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裁判員制度廃止論へのおののき

一大学院生

司法制度改革審議会が答申するまでに議論が百出し、裁判員法が成立したときにも国会内で与党議員からさえ強い疑問が投げかけられ、欠陥法を自認するかのような「3年後の見直し」が法律上明記され、国民の理解を得る努力をせよという附帯決議が付けられ、5 年の準備期間中にも疑問や反発の声が最高裁に押し寄せた。086128

問題だらけ傷だらけの司法制度としてレイムダック状態で波止場を離れた裁判員丸は、騙しや力わざで批判を押さえ込む5年の準備期間を経て5年前に外洋航行に出た。

その行く手を阻んだのは多くの国民から共感と支持を集める制度廃止論であった。 制度の廃止を論じることは推進勢力内では禁忌になった。いつ終わりになるのかわからない制度、いつ終わりになってもおかしくない制度と思われているから、放っておけば国民の議論は水が流れるようにそちらに向かう。

そうはさせじと考える当局は、何としても廃止論に接近することを避ける。 3年後に制度を見直すというやり方にも、廃止とは言わせないという防波堤の意味が込められていた。当局の頭に常にあったのは「どう見直すか」ではなく、「廃止論とどう戦うか」であった。

無理を犯して出帆すればそうなることは見えていたし、その結果はさらなる矛盾につながることもわかっていた。だが、そうするしかなかった。 制度を推進する勢力や人たちから廃止論に関する評価の言葉を引き出すことは、したがって至難である。

極めてまれに出てくる言葉を通じて、彼らが廃止論や廃止運動をどうみているかをうかがい知ることができる。それらはもちろん廃止論への批判や異論であるが、批判や異論も子細に検分すれば、本当のところ廃止論にどのようなスタンスをとっているのかを推測することができる。

平成24年12月に最高裁事務総局が公表した「裁判員裁判実施状況の検証報告書」は、その数少ない「廃止論に論及した書物」である。

報告書は、最後の「あとがき」で、「憲法違反の主張をはじめとして制度そのものを廃止すべきであるといった意見はごく一部にとどまり、現在は、制度の維持を前提とした議論が大勢を占めている」と解説した。

だが、廃止論が「ごく一部にとどま」るという評価をする以上は、なぜ「ごく一部」なのかについて実証的な説明をしなければならない。「あとがき」の冒頭で、「立場の違いをできるだけ捨象し、客観的な資料を整理することを主眼としてきた」と言っているくらいだから、「ごく一部」であることの正確な論証は欠かせいはずである。

しかし、ここには、廃止を求める出版物や論考の紹介はもちろん、メディアが報じる廃止運動も何一つ紹介されていない。 同じ批判は、「現在は、制度の維持を前提とした議論が大勢を占めている」という表現にも当てはまる。「制度の維持を前提とした議論が大勢を占めている」ことはまったく証明されていない。086138

そもそも「議論」とは何を言うのか。「大勢」というのは何を指すのか。 制度実施から3年を経過した2012年の「季刊刑事弁護」№72号は「裁判員裁判の改善に向けて 3年後見直しの論点と制度改革の展望」という特集を組んでいる。

その中の、「裁判員制度3年後検証から見えてきたもの」というタイトルの論文(執筆者は村岡啓一一橋大学教授)も廃止論に触れた「貴重な」論文である。

氏は、「見直しにあたって最初に検討すべきテーマは、この制度は廃止すべきか維持すべきかではなかろうか」と問題提起する。見直し論が登場した本当の理由を氏が知らないとは思えないが、そのことに目をつぶって言えば、氏の論は正論である。

実際、氏は、「現に、制度創設時から、裁判員裁判の弊害と危険性を訴えて即時廃止を求める市民運動も組織され、一定の支持者を得てきたという現実がある」とも言う。この記述をしたことについては(その後の展開に目をつぶれば)最高裁よりははるかに実証的である。

だが、結局氏は、「司法に対する国民の理解は増進したが、司法に対する国民の信頼は向上は途上、裁判員制度の法目的は一応達成されている」という結論に到達する。裁判員をやりたくないと言う人が85%にも達することは、氏にとってはさして気になることではないらしい。

その氏は言う。「現行の裁判員裁判を廃止すべきと主張する廃止論の根底には、裁判員制度が市民参加という民主的な装いをとりながら、その実、官僚主義の司法に奉仕するために国民が取り込まれるという危機感がある。この警告は尊重すべきものであるが、施行後3年間の実績を見る限り、…裁判員は常識的な判断を裁判に反映させるという役割を予想以上に果たしている」。しかし、「不断の努力で刑事司法の理想形を追求しなければ、廃止論者が危惧する最悪の刑事司法をもたらす」。

とりあえず制度の現状は「国による国民動員」にはなっていないが、そうならないように不断の努力を尽くさなければならないという話らしい。

この論の合理性については、この分野に詳しい最先端のウェヴ投稿者の皆さんに任せよう。

私が指摘したいのは、裁判員制度推進の立場に立つことで知られている大学教授もこのような形で廃止論を俎上に載せて論じているという事実である。

廃止論は、最高裁が何とか無視したくてその思いあまってぽろりしゃべってしまうほどに「大きな存在」であり、大学教授がわざわざ取り上げて推進派に「警鐘を鳴らす」ほど大きい存在なのである。 制度推進勢力にとっては、あれやこれやの微修正論などははっきり言えばどうでもよいのだ。裁判員制度廃止論と裁判員制度廃止運動こそが今正面から向かい合っている正真正銘の対決相手である。二つのメッセージはそのことをよく示す「実証的資料」である。086261

 

 

 

投稿:2014年8月28日