~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
西永良成・東京外国語大学名誉教授
昨年2012年は19世紀フランスの文豪ヴィクトール・ユゴー(1802−1885年)の世界的名作小説『レ・ミゼラブル』出版(1862年刊)からちょうど150周年の記念の年だったが、今年は20世紀フランスの作家アルベール・カミュ(1913−1960年)の生誕百年にあたる。36年間もいやいや勤めた大学教師生活にやっと終止符を打ち、現在「毎日が日曜日、毎週ゴールデンウィーク」といった気ままな余生を過ごしている私にとっても、2013年という年は生涯−といっても、残されているのはたかだかあと数年にすぎないだろう−忘れられない記念の年になるはずだが、その理由は主に次のふたつである。
(1)この国で21世紀になって初めて、ユゴーの世界的な名作『レ・ミゼラブル』(全5巻、ちくま文庫)をほぼ半世紀ぶりに完訳できた。そしてこれを機に上梓した拙著『グロテスクな民主主義/文学の力−ユゴー、サルトル、トクヴィル』(ぷねうま舎)を捧げた永年の親友の哲学者アンドレ・グリュクスマンに、この九月末パリの自宅で献本すると、彼は早速その一週間後の《リベラシオン》紙に寄稿した論説のなかで、昨今フランスにおいて急に浮上した反動的なロム(ジプシー)排斥、追放の国粋的=反動的な風潮に警鐘を鳴らすために、国籍を問わない人類的共和主義者としてのユゴー、特に小説『レ・ミゼラブル』を引きあいに出し、あとでその記事( La folie rom, Libération 3 octobre 2013)を添付して、「おまえの本は思いがけず役に立ってくれたぞ」と感謝のメールをくれた。
(2)グリュックスマン夫妻に会った三日後、南仏プロヴァンス地方ルールマランにあるカミュの墓を、ポール・ヴェーヌというギリシャ・ローマ古代史の碩学で、ミシェル・フーコーの親友にしてコレージュ・ド・フランス名誉教授の、世にも傍若無人な運転、博覧強記の興趣尽きない案内で33年ぶりに詣で、当地に住んでいるカミュの長女カトリーヌ・カミュに、私の最初の著書である『評伝−アルベール・カミュ』(白水社、1976年)を届けることができた。
さらに今年が生涯忘れられない年になりそうな理由をもうひとつだけ挙げておけば、この夏前に、なにかの奇跡、あるいはだれかの導きのような形で、裁判員制度反対運動の強力な牽引者で、国民必読の書というべき快著『裁判員制度はいらない』(講談社、2006年、同社α文庫版、2009年)の著者高山俊吉弁護士と邂逅し、万事がグロテスクと言っても過言ではないこの嘆かわしい国の、不条理きわまる拙速な裁判審査員制度導入をめぐって大いに意気投合できた。そこでこの稿を起こす気になったわけだが、死刑反対論と裁判審査員制度という問題が私たちの人間観、死生観、社会関係において根本的かつ決定的な重要性を有することは、改めて多言を費やすまでもあるまい。
ユゴーの『死刑囚最後の日』とカミュの『異邦人』
なぜ、このふたつの作品を並べるのか? きわめて興味深い共通点があるからだ。
『死刑囚最後の日』と『異邦人』はほぼ同じ長さの中編小説(前者は岩波文庫の豊島与志雄訳で133頁、後者は新潮文庫の窪田啓作訳で127頁)であり、いずれも作家の若い時期の作品である(前者はユゴー27歳の1829年刊、後者はカミュ29歳の1952年刊)。
また、内容の面でも、いずれも処刑を控えた死刑囚の、前者は手記、後者は内的独白モノローグであり、そこには断頭台を目前にした死刑囚の複雑な心理、すなわち恐怖、希望、絶望、断念が語られ、同じように悔悟を迫る司祭の説得の拒絶があり、また最後に思い出す女性がマリー(マリア)という名前である(ただ前者ではじぶんの娘、後者では恋人という違いがあるのだが)。もっとも、『異邦人』の主人公ムルソーは地中海の眩しい「太陽のせい」、つまりは避けがたい運命のような形での殺人、いわば無意識的もしくは無償の、あるいは不条理な殺人を犯して裁判にかけられるのに反して、『死刑囚最後の日』の主人公の過去、したがって犯行の具体が一切述べられないという違いもあり、これはこれで文学作品の分析・解釈において無視し得ないことであるが、ここではあえて取りあげない。
さらにこの二作品には両者の自伝的要素が取りいれられ、ユゴーは幼児期にスペインで過ごした思い出を、カミュは青春時代アルジェリアの海岸で水浴する日々の幸福を喚起している。そしてこれが死刑制度の残酷さ、仮借なさと対比させる効果を生んでいるのである。
なお付けくわえておけば、この初期の二作品はいずれもそれぞれの作家の生涯のテーマを提示し、ユゴーはのちに『レ・ミゼラブル』で、そしてカミュは『転落』でふたたびこのテーマに回帰することになる。
社会問題への関心
フランス文学史はつねにユゴーを「ロマン派」あるいは「ロマン主義」の総司として扱っている。ただこれが時に誤解を与えるのも事実であって、日本語で「ロマン」といえば、たとえば「男のロマン」などという言葉で「夢や冒険への憧れを満たす事柄」(広辞苑)を意味する。この外来語の名詞の形容詞「ロマンチック」となれば、「ロマンチックな夜」などと、およそ「現実的な世界を離れ、甘美で情緒的、空想的なさま」(明鏡国語辞典)しか意味しない。だから、ユゴーが文学生活の当初から社会問題、とくに死刑制度に強い関心を抱いていたという事実は、ともすれば忘れられがちになる。しかし、ユゴーの「ロマン主義」はあくまで、十七世紀以来の「古典主義」という伝統的な金科玉条に対立・対抗する呼称にすぎないのであり、けっして社会的な関心を排除する「現実離れした、空想的な」態度などではなかったのである。
他方カミュはサルトルとともに「実存主義」の双璧としてこの国に紹介され、そして「実存主義者」といえば、パリのサンジェルマン界隈にたむろする、価値観も風俗も「伝統から解放された」、どこか不真面目で生活に困らない軽薄な男女のイメージで捉えられたものだった。しかしカミュはフランスの植民地アルジェリアの貧民街に生まれ、苦学しながらまずは地方ジャーナリストになり、植民地主義の非道と悲惨を告発することからキャリアを開始した「社会派」作家だった。第二次大戦後サルトルが提唱し、推進した「社会参加(アンガージュマン)の文学」を、カミュは戦前から実践し、アルジェリア政府当局から追放処分を受けていたのである。この点でも、1851年のナポレオン三世のクーデターに断固抵抗し、国外に亡命せざるをえなかったユゴーとよく似ている。
ただ、ユゴーとカミュの最大の共通点は、なんといってもふたりともが決然とした死刑反対論者であり、そのことを何度も明確な論調の書き物として残していることだろう。そこで次回以後、不定期的にこの両者の死刑廃止論を概観し、それぞれの社会背景、個人的な動機、論拠などを検討したうえで、最後にそのような死刑廃止論と国民参審制度の連関、そこに通底する根本的な問題点を考察することにしたい。
著者紹介:Wikipediaから
西永良成氏(1944年6月11日生まれ)は、フランス文学者、東京外国語大学名誉教授。専門は20世紀フランス文学を軸としたフランス現代思想研究。富山県生まれ。東京大学文学部卒業。ソルボンヌ大学に留学。2008年東京外国語大学教授を定年退職、パリ国際大学都市日本館館長。
投稿:2013年11月7日