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ストライキに立ち上がった裁判員たち

  私も言いたい一弁護士

    論告求刑を前に辞任を申し出た裁判員の解任で、6人いなければならない裁判員が5人になってしまった。不足の裁判員を新たに選任するのでもう少し裁判員の仕事を続けてほしいという裁判所の指導に納得しない5人の裁判員全員が自分たちもやめると裁判所に辞任を申し出た。結果、全員が解任になり、すべての裁判員と補充裁判員を初めから選び直さなければならないことになった。

これまでにも裁判員たちを選んでいる余裕もないほど出頭者の数が少ないケースというのはあったが、進行中の裁判が裁判員の解任で立ち往生したというのは、今回の水戸地裁の裁判が初めてだ。この大事件に、弁護士の猪野亨さんが16日、同じく弁護士の川村理さんが17日、さっそく投稿されている。私も自分なりにこの問題を考えてみた。                                      

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  まず、報道に接した最初の印象から。
ひどく忙しくて時間的にも精神的にも余裕がない。法律の知識もないし責任も持てない。なにやかやで裁判員などやりたくない。でも、正当な理由がない不出頭には10万円以下の過料だと言われている。いやいやながら裁判所に出かけたらくじに当たってしまい、心ならずも裁判員(補充裁判員)をやらされることになった。でもこれ以上はやりたくない。裁判員(補充裁判員)を引き受けた人たちの中にもまだそういう「善良な市民」が残っているのだとうれしくなった。それがこのニュースを聞いたときの私の率直な印象だった。

 なぜそんな感想を持ったかというと、これほど嫌われている裁判員裁判に参加してもよいと思う人たちというのは、人の処罰に興味があるとか、物事を詮索したがるとか、人に説教を垂れたがるとか、失礼な言い方だが一種の変わり者しかいなくなっているのではと思っていたからだ。まだまだ普通の人たちが多くいて変人奇人は少ないと見える。これなら裁判所に出かけて行く市民の数はこれからもっと減るだろう、よっしゃという感じである。

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 次に、裁判官たちの反省と改善策について。
裁判長や陪席裁判官たちは、肝が潰れ、頭は真っ白になっただろう。裁判員たちに対する対応のまずさを責められてもいよう。今や針のむしろである。苦しむ裁判員のように眠れぬ夜を過ごしているかも知れない。制度の間違いが本当の原因だなどとは決して言えない。そういう裁判所内ではいったいどんな反省と改善策が考案されているのだろうか。

 考えられる反省改善策の第1は、補充裁判員の増員だろう。たいていの事件では補充裁判員は2名だが、これを3人、4人と増やす。裁判員法第10条は補充裁判員の数を「合議体を構成する裁判員の員数」以下と決めているから、普通は6人までは選べる。だが、そうなると選任期日に出頭した候補者が裁判員に選ばれてしまう比率は相対的に高くなる。ということは「いやいや選任率」も上がり、解任事件発生率の上昇にもつながる。

 そうなると反省改善策の第2は、選任の段階で意欲のありそうな候補者に絞り込むべきだということになる。背に腹は代えられない。私の言う変わり者を選ぼうということだ。裁判長は「辞めたい人は今のうちにそう言ってくれ、言わなかった以上は最後まで付き合ってほしい」という強い姿勢で選任に臨む。おそらく多くの候補者がやりたくないと言い出す。だがそれも致し方ない。選ばれた人たちの顔つきを想像するとなんとも気分が悪くなるが、現状ではそれが最適策ということになろう。

 そして反省改善策の第3は、呼び出し対象そのものを増やすことだ。そうすれば変わり者の数も増え、最後までくっついてきてくれる裁判員(補充裁判員)が何とか確保できる。しかし難しいのは増員の限度である。私が地元の地裁の書記官に聞いた話では、選任期日に出頭してくじに外れた候補者から、呼び出す候補者の数を少なくしてほしいという声が出ているらしい。「みんな無理をして裁判所に来ているのである。もう少し気を遣ってくれて当然だろう」という訳だ。結果、裁判官や書記官たちは、候補者の出頭数を予測して呼び出す数を多すぎず少なすぎないように決めるという不毛な仕事に精を出しているらしい。おかしな制度を作られて消耗なことをさせられる現場の人たちもご苦労なことである。どの反省改善策も考えて見れば展望がない。

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 さて、裁判員の解任について。
猪野さんも書いているように、裁判員には辞任の権利がない。普通の会社なら、やめたい社員は退職届を出せば会社をやめられる。しかし、裁判員会社は社員が退職届を出しても当然にはそれを認めない。辞職希望に理由があると社長が判断すればその社員を解雇して会社は社員と縁を切る。辞任したいという裁判員(補充裁判員)が出てきたらその言い分を聞き、これ以上やらせなくてもよい法令上の理由があると裁判所が判断した場合に限り、その裁判員(補充裁判員)を解任してお役ご免とする。生殺与奪の権利はすべて裁判所が握る仕組みである。

 だが、解任の決定は次の場合に限られている。イ重い疾病傷害、ロ同居の親族の介護養育、ハ決定的に重要な事業上の用務、ニ父母の葬式参加など変更不能の用務のほか、ホその他政令で定めるやむを得ない事由がある場合(裁判員法16条八号)。 「政令」が掲げる事由とは、①妊娠中か出産後8週間以内、②日常生活を営むのに支障がある親族や同居人の介護養育、③重い疾病傷害を持つ配偶者・事実婚者などの通院などの付添い、④妻・事実婚者・子の出産立ち会いや付添い、⑤遠隔地居住による出頭困難、⑥その他裁判員の職務を行い又は裁判員候補者として選任手続期日に出頭することで自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由がある(と裁判所が判断する)場合。

 何と厳しく小うるさい制限だろう。ちょっとやそっとのことでは解任は認めないぞという緊張した姿勢が法令の条文の隅から隅まで張り詰めている。今回のケースでは、政令の⑥に当てはまるかどうかが問題になるのだろうが、解任理由の存否は1人ひとりの個別の事情で決まるもので、一律一括で答えを出すようなものではない。5人が5人ともこれに該当するという結論に到達するとは到底考えられない。 プリント

  みんな嫌がっていることについて。
 しかし、水戸地裁の裁判員たちは全員がそろって辞任を申し出て、結局それが認められて解任になった。これはもうストライキ通告とその完徹と言うほかない。裁判所は、辞任は権利ではないとか解任は裁判所が個別に判断して決めるものだとか強弁して彼らを押さえつけようとして失敗した(そんな報道はされていないが、任務の続行を求めて裁判所が必死に説得したであろうことは容易に想像できる)。ついにストライキが貫徹され、裁判所はタオルを投げた。裁判員たちと裁判官たちの「最後の対決」の場面を想像すると、インコさんのトップページの標語「みんなで拒否して、制度の廃止!」が思い起こされる。私が映画監督だったらこのシーンを山場にするんだがなぁなどと思ったりする。

 川村さんの投稿によれば、裁判員裁判で解任された人の数は全国で実に384人に上るそうである。この人数は2012年10月以前のものらしいから、実施から3年少しの間のデータということになる。ものすごい数字である。そのころまでに行われていた裁判員裁判の数は4000件をいくらか上回る程度だったと思われるから、10件に1人近い割合で解任事件が発生していたことになる。私はそんなに解任が多かったとはまったく知らなかった。ほとんど報道されていない話だと思うが、マスコミはいったい何をしているのだろう。今回の事件が特異なケースではないことがよくわかる。そして制度廃止を求める市民の要求のマグマが地表近くに上ってきていることをよく感じさせる。

「桐一葉」と言う。桐の葉が1枚落ちるのを見ても世の衰亡のきざしが感じとれるらしい。だが、今私たちの目の前に今起きている風景は一葉どころの話ではない。桐の葉が束になってボロボロと落ち始めた図である。最高裁の庭の桐はどうなっているのだろう。033502

 

 

投稿:2014年1月19日