~裁判員制度はいらないインコは裁判員制度の廃止を求めます~
9月30日、私は判決言渡しを傍聴し、記者会見にも参加しました。記者会見で、Aさんは、裁判員をさせられて死にたいとまで思ったと苛烈な体験を語り、その打撃は今もなお続いていると切々と訴えました。翌10月1日、県紙、ブロック紙、全国紙は一斉にこの判決を報道しましたが、マスコミが何を重点に報じたか、私の現場感覚とも照らし合わせながら分析してみます。まず、各紙の見出しの紹介から。太字はメインタイトルです。
□ 『福島民報』 裁判員制度は合憲 裁判員ストレス障害訴訟 原告の請求棄却 発症の因果関係は認める 福島地裁判決 制度運営の在り方に一石 判決要旨
□ 『福島民友』 ストレス訴訟 裁判員制度は「合憲」 福島地裁判決 賠償請求を棄却 原告「我慢しろということ」 苦しみ 法律論の陰に 判決要旨
□ 『河北新報』 ストレス障害訴訟 裁判員制度は「合憲」 福島地裁 女性の請求棄却 続く悪夢や不眠「我慢しろという判決だ」 無念さ消えぬまま 負担軽減へ 改善続けよ
□ 『朝日』 「遺体写真でストレス障害」 元裁判員の訴え棄却 福島地裁
同県版 「提訴し良かった 制度に少し風穴」 裁判員ストレス敗訴の原告
□ 『読売』 「裁判員で苦痛」訴え棄却 福島地裁「負担は合理的範囲」
同県版 「裁判員の苦役伝わらず」 青木さん請求棄却に落胆
□ 『毎日』 「裁判員制度は合憲」 ストレス障害訴訟 賠償請求棄却 福島地裁 制度改善し再発防げ
同県版 ストレス障害訴訟「国の都合で犠牲に」 原告側「裁判員合憲」に失望
□ 『日経』 裁判員 負担軽減探る ストレス訴訟 契機 24時間相談窓口 写真→イラストに 福島地裁、賠償請求は棄却 遺体写真取り扱い 経験者意見割れる
□ 『産経』 裁判員制度は「合憲」 福島地裁「ストレス障害」賠償請求棄却 「死にたかった」原告女性会見 経験語る
□ 『東京』 ストレス障害の訴え棄却 裁判員経験者「配慮を」
報道の特徴を考えます。
基本は「制度合憲の判決」と「請求棄却」。判決報道としてはそれは当然でしょうが、報道はそのことに絞らず、様々な問題に目を配っています。
Aさんが裁判員の職責を果たしたことと外傷性ストレスを発症したことの間に相当因果関係があると認定したことを見出しに掲げた『民報』のほか、「無念さ消えぬまま『河北』」、「苦役伝わらず『読売』県内」、「国の都合で犠牲に『毎日』県内」、「『死にたかった』原告女性会見 経験語る『産経』」等々。多くの新聞がAさんの苦しみと悔しさを詳しく報道しています。棄却判決に多くの国民が感じる違和感を強く意識した紙面構成が目立ちます。
「この判決は私に我慢しろと言っているのだと思う」と発言したAさんの言葉を『民友』と『河北』がそろって見出しに掲げました。「我慢しろ判決」は、最高裁必死の「裁判員出頭勧誘」にバケツで水をぶっかけた感じです。この記事を読んだ読者のほとんどが裁判所に出頭しなくなるでしょう。
竹崎前最高裁長官がAさんの提訴決意を知って、あわてて現場に対策を命じたことが知られています。制度推進の旗振り役を一手専売に引き受けてきたマスコミとしても、裁判員経験者が急性ストレス障害やPTSDになられては困ります。
各紙の紙面は「もっと裁判員への配慮を」の記事で一杯になりました。「制度運営の在り方に一石『民報』」「負担軽減へ 改善続けよ『河北』」「制度改善し再発防げ『毎日』」「裁判員 負担軽減探る『日経』」「裁判員経験者『配慮を』『東京』」。この制度の廃止を求めていたAさんが触れもしなかった制度改善論の花盛りです。
いえ、触れていないどころか、記者会見でAさんははっきりと「白黒にしろとか負担を軽減してほしいと頼んでいません」と言われ、さらに「裁判員の負担を軽減よりも制度自体を問題にするのか」という質問に対しても「制度を廃止すればそんなことを考えなくてもよい」と言われました。織田信夫弁護士も佐久間敬子弁護士も「証拠を変更すべきではない。そんなことをすれば刑事裁判を歪める」と異口同音に言われたことです。各紙、この部分はスルーどころか内容を歪めて報道しているとしか言いようがありません。
カラー写真をモノクロやイラストに変えたり、目をつぶって見ないでもよいことにすれば、裁判員として出頭してくれる国民が多くなると本気で思っている。そんな「配慮」論の薄っぺらさがひどく目立ちます。『朝日』県版に至っては、Aさんの「廃止要求」を「抜本的変更の主張」と言い換え、「Aさんは裁判員制度が抜本的に変更されるべきだと主張してきた」と書きました。「廃止要求」という言葉を使わせない社風がうかがわれます。
さてその『朝日』がこの判決について社説を出しました。
10月4日掲載で、タイトルは「裁判員の負担 実態をつかみ対策を」。要旨は次のとおりです。「制度開始5年、5万人超が裁判員を務めた。裁判員の心に深刻な負担を与えているケースについて実態をつかみ、対策をとるべき。写真をイラストやCGにしたり、カラーを白黒にしたり、証拠提示前に予告をしたりといった証拠接触上の衝撃緩和策の精査が必要。また、無罪主張事件で有罪を言い渡したり、死刑等の重罰言渡しをすることなどの葛藤についても守秘義務緩和を含め実態把握と対策検討を急ぐべき。重い任務を先々にわたって支える態勢を築いていきたい」と。
裁判員制度はこのままでよいのかという危機感を微塵も見せていません。それどころか、この制度が「先々にわたって」続くことをわざわざ指摘しての文章です。しかし、「小衝撃」は極論すれば「お気楽に」ということ。裁判員への衝撃の極少化追求は刑事裁判の目的にかなうものなのでしょうか。
そういう問題をこの新聞はどう考えているのか、具体的に何も切り込んでいません。それでよいのかを論議すればいけないということになり、衝撃回避は誤りという結論になればやっぱり国民参加はやめようということになる。そういう回路に踏み込まないように、意識的に結論の出ない(結論を出さない)論議をしているように思われます。
社説は、裁判員経験者向けに裁判所が設けた窓口への相談件数が今年8月までに213件、そこから臨床心理士との面接に進んだのが26件、さらに医療機関に紹介したのが5件だったと説明しています。しかし、この数字の評価については一言も触れていません。
Aさんの事件に最高裁長官が大あわてにあわてて、Aさんの裁判がこれほど大きく報道されたことからすると、213件という相談件数は、裁判員経験者が最高裁の薦める相談機関を頼りにせず信用していないことを示しているものではないでしょうか。責任あるメディアとしては、そういう疑問を感じて当然だろうと思います。
裁判員経験者を5万人とすれば、相談比率は0.43%。四捨五入すれば消えてしまうような数字です。Aさんは医療機関や臨床心理士へのコンタクトもとっていませんでした。相談窓口に電話をかけたら「面接は東京でやるので自費で上京するように」と言われたので行かなかったというのです。
「実態をつかむ」というのは、このような仕組みがどれほどの意味を持っているかについて、裁判員経験者が置かれている状況を全体的に把握した上で、本当は多くの経験者が苦しんでいる事情を正確に解明することです。
最高裁は、Aさんが提訴する半年前には、「何よりも重要なことは、裁判員として参加した体験について、95%を超える裁判員が、これを貴重な体験であったと肯定的な評価をしているという事実である」などと、裁判員としての参加について脳天気極まる評価を下していました(「裁判員裁判実施状況の検証報告書」12年12月)。
実態をつかめという以上は、最高裁のこのような評価に対する批判的姿勢が欠かせないはずですが、今回の報道ぶりを見ても、『朝日』が制度に対する国民の厳しい視線に真摯に向き合おうとしているようにはとても思えません。
今回の判決報道についての結論です。裁判員としての体験が一般に想像されているものよりもはるかに過酷で深刻なものであることがこの裁判で明らかになりました。多くの国民がこの裁判報道に接してますます出頭の気持ちを失い、そうでなくても出頭が極めて少なくなっている状況がさらに「深刻化」するのは必至でしょう。
マスコミもこの制度をめぐってもう本当の議論をするぎりぎりの時が来たのです。それが今回の判決報道を見ての私の率直な感想です。
投稿:2014年10月15日