~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
OM(ジャーナリストの卵)
5月17日、東京・日比谷で開かれた「裁判員ネット」報告集会を覗いた。集会の主催は「裁判員ネット」。この団体は、「裁判員制度についての情報発信を行い、裁判員制度に市民が主体的にかかわれるようにすることを目的とした非営利団体」(HP)だ。市民モニターが各地の法廷を傍聴し、模擬評議や意見交換会を行っている。5年間の裁判員裁判の実施状況が報告され、制度に対する提言などが紹介された。
以下は私の感想である。
□ 最高裁の調査結果
最高裁が今年1月に行った「裁判員制度の運用に関する意識調査」では、「裁判員として刑事裁判に参加したいと思うか」という問いに、「義務であっても参加したくない」が44.6%、「あまり参加したくない」が40.6%、その合計が85.2%という回答結果になっている。
(http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/H25_ishiki_4.pdf)
「裁判員裁判の実施状況について」という最高裁統計では、選任手続期日に出席を求められた候補者のうち実際に出席した者の割合は、2009年83.9%、10年:80.6%、11年:78.3%、12年:76.0%、13年:74.0%と変化している。
(http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/h26_03_sokuhou.pdf)
アンケート結果でも、候補者の出席率でも、数値は年を追って低下している。制度に対する国民の意識は冷淡で、参加意思・出席率・辞退率は顕著な悪化を示していることが明らかだ。
□ 市民モニターの声
裁判を傍聴したモニターの声が紹介された。裁判中一言もしゃべらない被告人に悪い印象を持ったとか、弁護人より説得力がある検察官の求刑がふさわしいと思ったなどの報告が印象的で、黙秘を重い量刑判断に結びつけたり、弁論のよしあしをわかりやすさでとらえたり、どちらかに勝ち旗をあげるのが裁判員の役目と思っているようなケースもある。考えさせられる。
裁判員ネットは、「無罪推定の原則」や「黙秘権の保障」などの刑事裁判の基本理念に関する法教育を提言した。市民の司法能力を高めようという提言だが、能力が高まる前にどんどん判決が下されてゆく現実をどうするのか。
□ 会場の質問
「裁判員裁判の評議の内容は一切記録されていない」という話が出た。職業裁判官の判決なら、量刑判断がそれなりに判決文に反映される。しかし、裁判員裁判の判決文は多くがシンプルで、量刑理由がよくわからないことがあるという。重大な刑事事件の被告人を裁くのに量刑判断が十分示されていないとすれば問題だ。
上級審の審理では、下級審の事実認定や量刑判断が検証される。「市民感覚」のベールに阻まれてその検証もできないのは良い訳がない。忘れてならないのは、裁判員裁判の判決には職業裁判官が加わっていることだ。『自由と正義 Vol.64』2013年8月号、86頁)は、裁判員裁判の判決について大要次のように紹介している。
徳島地裁は、平成23年6月16日、強制わいせつ致傷、住居侵入、強制わいせつ未遂、傷害の事件で、求刑8年のところ、懲役9年の求刑超え判決を言い渡した。その量刑理由は「被害者の人格を全く無視した極めて卑劣なものであり、被害者が受けた精神的苦痛は計り知れず、強姦被害にも匹敵するものである」というものであった。
しかし、性犯罪事件が被害者の人格を無視した卑劣な犯行であることは一般的に言えば当然のことである。「強姦被害にも匹敵」するという評価がされた理由を具体的に判示する必要があったのではないか。
大阪地裁は、平成24年7月30日、殺人罪で求刑16年の事件に懲役20年を言い渡した。長年引きこもり状態にある被告人が親族を殺害した事件である。判決の量刑理由は、刑を重くする事情に再犯リスクを挙げた。しかし、被告人には殺人前科はなく、鑑定人も再犯可能性は非常に少ないと証言していて、論告でも再犯可能性は強調されていなかった。にもかかわらず刑を重くする理由として判決は再犯可能性を指摘した。判決の判断根拠や評議の在り方には大きな疑問が残る。この判決は、平成25年2月26日、控訴審の大阪高裁で破棄され、懲役14年とされたが、職業裁判官が加わってもこのような判決が出てしまうことはゆゆしい問題と言わざるを得ない。
□ 正反対の意見
5月20日の朝日新聞は、「裁判員に負担をかけない審理を」という横田尤孝最高裁判事の言葉を紹介し、審理の長期化は望ましくないとし、わかりやすい裁判を求めた。
裁判員ネットで模擬評議を行った多くの市民モニターは審理時間の不足を上げ、日程を柔軟にして訴訟進行にも裁判員の意見を反映させよと提言した。最高裁やマスコミが「裁判員への負担軽減」「審理時間の短縮」を言うのとは正反対の意見が市民モニターから出されている。
また、「専門的な知識はいらない」とか「市民感覚を司法の場に」というこれまで各方面で強調されてきた指摘についても、法教育を通して刑事裁判の理念を社会に根づかせる必要が強調されたり、刑事裁判の理念の指導が提言されたりしている。裁判員裁判に接して問題意識を持った市民ほど、手ぶらでは裁判に参加できないとか、短い審理では足りないという思いを強くしていることがわかる。
□ 楽観的な展望はできない
集会では様々な問題が指摘された。参加に否定的な回答が8割を超えた現状は、「おおむね順調、改善点は克服」などと楽観視できる状況ではおよそない。
そしてその根底には刑事司法への不信がある。この不信は裁判員制度の導入で回復されていない。と言うよりも司法能力が作用していない現在の裁判員裁判はかなり深刻な状況にある。
袴田事件を思い出したい。事件当時、裁判員裁判が行われていたら、「市民感覚」は適切な事実認定を行い得ただろうか。事実が争われなかった事件でも誤った量刑判断が少なくなかったのではないか。その点のあいまいさを残したままで刑事司法の現場に駆り出されているのではないか。圧倒的多数の市民が不参加を表明するのは当然だとも思う。より良い刑事司法の実現をうたうなら、まずは刑事司法が「自浄」され、市民に信頼される刑事司法になる必要があると痛感する。「太鼓持ち的楽観的展望」をいくら展開しても、裁判を真剣に考える市民モニターの賛同を獲得しないだろう。
投稿:2014年6月13日