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『絶望の裁判所』 司法「改革」の意味を問い直す

弁護士 猪野 亨

下記は「弁護士 猪野亨のブログ」5月9日の記事です。
猪野弁護士のご了解の下、転載しております。

   この『絶望の裁判所』は、元裁判官である瀬木比呂志氏の著作です。
司法官僚制度を批判する内部(但し、退官後ですが)告発本として法曹界では話題になっていました。
そこで私も遅ればせながら読んだ次第です。
実体験に基づいている点はよくわかるのですが、内容としてはかなり愚痴っぽい書き方で「分析」という感じはほとんどしませんでした。
それはともかく、瀬木氏の分析は、最高裁は裁判所に対する「改革」を逆手にとって司法官僚制度を強化しようとした、裁判員制度も然り、そして竹崎前長官の大抜擢に始まり、刑事裁判官優遇の官僚人事となった、というものです。

 私からみれば、今時の司法「改革」は、裁判官の官僚制をただすものではなく、むしろ強化するためのものであって、氏の視点は全くずれているという他ありません。最高裁が逆手にとったのではなく、そもそもそのような「改革」だったのです。
渡辺治一橋大学教授の分析
新自由主義改革は、何も行政分野だけでなく、裁判所(司法)にも及びました。この点は常識かと思います。事前規制から事後救済というキャッチフレーズはあまりに有名です。
新自由主義改革を支えるための司法を構築することが、その目的であり、司法官僚制度はそのために強化される必要がありました。司法官僚制度に手が入らなかったのは当然の結末です。
行政訴訟についての司法権限の強化は、何も米軍基地などの騒音防止のための差し止め訴訟を認めるためのものではありません(瀬木氏は、この差し止め訴訟に拘りがあるようです。)。経済活動を規制する立法や行政処分を司法の判断で迅速に取り払うという手段強化のために司法がクローズアップされたのです。従来、言われいたような「小さな司法」(行政に追随)という批判に応えるためのものではありません。
本来、事前規制は立法的にも取り払うべきものがなかなか立法による対処ができない、これを司法によって取り払うことが司法(裁判所)に期待されたのであって、これが新自由主義改革を裁判所が支えるという意味です。

裁判員制度にしても国民をして裁かせることによって国民に統治に責任をもつ主体としての変革を求めることにあるのは司法審意見書に記載されているとおりです。瀬木氏は裁判員制度を今のままではえん罪防止に役立たないと批判していますが、このようなずれた批判は意味がありません。もともと裁判員制度はえん罪防止が目的ではなく、治安強化とそのために国民を権力に取り込むことが目的だったからです。
刑事裁判官が優遇された人事になったという瀬木氏の立論は、刑事裁判強化という意味ではあながち間違いではないのかもしれません。
ただ刑事裁判官を優遇しなければならない特別の事情があるわけではなく、瀬木氏の立論の是非は憶測レベルになるものと思われるし、むしろ、竹崎前長官を裁判員裁判のために行政側が送り込んだ、しかも「大抜擢」と評される形で最高裁人事が行政による露骨な介入が行われたこと、それが「改革」の名によって正当化されてしまっていることの方がより重大な問題といえます。
刑事系か民事系かの派閥争いのような人事が問題なのではありません。

但し、参考になった部分もあります。
「裁判官は忙しい!」という日弁連などが用いるキャッチフレーズが実態に即していないという指摘です。
私もそう思います。事件数の減少により少なくとも現状では裁判官が忙しすぎるという実態はありません。
裁判官の増員が本当に必要なのかどうか検証する時期と思います。

同著では、裁判官の能力の低下が指摘されていますが、それは十分にあり得ることです。今時の司法「改革」は、法曹人口の大増員により司法試験年間合格者数を大幅に増加させました。その結果、資格を取得しても食えないという現実が明らかになり、急速に法曹志望者は激減しました。有為な人材は法曹から遠ざかっていったし、全体としての質が低下しているのですから、裁判所がその影響を受けないはずがありません。いくら司法研修所での成績上位者を任官させても限界があります。
(同著にも指摘がありましたが、成績上位者の一部は年収の高い法律事務所に流れているものと思われます。)
現在では裁判官の採用人数が増えています。これは別の見方をすれば、任官させた裁判官の中で一定数どうにもならないのが紛れ込むことが避けられず、「多め」に採用することによって10年後の再任「拒否」によって淘汰することを前提にしているのではないかとさえ危惧されます。(10年待たずに肩たたきをするのかもしれませんが)
裁判官の質の低下まで来したようでは、今時の司法試験年間合格者数の大幅増員は明らかな失敗といえます。

 なお別の弁護士(水口洋介弁護士)の書評を読みました。
読書日記 「絶望の裁判所」瀬木比呂志著
同著に対する違和感を書き並べているのですが、水口氏の認識は今時の司法改革によって裁判所がよくなったというのです。
私の実感では、司法改革前のほうが、もっと非道かったと思います。瀬木氏が裁判長時代のことです。瀬木氏自身がその司法官僚の末端だったはずです。
それに比べれば「司法改革」の結果、「まだ少しましになったかなあ」というのが偽らざる感想です。」

今時の司法「改革」を推進してきた人ならではの発想であり、自らを正当化しようとしているに過ぎません。042206

 

投稿:2014年5月12日