~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
立夏も過ぎたある日のインコのお山。今日は鸚鵡大学のにゃんこ先生も学会出席で不在なのでインコの一羽(?)舞台。インコの後輩とインコの会話です。でもインコの横にはうるさいマネージャーが…。
:この間新聞読んでたら、最高裁が裁判員裁判の在り方について判断を示すって出てましたけど、これなんのことですか。「求刑1.5倍判決見直しか」「大阪・女児虐待死 最高裁で弁論へ」「裁判員制度の分岐点」なんて3段抜きの大見出しでした。
:うんうん、いいこと聞いてくれた。話そうと思ってたところだったんだ。キミいい勘してるな。(マネージャー独り言-私は悪い予感がする。こういう時すぐ舞い上がろうとするんだ、舞い上がれないのに…) え、なんか言ったか。ま、静かに聞いていなさい。(マネージャーまた独り言-静かに話してほしいんですけどね…)。
:4年前の大阪・寝屋川市。1歳の三女に暴行を加えて死なせたっていうんで、両親が傷害致死罪に問われた。一審も二審も有罪で弁護側が上告していた事件さ。最高裁の第1小法廷が弁論を開くことを決めたんだ。
:それだけのことで大きく報道されるのはどうしてですか。最高裁が裁判をやるって当たり前のことのような気がするけれど。
:うんうん、確かにそう思うかも知れない。だが実は、これは当たり前のことじゃないんだ。弁論を開くのは原則として二審高裁の判断をひっくり返す場合に限られる。原審で被告人に死刑が言い渡されている事件は被告人の生死にかかわる重大事件として全部弁論が開かれるけれど、それ以外の事件では最高裁は法廷を開かないんだ。
:そりゃまた違うような気がするけど…、まぁいい、とにかく高裁の判断をひっくり返すことを本気で考えたときに、検察と弁護の双方の意見を聞く機会を設けて弁論を開く。上告した弁護人は、弁論開始の連絡を受けただけで赤飯炊いて前祝いするっていうよ。
:なるほど、やっと扉が開いたっていう訳だ。(マネージャー独り言-この子まだ「開かずの扉」にこだわってる) だけどこれはそもそもどういう事件なんですかね。
:一審判決では、食事もきちんと与えなかったために発育も悪くなっていた三女に常習的に暴行を加えていたとされているね。
:傷害致死事件だから一審大阪地裁は裁判員裁判だった。被告人たちを糾弾する姿勢の裁判員たちが多かったようだ。判決後の記者会見では、裁判員を務めた男性が「親にしかすがれない子どものことを考えると殺人罪より重い」と両親を厳しく非難している。「殺人より重い」ってどういうことって話題になったよ。で、検察官の求刑は懲役10年だったんだけれど、判決はそれじゃ低すぎると、求刑を大超えする懲役15年だった。
:求刑を超える判決を言い渡したって、報道もそうなってますね。そう言えば、大阪地裁は以前にもたしかアスペルガーの患者の被告人に求刑超えの判決を出しはったのと違いまっか。
:なんでそこだけ大阪弁になるんや。おまはんいい勘し過ぎやで、そりゃあかんわ。というか法律の決まりはあらへんけど(この「け」の音が高い-マネージャー)裁判所のならわしとして、検察官の求刑の範囲の中でここら辺が落ち着きがええと判断するもんなんや。(ここでインコ正気に返る-前同)検察は逆に裁判所の判断を予想してそれより少し重めの求刑をする。そういうあうんの呼吸とでもいう関係があるんだな。
:ところが大阪地裁は求刑の1.5倍にあたる懲役15年の判決を言い渡したんですね。で、弁護側の控訴に対する大阪高裁の判断はどうだったんですか。
:それが、大阪地裁の量刑判断をそのまま全部認めたんだ。アスペルガー事件の時は大阪高裁は地裁の求刑超え判断を打ち消して、懲役の年数を求刑の範囲内に下げたんだけれど、今回の事件では高裁は地裁の判断をそのまま承認してしまった。
:地裁・高裁の判断に納得しない弁護側が最高裁に上告した訳ですね。そこで舞台が最高裁に移ったんだ。さぁ、最高裁はどういう判断を下すんでしょうか。さっきの理屈だと、ここで弁論を開くと言えば、一、二審の判決は正しくないって言うことになるんでしょう。そうならなければおかしいですよね。
:確かにそう。だけど、ここはとんでもなく難しい局面になったね。
:裁判員制度を推進してきた最高裁としては、裁判員の判断を尊重せよというのは動かせない。そうなると一審の判断もこれを承認した二審の判断も正しいと言わなくちゃいけない。でも最高裁には量刑判断に関する裁判所の伝統を外してはならないという強い縛りがある。さぁこの2つの目標をどう「調整」するか。
:2字で表現すれば矛盾、背馳、相反、抵触、相克。3字で言うと筋違い、不整合、4字で言えば二律背反、二項対立、自己矛盾、自家撞着。進退両難。英語で言えばアンチノミー、インコンシステント、ディレンマ…。民間伝承句で言えば、あちら立てればこちらが立たぬ、鶍の嘴(いすかのはし)…。
:(おせんべいボリボリ)はいはい、わかりましたよあなたの博識としつこさは。後輩が真剣に聞いてるんだから、よけいなことは言わないで端的に説明してあげなさい。
:そうです、実はここに裁判員制度のウソが見える。ここにこそこの制度の最大問題が潜んでいるのです。最高裁は、心にもなく、そう心にもなくです。「市民感覚を裁判に反映させる」という言い方で国民を刑事裁判に引きつけようと画策した。そこで「国民に聞くのが正しい」という理屈が裁判員劇場の花道入り口から勇躍登場した。登場させてしまったって言った方が正しいんだけどね。
:実際、最高裁は「事実認定がよほど不合理でなければ裁判員裁判の判断を尊重せよ」と判決の中で言っている。「よほど不合理でなければ尊重せよ」っていうのは「多少の不合理だったら目をつぶれ」ってことでしょ。こんな裁判ホントにアリかよって私は思うけどね。量刑もよほど不合理でなければ裁判員の意見に従えとは明言していないけれど、なんと言ってもキャッチフレーズを公募して「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」という台詞を当選させた最高裁ですからね。過去の「相場」にとらわれない「市民感覚」の反映が至上目標になっちゃったんですよ。
:なるほど。しかし、弁論を開くということは今回はその理屈を貫けなくなったということですか。
:いい勘…、いやそのとおりです。本当は最高裁は国民の声を聞こうなんて手羽の先ほども思っちゃいない。キャッチコピーはあくまでキャッチの小道具。制度の本当の目的は、司法に不信を懐き始めているこの国の国民に、長い時間をかけて本業の裁判官たちが築いてきた事実認定や量刑判断が正しいものだということを叩き込もうという制度なんだから、ホンネで言えば国民本位もへったくれもないんだ。
:いやいやどうかな。それはそんなに簡単なことじゃない。そうなったら裁判員制度における3.11事件ですよ。「みんなウソだったのね」っていうことになる。でも、最高裁司法研修所が公表した論文には先例の傾向を正しく踏まえて判断せよと書かれているし、最高裁事務総局が3年間の裁判員裁判の実施状況を検証した報告書(12年12月発表)の中では、「裁判の結果は、総体としてみれば、これまでの裁判と極端に異なっているわけでもない」と指摘している。
:そうすると今度の弁論の後、最高裁はどういう判決を言い渡すんでしょうか。
:この事件は犯罪の成否をめぐって争われているのではなく、量刑の軽重をめぐって争われている事件です。とりわけ求刑大超え判断の良し悪しが大きなポイントになっている。制度のコアというか本質をめぐって争われている事件じゃないけれど、裁判員の判断を良しとした(と考えられる)一審の裁判官たちの判断、そしてその判断をよしとした控訴審の裁判官たちの判断について、最高裁の裁判官たちがどう判定するかという意味で、裁判員制度の分岐点になるのは間違いないでしょう。
:それほどの裁判ならもう少し注目されていいんじゃないかしら。大きく報道といっても、報道したメディアは一部だけのようだし。
:何を報道しても裁判員制度の支持者・理解者が減る全層雪崩状況なので、メディアもどうしようもなくなっているんだろうね。とにかく、ごく一部の国民だけど強烈に自分の視点、自分の感覚、自分の言葉を押し出した結果です。推進者たちが作ったコースの上で自爆しているのだからどうにもしようがない、四字熟語で言えば自業自得、因果応報、厭離穢土、欣求浄土。民間伝承句で言えば天に唾する、それから…。
:ったく。インコさん、にゃんこ先生がお戻りになられたようよ。
投稿:2014年5月6日