~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
トピックスでご紹介した札幌の猪野亨弁護士のブログ記事「門田隆将氏の袴田事件を救ったのは裁判員制度のお陰!? 」をお読みになりましたか?
極右評論家(?)の門田氏が「裁判員制度によって公判前整理手続きが導入され、証拠開示がなされるようになり、静岡地裁もこれによって証拠開示をした」という珍論を展開した。氏は、静岡地裁が判決で指摘した証拠ねつ造には一言も触れず、警察・検察・裁判所に対する批判も一切行っていないと。ま、権力擦り寄りのヘタレ評論家の人物像や理論に対する批判については猪野弁護士のブログをご覧いただくとして…。
証拠ねつ造は袴田事件だけのことではない。ねつ造による犯人でっち上げを疑われている事件は枚挙にいとまがない。そして大事なことは警察・検察が証拠をねつ造しても大した問題ではないと思うようになったのは裁判所の責任ということ。検察はあの大逆事件で大きく道を踏み外し、それが今に引き継がれている。その暴走を良しとしたのが裁判所である。検察はこの時以来腐敗の歴史を刻んで今日に至っている。
犯人を断定する、だが決定的な証拠がない。そういう順序でことが進む。おかしいががこういう順序なのである。「ではちょっとやってみるか」。集まった証拠では犯人と断定するには矛盾が残る。「ではこういう証拠を作ってつじつまを合わせよう」。この証拠がじゃまになる。「では隠せ」。普通の世界ではとうてい考えられない話なのだが、彼らには「ねつ造の能力と必要性がある」(袴田事件再審開始決定書)。ねつ造抑止のハードルがひどく低い彼らは簡単に則(のり)を超える。
起訴されて弁護人や証人から「証拠が不合理」「証拠相互に矛盾がある」などと主張されても心配はない。検察があれこれ言う前に、裁判所が警察・検察を擁護する立場に立つ。「どうしてそんなこと言うのですか」。どこぞの国は人権無視の後進国だとか、わが国は「法の支配」の国だとか、大嘘つきのこんこんちき。かくして検察は、不正入学者の胴上げよろしく裁判所に祝福される常勝将軍であり続けてきた。結果、不敗の道は腐敗の道。ねつ造証拠は致死的な能力劣化の副作用をもたらした。
えん罪で死刑になった人に対するこの国の基本的な考えを探る。死刑廃止の機運が高まり、国会で死刑廃止論がさかんになされていた1956年。参議院法務委員会に公聴人として登場した刑法学者小野清一郎氏は、要旨「死刑制度はえん罪で死刑になることを予定している。財産や生命を守るシステムはえん罪を受け入れざるを得ない」と喝破した。これでこの国の死刑廃止の流れが止まった。
小野清一郎氏について一言エピソード。同氏は、東京帝国大学法学部の教授などを歴任した著明な学者だが、戦後には弁護士も経験している。有名なえん罪事件の一つにヤミ市の商人同士の乱闘が強盗殺人事件として摘発された福岡事件がある。1956年4月17日、最高裁は2人の死刑を確定させた。実行犯のAは後に恩赦で無期懲役になったが、実行を指示した(とされた)西武雄死刑囚は犯行を否認し、Aも「西は無関係」と証言していた。小野氏はその西死刑囚の弁護人だった。西死刑囚の死刑が確定した3週間後に、この小野氏が前述の国会証言をした。彼は法務省の特別顧問に就任し、死刑は執行された。
その法務省が最高裁と一緒になって推進している裁判員制度。捜査当局によるでっち上げえん罪もなんのその。「この国の裁判は正統。国民を裁判に関わらせて国民の司法への理解の増進と信頼の向上させる」とうそぶく。国民を裁判所に罰則付で動員して国を守る危害を持たせようとする。元裁判員によるストレス国賠訴訟でも、国側は「重要な政策の実現のためには国民の1人や2人が犠牲になるのはやむを得ない」と言わんばかりの主張をしているこの制度。
♪日本の司法の場合はあまりにも違憲だ
日本の司法の場合はあまりにも悲劇だ
3月30日の日曜日
ブログで批判された話一つ
裁判員制度♪
♪ホントのことを言ったら
出世できない
ホントのことを言ったら
あまりにも悲しい
3月30日の日曜日…♪
*右のマンガは、4月3日付け『朝日新聞』夕刊に掲載されたものです。
投稿:2014年4月5日