~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
3月31日の今日、竹﨑博允最高裁長官が7月の定年を待たずに退官。明日4月1日には寺田逸郎氏が新長官に就任する。
一言で言えば辞める竹﨑さんが超々エリートで、後任の寺田さんは超エリート。
そう2人ともただのエリート裁判官じゃないけど、2人を比べればこれはこれで結構違うのよ。
なんで?竹﨑さんのお父さんも裁判官と聞いたが、寺田さんは親子二代の最高裁長官、寺田さんの方が超々エリートだろ?
ホントに鳥の浅知識ね。お二人の裁判官人生をちょっと振り返ってみましょうか。
まず寺田さん。この人は1948年1月9日生まれ、74年4月東京地裁判事補となり、76年にコロンビア大学ロースクール(LLM)に官費留学。77年7月札幌地裁家裁、80年4月大阪地裁、81年4月法務省民事局付、85年2月に在オランダ日本大使館一等書記官として外務省に出向、88年4月法務省に戻り民事局参事官に。3年の外務省勤務を経てここから延々20年におよぶ法務省のお役人生活が始まるの。骨の髄まで政府の要人っていう訳。92年4月に民事局4課長、翌年7月同3課長、96年4月同1課長、98年6月法務省秘書課長、このあたりは法務省内のランクというか権力順位が分かるわね。そして、2001年12月大臣官房司法法制部長になって裁判員制度の設計に携わり、05年1月には法務省民事局長、裁判員制度実施準備中の07年7月に裁判所に再上陸して東京高裁部総括判事、08年9月にさいたま地裁所長、制度実施年度の10年2月には広島高裁長官に。広島高裁長官っていうのは全国の高裁長官の中では低いランクで、普通はここの長官で裁判官人生は上がりなんだけど、超エリートの寺田さんはここに10か月しかいないでしぶとく同年12月に最高裁判事になったのよ
竹﨑さんは1944年7月8日生まれ、司法修習の時から将来は最高裁長官と見られていたようですね。69年4月東京地裁判事補、70年にコロンビア大学ロースクール(LLM)に官費留学。72年4月広島地裁、74年4月に司法研修所付となり、77年4月に鹿児島地裁家裁名瀬支部へちょいと出たの。遠隔地勤務っていうのは実は隠れエリートコースなんですって。で、翌年4月にはさっさと東京地裁に戻り、ここからはすべて中央勤務。人生動線は三宅坂と霞が関の間だけ。翌79年4月に東京地裁判事、81年4月司法研修所教官、82年4月最高裁総務局第2課長兼第3課長、82年8月総務局第一課長兼制度調査室長、88年7月東京地裁に出て、90年3月東京高裁事務局長、93年11月東京高裁判事、94年4月東京地裁判事部総括、1997年3月最高裁経理局長、2002年7月最高裁事務次長、同年11月には事務総長、06年6月ここでちょっとだけの動線伸ばしの名古屋高裁長官、でも在任たった8か月で予定どおり翌年2月には東京高裁長官、そして裁判員裁判が始まる直前の08年11月25日に、最高裁判事を経験しないまま(つまり14人抜きで)最高裁長官に就任。
あのお、最高裁事務総長って、裁判官の人事権を握る最高権力者で、長官に次ぐ最高裁の本当の支配者とかって聞いたことがあるけど。
違うわね。事務総局の力は絶大だけど、事務総長自体のランクは高裁長官の下になるようね。
ふーん。寺田さんは「ミスター法務省」と言われたけど、超々エリートの竹﨑さんはどこかに出たこともほとんどなく、裁判官のキングロードをまっすぐ歩いていたってことなんだ。で、寺田さんは01年から05年まで法務省の司法法制部長として裁判員制度の設計に携わり、竹﨑さんは02年から06年まで最高裁の事務方の責任者として裁判員制度を推進してきた。2人は裁判員制度を推進した極悪の有責当事者って訳か。
よくわかりましたね。さて、竹﨑さんは1988年、矢口洪一最高裁長官(当時)の命をうけ陪審制を観察する特別研究員としてアメリカへ派遣されたんだけど、帰国後に彼が出した報告書は陪審制を徹底的に批判するものだったのよ。
そこは宮仕えの能吏だから。自分の思想信条とは別でも仕事ならやってしまう。竹﨑さんは、「裁判員法成立後は裁判員制度を利用することで司法に国民の信頼をつなぎとめようと考えるようになった」とか。でもこの急転換がこの制度の最大の暗部ね。
けっ、その矢口長官っていうのは、「戦後司法界の画歴史的な大物」とか言われた人だよね。裁判官の増員を進言した人事局長に、「忙しいからといって人事局長を2人にしろとは言わないだろう。2人にすれば価値は半分だぞ」と一喝したって話を読んだことがある。足りぬ足りぬは努力が足りぬってか。弁護士だけ激増させてどうするんだ。
その超々エリートの竹﨑さんが「健康上の理由」で今日退官するんだ。今年5月2日には裁判員制度の順調ぶりをどう言うか手(羽先)ぐすね引いて待ってたら、退任記者会見で「比較的順調」だとさ。「比較的順調」っていうのは初めて聞く言葉だよ。「健康」って言われれば「良かったね」って応えられるけど、「比較的健康」って聞いたら「どこが悪いの」って言いたくなるよね。健康上の理由で仕事を辞めるっていう順調吹聴男の竹﨑さん、聞いてるかい。
飛び入りの「みんなの声」欄常連のとらっちさん
いやいや、原因は『裁判員のあたまの中はかなりヘンである』コレですね。インコには想定内でもワシには想定外じゃった(それがグヤジイ)、推進して出世した手前、まさかこんなことになるとはなんて言えず「健康上の理由」。退職金も満額だし、制度推進の後任も決まったしお花見楽しみだ~、でね? 裁判員に裁かれる被告人が気の毒で少しばかり心が痛むが、とりあえず後は野となれ山となれ、でね?
そうかもしれない。最高裁の超々エリート長官が裁判員制度廃止で傷ついたりしないよう健康上の理由で退官して、5月には超エリートの長官が「裁判員制度は廃止します」と言うかも。こりゃ楽しみだね。
投稿:2014年3月31日