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全国犯罪被害者の会に参加し、刑事司法を考える

OM(ジャーナリストの卵)

 平成26年1月25日(土)、青山のドイツ文化会館で行われた「全国犯罪被害者の会(通称・あすの会)」の集会に参加した。テーマは「死刑制度を考えよう~こんな判決で良いのですか~」。刑事事件被害者のご遺族と弁護士、学者らが登壇し、議論した。

 この日の集会では、昨年、裁判員裁判で出た2件の死刑判決事件が、二審で無期に減刑された事案を中心に議論が進んだ。「不当に失われた被害者一人の命に対しては、“永山基準”云々以前に、被告人は命をもって償うほかない」「計画性のなさが減刑理由にはならない」「同種前科が認定されていない」「裁判員裁判の意義が薄れる」「無期懲役とした二審は不当な判決である」として、次のような決議につなげている。

013510第1決議:死刑制度の存置
 死刑制度は、犯罪被害者を含む国民の圧倒的多数が支持しており、今後も存続すべきである。

第2決議:裁判員裁判における量刑判断の在り方
 裁判所は、裁判員裁判における一般市民の感覚を反映した量刑判断を尊重すべきであり、先例をことさらに 重視すべきではない。

 2件の判決を出した東京高等裁判所の村瀬均裁判長は、今年2月27日にも裁判員裁判で死刑とされた被告人に対して無期懲役の判決を下した。3件目の判断だ。

 一方で、同裁判長は3件目の判断を出す一週間前、その3件目で争われている事件の別の被告人が「死刑」とされた事案については、一審の裁判員裁判の判断を支持し、弁護側の控訴を退けている。

 殺害行為への関与度が異なるため、同じ事件の2人の被告人の間に「死刑」と「無期」という違いが生じたものだ。無期と判断された3件のケースは、いずれも事実認定と量刑が精査された結果、「一審の量刑判断に誤りあり」として判決が覆っている。

  最高裁司法研修所が2012年10月に公刊した『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』という論文がある。ここでは、裁判員制度に直面する法曹三者が従来の量刑判断から脱却する必要があることを述べながらも、裁判員制度は刑法の原則に立脚しており、制度が導入されたからといって刑罰を科す根拠が変化したわけではないとし、①量刑判断にあたっては、裁判員に「刑罰の目的や量刑の本質論をきちんと踏まえてもらう必要が」あり、「我が国の刑法の成り立ちや拠って立つ理念を十分に理解した上で」②(法曹三者が)「個別の事案に即してその量刑判断のポイント・分岐点を裁判員に的確に伝えることで、裁判員が量刑についての意見を適切に述べることができるような審理・評議を実践していかなければならない」こと。また、③量刑の本質である「『行為責任』が意味するところが正確に理解され、これが裁判員に的確に伝えられ」る必要があることなどをあげている。

 市民感覚が求められて導入された制度ではあるものの、あくまでも刑事司法の実行体として、本質的な理解と運用を求めたものだ。

 翻って3件を見てみれば、いずれも行為責任原則に照らして「死刑しかありえない」という判断には導かれないはずのものだった。誤った判断に基づく判決が上級審で翻される運命にあることは言うまでもない。

  誤った判断が出された裁判員裁判には、当然ながら3人の裁判官も加わっている。

 判決に至るまでの過程が非公開であるため、職業裁判官が従来と異なる判断をした背景は不明だが、上級審で翻される判断だったことに変わりはない。

 刑事裁判の目的は、適切な事実認定と量刑判断だ。裁判官には、裁判員に法益や量刑などの原則を説き、客観証拠に基づいた核心的な議論を促すことが求められているが、現実にはそうした過程から逸脱し、被告人の行為責任を度外視した量刑判断が濫発している。

 職業裁判官を含む合議体においてすら刑事裁判の理念が尊重されていないという現状からは、結局、この制度自体が拙速に過ぎたのだという印象を受ける。

  そして、適切な事実認定・量刑判断が欠けた判決は、真実究明を求めるご遺族の期待にも背くものだ。

 この日の壇上でも、被告人に極刑を求めながらも叶わなかった思いを抱えるご遺族が並び、被告人への死刑判決を躊躇すべきでないこと、一審の裁判員裁判で出た死刑判決を翻すべきではないことが語られた。苛烈なように見えたが、根底にあるのは殺された家族への思いだ。帰ってこない子どもを、血の気が引く思いで待つ親の気持ち。待ち望んでいた再会が最悪の事態になってしまったときの衝撃。家族を失った失意から、家族の一員が命を絶ってしまう。生まれた時よりも小さい姿で戻ってきた子どもを、相当な覚悟で迎えたご家族の姿。過酷な話が続いたが、話を聞くうちに被告人への処罰感情よりも、大切な家族を失ったという悲哀の方がより強く心に残った。

 さらに、ご遺族のお一人が「被告人に面会し、罪を直視させたい。人間としての良心を思いださせてやりたい」という心情を吐露された。家族がなぜ殺されなければならなかったのか。真実究明のために被告人に事実を聞きたい。こちらも言いたい、という希望はこれまでも語られてきたものだ。ご遺族は癒えない傷を抱えながら裁判に臨む。彼らの希望が託された裁判体が事実認定を軽視し、誤った事実に基づいた量刑を下せば、それがご遺族の願いにそぐわないことは明白だ。

  ご遺族が置かれている現状や、凄惨な体験、ご家族への愛情は、この日の集会に参加して初めて目の当たりにしたものである。しかし、先に述べたとおり、第2決議は問題をはらむ裁判員裁判の量刑判断を無条件に肯定しており、違和感を抱かざるを得ない。また集会で配布された資料によれば、第1決議の根拠として、“死刑存置派が85.6%”という数字が出た内閣府の世論調査や、「故意に死を招いた者は死をもって償うべきだという道徳観」が日本社会に定着していることをあげているが、そのどちらも非科学的であり、“国民の圧倒的多数が支持”という文脈を補完するものではない。特に世論調査については設問が誘導的であり、厳密な“死刑存置派”が“85.6%”から大きくポイントを下げることは、各所で指摘されている通りである。

  ご遺族に対しては、何よりも決議文で示されていた、もう1つの項目「新たな被害者補償制度の創設」でサポートすべきである。

013510第3決議:新たな被害者補償制度の創設
 犯罪被害者等給付金制度を抜本的に改め、新たな生活保障型の犯罪被害者補償制度を創設すべきである。

 『平成25年度版 犯罪被害者白書』によれば、犯罪被害給付制度に則り、平成24年度は8967人に約15億0900万円が裁定額として支給された。しかし、この制度は一時金の形をとっており、被害者や遺族が被害を受ける前の生活水準に戻すだけの補償や、精神的・経済的に回復するための援助には到底なっていない。このため、この日の集会でも「生活保障型」の補償制度の創設が求められたものだ。カウンセリング等心理療法の公費負担も現行制度では認められておらず、被害回復への経済的援助が希薄すぎる現状に対し、内閣府や警察庁、法務省等は制度の拡充と新たな補償制度の創設について検討を続けている。

 ご遺族に対する精神的・経済的ケアが拡充されることに異論のある人は少ないだろう。新たな被害者・遺族が誕生し続ける社会において、被害者政策は、私達自身の政策でもある。

  刑事司法は被告人の人権を制限するため、適切に行わなければならない。誤判により、何人もの無実の人が不当に服役・処刑されてしまったという歴史の汚点もある。また誤判ではないにせよ、本来ならば行為責任が原則となるところ、法廷でのプレゼンや世論の厳罰化の傾向により、過重な罪が認定され、重い刑を科されている被告人もいる。こうした事例は、原理的には不当なものだ。刑事司法は、あくまで事実認定と量刑についての冷静な審理を大前提とし、迎合的で表面的な判断は控えなければならない。些末な判断は時間と手間の浪費であり、ご遺族への配慮にも欠けるものだ。

 誤った判断を蔓延させないために刑事司法の本質的な理解を広めること、事件を精査して真実を詳らかにする法廷が実現されること、そしてご遺族に対しては、社会的経済的ケアを充実させることが求められている。

以上 063875

 

投稿:2014年4月14日