~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
弁護士 猪野 亨
下記は「弁護士 猪野亨のブログ」3月30日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。
袴田事件というえん罪事件について、ようやく重い扉であった再審請求が地裁段階で認められました。
死刑のための拘置も停止され、東京高裁も静岡地裁の決定を支持しました。
検察が最高裁へ特別抗告するかどうかですが、もはやこの流れは変えられないでしょう。
現状のマスコミ報道からみても、今、最高裁がこの流れを変えるとは思われませんし、袴田さんの再審無罪も目前であると言えます。
この再審無罪を勝ち取ったのは、袴田さんが無実であると確信した多くの人たちの支援があったからこそです。
そして、ねつ造とまで言われた捜査の在り方そのものが批判及び検証の対象とされなければなりませんし、えん罪の原因がどこにあったのかどうかという点こそが重要です。
「袴田さん釈放! 検察は被告を「有罪」にするためだけに存在しているのか」
ところが、この袴田さんの再審決定に対して、筋違いな論評を寄せている人がいます。
「なにが「袴田巌」を死刑から救ったのか」(門田隆将氏オフィシャルサイト)
何と、その功績を裁判員制度に求めているのです。
論旨曰く、裁判員制度により公判前整理手続きが導入され、証拠開示がなされるようになった。
今回、静岡地裁が命じた証拠開示は、この裁判員制度と公判前整理手続き、証拠開示があったからというのです。
これはいくら何でも歪曲が過ぎるでしょう。証拠開示といっても全面開示からほど遠く、開示請求にあたっては開示させる証拠を特定しなければなりません。
刑事訴訟法316条の15第2項
被告人又は弁護人は,前項の開示の請求をするときは,次に掲げる事項を明らかにしなければならない。
一 前項各号に掲げる証拠の類型及び開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
二 事案の内容,特定の検察官請求証拠に対応する証明予定事実,開示の請求に係る証拠と当該検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし,当該開示の請求に係る証拠が当該検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であることその他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由
そもそも証拠については当然の前提として検察官手持ちの証拠はすべて開示しなければならないのに、現在はそのような制度にはなっていません。
むしろ、現在、行われている「法制審議会-新時代の刑事司法制度特別部会」での議論では日弁連が要求していた証拠の全面開示は見送られる公算が大です。えん罪発生防止の観点からは全くのザルです。
参照
「新たな刑事司法制度の構築に関する意見書(その2)」(日弁連意見書、PDF)
門田氏の主張は、これをもって静岡地裁の開示命令と同一視してしまうのは問題であるばかりか、捜査機関によってえん罪が作られたということに対する視点が全く欠如しています。どの識者もこぞって捜査機関や裁判所の責任を追及する意見を表明している中で門田氏の見解は特異なものといえます。
振り返ってみれば、門田氏は極右の評論家(?)であり、国家機関を批判するなどという視点は一切、持ち合わせていないのでしょう。
「安倍首相「靖国参拝」と映画『永遠の0』」(門田氏のブロゴスの記事)
これを読むと、あの百田尚樹氏の駄作『永遠の0』について、「邦画史上に残る最高の傑作」とまで評価しています。
「映画館には、戦争も、まして特攻のことも知らない若いカップルが数多くいた。途中から館内にすすり泣きが聞こえ始め、映画が終わった時には、拍手する観客もいた。珍しいシーンだった。
生きたくても生きることができなかったかつての若者の姿に対して、現代の若者が涙を流す――私は、そのシーンに強烈な印象を持った。」
だそうですが、この安っぽい涙には反戦思想は全く伺えません。
「NHK経営委員百田尚樹氏の『永遠の0』と都知事選田母神支持発言」
このような国家主義思想の持ち主にとっては、袴田事件は国家の汚点として表現するわけにはいかず、逆に国民動員を前提にした裁判員制度を持ち上げるという本末転倒な評論というべきものです。
このようなすり替えの論理を許してはなりません。
投稿:2014年4月2日