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「まいど!裁判所です」の岡持ち担ぐ人とは…

横浜 森山邦泰

 07年6月26日付け『朝日新聞』(田園都市版紙面)、神垣清水前横浜地検検事正のインタビュー記事に衝撃を受うけ、切り抜きをしておいた。

 私が衝撃を受けたのは、次の言葉である。 063963

○ 裁判員制度の意義のひとつは、司法へのコスト原理の導入だ。司法だけがなぜ、無尽蔵に時間と金と人をかけて許されるのか。これを裁判員の手を借りて、短時間でやることになる。これからは、裁判官、検察官、弁護士もコスト意識を持たなければならない。

○ 裁判員制度には、治安への効果もある。殺人事件の被告や被害者とむきあい、被告をどう処罰するのかを考える。今までは、新聞やテレビで触れるだけだった国民が直接事件に触れ、判断をすることで、子どものしつけや、教育にも生きてくるのではないか。時間はかかるだろうが、治安はひとごとではないという意識も生まれるはずだ。 

司法が時間と金と人をかけるのは当然ではないかと思った。人の自由を奪い、場合によっては死刑=命を奪うというのである。それがコストを問題にし、コストを考えろということに衝撃を受けた。さらに裁判員の手を借りてコスト削減するという。手をかけさせられる裁判員のコストはどうなるのか?

 そして何より問題なのは「被告をどう処罰するのかを考える」という言葉である。推定無罪は頭にないというのは「さすが検事(棒読み*)」と言うしかないが、「子どものしつけや、教育にも生きてくる」とは、何がどう生きてくるというのか。 さらに「時間はかかるだろうが、治安はひとごとではないという意識も生まれるはずだ」というのはどういうことなのだろうか。「人を見たら泥棒と思え」「被告人は有罪」と考えろとでもいうのだろうか
 
*棒読み=ネットスラングの一つ。前文を否定または嘲笑することを意図してつける。

 さて、今になって私がこのことを思い出したのは、9月22日付け『神奈川新聞』の記事からである。
その記事をざっと紹介する。

  裁判員制度の開始から5年を迎え、制度をより身近に感じてもらおうと、横浜地裁がPRに力を入れ始めた。16日には、裁判員経験者が登場する初めての「出前講義」を横浜市内で開催。この出前講義には、今年の6、7月に裁判員を経験した男性=瀬谷区在住=が出席。同じ裁判を担当した同地裁の足立勉裁判官と関口恒裁判官が刑事裁判や裁判員制度の仕組みについて解説し、男性と対談する形式で講義。

  裁判官から審理の感想を聞かれた男性は、「人を裁くことによって、人権についても意識できるようになった」と自らの意識の変化を説明。「裁判によって社会の秩序がどう守られているのか学ぶ機会にもなるので、周囲の人に通知が来たら参加を勧めたい」と強調。

  参加者からの「裁判員を経験して人生観は変わったか」という質問に対し、男性は「人生観は変わらないが、被害者の視点に立つと、法律は身を守ってくれるが、感情までは守ってくれないと実感した」と振り返り、「子どもたちには被害者にも被告人にもなってほしくないと思い、日頃から自分の身は自分で守るようにと伝えた」と話した。


私は、この記事を読み、人を裁くことで人権について意識し、裁判によって社会の秩序がどう守られるか学び、日頃から自分の身は自分で守れという裁判員経験者は、神垣検事正が言っていたことをまさに体現していると思った。 

 ほとんどの人がイヤだといっているときに、のこのこと出かけて行くような怪しげな国策のお先棒を担ぐ人は、自分たちのやっていることが意義あることだと言いたいのだろう。その物言いが権力側の人と同じになるのもむべなるかなである。

  『神奈川新聞』によると、「同地裁本庁で裁判員候補者が選任手続きに出席する割合は、制度開始の09年は81.7%だったが、14年(6月末まで)は74.2%に低下している。」ということで、「こうした状況を踏まえ、同地裁は今後も経験者の協力を得ながら、制度の周知に力を入れていく考えという。」ということで、この記事では、横浜地裁が「出頭率低下に危機感を抱いて自主的にPR活動に力を入れている」ように読める。

  ところが、インコさんの「最高裁は出前講義『まいど!裁判所です』で何を訴える」を読むと、横浜地裁がPRに力を入れだしたのも、「最高裁の刑事局長がこの6月17日、全国の地方裁判所に『裁判員勧誘の広報活動を強めろ』と指示していた」ことに従ったということになる。

  権力におもねる特異な人を講師に、最高裁の指示どおりにPRに務める横浜地裁のお陰で、裁判員裁判が始まる前に感じた怒りを久しぶりに思い出した次第である。08

 

 

投稿:2014年9月24日