~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
裁判員制度はいらないインコ
前略 1月11日の『朝日新聞』であなたの署名入り記事を読み、このお便りをお送りしたくなりました。裁判員経験者にインタビュー結果をまとめた『裁判員のあたまの中~14人のはじめ物語』という本の紹介記事です。「法廷で質問勇気いる」「死刑後悔していない」「裁判員の生の声聞いて」「14人体験まとめた本出版」などの見出しを並べています。定価のほか、問い合わせ先として出版社の電話番号まで書いてあるので、紹介宣伝記事と言ってよいものでしょう。
3つお尋ねをします。まず、なぜ今になってこの記事を書かれたのかという質問です。この本については、3カ月も前の昨年10月18日付け『読売新聞』が詳細な紹介記事をまとめており、同じ10月の29日には『東京新聞』がさらに詳しい紹介を書いています。他社に抜かれた報道は、よほどの事件でもない限り黙殺するのがこの世界の常識と聞きますので、不可解の感が否めません。
あなたの記事の中には新しいことは特に書かれていません。あらためてこの本の出版を読者に知らせなければならない事件が発生したというような記述もありません。最近、書店で見たところ、この本は昨年11月5日に発行されたまま、まだ1度も増刷もされていないようです。『朝日』が今になってこの書籍出版をあらためて報道した理由は何ですか。どうにも売れないので紙面で宣伝してほしいという出版社の要望に応えたということでしょうか。
2つ目。この記事でやや新しい表現と思えたのは、「出版のきっかけは裁判員制度がスタートして4年が過ぎ、制度に向けられる社会のまなざしに違和感を持つようになったから」という著者の言葉です。しかし不思議なことに、著者が持ったという「社会のまなざしに対する違和感」の内容についても、「まなざし」の内容そのものについてもあなたは何も触れていません。その一方で、あなたは「良い経験をした」と答えた裁判員経験者の感想に疑問を持ったという著者の感想を引用しています。
「社会」と言えばおそらく「世論」のことでしょうが、世論はこの制度に基本的にアゲインストです。このことに違和感を持つ著者が制度を賞賛する元裁判員の言にも首をかしげている。となるとこの制度に対する著者の基本的な姿勢はどこにあるのか、私にはまったくわからなくなりました。
著者の視点が定まっていないのかあなたの視点が定まっていないのか、その両方なのか。少なくともこの記事は基本的な視点の整理を十分にしないまま書いたものだろうという印象が強く残りました。あなたはこの記事でいったい何を読者に伝えたかったのでしょうか、説明して下さい。
3つ目。着る服で悩んだとかお昼の弁当のことを話す経験者の話などもそのまま伝えたとし、「一人ひとりのストーリーで制度を身近に感じてもらえれば」というのが著者の希望だと紹介していることについてです。
「1つひとつの卑近な話を通じて制度を身近に感じてもらいたい」というのはどういう意味ですか。著者は、裁判員経験者に共通していたのはじっと考え込む場面だったと言っています。自分の判断の正否に悩んでいるという経験者の声も紹介しています。素直に読めば、裁判員経験者には多く悩みがあったということになるでしょう。あなたも、この制度がいまだに多くの国民に受け入れられていないばかりか、強く批判されたり疎まれてもいることをご存じのはずです。とすれば、ここで「制度を身近に感じてほしい」と発言することがどのような意味を持つのか。そのことに、思いを及ぼして当然だろうと思います。
そのような問題意識をうち捨ててしまったかのように、「制度を身近に感じてほしい」と言う著者の言葉を手放しで紹介されたことに、私はそれこそ強い「違和感」を抱きました。あなたは、多くの国民はなぜ「身近に感じない」のだろうかとか、国民に「身近に感じさせたい」狙いはどこにあるのだろうかなどということにまったく関心を寄せていません。「制度を身近に感じる」という著者の言をあっけらかんとそのまま紹介されたのはどうしてでしょうか。
これらの質問にお答えいただければ幸いです。私はあなたのお答えを皆さまに紹介するつもりです。回答がないときはそのようにお伝えしなければなりませんが、不都合を隠したいから逃げているのだろうなどと非難されるのはおそらく不本意でしよう。できるだけ内容のあるご回答をすみやかにいただきたいと思います。
私は、裁判員裁判が発足する以前から『朝日』提灯持ち説が話題になっていたことを思い起こします。それは事実に反することだったのか、やはり事実だったのか、この質問へのあなたのご返事でもう一度その仮説を検証してみたいという気持ちでおります。よろしくお願い申し上げます。
草々
投稿:2014年1月15日