~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
インコが手に入れた大日本陪審協会が1931年(昭和6年)8月に発行した『陪審手引』という小冊子。これを見れば、現在の裁判員制度がどのような精神に基づいて作られたかよくわかります。
24 手当
呼び出された陪審員候補者には手当が支給される。
旅費 旅費は3階級ある場合は2等、2階級しかなければ上級、階級がない場合は水路なら1海里15銭以内、陸路なら1里90銭以内の割合で支給される。
日当 日当は正陪審員や補充陪審員として公判審理に参加したときは1日につき金5円を、呼び出しを受けて裁判所に出頭したが抽選で除かれたり忌避されたりしたときは1日に付き金2円50銭の割合で支給される。
止宿料 陪審裁判が1日で終結せず陪審宿舎に泊まったら1泊金2円50銭、宿舎以外の所に泊まったら金5円を支給される。もっとも宿舎以外に泊まるようなことはほぼない。
以上の費用は、参加した事件の判決が下されないうちに請求しなければならないが、これらは陪審員係の裁判所書記がたいてい手続きをしてくれる。
25 罰則
陪審員は、国民正義の代表として、畏(かしこ)くも天皇の御名(おんな)において行われる神聖な裁判に参加する名誉な権利・貴重な義務である。その職責は真摯熱誠に尽くさねばならない。万一その努めを怠ったら次の制裁を加えられる。
① 呼び出しを受けながら故なく指定期日に出頭しなかったら500円以下の科料。昭和4年1月、九州のある裁判所で開かれた陪審裁判に届け出ずに出頭しなかった陪審員に10円の過料処罰が科された例がある。
② 法廷で宣誓を拒むと500円以下の過料。
③ 陪審員がみだりに外部のものと交通したり退出したりすると500円以下の過料。
④ 陪審員が裁判長から注意された遵守事項に違反すると500円以下の過料。
⑤ 陪審員が評議の模様や陪審員各自の意見やその数の多少などを他に漏らすと千円以下の罰金。陪審員の漏らした事柄を新聞雑誌などの出版物に掲載すると、その記事の真否に関わりなく2千円以下の罰金。昭和5年3月、東北のある裁判所の陪審裁判に陪審員として参加した者が、後日東京の一流新聞通信員に得々と評議の内容を漏らした。一流紙ともあろうものがその記事を地方版に掲載した。むろん本人はうっかり喋ったのだろうが、言語道断である。後日両者とも制裁を受けたが、一般国民は陪審法の内容くらいは心得ておかねばならない。
⑥ 裁判長の許可なく陪審員以外の者が評議室に入ったり、評議前に裁判所で陪審員と交通したりすると、5百円以下の罰金。
⑦ 陪審員に有罪とか無罪とかの答申をしてくれなどと依頼したり、評議終了前に個人的な意見を述べたりすると1年以下の懲役か2千円以下の罰金。
26 陪審員宿舎
陪審裁判の審理が一日で済まない場合、陪審員は裁判所構内の陪審員宿舎に泊まらねばならない。裁判終了前に勝手に帰宅させたり自由に旅館などに泊まらせては、事件の性質や被告人の関係上、陪審の公正を保つことができないおそれがあるからだ。
宿舎は、司法省が細心の注意を払って優遇に努めている。陪審員の疲労を慰めるため、浴室、談話室はもちろん娯楽品なども相当に設備されている。碁、将棋盤、ラジオ、図書類もあり、寝具も一流旅館より上等である。酔っ払わない程度なら晩酌も許される。外部との交通は禁止だが、審理中の事件と関係がなければ外部の人と面会もでき、手紙や電報も出せ、係員の取り次ぎで電話もかけれられる。必要なものがあれば小使に頼んで買い物もできる。缶詰状態などというものではなく明るい愉快なホテルである。見学会などで宿舎を参観した人々は口を揃えて宿泊料を払っても泊まりたいなどと言っている。
陪審員はそれぞれ職業をもっているから、裁判所もなるべく審理を長引かせないようつとめている。しかし事件によっては2~3日くらいはかかる。実施以来一番長い陪審裁判は昭和4年10月、静岡で開廷された『嬰児殺し被告事件』で7日間を要した。その他の事件はたいてい1~2日で済んでいる。
27 陪審員の心得
法の規定どおりにしていれば職務を果たしたことになると思っていたら大きな間違いである。法規を知ることも大切だが、自分は国民の代表として国家のために正義を擁護する尊い義務を尽くす、そしていやしくも人命に関する重大な判断を下すのだと感銘して任務に従わなければならない。
予断は不可 新聞の記事や人の噂などでは有罪だからとか、予審判事も有罪としているからこの被告人は罪を犯したのだろうなどと思って法廷に臨むことは甚だ危険千万である。これを予断という。こ陪審員に予断を持たれては被告人は非常な迷惑である。せっかく陪審員が立ち会ってくれるのだから冤を雪(そそ)がれると思っているのに、有罪とされてしまったということでは、法律が与えた最高の保障がなくなってしまう。予審終結決定書といえども犯罪事実を認定したものではない。よくよく注意して予断に囚われぬように心がけねばならない。
心証を動かすな 被告の風貌や言動に心証を動かすことは一番禁物である。この被告人の面構えはかなり獰猛(どうもう)だ、人を殺しかねないだろうとか、風にも堪えぬような美人がそんな大罪を犯すかというような疑念をもって裁判に臨んだら、諸君の脳裏に黒いものが白く見えたり白いものが黒く映って、到底真実の判断は下されない。十分に慎まなければならない。
弁論は冷静に聞け 検事と弁護人の弁論戦に惑わされてはならない。検事は攻撃の立場にあるから、どうにかして罪のとどめを刺そうと努力する。被告人の言う言葉がことごとく口実のように聞こえ、被告人が確かに真犯人のように思える。しかし弁護人の弁論に耳を傾けると、今度はどうしても無罪のように思えてくる。まことに無理のないことで、弁護人は被告人に有利な点のみを力説する。陪審員の同情を買うためことさらに被告人を弱者にすることもある。人間は誰しも弱きを助けんとすることに一種の快感と興味を持つが、誤った義侠心を起こすことは絶対禁物である。攻防両者の主張はあくまで冷静に聞かねばならない。
情実論を排せ 公務を執るうえで情実は絶対禁物である。評議の際などに、知人であるとかかつて恩恵を受けた人だからといって、その人の説や意見に引きずられるようなことや、または政治的関係や経済的関係などで動かされるようなことがあってはならない。どこまでも自己の良心に命ずる処に従って正義を保持しなければならない。また世論も正当と見られない場合がある。被告人は大官で人の師と仰がれている人物だから罰してはならないとか、名誉ある地位に立ちながら被告人となったのだから罰しなければならないなどと世論が言っていてもこれに顧慮する必要はない。権力権威に屈せず、独立不羈(ふき)、剛毅の精神を持して、任務の遂行に精進することが肝要である。
28 大日本陪審協会の事業
わが国司法史上に一新時代を画する陪審裁判が実施されて満2年になったが、その間に全国各地裁で取り扱われた陪審裁判事件は235件。この事件数は立法当初に司法当局が予想された数より遙かに少ない。これは陪審法の大精神が国民一般に徹底せず、陪審裁判の真のありがたみがわからないからである。事件の数は少ないが、国民の参加振りは甚だしい不成績ではなく、さすがに司法省が準備時代に500万円という莫大な金をつかって真剣に宣伝に努めたお陰であろう。
だが、実施以来の経過を冷静に振り返えると、陪審員候補者各自の無理解と陪審知識の浅さから、失敗や不始末を演じたことも少なくない。すでに述べた不出頭事件や評議の内容の漏洩事件もさることながら、いやしくも輦轂の下(れんこくのもと=天子のお膝元)にある帝都の裁判所で、『無理心中事件』の審理中、自分の任務の何たるかを知らない陪審員が、陪審裁判長に向かって『一体この事件は合意心中ですか、無理心中ですか』と珍問を発して法廷を騒がせた。あまりにも情けなくその無知には茫然自失する。
大日本陪審協会は、このような失態のないよう、一般国民に陪審知識と一般法律常識を教え、未曾有の大法たる陪審有終の美をなすべく、昭和3年11月、陪審法実施とほとんど同時に、在野法曹の大家元司法次官法学博士小山温氏を中心に、時の司法大臣原嘉道博士、大審院長牧野博士をはじめ、平沼騏一郎男爵、鈴木喜三郎氏、花井卓藏博士等、在朝在野法曹権威者の熱心な指導後援の下に創立され、横山勝太郎氏を会長とし、社員一同、熱心に業務に尽瘁(じんすい)している。
すでに全国で5万人余の陪審員候補者を会員とし、教養指導につとめてわが陪審法の運用に多大の貢献をした。幸か不幸か前述のように失態を演じた不出頭者や評議漏洩者、珍問提出者はいずれも本協会の会員ではなかった。
本協会が今日まで行ってきた事業としては、日本陪審新聞社が発行する日本陪審新聞を毎号会員諸君に頒布し、かつ『陪審早わかり』、『憲法早わかり』等の冊子を贈呈した。司法省後援の下に、東京、横浜、浦和、前橋、新潟等の各地裁の陪審法廷、陪審宿舎を特に公開していただき、その地方の陪審員候補者諸君に見学させ、当該裁判所の判検事各位に講演を願い、陪審制度の精神の普及鼓舞に努力した。その他時々各地で刑務所の見学会を行ったり、陪審講演会、陪審映画の公開等を催した。また常任の顧問弁護士を置いて、会員諸君のために法律の無料相談、鑑定の便宜を図るなど、いやしくも立憲法治国の精神を発揮すべく、国民に対して法律知識の涵養と啓蒙に精進してきた。
読者諸君には、本協会の目的とその事業に十分なる同情と理解を賜り、この国家的公益事業の達成に一段のご後援を切望してやまない。
注意
陪審員候補者諸君は、いつ裁判所から呼び出され陪審裁判に参加されるか知れませんが、その際はお忘れなくこの冊子を携帯して下さい。諸君の任務を執らせる上に多大の参考指導となると信じる。法廷参加の記念にするためにもと、巻末に陪審裁判参与日誌を附録として添えて置いた。法廷でそれぞれ記入しておけば後日の思い出ともなり、一家の名誉ある記録ともなろう。なお読者諸君にして陪審法に不明の点があった場合は、遠慮なく本協会出版部宛に返信料封入りの上ご照会ください。
昭和6年8月15日印刷
昭和6年8月20日発行 非売品
大日本陪審協会編纂部
発行者 東京市京橋区銀座三丁目三番地 三溝誠一郎
印刷所 東京市京橋区南鞘町五番地 大日本陪審協会印刷部
印刷者 東京市京橋区南鞘町五番地 清宮三郎
発行所 東京市京橋区銀座三町目三番地 大日本陪審協会出版部
投稿:2014年4月29日