~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
奇っ怪極まる被告国の主張に対して、織田・佐久間タッグチームはどう切り返したか。今度は難しくないよ。原告準備書面(2)の内容は次のとおり。
1 原告の準備書面(2)の構成説明
32頁におよぶ大部な書面。まず被告答弁書中の「被告の主張」の部分に対する総括的な認否。次いで原告としての主張を全面展開するところが本論。認否の部分は紹介を省かせていただく。本論の概要を順を追ってご紹介すると次のとおり。
ア 裁判員法を制定しなければならない事情は何もなかった。
イ 裁判員として呼び出すのは憲法第18条後段が禁じる「苦役」に該当する。
ウ 裁判員として呼び出すのは憲法第22条が保障する「職業選択の自由」を侵害する。
エ 裁判員として呼び出すのは憲法第13条が保障する「個人の尊重」を侵害する。
オ 国会の立法行為の不法と原告の精神的打撃の間には相当因果関係がある。
カ 被告の平成25年10月25日付け準備書面の主張に反論する。
キ 原告の主張をむすぶ。
2 原告主張の具体的解説
口頭弁論傍聴記でご紹介したように、織田弁護士は法廷で準備書面の要旨を説明された。その要旨にそって解説することにする。
① 裁判員法、またその中の裁判員強制に関する規定には立法事実即ちその法律を必要とする社会的、経済的事実もない。そのことは裁判員制度を廃止しても国家も国民も全く困るものではないことからも明らかである。裁判員法は病気でもないものに劇薬を与えるようなものである。
「立法事実」については、傍聴記のところに説明を書いたので詳しく知りたい向きはそこを見てね。立法というものは、その法律を必要とする理由事情があるからするもの。必要もないのに法律を作ったというのが原告の言いたいこと。この法律を作らないとみんなが困ることっていったい何だったのかと問い詰めている。
この部分は何度でもさえずっちゃうけど、裁判員制度なんてなくても誰も困らない。困らないどころかあって迷惑、税金の無駄使い。
② 裁判員法の国民強制規定は国民に苦役を強いるもの以外の何ものでもない。最高裁平成23年11月16日大法廷判決は上告趣意とされていないものを敢えて上告趣意とし憲法裁判所的に判決しているものであり、国民を欺罔する違憲の判決であって何ら判例としての価値を有するものではない。
裁判員法は国民に苦役を強いるもの。憲法第18条後段には「何人も、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と書かれている。「犯罪に因る処罰の場合を除いては」とわざわざ断り書きが付いているということは、そのほかには例外がありませんということ。苦役の禁止は徹底厳守の基本原則とされている。
最高裁が制度発足2年後に出した大法廷判決で「苦役の禁止に違反しない」と言っていると被告は引用する。しかし、この判決はその事件の弁護人が上告趣意(読んで字のごとく、訴える理由)にしないとわざわざ明言していた苦役禁止違反について、勝手に弁護人がその主張をしていることにして言い渡したもので、判例としての価値がない、というのが織田弁護士の主張。
この最高裁判決は一審の裁判員裁判で有罪判決を言い渡された被告人の弁護人が上告していた事件。刑事事件の被告人にとっては、裁判員にとって苦役かどうかということは直接自分の問題ではないから、刑事上告審ではもともと論争になる性質の主張ではない。だから弁護人は、苦役禁止の主張は上告趣意にしないと明言していたという。
ところが、最高裁が何が何でも裁判員にとって苦役ではないと言いたかったのは、制度発足後も国民の異論反論が相次ぎ出頭率がどんどん下がっていく情勢に恐怖して、何でもいいから大法廷を開いて裁判員呼び出しは憲法の苦役禁止に抵触しないと言い切ってしまいたかったから。最高裁のあわてぶりがこんなところにも垣間見える。織田弁護士はそこを鋭く突いた。
③ 裁判員法の国民強制規定は職業選択の自由を侵すものである。被告はこの職業選択の自由の意味を履き違えている。
「職業選択の自由」でいう「職業」の意味について、被告は、「人が自己の生計を維持するためにする継続的活動」ではないから、裁判員の職務は「職業」とは言えないなどと主張している。だが、「生計を維持するため」とか「継続的活動」などの考え方をここに持ち込むことはもともと許されない。裁判員の職務は、本来裁判官が行うものとされている裁判という職務のことだから、裁判員は非常勤特別職国家公務員なのだ。そのことは被告も認めている。1週間で辞めるつもりで任官しても、給料を1円も生活に使わない予定で任官しても裁判官の職務は職業になる。
国民がその職務に従事したくない時に、強制するのは職業選択の自由に抵触すると言うのは当たり前のことだ。「職業? それは生活のために時間をかけてやる仕事のことを言うのだよ」という最高裁に聞いてみたい。1週間で辞めるつもりなら、給料なんて全然頼りにしない大金持ちなら、そういう裁判官は「職業裁判官」じゃないことになるのか。
④ 同じくその強制規定は国民の幸福追求権という国民として最も大切な権利を何の根拠もなく侵すものである。
憲法13条は次のように言う。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」。
裁判員法は、憲法が国民に保障する個人の尊厳を不必要に害するものだ。「幸福追求に関する権利」などといううっとりするような言葉が憲法に書いてある。これをどこかの廃線の駅のように名前だけにさせてしまってはいけない。
⑤ 国会の立法行為の違法性と責任は他の公務員についての場合と比較して特段に差等を設けるべきものではない。最高裁の判例も変遷し次第に広くその責任を認める方向になっている。仮に明白性の原則が要求されるとしても、国会議員は裁判員法の人権侵害に気付くべきであったし、また容易に気付き得た。国会の立法の不法行為責任は免れない。この立法に賛成した議員の有志は施行直前にこの法律の問題性に気が付き、超党派で「裁判員制度を問い直す議員連盟」を発足させている。
国会議員の立法行為については、一般の公務員の違法行為より特に強い違法性を伴う場合でなければ責任は問われないなどということはない。水準は同じだ。最高裁の判例を見ても、昭和60年11月21日の判決から平成17年9月14日の判決への変化を見ても、国会の責任をより広く認める方向に変わる流れがある。そういう判例論議から離れても、裁判員制度の問題性や裁判員法の人権侵害性は、国会議員であれば誰でもすぐに気がつくものだった。それが織田弁護士の主張。
織田弁護士は、法の施行直前に発足した「裁判員制度を問い直す議員連盟」に触れた。そう言えば、制度の実施を翌年に控えたに2008年の夏には、共産党・社民党が相次いで実施の延期を求め、民主党の小澤一郎氏や鳩山由起夫氏などの要人も「政権をとったら制度を根底から考え直す」と言い、秋から年末にかけて自民党や公明党の中からも、実施への異論が出ていた。
また、立法当時の野沢太三法務大臣が、「私の妻も裁判員をやりたくないと言っている」と国会で述べたこと、制度実施直前に法務大臣だった鳩山邦夫氏も、後に「自分も実は裁判員制度には反対だった」と述懐したこともこの際触れておく。
⑥ 今回の原告の受けた被害は裁判官や検察官の違法行為によるものではなく、罰則の脅しをかけて裁判員に国民を強制するという違憲の立法行為に起因するものである。
「裁判官や検察官の違法行為によるものではない」というのは、裁判官の言動や検察官の言動がが原因となって原告がダメージを受けたとは考えないということ。裁判官や検察官の違法行為によるということになると、制度そのものの問題ではなくなり、この事件の中で裁判官や検察官がどのような言い方ややり方をしたかということが焦点になる。
どのような手法をとるべきだったとか、そのようなやり方はとるべきでなかったとか、制度があることを前提とした方法論の問題に論議が向かってしまうと、裁判員法や裁判員制度の根本の問題がすっとんでしまう。 そういう議論をするためにこの裁判を起こしたのではないというのが織田弁護士の主張だ。
原告はあくまでも罰則を脅しに使ってまで国民を裁判所に動員するこの立法の違法に焦点を絞っている。
⑦ 被告の平成25年10月25日付準備書面による主張は、国会審議において国民を裁判員に強制する憲法問題については殆どといってよいほど議論されなかったことを会議録から証明していることを認めるものである。
議論しているのは「負担の軽減をどうするか」だけだ。国民に裁判の審理や評議に参加することを義務づけねばならない社会状況についてはまったく論じていない。実際、国会では、司法をめぐる現状をどう評価するのかとか、国民参加を必要とする事情は何かとか、陪審制とは違う国民参加の必要性とは何かなどの基本問題については何一つ検討もせず、すべては裁判員の参加を前提とした結論ありきの論議に終始した。
これで議論が本当に十分だったと思っているのなら、この国の政府にとって「国会論議というものは茶番です」と言っているようなもの。
⑧ 国民に強制をかけなければ国民が裁判員として集まらないことは明らかだが、問題は強制しなければ国民が集まらないような違憲の制度を作ることがそもそもおかしい。本裁判は国民を救うか裁判員制度を維持するか二者択一をせまる裁判である。
強制しなければ集められないとなると徴兵制と同じではないか。なぜそのような強引な手法をとるのか。とらなければならない事情が生まれているのか。 裁判員になって病気になるか、裁判員を断って非国民になるか。とんでもないことを国民に要求するこの国の政治はいったいどこに向かおうとしているのだろうか。
投稿:2013年12月24日