューをしたら、いかに「共感」を獲得するかがポイントだとわかったなんて書いてあった。被告人にどう語らせるか、聞くことの順番づけ、リハーサルをどうするかなどが検討事項になり、被害者の落ち度にどう対応するかということも大事だと(被害者にも落ち度があると弁護人が言うと裁判員たちから反感を買うっていう問題かな。そういえば最近、横浜地裁でそんな裁判があった…)。

被告人が若いと言ってもそれだけでは裁判所は配慮してくれないし、被告人は反省していると言うだけでも裁判員は考慮してくれない、等々。

共感を得るための仕組みを解明しようと、人を殺して死体を捨てた事件を想定して、弁護人が求刑することのよしあし、被告人の落ち度を公判で指摘することの効果、尋問の仕方の効果に関する実験などをやったという。
調査会社に依頼してインターネットのWEBモニターに想定した事件のシナリオを読んでもらい、1944件の回答を集めた。量刑を聞いたら、懲役10年が316名、懲役15年が422名、懲役20年が336名、無期懲役が288名、死刑が131名とばらついた。刑の重さの判定では、犯行態様の残忍性、犯行の計画性などが大事な要素になり、犯行の動機や反省の有無なども大きなポイントになっていると学者の皆さんは結論を書いている。

きつねと紅葉インコとしては、これだけ処罰の軽重がばらけるとなると、素人には量刑なんてわからないという結論になるのではないかと思うけど、偉い学者さんたちはそういう評価は全然していない。そんな「学者感覚」の調査の方が先ではないかな、なんてね。

「弁護人の求刑」って何のことかと言うと、検察官の懲役○年の求刑に対抗して、それより低い×年の懲役が妥当だと反対提案するということで、対抗提案をした方がより低い刑になると効果があったということになるらしい。モニターさんたちの結論は、単に「寛大な処置をお願いする」と言うよりも懲役×年にしてくれって言った方が、刑が軽くなる効果があることがわかったというのがその結論。

とまぁ、こんな報告が延々と続くけど、読んでいてどうもよくわからないのが、刑事裁判とは本来どういうものなのかとか、刑事司法で大切にされる基本原則とは、というような議論が影も形も見せないということ。そういうたぐいのことはこの際一切関知しませんという態度。でも、この報告には刑事訴訟の先生も参加しているのに。何やってるのっていう感じ。

弁護人が自ら求刑をした方が軽い刑になる傾向があるという議論を考えて見た。被告人に刑罰を科せと裁判所に求めるのは基本的に検察官の責任でしょ。それをもっと軽くさせようと思えば、自分はこれが妥当だと思う刑を弁護人の方からちゃんと言った方がよいのなら、じゃぁやって見ようという話にどうしてそう簡単になるの。まるっきり無警戒というか、何のコメントも付けずにあっけらかんと紹介してはばからない(ように見える)議論には、インコはとてもついて行けない。

もっと大きな問題は、実際の裁判では、裁判員たちのど真ん中に鎮座する3人の職業裁判官たちが慣れた感覚で弁護人や検察官の主張や尋問を聞いているということ。その裁判官たちが裁判員に問題の理解の仕方を指導しているのに。「裁判長がよく説明してくれたのでよく理解できた」などと感想を述べる裁判員がよくいる。あれだこれだと「市民感覚」を取り上げて「分析」することにどれほどの意味があるのかということね。

アメリカでは陪審員などの心証形成に関する分析がさかんに行われているらしいが、その手法を裁判員の場合に平行移動して考えようとしているのではないか。そうだとすれば、それはアプローチの仕方に根本的な間違いがあるように思う。その差をこそ俎上に乗せて考えるのでなければ、骨折り損のくたびれもうけになる。いやそれどころか、いかにも市民感覚が裁判の結論を決めるように国民をミスリードしかねない。

心理学を勉強している人たちって、心理学以外のことにとんと関心を寄せない人たちなのかなぁ。その学者バカ(失礼!)に乗じて刑事訴訟法の先生は「市民感覚が」ってミスリードさせてるのかなぁ。こういう制度を推進している人たちの心理でも研究してみたらなんて、つい思っちゃうね。

月夜の露天風呂

 

 

 

 

 

投稿:2013年11月2日